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報告会、レクチャー

2013「カンボジア取材旅行」「第6回・第7回国際青少年メディア・サミット」報告会

 去る6月16日(日)13時から、TKP渋谷カンファレンスセンター(8A)で、3月末に実施したカンボジア取材旅行の報告会と、2011年、2012年にセルビアのベオグラードで開催された第6回、第7回国際青少年メディア・サミットの報告会が行われた。
記者、修了生、保護者、理事、スタッフ、ユースワーカー、そして関係者たち約30名が集まり、カンボジア取材旅行に参加した記者たちが撮影・編集したビデオを上映し、二人の記者が、パワーポイント・スライドを使ってそれぞれ5分間のプレゼンテーションを行った。続いて、青少年メディア・サミットの参加者が撮影・編集したビデオを上映した。

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カンボジア訪問(5記事)

カンボジアの義務教育の陰
2013/05/19                米山 菜子(16)

 2013年3月24日から29日までカンボジアで取材を行った。道路を埋め尽くすように走るたくさんの外国の車やバイク。ネオンで光る大きな建物や高層ビル。きれいな彫刻が施された立派なホテルに目を奪われた。だが、めまぐるしい発展をしている一方、教育面ではまだまだ問題点が見えた。カンボジアの英字新聞社カンボジア・デイリーの編集長ケビン・ドイル氏と現場の教師らの話からカンボジア教育の実態を追った。

カンボジアデイリー編集長の取材

 まず、教師になるには、政府の教師育成センターで研修をし、教員資格を得る。しかし、政府の承認のない教員資格も多いとケビン氏は言う。教員資格のみならず、博士号や大学院修士号もお金で買ったり、政府の認証を得ていないものがあるという。そのため、「学歴や資格免許は信用できず、履歴書に資格が書いてあっても、すぐには信用せず、自分で見極める」とケビン氏は話した。

 私立の学校が高い月謝をとって慎重に選んだ有能な教師を採用しているのに対し、政府に承認されない教員資格を持ち授業をしている教師も少なくない公立小学校は、授業の質が良くないという。ポルポト政権が終わり、カンボジアに教育が始まった頃には、中学を卒業しただけで教師になれたそうだ。現在では高校を卒業して、政府の教員養成所で2年間研修をして、教師の資格をとるそうだ。

 訪問したカンダール州の公立バンキアン小学校やプノンペンの公立トロピエンスパイ小学校の授業の光景はとても単調だった。教師が質問したことに1人の生徒が答える。その答えを全員で繰り返す。答えた1人の生徒以外は、ただ繰り返しているだけだ。生徒に考えさせることをさせないのだ。この光景は大半の公立小学校で見られるとケビン氏は言う。

 また、公立学校は教師の給料が少ないそうだ。バンキアン小学校で教師をしているチム・ティダー先生(20)やトロピエンスバイ小学校の教師、サウ・ワンナーロム先生(53)は口をそろえて「教師の給料だけでは生活できない」と話した。ケビン氏は公立学校の教師の給料が少ない理由を2つ挙げた。

 1つは、政府予算が教育の現場にまわっていないことだ。政府は資金を軍事費や警察など治安費にまわし、教育にはあまり予算を充てていないという。教育より軍事・治安優先のカンボジア政府の姿勢が見える。2つ目は地方役人の横領だ。給料が政府から学校に届けられる間で地方自治体の役人が教師の給料を横領していることがあるという。そして、給料が2ヶ月から5ヶ月遅れることも少なくないという。

トロピエンスパイ小学校の授業風景

 教師は生活するために給料だけでは足りない分を農業をしたり、家族で仕事をして充当しているそうだ。また生徒からも様々な名目でお金を貰っているそうだ。義務教育中(小学校1年生から中学校3年生)は公立学校の学費は無料となっている。しかし、生徒は教師の給料が少ないことを理解しており、金額は家庭によって異なるが、毎朝教師に寄付としてお金を渡すという。また、進級試験もお金を払わなければ受験できない。この進級試験を受けなければ留年となるため、お金がない場合は他人から借りる親もいるという。貧しい家庭のこどもは、お金がないためにテストを受けられず、しかたなく留年や退学をすることもあるそうだ。

 教師にテストの際にお金を渡すという話は、カンボジア・デイリーだけでなく、ソウルからプノンペンへの飛行機内で出会ったカンボジアの女性や、取材をしたアジア財団のグラント・ディレクターのマリーン・ソク氏も言っていた。カンボジア・デイリーで働く女性は、学生時代に、この進級試験で早く提出した優秀な生徒の解答を試験監督の教師が他の生徒に売り、お金を得ていることがあったと話した。他にも教師の妻が給食を作り、生徒に売ることで利益を得ていることもある。もちろん、これらの支払いは政府の教育省で定められているものではなく、暗黙の了解のようになっているようだが、「これは税金みたいなものだ」とケビン氏は語った。カンボジアでは、役人の間に横領が蔓延しているそうだが、役人の給料が安いために、これも暗黙の了解のようになっているそうだ。

 カンボジアの学校(義務教育)は二部制だ。そのため、教師は午前か午後のいずれかに教壇に立ち、それ以外のときには、塾をひらいて試験問題を教えたりするそうだ。もちろん生徒は塾の授業料を支払う。このように、様々な形で教師は生活のための収入を得ているそうだ。そのため、富裕層が多い都会で勤めることを望む教師が多く収入の少ない地方の学校では、勤めたがる教師が少なく、教師不足が深刻だという。

 このような様々な問題を減らすためには「教師や役人などの給料を上げることが重要」とケビン氏は語る。役人や教師の給料を上げることで役人の横領は減り、教師の手には充分な給料が渡る。教師が自分の給料だけで生活できるようになれば、生徒からお金を貰うこともなくなり、地方の教師不足も改善されるだろう。大きく経済成長が進むなか、子どもたちから教育の機会を奪うことは、この国の将来を握る子どもたちの明るい未来を奪うことにならないだろうか。

幼いときに学ぶということ
2013/05/19                米山 菜子(16歳)

 「2015年度までに75%以上の5歳児が教育を受けられるように」
カンボジア政府が出した目標。(「幼い難民を考える会」のHPより)実際に政府は、2008年からの3年間で450ヶ所の公立地域幼稚園を設けた。この450ヶ所全てに教材を提供した日本の認定NPO法人がある。「幼い難民を考える会(CYR)」だ。CYRはカンボジアの幼児教育への資金援助のみならず、保育士の育成や、現地の人々が保育所を自主運営していけるようなノウハウを広げる活動をしている。幼児教育はなぜ必要とされるのか。彼らの活動から答えを探った。

プレイタトウ保育所の給食風景

 カンダール州カンダールスタン郡、バンキアン地区プレイタトウ村にあり、CYRが運営協力をしているプレイタトウ保育所と同地区バンキアン村にある、バンキアン保育所を訪れた。どちらの保育所も門をくぐると大勢のこどもたちが出迎え、行儀良く挨拶をしてくれた。そして、教室の周りには教師の手作りによるシーソーなどの遊具が並ぶ。教室内に置いてある絵本や人形も教師やカンボジアの女性による手作りだ。自分たちだけで直せるよう、遊具や教材はカンボジアで作っている。

 こどもを保育所に通わせる保護者はこどもの成長を嬉しそうに話す。娘を1人通園させているラーン・ソッキムさんは保育所に通うようになってから、お絵かきや歌などができるようになったそうだ。また、ソム・サコーンさん(30)の息子は食事の前に感謝の言葉を言うようになったという。サコーンさんは「こどもが家にいると、安心して仕事ができないため、保育所の存在はとても大きい」と語った。

 CYRでは保育所で、栄養バランスを考えた給食を出している。プレイタトウ保育所で子どもたちと記者も一緒に食べたその日の給食は、白米に揚げた卵、豚肉や野菜がたっぷり入ったスープだった。スープの味は日本の給食と同じ味がした。こどもたちはお腹いっぱい食べたあと、歯磨きも忘れない。保育所には一人ひとりの名前が入った歯ブラシがずらりと並んでいた。また、昼食前には井戸水をくみだして水浴びで身体をキレイに洗っていた。昼食後はみんなで昼寝をするそうだ。CYRではこのような基本的な生活に欠かせない保健衛生の習慣も教えている。

 幼児教育を受けたこどもは学校での成績や生活態度にも反映されるようだ。バンキアン保育所の近くにあるバンキアン小学校のチム・ティダー先生(20)は、「幼児教育を経て小学校に入学したこどもは、理解や文字を覚えるのが早く、授業内での発言も多い」と話した。また、同小学校のチュウォン・ソクキム校長は、幼児教育を受けている子どもの方が衛生面も良く、ルールを守るように感じるそうだ。そして、同小学校の生徒、ダム・ソッヘインさん(11歳・小5)は「保育所を出ている子は友だちとよく話す」と語った。さらに、プノンペン市サエンソック郡プノンペントゥメイ地区にあるトロピエンスバイ小学校に通うトール・ソックバンくん(13歳・小4)は「幼児教育を受けていないこどもは鉛筆を上手に持てるようになるまで時間がかかり、言葉遣いもあまり良くない」と話した。そして、CYRカンボジア事務所所長の関口晴美氏(61歳)は「よい成績をとることは向学心にもつながる」と語る。

保育所内の歯ブラシ

 「大学に行きたい」と語る高校3年生のサーン・ヴィチェットくんはカンダール州カンダールスタン郡プレイスレン地区プレイスレン村に住み、バンキアン保育所を卒園している。彼の通うプレイスレン高校は約70%の生徒が幼児教育を受けているそうだ。また、彼が通った保育所の友だちは、ほぼ全員が高校まで進学しているとヴィチェットくんはいう。彼は「将来は会社に勤めて給料の半分を親に返したい」と話した。

 CYRが運営協力しているプレイタトウ保育所とバンキアン保育所は3歳児から5歳児を預かり、午前7時から午後3時までの一日保育だ。しかし、幼稚園や保育所が増えるなか、一日保育をしているところはまだ少ない。「政府が設立した公立地域幼稚園は1日2時間の保育だ」と関口氏はいう。また、5歳児の幼児教育は推進しているが、文字に興味を持ち始める3歳児や4歳児の幼児教育はまだ浸透していないそうだ。カンボジアの幼児教育にはまだまだ問題点があるが、CYRが運営協力をしているバンキアン保育園に通ったヴィチェットくんの母親は「保育所では小学校に入学するまえの準備ができるだけでなく、いろいろなことを学べるので、保育所には未来がある」と話した。とても説得力のある言葉だった。

カンボジアで求められる教育ソフト面の支援
2013/05/19                飯田 奈々(17)

 日本では小学校就学率は100%(平成24年:文部科学省資料)である。カンボジアでも、小学校6年間、中学校3年間の計9年間は義務教育であるが、カンボジアの小学校就学率は69%(平成24年 日本外務省資料)だ。就学率の低いことも問題ではあるが、小学校といっても日本のような設備の整った小学校に通うことはできない。カンボジアの学校教育に関する問題はまだまだ多い。どのような問題を抱えているのか、実際にカンボジアの小学校に足を運び、取材を行った。

 3月26日、首都プノンペンに近いカンダール州バンキアン村のバンキア小学校を訪問した。 砂の校庭をはだしやサンダルを履いて、「かごめかごめ」のような遊びをしている子どもたち、サッカーボールで遊んでいる子どもたち、鬼ごっこをする子どもたちもいる。多くの溢れんばかりの笑顔が、気温37度の強い日差しの中で輝いていた。
  
 チャイムがなると、彼らは一斉に各教室へ戻っていった。授業の様子をのぞいてみると、多くのクラスで先生の言ったことを大きな声で繰り返す光景があった。 あるクラスの黒板には数字が並んでいた。 算数の授業もオオム返しに先生のあとに続いて声を出すことによって進められているようだった。

 教育の現状について、カンボジアの英字新聞「カンボジアデーリー」の編集長ケビン・ドイル氏は、この繰り返すだけの授業に警鐘を鳴らした。「このような授業では、学校にきている子どもたちの学力向上に限界がある。教師の教育をして、もっと教育の質の向上を促さなければならない。新たな人を教育するよりも、今いる人材を再教育した方が近道なのではないか」と語った。

 カンボジアで生まれ育ち、今は働きながら王立プノンペン大学大学院へ通っているマリーン・ロクさんは、教育の「質」の向上の大切さを次のように述べた。「教育の向上とは、必ずしもみなが大学院へ行くことではなく、教育の質をあげることだと思う。これが経済成長に繋がるし、教育の質の向上は本当に重要である。」

 バンキア小学校や首都プノンペン市にあるトロピエンスバイ小学校には、日本の小学校では当たり前にある、理科の実験室がなかった。生徒たちはみな、机上だけで理科を学んでいた。
 
 これは高校へ行っても変わらない。 「実験室なんてないし、すべての科目は本で学ぶしかない」とカンダール州プレクスレン高等学校3年生のサーン・ヴィチェットさん(18)は語った。「学校には教科書も足りない。図書室はあるが、本がとても少ない」とも教えてくれた。

 カンボジアデーリーのドイル氏は「パソコン、世界地図、図書室、さまざまな書籍など二次的なものがない学校が多い。そのようなものこそ大切なのに、先生と生徒と建物のみがあればいいわけではない」と述べた。

 またドイル氏は意外な理由をあげた。「カンボジアではトイレの無い学校もある。小学校では30%、中学校では22%、高校では50%の学校にトイレはない。あっても、機能していないトイレもある。その結果、生徒たちは草むらで用を足さなければならないのだ。これが女子生徒のドロップアウトの原因の1つになっているのではないか。」

 実際のところトイレに関してはプレクスレン高等学校の比較的裕福な家庭の3年生であるトム・デューシエンくん(18)は「学校には、女子トイレが2つ、男子トイレが2つある。でも学校のトイレはきたないから入らない。学校は半日で終わるから、家に帰るまで我慢できる」と語っていた。

 このように、学校の建設をハードの面での支援というならば、カンボジアでは教育のソフトの面での支援もかなり求められている。ただ単に校舎を建設するだけではなく、学校を運営していくにあたり、ソフトの面での支援が非常に重要であることが取材でわかった。

バンキア小学校

 現地の人々が望む支援が行われているかどうかを知るために、カンボジアで290棟を超える校舎の建設、運営をサポートし、音楽や美術教育などのソフト支援も実施している認定NPO法人JHP・学校をつくる会の事務局長の中込祥高氏、事務局の浦野聖氏に4月18日、東京で聞いた。

 中込氏はこう語る。「ソフト面の支援は子どもの健全な成長に欠かせないことは分かっているが、なかなか実現できないのが現状である。形に残る校舎の建設へ寄付してくださる人々がほとんどで、寄付した実感が視覚的に得られにくいソフト面の支援はお金が集まりにくい。ソフト面の活動のPRが難しくあまりできていないのも事実であるが、一人ひとりの人材育成に直接つながる支援にも関心を深め、寄付をしてくださるとありがたい。」 カンボジアではまだ校舎が足りていないので、「校舎という共有の場所をまず最初に建設して、そこからだんだんと教育の質の向上を目指していけばいい」という考え方もある。しかし、校舎の増設とソフトの面での支援による質の向上が同時に達成されていくことが理想であることには間違いはない。自分の寄付金が本当に必要とされているところはどこなのか、それを判断するためにカンボジアの現状を知るアンテナを常に張ることが求められている。一方、カンボジアへの支援団体も、現地の状況をしっかり伝えていく努力がこれからも必要であろう。

彼らの姿、あなたの目にはどう映る?
2013/05/19               飯田 奈々(17)

 2013年3月24日から29日の5泊6日で「教育」という大きなテーマをのもと、記者3名はカンボジアの首都プノンペンで取材を行った。

 プノンペン国際空港から都心への道は、立派な首相官邸をはじめとする多くの高層ビルが立ち並んでおり、舗装された道路には外国の高級車が走り、日本に見られるようなスーパーマーケットもあった。想像以上に近代化された、経済成長率7.08%(2011年、出典: IMF – World Economic Outlook Databases)のカンボジアを象徴する姿があった。

 空港から近いプノンペン市ポーサンチェイ郡コークロカー地区アンドン村では、経済成長の中で切り捨てられた人々が、厳しい貧困生活を強いられている光景が見られる。首都拡張のために、以前住んでいた地域を強制的に退去させられたのだ。村に足を踏み入れるためには長靴が必要であった。そこは、生活用水などの汚水が流れ込む場所に位置していて、乾季でさえも高床式の床に届きそうなかさの水が家の周りに溜まっていた。悪臭が漂う空間で、大人だけでなく幼い子どももはだしで水の中を歩いていた。この地域では汚水から湧き出てくる蚊を媒体としたデング熱やマラリヤなどの恐ろしい病気が絶えないそうだ。訪問した家庭では、働き手の父親が病気で横たわっていた。

トロピエンスパイ小学校のトイレ

 カンボジアでの貧富の差は「雲泥の差」という言葉がふさわしい大きな隔たりがあるようであった。

 しかし、このような貧富の差が見られるカンボジアで、学習に対する姿勢においては、この差と同じような違いは見られないということが、王立プノンペン大学の学生への取材で分かった。王立プノンパン大学はカンボジアのエリート、とくに公務員を育てる国立大学で、日本の東京大学のようなものだ。環境科学学部の、ホーム・ボレイさん(20)、ウック・ソファントさん(20)、イム・サーヴースさん(20)アイン・セレイラスさん(20)、キ・チャニーモイさん(19)、ナウン・チャンリウォットさん(19)にインタビューをした。

 このうち地方の貧しい家庭出身の学生たちは奨学金を受け、大学に通うことができている。そこまでして通っている理由と将来の夢を彼らはこう語る。「大学で多くの知識を吸収して、良い仕事に就いて収入を得、まだ小さい弟たちのサポートをしたい。できれば、海外の大学院へ行き、環境保全をする人になってカンボジアに貢献したい」(ソファントさん)「教育は国の発展に必要なものだと考える。大学では知識をたくさん得て、将来は政府機関で働きたい。そうなることで父を喜ばせたい」(ボレイさん)「大学教授や研究者になりたいという情熱を持っているから。海外で奨学金をうけ、海外の大学院へ進み、博士課程まで進みたい。私は村で初めて大学へ行けた人だから、村に帰ってこの知識を活かし、村の発展につなげていきたいとも考えている」(イムさん)

 いっぽう比較的裕福な家庭出身の学生たちは、大学に通っている理由を次のように述べた。「知識をもっと増やしたい。イギリスへ留学するための手段として大学へ通っているが将来はカンボジアで公務員として政策を作り、環境保全に従事する人になりたい」(セレイラスさん)「教育は明るい未来のために大切。自分が勉強してきたことを活かした仕事につきたい」(チャニーモイさん)「いい仕事を得るため。英語の講義をする教師になりたい」(チャンリウォットさん)

 このように、貧困層と富裕層の学生で学習に対する姿勢の違いが見られなかった。全員が国の発展への責任を感じ、前向きに今自分にできることに精一杯取り組んでいた。そして、貧富に関わらず皆口々に今ここで勉強をしていることへの感謝を述べていた。

 また、富裕層の学生からこのようなことも聞くことができた。「国内の貧富の格差を感じる。私ができることとして、大学で学んだコンピューター技術とかを村の人に教えていきたい。貧困がなくなるためには、教育が大切だから子どもだけでなくもっと世代の上の人への教育も行い、農業の改善に繋がればいいと思う」(セレイラスさん)「貧困を減らしたい。そのためには日本のように適材適所に人材を置くことが大切であると思う」(チャンリウォットさん)「今はすごく貧富の差があるが、将来そのギャップが縮まればいい。地方では伝統的に女の子に勉強をさせたくないという風習があるのでそういう両親に教育の大切さを訴えていきたい」(チャニーモイさん)

 最後に富裕層のセレイラスさんはこう述べた。「私達はひとつの国であり、誰かが誰かを見下す環境にあってはならない。助け合って生きていきたい。皆で協力して、国の発展に繋げたい。」と。
 
 今の日本で、学べることができる喜びに気がついている人はどのくらいいるのだろうか。学校に通っている目的をはっきり言える学生はどのくらいいるだろうか。また、自分の将来、国の将来についての目標へ向かって努力をしている、と胸をはっていえる人はどのくらいいるだろうか。裕福な人もその立場への責任を持っており、何よりも貧富に関係なく、感謝の心を忘れず、目的を持って勉強し、高い志を持ちながら日々努力を惜しまない彼らの姿を見て、胸に突き刺さる思いの人が日本には多くいるだろう。

JHP事務局長中込祥高氏を取材

夢を持って選んだ道
2013/05/19                米山 菜子(16歳)

 カンボジアで3人の女性に会った。1人目は働きながら大学院へ通う女性、ロク・マリーンさん(29歳)。そして、彼女とは対照的に、義務教育(小学1年生~中学3年生)を終えずに織物を職とした女性スレイ・ネットさん(16歳)。3人目は高校を卒業し、自分の卒園した保育所で働く女性、ソン・ブンターさん(25歳)だ。彼女たちを通して、女性の生き方を見た。

 「女性は白で男性は金」
 カンボジアではとても有名なことわざだとマリーンさんは言う。その意味は、白色の布は一度汚してしまうと二度と真っ白には戻らないが、金は何度汚しても金に戻すことができることから、女性の純白さを表しているそうだ。しかし、このことわざが転じて「女性が高等教育を受けると、男性に尊敬の意をはらわないようになる」と考えられていることもあるとマリーンさんは言う。それを裏付けるかのように、マリーンさんが高校生のときはクラスの5割が女性だったが、大学では3割に減ったという。

 首都プノンペンのあるカンダール州の隣に位置するタケオ州バティ郡トロピエンクラサン村に生まれ育ったネットさんの家庭では、2人の兄は高等教育を受けているが、ネットさんと姉は義務教育を修了せず小学6年生で通学をやめ、働き始めた。現在は「幼い難民を助ける会(CYR)」が運営する織物研修センターで働いている。地域によってはこのように、女性は十分に教育を受けずに仕事を始めたり、結婚をしたりする風潮があるそうだ。このような環境で育ったネットさんは「勉強があまりできないから」という理由で進学をやめ、地元の伝統的な女性の仕事である織物を始めた。

 しかし、ネットさんは「勉強がしたくない」というモチベーションだけで仕事をしているのではなかった。自分たちの母親や近所の女性たちがやっている「織物の技術を高め、織物を続けたい」という幼い頃から持つ夢を胸に日々働いていた。彼女たちは夢を叶えるために進学よりも現金収入につながる技術を得る仕事を選択した。

プノンペンの高層ビル街
アンドン村のスラム

 自ら選んだ道を進み、夢を叶えた女性もいる。ブンターさんだ。ブンターさんは「子どもが好き」という想いから保育所で働くことを夢みた。彼女が住むカンダール州のカンダールスタン郡、バンキアン地区プレイタトウ村には、縫製工場ができてから、中学や高校を卒業して、働きはじめた友人が多くいたそうだ。しかし、彼女は夢を叶えるために高校を卒業し、プノンペンの国立保育士養成所で2年間の研修を受け、彼女が通ったプレイタトウ保育所に保育士として戻ってきたのだ。ブンターさんは「絵や文字を書くことを子どもたちに教えたい」と笑顔で語った。

マリーン・ソクさんを取材

 マリーンさんも、教育を通して夢を叶えようとしている。首都プノンペンから遠く離れたバッタンバン出身の彼女の夢は開発プロジェクトで働くことだ。そのために、国際的NGOであるアジア財団で働きながら、王立プノンペン大学院で開発学を学んでいる。また、女性としてかなりのキャリアを積んだ彼女だが、「全ての人が高等教育(大学、大学院)を受ければよいわけではない」と考える。また、「高等教育を受けられる人を増やすことよりも義務教育の質を上げることの方が求められている」とも語った。今は小中学校が乱立され、教員不足など管理しきれず、学校によって教師の質が違うそうだ。高校以前の教育はカリキュラムをこなすだけのものになっているなか、マリーンさんは、とくに旧い慣習にとらわれている地方の子ども達の義務教育の大切さを広めていきたいと話した。

 彼女たちはいずれも自分の夢を明確に持ち、自信を持って自分の進むべき道を歩んでいた。日本に目を向けてみると、親の給料で学費を払い、向学心も持たず大学に進学する学生が多い。高校生のときから専門的な技術を学べる商業高校や工業高校に通う学生や、大学に行かずに働く人は少なくなった。日本では戦後、大学の数も増え、高等教育の進学率が上がったが、学習する目標を持った学生が減少してはいないだろうか。カンボジアで3人の女性の生き方をみて、「進学することが当たり前」というような日本の風習に疑問を覚えた。

王立プノンペン大学の学生たちと
スレイ・ネットさんを取材
ソン・フンタさんを取材
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カンボジアでの偉業を成し遂げたクリッシャー氏

バーナード・クリッシャー氏への取材

青野 ななみ(18)
2011年3月、第2回カンボジア取材旅行に記者の一人として参加し、児童労働や児童買春問題に関わるNGOを取材した。児童問題は貧困問題の解決なくしては改善されないことを知った記者は、実際に貧困児童のためにカンボジア全土で数々の事業を展開しているバーナード・クリシャー氏(80)に成功の鍵や学生が学ぶべきことを取材した。
    
 「いかに女子の就学率を高め、学校に通い続けるようにするか」このミッションに立ち向かっているのが元「ニューズウィーク」アジア局長のバーナード?クリッシャー氏である。カンボジアにおけるポルポト政権の大虐殺後、1991年パリ和平条約協定が締結され、北京より帰国したシアヌーク殿下(元国王・国家元首)からの要請を受け、クリッシャー氏は国の復興・再建に協力することを決める。

 まず1993年に非営利団体「ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア」を日本に、「アメリカン・アソシエーション・フォー・カンボジア」を米国に設立し、両国で寄付や助成金を募り、世界銀行やアジア開発銀行からの資金を得て、カンボジアの貧しい農村に現在までに500以上もの学校を設立してきた。ジャーナリストだったクリッシャー氏は、同年カンボジアで初めての日刊英字新聞社「カンボジア・デイリー」を設立した。1996年には貧しい人に無償の治療を提供するシアヌーク病院「ホープ・センター」を創設し、2001年、国際的な慈善活動を称えて贈られるグライツマン賞を受賞した。

 「カンボジア・デイリー」によると、カンボジアでは半数以上の家庭が一日2ドル以下で生活し、未だに多くの数の子ども達が最悪の労働環境で働いているそうだ。このような子ども達を救うには、教育の普及こそが最も重要だとクリッシャー氏はいう。教育を受けることができれば、仕事に就くことができる。また、学校に行くことで同世代の子ども達と交流することができるし、保健授業を通してエイズについて学ぶこともできるというメリットもある。

 クリッシャー氏の数々の事業の一つに「Girls be Ambitious(少女よ、大志を抱け)」がある。途上国の貧しい少女を児童買春の被害者にさせないために最も効果的なアプローチは、そもそも児童買春されないようにすること。つまり、学校に通い続けられるようにし、教育を受けること。この事業は、そのような女子の就学率を高めるため、一ヶ月間毎日学校に通うことができたら、その家庭に毎月10米ドルを提供するというものだ。この方法は効果をあげ、メキシコなどでも似たような方法が始まったという。

 この行動力はどこから出てくるのだろうか。カンボジアを始め、多くの途上国では事業を実行する上で許認可をもらう役所に賄賂を払わないと進めていくことができないといわれている。しかし、クリッシャー氏は一度も払ったことがない。「当初賄賂を求められた際に、私はあなたたちの国を助けているのだから、賄賂を払わなければいけないのであれば、援助はしない」と言い切ったそうだ。「私には何も不可能なことはない。私は絶対に諦めない」という言葉には、ここまで様々な実績を残してきたからこその重みと説得力があった。

 1960年代にインドネシアのスカルノ大統領に「ニューズウィーク」東京特派員として取材をし、気に入られた。その後ジャカルタへ行った際にカンボジアのシアヌーク殿下を紹介された。シアヌーク殿下から要請された復興事業を始める際には、信頼できる現地スタッフを紹介されたという。また、スタッフには無料の医療を受けられるなどのサポートをしっかりしている。

 スタッフには教えることが多くあるが、そこで課題となるのは忠誠心だそうだ。カンボジア人は忠誠心を知らず、アンコールワットのフレスコ画に描かれている残酷な絵やポルポトの大虐殺のように、残酷な面もあるそうだ。常に嫉妬心を抱いている。些細なことでも大きな問題になってしまうため、クリッシャー氏は些細な問題と重大な問題を区別することを教えているという。

クリッシャー氏と記者

 では、カンボジアのような国で貧しい児童への支援活動をしたいと考える学生は何を学ぶべきであろうか。答えは「心理学、カウンセリング、社会学などを学ぶこと。また日本でも同じように児童買春被害者の支援をしている組織の中で働き、問題についてどのように対処しているのかを学ぶこと。そして何よりも大切なのは、机上の勉学だけでなく現地に行って経験をすることだ」とクリッシャー氏は強調する。そのような経験を積んでから、国際的に活動することができるのではないか、とも言われた。   新聞社、病院、学校、そして様々な大偉業を成し遂げた裏には、クリッシャー氏の、打たれ強い諦めない不屈の精神があった。

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カンボジア取材プログラム(5記事)

自立に挑戦する子どもたち
2011/06/01                飯沼 茉莉子(14)

 チルドレンズエクスプレスのカンボジア取材プログラムとして訪れたプノンペンは、 首都であることから、 高級ホテルがいくつも建ち並んでいた 。しかし、カンボジアは、長く内戦が続いた途上国であり、少しずつ経済は発展しているものの、人々の生活が豊かであるとは感じられなかった。 注目したのは孤児や貧しい農村地方の子どもたちの 自立支援だ。

Bright Future Kids Home

 プノンペン市内にあるFLO(Future Life Orphanage )という孤児院を訪れた。 Nuon Phaly会長 は「ここには、6歳から16歳までの390人の子ども達がいます。そのうち100人は村から通っていて、残りはここに住んでいます。100人の子ども達は、午前中は公立学校へ通っているので、午後からここに学校外教育(Non-formal education)を受けにきます。村から通っている100人の子どもたちも受け入れたいのですが 、ここにはもうスペースもないので、親のいない子ども達を優先的に受け入れています」という。

 FLOには、パソコン、空手、カンボジアの伝統的な踊りのクラス 、さらに 日本語、英語、クメール語などコミュニケーションに必要なクラス もある。それは孤児達が将来少しでも良い職業につくためだ。子どもたちも自覚していて「英語ができないとパソコンも使えない」「パソコンが使えると、将来仕事に就くときに有利だ」と語っていた。

 FLOを卒業してから 、もっと勉強をしたい子ども達に対しては、2年間大学の授業料を払うという。大学に行かない子どもは、専門学校に進んだり、職業訓練を受けるそうだ。自立してからも、必要な子どもに対しては、日常生活を送れる程度の資金や食べ物も援助しているという。

 FLO の子ども達は様々な理由で孤児院に集まってきている。母親がHIV のために、子どもだけが 連れてこられたり、両親を亡くして伯父や叔母に連れてこられた子ども、当時の記憶がない子どもなどがいる。

 次に訪れたのは、孤児院ではないが、優秀な生徒を貧しい農村地方 から集めて 全寮制で勉強をしているBFKH(Bright Future Kids Home)という施設だ。BFKHは2007年9月に日本や米国から寄付援助をうけて米国人ジャーナリストによって設立された。代表者のPark Savang氏 によると 現在中学1年生から高校3年生までの 48人がここで授業を受けているそうだ。

「ここに住んでいる子ども達は孤児ではありません。優秀なので、地元の小学校の先生に推薦されてきた子ども、テストに合格をした子ども、私達が派遣したスタッフによって選抜された子ども達なのです」とSavang氏 は胸を張った 。家庭の経済的な事情や、本人の勉強への意欲をみて、受け入れるかどうかを面接を通して判断されるが、 地元に高校がないなど、田舎に住んでいる子どもも多いため、BFKHに入ることが決まった時は、家族全員で喜ぶという。

FLO Ms.Phaly

 生徒 達は朝4時30 分から5時の間に起床 し、午前中は公立の学校で授業を受ける。 午後からBFKHで英語、クメール語、パソコンの授業を集中的に受けるそうだ。日本語のクラス も週に2回ある。ここでもFLOと同じように、パソコンと英語のクラス には特に力を入れている。「パソコンができると、世界が広がるし、レポートや調べ物をする時に役に立つ」と彼ら は話した。パソコンのクラス では、専門の先生からHTMLやエクセルを習っているそうだ。子ども達に取材をしてみ ると、全員 パソコンを使いこなし、世界の様々な情報を取り入れているらしく、知識が豊富だった。 BFKHには将来医者を希望する子どもがたくさんいた。「医者になって病気の人を助けたい」、「医者の足りない田舎に行って、病気の人を助けたい。」子ども達はこのような夢を抱いて、今必死で勉強をしている。しかし、副代表のSarun Panharith氏によると、カンボジアの医大の学費は 日本円で年間250万円だそうだ。これを個人で8年間払い続けるには相当 無理がある。奨学金はもらえるが、医学生にとっては学費の8%にしかならないそうだ。だが、BFKHはカンボジア・デーリーという新聞社と連携 して、医学部の学費を援助してもらえるスポンサーを探すという。ただ、BFKHは設立されたばかりであるため、医大 に入ったという実績はまだ一度もないそうだ。これから生徒が、たくさん医大に入った時、学費をどうするかが当面の課題だ。

カンボジアの子どもたちを支えるNGO 
2011/06/01                富沢 咲天(15)

 カンボジアでは多くの子どもたちが学校に行かれず一日中働いている。18歳未満の子どもの労働は国の法律で一応禁じられてはいるが、国民の認識はまだまだ薄い。2001年に行われたカンボジア児童労働調査によると227万6千人の子どもが働いており、これは5~17歳の児童人口の半分以上で、5~14歳の児童人口でも45%に上る。

ゴミ山に隣接した小学校

 貧しい家の子どもたちをどのように労働から解放し学校に通えるようにしているのかを知るため、プノンペンにあるPIO(People Improvement Organization)というNGOに取材した。 インタビューに答えてくれたのはPIOを設立・ 運営している専務理事のNoun Phymean さん。彼女は 子どもたちが働いているゴミ山(ゴミ集積場)に通うのが日課だ。 PIOの主な活動内容は公立学校に通えない子どもたちのために学校を開き、教育を受けさせることである。

 PIOはStung Mean Chey Education Center(児童数280人)、Borey Keila Education Center(310人)、Borey Santipheap II Education Ceneter(230人)の3つの学校を運営し、今までにおよそ2千 人の子どもたちに教育の場を提供してきた。カンボジアでは、貧しいため子どもも働いて当然と考える親は少なくない。Phymeanさんは以前、1日10~12時間もゴミ山で働いていた8歳の男の子を見つけたことがあるそうだ。彼女とスタッフは毎日ゴミ山に足を運び、そんな子どもを見つけては、学校に来させるように親を説得し、家庭に米を提供している。

 プノンペンにあるStung Mean Chey Education Centerにはすぐ隣にゴミ山があった 。 子どもが素手やサンダル履きでゴミ山に入って働くなど、日本では信じがたい光景が貧しい彼らの日常にある。

 ゴミ山以外にも、働きに出ている両親に代わって一日中家事をさせられ、弟妹の面倒をみている女の子も多いそうだ。そういった子どもたちは発見が難しい。そのためPIOでは一軒一軒訪ねてそのような子がいないか確かめているという。

他にもレンガ工場で働くなど、危険な重労働をさせられている子どもたちがいる。このような仕事では大ケガをしたり事故で死んだりすることもある。死に至るまでいかなくとも体をこわし寿命が縮む場合が多い。しかし危険な工場は郊外や田舎にあることが多いので PIOの手が届かず支援が難しいという。

 PIOが子どもたちを保護する他にもう一つ力を入れているのに 職業訓練プログラムがある。これは貧しい子どもたちが学校を卒業して社会に出ていく時に必要なスキルを学ぶトレーニングのことだ。すぐにお金を稼ぎたいあまり、売春まがいの接待のあるカラオケやレストランなどの仕事に就く女の子たちが多いという。

職業訓練

 だからPIOでは自分の体を売らずに働くことができるように、コンピューター、ヘアメイク、ビューティーサロン、メイクアップ、クッキングなどのトレーニングを子どもたちに行っている。私たちが取材している間も、若い女性がメイクとヘアアレンジの練習をしていた。対象となっているのは14~18歳の若者。ヘアメイクなどのトレーニングは女子限定だが、男子はIT関係などのトレーニングに参加しているそうだ。トレーニングを受けた後はそれを生かしてビューティーサロンで働いたり、友達同士で会社を起業したりすることもあるそうだ。PIOの役割は彼らに安定した職を紹介してあげることで、学校を出た後のことも考えて 自立支援を行っているのがうかがえる。「他にもバイクや車の修理の訓練 を希望する男の子が多いから将来始めたい」と Phymean さん は意欲的に語っていた。
 
 うまく いっているようにみえても 、PIOにもいくつかの問題がある。まずは受け入れられる子どもたちの人数に限度があるということ。カンボジアでは学校に通えず働いている子どもたちが本当にたくさんいる。そんな子どもたちを全員救うのは資金の問題があり 不可能だ。PIOの各学校には待機リストというものがあり、現在各校で150人ほどの子どもたちが学校に入るのを待たされている。PIOには孤児院もあるのだがそこの受け入れは50人が限度だそうだ。「本当はもっと受け入れたいのに」と残念そうにPhymeanさん は語った。これらの問題を解消するにはやはり資金が必要である。PIOの運営は全て寄付金でまかなわれているが、二年前に米国で起きた金融危機に続く不景気によって資金を出してくれるスポンサーが減って いるらしい。これはどのNGOも共通の問題だろう。
 
 今回の取材では、カンボジアの子どもたちの置かれている状況を実際に見て多くの衝撃を受けた。ゴミ山の子どもたち、信号で止まった私たちの車に寄って来る物売りの少年。カメラを持つ手が何度もためらった。

答えのでない子ども買春問題
2011/06/01                谷 彩霞(15)

Camoboida Dailyの Gillson

 カンボジアが直面する 様々な問題のなかに 「子ども買春」 がある。 中学生や高校生の 年齢の少女達が家計を支えるため に体を売 ることが多く、様々な問題が絡まって いる。なぜこのようなことが起きてしまったのか。また、子ども買春を解決する為にカンボジアではどのようなことが行われているのかについて 首都プノンペンでNGOと新聞社に取材 した。

 The Daily Cambodia新聞の編集主幹Douglas Gillison氏によると、カンボジアでは1975年から1979年にかけてクメール・ルージュ政権や内戦により知識人の大量虐殺が行われ、 死者は200万人に上った。多くの知識人が殺害されたため、カンボジアの経済状況が悪化し 国民の3割が貧困層 という状況に陥ってしまった 。カンボジアで一家族の1日の平均収入は2ドル以下。そのため、子ども達も働くのが当たり前なのだ。その中でも一番速く収入を得られるのが体を売ることである。

NPO法人かものはし岩澤氏

 日本を出発する前に取材したNPO法人国際子ども権利センター(C-Rights)代表理事の甲斐田万智子氏によると、カンボジア王国憲法68条によって全ての国民は9年間義務教育を無料で受けられると保障されているそうだ。しかし、
ECPAT(End Child Prostitution , Child Pornography And Trafficking in Children for Sexual Purposes、子ども買春、子どもポルノと性目的の子ども売買を止める会)の 専務理事Chin Chanveasna氏によると、子ども買春を強いられる 多くの子ども達は正規の教育を受けていないという。 こうした少女達は家計を支えるために、学校がある日も働かざるをえず、学校を途中で止めなくてはならない 。また、 教師の給料はとても低く、テストを受けるためには教師にお金を払わなければならないそうだ。 そのため、お金を払えない 子ども達は 学校を辞めて働かなくてはいけないのである。子ども達は教育を受けていないため、働くといってもお金をたくさん稼ぐには 体を売る事しか出来ないのが現状だ。

  Gillison氏によるとカンボジア政府の国家予算は120億円しかないため、子ども買春の問題は NGO が受け持つ状態で、資金がなかなかまわらないという。

 このような状況の中で子ども達に対してNGOでは、エイズ予防、職業訓練、心理的支援を行うなどして、被害児童が経済的に自立できるよう支援をしている。しかし、ECPATの Chanveasna氏によると、子ども買春をしている多くの子ども達は、自分の意志でおこなっている ことが多いと言う。

  彼女たちは 一家の長女である事が多く、自分を犠牲にして家計を支えなければならないという考えが根付いているため、子ども達の意識を変えることは難しいようだ 。そのため、買春から本当に抜け出したいと望んでいる子どもしかNGO の支援が受けられない状態なのである。

 NPO法人 かものはしプロジェクトの岩澤美保氏によると、NGOでは農業技術やバイクの修理などの職業技術訓練や、被害にあった子ども達が見習いとして働ける縫製工場を提供しているため職業訓練でも収入が得られるものの、買春をした時のような収入は得られないそうだ。 また、Chanveasna氏によると、被害児童の家族は経済的自立のための支援を受けられないため、家族を支えるために多くの子ども達がNGOのシェルターから逃げ出し、また子 ども買春に走ってしまうのが現状だそうだ。

 岩澤氏は「 カンボジア政府が 買う人を取り締まるために 警察に 訓練を行っている」そうだが、People Improvement Organizationの Noun Phymean専務理事によると「 最近の子ども買春は人目のつかないカラオケボックスで起こる事が多く、なかなか摘発が出来ないのが現状である」という。

 また、 Chanveasna氏は「 子ども達は被害者ではなく容疑者とされてしまう場合が多々ある。そのため、 警察が買春する大人 を確実に逮捕し、犯罪を未然に防げるように政府が訓練を行っているが、彼らを 逮捕しても、 賄賂により釈放をされてしまうということが多くあり、なかなか買春 を減らすことができない」と言っている。
 Gillison氏によると、カンボジアの子ども買春の数は経済が良くならない限り今後増えて行くという。 貧困が無くなっただけでは解決しないかもしれないが、 子ども買春をひとつでも無くすために現地のNGO の努力が続けられている。

カンボジアでみた現実ー子ども売買、NGOの自立支援
2011/06/01                青野 ななみ(17)

 「家族全員飢え死にするか」「一人が身体を売るか」こんな選択を迫られている家族がいる。
 カンボジアは1975年ポルポト政権による大量虐殺により知識人がいなくなり、不安定であったが、経済も徐々に回復してきており、2004年から2007年まで年率二桁の経済成長率を記録した (外務省)。だが依然として 世界でも特に貧しい国のひとつである。 子どもの労働が家庭の主要な収入源であり、子ども買春が日常的に横行している。隣国タイとの国境規制が緩いため、タイにも売られ、強制労働や性的搾取を強制させられる。こういった子どもたちは、薬物中毒やHIV、精神的障害に陥ってしまうケースが多くある。(AFN大阪 『カンボジアレポート2007』)

PIOのMs Phymea専務理事と孤児たち

 私たちと同じ年齢、あるいは幼い子どもがなぜ身体を売らなければいけないのか。NGOはどのような自立支援をしているのか。現状を知るために取材をした。

 まず訪れたのはThe Future Light Orphanageという孤児院である。 日本で孤児とは親がいないことを指すが、カンボジアでは親が親としての役割を果たしていない場合も含む。ここで取材をしたRom Put Chetra くん (20)  に、「カンボジアの女の子たちは、なぜ身体を売ることをせまってくる親に対して、自分が身体を売って家族を養おうという気持ちになるのか」と聞くと、「日本ならば 親にお金を渡せば支援になるだろうが 、カンボジアではそのようなシステムが確立されていない。自分しか親を支えられることができないからだと思う」と答えた。

 次に取材した NGOの People Improvement Organization(PIO )は女性やストリートチルドレンに教育や職業訓練を提供することで貧しい家庭の生活の質の向上を目指している。 「女性に焦点を当て るのは、子どもを産むのは女性にしかできないことであり、助けられる数が増える」と設立者で専務理事 のNoun Phymean 氏 は 語った。貧困家庭にはお金ではなく、お米を提供し、子どもには 働く代わりにPIO が運営する 学校での教育を受けさせている。案内された学校や孤児院はゴミ山(集積場)に隣接しており、決して良いとは言えない環境の中、勉強している子ども達がいた。服を着ていない子ども、ゴミをあさる 犬や子どもたち、日本では見たことのない光景が広がっていた。Phymean氏 がその中をヒールで 歩き、子ども達に声をかけている姿はたくましかった。

ECPAT のMr.Chanveasna氏

 End Child Prostitution, Abuse and Trafficking in Cambodia(ECPAT )はカンボジア国内の人身売買(子ども買春や子ども労働)を扱っているNGOの中間支援組織で、世界的ネットワークがある。「 身体 を売って生活している子どもの多くは、自分が働いているから家族が生きていける と思っているために困難を極める。買春被害の子どもだけを保護しても、その家族は彼女からの仕送りがないために、餓死する可能性が高く、保護された子どもはシェルターから抜け出して買春に戻ってしまう。さらには、教育を受けていない親にその危険性を話しても 理解ができないのだ」と代表のChin Chanveasna氏が語った。

 多くのNGOを 取材 して、共通していたのは資金の確保の厳しさである。何人が自立したのかを把握し、実施したプログラムの効果を立証するにはかなりの年月がかかる。 最も重要なのは“いかに現実的であり継続可能であるか”だということがわかった。 子ども買春に単純な 解決策はない。それは経済や歴史などあまりにも多くのことが複雑に絡まっているからだ。だが、小さなことから現実的に行動すれば少しずつでも改善することにつながることを期待したい。 私達の当たり前が彼らにとっては当たり前ではない。しかし、私達の当たり前が彼らにとって幸せになるのか。実際に足を運び現実を知り、さらなる問題意識が高まった。

Friends Internationalの取材

ストリートから自立するために
2011/06/01                堀 友紀(17)

 2011年3月にカンボジアの首都プノンペンを訪れた。この国で特に興味を持ったのは、ストリート・チルドレンの自立支援として行われている職業訓練だ。

「Please」
そう言って私の前に置かれたカンボジアンカレー。私達はFriends-InternationalというNGOのカンボジア支部が運営している「Friends The Restaurant」というレストランを訪れた。ここで働いている人達は皆、かつてストリート・チルドレンだった若者達である。
店内の洒落た雰囲気、料理の外見や味もさることながらサービスのレベルの高さに驚いた。お店に入ると、「student」と書かれたTシャツを着たウェイターである若者が出迎え、食事中には常に誰かがテーブルに目を配り、何か不備があればすぐに対応している姿は訓練中といえどもプロ顔負けの働きぶりであった。

「Friends The Restaurant」で行われているような職業訓練をFriends-International Cambodiaでは全部で11種類行っている。中には「裁縫」や「ヘアメイク」などといったものがあり、1クラス約30~40人が所属している。どの訓練を受ける かは選択できるそうだ。彼らはこれらのプログラムを通じて、社会に直に接し、より早く社会に適応できるようになる。職業訓練 だけではなく、社会に自分の力で出ていけることが真の自立なのであろう。

 しかしプロジェクト・マネジャーのMarie Courcel氏 によると、職業訓練を全員が無事に 終えて仕事に就くというのが現状ではなく、途中で脱落をしてしまう子もいるようだ。訓練センターを抜け出してしまう子どもの多くは麻薬を服用していた者だという。そのため、他のNGOでは、訓練を受ける年齢制限は 大人になる 18歳までであるにもかかわらずFriends-Internationalでは24歳までの若者を受け入れているそうだ。その理由としては、第1に、ストーリート・チルドレンで麻薬を服用している若者が少なくない中、更生するには4~5年かかり、その後、職業訓練を受け始めたとしても18歳までに訓練を終えることができないということ。第2に、ストリートには20~21歳が1番多くいる。そこで、24歳までの年齢に引き上げることによって助けることができる若者の幅が大きく広がるという。


 カンボジア支部のコーディネーターであるKhemreth Vann氏によると、訓練を終えた若者の進む道として、主に2つが挙げられるそうだ。企業に就職することと自分で起業をすることだ。訓練中にも全力でサポートをしているスタッフたちだが、 訓練を終わったからといってサポートを終えてしまうのではなく、仕事に就くまで全面的にサポートを行っているそうだ。

 就職を希望する若者にはスタッフが就職先を探してくる。また、起業をしたい若者がいれば資金を貸し、フォローアップを行うという。起業した後も1ヶ月に4~5回の頻度で様子を見に行き、だんだん回数を減らしていくそうだ。このようなサポートは1人につき1人がケース・マネージャーとしてついているという。職業訓練を受けた後、技術を身につけることができるようになることに加え、自分の未来がはっきりと見えるようになるという。このような効果はケース・マネージャーの行っているカウンセリングの効果が大きいようだ。

Friends Restaurant( Friendsが運営するレストラン)

 スタッフの熱心なサポートの結果、2009年からは訓練を受けた後に仕事に就くことができた若者は急激に増えたという。

 逆境を乗り越えて懸命に自立しようとする彼らの頑張り、そしてそれを全力でサポートし続けるNGOスタッフの献身的努力 は確実にカンボジアの発展への希望の光となり、力になるだろう。

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報告会、レクチャー

CE記者5名とユースワーカー3名が  カンボジアを訪問

 2011年3月26日~31日、5名の記者と3名のユースワーカー(大学生)、2名のスタッフの計10名が、カンボジアの首都プノンペンを訪れた。
 孤児、ストリートチルドレン、子ども買春、子ども労働の問題について、現地のNGOや孤児院を訪問して取材をした。
 都心のゴミの集積場(ゴミの山)に隣接する学校や孤児院を訪問したり、若者たちの自立を促す職業訓練所や、ストリートチルドレンの自立訓練の場であるレストランも訪れた。
 また郊外の孤児院や貧農から選抜されたエリート児童を対象に学校外教育をしている施設を訪問し、子どもたちと交流をした。
 初めて途上国を訪れた記者たちにとってツアー観光では得られない貴重な体験をすることができた。

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社会

子どもにもっと教えてほしい環境危機

子どもにもっと教えてほしい環境危機
2009/10/25                 飯沼 茉莉子(13)

 地球温暖化による気候変動の影響が、異常気象というかたちで私たちの日常生活でも体感できるようになりつつある。今とるべき行動によって地球の未来は大きく変わるということを、私たちは十分に理解しているのだろうか。

 地球温暖化防止のために、市民の立場から提言し、活動しているNPO法人気候ネットワーク国際担当の川阪京子さんに話を聞いた。

 まず、日本政府の環境に対する取り組みについて川阪さんは、「日本政府はもっと真剣に温暖化対策に取り組むべきだと思います。京都議定書の後、日本政府は新たな法律を作ったりして二酸化炭素排出量を6%削減するための目標達成計画を作っていますが、どれも6%を削減できるような内容ではないと思っています。京都議定書ができる前に日本政府がやっていたことと内容的には全く変わっていないので、これから6%以上も削減するためには、新しい制度、例えば排出量取引制度とか炭素税など、きちっと排出を規制するような法律をつくって削減を具体的にできる社会にしていく仕組みを新たに作っていくべきだと思います」と語った。

NPO法人気候ネットワーク国際担当の川阪京子さん に取材

 鳩山首相が提案する25%削減目標を達成できると思うかと聞いたところ、実際に25%削減しても温暖化が全部ストップするわけではないことを考えると、達成できるかどうかというよりも、達成できるように何か新しい取り組みを始める努力が必要だという答えがかえってきた。

 それでは、25%削減に対して日本人一人一人は何ができるのか。これについて川阪さんは、「実際日本の排出量のうち約80%は産業に関係するところから出ていて、家庭からの排出量は言われているほど多くはないけれど、省エネの行動に取り組むことは大事です。例えば、省エネの家電製品を買う、車が必要ならばエコカーにする、食べ物は輸入品ではなく近くの農家で生産して運ばれるエネルギーの少ないものを買うなど、「地産地消」の物を選ぶことで削減できます。そうするとこで環境にやさしい商品が市場に出回るようになって、社会的仕組みが変わるので、一人一人ができる大きなことだと思います」と語った。

 一番聞きたかったのは若者の行動だ。これについて川阪さんは、「今何もしなければ若者が大人になったときには自然災害が増える世界になっている可能性が高いです。今はそれを変えられる最後のチャンスだと思うので、大人たちに対して、自分たちの未来のために何かしてほしいと働きかけてほしい」と熱く語ってくれた。大人が相手にしてくれないのであれば、若者が環境を良くするためのアイデアや技術を考え出して、未来を変えるよう諦めずに努力をして欲しい、ということだった。

 川阪さんは、将来日本がエネルギーや食糧の自給自足、地産地消が出来る仕組みになったらすばらしいと考えている。カンボジアのように24時間365日電力に頼らなくても生活ができる国があるのだから、ライフスタイルを変えたり、新技術を取り入れつつ化石燃料によるエネルギーをこれまでのように湯水のように使わない社会が実現できたらいいし、エネルギーを多く使っている人ほどもうかる社会ではなく、エネルギーを使わない人が一番得するような社会が実現出来ればいいと、今後の日本の環境について語った。

 今年の12月にCOP15が開かれるが、川阪さんは、「コペンハーゲンでは、2020年の世界のCO2削減目標を具体的に決めもらうために、毎日世界のNGOと情報交換をしながら政府に強く働きかけていきます」と語った。

 私たちにとって怖いのは、近い将来、地球環境が危機にさられることをその当事者となる子どもたちが気づいていないことだ。新聞やテレビでCO2を削減といくら耳にしてもほとんどの子ども達は理解できていない。地球温暖化を防ぐためには、もっと親や大人の協力が必要だ。親は普段の生活の中で子どもに環境のことを少し話すだけでもいい。学校では地球温暖化が子どもたちにとってどれだけ重大なことかを教師たちから具体的に伝えてもらいたい。新聞にも何%削減などというところにだけ着目するのではなく、子どもがどのような危機にさらされているかを具体的に示してもらいたい。

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教育 国際

教育を受けるって当たり前?~カンボジアの学校を訪問して~

教育を受けるって当たり前? ~カンボジアの学校を訪問して~
2007/11/22              三崎 友衣奈(15)

 タイ、ラオス、ベトナムに囲まれたカンボジアは、年間を通して平均気温が36度。季節は5~11月の雨季と12~4月の乾季に分かれる。日本の蒸し暑い真夏の太陽の光を5倍くらい強くした暑さだ。

 カンボジアは1975年のポル・ポト政権によって知識人が虐殺されるという歴史を持つため、現在でも文字の読み書きができない人が多い。義務教育制度はあるものの、浸透していないという現状もある。そのなかで、カンボジアの子どもたちはどのような教育を受けているのだろうか。2007年3月27日~4月1日の間、 CE 記者としてカンボジアへ行くことになった。

 訪れたシェムリアップにはステファン・エリス小学校がある。しかし、そこに通うことができず、寺子屋で勉強している子どもたちもいる。その二つは、学ぶ内容にどのような違いがあるのだろうか、また、子どもたちの考え方はどう違うのだろうか。

チョンクニア村の水上寺子屋での授業

 ステファン・エリス小学校はシェムリアップ地方で唯一の公立の小学校。男子が212人、女子が211人いる。クラスは年齢ごとではなく、通学時間で判断されるため各クラスの年齢層はバラバラだ。

 教室には黒板があり、長い机が6つほど縦に並んでいる。ここでは、クメール語 ( 国語 ) や算数のほかに英語、コンピューターなども習う。皆とにかく勉強したいという意思が強い。また、「みんなと友達になれることが嬉しい」、「この学校でみんなと一緒に過ごせるのが誇り」など学校に通える喜びも大きいようだ。将来の夢も先生や医者など決まっている子どもが多い。

 しかし、カンボジアでは教師の暴力、家から遠すぎるなどの理由で学校へ行けなくなった子どもたちもいる。そのような場合、子どもたちだけでなく、残念に思っている親も多いため、日本ユネスコ協会連盟が設立した寺子屋の存在を知ってやって来る子どもたちのほとんどは公立の学校を経験している。

 トンレサップ湖にはチョンクニアという水上で生活する人々の村がある。村といっても湖の上であるため、人々は気に入った場所に長い木の枝を海底に刺して家を止めている。水上寺子屋はその村の中にある。

 この寺子屋は2006年の9月にできたばかり。3つの教室があり、1つは保育園、もう1つは図書室、3つ目が授業を受ける場所だ。ここでは、文字を読めない人に対して主に読み書きを教えている。識字を通して日常の暮らしに必要な衛生についての知識も教えている。年齢は12~53歳と幅広い。

 皆勉強がしたくてたまらない様子だった。しかし、水上であるためにボートを親が使っていたり、ボートがないなどの理由で来られなかったりする人もいる。

湖から少し離れた陸地にある寺子屋では夜の識字教室が開かれていた。この寺子屋は床と屋根と柱だけで、窓もない。そこに長机と椅子が置いてある。民家の離れを無償で使わせてもらっているのだ。

 ここでも子どもたちは大きな声で先生の言ったことを復唱し、我先にと手を上げて問いに対する回答を薄板に書きたがっていた。

 子どもたちの意欲とは裏腹に、寺子屋には大きな問題点がある。それは、寺子屋を修了してから公立の学校に行くことは難しいということだ。カンボジアでは 13 歳未満でないと寺子屋から公立の学校に行くことができない。家が貧しいため遅くになってからしか教育が受けられない子どもが多いので、年齢をオーバーしていることがほとんどなのだ。そのため、寺子屋を修了してからは行く学校もなく、また元の仕事をする毎日に戻ってしまう子どもが多い。

 ステファン・エリス小学校から中学校に進級できるのは全体の 50 ~ 60 %という割合に比べ、やはり寺子屋は大きなハンデがある。

 それでも「寺子屋でもらったテキストを毎日復習して忘れないようにする」、「ここで学んだ識字を活かし、将来良い職につきたい」と言う子どもたちは実にたくましい。  

 何とかしてちゃんとした職に就きたいと、片道歩いて2時間もかけて勉強をしに学校や寺子屋へ行くカンボジアの子ども。恵まれすぎた環境にある私たちは、学校に行けて当たり前、勉強できて当たり前。そんな中で勉強は嫌いという人が多い 。

 日本では公立なら徒歩数十分で通える学校、広い校舎、立派な教室、机、黒板が当たり前。こうした「当たり前」が「勉強嫌い」「面倒くさい」を生み出しているのではないだろうか。もう一度この恵まれた環境に感謝し、その環境にいる私たちだからこそできることを考えてみるいい機会だった。

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国際 報告会、レクチャー

「CE記者カンボジア取材プログラム」報告会

「CE記者カンボジア取材プログラム」報告会 2007/05/27

 「CE記者カンボジア取材プログラム」の報告会を、記者、保護者、関係者を集めて5月27日に青山子どもの城で行った。
報告会では、取材プログラム参加記者たちが撮影、編集したビデオ作品を上映、それぞれの記者が写真を見せながら感想を延べた。
  取材内容に対しては記者会見の形式で質疑応答を行い、記者会見における取材の練習をした。
   

 同日にCE卒業の大学生4名によるレクチャーを行い、CE記者は貴重な体験をした先輩の話を聞いた。
・「アイスランドにボランティアに行って」
・「インドのマザーテレサでボランティアをして」
・「ラクロス世界大会U19選手に選抜されて」
・「G8大学生模擬サミットに参加して」

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国際 その他

CE記者6名がカンボジアを訪問

CE記者6名がカンボジアを訪問  2007/03/27-04/01

                                      3月27日~4月1日、6名の記者がカンボジアのシェムリアップ地方を 訪れて「教育」「地雷」「携帯電話」について取材をした。 日本ユネスコ協会連盟の協力を得て、トンレサップ湖上 の水上寺子屋 やチョンクニア村の陸上寺子屋を訪問し、現地のこどもたちと 交流をした。 また、貧農の子女が通うクラバン村の公立小学校や、地雷博物館、 アンコール小児病院、リハビリセンターなどを訪問して、それぞれのテーマで取材 をした。最終日は世界遺産のアンコールワットやトムを訪れ、すばらしいクメール 建築の遺跡を見学した。37度の猛暑の中を文字通り汗を流しての取材と現地 の学生との交流は、初めて途上国を訪れた記者たちにとってツアー観光では得られ ない貴重な 体験をする ことができた。


2007年カンボジア交流プログラム記事
今もなお埋まる地雷
カンボジアに携帯電話?
カンボジアの「夜の寺子屋」
教育を受けるって当たり前?

2007年カンボジア交流プログラム座談会

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