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Irmas International Youth Media Summit Uniting to Give Power to the Voices of Teens

Irmas International Youth Media Summit Uniting to Give Power to the Voices of Teens
2006/07/21-30                 三崎令日奈 ( 18 )

 例年にない猛暑に見舞われた米国ロサンゼルス。 7 日 21 日から 30 日の 10 日間、ここにグルジア共和国、シエラレオネ、アルマニアを含む 26 カ国の10代の若者たちが集まった。イーマス国際ユース・メディア・サミットが行われるためだ。世界で問題になっている環境や貧困、暴力など自分が希望して振り分けられた7つのテーマに沿って、各国の若者が自分の国で問題となっていることを映像やレポートにして持ち寄った。

 私はユース・エンパワーメント(若者の地位向上)のグループに所属し、日本の学校で生徒たちが規則や受験、暗記中心の勉強に縛られ、自由も責任も与えられていない現状を説明した。このサミットでは、まず議論の参考にするため3日間かけてユース・エンパワーメントに関連する3つのNGOを訪問した。好評だったのが一日目に行ったスキューバダイビング体験。障害のある若者を中心にスキューバダイビングを教え、それを通して自信を持つことや自己実現を学んでもらうということを実践している Zen Diving という組織で、陽気で親切なインストラクターのもと、プールでスキューバ体験を楽しんだ。これで一気にメンバーの仲も深まり、一石二鳥だった。

 団体訪問が終わると、それぞれのグループが自分たちの主張や解決策を1分の映像にまとめる作業に取りかかった。「何かいいアイデアはない?」と意見を聞き、アイデアを出し合った結果、ユース・エンパワーメントのグループでは「地球上の問題解決は若者の手にかかっている」というメッセージを映像にすることにした。ジグソーパズル状態の世界地図の裏に「貧困」「保健」「暴力」「女性の人権」「環境」「人種差別」など今回のサミットでテーマとなった問題を書き、それが最終的にはひとつの世界地図になり、10代の若者がそれを取り囲むといった内容だ。

 最終日、パーティーを前に7つのグループの映像作品がお披露目となった。 10日間、異なる背景を持つ若者が集まったこのサミットでは、様々なことが起きた。英語を外国語とする者には聞きなれない強い訛りのある英語に戸惑ったし、皆が意見を主張するあまり、まとまらないグループもあったようだ。しかしたった1分間にまとめられた映像作品は、どれもとてもユニークで、様々な国から集まった人たちならではのものだった。色々あったが、サミットは成功したとこの時実感した。  普段あまり耳にすることのない国々を含め各国から問題意識を持って集まった同じ世代の若者と意見を交わし、過ごした10日間は、私の人生における宝物となった。ユニークなアイデアに富み、英語に不自由している人には排除せずに助ける彼らの姿勢にとても刺激を受けたし、その中でどう自分の居場所や役割を見つけうまくやっていくかを学んだ。このことは将来国際的な仕事をしたい私にとってかけがいのないことであるし、今回学んだことを生かしてこれからも大学生活を送っていこうと思う。

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教育

あなたは英語でなにをしたい?

あなたは英語でなにをしたい?
2006/04/27                 寺尾 佳恵(17)

 日本人は英語ができない、とよくと言われる。これは、日本の英語教育に問題があるのだろうか。第一線で英語を使って仕事をしている2人の方に話を聞き、日本の英語教育について考えてみた。

文法中心は悪くない!

 中学校に入ってまず始めるのは文法の勉強である。「 S (主語)の次に V (動詞)が来て……」という具合だ。日本の英語の授業は文法が中心、と言われることから「文法ばかりやっているから英語ができないのだ」と考える人も多い。本当のところはどうなのか。

 『朝2時起きで、なんでもできる!』( サンマーク出版) など多くの本を出し、同時通訳者でもある枝廣淳子さんも、 『中年英語組?プリンストン大学のにわか教授』(集英社新書)などの著者であり、官民両方の世界でご活躍の岸本周平さんも、口をそろえて強調したことは 、「英文法をしっかり教えることは決して悪くない」だった。

 「英文法をしっかり学んでいるからこそ、イントネーションやスピード、雰囲気に慣れれば、英語の力がぐっと伸びる」と枝廣さんは言う。どうやら「英文法中心だから英語ができない」わけではないようだ。

英語は目的ではなく手段である

 では、なぜ英語がなかなかできるようにならないのだろうか。枝廣さんは「多くの人は英語でどう伝えるか、何を伝えるか、という目標を立てるのではなく、ただ英語ができるようになる、という目標を立てる、それが問題だ」と言う。岸本さんも「何のために英語を勉強するのか、という目標を明確にし、どの程度のことを英語を使ってやりたいのか、を決めることが大切」と語った。

 英語を目的化している代表例の一つに受験があるのではないだろうか。確かに基本は詰め込まないと覚える機会がないので、そういう意味では受験は良いものだと思う。しかし、だんだんとテストで良い点をとるため、受験に合格するため、という考え方で英語を勉強するようになる。これがまさに英語の目的化なのだろう。岸本さんは「文法も丸暗記ではなく、興味を持たせるように教えた方がいい」と言った。

小学生の時から始めなくてもいい

 今、小学校から英語を教え始めよう、という話が出ている。 小学生に英語を学ばせるかどうかについて検討してきた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の外国語専門部会は 2006 年 3 月 27 日、5年生から週1時間程度を必修化する必要がある、との提言をまとめた。しかし、小学生の時から英語を教え始めてはその他の教科に当てられる時間が少なくなり「国語力」が低下するのではないかなどの意見も出されている。

 これに関して枝 廣 さんは「現在、語学教育の方法として2つの考え方がある。ひとつは赤ちゃんが日本語を覚えるくらいの段階に日本語と一緒に覚えさせる母国語方式で、もうひとつは母国語が完成したあとにそれと対照する形で勉強する方法である」と教えてくれたうえで、「乳幼児期にやるか、日本語がしっかりした中学生になってからやるか、そのどちらかがいいのではないか」と語った。同様に岸本さんも「音は幼稚園からでいいが小学生のうちは日本語に力を入れた方がいい」という意見であった。

英語を使って何をしたい?

 実際に苦手だった英語を「通訳者になる」という目標を持って勉強し、夢を実現した枝廣さんの「英語というのは手段のひとつであり、英語を使って何をするか、が大切」という言葉は印象的であった。英語ができるようになるために英語 

を勉強するのではなく、何か自分のしたいことがあるから、そのために英語を勉強する、というふうに英語に対するスタンスを変えていくことが、英語力をのばすカギだと実感した。

英語の先生には「英語って楽しい」と思わせる授業を行い、文法をしっかり教えつつ、生徒が「興味」を、そして「夢」を持てるような英語の授業を行ってほしい。

 今、私たちに必要なのは「英語ができるようになりたい」と思うことではなく「英語を使って○○をしたい」という「夢」や「目標」を持つことなのだ。

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CE記者がNHK BSディベートに出演 ~私の感想

CE記者がNHK BSディベートに出演 ~私の感想

● NHK衛星第一TV番組「BSディベート」出演の感想

島田大河(15歳)
 4人の専門家の間に口を挟むのはとても難しそうだとは前々から感じていました。当日、番組の進行表を見たときは、5回しか発言のチャンスがなかったので、1度も発言できないかもしれないと覚悟していました。そんな中、2度も発言出来たことは良かったです。
 ディベートを見ていると、専門家の方々の発言に対して、疑問を感じることも多々ありました。実際に新学習指導要領で教育を受け、高校生になった自分から見ると、それぞれが、自分の理想を追い求めているように見受けられました。子どものことを考えていて欲しいと思い、途中で「自分をテーブルの中に座らせてくれ」と思うことも多々ありました。

川口洋平(16歳)
 今回、テレビ番組に出て自分の意見を言うということが、とても難しいことだと痛感しました。普段思っていることや議論していることと全く同じ事を言うのに、カメラの前だとそれがとても難しい。
 大人でも、考えを述べようとしても、簡潔にまとまらずに苦労したりしている所を見ると、カメラの前で堂々と意見を述べることができる、今回のディベーターの方々や、ニュースに出てくる評論家の方々はすごいのだと改めて思いました。
 このような貴重な経験を今後に活かし、人前やカメラの前など、どんな場所で、どんなタイミングでも自分の考えや想いを簡潔に、堂々と話せるようになりたいと思います。  

三崎友衣奈(14歳)
 やはりもうちょっと意見を言いたかったということがありました。それも、前の円の中で話している人たちの意見をきいてから自分の考えをまとめるのが遅かったからで、発言できる状態になると、もうその課題やオーディエンスの意見を聞くことが終わっていたことが多かったです。とてもむなしい思いをしたので、もっと速く人と自分の考えを整理できるようになりたいです。  

藤原沙来(16歳)
 私にとっては、今回の経験は非常に貴重な体験でとてもうれしく、大変感謝しています。ただ、しょうがないことなのかもしれませんが実際に今現在も教師をやっている先生方もいらっしゃったということもあり、批判をするような個人的な考えを言いにくい状況だったような気がしました。 それから、なかなか指名されずに発言することの出来る機会が少なかったのは残念でした。
 どんなときもあまり緊張することのない私にとっては落ち着いていられたと思うのですが、話が早くてついていけなかったり言いたいことが短い時間でまとめることが出来なかったりと反省点は沢山見つかりました。また、事前に色々と調べてみたとはいえオーディエンスの前にいらっしゃった4人の方の話を理解するのにとまどってしまい最初の方は手を挙げることすら出来なかったので、またこのような機会があったら今回のような事がないように満足のいくような形にしたいなと思いました。
 テレビの裏側、仕組みなど普段見ることの出来ないものを見ることが出来て楽しむことが出来ました。テレビ制作の過程も知ることが出来て勉強になりました。

 島田菫(14歳)
 この番組を通して感じたことはもっと何かを言いたかったということです。ディベーターさんが何か意見を言って「あれっ?」と思っても何もいえないし、オーディエンスの番もめったに指名されないので、「これは子どもの問題です」と言っているのに子どもに意見を言わせていただけないのはちょっとした矛盾を感じます。
 でも、このようなディベート番組出演、といったチャンスはほとんどないので貴重な経験をさせていただき感謝しています。本当にありがとうございました。  

三崎令雄(14歳)
 個人的な感想としては、もちろん不完全燃焼でしたし、いきなりふられて答えがまとまらずに悔しい思いをしましたが、初めての収録はとても新鮮であの独特の緊張感がたまらなく最高でした。とてもいい経験させてもらい感謝しています。

 寺尾佳恵(17歳)
 今回初めて「あるテーマに関するディベートのオーディエンスとしてテレビに出る」という経験をしました。同じような作り方の「日本のこれから」という番組を見ていたので、大体こんな感じだろう、とイメージしてはいたのですが「こんなふうに意見を言おう」と思っていた通りには全くいきませんでした。
 テレビの収録自体は初めてではなかったものの、長時間緊張を保ちつつ、頭の中はフル回転という状態を続けるのはかなりの努力を要しました。とはいえ、終わりに近づくにつれて「あれ、あの人今なんて言ってたっけ?」と意識がとぶことがあり、集中が途切れてるんだなあ、と思うこともありました。
 どんどん話が進んでいく中で「人の意見を聞き、瞬時にそれを頭の中で整理する」「自分の意見を簡潔にまとめて述べる」という作業をすることはとても勉強になりました。ボーッとしていると話はどんどん進んでしまい「もう一度言って下さい!」と言うわけにもいかないので、自然と話を集中して聞くことになります。また、だらだら言っても何が言いたいのか伝わらなくなってしまうと思い、頭の中で言いたいことをまとめてから言うようにしたので、短時間で意見をまとめて発言する練習になりました。
 テレビ制作の裏の部分、私たちが普段見ているテレビ番組がどのように収録されているのか、ということも知ることができ、とても勉強になりました。

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報告会、レクチャー

米国留学と日米学生会議

唐澤 由佳(慶応義塾大学経済学部3年)
2005/12/27

唐澤由佳さんは、慶応義塾大学 1 年生のときから 1 年間、 CE のユースワーカーとして記者たちの活動を支えてくれました。

 記者たちにはとても人気がありましたが、慶応義塾大学の留学制度を利用して、 2 年生の夏からアメリカへ渡り、ウィスコンシン州立大学で 1 年間経済を学んで帰国しました。さらに米国での経験をもとに、「 日米学生会議 」に応募し、 2005 年の夏休みにアメリカ人学生 40 名と一緒に貴重な経験をつみました。

 その経験を若い CE 記者たちにも伝えて欲しいとの CE の希望で、レクチャーの講師を務めてくれました。

米国留学

私は慶応義塾大学経済学部に学んでいて金融に興味があり、 NHK の番組が本になった「マネー革命」を読んで、ジョージ・ソロスのような有名な人を初めて知り、留学したいと思った。慶応義塾大学には留学制度があるので、1年生で応募したら運よく合格した。

シカゴでホームスティ

米国についてから、はじめの 2 週間をシカゴでホームスティをした。シカゴの街は東西南北に分かれていて、それぞれ住んでいる人種が違っていた。北は高級住宅地で、白人や日本人が住む地域、南は黒人が住む地域、西はヒスパニック(メキシコ、ラテン系など)に分かれていた。

 私のホストファミリーは私が持参した「地球の歩きかた」に書いてある日本人が行ってはいけない地域の中にあった。黒人のホストファザーと白人のホストマザーの家。お母さんは大学院を出ているソーシャルワーカーで、病院で働いており、お父さんはトラックの運転手だった。お母さんはきれいな英語を話すのに、お父さんには独特の訛りがあった。私は米国へ行く前に教科書に「アメリカは人種のサラダボールのような国」と書いてあったので、人種が混ざって住んでいると思っていたのが、どうやらくっきり違うらしい。友達とショッピングに行くときに電車に乗っていたら、あるところを境に乗客の人種の構成比率ががらりと変わった。それには驚いた。

 お父さんは体が大きいし声も大きいし、言っている英語がわからなかったので、とにかくこわかった。学校と家をバスで往復していた。ホストファミリーのある所で降りなければ、学校から乗ったバスはどんどん南下して、益々危険な地域に入っていくので、すごく怖かった。初めて乗ったとき、降り方がわからなかった。とにかく紐を引いて、降りた。それができたので、息せき切って家に帰り、バスに一人で乗れたことを報告したら、お父さんが大爆笑して、それ以来打ち解けて話せるようになった。

 そのお父さんが、最後の日に「異人種間結婚についてどう思うか」と聞いてきた。私には「異人種間結婚」の意味がよくわからなかったが、お母さんの両親がお父さんと結婚することに反対だったそうだ。私は「日本ではアメリカは人種のサラダボールだときいていたから、気持ちさえあれば人種なんて関係ないと思う」と答えた。その時は本当そう思った。

ウィスコンシン州立大学

 右も左もわからないまま米国の大学へ行き、米国の大学生とまったく同じように扱われた。だから履修科目も自分で調べて、とりたい授業を決めた。途中から金融をやったのだが、とにかく数学を使ってやるので、勉強量がとても多く、ひたすら勉強をした。

 シカゴから大学のあるウィスコンシン州に移ったら、人種の 80 %が白人だった。クラスでは私一人がアジア人ということが多かった。シカゴは大都市なので色々な人種がいたが、ウィスコンシンは白人ばかりなので、本当に驚いた。なんでこういうことが起こるのかと思って、社会学の「階級、人種、ジェンダーによる不平等」という授業をとった。先生は黒人と日本人のハーフだけど日本語をしゃべれなかった。留学生なので、この授業をとってよいのか許可をとりにいった。

 先生は授業で習ったことより、自分で感じたことを大事にしなさいといった。「サービスラーニング」といって、自分が奉仕しながら何かを学ぶことを週一回しなければならず、私は、ホームレスの子どもたちの放課後の世話をボランティアとして半年間やった。子どもたちは福祉施設に帰っても両親が働きに出ている子供たちのために放課後プログラムを提供した。

 月曜日から木曜日までは金融の勉強をやり、金曜日は午前中で授業を終えて、 12 時から 6 時まではボランティアで子どもたちのところに行った。

 ホームレスの子どもたちというので、みんな黒人かと思っていたが、白人もいればヒスパニックもいた。その時自分の偏見に気づいた。社会学では「自分の中の偏見に気づくことを忘れないで、気づいたらそれを取り除くよう努力をしよう」ということを習った。

 子どもたちは素直だったが、私のことをまったく気にしていなかった。この「サービスラーニング」は授業の一環なので、毎回行った後に授業で習った理論と、実際に経験したことを組み合わせてレポートを書かなければならなかった。

 ボランティアは何か一つプロジェクトをしなければならないので、ある日、私も折り紙を教えた。子どもたちが非常に興味を持ってくれた。子どもたちは小さい頃から不安な環境にいたので、集中力はなく、じっとしていないし、たまに情緒不安定になったりすることがある。先生方がプロなので、対処がしっかりしていた。折り紙のときはとても辛抱して一生懸命やっていた。日本語も読めないのに、折り紙の本を読もうとしていた。すごく喜んでくれた。あんまり嬉しかったので、レポートに書いた。外国にもいかれない子どもたちにとっては、私のような外国人がいてくれることでよい影響になると社会学の先生に言われた。

 社会学の授業のときに、その団体が立ち上がり、どのような目的で、どういう問題に直面しているのかをインタビューしてレポートを書く宿題があった。子どもたちと自分の組織を守るために、書類をしっかり作成し、すごくシステム化されていた。責任がどこにあるのかも明確だった。偏見などに戦わなければならないので、これが防御の方法だということを説明され、なるほどと思った。ボランティアに対しても、子どもにむやみに触らないとか。「また来週会おうね」というと、次にこられなくなったときに子どもたちは傷つくので、「また会おうね」だけを行って帰る。そういう細かいことまでレクチャーを受けた。

 日本を出なければそういう問題にもふれなかったし、その授業をとって初めて自分がマイノリティーであることを知った。「貴女はどこから来たの」と聞かれ、「日本から」というと日本のことを色々聞かれた。日本にいたらそんなことはなかったが、そういうことが毎日続き、 1 年間もあるとうんざりした。そういう立場にあって、初めて見えるものがあった。市民権が無い不安さもあった。アメリカの日系アメリカ人や二世に興味がわいた。この経験が日米学生会議に役立った。

 その後ニューヨークで 3 ヶ月間インターンシップをやって帰国した。

日米学生会議

 70 年以上の歴史をもつ。 1934 年の満州事変の時に日米関係のことを不安に思った日本の学生が、「世界の平和は太平洋にあり、太平洋の平和は日米間の平和にある。」というスローガンを掲げ、自分たち学生の手で平和を作り出そうと船でアメリカにわたった。アメリカ人の学生と討論をはじめたのが始まり。以来第二次世界大戦中で中断されたのだが、ぎりぎりまで頑張って、戦後はすぐ日米の架け橋になろうということで再開した。宮澤元首相も参加した。この会議参加を機にその後活躍されている方が多い。

 毎年開催地は日本、アメリカと交互になる。 2005 年は戦後 60 年ということで「共に作る明日。戦後 60 年を振り返る」というテーマで京都、滋賀、大阪、神戸、広島、沖縄と、各地をアメリカ人学生と一緒に回りながら、色々なトピックについて話あった。夏の一ヶ月の間、アメリカ人学生 40 名を日本に招いて、日本人学生 40 名、合計 80 名が各地を回って討論をする。 30 日間一緒にいるので、すごく仲良くなり、会議が終わっても交流が続いている。「ニュース 23 」の TV 番組でも公開された。

 今回のようにアメリカ人学生が日本人学生と一緒に原爆ドームを見るという機会はなかなか無いと思う。みんなで回っていると、突然平和記念館で泣き出すアメリカ人学生がいたりする。終わったあとすぐ、どう思ったかと話し合い、気持ちを共有できた。日米両サイドから物事を見られたし、アメリカ人学生の意見も貴重だった。

 例えば、私のパートナーの学生は、「アメリカは長崎に原爆を落とした後の影響をはかるために、空襲をしばらくの間しなかった」と説明してあるパネルを見て、「日本ではこういう教え方をされているの」「科学実験のためにアメリカは空襲をしなかったという教え方をされているの」「でも僕の考え方は、どうせ大きな爆弾を落とすのだったら、ここに 30 発の爆弾ミサイルを無駄使いする必要がないと思って、僕らが空襲をやめんだ」といった。科学実験という残虐な視点からでなくて、あくまでも効率ということからで、そういう意図からやっていないのではないか、といわれた。たしかにそういう考え方もあるなと思った。

 すごく勉強になった。アメリカ人学生もだんだん意見が変わっていった人もあった。最初は「原爆が戦争を終わらせたんだ」と正当化する人もいたが、どう捉えてよいかわからなくなった人もいた。沖縄に行った際も、一番被害の大きかった 糸満市 というひめゆりの塔で有名なところでホームステイした。ホストの家族には戦争で亡くなった方がたくさんいたのに、今はアメリカ人をホームスティで受け入れてくれて、沖縄の伝統芸能を見せてくれた。アメリカ人の友達は、「あの人たちは、あんなにひどいことをした私たちに、なんでこんなに良くしてくれるの」と聞いてきたので、私は「わからないけれど、平和はたぶん私たちが作っていけるものじゃない」と答えた。なんらかのきっかけを日米 80 名の学生に与えられたということはすごいことだと思う。なかなかそういう機会はない。

 最後の感想のときに、「なんだかわからないけれど、この夏すごい経験をした。帰国したらまず家族にこのことを話して、共有したいと思う。そうすれば、本当に私たちは日米の架け橋になれるかもしれない」とアメリカ人学生がいった。「希望の炎を日米に照らそうというけれど、私たちは有事のときは希望の光となろう」といって会議を締めくくった。

  来年はアメリカで開催され、私も実行委員として参加する。今の日米関係は世界情勢を見ないと語れない。日米だけを見ていたのではだめなので、 中国人学生を招いて日中米について話し合ってもらろうというプログラムを企画している。

関連資料

日米学生会議

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まんがを読むと頭が悪くなる?


2005/10/11                 近藤 侑希(11歳

 「まんがを読んでいると頭が悪くなるから、やめなさい」。そんな小言を言われた経験は誰にでも一度はあるのではないか。日常でよく耳にする言葉だが、本当にまんがを読むと頭が悪くなるのか、私たちは疑問に思い、調査してみた。
 まず、私たちは、東北大学の川島隆太教授に電話でインタビューをした。川島氏は、「ブレインイメージング研究」と呼ばれる脳のどの部分にどんな機能があるのかを研究していて、脳についての本をいろいろと出すなど活躍されている方だ。
 川島氏の話によると、まんがを読んでいるときは前頭前野はリラックスしていて、ほとんど働いていないそうだ。しかし、文字を読むと前頭前野は活発に働くと、ほとんどの研究者が言っている。まんがにも文字はあるのになぜほとんど脳は働かないのか。「文字の隣に絵があると脳は働かなくなるらしい」と語った。
 では、まんがを読むと頭が悪くなるのか、と聞いてみたところ、「まんがを読むと頭が悪くなるというのはありえない」という答えが返ってきた。「ずっと脳を休ませていると脳は動かなくなってしまうが、休ませる事は必要。休ませるのと働かせるバランスが大事」つまり、まんがを読むと頭が悪くなるという事はない。だからといって読みすぎはよくないので、適度に脳を休める程度に読むのが良いそうだ。
まんがを読むと頭が悪くなると誤解している親が多いと思うが、それは間違っている。親も脳を休ませる時にはまんがをすすめたりすることによって子供もよりよい学習ができるのではないか。そう感じた。
                                  


試験中こそマンガを読め!

2005/10/11                 三崎 友衣奈(13歳)

小学生~高校生の学生は、親に「そんなにマンガばかり読んでいるとバカになるわよ」と言われる人が多いようだ。私たちCE記者はマンガを読んでいると本当にバカになるのか疑問をもった。
 脳の専門家である東北大学未来科学研究センター教授の川島隆太氏に9月14日に電話でインタビューをした。川島教授は、「ブレインイメージング研究」の日本における第一人者で、「マンガを読むと脳がリラックスする」という説を発表している。
 まず、教授は人は勉強したり、本を読んだりすると前頭前野という額の後ろの部分が活発になると説明した。前頭前野は脳の中でもたくさんの役割を果たし、とても大切な部分だそうだ。では、マンガを読んでいるときには脳のどの部分が働いているのだろうか。それが後頭葉といわれる頭の後ろの部分で、映像や画像を見ているときに働くそうだ。
 また、マンガは絵と文字が同時に出でくるので速読できるから脳は活発に働くのかという記者の質問に対して川島教授はこう答えた。「初めは私もそう思っていたけれど、文字の横に絵があることによってリラックスする習性を私たちの脳が持っていることが実験で証明された。」
 「マンガを読むとばかになる」という親に対して川島教授は「私はマンガを読むとばかになるということはありえないと思っている。マンガは脳に対してはリラックスさせる役割があるし、私たちの体や脳は使ったら休ませる必要がある」と述べた。
 勉強で疲れたときにマンガを読んだ方がいいのかという質問に対して、「脳にももちろん休養は必要であるので、頭を働かせた後は脳を休めるためにマンガを読むことは悪いとは思わない」と答えた。つまり、脳を働かせることと休ませることのバランスが大切なのだそうだ。川島教授はそのことを人の体に置き換えて説明している。「脳が体だとするとマンガを読む事はベッドの上で横になることを意味しています。もし人が一年中ベッドの上で寝ていたら、その人の体は動かなくなってしまう。脳も同じで、もし365日ずっとマンガを読んで暮らしていたら、脳は元気がなくなってしまうのではないだろうか」。
 私たちは「マンガは勉強の合間の休養によい」という考え方ができるようになった。つまり、試験勉強で脳が疲れた時にはマンガを読んだほうが効果的なのである。

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教育

真価発揮されなかった「ゆとり教育」

2005/5/19                 川口 洋平(15

 昭和52年から約20年間、新学習指導要領、週休2日制、総合学習の導入など試行錯誤を重ねられてきた「ゆとり教育」。今、この「ゆとり教育」が大きく見直されようとしている。
 「ゆとり教育」は、従来の知識を単に覚えこませる「詰め込み教育」に代わる教育として、自分で考え、生きていく力を教育する目的で始められた。
 しかし、この「ゆとり教育」という言葉が、この教育を受けている小中学生に、「なんとなく勉強しなくてもいい」というイメージを与えている。実際にチルドレンズ・エクスプレス記者が渋谷で、小中学生を対象に街頭インタビューをしたところ、「ゆとり教育の方が楽だからいい」「勉強をがんばらなくてもいいのではないか」などという意見が多数あった。
 そもそもなぜ「ゆとり教育」という誤解を与えやすい表現が用いられたのだろうか。「ゆとり」という言葉は、文部科学省の諮問機関であった教育課程審議会(現在の中央教育審議会教育課程部会の前身)というところで、「ゆとりある充実した学校生活」として使われたのが最初。ゆとりを持って、しっかり覚え、自分で考える。当初は、そういう意味での「ゆとり」だった。しかし現場に方針が伝わらず、 先生にも「一生懸命教えなくてもいいのではないか」という誤解が生まれ、生徒にも「勉強しなくていい」という誤解が生まれてしまった。また、「ゆとり教育」の一環である、新学習指導要領にも問題があった。内容が大幅に削減され、余計に「ゆとり」の意味が履き違えられる結果となってしまった。その結果、昨年の国際学力調査の結果で、日本の子どもの学力が前回に比べて低下してしまった。
 では「ゆとり教育」は失敗に終わってしまったのだろうか。塩谷文部科学副大臣に聞いてみた。「教育現場にゆとり教育の趣旨が正しく伝わらなかったのは、文科省にも責任がある。本来目指していたものが勘違いされ、間違っていたところがあれば、もう一度やり方を考えなおす必要があると思う」と述べた。
 しかし、これは間違えたですむ問題なのだろうか。街頭でインタビューした中学生は「ゆとり教育の一環である、新学習指導要領によって学校での学習内容が減ってしまったので、将来が不安だ」と言う。そこで先日、中山文部科学大臣がゆとり教育の影響で、学校での学習量が減った中学生に対し「学校だけで学んでいる人には申し訳なかった。学校だけで基礎学力が身につくようにしなければならなかった」と謝罪をした。 文科省では、ゆとり教育の方針が伝わらなかったため、方針を見直すようだが、ゆとり教育から脱する訳ではないという。
 新学習指導要領、教科書内容の増減など、年々教育内容が変化しているため、街頭インタビューを受けた中学生は「コロコロ方針を変えないでほしいと」言う。しかし塩谷副大臣は、コロコロ変えると言われるとそうではないと言いたいが、これが正しいというやり方がないため、試行錯誤をしていくしかないと言う。中央教育審議会で今秋にも、今後の教育方針が打ち出されるようだ。
 試行錯誤をして、よりよい教育方法を見出すことは重要だが、方法を模索している中で教育を受けている生徒のことをもっと考えるべきではないだろうか。
                                                         


子どもの勉強どうなるの?

2005/5/19                 島田 菫(12歳)

 「脱ゆとり」こんな言葉が聞こえ始めたのは、ごく最近だ。
 昭和52年から始めたゆとり教育の見直しが始まっている。理由は「学力が落ちた」。 国際学力調査で日本は読解力が8位から14位に、数学が1位から6位に。そこで文部科学省は以前から動きのあったゆとり教育の見直しに拍車をかけた。
 しかし、本当に見直しの必要があるのだろうか。たった2回のテストで勉強法を急に変えてしまってもいいのだろうか。順位は落ちたが他の国々と比べたらまだまだ日本は優等生ではないのか。
 私たちチルドレンズ・エクスプレス記者は、4月27日に文部科学省の塩谷立副大臣を取材した。「読解力や学習意欲が低下していることから、もっと学力が低下してしまうのではないかと心配する人が多い。それを踏まえて学習指導要領の見直しをしている」と塩谷副大臣は説明した。
 他にも学力を上げるために総合的な学習の時間を減らせという意見も出ている。それについて塩谷氏は、「総合的な学習の時間を評価しているところはたくさんある。特に小学校では評価が高い。中学校になると学力への心配があるから、評価が多少下がるが、ある程度の評価はある。学力が下がったから総合的な学習の時間をやめるという極端な方向にはいかないが、時数見直しの意見は多少あるかもしれない」と答えた。
  しかし、総合的な学習の時間はゆとり教育の象徴でもある。総合的な学習の時間を減らすことをきっかけにして、ゆとり教育は壊れていってしまうのではないか。そのようにコロコロと変わっていく教育に子どもたちはついていけるだろうか。塩谷氏は「コロコロ変えるという印象を与えているということは反省しなければならない。本当の意味のゆとり教育は自分で考え自分で努力できる力をつけることだ。それが間違って伝わったようなところがある。ゆとり教育は本当はこうですよと正しいやり方を話し合って答えを秋ぐらいには出すつもりでいる」と語った。 文科省では、ゆとり教育の方針が伝わらなかったため、方針を見直すようだが、ゆとり教育から脱する訳ではないという。
 秋の答えが、子どもたちのことを第1に考えた答えであって欲しい。

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日本国の子どもたちができること

日本国の子どもたちができること   2005/5/19  三崎 令雄(13歳)

5月1日、東京・両国の国技館で日本ユニセフ協会創立50周年記念イベント「子どもの祭典」が開催され、皇太子殿下をはじめとする各界の著名人も参加し、メインのシンポジウムでは内容の深い討論が行われた。

  世界の子ども人口22億人のうち10億人の子どもたちが今も戦争、貧困で苦しんでいる。毎年1100万人の子どもが死んでいる。1500万人がHIVに感染している。4億人は安全な水にアクセスできない。こんなにたくさんの子どもが苦しみ、悲しみ、死んでいってることを知って、とても驚いた。世界全体で見ると、日本は数少ない裕福な国の一つであることがわかる。

  日常の会話でよくこんな言葉を聞く。「うちは貧乏なんだ」。そんなことをいってもどんな日だってご飯は食べられる。水には困らない。電気にも困らない。子どもは仕事をせずに学校に通っている。そんな生活を送っている僕たち日本人に本当に貧乏な人たちの気持ちがわかるだろうか。その日病気で生きのびられるかわからない不安や苦しみ、その日食べられるかどうかもわからないひもじさ。それがわからない僕たちに何ができるのだろうか。

  前ユニセフ事務局長のキャロル・ベラミー氏にインタビューをした。「日本の子どもたちが募金以外に何ができますか」という質問に、ベラミー氏はただちに「日本の子どもたちだけでなく、世界の子どもたちにも情報を得てほしいと」答えた。その理由は、それによってその国の政治家たちに働きかけることができるというものだった。確かに一人一人の子どもの力は小さいけれど、たくさん集まれば国をも動かせることができるのだ。

  「人」という漢字は支えあっている様子を表しているのだから、人と人が殺しあう戦争なんてあってはならないものであり、国や民族に関係なくお互いに支えあっていける世の中を目指すべきではないだろうか。

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社会 教育 その他

子どもにだって出来るんだ!

2005/5/19 島田 菫(12歳)

 スマトラ沖地震を覚えていますか? 一度に大勢の人が亡くなってしまったあの地震を…。その時にたくさんの子供たちが親を無くしてしまいました。その時に救いの手を差し伸べたのがユニセフです。
 
  日本とユニセフがかかわり始めたのはは約50年前のことです。戦後食糧がなかった時、ユニセフが支給してくれた脱脂粉乳の味を覚えている人も少なくないでしょう。
 
  5月1日、東京の国技館で日本ユニセフ創立50周年行事の「ユニセフ子どもの祭典」がありました。この祭典では、ユニセフの歴史を振り返る映像の展示、日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンさんらのパネルディスカッション、子どもたちによる歌や踊りなどがありました。
 
  1955年、ユニセフ日本支部ができた頃、まだ日本は援助をされていた立場でした。援助するようになったのは1980年ごろからです。最初は学校募金といって学校で募金をしていましたが、その後、どんな人でもできる一般募金が始まりました。
 
  でも募金するのは大人だけと思っていませんか? 子供には何も出来ないと思っていませんか? ユニセフに協力するには募金をするしかないと思っていませんか?

  そんなことはありません。日本ユニセフ協会の東郷良尚専務理事はこう語りました。「ユニセフへの協力は募金だけではありません。ユニセフのホームページをのぞくのも良し。シンポジウムに参加するも良しです。1番大切なのは知ったことを皆に伝えることです」と。
それは大人でなくても出来るのです。子どもでも出来ることなのです。たくさんの人にこのことを伝えて世界中の子どもを救ってください。

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CE記者が「グローバル・ユース・フォーラム」を取材

CE記者が「グローバル・ユース・フォーラム」を取材  2005/02/27

2月27日、CE記者5人が、知的障害者のスポーツの祭典「2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野」の関連行事の一つである、「グローバル・ユース・フォーラム」を取材した。
フォーラムでは、長野県内小中高校14校の児童生徒と、アメリカ、オーストリア、中国など14の国と地域のSO活動に参加する知的発達障害者ら計84人が参加。知的発達障害者とサポーターが3人1組のチームとなり、「Changing Attitudes – Changing The World」というテーマで、知的発達障害者への理解をどう深めるかなど活発に意見交換が行われた。
当日会場には、スペシャルオリンピックスの創始者のユーニス・ケネディ・シュライバー国際本部(SOI)名誉会長、ティモシー・ケネディ・シュライバーSOI会長、SOを支援してきたビル・クリントン前アメリカ大統領、細川佳代子SO日本理事長(細川元総理夫人)、田中康夫長野県知事なども参加し、各国のアスリートやサポーターたちにエールを送った。

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8-18メディア(旧CEミシガン支局)の記者が来日

8-18メディア(旧CEミシガン支局)の記者が来日 2005/02/15 

米国ミシガン州の半島上部(アッパーペニンスラ)にあるマーケット市は、 滋賀県東近江市と姉妹都市です。実は、東近江市に合併する前の八日市と マーケット市が25年前から姉妹都市として、隔年に友好親善使節団が訪問 しています。 2005年春、マーケット市からの友好親善使節団のメンバーとして、「 8-18メディア 」 (旧CEミシガン支局)の記者、プライス・ハドレイ(15歳)とジェラルド・ピーターソン(17歳) が東近江市を訪問しました。 プライス・ハドレイ記者は、2003年春に東京でCEが主催した日英米記者交流プログラムに 参加しており、初めて訪問した日本に強く惹かれたことから、今回強く希望して再び日本を 訪れました。大都会とは対照的な東近江市で経験したことを記事に書いています。 その記事を日本のCE記者、 三崎令日奈(18歳)と高橋里也子(18歳) が翻訳しました。

姉妹都市の芸術家が子どもたちのタイルプロジェクトを通して文化の架け橋を作る
Sister City artist bridges cultures through children’s tile project
ジェラルド・ピーターソン( 17 歳)  プライス・ハドレイ( 15 歳)

東近江市民は市町村合併による違いにほとんど気づいていない
Higashiomi citizens notice few differences with city merger
ジェラルド・ピーターソン( 17 歳)  プライス・ハドレイ( 15 歳)

敬意と責任をもつ日本の学生
Japanese schools embody respect, responsibility
ジェラルド・ピーターソン( 17 歳)  プライス・ハドレイ( 15 歳)

若者が昔からの伝統を守る
Young people keep ancient tradition aloft
プライス・ハドレイ( 15 歳)

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社会 その他

六本木ヒルズ「六本木アカデミーヒルズ」見学


曽木 颯太朗(12歳)

六本木アカデミーヒルズは、小説の『80日間世界一周』に出てくる紳士クラブにそっくりだった(もちろん40階からからのながめなどはかかれていないが。)。図書室や仮眠室などどれもこれもそっくりだった。僕はとても素敵だと思った。
 後で調べてみるとアカデミーヒルズの会員には年に安くて7万円,高くて70万円払えばなれるらしい。また,図書室には専門的な本は置いておらず,本は貸し出すのではなく売っているのだという。そうだとすると,僕は素敵だとは思うが,もし今会員になることが出来ても会員になろうとは思わない。なぜなら,年に70万円も払うなら,専門的な本も読め,貸し出しも出来る図書館の近くに家を建てた方がずっと良いと思うからである。それでもアカデミーヒルズの会員になりたいという人は,たぶんあのモダンな書斎みたいな感じが気に入ったのだろう。
大人の人,特に男の人は書斎を持つのにあこがれている人が多い。その中でただ書斎の雰囲気を味わいたいという人たちがアカデミーヒルズの会員になりたいのだろうか。それはもう価値観のちがいなのだろう。でも少し物足りない気もする。
 アカデミーヒルズにはあまり人と話すような空間がない。僕がもしあそこの設計を任されたとしたら,ヨーロッパのサロンのような,人と話せるような空間を広く作りたい。そしてここでいろいろな人と友達になりたい。でも,やはり大人には今のままがいいのだろうか。 

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北井宏昭神奈川県議会議員との意見交換

● 北井宏昭神奈川県議会議員との意見交換を終えて  

 島田大河(14歳)
 なかなか議論がかみ合わず大変だったけれどもいい経験になりました。 今回の意見交換を通して感じたことは、「世界にはいろいろな人がいる」ということでした。 僕は「条例がなくても自分で考えていける」と思っていましたが、世の中には取捨選択ができない人もいて、その人たちのことも考えなくてはならないと思いました。但し、条例で取捨選択ができない人を縛るのではなく、できない人をできるように教育していくことが大切だという考えは今も変わっていません。 

  川口洋平(15歳)
 実際に議員さんと話をしてみて、やはり私達の視点とは大きく違っていることが分かりました。『青少年保護育成条例』改正という私達にかかわりのとても深いものですが、実際に条例を改正する議員さん方と、それによって制限を受けることになる(北井議員は大人への制限だとおっしゃっていましたが)私達の考えとは大幅に違いがあったと思います。 この条例を改正するにあたって、青少年と議員さんが、話し合う機会を多く設け、両者の意見を尊重しあい、改正することが必要だと思います。  

   三崎友衣奈(13歳)
 私は、最初はいじめをする子や、取捨選択ができない子の教育を強化すればいいだけだと思っていました。しかし、世の中はそれほど単純なものでないことがよく分かりました。その子供たちの教育をするとともに、見本になっていない大人たちへの条例を作るというのはいい考えだと思います。 しかし、条例を少し見てみると、どれも普通に生きていればやらないような基本的なことばかりでした。そんな条例をいくつ作っても無意味だと思います。私は、その道からはずれてしまった人々を条例でなおすのでなく自分でどれほど危険なことを犯してしまったかを理解することが大切だと思います。「条例だからやめよう」でなく、「危険だからやめよう」という思考が必要だと思います。 最近は人々の自覚がなさすぎると思います。誰かに頼りすぎているところがあり、いざというときに自分の力では何もできなくなってしまいます。そんな大人を見ている子供たちが取捨選択できないのは当たり前だと思います。 

   藤原沙来(15歳)
 神奈川県に「青少年保護育成条例」というのがあったのも知らなかったので、今回の意見交換は非常に興味深く、勉強になりました。 大人のための条例とおっしゃっていましたが、条例を大人の観点から作って、判断するのでは子どもに何も変化をもたらさないと思います。「注意はしないがやめた方がいいなと思います」という北井議員の発言ですが、まず、条例よりも身近なところから注意して、だめだったら条例を考えるなど、もう少し子どもの視点からも考えて欲しいなと感じました。

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