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社会

食物を無駄にしているのは誰?
2007/10/09                          三崎 友衣奈( 15 )

 近年関心が高い環境問題の中でも日本の大きな課題である廃棄。「 MOTTAINAI 」が世界に知られていても、当の日本では全国で一日 33000 トン、東京だけで 6000トンの食料が捨てられている。

 なぜ、こんな大量の食料が捨てられなければならないのだろうか。少しでも捨てる量を減らすことができないのだろうか。

 セカンドハーベスト・ジャパン( 東京都台東区 )は、食品メーカーから余った在庫を寄付してもらい、それを生活困窮者や孤児院などへ無償で配給している非営利団体( NPO )だ。 2000 年よりホームレスに食事を配給する炊き出しを始め、 2002 年からは正式に NPO として今の活動を試みた。

 浅草駅からほど近いその事務所には、幅が 4 , 5 メートルほどの奥の広い場所に、ダンボールが所狭しと積み上げられている。そこにある中央のテーブルの横にある人が一人通れるくらいの通路の間をスタッフが縫うように作業している。

 一見、何の問題もないように見えるこのダンボールの多くは、運搬中に段ボールに傷ついたというだけで問屋やスーパーに受け取ってもらえなかったものなのだ。中身は問題ないのに、なぜ受け取られないのか?「日本の消費者は厳しい」。理事長のチャールズ・ E ・マクジルトン氏は苦笑いした。

ハインツ日本株式会社へ取材

 ハインツ日本株式会社では 2003 年からセカンドハーベスト・ジャパンに対して常温のレトルトのカレーや缶詰のスープなど、月に 300 ~ 400kg の食品の寄付を行っている。

 食品メーカーは一定期間にどの商品がどの程度売れるか、販売予測を立てるのだが、やはりどうしても余ってしまうそうだ。「消費者の『できるだけ新しいものがいい』という厳しい見方があるとともに、缶がへこんでいるなどの見た目の良くない商品は受け取ってもらえない」と池田真理子広報室マネジャーは語る。

 株式会社ローソンは 2006 年6月から 横浜市中区 の「さなぎの食堂」に販売期限が切れ、かつ消費期限は切れていないパンや弁当などを寄付している。「さなぎの食堂」では、それを再加工した温かい食事を寿地区の路上生活者を対象に低価格で提供している。

 ローソンでは弁当などの食品には厳しい販売期限を設け、それが切れた場合、すぐに店頭から下げている。これらの多くは消費期限が切れるまで数時間あるものばかりだ。「万が一事故があってからでは遅い。 100 %安全でなくては店頭におけない」と CSR 推進ディレクターの篠崎良夫氏は語る。

 篠崎氏によると「日本で PL 法が施行されてから、米国とは違って寄付した後でも生産者の責任が続くことから、多くの食品メーカーはリスクを感じてこのような活動に積極的でない」そうだ。セカンドハーベスト・ジャパンのマクジルトン理事長は、「日本は『念のため』が多すぎる」と語る。不二家の一件でも、外国からみればおおげさに見えるそうだ。

ローソンへ取材

 ハインツの企画担当執行役員のポール・モリ氏もリスクを分かった上で「今のところ問題はないので続けていく。結果としてはイメージアップになっている」と笑顔を見せた。

 食に対する安全は、賞味期限という数字だけでなく自分で判断する力も必要だ。「念のため」に余裕期間を見込んで定めた賞味期限を少しでも過ぎると食べなくなる。このような消費者の数字に依存した姿勢が、生産者にプレッシャーを与え、結果として大量の無駄を出しているのではないだろうか。

 私たちが毎日食べているのは、念には念を重ねた上で出荷されている食品である。それを我々が贅沢にも捨てている陰で、多くの人々が飢餓で苦しんでいるのを忘れてはいけない。


食べ物の裏事情
2007/10/09                          大久保 里香( 15 )

東京では一日 6000 トンもの食べ物が捨てられている。「日本では、食べられるものを捨てすぎではないだろうか?」この先進国ならではの問題について興味を持ち調べ始めた。

 現在日本の企業は驚くべき理由で食べ物を捨てている。商品のパッケージに傷がつくと中身に問題がなくても捨てることは当たり前であり、スーパーなどのお店が引き取ってくれないという理由から、商品が入っているダンボールに傷がついただけ、賞味期限が三分の一過ぎただけでも商品を捨ててしまうのだ。こういったまだ食べられる食品を有効活用しようとする活動がフードバンクだ。 

セカンドハーベスト・ジャパンへ取材

 このフードバンクの活動をしているセカンド・ハーベスト・ジャパンというNPO団体に取材に行った。この団体は企業からまだ食べられる食品を引き取り、その食品を炊き出しに使ったり、経済的に苦しい人たちに配ったり、福祉施設に提供している。日本ではこのフードバンクの活動はあまり知られておらず、フードバンクに食品を提供してくれる企業はまだ少ないそうだ。また提供をしている企業を調べてみるとほとんどは外資系の企業であった。「日本では捨てられるものが多すぎる。もったいないと感じ、捨てられる食品を有効利用できないものか、と思ったのがこの活動を始めるきっかけ」だと、セカンド・ハーベスト・ジャパンのチャールズ・マクジルトン理事長は語った。

 アメリカでは、フードバンクの活動は活発に行われており、食品を提供した後は食品の製造責任はフードバンクに移るといった企業が提供しやすくなるような法律も定められている。日本は食品を製造した企業が最後まで責任を負わなくてはならない。このことが、日本ではフードバンクが浸透していないこと、そして食品を提供することで企業へのリスクが増すために提供することをためらってしまう原因であると感じた。

 日本企業でありながら食品リサイクルを積極的に行っている株式会社ローソン執行役員の篠崎良夫氏は、企業が食品リサイクルやフードバンクにあまり取り組まない理由として「万が一でも食品で問題が起きたら製造者が責任を取らなければならい。日本の現在の法律では活動をするのに企業に多大なリスクが伴い、法律が変わらなければ活動は浸透しない」との理由を挙げていた。

 コンビニのローソンでは、食品のリサイクル活動のひとつとして、余ったまだ食べられるお弁当やパン、工場で余ったお弁当の残り物を「さなぎ達」というNPOの団体が経営している食堂に食品を提供している。この食堂では、提供された食材を使って料理を作り、安い価格で横浜市中区の寿地区の生活困窮者の人たちに食事を提供しているのだ。

 そもそも、日本でこんなにも多くの食品が捨てられるのは私たち消費者側のせいでもあるのではないだろうか。私たちは商品の中身に問題がないとわかっていても傷がついた商品を進んでは買わないだろうし、賞味期限もなるべく遅いものを買おうとする人も少なくない。私たちが捨てられる商品を間接的に作っているともいえる。もし、消費者が傷のついた商品を進んで買うようになったり、賞味期限が古いものから買うようになったらきっとダンボールに傷がついたり、賞味期限が三分の一以上過ぎてもスーパーなどのお店も商品を引き取るようになるだろう。  

  日本にも、生活困窮者は多くいる。十分に食べることができない人がいるにもかかわらず食べられる食品を捨てるのが当たり前になっている日本の社会はおかしいと思う。国内でフードバンクや食品リサイクルの活動が広まり活発になれば、食べられる食品の廃棄量をゼロにすることも可能になり、その食品で生活困窮者の人も毎日きちんと食事が取れるようになるかもしれない。私たち消費者はできる限り企業が廃棄する食品を出さないように買い物をするときに気を配らなければならないし、企業はできる限り食品を有効に使うように努力しなければならないと思う。そうすれば、きっと食べ物が日本内ですべての人々にうまく循環するだろう。

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その他

CE記者がNHK 新・BSディベートに出演 ~私の感想

CE記者がNHK 新・BSディベートに出演 ~私の感想 2007/08/26

 CE記者4名が8月26日新・BSディベート ~ いじめとどう闘うか~ (NHK衛星第一:22時10分~24時00分)に出演した。

記者の感想

藤原  沙来 (17)
 今回は2回目ということもあり緊張することもなく、自分の意見を簡潔に言うことができたので、前回よりは良い体験をすることが出来たかなと思います。
 いじめについての詳しいデータはなかなか得られないので、先生方4人の討論は非常に勉強になりました。
 また、前回とは違い、当事者の意見を直接聞くことが出来て、私自身にとっても参加した皆にとっても有意義な時間にすることが出来たのではないかと思います。
 前回に引き続き参加させて頂き、ありがとうございました。川口 洋平(17)
 簡潔に自分の考えをまとめるということが、これほど大変だと思いませんでした。書くのと、話すのは意見を言うということに関しては同じなのに、伝え方が違うのだなと改めて実感しました。こういうことが分かったということだけでも、とてもいい経験になったと思います。
  これからは、どんな状況でも素早く自分の意見をまとめ、簡潔に話すという練習をしていこうと思います。大久保 里香(15)
 前もって質問に対する答えを準備していたのにもかかわらず、いざとなると緊張してうまく自分の意見をまとめて発言することができませんでした。誰かの前で意見を発言することにもっと慣れなくてはならないと感じました。
  また、番組の出演を通して自分の意見を簡潔にわかりやすく表現することの難しさを実感しました。これからもCEの活動を通して自分の意見がもっとうまく言えるようにがんばりたいと思います。

原 衣織(15)
 私は CE の記者になって6年目になりますが、 TV で自分の意見を言う経験は今回の『新 BS ディベート』が初めてでした。収録中はとにかく緊張の連続で、意見を聞かれた時も、緊張のあまりその前に考えていたことがすっぽり頭から抜けてしまい、なんとか要点だけを簡単に言うのが精一杯でした。
  他にも色々と反省点はありますが、このような貴重な経験をさせていただき、とても嬉しく思っています。有難うございました。

参考:新BSディベート wikipedia

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政治 座談会

成人年齢引き下げ

参加者:
藤原沙来(17)、原衣織(15)、曽木颯太朗(15)、大久保里香(15) 川口洋平(17 司会)
2007/08/16

 国民投票法が2007年衆議院参議院で可決され、5月18日に公布された。この法律によると18才以上が投票権者となる。 いずれ国政選挙の投票も18才以上になるかもしれない、ということを前提に10代の若者が話し合った。

洋平:今日は「参政権もらったら自分たちは投票する?」をベースにしてやっていきたいと思います。今回、国民投票法が成立して、憲法を改正するにあたって、18歳以上が参政権を与えられることになったので、自分たちも投票できることになりました。憲法というものをきちんと理解して、投票できると思いますか?

沙来:あと数ヶ月で18歳なので、すぐに選挙権を得ることができるのですけど、今のところ、私自身は親が選挙に行くのを傍観者として客観的にしか見ていないので実際に選挙権を得ることができても、投票する責任とかはまだわいてないのが現状だなと思います。

洋平:では3年後に憲法改正の国民投票が行われました、自分はもう18歳すぎています。投票へ行きますか?

里香:私は行きます。自分の意見が社会に反映されたらうれしいと思うからです。

洋平:18歳になったから自分なりに憲法解釈して、投票できるよ、ということ?

里香:たぶん。そういうふうに決まってしまったらやるしかないと思うので。

洋平:自分は行くかもしれないけど、まわりの友だちとかは行くと思う?

里香:興味ない子もいると思うし、それに急に2年も引き下げられたら心の準備もまだできてないと思うので、行かない子もいると思います。

颯太朗:自分では行くつもりですけど、インターネットや掲示板などであおられて、それに影響されて行っちゃう友だちがいっぱいいるような気がする。

洋平:2チャンネルなどで憲法九条のもとにまとまるのか。なるほどね。憲法をきちんと理解して、投票する人はあんまりいないということかな。

衣織:私もたぶん行きます。ただ今の中高の公民の授業では、憲法をちょっと離れたこととして扱っていると思う ので、まわりに憲法という問題を身近なものと感じている人は少ないと思います。

洋平:憲法を身近に感じさせるためには何かいい方法ありますか? 学校の教育にゆだねるしかないのかな。

沙来:高校生の間に18歳になる子は高校生の段階で投票に行くことができてしまうから、学校での教育が必要だと思う。うちの学校の場合は総合授業の中で、投票ボックスみたいのを先生が借りてきてくれて、実際に投票するというデモンストレーションをやって、もうちょっと身近に感じてもらうみたいなことをしていました。他の学校でも黒板に書いて勉強するのではなくて、もっと実体験できるような機会を与えてあげたら、もっと身近に感じられると思います。

洋平:ちなみに国民投票法を受けて、いろいろな学校でもそういうふうな授業が実際に行われているらしいです。

18歳と20歳の違いは?

洋平:大学へ行かないで高校卒で就職している人はたくさんいます。その人たちはちゃんと自分で稼いで、税金 も払っているのに、成人とみなされる20歳まで子供扱いされている。参政権ももらえないし、いろいろと制限されていますが、それについてはどう思いますか?

衣織:なにかの資料に18歳でもう自立している人が3割弱ぐらいいるっていうのがあったのですけど、今の日本は社会がどんどん高度化しているのに、自立する年齢はどんどん遅くなっていっている。その中で下げるっていうのは逆な気がする。だいたいほとんどの人は大学や大学院を卒業してからじゃないと自立しないからそうすると22歳とかもっと上になっちゃうわけで、そうなると18歳で自立する人は少なくなる。

里香:18歳で自立して働いている人は少数派で、おそらく多くの人が大学に行っていて、まだ自分で税金も払ってないと思う。そんななかで18歳を基準にすると、大半の人が社会のことをあんまり考えないで選挙に出ることになるので意味がないと思います。

颯太朗:18歳で働いて、自立している人に限って参政権を与えるなら賛成です。

洋平:じゃ参政権をもらえる人っていうのは働いているかどうかを基準とする?

颯太朗:働いている人、または働いた経験のある人。

沙来:18歳で働いている人がいるから引き下げるというのは反対で、20歳という社会人になるためのボーダーが あるのだから、それまでは社会のモラルを勉強しなきゃいけない年齢と設定すればいい。一定の常識も働いている間に身につけることができると思うし。

洋平:さきほど大学や大学院を出るまでは自立できないという話をしていたのですけど、逆に18歳で「大人なんだから」とつきはなしたほうが自立早まるのではないかとも思うのですが。

衣織:つきはなされたところで、実際就職はできないですよね。

沙来:私は18歳で自立はいいのですが、ただ法としては20歳のほうが気持ち的にいいかな、と。働くのであれば社会でちゃんと自分でしっかりしなきゃいけないっていう、自分に対して厳しくできる期間が2年間あるというのがいいかなと思います。

洋平:話は変わりますが、20歳が成人ということで、飲酒や喫煙も20歳からとなっていますが、実際大学生は 18歳でも新歓コンパなどで飲みますね。だから飲酒に関しては、年齢制限があってもなくても変わらないのではないか、みたいになっていますけれど、それについて意見はありますか。

颯太朗:選挙権を引き下げるのはあえて言えばどちらでもいいけれど、喫煙や飲酒の年齢まで引き下げると、今は法律があるから隠れてやっているようなのに、18歳になるとおおっぴらにやるようになって身体に悪影響を及ぼすような気がします。

里香:18歳から飲酒やタバコがいいとなると、みんな堂々と飲んだり吸ったりするようになってどんどん社会現象として、飲酒喫煙の年齢が引き下がると思うので、20歳は変えない方がいいと思います。

沙来:私も20歳から下げない方がいいと思っています。逆に低年齢化しないようにもっと働きかけをするべきだと 身体に悪いのは当たり前なのになんで18歳に下げて「しょうがないからいいのですよ」という流れになっているのかが納得ができないので。逆に20歳以上でもいいぐらいにして、タバコとかお酒にはもっと税を課すとか。日本の社会が下げるっていう方向性じゃなくて、なるべく酒とか喫煙をしないという方向に進むべきだなと思います。

衣織:お酒を飲む危険性って?

沙来:飲酒運転もそうだし、身体にもちろん悪いし、脳も小さくなるから悪影響。

洋平:でも外国はけっこう16歳からOKというところもあって。昔は食べ物にあまり栄養価がなかったので成長が遅かったけれど、今は18歳でも20歳でも成長的にはあまり変わらないらしい、と。それでも20歳じゃなきゃダメ?

颯太朗:喫煙はよくない。

洋平:わかりました。では20歳と18歳の違いってなんだと思います?

里香:基本的に違いはあんまりないと思うのです。高校卒業はまだ子供という意識があるじゃないですか。その中で急に社会の権利を与えられてもどうしたらいいかわからないと思うので、2年間勉強期間をおいて、20歳になって成人と認められたほうがいい影響が出てくると思いますし、みんな選挙にも興味もってくると思います。

沙来:正確な違いはちょっとまだわからないけれど、20歳という響きも、社会に出た時に大人になったなって思うし。そんなに大きな違いはないとしても感覚的な違いはあるのかなと思います。

洋平:日本では20歳が一つの基準とされてきたから、そういうふうな意識が根付いているとも思えるのだけど。

成人年齢を下げる理由

洋平:僕自身は、18歳で投票権、18歳を成人とするべきだと思っています。それは高校卒業したら大人、としないと、いつまでたっても親から自立もできないだろうし、それがニートにつながることも考えられるわけだし。    あと、高校を卒業してすぐに社会人になる人は、もう大学とかで学んだりしないわけじゃないですか。だけど政治を理解して20歳になったら投票に行く。ということは18歳の時点ですべて政治も社会のしくみも分かっているという状態じゃなきゃおかしいと思うのですね。それについてなにか意見はありますか?

衣織:18歳で自立している人はいるとは思いますが、その人たちが本当に選挙権を望んでいるか疑問。

颯太朗:18歳で自立している人がいるので参政権も引き下げた方がいいということですが、少数ながら中卒で16歳で社会に出る人もいる。16歳で社会に出ている人と18歳で社会に出ている人をどうして区別をつけなきゃならないのかという問題があると思う。

洋平:中学卒業する時点では一通り政治のしくみだとか分かっていなくてもいいし。

颯太朗:だいたいあんまり中学ではやらない。

里香:学校で教えられても黒板とかを前にして教えられるだけなので、全然親近感もわかない。だから18歳か20歳の期間が政治とかを身体で覚えていく期間だと思う。

洋平:わかりました。さっき話に出たのですが、そもそもなぜ年齢を引き下げたがっているのだと思いますか? 

沙来:少年法が一番関係していると思っていて。犯罪が低年齢化しているという動きがあるなかで、少年法だと 18歳から20歳未満の大人も少年として扱わなければならないのが中途半端なのかな? それを今12歳ぐらいまで引き下げようとする動きとかを見ていると、全部を一気に低年齢化させて、それプラス選挙に行ける子たちをもっと増やそうとしているようで。

里香:18歳からにすると、初めて選挙権が与えられたらやっぱりちょっと興味本位で投票してみたくなるじゃないですか。それでよくわからないから、テレビや新聞などに出ている政党の言うことを信じがちになる。そうすると18歳の投票率が高くて賛成とかも得やすくなると思うので、政党が国を支配しやすくするために18歳に引き下げるのではないかなと思います。

洋平:政治的な目論見がある。なるほど。

颯太朗:新聞によると18歳に引き下げる案を出したのは政府じゃなくて野党の方で、低年齢層の方が野党の支持率が高いというので始め政府はそれに抵抗していたっていうふうに読んだことがあります。

低年齢化は防ぐべき?

洋平:参政権については「18歳に引き下げるのはあんまり良くない、判断できないのではないか?」という話がありましたが、そもそもなんでみんなは成人年齢をさげるのが嫌なの?

衣織:この引き下げには、少年法の適用年齢引き下げが大きく関わってくると思うんです。少年犯罪が凶悪化しているからというのが理由のようですけれど、それは統計的には不正確と言われているし、今の大人の子供に対する恐怖感が厳罰化として現れているだけだと思うので、18歳とかもっと下の年齢からそういう罰を与えるのは反対です。

沙来:逆に年齢を下げるんじゃなくて、低年齢化を防ぐ動きをするべきだと思っていて、少年法に関してもそうす べきだなと思います。

颯太朗:まわりを見ていて、若者が何事に関しても無責任すぎるところがあると思う。大人になっちゃったら、「大人だから何をやってもいいんだ」と、親のいうことをまったく聞かなくなっちゃって、社会全体が無責任になりそうで。そういう点から18歳、もっと低年齢化することには反対です。

里香:20歳でも無責任な人はいて、18歳に引き下げたところで、権利だけもらっても義務を果たさない人も出てくると思うので、2年間で義務を学ばせてから権利を与えるべきだと思います。

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座談会

赤ちゃんポストあったらどうする?

 熊本の慈恵病院が捨て子を救済するために設置した「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)。設置をめぐり賛否両論議論されているなか、2007年5月10日から運用が始まった。
  このような施設が全国的に広まったら、簡単に自分の子どもを捨ててしまうのだろうか?


藤原沙来(17)、畔田涼(16)、曽木颯太朗(15)、佐藤美里菜(15) 川口洋平(17 司会)
2007/08/13

洋平:「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)が熊本の慈恵病院に設置されました。このことについてどう思いますか。

沙来:「赤ちゃんポスト」ができたことは賛成です。慈恵病院では後で連絡をとれるようなポストカードが置いてあり、フォローができる状態になっているようなので、きちんとしているのではないかと思います。基本的には自分の子どもは自分で育てなければいけないのだから、親の責任という考え方を植えつけるようなことは必要だと思います。

涼 :私は「赤ちゃんポスト」には基本的に反対です。生んでから「やっぱり育てられない」という人を対象にしているのだったら、それは単に育児放棄を助けている。できるだけ自分で育てられるように、例えば慈恵病院がしている無料電話相談などをする施設をもっと増やした方がいいと思います。

颯太朗:僕は赤ちゃんが親の育児放棄で死んでいってしまうよりは、捨てられても生きていけるほうが幸せなんじゃないかと思います。

美里菜:虐待されて生きていくよりは、「赤ちゃんポスト」に捨てられるほうが幸せなのかもしれないけれど、生きていくために預けられた子どもの精神面を考えると、私は反対です。それに「赤ちゃんポスト」があることによって、今の若者の多くに、簡単に育児から逃げられるという甘えが生まれるのではないかとも思うし。

■「ポスト」という呼び名

洋平:「赤ちゃんポスト」があるから育児放棄をしようと思うのか、なければ「しょうがないや」と頑張っていくべきなのか?

颯太朗:「赤ちゃんポスト」ができて、簡単に育児放棄をしてしまう親だったら、「赤ちゃんポスト」がなければ頑張る親だとは思わないけど。

美里菜:「赤ちゃんポスト」に預けるというと、ほんとに「ポスト」に入れるだけって感じですごく軽い気がして。

洋平:「ポスト」っていう名前がいけないのかな?

美里菜:それもあると思います。

洋平:もとは「こうのとりのゆりかご」っていう名前なのに、メディアが勝手に「赤ちゃんポスト」って報道しているのですよね。

美里菜:「ポスト」といわれると、いらない物を投函するような感じがするので、「赤ちゃんポスト」自体は悪いとは思わないけれど、報道の仕方に問題があると思います。

洋平:もしかしたらこの「赤ちゃんポスト」が今後全国に広がるかもしれない。

颯太朗:今は熊本にあるので、東京からそこまで行くってことは「気軽」ではないと思いますが、東京にあったら結構気軽に行っちゃうような気がするのですけど。

美里菜:東京から遠いから簡単じゃないって言っていたのですけど、メディアの報道を見ていると、簡単だなと思います。

颯太朗:そうかもしれない。だから「赤ちゃんポスト」は最終手段として使ってほしい。

涼 :緊急避難の措置なのだよ、というのをみんなが理解すれば「赤ちゃんポスト」はいいのかなと思うんですけど、この趣旨を理解している人が少なすぎるから、今のままだったら全国に広まるのは怖いと思う。

沙来:まだ熊本にしかないし、実験段階で実際に 3 ~ 4 人しか入れられていないし、現状を考えるとまだ親の責任を問う時間というのはこれからでも間に合うと思うし、新生児を入れて匿名性を生かすという意味では「赤ちゃんポスト」がある価値はあると思います。

涼 :匿名性って?

沙来:親の名前もバックグラウンドも全て伏せて、赤ちゃんが新生児として扱われること。   孤児院とかの施設に入ると親の戸籍とかを調べようと思えば調べられるし。後々そっちの方がつらいのかなと私は思います。

■預けられたら実の親を探しにいくか?
洋平:今度は子どもの観点から見て、もし自分が赤ちゃんだったら、どれが一番幸せだと思いますか。

沙来:私は虐待というのに耐えらないので、里親に出してもらってきちんとした教育が受けられるように導いてくれる環境にあればいいかなって思います。

涼 :虐待されているよりは、できるだけいいお家に預けられた方がいいと思うんです。生まれて数週間の時に預けられた方が里親の愛情も違うと思うので、できるだけ早く預けてもらって、でも戸籍は元の親がわかるようにしておいたほうがいいです。

颯太朗:虐待されるよりは里親に出してもらった方が幸福だと思うんです。

沙来:自分の中で親というものが存在していて、里親に預けられるのはすごくつらいと思う。「赤ちゃんポスト」に預けるのはたしか生まれて二週間以内と決まっているので、生まれてすぐちゃんとした環境の中で育てられる方が、その子にとっては恵まれた環境になると思います。

洋平:実際預けられたら、将来実親を捜しにいくとおもいますか。

美里菜:施設に預けられたら私は絶対親を捜しにいきます。

颯太朗:僕は将来自分を捨てたような親は捜さないと思います。

洋平:親は子どもが厄介で捨てて、幸せな家庭を築いているかもしれない。そういうところにいきなり「あなたの子です」とやってきたら、親にとって迷惑じゃない?

美里菜:それもあると思うけど、子どもの立場でいえば、そんなことより他の思いの方が先にたつし。迷惑といったって、親には少なからず責任はあるわけだから、捜しにいってはいけないという意見には私は反対です。

沙来:将来、親を捜そうと思うときに、別に親に会って何かしてもらおうという気はないと思います。親にしても「今さら会ってどうするの?」という感じだと思うし。親子関係が一度切れたのだから、それをお互いが認識して会ったところで何も進展しないと思います。養子として育てられたことを認識することは大事かもしれないけれど、親を捜すことは別に重要視しなくてもいいと思います。

美里菜:もし私が里親にちゃんと育てられたのであればきっと里親にすごく感謝するし、もとの親に戻りたいとも思わないけれど、やっぱりどこかで本当のことを知っておきたいというのがある。知りたい人がいれば知ることができるようにしたほうがいいんじゃないかなと思います。

洋平:今海外に養子としてだされる赤ちゃんの親たちは厄介だからと自分の名前を知らせないことが多いらしいんですけど、親の名前とかは知らせるべきだと思いますか。

美里菜:赤ちゃんのときに預けられて何も知らないまま育っていたなら、知らないままのほうが幸せかもしれないけれど、もし気づいていたら、本当のことを教えてあげた方がいいと私は思います。

洋平:「赤ちゃんポスト」に捨てるにしても親がちゃんと身元を明かして捨てる制度を作らないといけないとか。

美里菜:その方がいいと思います。

涼 :親権放棄の手続きとかがされていないと里親にスムーズに行けないのだったら、「赤ちゃんポスト」でも親が名乗り出て、ちゃんと里親にスムーズに行けるまで見守るという親の責任を果たすようにする。

■「赤ちゃんポスト」を利用する?

洋平:もしみなさんが妊娠して赤ちゃんをどうにかしなければならない立場になったときに、どうしますか。「赤ちゃんポスト」を利用しますか。

美里菜:わからないけれど、ほんとうに大変だったらたぶん「赤ちゃんポスト」に入れてしまうと思います。身近な問題ではないのでよくわからないのだけど・・・・・・。「赤ちゃんポスト」がなかったら、後で親がわかるような施設に入れて、その結果、あとで自分に何か責任がかえってきてもしかたがないと思う。

沙来:「赤ちゃんポスト」に賛成ですけど、自分が使うかといったら、絶対使わない。私は親の責任を絶対とるべきだと考えているので、児童相談所とかに行って里親に出すなりすると思います。そして親として自分の子どもがどこにいるのかは把握しておきたいし、子どもも自分の親がどこにいるのかをわかるような環境にしておきたいです。

涼 :もし私が妊娠したら、たぶん中絶しちゃうと思うんです。たとえ「赤ちゃんポスト」に入れようと、孤児院や里親に預けようと、生んだという事実が、自分の中でずっとつきまとう感じがするので。もし生まなければならないのだったら、ちゃんと里親にスムーズに行けるようにしてあげるし、「赤ちゃんポスト」を使うにしても親が最後まで責任を持つべきだと思う。

美里菜:特別な事情があったら私だったら涼ちゃんや沙来ちゃんのようにきちんとした考えをもてないと思います。それだったら本当に逃げるというか「赤ちゃんポスト」に頼ってしまうと思う。もし「赤ちゃんポスト」がなかったら、それはないだろうけれど。

洋平:やっぱり「赤ちゃんポスト」があると思うから、簡単に逃げるんだ。

美里菜:選択肢として簡単な方が。「赤ちゃんポスト」はただ赤ちゃんをポストに連れていくだけじゃないですか。そういうものが選択肢の中にあることはすごい反対ですけど、もし自分がそういう立場になったら使ってしまうかもしれない。

洋平:他の人もみなそういうふうに思っているのかな?

美里菜:人それぞれだと思うけれど、レイプされて生まれた赤ちゃんだったら「赤ちゃんポスト」に持っていくだろうなと思います。

沙来:私はたとえレイプされて生まれても、自分の体の中に存在している命、まだエコーなんかで見えなくても、殺されちゃうのは絶対に許されないことなので、中絶はしないし、どんなに嫌いな人の子どもでも育てたいと思います。

涼: 私だったら、どんな子でも自分に責任がもてないのだったら、生むべきじゃないと思う。今もし妊娠したら、責任をもって育てる自信がないから、生まないと思います。

洋平:それじゃあ、これまでの討論を通じて改めて聞きたいのですが、「赤ちゃんポスト」はあったほうがいいと思いますか?

涼: 私はどんな場合でも「赤ちゃんポスト」というのは基本的に反対です。「赤ちゃんポスト」イコール「簡単に赤ちゃん捨てられる」という認識が強すぎて。慈恵病院の理事長がいったみたいに「これは緊急措置なんだ」と、それで「母親が名乗りでてくれた方がいいんだよ」という趣旨が一般に伝わっていないんだったら、やっぱり「赤ちゃんポスト」を設置するべきでなかったんじゃないかと思います。

沙希:実際にそれを利用している人がいて、その人たちは私たちが想像している以上になんらかの事情があるのだから最終的な手段として使うのなら「赤ちゃんポスト」があることは賛成です。それに「赤ちゃんポスト」に気軽に捨てられるというふうに考えてはいないと思う。ただ、これ以上日本国内に増やすことは反対で、とりあえず、今は現状維持で、何らかの事情のある親に対しては「逃げ道」として必要なのじゃないかと思います。

美里菜:最初は「赤ちゃんポスト」なんてない方がいいと思っていたけれど、みんなの意見を聞いていて、私の知らない想像を絶する事情があったりしたときは、あった方がいいかもしれないと考えるようになりました。だけど設置した趣旨が一般にどれだけ伝わっているかで、「赤ちゃんポスト」の意味が大分変わってくるんじゃないかと思います。

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座談会

多様化する修学旅行

 修学旅行といえば、学年全体で行き先は同じ。行き先は決まって京都・奈良。夜は枕投げをし、昼間は仏閣見物をしお土産を買って帰る…。
  ところが今、中国、韓国をはじめとする海外への修学旅行や、2~3人のグループに分かれて農家に宿泊するなど、修学旅行が多様化してきている。 


曽木颯太朗(15)、三崎友衣奈(15)、藤原沙来(17)、大久保里香(15)、 川口洋平(17、司会)
2007/06/01

洋平:まず、自分の学校ではどんな修学旅行をしているのかを教えてください。

颯太朗:今年の秋に四泊五日で、三重の鳥羽と奈良・京都に行きます。これはもう数十年前からの恒例だそうです。

友衣奈:私の学校では、高二のときに北海道に一週間いくのですが、とても自由で、バスで現地に行って、勝手に作ったグループでまわります。

沙来:うちの学校もかなり自由で、修学旅行とは呼ばず、「地域研究」といっています。内容は毎日自由行動で集合写真撮る時だけ拘束されます。目的地に行ったらそこで解散、ホテル集合が毎日の基本です。

里香:冬に東北の方へ行って、スキー合宿のような修学旅行です。自由行動とかはあまりなくて、スキー研修がメインです。

■修学旅行の楽しみは?

洋平:決まったコースをやるところと、けっこう自由な修学旅行に分かれましたですけど、修学旅行の楽しみってなんだと思いますか?

友衣奈:やっぱり夜だと思います。みんなで集まって遊ぶとか。

里香:夜の雑談みたいなのが好きですけど、あんまり夜遅くまで話していると、先生に怒られるのがちょっと・・・・・・。

颯太朗:僕もやはり夜ベラベラとしゃべります。

洋平:どうしてそんなに遅くまで話すくらい楽しいのかな。普段でも話せない? 

友衣奈:修学旅行だとみんなちょっとテンションがあがっているから、けっこう、ぶっちゃけみたいな話が多くて、それがまた楽しい。

洋平:友だち 2 、3人で卒業旅行に行くのと修学旅行は何か違うものがある? 

友衣奈:確かに卒業旅行の方が自分たちで全部手配しなきゃいけないしから学ぶことはあるけれど、修学旅行では、ご飯を一緒に食べる時はちゃんとお皿を片づけるとかみんなでやることが多いので、団体行動というのが重要な課題だと思います。その課題が魅力なのかな?

洋平:そもそも修学旅行には、集団生活して楽しむ以外に、歴史的な建造物見て教養を高めるような目的があるらしいんですけど、最近はわりと自由で遊びの要素が強い修学旅行が多い傾向にある。となると最近の修学旅行に意味はあると思いますか?

友衣奈:例えば東京にいただけだったら、高いビルしか見られないけど、沖縄や北海道に行けば、もっと広い土地やシーサーみたいな現地ならではのものとかも見られるし、気候の面でも蒸し暑いとかとても寒い空気も体感できる。写真だけではわからないことに触れるだけでも、充分学ぶことは多いと思います。

沙来:私の学校は自分で行く場所を決めて行く目的を考えるので学ぶことはあると思います。

里香:奈良とか京都とか定番な場所に行くのもいいと思うけれど、そういう定番じゃない場所でも事前に調べて行けば学べることはいっぱいあると思います。

颯太朗:京都や奈良に教養を高める目的で行きますけど、でもそんなことよりも、中高の思い出づくりみたいな感じでいいんじゃないかと思います。

■従来とは違う修学旅行に興味ある?
洋平:集団でまわるだけではなくて、2、3人のグループで好きなところに行くとか、自分の興味のあるところに行く修学旅行に行ってみたいと思う? 例えば北海道の農家に何グループかに分かれて農業体験をするとか。 

友衣奈:農業体験とかは将来の職業に関して参考になれば、ということで行くのでしょうけれど、それはまた修学旅行とは別で行ったほうがいいかな。修学旅行はみんなで楽しくまとまって行きましょうみたいなのだと思います。

沙来:うちの学校は中学校の時に農業体験で越後にいきます。そのほかにも平和学習として広島と長崎に行くのと、国際理解として、福島のブリティッシュヒルズへいくというのもある。それも分散して自由行動です。私は型にはまった修学旅行はよく分からないので、何とも言えませんですが、越後に農業体験に行った子たちは堅苦しかったり、面倒くさかったり、辛かったりするけれど、それを中学生の時に、楽しさと同時に学べるのが貴重だと思う。

颯太朗:農業体験とかは修学旅行としてあまりおもしろくない。京都や奈良に行くのもはっきり言って、そんなにおもしろくはないけれど。 

里香:私も中二の時に研修旅行ということで農業体験に参加したけれど、修学旅行とは別にしたほうがいいと思います。学びと遊びと分けたほうがもっと充実したものになるんじゃないかな。

洋平:また違う例で、主に地方の学校に多いらしいんですけど、高校生であれば修学旅行と大学見学を兼ねて東京に来る。そういう修学旅行どう思いますか?

友衣奈:それはちょっと。確かに大学とか見られるのは楽しいと思うんですけれど、大学の授業に参加してみるのは修学旅行とは別で、そういう計画の旅行で行った方がいいと思うんです。

里香:私もわけた方がいいと思います。別に東京に行きたいと思っている人ばかりじゃないので、大学の見学とかは、個人的に行けばいいと思います。

沙来:地方の人のためにはいいのかなと思うので、修学旅行という名称を変えればいいんじゃないかなと思います。

颯太朗:地方の人たちが修学旅行で東京に来るのはとってもいいと思うんですけど、大学に来るのは「これから大学受験だから最後に遊ぶぞ、思い出を作るぞ」という時に何となく気分を重くするような気がするんですけど。でもそういうのを見たい人たちもいると思うので、自由時間とかに一部の先生が「大学に行きたい人はついておいで」みたいな感じで、修学旅行の一部としてやるのはいいんじゃないかと思います。

■修学旅行は遊びか学びか?

洋平:修学旅行って一応名目上は学び。だけど実際はどうなんでしょうね。

友衣奈:学びもあるけど、けっこう遊びも大切。今までガチガチに拘束してきた学校が、修学旅行になると突然とても優しくなる。「自由にしていいよ」。言い換えれば「遊んでいいよ」となる。だから修学旅行は最後に友だちと楽しむというのが大切なんじゃないかなと思います。

里香:修学旅行に行く前はなんかワクワクするんですよ。普段学校へ学びに行くっていったらあんまりワクワクしないじゃないですか。だから現状では修学旅行は遊びがあって、学びが付け足しになっている気がします。

沙来:私は逆に文字通り学びが主体で、みんなその開放感に浸って楽しんでいるものだと思います。

颯太朗:純然たる遊びだと思うんです。先生たちも口では「よく見とけ」とか言いながらも、生徒を遊ばせているようなもので。例えば京都や奈良に行ってお寺を見て、すごいなと感心する生徒もいれば、あんまり感心しないで、宿で遊ぶかとかそういうことを考える生徒もいる。だから結局は人それぞれ。

洋平:だいたい修学旅行の料金っていうのは平均5、6万円って言われていて、普通に行くパック旅行の2倍から3倍ぐらいのお金がかかる。それは大人数で行くし、添乗員さんがいっぱい付くとか、後は事前学習とかの費用とかでそれくらいかかっちゃうらしいんですけど、その遊びにそんなお金を親に出してもらってわざわざ遠くまで行く必要ある?

里香:学校の行事として一応歴史的なところや学べるところに行かせて、「学びも大事だけど遊んで来いよ」みたいな感じで、親にもその費用を出してもらってるんじゃないかなと思います。

友衣奈:確かに遊びのために5、6万もっていうのもあると思いますけど、お金を払った分、先生も多いし、添乗員もいるし、安全を保証するためのお金だと思っていればそんなに高くはないのかなと思います。

颯太朗:親の世代も、修学旅行はほとんどが体験しているわけです。で、親たちも友だちと楽しんでいたから、子どもたちも自分たちと同じようにやっぱり楽しむものだと自然に考えている。

■修学旅行に海外はあり?

洋平:なるほど、親にもちょっと意見聞いてみたいところですね。ところで私立の学校を中心に海外へ修学旅行に行く学校が増えている。近場だと韓国や中国、遠いところだとヨーロッパ。もちろんそれに比例して費用はウン十万かかるし、ヨーロッパへ行くとなると一年生の時から積み立てして、 50 万くらい必要な修学旅行も出てきているらしい。海外に高いお金を出して行きたい?

友衣奈:ヨーロッパなんて飛行機も 11 時間くらいかかるし、ウン十万は高いかなと思います。そんなにかかるんだったら家族で行けばいいし。私は国内の方がまだ安全だし言葉も通じるし、いいと思います。

沙来:海外に行こうと思えば大人になったら行ける。国内だと私が行った東北とかは自分で行こうと思わないし、歴史的建造物も興味なきゃ見ない。だから修学旅行は貴重な機会だと思うし、それを学校側が提供してくれるならなにか体験できればいいなと思うので、海外にお金をかけてまで行く必要はないと思います。あと、公立との差も出てきちゃうからそれも問題かな。

里香:日本国内を旅行するだけでもパックツアーの二倍もお金がかかると言うのに、海外へ行ったらもうそれこそとんでもないお金がかかる。海外に行きたければ個人的に行けばいいし、日本のこともよく分かっていないのに修学旅行で海外へ行ってもあんまり意味がないかなと思います。

颯太朗:海外は日本に比べてあまり治安は良くない。国内の修学旅行の何倍ものお金かけても、安全とか保証できないわけですよ。それを考えると海外に行くならもっと平和で安全な日本のなかでのんびりとやった方がいいんじゃないかと思います。

■理想の修学旅行はどういうもの?

洋平:海外にはわざわざ修学旅行で行きたくないみたいな、それはみんな共通なのかな。じゃ自分がもし自由に決めていいって言われたらこんな修学旅行行きたいみたいなの、教えていただけないでしょうか。

颯太朗:僕は拘束されるタイプの修学旅行で、一週間まるまる京都に行きたいです。いくつかのグループにわかれていろんな名所をまわる。京都の郊外の比叡山などにも足を伸ばしていいというようなもの。

友衣奈:北海道、沖縄、京都などとたくさん選択肢があって、そのなかで行きたいところまではみんなで行って、着いたら自由行動という拘束されない旅行。修学旅行だから学ばないのはまずいので課題はちゃんとある。ただお金の面とか自分たちで考えて行動できる修学旅行が楽しいと思います。

里香:場所はどこでもいいって感じです。ただ最後の活動なので、みんなで修学旅行に行って、同じところに泊まって楽しみたいなって思います。歴史的名所もみんなで見たらきっと一人で見るよりは楽しいと思うので。

沙来:うちの学校はまったく自由。行く前に事前レポートとしてテーマを先生に提出。修学旅行中は自由に課題に添った旅行を自分で組み立て、終わった後にレポートを出すというもの。だからみんなの意見を聞いていると、現状維持が一番いいかなと。ただみんなで一緒に行動する機会があまりないので、みんなが嫌だと言っている集団行動のきつさも体験してみたいなって気がします。

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国際 報告会、レクチャー

「CE記者カンボジア取材プログラム」報告会

「CE記者カンボジア取材プログラム」報告会 2007/05/27

 「CE記者カンボジア取材プログラム」の報告会を、記者、保護者、関係者を集めて5月27日に青山子どもの城で行った。
報告会では、取材プログラム参加記者たちが撮影、編集したビデオ作品を上映、それぞれの記者が写真を見せながら感想を延べた。
  取材内容に対しては記者会見の形式で質疑応答を行い、記者会見における取材の練習をした。
   

 同日にCE卒業の大学生4名によるレクチャーを行い、CE記者は貴重な体験をした先輩の話を聞いた。
・「アイスランドにボランティアに行って」
・「インドのマザーテレサでボランティアをして」
・「ラクロス世界大会U19選手に選抜されて」
・「G8大学生模擬サミットに参加して」

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教育

漢字能力の低下?
2007/04/18                  川口 洋平( 17 )

 「『差異があった場合は報告すること』という注意書きの“差異”という漢字の意味が分からなかったために、会社に損害をもたらした」…。

 これは NHK のクローズアップ現代( 2006 年11月8日(水))で放送された、とある工場で実際にあった事例である。

「差」は小学校四年生、「異」は小学校六年生で習う漢字だ。一つ一つの漢字の意味は知っていても、その二つの組み合わせである「差異」という熟語の意味が分からなかった社会人がいたのである。

教育に関する研究開発を行っている 、 メディア教育開発センターが、大学生 18,000 人に語彙力のテストをしたところ、中学生レベルである学生が 60% に達した大学もあった。

 若者の語彙力や漢字能力の低下の原因はなんであろうか。

 原因の一つとして、携帯電話のメールやパソコンの影響があると言われている。語彙力と携帯電話使用時間の関係を 一日の携帯電話使用時間で 見 てみ ると、大学生レベルの語彙力を持つ人 の携帯電話使用時間は 一日 で 、 平均 35 分。一方、中学生レベルの語彙力しかない大学生の平均 使用時間 は 65 分であるということが、メディア教育開発センターの調査で分かった。

同 メディア教育開発 センターの小野博教授は、「確かに携帯電話の使用時間と語彙力に関係性はあるが、携帯電話を使っていないからといって、 ただ 寝てい たので て は意味がない」。つまり、時間の使い方が問題 なの だと指摘している。

 また、他の原因として、 メール等で使われる 所謂「ギャル文字」と言われ てい る メール等で使用される 変体文字があげられる。崩した文字や、適 当 切 な漢字を日常的にケータイメールで使用 する した 結果、語彙力が低下したのではない だろう か というのである 。

 日本語学を専門とする、筑波大学の島田康行准教授は 、 「ギャル文字は 、 ケータイなどの新しいツールの出現や、対話より も メールを主とするような 、 コミュニケーションのあり方の変化の中で生まれている。そういう文字を使ってよい場面をきちんとわきまえることが大切 。 」という。

しかし、 ギャル文字ばかりを使っていると、肝心なときに使い分けられなくなってしまう ことにもなりかねない 。 そのためにも 、 崩した字を使うのもいいが、 やはり 正しい漢字や語彙も身につけることが大切だろう。小野教授は「言葉を増やすのは、あっという間にはできない。本を読んだり、新聞を読んだりして語彙を増やすことが大切だ」という。昔から「本を読め」と良く言われるが、やはり基本はそこなのであろう。

小野博メディア教育センター教授へのインタビュー

 ではどのような本を読めばいいのであろうか。小野教授によると「自分の興味のある本を読めばいい。雑誌でもいい。先生が 文学的にいいと 薦める本を無理して読まなくてもいい 。 」 、 そして語彙力が高まる読み方として「本を読んでいて、分からない単語がでてきたら、すぐに辞書で調べるか周りの大人に聞くこと が大事だ で語彙力が高まる。 」という。

 さらに うれしいことに、 小野教授は「マンガを読むことも一概に悪いとは言えない」という。大学生を「小説を読む人」、「小説とマンガを読む人」、「小説は読まないがマンガを読む人」、「なにも読まない人」と分けて語彙力との関係を調べたところ、「小説を読む人」と「小説とマンガを読む人」はやはり語彙力が高かった。「なにも読まない人」が低いのは当たり前だが、 意外にも 「小説は読まないがマンガを読む人」は人によってばらつきがあった。つまり、マンガの中身や読み方が重要で、マンガを読むこと自体が悪いというわけではないのだ。

 島田准教授は語彙力や漢字力を高めるには「ひらがなで書かずに漢字で書くことで 、 どのような効果が得られているのか 、 を考えてみることが大切。また、日本語の語彙体系の中で 、 その言葉がどのような位置を占めているのか 、 を考えながら学ぶと 、 漢字が身につくだけでなく、いろいろな言葉が適切に使えるようになる 。 」という。

 語彙力や漢字力の低下は、パソコンやケータイメールの影響だととられがちだが、パソコンやケータイを使っていても、雑誌やマンガも含めて本をたくさん読み、しっかりと漢字の意味を理解し使用していけば、漢字力の低下は防げるのかもしれない。

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教育

日本語の危機

日本語の危機
2007/04/18                  島田 菫( 13 )

 「『差異があれば必ず報告すること』の『差異』という言葉の意味が分からなかった 」

工場に勤めるある若者が、製品の原料の割合が普段と違うことを、上司に報告せずに会社に損害を 与えてしまう 出してしまった 事故の原因 となった 。

「日本の若者は学力が低下している」 最近この文句をよく聞くような気がする。

島田康行筑波大学准教授へインタビュー

 日本の学習到達度調査( PISA )の読解力の成績は、 2000 年には 31 ヶ国中 8 位だったのが 2003 年では 40 ヶ国中 14 位と確かに低下している。(文部科学省ホームページより)

 しかし、順位が少し落ちてしまったくらいで学力が低下してしまったと本当に言えるのだろうか。

 筑波大学、文芸・言語専攻准教授の島田康行氏はチルドレンズ・エクスプレスの取材にこ う のように 答え て下さっ た。「学力低下という言葉が一人歩きをして、その内容が十分に考えられていない一面がある 。 」

それでは、学力低下とはなんだろうか。学力は何で測ることができるのだろう。「テストの点が悪くなること=学力低下」というならば、なるほど、確かに日本の学力は低下している。

だが、例えば学校のテストでなら 、 順位が 8 位から 14 位になってしまっ ても たことは 、「成績が下がってしまった」と大騒ぎするような 成績の ダウンだろうか。 6 位ぐらいなら次のテストで逆転できる可能性があるのではないのだろうか。

今一度、学力とはなにかについて再認識する必要があるだろう。

そこで、メディア開発センター研究開発部の小野教授は、大学生を対象とした「正しい言葉の意味を選びなさい」などの語彙力のテストと「本や漫画の作者を知っているか?」のテストを同時に実施した。その結果、日本の若者の語彙力、語学力が低下していることがわかり、日本語力の低下は本や漫画などを全く読んでいない若者には特に顕著に見られた。また、本と漫画を両方読む人、本を読む人の語彙力はどちらも高いが、漫画だけを読む人には、ばらつきが見られた。漫画の質にもよるのだろうと小野教授は推測している。

また、 PISA のテストでは記述式の問題に「無回答」が目立った。ことばの知識が少ないので、考えて物事をまとめる力、読みやすい文章に変える力が低下し、作文が書けなかったのかもしれない。

では、語彙力を 向上させ 上げ るにはどうすればいいのだろうか。小野教授はこのように語った。「自分の興味のある本を片っ端から読めばいい。雑誌でもいい。先生がこの本がいいといって無理に本を薦めると逆に読む気をなくしてしまう可能性もある。あくまでも自分から読みたいと思うことと、とにかく文字に接することが大切。また、読んで新しく得た知識を友人との会話の中で話題にして的確に説明する力をつけよう。たくさん読書をしている人に知識ではかなわない 。 が、 本を読んでいて、分からない単語があればすぐに調べて、じっくりと時間をかけて根気よく知識を増やしていけば良いい 。 」

携帯電話のメールのしすぎも原因の一つ ではないかとよくいわれる だと懸念された 。 だがそれは 「一理あるが 、 結局は時間の使い方。今では大学の新入生への有効な「時間の使い方」の授業もあるくらいだ。携帯電話のメール機能を頻繁に使う人の語彙力が低いのは事実だが、メールを使っていなくても、その時間寝ていては何の変わりも無い 。 」と小野教授は 全てをメール機能の責任にするにはおかしいと 言う。

結局は、本をよく読むべきなのだ。本を読み、知識を増やし、その知識を自分が物事を考える際に生かすことが出来れば、日本語がさらに身に付くばかりか、きっと面白くなる。

私たちの国の言葉、日本語。その言葉をもっと大切にするべきなのではないだろうか。言葉は生きている。しかし、漢字の形が簡単になる、略字ができるなど、言葉が簡単になってきている。日本語の扱いが粗雑になっているのだ。

「日本語は美しい」とよく聞くが、どんな美人でも美しくあろうと努力しなければ魅力をあまり感じなくなってしまう。日本語の手入れを怠ってしまったら、それは美しい言葉ではなくなってしまうのだ。できることなら我が国の美人、日本語の美しさを永久に保っていきたい。

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国際 その他

CE記者6名がカンボジアを訪問

CE記者6名がカンボジアを訪問  2007/03/27-04/01

                                      3月27日~4月1日、6名の記者がカンボジアのシェムリアップ地方を 訪れて「教育」「地雷」「携帯電話」について取材をした。 日本ユネスコ協会連盟の協力を得て、トンレサップ湖上 の水上寺子屋 やチョンクニア村の陸上寺子屋を訪問し、現地のこどもたちと 交流をした。 また、貧農の子女が通うクラバン村の公立小学校や、地雷博物館、 アンコール小児病院、リハビリセンターなどを訪問して、それぞれのテーマで取材 をした。最終日は世界遺産のアンコールワットやトムを訪れ、すばらしいクメール 建築の遺跡を見学した。37度の猛暑の中を文字通り汗を流しての取材と現地 の学生との交流は、初めて途上国を訪れた記者たちにとってツアー観光では得られ ない貴重な 体験をする ことができた。


2007年カンボジア交流プログラム記事
今もなお埋まる地雷
カンボジアに携帯電話?
カンボジアの「夜の寺子屋」
教育を受けるって当たり前?

2007年カンボジア交流プログラム座談会

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教育

このままでいいの? 日本の英語教育

このままでいいの? 日本の英語教育
2007/02/24                  川口 洋平( 16 )

 現在、日本の外国語教育制度が揺れ動いている。小学校からの英語教育導入が叫ばれている中で、日本の外国語教育はどのようにしていくべきなのか。日本の外国語教育の問題は何なのであろうか。英語を外国語として学んでいる国との比較はされているが、あえて、英語が母国語である英国の教育制度と比較した。

 ロンドンで小学校教師をしているポール・マーフィー氏(31)によると、英国の外国語教育は、主に仏、独、西語を11歳頃から学び始め、1週間に4~5回、文法、読解、会話の授業をしていくそうだ。北アイルランドの高校生によると、授業でのネイティブスピーカーの先生の割合も10%程度に留まり、多くが非常勤講師の先生だと言う。

 日本と同様に地域、学校等の条件により若干の違いはあるものの、多くの学校が、日本と同じような教育制度であるといえる。しかし、英国と日本の最も大きな違いは、外国語を学ぶ意識である。

 2002年のベネッセ教育総研による「高校生の学力変化と学習行動」の調査によると、全ての学力階層において、90%以上の高校生が「単語や英文法を覚えることは必要」と答えている。日本人は主に、世界の公用語とされている英語を学ばないと、国際会議等の場で通用しないのはもちろんのこと、海外旅行でも不自由という意識があるために全体的に英語学習の意欲が高いのではないだろうか。

 一方、英国の外国語に対する生徒の学習意欲に関してポール・マーフィー氏は「GCSE(General Certificate of Secondary Education)という英国の高校生の統一試験で、外国語を選択しない生徒はすぐに外国語を学ぶのをやめてしまう」という。

 ロンドンの高校生に「なぜ外国語を学ぶのか」とインタビューをしたところ、「スペイン語は発音がきれいだから勉強したい」「そもそも言語を学ぶより歴史を学んだほうが重要だと思う」という答えが返ってきた。日本人の学習意欲から比べると、とても低いといえる。

 世界での外国語教育の取り組みは様々だ。スウェーデンでは6歳から英語を学び、最初はゲームから入り、外国語学習への抵抗をなくし、授業では詩のスピーチコンテストをするなど、様々な授業を展開している。

 韓国では、一般の小学生は英語を3年生から学び、特に意識の高い人たちの間では、小学生から英語を習うための早期海外留学熱が高まっている。さらに、外国語を専門に学ぶ外国語高校があり、卒業時には、英語の他に2つ3つ外国語を話せる生徒もいるという。

 日本と同じ英語を母国語としていない国は、次々に教育を始める時期を変え、教育方法を変え、あの手この手で、外国語教育を推進している。 英語を母国語としている英国と、母国語でない日本では、明らかに学ぶ意識や目標としている水準に違いがあるにも関わらず、教育制度が一緒というのでは生徒の学習意欲に応えられない。

 日本ではどのような外国語教育を行うのが良いのだろうか。
 そもそも、文部科学省の高等学校学習指導要領では、外国語を学ぶ目的を「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や相手の意向などを理解したり自分の考えなどを表現したりする実践的コミュニケーション能力を養う。」と定めている。だが、「実践的コミュニケーション能力を養う」という目標は、まだまだ達成されていないと言えるだろう。

 ネイティブな発音からはほど遠い日本人の先生が教壇に立ち、文法を説明しながら板書をするという一般的な授業スタイルで、実践的コミュニケーション能力を養うことは不可能だ。目的を考えると、全ての教師がネイティブ・スピーカーで、授業中のコミュニケーションを全て英語で行ってもいいくらいだが、予算の関係で実現は難しい。

 単純に、小学校から英語教育を導入して、英語を学習する時期を早めれば良いという問題ではないだろう。本来の目的を達成することを考えれば、中学生と同じ内容ではなく、スウェーデンのように、スピーチコンテストを行ったりゲームなどをしながら、英語の面白さを体験し、英語でコミュニケーションをしたくなるような内容にすれば良いと思う。せっかく学習意欲がある生徒がいるなかで、いかに魅力的な授業をするかが重要である。

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国際 その他

カメルーン国営放送局シニアジャーナリスト  グレゴア・エンジャカ氏来日

カメルーン国営放送局シニアジャーナリスト  グレゴア・エンジャカ氏来日 2007/02/14

 「日本におけるアフリカ報道」をテーマに研究するために カメルーン国営放送局のシニア・ジャーナリスト兼国際協力局長のグレゴア・エンジャカ氏が来日した。
 2月14日にCE事務局で記者たちがカメルーンの教育制度などについてインタビューをした。 遠いアフリカに関する報道情報が少ないこともあり、記者たちにとっては初めて知ることばかりで、大変興味ある取材ができた。
 

関連記事

・カメルーンから学ぶ  2007/3/27   川口 洋平 (17)

・カメルーン、知ってる? 2007/3/27  三崎 友衣奈(15)

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教育

このままでいいの?日本の英語教育

このままでいいの?日本の英語教育
2006/08/29                  川口 洋平( 16 )

 現在、日本の外国語教育制度が揺れ動いている。小学校からの英語教育導入が叫ばれている中で、日本の外国語教育はどのようにしていくべきなのか。日本の外国語教育の問題は何なのであろうか。英語を外国語として学んでいる国との比較はされているが、あえて、英語が母国語である英国の教育制度と比較した。

 ロンドンで小学校教師をしているポール・マーフィー氏(31)によると、英国の外国語教育は、主に仏、独、西語を11歳頃から学び始め、1週間に4~5回、文法、読解、会話の授業をしていくそうだ。北アイルランドの高校生によると、授業でのネイティブスピーカーの先生の割合も10%程度に留まり、多くが非常勤講師の先生だと言う。

 日本と同様に地域、学校等の条件により若干の違いはあるものの、多くの学校が、日本と同じような教育制度であるといえる。しかし、英国と日本の最も大きな違いは、外国語を学ぶ意識である。

 2002年のベネッセ教育総研による「高校生の学力変化と学習行動」の調査によると、全ての学力階層において、90%以上の高校生が「単語や英文法を覚えることは必要」と答えている。日本人は主に、世界の公用語とされている英語を学ばないと、国際会議等の場で通用しないのはもちろんのこと、海外旅行でも不自由という意識があるために全体的に英語学習の意欲が高いのではないだろうか。

 一方、英国の外国語に対する生徒の学習意欲に関してポール・マーフィー氏は「GCSE(General Certificate of Secondary Education)という英国の高校生の統一試験で、外国語を選択しない生徒はすぐに外国語を学ぶのをやめてしまう」という。

 ロンドンの高校生に「なぜ外国語を学ぶのか」とインタビューをしたところ、「スペイン語は発音がきれいだから勉強したい」「そもそも言語を学ぶより歴史を学んだほうが重要だと思う」という答えが返ってきた。日本人の学習意欲から比べると、とても低いといえる。

 世界での外国語教育の取り組みは様々だ。スウェーデンでは6歳から英語を学び、最初はゲームから入り、外国語学習への抵抗をなくし、授業では詩のスピーチコンテストをするなど、様々な授業を展開している。

 韓国では、一般の小学生は英語を3年生から学び、特に意識の高い人たちの間では、小学生から英語を習うための早期海外留学熱が高まっている。さらに、外国語を専門に学ぶ外国語高校があり、卒業時には、英語の他に2つ3つ外国語を話せる生徒もいるという。

 日本と同じ英語を母国語としていない国は、次々に教育を始める時期を変え、教育方法を変え、あの手この手で、外国語教育を推進している。 英語を母国語としている英国と、母国語でない日本では、明らかに学ぶ意識や目標としている水準に違いがあるにも関わらず、教育制度が一緒というのでは生徒の学習意欲に応えられない。

 日本ではどのような外国語教育を行うのが良いのだろうか。
 そもそも、文部科学省の高等学校学習指導要領では、外国語を学ぶ目的を「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や相手の意向などを理解したり自分の考えなどを表現したりする実践的コミュニケーション能力を養う。」と定めている。だが、「実践的コミュニケーション能力を養う」という目標は、まだまだ達成されていないと言えるだろう。

 ネイティブな発音からはほど遠い日本人の先生が教壇に立ち、文法を説明しながら板書をするという一般的な授業スタイルで、実践的コミュニケーション能力を養うことは不可能だ。目的を考えると、全ての教師がネイティブ・スピーカーで、授業中のコミュニケーションを全て英語で行ってもいいくらいだが、予算の関係で実現は難しい。

 単純に、小学校から英語教育を導入して、英語を学習する時期を早めれば良いという問題ではないだろう。本来の目的を達成することを考えれば、中学生と同じ内容ではなく、スウェーデンのように、スピーチコンテストを行ったりゲームなどをしながら、英語の面白さを体験し、英語でコミュニケーションをしたくなるような内容にすれば良いと思う。せっかく学習意欲がある生徒がいるなかで、いかに魅力的な授業をするかが重要である。

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