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報告会、レクチャー

2011年度記者トレーニングと 「カンボジア取材報告会」

 去る6月19日(日)13時から青山こどもの城研修室で2011年度の記者トレーニングを行った。今回は元アメリカ日本テレビ社長の林樹三郎氏を講師にお招きして、「ジャーナリズム」についての講話と、記者たちの「震災直後に記したメモ」の発表に対して講評をしていただいた。15時からは、記者、ユースワーカー、スタッフ、理事、保護者たちを招いて、3月末に実施した「カンボジア取材旅行」の報告会を行った。取材に参加した記者とユースワーカーが撮影・編集したビデオ作品を上映し、各自がパワーポイント・スライドを使って、「孤児」「ストリートチルドレン」「児童買春」「児童労働」の問題別にプレゼンテーションを行った。

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座談会

首都圏の若者が感じた震災後の生活の変化

出席者:青野ななみ(17)、堀友紀(17)、富沢咲天(15)、南雲満友(司会、16)
2011/06/19

東日本大震災という大ニュースに自ら接したCE記者4人が体験的ラウンドテーブル(RT)ディスカッションをしました。

司会:3月11日に起きた東日本大震災以降、私たちのまわりで 、計画停電やスーパーでの買い占め、また地震の直後には、帰宅困難者が駅や主要幹線道路にあふれかえりました。今でも(6月段階)電車は日中7~8割の運転になっている鉄道もあり 、夏には電力不足になる恐れがあると言われています。そこで首都圏の若者たちが身のまわりで起きた震災後の生活の変化について聞きたいと思います。
まず、3月11日、地震が起きたとき、どこで何をしていましたか?

咲天:私はその時、ちょうと学校が早く終わったので、家に母といました。

友紀:私はその日学校が休みで 、家で母と二人でいました。

ななみ:私はチルドレンズ・エクスプレスの事務所にいました。

満友:私は クラブ活動から帰ってきたところで、家で祖母と二人でいました。

咲天:私は母とずっと一緒にいたので大丈夫だったのですけど、父とは連絡が取れなくてすごく不安でした。

ななみ: 意外と携帯がずっと通じていました。メールも送れて母からも父からも連絡があったので、携帯が通じなくて 心配ということはありませんでした。

友紀: 震災のことで一番心配だったのは弟でした。部活から帰る時に一度連絡があった直後に地震が起きて 、 、その後どこで何をしているかがまったくわからなくて、とても心配でした。

満友:父や母は会社にいて、携帯電話をかけてもなかなか通じず、家の固定電話でかけるとすぐに通じました。携帯電話は今までどこでも通じて便利だなと思っていたので、 びっくりしました。

買い占めは悪い?

司会: 今回の震災では私たちの食卓にも影響が及びました。スーパーの買い占めです。実際買い占めを行いましたか?
ななみ:はい、し ました。もし家に閉じ込められてしまった時に困るので 二週間分の食料 が今は 用意されています。

咲天:私はとても不安で非常食 などを買おうって思ったんですけど、母はそれは買い占めだからよくないと言っていて、とりあえずお米だけを買いました。

司会:どうして買い占めが起きたと思いますか?

咲天:またいつ地震が来るかわからないし、放射能が怖くて家にずっといなくてはならないかもしれないので。

友紀: 母がその日に使う分だけの食材しか買ってこないので、私は心配になって、もっと何か買ってきた方がいいんじゃないかって言ったら、今みんながパニックになって、同じことを全員が してしまうと悪循環しか起こらないし、それで必要な人に物が渡らなくなってしまうのもよくないので、ということで買い占めは行いませんでした。

満友:私の家でも買い占めは行いませんでした。 どうして買い占めが起きたのか考えたところ 、一つはやはり人々が不安になったこと、そして放射能の影響。もう一つは無くなってしまうという人々の不安が増幅して、それが噂としてまわって、ほんとに無くなるんじゃないかという話になって拡がってしまったのかなと思います。


司会:その意見に対してどう思いますか?

ななみ:私が思ったのは、確かにスーパーですぐ買ってしまったら必要な人にまわらないかもしれませんが、私の家の場合はネットで、例えば京都の方から全部取り寄せたりしていたので、そういう方が経済も活発になるし、必要かなと思います。

咲天:私も被災者の人たちに食べ物 がまわらないっていうのは思ったのですけれど、自分の家族がもし食料が手に入らなかったらということを考えると、 食料を貯めておかないと危ないという考えの人が多いんではないかと思います。

友紀: わかっていても、やはり自分のことを優先してしまう人が多かったんじゃないかと思います。

自粛ムード

司会:そのことに関連して、消費の自粛ムードというのが話題になりましたが、みなさんは自粛していましたか、それとも経済を活発にするために物を買っていましたか?

ななみ:私は自粛ムードは反対です。 自粛、自粛っていうのは、ただ経済を活発にさせないだけの話になってしまうと思います。

友紀:私は 時と場合によって違うと思います。もし物資が足りていない中で、自分がここで買い占めたりしたら無くなってしまうと考えた場合は、必要最低限に抑えるべきだと思うのですが、例えば京都とか大阪から物資を買ったり、被災地で作っている物を買ったりするのは経済的にもいいことだと思います。

咲天:私は自粛に反対です。やはり経済のことを考えると悪影響を及ぼすだけだし、被災地の人たちのことを思っても、やはりそういう自粛はよくないと思いました。

満友: もし私たちが物を買わないと経済がまわらなくなって、それが被災地の復興にも関わってくることだと思うので反対します。

司会:自粛と買い占めのバランスについて、 どうしていくべきだと思いますか?

咲天:私が思う自粛と買いだめの違い は、やはり買い過ぎないこと。自分が必要な分だけ買うこと を意識することが大事なのだと思います。

友紀:私が震災後にスーパーなどに行って見た人たちの買っている量を見ると、そんなに買っても、もしほんとに震災が起きた時に、その食料を家に置いておいたからといって、全部使えないんじゃないかなというふうに思いました。


ななみ: 買いだめといってもそれが一ヶ月二ヶ月続くわけではなくて、一時的なものだったから、それは今回もう経験しているし、例えば東京で大きな震災があって、 スーパーとかには無くなったとしても、一時的だからしばらくたったら、けっこうすぐ戻るのではないかなと私は思います。

満友: 必要な分だけ買って普段通りの生活をしていくことが、一番バランスを取る方法なのではないかなと思います。

咲天:自粛は物を買う以外にも、例えば遊びに行くとか、そういうのをみんな自粛していて、それもやはり復興にはつながらないんだと思いました。

計画停電

司会:次に計画停電について聞きたいと思います。今まで当たり前と感じていた電気が、東京電力福島第一原子力発電所の事故を境に計画停電が実施され、今日本では節電が注目されています。計画停電が実施されると聞いた時、どのように感じましたか?
ななみ:私は、今まで停電というものは数えるほど しか経験したことがなかったので、街全体が一気に電力を落としちゃうなんて怖いなと思いました。

友紀:私は計画停電には賛成でした。 自分だけがいつも通りの 暮らしをす るのではなくて、 その計画停電をすることによって、電力不足がまかなえるのであれば、それはいいことだと 思いました。

咲天:私も計画停電に賛成で、特に悪いということは思わなかったんですけれど、やはりいつも生活で電気を当たり前のように使っていたのが、急にそれが無くなるっていうのはとても不安で、懐中電灯を用意したり、寒さ対策をしたりしなければいけないので大変だなとは思いました。

友紀:今回の計画停電で、私の家は比較的停電が多い地域だったので、この停電で今までなかった生活の知恵とか、どう したら電気の使用量を抑えられるか をすごく学んだ気がします。

ななみ: 、なぜ23区の電気を消さずに神奈川とか埼玉とか千葉とかの方を消していくのかというのは私には理解できませんでした。確かに千代田区などには 行政機関があるというのはもちろんあると思いますが。

咲天:私は計画停電で少し悪いところもあるなと思ったんです 。 お年寄りや 病人とか赤ちゃん連れの人たちが例えばエスカレーターやエレベーターが動かなくなったり、少しは眼が見えるけど暗いと見えないという人たちもいると思うので、照明がな いと困るという人たちもたくさんいたと思います。

司会:友紀ちゃんは 計画停電に備えて家庭で行ったことはありますか?

友紀:計画停電は、時間が最初から何時というふうに前日にはわかっていたので、その時間になると電気がすべて使えなくなるのはわかっているので、食料も腐ってしまうし 、なるべく使う分だけを買って、ご飯 もなるべく計画停電が始まる前に食べ終えて、お風呂も入ってしまってというふうに、時間帯を考えた生活のリズムを作っていました。

司会:咲天ちゃんとななみちゃんは家が計画停電に入らなかったと聞いたんですが、計画停電に入らないっていうのを聞いて、自分たちにできることは何かと考えて、何か行動をしたりしましたか?
ななみ:私の家では節電に協力しています。本当にできることは確かに小さくて、例えば電気をこまめに消すとか、冷蔵庫をすぐ閉めることしかできないんですけど、何か絶対役に立っていると思いながら地道に行動してます。

咲天: 普段は節電とかあまり意識していなかったので、やっぱり電気を消すことは節電につながるっていうのを実感しました。

友紀:実際、計画停電を私たちの地区でやってみると、こんなにもやりくりすれば生活ができるんだなって 思って、今までどれだけ電気を使っていたんだろうっていうふうにすごく実感しました。計画停電はあったんですけど、それ以外の時間でもなるべく電気は使わずに生活 するようにしました。

満友:私の家では、夜電気を消して、ろうそくの光とテレビの光で生活したり、後は暖房などを使わないようにしたり待機電源を切ったり と、自分たちが計画停電の範囲に入らなかったからといって電気を使うのではなく、逆にそれをありがたいと思いながら、何か自分たちで協力できることはないかと思いながら生活をしていました。

原発事故で意識が変わった?

司会: 原子力発電所の事故を境に、今まで当たり前だと思っていた電気について、 意識が変化したと感じますか? またそれはなぜですか?
友紀: みんなが電気をなるべく使わないようにしていたのはほんとに目に見えていて、それは学校でも 、各家庭とか会社でも行われていたと思うので、電力をなるべく使わないようにしようという意識はみんなの中にはあったと思います。

咲天:私も友だち同士で節電して、例えば教室移動の時は必ず電気消そうとか、普段忘れていたことも意識してやるようになったし、 ツイッターとかフェイスブックでもみんなが節電しようって呼びかけていたので、 そう思っていた人たちは多いと思います。
ななみ: みんなの意識は高まったと思います。学校では今までエレベーターが使えなかった時には みんな文句言っていたのに、今回 はみんな黙って階
段を使って 節電に協力しようという意識は高まったと思います。と同時に、私は東京電力に対する意識が高まりました。今回このようになったのは、東京電力が想定することがあまりにもできていなかった、津波に関してもあまりにもできていなかったということが大きいので、なぜそ うなってしまったのか、行政のあり方というものにすごく意識が高まって、新聞とか本を毎日欠かさず読むようにしています。

満友:私が一番感じたのは、駅とかヤフーやグーグルのトップページに、電気の消費量が何%って出ていて、事故が無かった時には電気の消費量なんて考えるということがなかったけど、私たちの意識が変化したと思います。


司会: テレビや新聞では政府機関や放送局、大きな企業がある23区を計画停電に入れるということは景気が後退して経済に打撃を及ぼすと書いてあったのですが、そのことに関してどう思いますか?

ななみ: 今回のこの教訓を生かして、政府が東京に集中しているからというのであれば、例えばちょっと分散させてみたりというのも一つの手かなとは思います。

ななみ: ただ、当日の天候や電気使用量によって左右されてしまうので、かなりむずかしいということがわかりました 。そこで、計画停電を東京23区でも実施する方法として、病院や消防署とか必要なところに電気を供給する送電線を一般家庭と分けるようになるべくシフトしてきているというのを新聞で読みました。それをもっと進めていけば、一般家庭では計画停電を行うけど、その間は病院は普通に動いてるという理想的な状況ができるのではないかなと思います。

友紀: 私の家は最初発表されたものには3つの地域にまたがっていて、どれを信じたらいいのかわからず、その計画のまま行くと、私の家では一日の半分以上がずっと停電状態ということだったので、もっと詳しく決まったものをきちんと出すべきだったのではないかと思いました。

咲天: 病院とか緊急の場合のことを考えると、やはり少しでも停電があるととても不便になってしまうし、できれば民間の住宅だけを停電にすればいいと思ったんです。それができないと東電が言っていたので、やはりみんな節電をがんばって、なるべく電気を使わないようにするという方法しかないのではないかと思います。

震災後の変化について

司会:最後にこの震災による身の回りの生活の変化について、感想を聞かせてください。
ななみ:今回のこの地震によって、まず若者たちが今まで当たり前だった電気が使えなくなったりして、すごく意識が高まったというのが一つあげられます。私もそれを実感しました。今このRTを通して感じたことは、長期的な目標を達成するために今やらなければいけないことというのが変わってくるのだなということでした。

友紀:今回メディアや新聞でもよく報道されていたのですけど、この震災を通して日本人の良さというものがすごく見えたではないかと思います。電気のこともそうですけど、自分が何かしなければと行動を起こそうとする人が増えたことで、他人のことを考えるということがすごく増えた気がして、よかったのではないか。今回の震災があったからこそわかったことがたくさんあったのではないかと思います。

咲天: 発電が原子力はよくないとか、送電線の問題がいろいろあって良くないとか、東京にすべての機能が集中し過ぎているから良くないとか、そういう問題点を見つけることができたので、これは将来のためになったと思います。このようなことがあったから、もし次に大きな震災が首都圏にきても日本は今ほど混乱しないのかなと思います。

ななみ:今回この地震によって世界に与えた日本の影響というのもすごく大きいなと感じました。例えば原子力発電所を止める、止めないという選挙を行ったり、ドイツは止めると宣言したり。今回の大震災では 多大な犠牲者が出て しまったし、いいことでは決してないのですが、もし東京であった場合、どこどこであった場合というふうに今後にそれを生かしていけたらと思います。そのために私も日々節電に協力します。

友紀: すごい被害をもたらしてしまったし、全然いいことではなかったんですけど、関東大震災や 阪神淡路大震災からも一歩ずつ、大震災が起きるごとに問題点がわかって、前回の問題点が今回の震災に生かされているし、今回わかった問題点もまた次の震災の時に生かされて、この自然災害も少しでも被害を防げるようになっていけるのではないかなと思いました。

満友:今回の東日本大震災で私たちの生活は一変して、今まで当たり前だと考えていた電気に対する人々の意識が変わったような気がします。今までは節電についてあまり意識はしなかったのですが、 人々が原子力という電気のエネルギーについても意識したし、計画停電が起きたことによって、病院などに対する送電線の問題も発見できたので、これを次に震災が起きた時に生かしてほしい と思います。そして私たちもできる限り被災者の方の現地のためになるように、節電などを協力していくこと、できることはひとつひとつ 協力していくべきだ と感じています。

以上

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カンボジア取材プログラム(5記事)

自立に挑戦する子どもたち
2011/06/01                飯沼 茉莉子(14)

 チルドレンズエクスプレスのカンボジア取材プログラムとして訪れたプノンペンは、 首都であることから、 高級ホテルがいくつも建ち並んでいた 。しかし、カンボジアは、長く内戦が続いた途上国であり、少しずつ経済は発展しているものの、人々の生活が豊かであるとは感じられなかった。 注目したのは孤児や貧しい農村地方の子どもたちの 自立支援だ。

Bright Future Kids Home

 プノンペン市内にあるFLO(Future Life Orphanage )という孤児院を訪れた。 Nuon Phaly会長 は「ここには、6歳から16歳までの390人の子ども達がいます。そのうち100人は村から通っていて、残りはここに住んでいます。100人の子ども達は、午前中は公立学校へ通っているので、午後からここに学校外教育(Non-formal education)を受けにきます。村から通っている100人の子どもたちも受け入れたいのですが 、ここにはもうスペースもないので、親のいない子ども達を優先的に受け入れています」という。

 FLOには、パソコン、空手、カンボジアの伝統的な踊りのクラス 、さらに 日本語、英語、クメール語などコミュニケーションに必要なクラス もある。それは孤児達が将来少しでも良い職業につくためだ。子どもたちも自覚していて「英語ができないとパソコンも使えない」「パソコンが使えると、将来仕事に就くときに有利だ」と語っていた。

 FLOを卒業してから 、もっと勉強をしたい子ども達に対しては、2年間大学の授業料を払うという。大学に行かない子どもは、専門学校に進んだり、職業訓練を受けるそうだ。自立してからも、必要な子どもに対しては、日常生活を送れる程度の資金や食べ物も援助しているという。

 FLO の子ども達は様々な理由で孤児院に集まってきている。母親がHIV のために、子どもだけが 連れてこられたり、両親を亡くして伯父や叔母に連れてこられた子ども、当時の記憶がない子どもなどがいる。

 次に訪れたのは、孤児院ではないが、優秀な生徒を貧しい農村地方 から集めて 全寮制で勉強をしているBFKH(Bright Future Kids Home)という施設だ。BFKHは2007年9月に日本や米国から寄付援助をうけて米国人ジャーナリストによって設立された。代表者のPark Savang氏 によると 現在中学1年生から高校3年生までの 48人がここで授業を受けているそうだ。

「ここに住んでいる子ども達は孤児ではありません。優秀なので、地元の小学校の先生に推薦されてきた子ども、テストに合格をした子ども、私達が派遣したスタッフによって選抜された子ども達なのです」とSavang氏 は胸を張った 。家庭の経済的な事情や、本人の勉強への意欲をみて、受け入れるかどうかを面接を通して判断されるが、 地元に高校がないなど、田舎に住んでいる子どもも多いため、BFKHに入ることが決まった時は、家族全員で喜ぶという。

FLO Ms.Phaly

 生徒 達は朝4時30 分から5時の間に起床 し、午前中は公立の学校で授業を受ける。 午後からBFKHで英語、クメール語、パソコンの授業を集中的に受けるそうだ。日本語のクラス も週に2回ある。ここでもFLOと同じように、パソコンと英語のクラス には特に力を入れている。「パソコンができると、世界が広がるし、レポートや調べ物をする時に役に立つ」と彼ら は話した。パソコンのクラス では、専門の先生からHTMLやエクセルを習っているそうだ。子ども達に取材をしてみ ると、全員 パソコンを使いこなし、世界の様々な情報を取り入れているらしく、知識が豊富だった。 BFKHには将来医者を希望する子どもがたくさんいた。「医者になって病気の人を助けたい」、「医者の足りない田舎に行って、病気の人を助けたい。」子ども達はこのような夢を抱いて、今必死で勉強をしている。しかし、副代表のSarun Panharith氏によると、カンボジアの医大の学費は 日本円で年間250万円だそうだ。これを個人で8年間払い続けるには相当 無理がある。奨学金はもらえるが、医学生にとっては学費の8%にしかならないそうだ。だが、BFKHはカンボジア・デーリーという新聞社と連携 して、医学部の学費を援助してもらえるスポンサーを探すという。ただ、BFKHは設立されたばかりであるため、医大 に入ったという実績はまだ一度もないそうだ。これから生徒が、たくさん医大に入った時、学費をどうするかが当面の課題だ。

カンボジアの子どもたちを支えるNGO 
2011/06/01                富沢 咲天(15)

 カンボジアでは多くの子どもたちが学校に行かれず一日中働いている。18歳未満の子どもの労働は国の法律で一応禁じられてはいるが、国民の認識はまだまだ薄い。2001年に行われたカンボジア児童労働調査によると227万6千人の子どもが働いており、これは5~17歳の児童人口の半分以上で、5~14歳の児童人口でも45%に上る。

ゴミ山に隣接した小学校

 貧しい家の子どもたちをどのように労働から解放し学校に通えるようにしているのかを知るため、プノンペンにあるPIO(People Improvement Organization)というNGOに取材した。 インタビューに答えてくれたのはPIOを設立・ 運営している専務理事のNoun Phymean さん。彼女は 子どもたちが働いているゴミ山(ゴミ集積場)に通うのが日課だ。 PIOの主な活動内容は公立学校に通えない子どもたちのために学校を開き、教育を受けさせることである。

 PIOはStung Mean Chey Education Center(児童数280人)、Borey Keila Education Center(310人)、Borey Santipheap II Education Ceneter(230人)の3つの学校を運営し、今までにおよそ2千 人の子どもたちに教育の場を提供してきた。カンボジアでは、貧しいため子どもも働いて当然と考える親は少なくない。Phymeanさんは以前、1日10~12時間もゴミ山で働いていた8歳の男の子を見つけたことがあるそうだ。彼女とスタッフは毎日ゴミ山に足を運び、そんな子どもを見つけては、学校に来させるように親を説得し、家庭に米を提供している。

 プノンペンにあるStung Mean Chey Education Centerにはすぐ隣にゴミ山があった 。 子どもが素手やサンダル履きでゴミ山に入って働くなど、日本では信じがたい光景が貧しい彼らの日常にある。

 ゴミ山以外にも、働きに出ている両親に代わって一日中家事をさせられ、弟妹の面倒をみている女の子も多いそうだ。そういった子どもたちは発見が難しい。そのためPIOでは一軒一軒訪ねてそのような子がいないか確かめているという。

他にもレンガ工場で働くなど、危険な重労働をさせられている子どもたちがいる。このような仕事では大ケガをしたり事故で死んだりすることもある。死に至るまでいかなくとも体をこわし寿命が縮む場合が多い。しかし危険な工場は郊外や田舎にあることが多いので PIOの手が届かず支援が難しいという。

 PIOが子どもたちを保護する他にもう一つ力を入れているのに 職業訓練プログラムがある。これは貧しい子どもたちが学校を卒業して社会に出ていく時に必要なスキルを学ぶトレーニングのことだ。すぐにお金を稼ぎたいあまり、売春まがいの接待のあるカラオケやレストランなどの仕事に就く女の子たちが多いという。

職業訓練

 だからPIOでは自分の体を売らずに働くことができるように、コンピューター、ヘアメイク、ビューティーサロン、メイクアップ、クッキングなどのトレーニングを子どもたちに行っている。私たちが取材している間も、若い女性がメイクとヘアアレンジの練習をしていた。対象となっているのは14~18歳の若者。ヘアメイクなどのトレーニングは女子限定だが、男子はIT関係などのトレーニングに参加しているそうだ。トレーニングを受けた後はそれを生かしてビューティーサロンで働いたり、友達同士で会社を起業したりすることもあるそうだ。PIOの役割は彼らに安定した職を紹介してあげることで、学校を出た後のことも考えて 自立支援を行っているのがうかがえる。「他にもバイクや車の修理の訓練 を希望する男の子が多いから将来始めたい」と Phymean さん は意欲的に語っていた。
 
 うまく いっているようにみえても 、PIOにもいくつかの問題がある。まずは受け入れられる子どもたちの人数に限度があるということ。カンボジアでは学校に通えず働いている子どもたちが本当にたくさんいる。そんな子どもたちを全員救うのは資金の問題があり 不可能だ。PIOの各学校には待機リストというものがあり、現在各校で150人ほどの子どもたちが学校に入るのを待たされている。PIOには孤児院もあるのだがそこの受け入れは50人が限度だそうだ。「本当はもっと受け入れたいのに」と残念そうにPhymeanさん は語った。これらの問題を解消するにはやはり資金が必要である。PIOの運営は全て寄付金でまかなわれているが、二年前に米国で起きた金融危機に続く不景気によって資金を出してくれるスポンサーが減って いるらしい。これはどのNGOも共通の問題だろう。
 
 今回の取材では、カンボジアの子どもたちの置かれている状況を実際に見て多くの衝撃を受けた。ゴミ山の子どもたち、信号で止まった私たちの車に寄って来る物売りの少年。カメラを持つ手が何度もためらった。

答えのでない子ども買春問題
2011/06/01                谷 彩霞(15)

Camoboida Dailyの Gillson

 カンボジアが直面する 様々な問題のなかに 「子ども買春」 がある。 中学生や高校生の 年齢の少女達が家計を支えるため に体を売 ることが多く、様々な問題が絡まって いる。なぜこのようなことが起きてしまったのか。また、子ども買春を解決する為にカンボジアではどのようなことが行われているのかについて 首都プノンペンでNGOと新聞社に取材 した。

 The Daily Cambodia新聞の編集主幹Douglas Gillison氏によると、カンボジアでは1975年から1979年にかけてクメール・ルージュ政権や内戦により知識人の大量虐殺が行われ、 死者は200万人に上った。多くの知識人が殺害されたため、カンボジアの経済状況が悪化し 国民の3割が貧困層 という状況に陥ってしまった 。カンボジアで一家族の1日の平均収入は2ドル以下。そのため、子ども達も働くのが当たり前なのだ。その中でも一番速く収入を得られるのが体を売ることである。

NPO法人かものはし岩澤氏

 日本を出発する前に取材したNPO法人国際子ども権利センター(C-Rights)代表理事の甲斐田万智子氏によると、カンボジア王国憲法68条によって全ての国民は9年間義務教育を無料で受けられると保障されているそうだ。しかし、
ECPAT(End Child Prostitution , Child Pornography And Trafficking in Children for Sexual Purposes、子ども買春、子どもポルノと性目的の子ども売買を止める会)の 専務理事Chin Chanveasna氏によると、子ども買春を強いられる 多くの子ども達は正規の教育を受けていないという。 こうした少女達は家計を支えるために、学校がある日も働かざるをえず、学校を途中で止めなくてはならない 。また、 教師の給料はとても低く、テストを受けるためには教師にお金を払わなければならないそうだ。 そのため、お金を払えない 子ども達は 学校を辞めて働かなくてはいけないのである。子ども達は教育を受けていないため、働くといってもお金をたくさん稼ぐには 体を売る事しか出来ないのが現状だ。

  Gillison氏によるとカンボジア政府の国家予算は120億円しかないため、子ども買春の問題は NGO が受け持つ状態で、資金がなかなかまわらないという。

 このような状況の中で子ども達に対してNGOでは、エイズ予防、職業訓練、心理的支援を行うなどして、被害児童が経済的に自立できるよう支援をしている。しかし、ECPATの Chanveasna氏によると、子ども買春をしている多くの子ども達は、自分の意志でおこなっている ことが多いと言う。

  彼女たちは 一家の長女である事が多く、自分を犠牲にして家計を支えなければならないという考えが根付いているため、子ども達の意識を変えることは難しいようだ 。そのため、買春から本当に抜け出したいと望んでいる子どもしかNGO の支援が受けられない状態なのである。

 NPO法人 かものはしプロジェクトの岩澤美保氏によると、NGOでは農業技術やバイクの修理などの職業技術訓練や、被害にあった子ども達が見習いとして働ける縫製工場を提供しているため職業訓練でも収入が得られるものの、買春をした時のような収入は得られないそうだ。 また、Chanveasna氏によると、被害児童の家族は経済的自立のための支援を受けられないため、家族を支えるために多くの子ども達がNGOのシェルターから逃げ出し、また子 ども買春に走ってしまうのが現状だそうだ。

 岩澤氏は「 カンボジア政府が 買う人を取り締まるために 警察に 訓練を行っている」そうだが、People Improvement Organizationの Noun Phymean専務理事によると「 最近の子ども買春は人目のつかないカラオケボックスで起こる事が多く、なかなか摘発が出来ないのが現状である」という。

 また、 Chanveasna氏は「 子ども達は被害者ではなく容疑者とされてしまう場合が多々ある。そのため、 警察が買春する大人 を確実に逮捕し、犯罪を未然に防げるように政府が訓練を行っているが、彼らを 逮捕しても、 賄賂により釈放をされてしまうということが多くあり、なかなか買春 を減らすことができない」と言っている。
 Gillison氏によると、カンボジアの子ども買春の数は経済が良くならない限り今後増えて行くという。 貧困が無くなっただけでは解決しないかもしれないが、 子ども買春をひとつでも無くすために現地のNGO の努力が続けられている。

カンボジアでみた現実ー子ども売買、NGOの自立支援
2011/06/01                青野 ななみ(17)

 「家族全員飢え死にするか」「一人が身体を売るか」こんな選択を迫られている家族がいる。
 カンボジアは1975年ポルポト政権による大量虐殺により知識人がいなくなり、不安定であったが、経済も徐々に回復してきており、2004年から2007年まで年率二桁の経済成長率を記録した (外務省)。だが依然として 世界でも特に貧しい国のひとつである。 子どもの労働が家庭の主要な収入源であり、子ども買春が日常的に横行している。隣国タイとの国境規制が緩いため、タイにも売られ、強制労働や性的搾取を強制させられる。こういった子どもたちは、薬物中毒やHIV、精神的障害に陥ってしまうケースが多くある。(AFN大阪 『カンボジアレポート2007』)

PIOのMs Phymea専務理事と孤児たち

 私たちと同じ年齢、あるいは幼い子どもがなぜ身体を売らなければいけないのか。NGOはどのような自立支援をしているのか。現状を知るために取材をした。

 まず訪れたのはThe Future Light Orphanageという孤児院である。 日本で孤児とは親がいないことを指すが、カンボジアでは親が親としての役割を果たしていない場合も含む。ここで取材をしたRom Put Chetra くん (20)  に、「カンボジアの女の子たちは、なぜ身体を売ることをせまってくる親に対して、自分が身体を売って家族を養おうという気持ちになるのか」と聞くと、「日本ならば 親にお金を渡せば支援になるだろうが 、カンボジアではそのようなシステムが確立されていない。自分しか親を支えられることができないからだと思う」と答えた。

 次に取材した NGOの People Improvement Organization(PIO )は女性やストリートチルドレンに教育や職業訓練を提供することで貧しい家庭の生活の質の向上を目指している。 「女性に焦点を当て るのは、子どもを産むのは女性にしかできないことであり、助けられる数が増える」と設立者で専務理事 のNoun Phymean 氏 は 語った。貧困家庭にはお金ではなく、お米を提供し、子どもには 働く代わりにPIO が運営する 学校での教育を受けさせている。案内された学校や孤児院はゴミ山(集積場)に隣接しており、決して良いとは言えない環境の中、勉強している子ども達がいた。服を着ていない子ども、ゴミをあさる 犬や子どもたち、日本では見たことのない光景が広がっていた。Phymean氏 がその中をヒールで 歩き、子ども達に声をかけている姿はたくましかった。

ECPAT のMr.Chanveasna氏

 End Child Prostitution, Abuse and Trafficking in Cambodia(ECPAT )はカンボジア国内の人身売買(子ども買春や子ども労働)を扱っているNGOの中間支援組織で、世界的ネットワークがある。「 身体 を売って生活している子どもの多くは、自分が働いているから家族が生きていける と思っているために困難を極める。買春被害の子どもだけを保護しても、その家族は彼女からの仕送りがないために、餓死する可能性が高く、保護された子どもはシェルターから抜け出して買春に戻ってしまう。さらには、教育を受けていない親にその危険性を話しても 理解ができないのだ」と代表のChin Chanveasna氏が語った。

 多くのNGOを 取材 して、共通していたのは資金の確保の厳しさである。何人が自立したのかを把握し、実施したプログラムの効果を立証するにはかなりの年月がかかる。 最も重要なのは“いかに現実的であり継続可能であるか”だということがわかった。 子ども買春に単純な 解決策はない。それは経済や歴史などあまりにも多くのことが複雑に絡まっているからだ。だが、小さなことから現実的に行動すれば少しずつでも改善することにつながることを期待したい。 私達の当たり前が彼らにとっては当たり前ではない。しかし、私達の当たり前が彼らにとって幸せになるのか。実際に足を運び現実を知り、さらなる問題意識が高まった。

Friends Internationalの取材

ストリートから自立するために
2011/06/01                堀 友紀(17)

 2011年3月にカンボジアの首都プノンペンを訪れた。この国で特に興味を持ったのは、ストリート・チルドレンの自立支援として行われている職業訓練だ。

「Please」
そう言って私の前に置かれたカンボジアンカレー。私達はFriends-InternationalというNGOのカンボジア支部が運営している「Friends The Restaurant」というレストランを訪れた。ここで働いている人達は皆、かつてストリート・チルドレンだった若者達である。
店内の洒落た雰囲気、料理の外見や味もさることながらサービスのレベルの高さに驚いた。お店に入ると、「student」と書かれたTシャツを着たウェイターである若者が出迎え、食事中には常に誰かがテーブルに目を配り、何か不備があればすぐに対応している姿は訓練中といえどもプロ顔負けの働きぶりであった。

「Friends The Restaurant」で行われているような職業訓練をFriends-International Cambodiaでは全部で11種類行っている。中には「裁縫」や「ヘアメイク」などといったものがあり、1クラス約30~40人が所属している。どの訓練を受ける かは選択できるそうだ。彼らはこれらのプログラムを通じて、社会に直に接し、より早く社会に適応できるようになる。職業訓練 だけではなく、社会に自分の力で出ていけることが真の自立なのであろう。

 しかしプロジェクト・マネジャーのMarie Courcel氏 によると、職業訓練を全員が無事に 終えて仕事に就くというのが現状ではなく、途中で脱落をしてしまう子もいるようだ。訓練センターを抜け出してしまう子どもの多くは麻薬を服用していた者だという。そのため、他のNGOでは、訓練を受ける年齢制限は 大人になる 18歳までであるにもかかわらずFriends-Internationalでは24歳までの若者を受け入れているそうだ。その理由としては、第1に、ストーリート・チルドレンで麻薬を服用している若者が少なくない中、更生するには4~5年かかり、その後、職業訓練を受け始めたとしても18歳までに訓練を終えることができないということ。第2に、ストリートには20~21歳が1番多くいる。そこで、24歳までの年齢に引き上げることによって助けることができる若者の幅が大きく広がるという。


 カンボジア支部のコーディネーターであるKhemreth Vann氏によると、訓練を終えた若者の進む道として、主に2つが挙げられるそうだ。企業に就職することと自分で起業をすることだ。訓練中にも全力でサポートをしているスタッフたちだが、 訓練を終わったからといってサポートを終えてしまうのではなく、仕事に就くまで全面的にサポートを行っているそうだ。

 就職を希望する若者にはスタッフが就職先を探してくる。また、起業をしたい若者がいれば資金を貸し、フォローアップを行うという。起業した後も1ヶ月に4~5回の頻度で様子を見に行き、だんだん回数を減らしていくそうだ。このようなサポートは1人につき1人がケース・マネージャーとしてついているという。職業訓練を受けた後、技術を身につけることができるようになることに加え、自分の未来がはっきりと見えるようになるという。このような効果はケース・マネージャーの行っているカウンセリングの効果が大きいようだ。

Friends Restaurant( Friendsが運営するレストラン)

 スタッフの熱心なサポートの結果、2009年からは訓練を受けた後に仕事に就くことができた若者は急激に増えたという。

 逆境を乗り越えて懸命に自立しようとする彼らの頑張り、そしてそれを全力でサポートし続けるNGOスタッフの献身的努力 は確実にカンボジアの発展への希望の光となり、力になるだろう。

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努力の塊・・K-popアイドルとは

ユースエクスプレス・ジャパンでK -popに関する4記事を読む!

堀 友紀(17)

韓国大衆文化研究家の古家正亨さん

 最近、雑誌やテレビなどで「韓流ブーム」や「K-pop」という言葉をよく耳にし、目にするようになった。急に周りが「韓国!韓国!」と叫ぶようになったように感じる。そこで、K-popとは何なのか?またK-popアイドルとJ-popアイドルとの違いはどこにあるのか?に興味を持った。日本でいち早くK-pop専門番組を立ち上げたことで知られ、日本におけるK-popの第一人者と呼ばれることの多い古家正亨氏にお話を聞いた。

 古家氏によれば、K-popアイドルになるためには、まず所属事務所のオーディションを受ける。日本のオーディションは受かればほぼデビューが確定する。しかし、韓国のオーディションは歌手になる練習生になるための募集だと古家氏は言う。したがってオーディションに受かってもアイドルになれる保証はない。練習生になるためのオーディションでさえ大変な競争率だ。合格したあとはアイドルになるための競争が待っている。韓国でデビューできる人数は年間にわずか10人と言われ、競争倍率は5000倍とも。競争を勝ち抜くために練習、語学学習、顔の整形まで行ってライバルとの差別化を図る。厳しい環境に身を置いている以上努力をしないと勝ち抜いていくことはできない。「この努力が歌もダンスも上手になる一番の秘訣であり、J-popアイドルと最も違う点だ」と古家氏はいう。K-popアイドルは才能があるように見えるが、実際は努力の塊であると古家氏は力強く言った。

 少女時代やKARA、ワンダーガールズといったK-popアイドルはビジュアルを売りとし、ミュージックビデオに力を入れている。今まで韓国では国民簡易番号制といって1人1人に番号の付いているソーシャルセキュリティーカードを持っていないとミュージックビデオにアクセスできないため、見ることもダウンロードすることもできなかった。しかし近年この制度がなくなり、誰もが見られるようになった。このことが日本でK-popアイドルのブームとなった背景にあるという。
 
K-popが日本に進出する理由は、日本の市場規模の大きさにある。世界でいちばん市場規模が大きいのはアメリカ。それに次ぐ2位が日本だ。そして韓国は世界で17位。金額で比較すると、日本の市場規模は韓国の35倍ある。「日本の巨大市場に進出できれば韓国のア―ティストには箔がつく」と古家氏は言う。

 韓国が政府をあげてK-popの日本進出を後押ししているというのは何度も耳にしたことがある。しかし、日本ではそのようなことはあり得ないと古家氏は指摘する。ではなぜ韓国ではそのようなことをするのか?韓国は資源が少ない輸出産業の国であり、電化製品などを作って儲けているが、物を作る産業にも限界がある。そこで文化コンテンツとしてア―ティストが取り上げられているのである。

 日本への進出の著しいK-popアイドルであるが、これに対しJ-pop関係の事務所はどう思っていると思いますか?という問いに、古家氏は、確かにK-popの勢いにJ-pop界は焦ってはいるけれど、でも大丈夫!とどこか安心していると思うと古家氏は言った。過去にJ-pop側がK-popアイドルを受け入れた瞬間があったという。それは、テレビ番組スマスマ(SMAP×SMAP)に東方神起が出た時だ。J-pop界を背負って立つ存在であるジャニーズが東方神起を受け入れざるをえなかったというのだ。それほど東方神起はすごかったのだと古家氏は何度も繰り返し言った。そして、これほどすごいグル―プであり、韓国のエンターテーメントを引っ張ってきた存在である東方神起は分裂騒ぎがあり、今は5人で活動をしていない。それがゆえに分裂は絶対に許せない!と古家氏は悔しさ混じりの顔で言った。 もてはやされるK-pop界。この人気の裏にはアイドル1人1人の血のにじむような努力があった。そして、日本で活躍している外国のアイドルを見て、「努力」というものをJ-popアイドルは見習い、もっともっと活躍の場を広げて欲しいと願う。

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K-popアイドルはなぜ大人気?

毛利 美穂(15)

 昨年2010年は「少女時代」、「KARA」など多くのk-popガールズグループアイドルが進出し、「K-popアイドル」という言葉をテレビで聞かない日はないほど、若者達を中心に一大ブームとなった。なぜ、今K-popアイドル達は日本の若者に高い人気を得ているのだろうか?

 K-popアイドルの日本進出は、日韓共同主催のサッカーワールドカップが開催された2002年に始まった。しかしこのときにデビューした多くのアイドル達の進出は失敗に終わったといわれている。K-pop歌手が日本で大きな成功を収め始めたのは2007年だ。

 この年から韓国では自分のソーシャルセキュリティパスワードを使用せずにミュージックビデオなどをネット上で見られるようになったことが大きなきっかけとなった。

 当時、韓国では男性5人組アイドルグループの「東方神起」が国民的人気を得ていた。日本でも活動を活発化していた彼らの韓国での活動を、インターネットで観られるようになり東方神起人気が日本でも高まり始めた。やがて東方神起ファン達の間で、韓国でブームとなっていたK-popガールズアイドルグループを中心に多くのk-popアイドルたちが人気を得るようになった。

 多くの韓流スターグッズ店がひしめき合う東京・新大久保でk-popアイドルファンに街頭取材したところ、K-popアイドル達に感じる魅力は「歌唱力、ダンスなどパフォーマンス力の高さ」という声が多く聞かれた。
その高い能力について、日本におけるK-popの第一人者といわれる古家正亨氏は「日本と韓国のアイドルにおける違いは、彼らの置かれている環境の違いから来ているものが大きい」と指摘する。

「韓国でアイドルになるには、まず各事務所が開いているオーディションに合格しなければならない。このオーディションの倍率は5000倍だ。日本ではオーディションに合格すればほとんどがデビューできるのに対して、K-popアイドルは練習生として長く厳しい練習期間を経てデビューしている。この間、練習生達は毎日ダンスと歌のレッスンに加え、外国語の練習などもこなす。そしてその中で、デビューのために周りとの差別化を図るうちに次第に実力がついてくる。彼らの高い実力は才能ではなく、厳しい競争社会の中で努力によって生まれたものだ」と古家氏は語った。

「その高い実力と人気を持つK-popアイドル達は、もはやひとつの国家政策となっている」と古家氏は話す。2003年末に韓国ドラマ「冬のソナタ」が大ブームとなり、韓国はアジアを始めとする海外へ韓国のエンターテイメントを更に広めるため「韓国文化コンテンツ振興院」を作った。このような支援も受けK-popアイドル達は世界第二位の音楽市場であり、韓国と比べ30倍の市場である日本へ進出するのだ。さらに、アイドル達の所属する事務所と民間企業が提携し、関連商品の売り上げでも大きな力を見せ始めた。古家氏は、「この成果が発揮され始めたのは、やはり東方神起が大きな人気を集めた2007年からではないだろうか」と話す。

  こうした国をあげてのK-popアイドルへの支援や、誰もが口ずさめるキャッチーな楽曲と長く厳しい練習生期間を経て得た高い実力が、ポップアイコンが多様化し大衆が憧れる存在がいなくなり始めた日本において大きな人気を得た理由なのではないだろうか。

韓国大衆文化研究家の古家正亨さん

「自分には出来ないことをしてくれる憧れの存在がアイドルだ」と古家氏は言う。ブームとしてのK-popアイドルたちはいつか去ってしまっても、大衆の憧れである「実力派アイドル」として彼ら、彼女らは、世界に韓国エンターテイメントを広げていく予感がする。

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若者の心をつかんだK-popアイドル達

谷 彩霞(15)

 KARA、少女時代、SHINeeなど最近次々と日本でブレイクしていく韓国アイドル達。今では年代を超えて男女共に人気を集めている。彼らはどのようにして日本進出に成功したのか。また、なぜ最近韓国のアイドル達が注目され始めたのか。ラジオやテレビでK-POP番組のDJをつとめている古家正亨氏に取材をした。

 韓国ではまず、歌手になりたい練習生を事務所が募集する。練習生になるための確率5000倍を勝ち抜き、顔、語学、練習を差別化していき、アイドルとしてデビューを果たすのである。練習生になったからと言ってアイドルになれる保証はなく年に10人ほどしかデビューを果たせない。大学受験より大変なのである。この中で最初に日本進出に成功したのがBoA。以前から韓国はk-popアイドル達の日本進出を図っていたが結局成功したのはBoAだけであった。しかし、2005年にk-popアイドル達の本格的な日本進出の引き金となる出来事が起こった。東方神起のデビューである。最初は『冬のソナタ』のぺ・ヨンジュンの影響もあり年齢層の高い女性に人気があった東方神起だが、次第に若い人にもファンを増やしていき2007年にブレイクをしたのである。

 また、韓国の時代背景により、インターネット上で日本では見ることが出来なかったk-popアイドル達のミューシックビデオも東方神起のヒットにより見ることができるようになったため、東方神起ファンを中心にk-popアイドル達が日本で広まっていったのである。

 また、取材にあたって韓国が政府をあげてk-popアイドル達の日本進出を支持していることが分かった。韓国では資源が少ないため第一産業としては限界があり、家電・情報通信製品などの企業が多い。国際化社会となった今では輸出先で売る家電製品などの宣伝にk-popアイドル達を使うのである。韓国製の携帯電話機を日本で売る時にk-popアイドル達を宣伝に使うなど、韓国の企業が日本に知られると同時にk-popアイドル達も日本で知られるようになり、日本進出を果たしたのである。

 しかし韓国が政府をあげてK-popアイドル達を宣伝したからといって、日本進出が成功するとは限らない。ではなぜ、k-popアイドル達が日本の若者に受けたのか、新大久保の日本人の10代の学生を中心に街頭取材を行った。すると、基礎がしっかりしているから、努力をしているから、皆個性的だから、トークがうまいからなど様々な答えが返ってきた。また古家正亨氏によるとk-popブームになったのは日本の音楽の歴史にも関係があるということが分かった。日本では1980年代まではラジオが中心の文化でラジオでは基本的に洋楽がよくかかっていた。その頃は、ラジオの影響で洋楽っぽい小室哲哉の歌など大衆曲がはやっていたが、テレビ、パソコンなどの情報化が進みPopアイコンが多様化してしまったのである。つまり年代別、男女別にそれぞれ憧れのアイドルが違うという状況になってきた。しかし、そこにk-pop、洋楽に近い誰もが歌える日本人にとっては進化した大衆曲が入ってきた。それによって皆が引きつけられ人気が出たのである。

 日本での人気がさらに高くなっていくk-popアイドル達。今回の取材ではBOAや東方神起が歌う進化した大衆曲が、K-popアイドル達の日本進出につながったことが分かった。また、このことにより、韓国がアジア進出に向けて政府がバックアップしてk-popアイドル達のデビューを支えていることが分かった。K-popアイドル達が日本で進出する中、日本とは違うK-popアイドル達の徹底した練習、語学が日本の若者の心を掴んだのだろう。

 今後のK-popアイドル達はどうなるのだろうか。K-popアイドル達の今後の活動に期待したい。

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K-POPから見える韓国と日本~日本と韓国の音楽の違いから学ぶ~

南雲満友(16)

昔は、中高年層に人気だった「K-POPアイドル」が今若い女性の間でブームとなっている。
2010年は「少女時代」や「KARA」などのガールズグループなどが日本進出を果たし、ニュースでは社会現象とまで言われている。K-POPアイドルの魅力とは何なのか。また韓国と日本の音楽の違いについて、韓国大衆文化研究家の古家正亨さんにお話を伺った。

韓国大衆文化研究家の古家正亨さん

 K-POPアイドルの魅力を古家正亨さんは「あこがれ」という言葉で表した。

「東方神起」や「KARA」「少女時代」などのK-POPアイドルが続々と日本進出を果たし、「韓流」ファンは一気に低年齢化した。日本進出の足がかりは、2007年に韓国でインターネットが自由に見られるようになったことがあげられる。それ以降ビジュアルを前面に押し出したミュージックビデオを作るようになったという。代表的な例が「少女時代」や「KARA」といったガールズグループである。今はネット全盛時代だが、昔はラジオが文化の中心であった。「昔、ラジオはシャワーだった。今はだまっていたら情報が入ってこない」と、情報の入手方法にもK-POPアイドルが若者に人気の理由があると、古家さんは指摘する。つまり昔はラジオをシャワーのように聞いているだけでよかったが、今は自分からネットに情報を見に行かなければいけないのだ。

 K-POPアイドルの海外への進出において、J-POPとの最大の違いは「国が支援していることだ」と古家さんは語る。韓国は日本のように資源小国である。そのため物を作り、輸出することで稼いできた。さらに韓国政府は文化産業とエレクトロニクス製品を両方に売ることで、国のイメージアップにもつなげてきた。つまり音楽と、それを聞くためのCDやミュージックプレイヤーを自国で作り、輸出して国の経済を振興させてきたのだ。アメリカに次いで音楽市場世界第2位の日本に進出してくるのにも納得がいく。一方、日本は世界的に漫画やアニメーションが人気だが、いわゆる「クールジャパン」と呼ばれるこの流れは、日本人自らが海外に宣伝して作り上げたものではない。このあたりが韓国と違う。「黙っていても受け入れられる状況ではなくなってきた」と古家さんは日本のこの流れに懸念を示す。

 最近、K-POPアイドルたちが片言の日本語で下積み時代の話をしているのをよく耳にする。
韓国では芸能事務所が定期的に行うオーディションに受かっても、必ずデビューできるわけではなく、まずは練習生として毎日辛い訓練を受けなければいけない。その練習生の期間にも語学を身につけたり、整形をしたりと自らを磨く。それでも実際にデビューできるのは1年に10人程度だという。「パトカーや消防車が遅刻しそうな受験生の送迎車と化す」韓国の大学受験にも表れるように、アイドルたちも競争社会でもまれている。古家さんはK-POPアイドルがヒットする理由を「才能より努力だ」と分析している。一方日本ではオーディションに受かったらすぐデビューし、レッスンを受けながら経験を積んでいくというのが主流である。確かに、東京の新大久保と原宿周辺で街頭インタビューをした際、「K-POPアイドルの方が歌やダンスがうまい」といった意見が多かったのも、納得がいく。

 このように韓国と日本の音楽文化の戦略や制度には様々な違いがある。
K-POPアイドルと事務所との間の契約問題などはその代表的な例である。日本でこの問題に否定的な意見が多い事に対して、古家さんは「日本人も韓国を違う国の文化として認識してほしい」と語る。長年の歴史の中で領土問題など、日本と韓国の間にはなにかと問題が多いが、お互いの良いところを認め合い、文化の違いを理解し、音楽を1つのテーマとして考えを深めていくことが、日本と韓国の次の文化的フィールドにつながっていくのではないだろうか。

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報告会、レクチャー

CE記者5名とユースワーカー3名が  カンボジアを訪問

 2011年3月26日~31日、5名の記者と3名のユースワーカー(大学生)、2名のスタッフの計10名が、カンボジアの首都プノンペンを訪れた。
 孤児、ストリートチルドレン、子ども買春、子ども労働の問題について、現地のNGOや孤児院を訪問して取材をした。
 都心のゴミの集積場(ゴミの山)に隣接する学校や孤児院を訪問したり、若者たちの自立を促す職業訓練所や、ストリートチルドレンの自立訓練の場であるレストランも訪れた。
 また郊外の孤児院や貧農から選抜されたエリート児童を対象に学校外教育をしている施設を訪問し、子どもたちと交流をした。
 初めて途上国を訪れた記者たちにとってツアー観光では得られない貴重な体験をすることができた。

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報告会、レクチャー

New Year Project

 セルビアの2人の若者がスカイプカメラを通してパリ、ボストン、東京など世界10都市の子どもたちに各国の新年の行事、習慣についてインタビューをして、ビデオ作品を制作した。東京では富沢咲天記者と飯沼茉莉子記者の2名がインタビューに答えた。この作品は12月31日にセルビア国営テレビ放送の番組で放映される予定。

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座談会

中高生のダイエット


参加記者 参加記者:持丸朋子(15)、堀 友紀(15)、谷 彩霞(15)、富沢咲天(15)
司会:宮澤 結(司会)
2010/12/12

女性であれば、だれでも試してみようと思う「ダイエット」。しかしその方法によっては成長期の10代の女子たちにとって様々な危険をはらんでいる。女子中高生は何故ダイエットをしたいのか。スマートになりたいけれど食べたい――複雑な女学生の心のうちは。

結:最近私の友だちの間でダイエットが流行っています。その中には運動してやせるというのもありますが、夕食を食べないという無理なダイエットもしているようです。どうしてダイエットをするのか、またみんなのまわりにはダイエットに興味を持つ人はどれくらいいるのか、今回は中高生のダイエット事情を話し合いたいと思います。

挑戦したけれど

結:この中で今までダイエットをしたことがある人はいますか? 

咲天:ご飯を抜くっていうよりも運動して、お菓子を止めたり我慢したり、そういうダイエットをやりました。数キロ太ったなって思って、それを元通りにしたいからやっていて、しばらくお菓子とかを我慢していたら元に戻りました。

彩霞:私は一回やろうと思ったんですけど、その日にお菓子を食べちゃってダメでした。

朋子:私もだんだん太ってきて、やせなきゃなとは思うんですけれど、食べたさの方が勝ってしまい、ダイエットができません。

友紀:まったく続かなくて、宣言した次の日に食べてしまう、自分の意志の弱さが見えたダイエットでした。

咲天:私も途中で挫折して食べちゃうこともあったんですが、一回始めて、2日・3日くらいやっているとそれが続いてきて、間食を止めることでお金も節約できるから、自分はこんなにがんばったんだなという感じで達成感を得られました。

友だちたちは?

結:では次に学校など、まわりの友だちでダイエットをしている人はどれくらいいますか?

彩霞:女子校でクラスに38人いるんですけど、ほとんどみんながダイエットをしていて、30人くらいはしている感じです。

咲天:私のクラスではそんなにダイエットしている人はいません。でも「最近ちょっとひかえてるんだ」っていう子はたまに出てくるんですけど。

朋子:私も女子校なんですけれど、実際にダイエットをしているかわからないけれど、「やせなきゃ」って言っている人はほとんどです。

友紀:正確な人数はわからないんですけど、口に出している人以外にもダイエットしているんだろうなってわかる人はけっこうまわりにいて、サラダだけでお昼ご飯をすませたり、夜ご飯を抜いたりという人はいます。

結:なぜ女子中高生がダイエットをするのだと思いますか?

咲天:やっぱりまわりの子がそういうのをやっていると、影響されやすいのもあると思いますし、雑誌とか見てモデルが細くて、自分もこうなりたいなという願望があるんだと思います。

友紀:中学・高校がまわりの目一番気にしている年代だと思うし、少しでも良く見られたいというふうに思うことから始まるんじゃないかなと思います。

やせている=美しい

結:最近ファッション業界が「やせている=美しい」といった、間違った美の観念を与える危険性があるというふうに気づき始めました。スペインやイタリアでは一定の体格基準に満たないモデルのファッションショーでのランウェイ出場を禁止しています。アメリカ・フランス・イギリスでも、やせすぎモデル問題に取り組んでいるそうです。みなさんの中で「やせている=美しい」という考えはありますか?

彩霞:やせている人はスラっとしていて、「あ、美人だな」って思いますけど、やっぱり中身が一番大事だと思います。だから中身をしっかりと磨いてからまわりのことを気にし始めた方がいいかなとは思います。

友紀:「やせている=美しい」というふうには思いません。私はやせているのはある一定の基準で、やせすぎているのはそんなにきれいだとは思わなくて、健康的な方がきれいに見えると思います。

咲天:学校で友だちと話していたりすると、やっぱり細いときれいだし、みんなの憧れだなというふうに思います。

朋子:私も「やせている=美しい」ではなくて、ある程度ちょっと太ってた方が健康的でかわいく見えると思います。

メディアの影響

結:では実際に自分や友だちで、モデルやテレビのダイエット企画の番組に影響されている人がいるというのを感じたりしますか?

友紀:会話の中でたまに、「昨日の番組でこういうのをやっていた」という情報交換をしているのを聞くので、たぶんテレビや雑誌の情報などを自分たちで収集して交換をしてるんだと思います。

咲天:友だちの間でテレビの影響があって、「こういうエクササイズがいいんだよ」とか、「何時から何時までに晩ご飯を食べればそんなに太らないんだよ」とか、そういう情報交換をするんですけど、サプリメントや薬とかそういうのはないです。

彩霞:前に雑誌で、毎日何を食べているかをちゃんと手帳に書いて、自分が毎日何を食べているかを知ることによってやせていける、という付録みたいなのが付いてたんですよ。

結:レコーディングダイエットみたいなの?

彩霞:はい。学校ではそれをみんなちょっとやっていました。

結:それが流行ったりするんですか?

彩霞:流行ったりしますね。でもすぐみんなあきらめちゃったり。

朋子:私の学校ではやっぱりテレビの影響を受けている人が多くて、なかでも以前流行った納豆を食べるダイエットとか朝バナナとか、そういうのを実際にやっている人がけっこういました。

拒食症の怖さ

結:みなさんは拒食症というのを聞いたことがあるかもしれないんですが、慶応義塾大学病院の渡辺久子医師の「小児心身症クリニック」という本によると、不安やストレスを心で感じて悩む代わりに、食べる・食べないといった食行動で発症する、摂食障害という心の病気の一つなんだそうです。もちろん、受験や部活といった思春期のすべてのストレスが発症の原因になるそうなんですが、その一つにスリム思考が蔓延していることがあげられます。ダイエットで減量してくると、ダイエットハイといわれるカラ元気になります。胃袋が萎縮して空腹感は消えて、食べても吐きやすくなるそうです。それだけでなく、脳が萎縮して正常な判断ができなくなったり、無感動・無感覚になるそうです。病院で受診する前に命を落とす人もいて、死亡率は約10%で思春期におけるもっとも死亡率の高い心身症といわれています。
ダイエットが病気とか体調不良につながると考えたり、感じたことはありますか?

彩霞:あります。実は私の母の姉が10代の時に拒食症になって、病院に入院して何とか退院できて正常になったんですけど、今でもすごく細くて、まだ拒食症から抜けられていないかなとは思います。

友紀:私の学校では美意識が高く、きれいにしている子が多いんですけど、みんなすごく細くて、一学年に何人もの拒食症の子がいます。実際に私のクラスにもいるんですけど、原因というのが、細くなりたいっていうのもあるんですけど、ちょっと人から嫌われたりした時に、原因が太ってるからなんじゃないかと誤解をして、何にも食べなくなって、ほんとに骨だけみたいな拒食症になる子もいて。

咲天:私の学校ではお菓子を我慢したりする子はいるんですけど、晩ご飯を抜いたり、極端なダイエットをしてる人はいないので、拒食症までいく子はいないです。

朋子:私の学校もあんまり過激なダイエットをしている人はいないので、ちょっと細くて一般的に見るときれいだなというぐらいの「人が多いです。

結:私の友だちが拒食症になってしまって、それまで私自身はダイエットはすごく楽しいし、やせたらいろんな服が入るんじゃないかとか考えていたんですけど、実際に友だちの病気を目の当たりにすると、ダイエットの恐ろしさというのが初めて見えてきて、ダイエットに対する考えが変わりました。

ダイエットは危険

結:渡辺久子医師の「小児心身症クリニック」という本によると、10代の間に間違ったダイエットをやって基準体重以下の体重になっていって生理も止まり、そのために将来子供の産めない体になってしまい、取り返しのつかないことになるそうです。成長が遅れて骨粗鬆症とか、早期の老化や早死にのリスクが高まるそうです。
そういう病気になることを知っていましたか?

朋子:私は学校の保険の授業で、ダイエットをしすぎるとまず無月経になり、その後、無排卵になって体の不調をきたすということを習い、こわいなと思いました。

友紀:保険の授業でダイエットの恐ろしさについて、全然習っていないけれど私の学校では拒食症の子がけっこういるので、そういう子たちを見て、ダイエットって怖いなっていうふうには実感するんですけれど、無月経になったりというような具体的な影響というのをみんなは知らないと思います。

咲天:私はテレビとかで見て、拒食症とかにかかると死にも至るんだよっていうのを知っていたのですが、やっぱり知らない人も多いと思いますし、すごく危険性があるのでもっとみんな知った方がいいと思います。

結:ではどうしたら無理なダイエットっていうのが無くなると思いますか?

彩霞:やっぱりまわりの人から影響されてダイエットを始めるという子も多いと思うので、まわりに影響されないようにすると、そんなに過激なダイエットをしなくなると思います。

友紀:ダイエットが健康にも悪くて死にも至るっていうことを、しっかりと一人一人が認識した上で、そういうダイエットの仕方ではなくて、毎日ちゃんと三食食べて、その食べる物を健康的にしたり、体には害の無いようなダイエットをすればいいと思います。

朋子:メディアの影響を受けている人が多いと思うので、そのメディアがダイエットの良くない点もきちんと伝えた上で、ダイエットの特集番組を流すのであればいいと思います。

咲天:正しい知識を得るということもありますし、あとは拒食症などのストレスが原因だったら、食べないということ以外にストレスの発散法を知っておいた方がいいと思います。

結:やっぱり中高生は雑誌とかテレビの影響をすごく受けやすいなと思います。食べ物に気をつけたりとか、まわりの影響もあると思うけれど、ちゃんと自分自身でダイエットに関する知識というのをもつことがすごく大切なんだと思いました。

咲天:ダイエットというのはすごく危険なんだと思ったし、正しい知識を知らない人がとても大勢いるので、ダイエットをしたいって思ったら、一人一人がその前にこれは危険だからやってはいけないんだなとかを考えていかないといけないと思いました。あと、メディアの情報に流されないように自分も気をつけなきゃなと思いました。

彩霞:ダイエットをする人はまわりの人からの影響やメディアからの影響があるので、ちゃんとしたダイエットの知識を知って、ダイエットに取り組んだらいいなと思います。

友紀:私の学校でダイエットをしている人が多いというのは知っていたんですけど、他の学校でもしていないところはなくて、やっぱりこの年代だとダイエットをしてる人が多いことがわかりました。ダイエットをするきっかけというのが周囲からの影響によって始まっているので、自分を見失わないで、ダイエットについてもっと知るべきだと思いました。

朋子:私のまわりにはあまり過激なダイエットをしている人がいないのですが、10代でも拒食症になっている人がけっこういたということを知ったので驚きました。ダイエットはやっぱり危険だというのを自分でわかるように、きちんと情報を自分で判断して、正確な情報を収集できるように一人一人がしていかないと大変なことになるんだなと思いました。

ダイエットの効果は

友紀:私の学校で拒食症の子たちは一度はほんとに見るに堪えないくらい細くなってしまって、でも最終的にはやっぱり一回細くなった分リバウンドですごい太っちゃって、結局は自分ではダイエットしてるつもりだったんだとは思うんですけども、意味が無くなってしまって、逆効果になっているっていうことを見ていて思いました。

結:私は、中学二年生の時から夕食の炭水化物を抜く、というダイエットをしたのが始まりでした。でも炭水化物を抜いている間はどんどんやせていくのですが、食べ物を我慢するとストレスになってしまい、逆にやけ食いをしてしまって体重が戻ってしまったりしました。やはりダイエットは食を抜いたり、ストレスをためるものよりも運動などをして発散する方がいいのだと思いました。

カロリー計算して決める?
結:基礎代謝をみんなは意識をしたことはありますか?

咲天:私は友だちとファミレスに行ったりする時にメニューを見て、それぞれこの食べ物は何カロリーって全部書いてあるので、それを見て「あ、これはやめとこうかな」ってそういう意識はあります。

朋子:この間の家庭科の授業で基礎代謝について習い、カロリー計算についても習ったので、それ以来少し気にするようになりました。コンビニに行って特に「一つあたり何カロリーで全部で何個入ってる」っていうのを見ると自分で計算して、これは全部食べると何カロリーだなっていうところまで計算して、買うか買わないかを決めます。

彩霞:一応気にするんですけど、やっぱりお店でメニューを見るとおいしそうで頼んじゃいます。

友紀:友だちが「何カロリーだからこっちにする」とかいう会話をよく聞くんですけど、私はスポーツした後で我慢できないので、食べ物に関してのカロリーは実際低い方を食べようとはあんまり思わないで、ただ口にしているだけです。

結:私もコンビニに行くと、お弁当を買う際にカロリーと脂質のグラム数を必ず見るんですね。脂質がカロリーに対して高いと止めようとか食べようとかいうのを決めたりします。

咲天:私は買う時にあまり見ないんですけど、同じ値段で二つ選択肢があって迷った時にはカロリーを見て決めたりします。

友紀:この前友だちのスケジュール帳見て、カロリー表っていうのが付いていて、各ファストフード店でもマック、ケンタッキーっていう部類に分かれて、この商品は何キロカロリーっていうのが書かれていて、それを見てとてもびっくりしました。その友だちはお昼にご飯食べに行く時に必ずチェックをしてるのを見て、すごいなって思いました。

結:では座談会を終わります。                                    以上

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訪英取材より(6記事)

少年の軽犯罪 ~日英の対応と対策の違い~
2010/11/14                持丸 朋子(15)

日本で近年、少年の犯罪が増えている。警察庁によると昨年は検挙されただけでも 5 万人を超え、中でも万引き犯が 12000 人いるそうだ。理由としては家庭の事情や親に関心を持って欲しい、かまって欲しいなどが あ げられるという。このような身近な問題である万引きなど少年の軽犯罪の対応と対策はどのようになっているのだろうか。今夏、日英記者交流事業で記者として訪れた英国と、日本とで少年犯罪者への対応と予防対策について調べることにした。

ロンドンのYJB(少年司法委員会) 取材

<日本>

まず日本の警察庁へインタビューを行った。

そもそもなぜ軽犯罪をしてしまうのか。たとえば万引きの場合、理由は、お金がなかった、ゲーム感覚でやった、親にかまって欲しい、友達に強制的にさせられたというのが主なものだと生活安全局少年課理事官の佐野裕子氏はいう。

万引きをした少年は、親とのコミュニケーションが取れておらず居場所を求めている場合が少なくないことから、万引きに至った経緯や家庭の状況等について話を聞いてあげることが大切なのだそうだ。また、軽犯罪をする少年の中には、過去に虐待を受けた経験があり、それが万引きといった非行に影響している者もいるという。

「ぴあすぽ」取材

佐野氏はさらに、「警察庁は万引きをした少年がいたら警察に連絡するように店の人に呼び掛けている。警察へ通報された子どもは事情聴取をうけるとともに、親も呼ばれることになり、これをきっかけに、自らの行為をしっかりと振り返ることにつながる。事情聴取だけで終わる場合もあるが、その後、何度も補導されるなどして継続的に支援をする必要が認められ、保護者がこれに同意をした場合などは、警察が設置している少年サポートセンターという施設で立ち直り支援を受けることもがある」という。

警察は全国の道府県に少年サポートセンターを設置しているが、東京都は青少年・治安対策本部青少年課が民間の NPO に委託している。東京都から「ぴあすぽ」という名称で委託を受けている世田谷区にある特定非営利活動法人「日本子どもソーシャルワーク協会」へ取材に行った。

「ぴあすぽ」の寺出草太氏によると、ここには犯罪をした子ども、不登校などの問題がある子ども、そして保護監察中の子どももいるそうだ。

ここにきた子どもはユースワーカーの人と話したり、マンガやゲーム、スポーツをするなどをして居場所づくりができる。このようにして軽犯罪をした子どもを立ち直らせようとしているという。

<イギリス>

では、イギリスの場合はどうなのか。ロンドンにある Youth Justice Board( 少年司法委員会 ) で取材をした。少年司法委員会は、イングランド地方とウェールズ地方で少年犯罪対策を管轄している。

警視の Sian Lockley 氏によると、対策の一つとして、万引きをする子どもが多い昼時に学校近くのスーパーマーケットなどの前に、私服のガードマンと一緒に学校の教師が立ち、見張りをする。また、私服ガードマンが店内を周り、監視をすることもある。このような直接的な対策のほかに、軽犯罪を犯した少年の親の教育もするという。

Lockley 氏によると、イングランドとウェールズ地方の一部の地域では Youth Restorative Disposal( 少年修復処置 ) という更生方法をとっているそうだ。

この「少年修復処置」は、少年法が適用される 刑事責任年齢である 1 0~17 歳の子どもが万引きのような軽犯罪を初めて犯したしたときに適用されるそうだ。ただし、 200 ポンド (29,000 円※ ) 以上の高額商品を万引きした場合は警察に逮捕され、顔写真、指紋、 DNA 、調書などがとられ、保護者が呼び出される。逮捕歴が犯罪記録に残り、少年が将来就職をする際には、雇用主がこの犯罪履歴を見て、採用を見合せることがあるという。

「少年修復処置」がとられると、犯罪者は金銭で罪を償うのではなく、地元の清掃などのボランティア奉仕活動をすることで償う。この方法は、犯罪履歴が残らないため犯罪者の保護者も、被害者も喜んでいるという。

この「少年修復処置」は 2007 年にイングランドとウェールズ地方の 8 地域で試験的に開始されてから、わずか 3 年で 33 地域に増えた。ロンドンのような大都会でも似たような処置がとられているそうだ。

「少年修復処置」の特徴の一つは、少年犯罪者と被害者が同意すれば直接会って話をすることができる。

ベルファスト局取材

少年犯罪者は、まず被害者に直接謝罪をし、なぜ犯罪をしてしまったのかを伝えることができ、一方被害者は被害がどういうことに影響を及ぼしているかなどを話すことができる、同じ地域で 再び会う 機会があるので、再犯の防止につながると L ockley 氏はいう。

また、犯罪者の更生はだれが行っているのかを尋ねたところ「各地域の家族や警察官、ソーシャルワーカー、教育スタッフ、メンタルヘルス担当官などから編成される『少年犯罪対策チーム』が 1 つの建物内で一緒に行っている」ということだった。

これは日本の警察が設置している少年サポートセンターと似ているのかもしれない。

ロンドン局取材

 しかし、万引きをした少年がいたらすぐに警察へ連絡するように呼びかけている日本の警察庁と、犯罪履歴を残さないために 200 ポンド未満の初犯の場合は、警察に逮捕されずに「修復的処置」をとるイギリスの少年司法委員会の方法は違うのではないか。

 日英共通して言えることは、親子の関係が原因であり、それをなおすことが一番の解決策のようだ。親子の関係が、子どもが軽犯罪をする一番の原因であると警察庁も「ぴあすぽ」も強く言っていた。

 日本とイギリスで方法は違うけれど、子どもの一番そばにいて大きな影響を与える大人との関係をよくし、話を聞いてもらえる人がひとりでもいることが大切なのではないだろうか。

(※円換算は 2010 年 11 月 12 日現在の対顧客売値で 1 ポンド= 145 円)

日本と違う? 高校時代の過ごし方
2010/11/14                宮澤 結(17)

ロンドン局取材

2009年、日本では97.9%の学生が高等学校に進み、そのうち53.9%の学生が大学へ進んだ(文部科学省「平成21年度 学校基本調査」より)。大学へ進むために多くの学生が塾や予備校に通っている。一方、イギリスの大学進学率は2000年に60.0%だった(文部科学省「平成18年度 教育指標の国際比較」より)。日本と大学進学率はそれほど変わらないイギリスだが、イギリスの中高生たちは大学進学をするためにどのような準備をしているのだろうか。
その点を知るため、イギリスの3つの局で、それぞれインタビューを行って見えてきたのが、イギリスの中高生の将来に対する職業選択の意識の違いであった。日本とイギリスの大学進学および職業選択の意識の違いについてまとめてみた。

日本では中学校を卒業する15歳までが義務教育で、その後進学するか就職するかを決める。イギリスの場合は16歳で義務教育が終了し、進学を希望する人も就職を希望する人も、卒業するにあたってGCSE(General Certificate of Secondary Education)という統一試験を受けなければならない。その後、就職を希望する生徒は日本でいう高等専門学校に進学し、就職に直結する専門のコースで学び、大学進学を希望する生徒は日本の高等学校にあたる「6th form」という2年間のコースに進む。
  6th form に進んだ学生は、大学に入学するために大学で専攻したい科目の関連分野3科目について専門的に学び、2年後の18歳でA Level(Advanced Level)という統一試験を受ける必要がある。A-LevelではA~Eまで5段階の合格基準があり、通常、大学で専攻したい科目の関連分野がC以上で合格することが、大学入学許可の条件となっている。

今回インタビューを行ったベルファスト局では13人中12人、フォイル局、ロンドン局では共に6人中6人の記者が大学へ行くと言っていた。その理由としては「経験を積むため」という意見や、「学位を取って仕事を得るため」など様々な意見が上がった。

大学進学のためにどうやって準備をするのかを聞いたところ、三つの局で「学校のテストで準備をする」という回答をもらった。日本の塾の写真を見せて説明をすると、どの局でも驚かれた。ベルファスト局のスタッフであるカイアン・マッカー氏(38)は「イギリスでは小学校に入学する前に勉強を始める準備のための幼稚園があるけれど、それは小学校受験のためではない。大学受験のための塾もないと思う」と言う。
どうして大学受験の準備の仕方に違いがあるのだろうか。

これにはイギリスの教育制度が関係していると思われる。イギリスでは公立私立に関係なく、統一試験だけが唯一の大学入学試験であり、試験の合格基準によって行ける大学が決まるのに対し、日本は大学入試センター試験はあるものの、それに加え大学ごとに独自の試験を行うことところがほとんどだ。そのため、日本では志望大学ごとの対策が必要となり、塾や予備校に通って大学受験の準備をする人が多いのだろう。日本では学校の終わった後の放課後や休日を利用して塾などに通う。

大学進学のための準備についてインタビューしていくうちに、イギリスの中高生は大学の先を見越して大学進学をも考えている様子が見えてきた。イギリスにはWork experienceという制度があるが、彼らは職業体験を重視し、この制度を利用している。この制度では自分の希望する職種・分野の仕事で2週間働くことができるのだ。
ロンドン局でインタビューをした大学2年生のジャメリア(20)は「就職するにはCollege(単科大学)かUniversity(総合大学)に行って学位を得ることが有利だと思う。でも、自分が希望する職種に就くには技能を身につけることが必要で、一番大切なのは経験を積むことだ」と言っていた。そのために彼女がしたことがWork experienceだった。「アルバイトは長期的にできるしお金も得られるけれど、Work experienceの方が将来したい仕事により近い仕事ができる。私はこの制度を使って、音楽雑誌の会社で働いた」と彼女は語った。
また、フォイル局ではWork experienceを経験している人はいなかったものの、グレイス(15)は「私の学校では15歳から17歳の間にWork experienceを利用して、新聞社で働ける制度がある」と言っていた。

今回の取材を通して、日本とイギリスの中高生時代の過ごし方に大きな違いを感じた。日本では、大学合格のために、学生生活の多くの時間をただひたすら塾に行って受験勉強に費やすように思われる。したがって、一番の目標が大学合格であれば、大学入学と同時にその目標は失われ、その先を見失いがちになってしまうのではないかと思う。イギリスでは大学受験の勉強は学校で行い、放課後の時間は、「自分は将来何をしたいのか考えること」に時間を費やせる。
イギリスの同年代の学生が大学卒業後の就職を考えて中高時代を過ごしていることが、本来の学生の姿であるように思えた。

自分のやりたいこと、考えている?  日英の比較
2010/11/14                持丸 朋子(15)

日本の成人式の説明をしているところ

日本では 15 歳で義務教育が終了した後の進路は、平成 19 年の文部科学省のデータによると 99.7 %が高等学校へ進学。その後、 51.2 %が大学や短期大学などへ進学する。 その際、 大学ならどこの学校でもどこの学部でもいい、就職もどこでもいいから企業へ入りたいといって、大学で専攻した学部とまったく関係のないところへでも就職するということが多くあると言われる。その傾向は就職氷河期と言われている現在、特に激しいとも聞く。

このようなことは他の国でも同じなのか疑問に思い、この夏の訪英プログラムで訪れたイギリスの子どもたちに、大学進学や就職に対してどうかんがえるのか、聞いてみた。

英国にあるチルドレンズ・エクスプレスの姉妹団体 Headliners の 3 つの局(北アイルランドのベルファースト局、フォイル局、イングランド地方のロンドン局)で、大学へ行きたい、もしくは既に行っている人にその理由について聞いた。すると、日本の現状とは大きく違う答えが返ってきた。すべての局で返ってきた答えは「自分の興味のある分野を専門的に学びたいから」というものだった。

たとえば、ロンドン局で記者を修了して現在は局で働いているジェイミー (20) は「将来メディアにかかわる仕事がしたいから、メディアについて大学で学んでいる」と答えた。フォイル局の記者トーマス (18)は「学位が取れ、就職で有利だから」と答えた。このようにただ大学に入るだけでなく、入ることによっての自分へのメリットをしっかりと考え、大学で学んだことや学位など得たことを就職へ生かそうとしている。

就職を考えるという点では、英国にはユニークな制度がある。 Work Experience (職業体験)という制度だ。これは仕事に就いた時、つまり就職のための準備の一つである。また、実際にその職業に就く前に体験してみることによって、その職業の見えていない部分などもよくわかり、その職業が自分に向いているかどうか、などを見極める機会ともなる。

Work Experience を利用すると、高等学校に在学している間の第 10 学年と第 11 学年にあたる 15 歳から 17 歳の時に約 2 週間、もしくは大学在学中か大学卒業後に、自分の興味のあるところで働けるのだ。 Work Experience を学校のプログラムとして実施するところもあるという。フォイル局の記者グレース (15) によれば「彼女の学校では「新聞社へ行って Work Experience ができる」。 そうだ

 高等学校に在学している間の Work Experience は、大学へ入るときには特に評価されないという。その代わり、就職するときに評価される。高校時代にこの制度を利用する人は、つまり、将来、就職するときの自分のために、高校にいるときから自分の時間を割いて準備をしているのだと言える。

日本の高校生 の多くは 、学校のほかに塾へ行って大学受験の勉強をしてとりあえず大学に入り、大学で専攻していたことと関係が無くても、とりあえず就職をと考える。一方、英国の高校生は とても早い段階から自分の将来を考え、そのために大学では何を専攻するのか、 Work Experience をやるかやらないか、やるならば何をいつやるのかなどを決めている。

イギリスで記者に取材をし、イギリスの子どもは自分の行きたい進路がはっきりしているうえに理由もきちんとあり、進路や就職などの将来に対しての意識が高いことに驚いた。 

日本でも、将来に対しての意識がこれくらいあるといいと思う。そのためには、 英国の学生たちのように、早いうちから自分がやりたいことを考えられるように、職業に関しての情報がもっと子どもたちに届くといいと思うし、職業を体験できる機会もあるといいのではないかと思う。

成人年齢の「日英比較」
2010/11/14                富沢 咲天(15) 

現在、日本の成人年齢は20歳である。成人年齢になると日本では選挙や飲酒、喫煙の権利が与えられる。しかしイギリスの成人年齢は日本より2年早い18歳だ。なぜ日本とイギリスとでは成人年齢が違うのだろうか。その点を疑問に思い、両国の若者たちは、成人年齢は何歳がいいと考えているのか、また、その理由はどんなものなんかなどを知るため、選挙や飲酒、喫煙に焦点をあてて両国の若者にインタビューをした。

まず最初に選挙権についての意見を比較してみよう。
日本の20~30代の若者に実施した街頭インタビューでは、16人中9人が「選挙権は20歳でいい」、残りの7人が「18歳がいいと思う」と答えた。わずかだが20歳支持派が多かった。20歳でいいという女性(29)は「18歳だとまだ政治について分からないことが多いから、選挙権は20歳のほうがいい」という理由だった。

イギリスの若者21人からは「18歳か16歳がいい」という答えが圧倒的に多く、「20歳がよい」という回答はゼロだった。「18歳になると大学に行けるし、軍隊にも参加できるし、16歳から働くことができるので18歳がいい区切りだ」とロンドン局のジャメリア(20)は言う。

早い年齢から政治に興味を持ち積極的に参加したいという意見と、政治について正しい判断ができると思われる20歳まで待った方がいいという意見。イギリスは早い年齢の積極派が多く、日本はどちらの考えも一定の支持があった。

次に飲酒の年齢について聞いてみた。
日本では20歳以上の大学生の3人に意見を聞いた。日本では「大学のコンパなどで、20歳未満の学生も一緒にお酒を飲む機会が多い。この点から、日本も飲酒可能年齢は18歳からがいい」という1人の意見があったが、残りの2人は別に20歳でもよいという意見だった。

日本での飲酒は20歳からなのに対し、イギリスでは18歳から飲むことができる。そのうえリンゴ酒やビールならば、親同伴の条件で16歳から飲むことができるという。それはイギリスでは19世紀末までは生水の衛生状態が悪く、幼児でも水代わりにリンゴ酒を飲んでいたという歴史からきているのかもしれない。イギリスの若者たちは現状の飲酒解禁年齢に不満はないそうだ。

イギリスでは18歳から飲酒できるので、日本の大学でのような問題は起きない。ジャメリアは「パブでお酒を飲むことによって学生同士が仲良くなれるが、自分で飲む量を調節できるかどうかが大切だ」と言った。人にもよるが、年齢が低いほど酒量のコントロールが難しいという欠点もある。リスクをおかしてでも学生にまかせるイギリスと、リスクのことを考えて飲酒年齢を上げておく日本とでは考え方が違うようだ。

最後に喫煙年齢についてだが、日本は20歳、イギリスは18歳からである。イギリスでは喫煙年齢はあまり問題にならないそうだ。「イギリスでは法律で、公共の場で吸ってはいけないと厳しく決められているから、タバコを吸う人は少ないよ」とロンドン局のジェイミー(21)は教えてくれた。実際私たちがイギリスに滞在している間、タバコを吸っている人をほとんど見かけなかった。イギリスではタバコが日本の3~4倍もの値段で売られているということも影響しているのかもしれない。日本でインタビューした大学生3人も皆20歳の現状でよいと答え、不満は感じられなかった。これは喫煙が健康を害するということをみんなが自覚しているから、あえて年齢の引き下げは望まないのではないだろうか。

今回のインタビューでは、日本とイギリスの若者の考えがいくつかの点で違っていることがわかった。個人的には、選挙と飲酒の年齢は社会に出て働いて納税する人も増える18歳から、喫煙年齢だけは健康に関係することなので現状のままで、そして喫煙の場所の法規制がイギリス並みにもっと厳しくなればいいと思った。

印象に残ったのは、イギリスの若者たちは大人になることについてみな「私たちは若くても自分の考えをちゃんと持っているから大丈夫」と自信たっぷりに話してくれたことだ。日本人のインタビューの中でも、もっと成人年齢を下げても「日本の若者はしっかりした意見を持っているから大丈夫」「政治に興味がある若者もたくさんいる」などの心強い意見もあったが、「まだ早い」「できない」「分からない」「責任を負えない」という自信のなさがあらわれた意見もあった。

これらの年齢は、私たちの属する社会が何を重視して考えるかで決まるのではないだろうか。イギリスでは若者を自立した個人として扱うことを重視していて、日本では若者を未熟な人間として保護することを重視していると思う。歴史や文化、国民性や風土が違うイギリスと日本でまったく同じ意見になる必要はない。意見が違っても、相手の考え方を知ることでお互いがもっと深く理解しあえるのではないだろうか。これらのテーマについてイギリスの若者の率直な意見が聞けたことで、彼らをとても身近に感じられるようになったと思う。

大人になるために大切なこと~日英の違いから学ぶ~
2010/11/14                南雲 満友(15)

イギリスの成人年齢は 18 歳で、日本のように行政のホールなどに一堂に会する成人式はないという。

これをはじめとして、イギリスと日本では、成人すなわち「大人になること」に対する意識には差があることがわかった。 飲酒、喫煙、選挙権について、イギリスの記者たちにインタビューし、 意見交換を通して見えてきた「大人になること」の意味について、まとめてみた。

 日本では 20 歳を成人年齢とし、 20 歳の誕生日になると、何もしなくても「はい、どうぞ」と飲酒も喫煙も法律で許され、選挙権も同時に与えられる。一方、イギリスでは事情が異なる。イギリスでは、かつて 21 歳が成人年齢と決められ、飲酒、喫煙、選挙権が与えられるのは 21 歳からだった。しかし成人年齢の引き下げを求める学生運動により、 1969 年から法律上の成人年齢が 18 歳になったのだ。ただ、成人年齢を 21 歳とみなす慣習はまだ強く、 18 歳、 21 歳どちらを成人とするかは、各家庭で決められることが多い。これは、自分の子供の成人年齢は、慣習的に親自身の考える「成人」という定義に任されているからだ。したがって、 21 歳を成人とみなす家庭の子供も、 18 歳になっていれば法律上は飲酒、喫煙が許され、選挙権を持てるというのが現状だ。

 飲酒についてイギリスの記者たちに聞いてみると、、ほとんどの記者が「お酒を今までに飲んだことがある」と答え、「場所は家やバーなどで」だったという。飲酒年齢について聞いた時、ロンドン局のボランティアスタッフ( 21 )は、「自己管理できるなら 18 歳は適切な年齢だと思う」と答えた。また「 18 歳未満の記者にバーでお酒を飲んだ時に、年齢を聞かれたか」を聞いたところ、「全く聞かれなかった」とフォイル局の女性記者( 18 )は答えた。

 飲酒について、イギリスではユニークな条件もある。イギリスの飲酒解禁年齢は 18 歳であるが、 16 歳以上であれば、大人同伴ならバーやパブでリンゴ酒やビールを飲むことは、合法とされているのだ。イギリスの義務教育終了年齢が 16 歳であること、そして大学入学年齢が 18 歳であることを考えると、この条件は合理的だと言える。

 喫煙については、イギリスの記者たちに、日本で未成年者の喫煙防止のために導入された「 taspo 」についてどう思うかと聞いた。フォイル局の女性記者( 18 )は「本当にたばこを買いたい人は、知人に頼めるから意味がないと思う」と答え、ロンドン局のボランティアスタッフ( 21 )は「イギリスにも ID カードはあるけど写真がないから使い回しできる。日本の taspo は写真入りだからそれができない。イギリスもそうしたシステムを導入すべきだと思う」と語り、賛成、反対それぞれの意見が聞けた。

イギリスで驚いたことは、たばこの自動販売機がないことだった。「どうしてイギリスには自動販売機がないと思うか」と質問したところ、フォイル局の女性記者( 15 )は「自動販売機でならば、どこでもいつでも買えるから、未成年が買ってしまうので、イギリスにはないと思う」と語った。また、ロンドン局のボランティアスタッフ( 21 )は「法律で公共の場所での喫煙は禁止されているから、(買っても吸えないため)イギリスにはないと思う」と答えた。

 選挙権については、「あなたは選挙に行きましたか」と聞いたところ、ロンドン局のボランティアスタッフ( 21 )は「自分の税金がどう使われているのか気になるから、選挙に行った」と答えた。またベルファスト局の記者たち 12 歳~ 17 歳に聞くと全員が「 18 歳になったら行く」と言った。調べてみると、 イギリス 2010 年総選挙の投票率は 65 %、日本 2009 年衆議院議員総選挙は 69.6 %と日本の方が高かった。しかし、年齢層別の統計では、 30 歳以下年齢層投票率は日本では 33 %、イギリスでは 52 %だった(ダイヤモンド社ビジネス情報サイトによる)。若者の選挙に対する関心は、イギリスの方が日本よりはるかに高いことがわかった。

今回の取材を通じ、飲酒・喫煙・選挙権について、両国の制度や、若者の意識の違いを知ることができた。

喫煙については、イギリスは、国が制定した法律により、年齢にかかわらず公共の場での喫煙を禁止し、根本的な部分で規制をかけているのに対し、日本は、公共の場での禁煙は法制化せず、末端の自動販売機にだけ未成年に対して規制をかけている。実際に未成年者の禁煙を進めるのであれば、日本の今のやり方でいいのだろうか。

また選挙に関して、私は、自分が働いて収めた税金の使い方を決める人を選ぶ権利が、働いている人にはあると思った。日本では 20 歳以上でも働かずに親の仕送りなどで暮らしている人がたくさんいる。それに対し、中学校を卒業してすぐ、就職して働いている人も少なくないが、この人たちは選挙権がない。最近、選挙権の年齢の引き下げがとりただされているが、 18 歳に一律引き下げではなく、働いている人には選挙権が与えられ、働いていない人には選挙権が必要か考えてみることも大切かもしれないと考えるようになった。

日本でも参政権運動などを経て、今は 20 歳(成人年齢)になると考える間もなく、男女とも選挙権が与えられる。権利には責任が伴うが、新成人の大半は選挙にもいかず、その責任を果たしているとは言えない。しかし飲酒、喫煙だけは享受しているようにも見える。一方イギリスの若者は 18 歳で選挙権が得られる以前から、投票や政治に興味を持ち、与えられる権利に伴う責任についても考えていると感じた。

「大人になること」つまり成人年齢に達するということは、自分の行動や言動に責任を持ち、与えられた権利に対して義務や責任を果たしていくことなのではないだろうか。その点で、イギリスの若者は「大人になること」についてよく考えていると言えると思えるが、日本の若者はもう一度よく考え、行動していく必要があるのではないだろうか。

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スポーツ

女子サッカーを知っている?


2010/11/05               堀 友紀(17)

 目標まであと 66 校。 全国高体連によると、高校女子サッカーチームの登録数は 330 校。男子は 3964 校で、男子の 10 分の1の登録数になることが女子サッカーの目標だという。

 今年の春の大会で高校女子サッカーのルール改正があり、だんだん男子サッカーに近付いてきたが、メジャースポーツでない女子サッカーは今後何を目指していくのかということに興味を待った。そこで財団法人日本サッカー協会中村修三・女子部部長と、全国高体連サッカー部女子部の役員である床爪克至・文京学院女子高等学校サッカー部監督に取材をした。

全国高体連の 床爪克至氏

 「なでしこジャパン」の愛称で一気に知名度を上げた女子サッカー日本代表は北京五輪で 4 位に入賞し、国際サッカー連盟( FIFA )ランキングは現在5位で、来年ドイツで行われる世界大会(ワールドカップ)では優勝を目指している。しかし、「女子のオリンピック競技で、日本が金メダルを取れる可能性がある競技」といわれている女子サッカーについてはあまり世間で知られていないのが現状だ。

 日本サッカー協会によると 2010 年 3 月現在の女子サッカー競技人口は、小学校が 14,705 人、中学生が 6,585 人、高校生が 8,367 人、一般が 7,005 人となっている。この数字からも見て取れるように、小学生から中学生になるとともに競技人口が半分も減っている。中村氏も、床爪氏も、「小学校時代は男子と女子が地元のクラブで一緒に競技しているのが、中学校に女子サッカー部がほとんどないために、サッカーをやめてしまう選手が多い」とその理由を挙げている。

 高体連では「中学校にサッカー部を!」をスローガンにあげている。床爪氏は「試合には高校から審判を出したり、試合会場の提供などを行っている。中学での部活の体制が整えば、中学に上がるときにサッカーをやめてしまう人も減少し、女子サッカー人口増加に大きく貢献する。女子サッカーの発展は「中学校の部活が鍵を握っている」と言う。

 女子サッカー人口の少ないもう一つの理由はハードの整備の問題だ。「サッカーコートはとても場所をとるため確保が難しいので、フットサルコートを使うことなどの策がとられている」と日本サッカー協会の中村氏は言う。

財団法人日本サッカー協会中村修三・女子部部長

 また、床爪氏によると、どの中学も1校だけでは練習に必要な人数が集まらないことや、指導者不足などの悩みがあるため、いくつかの学校のメンバーが集まって一つのチームを編成している。都内で拠点校となったのは区立第四砂町中学校で、9校から集まった 30 人の生徒で週2回の練習を行っているそうだ。このような学校が徐々に増え続けていくことで女子サッカー部のある中学校が増えていくのではないか。

 女子サッカーを広める動きとして、床爪氏によると、高校女子の公式戦を都内の「味の素スタジアム」など大きな会場で開催し、女子サッカーというものを多くの人に知ってもらう方法を高体連ではとっているそうだ。だが、このスタジアムの使用料はサブグランドのアミノバイタルフィールドで、1日 25 万円。女子高校生の1日の試合にかける金額としてはかなり高額だ。選手たちにとっては、すごく立派な会場でできるという喜びはあっても、このように多額な費用をかけて、こんなにも大きな期待と希望をこめて借りた試合会場だとは知るよしもない。

  女子サッカーをもっと知ってもらい、広めていきたいという熱意をもった監督たちが選手たちの知らないところで動いているのだ。女子サッカーが正式に認められなかった時代には監督たちが自ら費用をだしてやりくりしていたという。

床爪氏によると、高体連サッカー部 ( 女子 ) は平成 24 年からインターハイ競技になる。実現までに 13 年かかったそうだ。高校野球でいえば「甲子園大会」のように、インターハイに出場することで学校の名誉となり、その学校が知られるようになって、サッカーをしたいと思う人が集まり、サッカー人口が増えていくのだと床爪氏は言う。「強化は十分できている」と胸を張って言った。   「サッカーは、全世界で共通するコミュニケーションを取ることのできる、人と人とをつなげる遊び道具だ。それだけすごいスポーツなのだから、高校から始めた女子生徒は、周りの選手との実力差を気にするのではなく、とにかくサッカーの楽しさを知ってほしい」と床爪氏。そして「今、サッカーをしている女子選手には絶対にやめてほしくない」と中村氏。両氏とも女子サッカーの発展を強く願っている。

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