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AO入試は何のためにあるの?

2010/07/08               宮澤 結( 16 )

 みなさんは大学入試の方法のひとつである AO 入試というものを知っているだろうか。

 AO 入試とは、学力試験の結果だけで合否を決めるのではなく志望理由書を書かせ面接を行うことで受験者の能力と個性を評価する、新しい選抜形式である。 1990 年に日本で初めて慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス( SFC )が導入し、その後多くの大学が取り入れるようになった。

 AO 入試には募集人数の総定員に対する割合や募集時期などに関し法的な規制はなく、選抜方法も学校ごとに自由に設定することができる。したがってその大学に合った学生をとることができるのだが、募集時期を早くすることで大学が学生数を確保する青田買いの手段としているという問題も指摘されている。一言で「 AO 入試」といっても、その方法は大学によって様々なのだ。

 今回は AO 入試を行う多くの大学の中で、独自の方法で AO 入試を確立した国立大学法人東北大学の高等教育開発推進センター准教授である倉元直樹先生と、私立慶應義塾大学の阿川尚之慶應義塾常任理事(前慶應義塾大学総合政策学部長)にお話を伺った。

 「東北大学では、『学力重視の AO 入試』を行っている」と倉元先生は言う。東北大学では、面接を行う前に書類の出願とともに学力テストを行ったり、学部によっては一般受験の人とともにセンター試験を受けて、その結果を添えて出願するそうだ。「事前にテストを行うことで沢山の学生を面接する教員の手間を省くことができるし、学力が高いうえに目的意識の高い学生が入ってくるのです」と倉元先生は語った。

 一方、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス( SFC )では、「テストの点だけでなくその人自身を見ること」に重点を置いている。阿川先生は、「本当は3日間ほどかけて受験者を見たいですね」と語る。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス( SFC )が導入した AO 入試で重視していることをたずねると、個人的な意見としたうえで二つ挙げてくれた。

 一つ目は出願書類だ。「高校生のうちに、将来何になりたいか、なぜこの大学に入りたいのかという問いは一度は考えてもいいこと。応募書類を書くことはそのきっかけにもなるし、同時にその大学についても考えるきっかけになる」と言われた。

 二つ目は面接。実際に会うことでその人の知的好奇心や熱意が分かるそうだ。

 お話を伺った2校は国立大学法人と私立大学であるし AO 入試の方法も異なるのだが、共通していたことは AO 入試を行うことによってやる気のある生徒が入ってくることである。 AO 入試は一般入試に先駆けて行われるために、その大学を第一志望とする人たちが受験する。

 阿川先生は言う。「自分の通っている大学が好きだというのはとてもいいこと。 AO 入試で入学してくる学生には大学に対する関心があるから、意欲が高い。また、そのような学生が他の学生のやる気をうながしている」。

倉元准教授に取材するCE記者

 倉元先生は AO 入試の問題点について「最近の AO 入試は受験生の力を底上げするような入試設計がされていない。したがって学生はテクニックばかりを磨いていて、本当の力をつけずに大学入試が最終ゴールになっている。 AO 入試とは何かという考えを、皆で変えていかなくてはならない」と語った。

 東北大学も慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス( SFC )も、 AO 入試で合格して入る学生が一般入試で入る学生を刺激して影響を与えているのは、 AO 入試を実施する目的が明確であるからともいえるだろう。

 「 AO 入試の本来の目的は何なのだろうか」。学力試験だけで合否を決めない選抜形式であるからこそ、多くの大学で導入されるようになった今、大学も受験生もこの問題をもう一度考えるべきなのではないだろうか。

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AO入試で求める学生像をつくる

富沢 咲天(14)

 学力テストだけでなく面接や志望理由をふくめ合否を判断する AO 入試が 1990 年に日本に導入され、今では多くの大学の受験生たちにはその制度がかなり知られてきている。だが、受験生以外には、「大学によっていろいろな入試方式があるらしい」という程度の知識しかないのではなかろうか。そこで今回、 AO 入試についてもっと深く知るために、詳しい方たちにインタビューを申し込んだ。 

東北大学の倉元准教授に取材

 まず最初にお話を伺ったのは東北大学の倉元准教授。東北大学の AO 入試は、センター試験や独自の学力テストなどを最初に行い、それを通過した人に面接を行うという。学力試験を行うのは、膨大な受験者の人数を試験で減らして時間と手間を省くためだそうだ。学力試験を行う理由はそれだけでない。学力試験を経た学生は、一般入試で入った学生との学力差があまり出ず、大学が学力の劣る学生の勉強をフォローする必要がない ことだ という。

 このように、東北大学はまず学力があった上でこの大学に入りたいと強く思っている人、さまざまな能力を持っている人を求めている。「AO入試だと簡単に大学に入れるから受けよう、とは決して思ってほしくない」と倉元先生は語った。

 次にお話を伺ったのは阿川尚之慶應義塾 常任 理事(前慶應義塾大学総合政策学 部 部長)。 SFC (湘南藤沢キャンパス) の AO 入試 では 主に 書類審査と面接で合否を判定している。 阿川先生によると、 面接では強い意志、意欲のある人、なにか光るものを持っている人、などを積極的にとっている という 。このように向上心あふれる生徒たちは大学に入ってからも活躍し、周囲の学生たちにも好影響をもたらすそうだ。 阿川先生は「 いろいろな制約もあり、 慶應義塾大学 SFC の AO 入試は世界一だとは思わないが、 熱意のある 良い学生を取っていきたい」と熱く語った。

 倉元先生も阿川先生もともに、 AO 入試は大学にとって良い効果があり、導入してよかったと語る。だが、満足はしていない。課題はたくさんある。

 たとえば、 AO 入試は時間も人手もかかる。一般入試とは別に AO 入試用の独自のテストを作らなければならない。また大勢の受験生たちを面接するため、先生たちは多くの時間を費やさなければならない。大学側にとって、これはとても負担だ。

 面接も十分納得できる時間をとっているとはいえない。短時間の面接で、受験生の素質が本当に全部分かるのか、という疑問も残る。「本当は 20 時間 3 日間 くらい面接したいくらい。でも時間は限られている」と阿川先生は言った。

 倉元先生は「最近の高校では大学に入るため、試験に合格するためだけの勉強しか行っていない傾向がある。本来学校というものはそのようなことを教える場所ではない。大学に入ることだけが人生の目的のようになっているが、それは違う。本当のゴールというものは大学を出てからあるものなのだ」と語る。そして「 AO 入試を理想の入試に近づけたい」という。

 阿川先生のお話で、大学の卒業生に望む「 Decent 」という言葉が印象に残った。人として正しく生きるというような意味だという。勉強ができる、仕事ができる、経済的に豊かになるなどの成功だけではなく、人としてどう生きるべきかは、自分の頭でよく考えなければいけない。

 そもそも AO 入試というものが日本で導入されたのは、時代の流れで社会が求める人材像が変わり、それに対応するためといわれている。以前は 経済的に 安定した 経済の 社会で あったため 、みんなほどほどの同じような能力が求められた。しかし先行きの見えない不安定なこれからの社会では 、 与えられた課題ができるだけでは十分ではなく、「課題を自分で見つける力」、「自分の頭で考え解決する力」が必要だ。どんなに勉強ができても、なにか深刻な問題が起こった時に、問題に対処するために自分の頭で考える力がないと困る。これからの学校 で は単に知識を詰め込むだけでなく、自分で考える力を身に付けなくてはいけないだろう。そのためにも、学生に自分で考える力をつけさせ、行動力や意欲を引き出すのに AO 入試が活用されるべきだと言えよう。

 今回の取材ではたくさんある AO 入試の中で、二つの大学の AO 入試の現状を知ることができた。これらの大学の AO 入試の意義、問題点は他の大学の AO 入試とも共通しているのではないだろうか。

 取材前、「大学は、将来なりたい職業につくために行っておくべきところ」、「 AO 入試は早く合格が出ていいな」くらいにしか思っていなかった自分の甘さを反省した。大学は、学力も必要だが自ら考える力を持つ学生を求めていて、そういう力を持った学生は社会に出ても通用するということがわかったからだ。

 日々なんとなく過ごしている私には、意欲も意志も考える力も全然足りない。今回お伺いした先生方の言葉を心にとめて、もっと自分の頭でとことん考え、弱い意志を鍛えていこうと思う。

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受験者の熱い思いが評価されるAO入試

寺浦 優(15)

 大学に入学するための一つの手段、それが AO 入試である。

 AO 入試では、学力テストを行う学校は少なく、高校 3 年間の取り組みなどが評価される。では、 AO 入試とはいったいどんな入試なのだろうか。

 今回、慶應義塾理事(前総合政策学部長)の阿川尚之先生 (59) にお話をうかがった。

 AO 入試(アドミッション・オフィス入試)は、 1990 年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス( SFC )の総合政策学部と環境情報学部が設立されたときに、日本で初めて導入された。筆記による学力試験の結果による一面的な能力評価ではなく、書類選考と面接試験によって多面的、総合的に評価する入試形式だ。

 SFC では近年志望者がおおむね増える傾向を示しているという。また、 SFC が実施した 2005 年の調査によると、入学後の成績、活動、学術・芸術・社会活動・文化活動において優れた成績を挙げた学生を大学内で顕彰する「塾長賞」や「塾長奨励賞」などの受賞実績において、 AO 入試で入学した学生は一般入試で入った学生より良い結果を出しているそうだ。

 阿川尚之先生は、「個人差はあるが、 SFC を志望するにあたり、 SFC について調べ、訪れ、大学で何をしたいか考え、文章にする。その過程で SFC が好きになる人が毎年相当数存在する」と言う。さらに、 AO 入試で入学した学生の多くは、入学後も積極的で、その意欲がキャンパスを満たし、一般入試の学生に刺激を与えるという。

 阿川先生は個人的に「 AO 入試では、面接を大事にしている」と言っていた。その理由はいったい何なのか。

 それは、近年 AO 入試対策の塾などで、大学に受けがいい志望理由の書き方などを教わる人が出てきたからだ。その文章を本当に受験生本人が自分で書き、思いを素直に伝えているかどうかどうかが必ずしもはっきりしない。大学としては本人に直接質問することで、本人が自分の力で考える力を有しているかを見抜き、欲しい人材を選抜する。だから面接が重要なのだ。

 しかし、面接の時間は限られている。それに、まず大学入試で緊張しない人などいないだろう。そんな、緊張と限られた時間の中で、面接官の質問に完璧に答えられる人などは数少ない。その点について聞くと、阿川先生は「大学は、ただ勉強をする場所ではない。考える力を身につけるところ。すぐに答えられなくても、考える姿勢と意欲が大切」と言う。

 AO 入試は、この大学にどうしても入りたいという熱い思いがある人にとっては、嬉しい入試方法だ。大学に行くのなら、好きな大学に行って好きな勉強や研究をしたほうがいい。そのほうがやる気も出るし、考える姿勢も強化できる。結果的に大学生活がエンジョイできるとも言えよう。

 ただ残念なことに、今世間では AO 入試を廃止したほうがいいなどと AO 入試を批判する人もいる。確かにテレビや新聞で、大学の新入生の学力低下が指摘されている。しかし、考える姿勢や意欲は、ペーパーの学力テストだけでは計れない。 AO 入試だからこそ見てもらえるのだと思う。受験者の熱い思いや、意欲も評価してもらえる AO 入試のメリットは、大きいのではないだろうか。

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自分を表現する力が大切~阿川尚之慶應義塾常任理事に聞く~

飯沼茉莉子(13)

 AO 入試に興味のある人なら、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス( SFC )を知っていると思う。慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスの2学部(総合政策学部、環境情報学部)は 1990 年の開設と同時に、日本で最初に AO 入試制度を導入したことで知られている。今回私たちは自分たちにも読者にも役に立つ情報を得たいと思い、 AO 入試の面接を担当されたこともあり、また総合政策学部の前学部長でもあった慶應義塾常任理事の阿川尚之先生( 59 )に取材をした。

慶應義塾常任理事の阿川尚之先生
慶應義塾常任理事の阿川尚之先生

 SFC の 2 学部の AO 入試について、個人的に気をつけていることは「第一次試験の書類審査で、活動報告書など提出書類を正直に自分の力で書いているか」であり、「第二次試験の面接では、短時間に、自分がどれだけこの大学に興味を持ち、入りたいという意欲があるかをアピールできるか」だと阿川先生は言う。

 つまり、親や塾の先生の手を借りずに文章が書けないといけない。先生は、高校生に完璧な文章を期待してはいないと言う。親や塾の先生が手を入れた文章が第一次審査を通ったとしても、面接では落ちるだろう。面接者は面接の時に、書類に書いてあることを本人が自分で考えて書いたものかを見抜くために相当ひねった質問をしてくる。受験生はそういう意地悪とも思えるような質問にも答えられなければならない。自分で考えて書いていない受験生は質問に答えられず黙ってしまうという。

 面接の時は誰でも緊張するだろう。質問をされても、緊張のあまりすぐに答えがでないかもしれない。しかし、そこで、すぐに答えは出ないけれど一生懸命考えているところを先生たちはしっかりみている。静かな受験生の場合は特に丁寧にみるという。また、この大学に入りたい気持ち、大学に入って何をしたいのか、情熱をアピールすることが大切だという。それには、自分がどういう人間かを面接者にわかってもらうために、自分の言葉で表現できないといけない。

 阿川先生のお話から、合格している子に共通していることは、どれだけ真剣に物事を考えているかであるということがわかる。書類にどれだけ立派なことを書いても、面接で見抜かれてしまうのだ。

 阿川先生は、 AO 入試は多くの受験生の書類を読み、面接を一日中行うのでとても大変だが、自分が会ったことのない個性の強い受験生に会えるのがとても楽しいと言っていた。逆に、もっともらしいことを言うだけの学生には、阿川先生はあまり魅力を感じないと言う。

 今、世間では AO 入試での入学者の学力低下が問題視されているが、阿川先生は、「 SFC は AO 入試をやって良かった」と言う。『日本の論点 2009 』(文芸春秋・編)にも書いているが、「 AO を通じて素晴らしい学生をとることができる」、「生身の若者に接し、その力と意欲を全身で感じ取って合格者を決められる」ので、 SFC では AO 入試を中止したり縮小をするつもりは全くないと言う。これからも SFC の AO 入試は続くだろう。

 AO 入試は、学力試験の点数だけではわからない、受験生の人間性と能力をみることができるところが優れているところだという先生の考えに、私も共感する。成績はずば抜けて良くなくても、自分の人間性や活動内容を評価してくれるところがとても魅力的だと思う。

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タイの若者たちから見た日本


2010/04/04         建部 祥世 ( 18 )

 タマサート大学はタイでも屈指の難関大学。日本語学科はタイに数多くある日本語学科の中で最も歴史が古く、特に人気の学科だという。

 2010 年 1 月 15 日、タマサート大学教養学部日本語学科で日本語を勉強している学生たちにインタビューをするため、バンコクのとなり、バトュムタニ県にあるランシットキャンパスを訪れた。

 ランシットキャンパスはバンコクの中心地であるサイアムから電車と車を乗り継いで約 1 時間半のところにある。キャンパス内はバスや自転車で移動しなければならないほど広く、飲食店やスポーツ施設、美容院などもあってひとつの街のようだ。

 今回インタビューに答えてくれたのは日本語学科 2 年生( 19 歳~ 23 歳)の 5 人。短期や長期で日本に留学したことのある人もいて、 5 人とも日本語がとても流暢だった。

 日本語を学ぶ外国人の友人に日本語を勉強し始めたきっかけを聞くと、ほとんどの場合「マンガとアニメ」という答えが返ってくる。今回のタイの学生たちにも同じ質問をするとマンガ、アニメ、ドラマなど日本のサブカルチャーがきっかけになっていると答えた。今やアニメやマンガは日本を代表するサブカルチャーで、世界のみならず日本の若者までもが‘日本 = アニメ・マンガ’というイメージを持っているのではないか。それほど日本のサブカルチャーが世界に浸透し、人気を博しているということは誇らしいことであるが、日本には他にも素晴らしい文化がたくさんあるということも世界の人たちにもっと知ってもらいたい。しかしきっかけは何であれ、日本に興味を持ち、日本語を勉強し始めるようになったということが、日本人にとってはとても嬉しいことである。

 日本に対する最初のイメージはやはり‘日本 = アニメ・マンガ’だったと言う 5 人だが、日本語を勉強するようになってからは少し変わったイメージを持つようになったという。それは「いじめ、自殺、痴漢」などといった日本の裏の面である。タイにも電車があり、通勤通学の時間帯は日本のように混雑する区間もあるが、「タイに痴漢はいない」とタイに長年住んでいた日本人( 18 歳)から聞いたことがある。

 また自殺について大学生の一人のワニッチャヤー・エヤムクナコンさん( 21 歳)は「タイ人はあまり自殺しない。日本人は真面目な人が多いし、人に自分のことをあまり話そうとしないから、ストレスがたまって自殺してしまうのではないか。」と言っていた。ワニッチャヤーさんは高校生の時、 1 年間日本に留学したことがあり、その経験を通して日本人の性格や考え方について知ったという。

 日本人とは反対に「タイ人は思ったことはきちんと相手に言う。それにあまり気にしない性格だから―」と言っていたが、確かにタイ人は明るく陽気で、「マイペンライ」という「大丈夫」「気にしない」といった意味の言葉をよく使っている。しかし日本人としては「本当に大丈夫?」と心配になってしまう経験も多々ある。

 「いじめ、自殺、痴漢」といった情報も含め、日本に関する情報は主にインターネットから得るという。その他にもゲームやアニメ、芸能人などを通して日本の今を知り、伝統文化や社会については授業で勉強する。授業は日本人の先生が日本語で行っているという。内容は読解、文法、作文、漢字など日本人が英語を勉強するのと同じ方法で日本語を勉強している。一番大変なのは漢字と敬語の勉強だそうだ。

 日本語を勉強して将来は「日本語で本を書きたい」、「翻訳家になりたい」、「タイの文化を日本に伝え、日本の文化をタイに伝える NGO を作りたい」など、 5 人ともそれぞれ自分の具体的な夢を持っていた。

 2 年前に初めてタイを訪れた時、日本や韓国の音楽やファッションが若者の間で絶大な人気を誇っている中でも、若者たちが皆きちんと目上の人や仏壇に向かって「ワイ」で挨拶しているのを見て、タイの人たちは異文化を楽しみながらも、自国の文化を大切にしていて素晴らしいと感動したことについて話してみると、「ワイは小さい頃から身に染み付いている挨拶で、特に大切にしているわけではない。最近では「ワイ」をしない若者も増えてきている―」と言う。「ワイ」は日本で言う「お辞儀」のようなものだろう。「日本の茶道のように、みんなその言葉を聞けばそれが何か分かるけど詳しくは分からない。それと同じようにタイの若者も自国の文化を詳しくは知らない。タイの若者も日本の若者も一緒―」だと言った。  どこの国でもその国の文化が次の世代に受け継がれにくくなっているのは避けられない現実なのだろう。時代が変わるとともに、その時代に合う文化に変わっていってしまうのかもしれない。時代の文化を受け継ぐのも変えるのも若者たちなのだ。

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新しい教育~和田中学校「よのなか科」に参加して~

新しい教育~和田中学校「よのなか科」に参加して~
2010/1/24

原 衣織(18)

 「学校での勉強は、社会に出てからの役には立たない。」誰でも一度は耳にするこの「定説」が、いま崩れつつあるようだ。

 近年日本では、現代社会で生きていく上で必要な能力を育てる様々な「新しい教育」が導入されている。職業について学び、自分の将来を考える「キャリア教育」、ネットの基礎知識を学ぶ「情報リテラシー教育」などがそうである。

 私たちチルドレンズ・エクスプレスは、社会に通用する力を身につけることをテーマとした授業「よのなか科NEXT」が行われている杉並区立和田中学校を訪れ、「よのなか科 NEXT 」の授業に実際に参加するとともに、 代田昭久 校長ら にインタビューを行った。

 今回は、高校受験間近の三年生を対象として、「感じのいい自分をつくる」をテーマに入試の面接対策の授業が行われた。授業は、これまで1万人以上の面接をしてきたというウィルパワーサポート代表取締役の鈴木聡氏が担当した。

 三年生 160 名が集まった体育館の中で、入試でよく聞かれる質問を予想するクイズや、自分のアピールポイントを文章化して発表するワークシート、見えないボールをアイコンタクトでパスする訓練など、 90 分という時間を目一杯使った多彩なプログラムがテンポよく進められる。

 また、生徒たちは受け身でプログラムをこなすだけでなく、随所で校長先生からマイクが向けられ、学年全員の前で意見を言うことが求められる。「最初は中学生を対象として授業を行うことに不安があったが、和田中学校の生徒たちは、よのなか科の授業を普段から受けているせいか慣れていると感じた。」と鈴木氏が話すように、生徒たちは全体の前で話す時にも堂々としている。

 生徒に尋ねてみると、「未だにみんなの前で話すのは緊張するが、自分の意見が皆に聞いてもらえるし、いろんな人の意見も聞ける」と言う。「この授業を受けてきたことで、自分の意見を伝えることができるようになった。ニュースを聞くときの考え方も変わった」と話す生徒もいた。とはいえ、三年生にとってこの時期気になるのはやはり高校受験。受験勉強を優先したい気持ちはないのか尋ねると、「勉強したい気持ちはあるが、この授業は受験を乗り越えたあと、社会に出てからも役に立つものだと思う」という答えだった。

 「よのなか科」の授業が和田中学校で始まったのは7年前だ。都内の公立中学校で初の民間人校長である藤原和博元校長が始めたものを、代田昭久校長が昨年の4月から「よのなか科NEXT」として新たに始めたのだという。「書道と表現」「オリンピック」などユニークなものから「人工妊娠中絶の是非」「赤ちゃんポスト」などのシビアな問題まで幅広く扱うこの授業では、ワークシートなどの教材は全て校長の手作り、ゲストティーチャーの手配も校長が一人で行うという。負担も大きいが、それでも「社会に自立し、貢献する力をつけてほしいし、そのために社会とのつながりを教えていきたい」という思いから行っているそうだ。

 そして、「よのなか科 NEXT 」に代表される和田中学校の特別授業に欠かせないのが、多くの学生ボランティアや地域の方々の存在だ。今回の授業にも、大学院生などの 10 名近い学生ボランティアや保護者が参加していた。

 よのなか科 NEXT の授業について「普通の授業では取り扱いにくい微妙なテーマに取り組んでいるのがとても良い。答えのない授業でおもしろい。」と語る学生ボランティアの新堀亮輔さん( 23 )はキャリア教育に関心があり、昨年の 11 月から、よのなか科 NEXT の授業や「ドテラ(学生ボランティアが生徒に勉強を教える活動。土曜日寺子屋)」のサポートを行っているという。

 「たくさんの大人が参加することで、授業のクオリティーを高めることができる。」そう校長が話すように、和田中学校は授業の見学や参加、サポートなどを通して積極的に外部の人々を受け入れている。生徒たちに大人と関わる機会を作る一方、教育に興味のある大人たちに対しても、実際の現場を見て体験できる場を提供しているのだ。

 学校では教科学習のみを行い、社会的スキルは学校外の生活で学ぶという構図が成り立たなくなったと言われる今、学校には新たな役割が求められている。しかし教師だけでそれを教えるのは現実的に困難である。そこで、毎回外部から様々な分野の大人を講師として招くという和田中学校の取り組みは、他の公立学校にとっても参考になるのではないだろうか。多くの人脈を持つ民間人校長ではないと難しいようにも思えるゲストティーチャーの手配も、地域の大人やその知り合いがゲストティーチャーの役割を担えば解決できる。

 多くの社会経験を持つ大人と、柔軟な感受性を持つ子ども。それぞれが互いに学びあえるような「社会に開かれた学校」の実現を、子どもの一人として期待したい。

取材記者:原衣織( 18 )、建部祥世( 18 )、中元崇史( 18 )、宮沢結( 16 )

取材に参加した記者の感想

 宮沢 結( 16 )

「よのなか科 NEXT 」の授業に参加をし、授業を通して感じたことは、多くの人がこの授業に関わっているということです。生徒と先生はもちろんのこと、ゲスト講師や地域本部のボランティアの方々、見学者や私たちのような取材者。

参加する人が多いから、より踏み込んだ内容の話ができるし、多くの大人の目を配ることで授業の精度も高まるのではないかと思います。

今回授業の中で印象的だったことは、問題を投げかけて、生徒さんに自分の考えを発表させる機会が多かったことです。私自身、中学時代の授業を思い返してみても、自分の意見を発表する機会はほとんどありませんでした。

今回取材した生徒さんは意見を発表することに対して「緊張するけどだんだん言えるようになった」と答えていました。やはり長い期間「よのなか科 NEXT 」を受けてきているだけあり、きちんと発表している姿が印象的でした。これは社会に出た後も大きな糧になると思います。

多くの大人と生徒さんでつくられる「よのなか科 NEXT 」の授業。学校の枠を超えて学校外の結びつきによって行われていることが「よのなか科 NEXT 」魅力だと感じました。

原 衣織( 18 

  この取材で最も印象的だったのは、「この取り組みは、民間校長だからできるというわけではない。やる気がないとできない」という代田校長のお話でした。

それまで私は、この「よのなか科 NEXT 」の授業は校長が元民間人であるからこそできることであり、普通の公立学校では取り入れにくいと考えていたからです。

しかし今回の取材を通して、二年も前からあらゆる知人に連絡を取ってゲストティーチャーを引き受けてくれる人を探したり、授業の前は二日間ほぼ徹夜でワークシートを作ったりといった様々な苦労があるということを知りました。

確かにコネクションや企画力も重要ですが、それよりも大事なものは、「生徒に社会に通用する力を身につけさせたい」という強い思いなのだと感じました

中元崇史( 18 

初の民間人校長が誕生した公立中学校としてメディアでも注目を集めた杉並区立和田中学校。そんな和田中学校で行われている「よのなか科NEXT」の授業に実際に参加させていただいた。

メディアがよく取材に訪れるということもあり、授業は緊迫した雰囲気で行われ、生徒たちも委縮して授業を受けるのではないかと考えていた。しかし、そんな不安は一気に吹っ飛んだ。この和田中学校の生徒、実に良い意味でのびのびと授業を受けている。マイクを急に向けられても、臆さず堂々と喋ることができる。授業の最後にはアトランダムに生徒が二人選ばれ、模擬面接をステージ上でさせられたのだが、これにも上手に対応。また周りの生徒も意見を発した生徒を冷やかすこともない。ここまで生徒全体が自らを表現できる力や他人の意見を受けとめる力を身につけている中学校は珍しいだろう。

また、私が印象に残っているのは生徒と代田校長の距離感である。私の学校生活においての校長先生とは関わる機会があまりなく、どこか遠い存在であった。ところが代田校長は、すれ違う生徒全員に声をかけ、生徒たちも気軽に校長室に訪れていた。民間人校長ということもあり、独特な授業形式を取り入れていることから、どこかワンマンなイメージで生徒にとって近づきがたい存在になっているのではないかと想像していたのだが、実際は全く違った。この距離感だからこそ、和田中学校のアットホームな雰囲気が生まれているのではないかと感じた。また、授業後の校長室で行われた反省会に同席させてもらったのだが、ここでも校長を含めた教師陣と学生ボランティアが熱心に意見を出し合う。代田校長だけでなく周りの教育者としての強い想いを持った人たちのサポート姿勢があるからこそ、和田中学校は成立しているのだ。

テレビや本で得た印象を大きく覆される取材となった。私立に人気が集中する時代だが、一度は通ってみたいと思わせる魅力的な公立中学校であった。

建部祥世( 18 

私が小学生の時に本格的に開始されたゆとり教育。算数や国語といった通常の授業時間数が減り、変わって総合学習や土曜日の寺子屋などが新たに時間割に組み込まれた。中学校の総合学習の時間に読書や職業体験などをしたが、あまり熱心に取り組んでいなかった記憶がある。読書といってもマンガを読んでいる人もいればゲームで遊んでいる人もいたし、道徳ではほとんど先生が話し続け、生徒たちが一言も話さずに終わる授業もあり、総合学習の時間はほとんど崩壊しているようなものだったからである。

また小学生のときの寺子屋は全員参加となっていたが、実際には塾や習い事、用事のある人は参加していなかったし、「だるい」と言って休む人も大勢いた。

このような状況しか知らない私は、ゆとり教育を取り入れた理由や目的が全く分からずただ単純に、学校が休みになり授業が簡単になったことを喜んでいただけだった。しかし今回の取材を通して、ゆとり教育のあるべき姿を「よのなか科 NEXT 」 の授業に見た。

私たちは今回、高校入試に向けての面接講座に参加した。まず驚いたのが授業の進め方である。ゲストティーチャーと校長先生が舞台に立って授業を進めていくのだが、一方的に話すのではなく頻繁に生徒に質問したりクイズを出題したり、時にはゲームなどの実践を取り込んでいた。またオリジナルのワークシートを駆使して生徒たちの関心を途切れさせないようにするなど様々な工夫を凝らしていて、今まで私が受けてきた受け身の授業とは大きく異なっていた。

そして、生徒たちのけじめの良さや集中力の高さにも感心した。チャイムが鳴り終わったと同時にすぐ号令がかかり、体育館が一気に静まり返る。ゲストティーチャーが話している間も皆前を向き、真剣に話を聞いていた。極当たり前のことではあるのだが、私の学校では集会のときに誰も先生の話を聞いていないことがしばしば問題になり、そのような環境に慣れてしまっていたせいか、和田中学校の生徒たちの姿勢には驚いたのである。

また和田中学校の生徒たちは人前で意見を言うのにも慣れていて、グループでの話し合いのみならず、全体の前で話すことにも堂々としていた。生徒全員が真剣に授業に取り組み、積極的な雰囲気を皆で作り出しているからこそ、一人一人も一歩踏み出せるのだと同じ空間にいることで感じた。

私が中学生のころもこのようなユニークな授業が取り入れられていたら、もっと社会の問題に興味を持って生活をするようになっていたかもしれない。形式にとらわれるのではなく、このような新しい教育がどんどん普及し思考力や意見を発表する力、様々な情報をキャッチする力など通常の授業では学べない、社会に出たときに役立つ力を身につけられる生徒たちが増えていけば良いと思った。

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英語力?コミュニケーション力?

英語力?コミュニケーション力?
2009/5/15                三崎 友衣奈(17)

 幼い頃から英語に慣れ親しんだ人は、ラッキーだと思っていた。自分自身の海外での経験と、当時周囲にいた日本人をみても英語を早いうちから習得して悪い思いをした人をみたことがなかったからだ。しかし市川力著の「子どもに英語を教えるな」では、市川氏はアメリカの帰国子女のための学習塾で、何人も日本語と英語が中途半端となってしまった生徒たちを目撃してきたと書いている。英語教育は「早くやったが勝ち」というわけではないのだろうか。

 大手進学塾のスタッフとして 90 年に米国イリノイ州に赴任した市川力氏は、その後 96 年にコネチカット州に学習塾を設立した。現在は日本に戻り、探究型の学びを研究・開発・実践するために東京コミュニティースクール校長を務めている。

 市川氏は現在の教育制度をそのままに、小学生の英語を付け足すことに異論を唱える。「我々が目指す国際人とは、英語を話せる人ではなく英語を使ってコミュニケーションを取れる人のこと」と説明し、ツールとしての英語を誤って捉えていることを指摘した。「コミュニケーション能力を養うには最初に日本語でやるのが近道で、そこに英語を足していけばいい」。

 「国家の品格」では、著者の藤原正彦氏が国際人についてこう書いている。「世界に出て、人間として敬意を表されるような人」。したがって「英語と国際人に直接の関係はない」というのである。

 この両者が共通して主張しているのは、教育において日本人としての人格・教養を優先させるということだ。お互いを理解しあう心、さらに相手に認められるための母国の知識を、一番に身につけなくては英語を苦労して習っている意味がない。

 では実際に英語に力を入れた公立小学校ではどのような教育が行なわれているのだろうか。

 目黒区立東山小学校では、目黒区モデルカリキュラムに従って3 ~ 6年生が週1回、年間 30 時間の外国語活動を行なっている。毎授業前に、 ALT ( Assistant language teacher )の先生を含めて授業内容についてのミーティングをする。授業は総合の時間に組み込まれているため、ゆとりをもって活動できる。また土曜日には、帰国児童を対象に特別教室を開いており、ここにもネイティブの先生がつく。

 生徒、保護者からの評判は高く、卒業生からは「中学に入ってから英語の授業にスムーズに取り組めた」という声も聞くという。外国語をやることによって日本語の学習意欲が上がり、現場では日本語との両立はできないことはないように感じるそうだ。「この授業で目指すのは人としっかりコミュニケーションをとり、自己表現できる人」。

 他の区ではみられない独自の英語カリキュラムのもと、東山小学校は非常に恵まれた環境での学習を実現している。その中でもやはり重視されているのは“人との係わり合い”のようだ。

 英語という教科は中学・高校で勉強する。市川氏が「環境が整っていれば英語に触れるのは 0 歳からだって構わない。しかし英語をただの教科として小学校からやればいいわけではない」と唱えるように、無理に押し込まれた環境で英語を習うことは効果を半減させてしまうのではないだろうか。先入観を持たず自由な発想ができる小学生のうちに、土台となるコミュニケーション能力を養う機会を多く与えるべきだ。

 小学 5 ・ 6 年生の英語は必修化へと動いている。ベネッセ教育研究開発センターが行なった公立小学校におけるアンケートでは、英語教育を行なうことについて賛成する人は 67.1 %に上る。ここで、もう一度問い直す必要がある。なぜ今、英語なのか。英語をペラペラに話すため?文法を寸分狂いなくマスターするため?上辺だけの国際人にならないために、「どんな人を目指すのか」を明確にし、それに沿った教育内容を実施してほしい。

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英語教育への誤解

英語教育への誤解
2009/5/15                建部 祥世( 17 )

 文部科学省による学習指導要領の改訂で、 2011 年度から全国の小学 5 ・ 6 年生を対象に週 1 コマの「外国語活動」(英語)が必修化されることになった。「英語ノート」と呼ばれる教科書の他に絵カードなどを使用し、生徒の言語や文化に対する理解を深め、コミュニケーション能力を向上させることを目的としている。現在、すでに全国の公立小学校の約 8 割で総合的な学習の時間に英語の授業が取り込まれているが、その中でも特に海外帰国生の受け入れを積極的に行い、国際理解教育も盛んな目黒区立東山小学校へ取材に行った。

東京都目黒区の東山小学校で国際担当をされている齋藤寛治先生

 東山小学校では平成 9 年から外国語活動に取り組み、 ALT ( Assistant language teacher )を起用した英語の授業を 3 年生以上は週 1 回行うほか、土曜日には帰国児童を対象とした少しハイレベルな授業も行っている。帰国児童も多いからか保護者の多くは今の取り組みに賛成だという。また「 ALT が 8 : 30 から 16 : 30 まで学校にいるので児童たちが気軽に英語を話せる環境があり、英語での挨拶や会話に積極的になった」「高学年になると英語を自分の力で使うようになった」と、児童たちの英語に対する意欲も高まっている。中学校でのオーラルの授業に対して抵抗も少なく取り組めるようになるそうだ。

 では、小学生で英語を勉強することが何の役にたつのだろうか。現在の小学生の英語教育に対してこのような疑問を投げかけるのが、 NPO 法人東京コミュニティースクールの初代校長であり、「英語を子供に教えるな!」(中公新書ラクレ)著者の市川力氏である。市川氏は現在の教育制度を何も変えずに、そのまま英語の授業を取り入れることに対して反対の姿勢を示し、「‘教科’として取り入れて、子供の英語力が上がるという安易な考え方が間違っている」と言う。

 全国 31 の公立小学校の保護者に対して行われたベネッセコーポレーションによる意識調査でも、小学生の英語教育必修化について「賛成」「どちらかと言えば賛成」という保護者が 76.7% にものぼり、さらに始める時期については 47.8% もの保護者が「 1 年生」を希望している。(読売新聞 2007 年 5 月 11 日)この結果から、必修化すれば英語力が身につくという保護者の安易な考え方と子供に対する期待が伺える。

 市川氏は「英語を話せる子や話せない子、言語の感性の高い子や低い子というように、いろいろな子たちがいる中で小学生のうちから開始することはいたずらに英語への苦手意識を高めてしまうリスクがある」「始める時期は人それぞれでもいいのではないか」と、一律のカリキュラムで行う英語教育には限界があると主張している。「英語は母語での思考スタイルがある上にのせるもの」と考える市川氏は、初等教育において英語教育よりも優先順位が高いのは、実体験をベースにしてきめ細やかな学習環境を創り、小学生時代だからこそできる自由な発想力を育てる教育を薦めている。

 日本の TOEFL のスコアはアジアの中で下から 2 番目。「学校」という学ぶ場所がありながら、生徒たちのことをきちんと考慮した教育ではないのが原因だろう。年々 TOEFL のスコアが上昇してきている韓国では国そのものが海外有名大学への進学を斡旋しているため、小学生からの早期英語教育を盛んに取り込んでいる。だから単に「早い時期から英語を学べば話せるようになる」という安易な問題ではない。英語を学ぶ環境、教師の質、教材の内容など、あらゆる条件がそろってこその英語教育なのだ。

また市川氏の言うように、英語は国際社会で国際人として生きていくための‘ツール’である。しっかりとした土台がなければ、英単語を覚えてもそれを使うことは出来ない。ただでさえ「正しい日本語を使えない人が増えている」と言われているこの現状なのに、考える力までなくなってしまったらいったい日本はどうなってしまうのだろう。小学生 時代 はやはり、考える力や自由な発想力を養うべき時期だと思う。

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小学校の英語教育の必修化に向けて・・・

小学校の英語教育の必修化に向けて・・・
2009/5/15                 宮澤 結( 15 )

 今現在、文部科学省は「英語が使える日本人」の育成を目指し、小学校での英語教育の導入を検討し始めている。また最近では、小学生のうちから英語塾に通わせたり、なるべく小さいうちから英語を習わせることを望む親も多いように思われる。

 確かに、現在の日本の TOEFL の点数はアジアの中で下から二番目であるし、小さいうちに英語教育を行おうという考えも理解できる。しかし、果たして小学校への英語教育の導入は必要なのだろうか?そしてそれが世界に通用するような国際人を育成することに繋がるのだろうか?

 先にも書いたとおり、小学校での英語教育の導入が検討されているが、すでに取り組んでいる学校も少なくない。そこで、平成九年から外国語活動を小学校3年生以上に取り入れている目黒区東山小学校に取材をした。この小学校では週一回、担任の先生と一緒に ALT ( Assistant language teacher )の先生が教えている。「当小学校は、 ALT の外国人の先生が学校に居るから、気軽に児童が英語を話せる環境ができた。目黒区の教員・学校評価ではほとんどの保護者が賛成し、反応も良い」と言っていた。また、外国語活動を受けた児童は中学校でオーラルの授業では英語に抵抗が少ないという。

東京都目黒区の東山小学校で国際担当をされている齋藤寛治先生

 ここでもう一つ疑問が生まれた。私の通っていた小学校も外国人の先生と日本人の英語の先生によって週に一度ほど英語の授業があり、小学校の英語教育を受けたおかげかは分からないが、中学入学当初の英会話の授業では特に勉強をしなくてもテストで良い点数を取れていた。しかし、東山小学校の取材で聞いたように、中学1年の後半になってくると勉強していなかった分成績が下がったという経験がある。では、いくら小学生のうちから英語を教えても中学のカリキュラムが変わらないのなら、小学校に英語教育を取り入れても英語力は変わらないのではないだろうか?中学で他の生徒と差がなくなるのであれば、小学校への英語教育の導入はどんな意味があるのか?

 そこで私達は『英語を子どもに教えるな』などの著書で知られる東京コミュニティースクール校長の市川力さんにお話を伺ったところ、「子どもが英語に触れることと教えることとは違う。かりに0歳児が英語に触れる環境におかれたとしても、そのこと自体が弊害をもたらすわけではない。問題なのは、子どもに英語を教え込むことが可能だと安易に考える大人の発想だ。たとえば、小学生に単語などを反復して書いて覚えさせたり、フレーズを繰り返し言わせたりしたところで、何のためにそれを行っているのか、その意義を理解した上での学びでなければ効果はない。確かに小学生は子ども感受性が豊かなので、外国人や外国語に対しても先入観なく対応できるので、異言語と親しむ意義はあるだろう。しかし、それは、単に英語を教科として取り入れて、英語を教え込むということではない」と言う。

  また、「英語を習得するには周りの環境が大切だ」と言う。いくら週に数時間の授業を行ったとしても家ではテレビもラジオも家族の会話も日本語だから、授業だけで英語がぺらぺらになることはないだろう。

 それでは、どのように生徒に“学ばせる”のか。市川さんは、「英語はセルフラーニングが大切。それをコーディネートする先生が必要。そのためには子どもに英語を自発的に学びたいと思わせる楽しい授業を、先生と生徒が一緒に作っていくことが良い」と言っていた。

 確かに週に数時間の授業だけで英語がしゃべれるようになることは不可能に近い。ましてや小学生の小さいうちから単語だの文法だの叩き込まれたら、英語嫌いの子が増えてしまうだろう。そう考えると、中学1年後半まで英語の点数が良かった私は、小学校の英語教育によって、少なくとも英語への興味と英語をもっと学びたいという強い意思を持つことが出来たのだろう。ペーパーテストの紙の上の点数でなく、どれだけ伝えたいかというコミュニケーション技術が大切だと思う。字幕映画を見せるでも良い、アメリカのニュースを見せるでも良い、何か英語に興味がわくような授業が展開されることを願っている。

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小学生の英語教育

小学生の英語教育
2009/5/15               飯沼茉莉子(12)

 今日本では、ゆとり教育が問題にされている中、英語の授業を増やそうとしている。平成22年度からは、話すことだけではなく、書くことにも力を入れるために全公立小学校に英語ノートが配られる事になっている。これを知った私達は、他の区に先んじて英語教育に取り組んでいる東京都目黒区の東山小学校で国際担当をされている齋藤寛治先生と今の小学校の英語教育のやり方に反対されている市川力さん( 46 )に取材をした。

 目黒区立東山小学校は帰国児童が多く、早くから外国語活動に取り組んでいる。授業は 3 年生以上は週1回、年間約30時間。内容は授業前に学級担任の先生、 ALT (アシスタント・ラングエッジ・ティチャー)の2人が集まって会議をし、指導内容について確認している。

 齋藤寛治先生は、外国語活動によって、「英語の力だけでなく、コミュニケーション能力、自己表現力を伸ばすこと、そして、英語を学ぶことで思いやりの心・道徳の精神も身につけてほしい」と外国語活動の効果を期待している。

 また、 ALT の先生が長い時間学校内にいるため、気軽に児童が英語を話せる環境があるということもあって、英語の挨拶・会話を積極的にするようになった。

 高学年になると、英語を自分の力で使うようになる子が増え、外国語活動を通して子供達の成長を実感しているという。

 平成9年から外国語活動に取り組んでいるが、今まで保護者から積極的に取り組むことに反対の声はなかったそうだ。英語より日本語の土台をしっかり作るべきという反対意見に対しては、国語科を中心として国語を適切に表現し、正確に理解する能力を身につけさせるとともに外国語を学んでいるので、児童の日本語がおろそかになっていることはなく、問題はないと言っている。

 ゆとり教育によって授業時間が少ない中で、さらに外国語活動の時間を増やすと他の教科に影響を与えてしまうのではないかという意見に対しては、 3 年生以上は総合的な学習の時間における国際理解で扱うこと及び十分な総授業時数を確保しているため影響はないそうだ。

 次に、小学生の英語教育に反対意見を述べていた市川力さんにお話を聞いた。市川さんは6年前まで 13 年間、米国で学習塾の日本語講師として、日本人駐在員家庭の子供たちに受験に向けての授業をしていた。その時に日本語と英語が中途半端になる子を見て「英語を学ぶ前に、まず日本語の論理的思考力を高めること、伝えたい内容を持つことが大切」と感じたと言う。「小学校から英語教育を始めるにしても、英単語やフレーズをただ覚えさせるのではなく、英語を媒介として人と知り合ったり、情報を得たりする面白さを引き出す授業を構築すべきだ」と提案している。

 全国の小学1・2年生だと8割、小学5・6年生だと 9 割の小学校で英語教育が行われていることに対しては、「英語に触れる」というレベルに過ぎず、そのこと自体が大きな弊害を生むとは思えないと言った。大事なことは、親も変わらなければいけないということだ。なぜなら、親は週に1回ネイティブの先生と会話をすれば英語はすぐ話せるようになると思いこみ、全然協力しないからだそうだ。

 整備されたカリキュラムのもとに小学校の英語教育を行えば、効果も期待できるし、生徒の言語に対する興味もわくと言われ、早期英語教育が悪影響を与えるようには思えないとも言った。問題は「英語を教科として加えれば、アジア諸国の英語レベルに追いつき、解決するという安易な考え方にある」と言っていた。なぜなら、ひとりひとりの学びの特性が違い、のみこめる速さが違うからだ。「今の小学生は生きる力を失っているから、ほめる教育をして、厳しい教育はやらない方がいい」そうだ。

 私は初め、市川さんの考え方を間違えてとらえていた。今回の取材で市川さんは英語を教えることに反対なのではなく、今の英語の教え方に反対だということがわかった。 

『英語を子どもに教えるな』などの著書で知られる東京コミュニティースクール校長の市川力氏

 私自身アメリカで生まれ、英語は自然に話していたが、低学年で帰国したため、語彙が少なすぎて作文が苦手だ。だから、話すことだけではなく、書くことの重要性を分かってもらいたいと思う。簡単な英会話が話せるようになったら、そこからは、どれだけ多くの語句を知っているかで差がついていくのだ。日本の小学生がバランスよく英語を身につけていくことを願う。

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「環境」という授業は必要か?

「環境」という授業は必要か?
2008/12/06               寺浦 優(14)

 日英記者交流プログラムのメンバーとしてベルファスト、フォイル、ロンドンの各支局を訪れ、英国 Headliners の 記者たちに 8 歳から 11 歳まで の子どもに対して 行われている環境教育について取材を行った。そこからわかったことや考えたことを報告する。

Headlinersベルファスト支局で取材

 今回の取材を行うまで、私は「英国では環境教育が行われている=環境という教科がある」と考えていた。実際、英国のブリティッシュ・カウンシルが主催する気候チャンピオンの活動で一緒だった英国の気候チャンピオンのステファニー・リンチさん (18) からは、環境に関する授業が行われていると聞いていたからだ。

 だが、「今までに環境についての授業を受けたことがありますか?」と英国の記者に質問すると「そんなの受けてないよ」と、どこの局でも同じ答えが返ってきた。英国では科学や地理の時間を利用して環境問題を授業に取り入れているそうだ。そのため、子どもたちの中に環境教育を受けているという認識は無い。

 質問をしていくうちに、アル・ゴアの『不都合な真実』を学校の授業で見ている記者が数人いることがわかった。しかし、同じ地域でも見ていないという人もいる。学校や地域によって違いがあるようだ。

 英国の子どもたちは、学校の授業よりも TV やラジオ、雑誌などで環境について訴えかけられる方が影響力があると言っていた。 TV やラジオは授業よりも、子どもたちの身近にあるからだろう。しかし、英国政府は学校の授業で環境教育を行っていると強く話していたのに現場にその思いが届いてないのが悲しかった。

 帰国後、日本は 2009 年度から環境教育の充実化をはかることが決定 された ことがわかった。

文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程第二係の栗林芳樹さん

 文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程第二係の栗林芳樹さんにお話を伺った。栗林さんによると、日本は今まで教科ごとに環境教育を行ってきた。しかし今、環境問題が世界的に大きなテーマとして取り上げられ、国内でも 60 年ぶりに教育基本法が改正されたことから、小・中学校の学習指導要領の改訂を行った。しかしあくまでも教科ごとの充実化をはかるという。

 今まで、英国記者と同様に、環境教育を受けている認識は私たちには無かった。しかしその認識が無くても、私は環境問題に興味があるから調べたいと思うようになった。きっかけは、小学校生活 6 年間で学んだ「自然とふれあい、 ( 自然の ) 大切さを 理解する」をテーマにした総合学習だ。直接環境問題について授業で触れたわけではないが、自分の好きな動物とのつながりも知り、調べ始めた。

 英国で取材中には、英国も日本も環境という教科があった方が良いような気がした。なぜなら、学習の格差が無くなるからである。教育は、平等に行うことが大切なのではないかと思う。

 だが、環境という教科がなくても環境問題に興味を持った自分のことを考えると、環境という一つの教科を作り、教えてもらうことが全てではないとも思う。

 大切なのは、各教科から様々な視点できっかけを与えてもらい、子どもたちが自分なりに気づくことではないだろうか。これは、英国も日本も変わらないことである。

 これからの未来を担っていくのは、今の子どもたちなのだから。

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「環境」という教科をつくろう

「環境」という教科をつくろう
2008/12/06                 大久保 里香( 16 )

 環境問題は現在、世界的に大変大きな課題である。 2008 年の夏、私たち CE 記者は、すでに積極的に環境教育を実施しているイギリスへ行き、若者たちにイギリスの環境教育の実態について取材する機会を得た。

 日本では平成 21 年 4 月から環境教育の充実化を図るという意向を文部科学省が示した。日本と実施方法が同じといわれるイギリスの環境教育を見ていくことで、真に求められている環境教育とはどのようなものか考えた。

 イギリスでは、環境という教科自体はなく、地理や理科といったさまざまな教科の中で環境問題を取り扱っている。例えを挙げてみると、イギリスでは地理の時間に氷河の溶解について取り扱ったり、理科の時間に二酸化炭素の排出について取り扱ったりしている。この方法は日本の現段階の環境教育の実施方法とまったく同じである。

 イギリスにおけるこうした環境教育の実態を知って、「環境」という教科を持たずにいくつかの教科で環境教育を行うというこの方法には、次のような 2 つの大きな問題点があると考えるようになった。

 一つ目は、環境について学んでいるという認識が薄いことだ。中には「環境教育というものを受けたことがない」と語るイギリスの若者もいたが、詳しく話を聞いてみると環境を話題とした授業を実際は受けているのだ。各教科の中に、環境についての学習を含めようとすると、環境について断片的にしか学ぶことができず、環境の学習を行っているかどうかさえ、あいまいになってしまうのだ。教科の中で環境の話題を取り扱ったとしても、環境について学んでいるという認識が受講者になければ意味がないのではないだろうか。

 二つ目は、各教科の中で環境の話題を取り扱っても、環境について詳しくは学べないということだ。環境ブームといっても過言ではない世界において、メディアも非常に多くの環境問題についての情報を提供している。「学校では、基本的なことしか教えてくれないので環境問題についてはテレビやインターネットから情報を得る」というイギリスの若者もいた。これでは、本当に環境教育が機能しているといえるのだろうか。

 もちろん、基礎的な環境問題の知識を学校で教え、身につけさせることは大事だが、そこまでで終わってしまう教育は結局メディアが果たしている役割と同じであり、何の意味もないのではなかろうか。

 文部科学省、初等中等教育局教育課程課教育課程第二係の栗林芳樹氏は「もちろんできる限り多くの時間を取り、詳しく環境について教育したほうがよい。しかし、学校の環境教育の一番の目的は、何かきっかけを子供たちに与え、将来環境に対して主体的に行動できる人材をはぐくむことだろう」と語った。

 確かに、環境問題に対するきっかけを学校で子供たちに提起することは非常に重要なことである。しかしながら、環境教育を受けている意識が低いために子供たちの中にはそのきっかけすら得ることができない子がいるのも事実である。

 この二つの問題を考えると、環境の授業という科目を作ったほうがよいのではないだろうか。第一に科目があれば確実に子供たちは環境について学んでいるという実感を得ることができる。そして、環境問題を断片的に雑然と学ぶのではなく体系付けて学ぶことで、子供の環境の意識と知識を高めることができるのではないだろうか。

 環境教育を行っていても成果が出なければ意味がない。各教科のなかで環境教育を行うことは確かに効率がよいかもしれないが、これからは教育の内容と子供たち、そして地球の将来を重視して、現在本当に求められている環境教育の実現を目指すべきだと思う。環境教育は環境問題を解決する大きな一歩となる可能性を秘めているのだ。

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