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若者が昔からの伝統を守る
2005/02/15               プライス・ハドレイ(15歳)

一陣の風が河川敷を渡り、太鼓の音が鳴り、今こそ好機であると合図する。歓声が上がると同時に 100 人以上もの人が前方に向かって突進し、粗い綱を引っ張りピンと張らせる。人々が巨獣を制御すべく戦うにつれ、太鼓のテンポは上がっていく。

 いや、日本の人たちを苦しめているのはゴジラではない。その正体は巨大な凧だ。日本語では「大凧」と呼ばれるものだ。

 大凧揚げは、私と親善使節団の仲間たちがマーケットと東近江市の姉妹都市友好親善プログラムの一環で最近日本を訪問した際に経験した日本の文化の一つだ。凧揚げは姉妹都市の富かな遺産の象徴であるため、それを見ることができたのは、私たち親善使節団にとって大きな出来事だった。

 大凧揚げはこの町で 300 年以上も行われている。毎年、五月の第四日曜日に、町は「東近江大凧祭り」を開催する。会場は町の外の河川敷だ。地面が平らであることと、開催地近くの琵琶湖を渡って吹いてくる強い風と低く横たわる湖東平野により、凧を揚げるのにほぼ完璧な条件が作り出されるため、ここを選んでいる。 

 大凧ほどの大きさのものを飛揚させるためには、いろいろと計画しなければならない。祭の何ヶ月も前に、主催者たちはその年の重大な出来事を反映するテーマを選び、そのテーマは凧の前面に描かれる。今年のテーマは、八日市と周辺の町の合併で東近江の町ができたことだった。

 平均しておよそ 250 人の人が、一日6時間作業し、 30 日かけて凧を作る。昨年の凧は、竹 50 本、紙 360 枚( 35 × 25 インチ)、約 15 リットルの糊、たくさんの太い綱など、莫大な量の材料を要した。製作が終わると、凧の重量は 700 kgもあり、引っ張るのに 130 人以上の手がかかった。

 完成した凧は、 13 m× 12 mから 26 m× 21m ほどの大きさになる。今年の凧は畳 100 枚分に相当する大きさだった。大きさを表す単位として畳を用いるのは日本では一般的なことだ。畳あるいはその藁の敷物は、一枚あたり 182cm × 91cm である。だから畳 100 枚分の凧は 13 m× 12 mほどの大きさがあることになる。今年の凧は確かに大きかったが、 1882 年に揚げられた凧と比べたら小さくさえ見えてしまう。その年の凧は畳 240 枚に相当するほどで、史上最大の大凧であった。

 凧を作るのには一ヶ月以上もかかるのに、祭りはほんの数時間で終わってしまう。おしゃべりをしている小中学生から静かに祭りを楽しむ高齢者まで、すべての年齢層の人たちが参加する。

 焼けつく太陽から人々を保護するために、テントが設置される。中には、グループごとに揚げるための色とりどりの中型の凧がある。日よけテントの一つには、地元の中学3校から集まった若い凧揚げのグループがいた。タカツグガンセという少年とオカベスズカという少女も、そのグループにいた。

 ガンセとオカベは、学校として参加したのは初めてだったものの、自分たちが覚えているときよりもずっと前からこの祭りに来ている。今までは、ほとんど友達と来ていた。

 祭りでの役割を尋ねられるとオカベは「私は凧を持って、放します」と言った。さらに、去年までは走り手たちが綱を持っている間凧を持っていて、凧が飛揚するのに十分な風が吹いた時に手を放したということを、通訳を通して説明してくれた。

 今年の彼女の役割は、ガンセや他のメンバーと同様、走って凧を引っ張ることだった。 彼女とガンセはこの経験をとても楽しんだ。二人ともこの凧揚げの伝統を続けることに強い意思を持っている。

 「私達が伝統的なことを引き継ぎ、自分たちの子どもや孫にそれを引き継ぐよう伝えます」とガンセは言った。

 この祭りで、私と使節団のメンバーは 20 畳の大きさの凧を持って走らせてもらった。 しかし話で聞いているほど簡単ではないことがわかった。巨大な凧を揚げることは信じられないような経験だ。特に綱を長く持ちすぎると体が地面から浮いてしまうということを考えるとなおさらだ。

 凧を引っ張り、たくさんの人と協力し、そしてついに凧が空に揚がるのを みると、すべてのことにやっただけの価値、言葉では言い尽くせないやりがいを感じる。ほんの小さな役割でも、何かの一部として参加することができるのは、すごいことだ。私は生涯この経験を忘れることはないだろう。

(東近江在住の中村ひろみさんと、州立北ミシガン大学の学生が、この記事のためのインタビューの通訳を務めてくれた)