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カンボジア訪問(5記事)

カンボジアの義務教育の陰
2013/05/19                米山 菜子(16)

 2013年3月24日から29日までカンボジアで取材を行った。道路を埋め尽くすように走るたくさんの外国の車やバイク。ネオンで光る大きな建物や高層ビル。きれいな彫刻が施された立派なホテルに目を奪われた。だが、めまぐるしい発展をしている一方、教育面ではまだまだ問題点が見えた。カンボジアの英字新聞社カンボジア・デイリーの編集長ケビン・ドイル氏と現場の教師らの話からカンボジア教育の実態を追った。

カンボジアデイリー編集長の取材

 まず、教師になるには、政府の教師育成センターで研修をし、教員資格を得る。しかし、政府の承認のない教員資格も多いとケビン氏は言う。教員資格のみならず、博士号や大学院修士号もお金で買ったり、政府の認証を得ていないものがあるという。そのため、「学歴や資格免許は信用できず、履歴書に資格が書いてあっても、すぐには信用せず、自分で見極める」とケビン氏は話した。

 私立の学校が高い月謝をとって慎重に選んだ有能な教師を採用しているのに対し、政府に承認されない教員資格を持ち授業をしている教師も少なくない公立小学校は、授業の質が良くないという。ポルポト政権が終わり、カンボジアに教育が始まった頃には、中学を卒業しただけで教師になれたそうだ。現在では高校を卒業して、政府の教員養成所で2年間研修をして、教師の資格をとるそうだ。

 訪問したカンダール州の公立バンキアン小学校やプノンペンの公立トロピエンスパイ小学校の授業の光景はとても単調だった。教師が質問したことに1人の生徒が答える。その答えを全員で繰り返す。答えた1人の生徒以外は、ただ繰り返しているだけだ。生徒に考えさせることをさせないのだ。この光景は大半の公立小学校で見られるとケビン氏は言う。

 また、公立学校は教師の給料が少ないそうだ。バンキアン小学校で教師をしているチム・ティダー先生(20)やトロピエンスバイ小学校の教師、サウ・ワンナーロム先生(53)は口をそろえて「教師の給料だけでは生活できない」と話した。ケビン氏は公立学校の教師の給料が少ない理由を2つ挙げた。

 1つは、政府予算が教育の現場にまわっていないことだ。政府は資金を軍事費や警察など治安費にまわし、教育にはあまり予算を充てていないという。教育より軍事・治安優先のカンボジア政府の姿勢が見える。2つ目は地方役人の横領だ。給料が政府から学校に届けられる間で地方自治体の役人が教師の給料を横領していることがあるという。そして、給料が2ヶ月から5ヶ月遅れることも少なくないという。

トロピエンスパイ小学校の授業風景

 教師は生活するために給料だけでは足りない分を農業をしたり、家族で仕事をして充当しているそうだ。また生徒からも様々な名目でお金を貰っているそうだ。義務教育中(小学校1年生から中学校3年生)は公立学校の学費は無料となっている。しかし、生徒は教師の給料が少ないことを理解しており、金額は家庭によって異なるが、毎朝教師に寄付としてお金を渡すという。また、進級試験もお金を払わなければ受験できない。この進級試験を受けなければ留年となるため、お金がない場合は他人から借りる親もいるという。貧しい家庭のこどもは、お金がないためにテストを受けられず、しかたなく留年や退学をすることもあるそうだ。

 教師にテストの際にお金を渡すという話は、カンボジア・デイリーだけでなく、ソウルからプノンペンへの飛行機内で出会ったカンボジアの女性や、取材をしたアジア財団のグラント・ディレクターのマリーン・ソク氏も言っていた。カンボジア・デイリーで働く女性は、学生時代に、この進級試験で早く提出した優秀な生徒の解答を試験監督の教師が他の生徒に売り、お金を得ていることがあったと話した。他にも教師の妻が給食を作り、生徒に売ることで利益を得ていることもある。もちろん、これらの支払いは政府の教育省で定められているものではなく、暗黙の了解のようになっているようだが、「これは税金みたいなものだ」とケビン氏は語った。カンボジアでは、役人の間に横領が蔓延しているそうだが、役人の給料が安いために、これも暗黙の了解のようになっているそうだ。

 カンボジアの学校(義務教育)は二部制だ。そのため、教師は午前か午後のいずれかに教壇に立ち、それ以外のときには、塾をひらいて試験問題を教えたりするそうだ。もちろん生徒は塾の授業料を支払う。このように、様々な形で教師は生活のための収入を得ているそうだ。そのため、富裕層が多い都会で勤めることを望む教師が多く収入の少ない地方の学校では、勤めたがる教師が少なく、教師不足が深刻だという。

 このような様々な問題を減らすためには「教師や役人などの給料を上げることが重要」とケビン氏は語る。役人や教師の給料を上げることで役人の横領は減り、教師の手には充分な給料が渡る。教師が自分の給料だけで生活できるようになれば、生徒からお金を貰うこともなくなり、地方の教師不足も改善されるだろう。大きく経済成長が進むなか、子どもたちから教育の機会を奪うことは、この国の将来を握る子どもたちの明るい未来を奪うことにならないだろうか。

幼いときに学ぶということ
2013/05/19                米山 菜子(16歳)

 「2015年度までに75%以上の5歳児が教育を受けられるように」
カンボジア政府が出した目標。(「幼い難民を考える会」のHPより)実際に政府は、2008年からの3年間で450ヶ所の公立地域幼稚園を設けた。この450ヶ所全てに教材を提供した日本の認定NPO法人がある。「幼い難民を考える会(CYR)」だ。CYRはカンボジアの幼児教育への資金援助のみならず、保育士の育成や、現地の人々が保育所を自主運営していけるようなノウハウを広げる活動をしている。幼児教育はなぜ必要とされるのか。彼らの活動から答えを探った。

プレイタトウ保育所の給食風景

 カンダール州カンダールスタン郡、バンキアン地区プレイタトウ村にあり、CYRが運営協力をしているプレイタトウ保育所と同地区バンキアン村にある、バンキアン保育所を訪れた。どちらの保育所も門をくぐると大勢のこどもたちが出迎え、行儀良く挨拶をしてくれた。そして、教室の周りには教師の手作りによるシーソーなどの遊具が並ぶ。教室内に置いてある絵本や人形も教師やカンボジアの女性による手作りだ。自分たちだけで直せるよう、遊具や教材はカンボジアで作っている。

 こどもを保育所に通わせる保護者はこどもの成長を嬉しそうに話す。娘を1人通園させているラーン・ソッキムさんは保育所に通うようになってから、お絵かきや歌などができるようになったそうだ。また、ソム・サコーンさん(30)の息子は食事の前に感謝の言葉を言うようになったという。サコーンさんは「こどもが家にいると、安心して仕事ができないため、保育所の存在はとても大きい」と語った。

 CYRでは保育所で、栄養バランスを考えた給食を出している。プレイタトウ保育所で子どもたちと記者も一緒に食べたその日の給食は、白米に揚げた卵、豚肉や野菜がたっぷり入ったスープだった。スープの味は日本の給食と同じ味がした。こどもたちはお腹いっぱい食べたあと、歯磨きも忘れない。保育所には一人ひとりの名前が入った歯ブラシがずらりと並んでいた。また、昼食前には井戸水をくみだして水浴びで身体をキレイに洗っていた。昼食後はみんなで昼寝をするそうだ。CYRではこのような基本的な生活に欠かせない保健衛生の習慣も教えている。

 幼児教育を受けたこどもは学校での成績や生活態度にも反映されるようだ。バンキアン保育所の近くにあるバンキアン小学校のチム・ティダー先生(20)は、「幼児教育を経て小学校に入学したこどもは、理解や文字を覚えるのが早く、授業内での発言も多い」と話した。また、同小学校のチュウォン・ソクキム校長は、幼児教育を受けている子どもの方が衛生面も良く、ルールを守るように感じるそうだ。そして、同小学校の生徒、ダム・ソッヘインさん(11歳・小5)は「保育所を出ている子は友だちとよく話す」と語った。さらに、プノンペン市サエンソック郡プノンペントゥメイ地区にあるトロピエンスバイ小学校に通うトール・ソックバンくん(13歳・小4)は「幼児教育を受けていないこどもは鉛筆を上手に持てるようになるまで時間がかかり、言葉遣いもあまり良くない」と話した。そして、CYRカンボジア事務所所長の関口晴美氏(61歳)は「よい成績をとることは向学心にもつながる」と語る。

保育所内の歯ブラシ

 「大学に行きたい」と語る高校3年生のサーン・ヴィチェットくんはカンダール州カンダールスタン郡プレイスレン地区プレイスレン村に住み、バンキアン保育所を卒園している。彼の通うプレイスレン高校は約70%の生徒が幼児教育を受けているそうだ。また、彼が通った保育所の友だちは、ほぼ全員が高校まで進学しているとヴィチェットくんはいう。彼は「将来は会社に勤めて給料の半分を親に返したい」と話した。

 CYRが運営協力しているプレイタトウ保育所とバンキアン保育所は3歳児から5歳児を預かり、午前7時から午後3時までの一日保育だ。しかし、幼稚園や保育所が増えるなか、一日保育をしているところはまだ少ない。「政府が設立した公立地域幼稚園は1日2時間の保育だ」と関口氏はいう。また、5歳児の幼児教育は推進しているが、文字に興味を持ち始める3歳児や4歳児の幼児教育はまだ浸透していないそうだ。カンボジアの幼児教育にはまだまだ問題点があるが、CYRが運営協力をしているバンキアン保育園に通ったヴィチェットくんの母親は「保育所では小学校に入学するまえの準備ができるだけでなく、いろいろなことを学べるので、保育所には未来がある」と話した。とても説得力のある言葉だった。

カンボジアで求められる教育ソフト面の支援
2013/05/19                飯田 奈々(17)

 日本では小学校就学率は100%(平成24年:文部科学省資料)である。カンボジアでも、小学校6年間、中学校3年間の計9年間は義務教育であるが、カンボジアの小学校就学率は69%(平成24年 日本外務省資料)だ。就学率の低いことも問題ではあるが、小学校といっても日本のような設備の整った小学校に通うことはできない。カンボジアの学校教育に関する問題はまだまだ多い。どのような問題を抱えているのか、実際にカンボジアの小学校に足を運び、取材を行った。

 3月26日、首都プノンペンに近いカンダール州バンキアン村のバンキア小学校を訪問した。 砂の校庭をはだしやサンダルを履いて、「かごめかごめ」のような遊びをしている子どもたち、サッカーボールで遊んでいる子どもたち、鬼ごっこをする子どもたちもいる。多くの溢れんばかりの笑顔が、気温37度の強い日差しの中で輝いていた。
  
 チャイムがなると、彼らは一斉に各教室へ戻っていった。授業の様子をのぞいてみると、多くのクラスで先生の言ったことを大きな声で繰り返す光景があった。 あるクラスの黒板には数字が並んでいた。 算数の授業もオオム返しに先生のあとに続いて声を出すことによって進められているようだった。

 教育の現状について、カンボジアの英字新聞「カンボジアデーリー」の編集長ケビン・ドイル氏は、この繰り返すだけの授業に警鐘を鳴らした。「このような授業では、学校にきている子どもたちの学力向上に限界がある。教師の教育をして、もっと教育の質の向上を促さなければならない。新たな人を教育するよりも、今いる人材を再教育した方が近道なのではないか」と語った。

 カンボジアで生まれ育ち、今は働きながら王立プノンペン大学大学院へ通っているマリーン・ロクさんは、教育の「質」の向上の大切さを次のように述べた。「教育の向上とは、必ずしもみなが大学院へ行くことではなく、教育の質をあげることだと思う。これが経済成長に繋がるし、教育の質の向上は本当に重要である。」

 バンキア小学校や首都プノンペン市にあるトロピエンスバイ小学校には、日本の小学校では当たり前にある、理科の実験室がなかった。生徒たちはみな、机上だけで理科を学んでいた。
 
 これは高校へ行っても変わらない。 「実験室なんてないし、すべての科目は本で学ぶしかない」とカンダール州プレクスレン高等学校3年生のサーン・ヴィチェットさん(18)は語った。「学校には教科書も足りない。図書室はあるが、本がとても少ない」とも教えてくれた。

 カンボジアデーリーのドイル氏は「パソコン、世界地図、図書室、さまざまな書籍など二次的なものがない学校が多い。そのようなものこそ大切なのに、先生と生徒と建物のみがあればいいわけではない」と述べた。

 またドイル氏は意外な理由をあげた。「カンボジアではトイレの無い学校もある。小学校では30%、中学校では22%、高校では50%の学校にトイレはない。あっても、機能していないトイレもある。その結果、生徒たちは草むらで用を足さなければならないのだ。これが女子生徒のドロップアウトの原因の1つになっているのではないか。」

 実際のところトイレに関してはプレクスレン高等学校の比較的裕福な家庭の3年生であるトム・デューシエンくん(18)は「学校には、女子トイレが2つ、男子トイレが2つある。でも学校のトイレはきたないから入らない。学校は半日で終わるから、家に帰るまで我慢できる」と語っていた。

 このように、学校の建設をハードの面での支援というならば、カンボジアでは教育のソフトの面での支援もかなり求められている。ただ単に校舎を建設するだけではなく、学校を運営していくにあたり、ソフトの面での支援が非常に重要であることが取材でわかった。

バンキア小学校

 現地の人々が望む支援が行われているかどうかを知るために、カンボジアで290棟を超える校舎の建設、運営をサポートし、音楽や美術教育などのソフト支援も実施している認定NPO法人JHP・学校をつくる会の事務局長の中込祥高氏、事務局の浦野聖氏に4月18日、東京で聞いた。

 中込氏はこう語る。「ソフト面の支援は子どもの健全な成長に欠かせないことは分かっているが、なかなか実現できないのが現状である。形に残る校舎の建設へ寄付してくださる人々がほとんどで、寄付した実感が視覚的に得られにくいソフト面の支援はお金が集まりにくい。ソフト面の活動のPRが難しくあまりできていないのも事実であるが、一人ひとりの人材育成に直接つながる支援にも関心を深め、寄付をしてくださるとありがたい。」 カンボジアではまだ校舎が足りていないので、「校舎という共有の場所をまず最初に建設して、そこからだんだんと教育の質の向上を目指していけばいい」という考え方もある。しかし、校舎の増設とソフトの面での支援による質の向上が同時に達成されていくことが理想であることには間違いはない。自分の寄付金が本当に必要とされているところはどこなのか、それを判断するためにカンボジアの現状を知るアンテナを常に張ることが求められている。一方、カンボジアへの支援団体も、現地の状況をしっかり伝えていく努力がこれからも必要であろう。

彼らの姿、あなたの目にはどう映る?
2013/05/19               飯田 奈々(17)

 2013年3月24日から29日の5泊6日で「教育」という大きなテーマをのもと、記者3名はカンボジアの首都プノンペンで取材を行った。

 プノンペン国際空港から都心への道は、立派な首相官邸をはじめとする多くの高層ビルが立ち並んでおり、舗装された道路には外国の高級車が走り、日本に見られるようなスーパーマーケットもあった。想像以上に近代化された、経済成長率7.08%(2011年、出典: IMF – World Economic Outlook Databases)のカンボジアを象徴する姿があった。

 空港から近いプノンペン市ポーサンチェイ郡コークロカー地区アンドン村では、経済成長の中で切り捨てられた人々が、厳しい貧困生活を強いられている光景が見られる。首都拡張のために、以前住んでいた地域を強制的に退去させられたのだ。村に足を踏み入れるためには長靴が必要であった。そこは、生活用水などの汚水が流れ込む場所に位置していて、乾季でさえも高床式の床に届きそうなかさの水が家の周りに溜まっていた。悪臭が漂う空間で、大人だけでなく幼い子どももはだしで水の中を歩いていた。この地域では汚水から湧き出てくる蚊を媒体としたデング熱やマラリヤなどの恐ろしい病気が絶えないそうだ。訪問した家庭では、働き手の父親が病気で横たわっていた。

トロピエンスパイ小学校のトイレ

 カンボジアでの貧富の差は「雲泥の差」という言葉がふさわしい大きな隔たりがあるようであった。

 しかし、このような貧富の差が見られるカンボジアで、学習に対する姿勢においては、この差と同じような違いは見られないということが、王立プノンペン大学の学生への取材で分かった。王立プノンパン大学はカンボジアのエリート、とくに公務員を育てる国立大学で、日本の東京大学のようなものだ。環境科学学部の、ホーム・ボレイさん(20)、ウック・ソファントさん(20)、イム・サーヴースさん(20)アイン・セレイラスさん(20)、キ・チャニーモイさん(19)、ナウン・チャンリウォットさん(19)にインタビューをした。

 このうち地方の貧しい家庭出身の学生たちは奨学金を受け、大学に通うことができている。そこまでして通っている理由と将来の夢を彼らはこう語る。「大学で多くの知識を吸収して、良い仕事に就いて収入を得、まだ小さい弟たちのサポートをしたい。できれば、海外の大学院へ行き、環境保全をする人になってカンボジアに貢献したい」(ソファントさん)「教育は国の発展に必要なものだと考える。大学では知識をたくさん得て、将来は政府機関で働きたい。そうなることで父を喜ばせたい」(ボレイさん)「大学教授や研究者になりたいという情熱を持っているから。海外で奨学金をうけ、海外の大学院へ進み、博士課程まで進みたい。私は村で初めて大学へ行けた人だから、村に帰ってこの知識を活かし、村の発展につなげていきたいとも考えている」(イムさん)

 いっぽう比較的裕福な家庭出身の学生たちは、大学に通っている理由を次のように述べた。「知識をもっと増やしたい。イギリスへ留学するための手段として大学へ通っているが将来はカンボジアで公務員として政策を作り、環境保全に従事する人になりたい」(セレイラスさん)「教育は明るい未来のために大切。自分が勉強してきたことを活かした仕事につきたい」(チャニーモイさん)「いい仕事を得るため。英語の講義をする教師になりたい」(チャンリウォットさん)

 このように、貧困層と富裕層の学生で学習に対する姿勢の違いが見られなかった。全員が国の発展への責任を感じ、前向きに今自分にできることに精一杯取り組んでいた。そして、貧富に関わらず皆口々に今ここで勉強をしていることへの感謝を述べていた。

 また、富裕層の学生からこのようなことも聞くことができた。「国内の貧富の格差を感じる。私ができることとして、大学で学んだコンピューター技術とかを村の人に教えていきたい。貧困がなくなるためには、教育が大切だから子どもだけでなくもっと世代の上の人への教育も行い、農業の改善に繋がればいいと思う」(セレイラスさん)「貧困を減らしたい。そのためには日本のように適材適所に人材を置くことが大切であると思う」(チャンリウォットさん)「今はすごく貧富の差があるが、将来そのギャップが縮まればいい。地方では伝統的に女の子に勉強をさせたくないという風習があるのでそういう両親に教育の大切さを訴えていきたい」(チャニーモイさん)

 最後に富裕層のセレイラスさんはこう述べた。「私達はひとつの国であり、誰かが誰かを見下す環境にあってはならない。助け合って生きていきたい。皆で協力して、国の発展に繋げたい。」と。
 
 今の日本で、学べることができる喜びに気がついている人はどのくらいいるのだろうか。学校に通っている目的をはっきり言える学生はどのくらいいるだろうか。また、自分の将来、国の将来についての目標へ向かって努力をしている、と胸をはっていえる人はどのくらいいるだろうか。裕福な人もその立場への責任を持っており、何よりも貧富に関係なく、感謝の心を忘れず、目的を持って勉強し、高い志を持ちながら日々努力を惜しまない彼らの姿を見て、胸に突き刺さる思いの人が日本には多くいるだろう。

JHP事務局長中込祥高氏を取材

夢を持って選んだ道
2013/05/19                米山 菜子(16歳)

 カンボジアで3人の女性に会った。1人目は働きながら大学院へ通う女性、ロク・マリーンさん(29歳)。そして、彼女とは対照的に、義務教育(小学1年生~中学3年生)を終えずに織物を職とした女性スレイ・ネットさん(16歳)。3人目は高校を卒業し、自分の卒園した保育所で働く女性、ソン・ブンターさん(25歳)だ。彼女たちを通して、女性の生き方を見た。

 「女性は白で男性は金」
 カンボジアではとても有名なことわざだとマリーンさんは言う。その意味は、白色の布は一度汚してしまうと二度と真っ白には戻らないが、金は何度汚しても金に戻すことができることから、女性の純白さを表しているそうだ。しかし、このことわざが転じて「女性が高等教育を受けると、男性に尊敬の意をはらわないようになる」と考えられていることもあるとマリーンさんは言う。それを裏付けるかのように、マリーンさんが高校生のときはクラスの5割が女性だったが、大学では3割に減ったという。

 首都プノンペンのあるカンダール州の隣に位置するタケオ州バティ郡トロピエンクラサン村に生まれ育ったネットさんの家庭では、2人の兄は高等教育を受けているが、ネットさんと姉は義務教育を修了せず小学6年生で通学をやめ、働き始めた。現在は「幼い難民を助ける会(CYR)」が運営する織物研修センターで働いている。地域によってはこのように、女性は十分に教育を受けずに仕事を始めたり、結婚をしたりする風潮があるそうだ。このような環境で育ったネットさんは「勉強があまりできないから」という理由で進学をやめ、地元の伝統的な女性の仕事である織物を始めた。

 しかし、ネットさんは「勉強がしたくない」というモチベーションだけで仕事をしているのではなかった。自分たちの母親や近所の女性たちがやっている「織物の技術を高め、織物を続けたい」という幼い頃から持つ夢を胸に日々働いていた。彼女たちは夢を叶えるために進学よりも現金収入につながる技術を得る仕事を選択した。

プノンペンの高層ビル街
アンドン村のスラム

 自ら選んだ道を進み、夢を叶えた女性もいる。ブンターさんだ。ブンターさんは「子どもが好き」という想いから保育所で働くことを夢みた。彼女が住むカンダール州のカンダールスタン郡、バンキアン地区プレイタトウ村には、縫製工場ができてから、中学や高校を卒業して、働きはじめた友人が多くいたそうだ。しかし、彼女は夢を叶えるために高校を卒業し、プノンペンの国立保育士養成所で2年間の研修を受け、彼女が通ったプレイタトウ保育所に保育士として戻ってきたのだ。ブンターさんは「絵や文字を書くことを子どもたちに教えたい」と笑顔で語った。

マリーン・ソクさんを取材

 マリーンさんも、教育を通して夢を叶えようとしている。首都プノンペンから遠く離れたバッタンバン出身の彼女の夢は開発プロジェクトで働くことだ。そのために、国際的NGOであるアジア財団で働きながら、王立プノンペン大学院で開発学を学んでいる。また、女性としてかなりのキャリアを積んだ彼女だが、「全ての人が高等教育(大学、大学院)を受ければよいわけではない」と考える。また、「高等教育を受けられる人を増やすことよりも義務教育の質を上げることの方が求められている」とも語った。今は小中学校が乱立され、教員不足など管理しきれず、学校によって教師の質が違うそうだ。高校以前の教育はカリキュラムをこなすだけのものになっているなか、マリーンさんは、とくに旧い慣習にとらわれている地方の子ども達の義務教育の大切さを広めていきたいと話した。

 彼女たちはいずれも自分の夢を明確に持ち、自信を持って自分の進むべき道を歩んでいた。日本に目を向けてみると、親の給料で学費を払い、向学心も持たず大学に進学する学生が多い。高校生のときから専門的な技術を学べる商業高校や工業高校に通う学生や、大学に行かずに働く人は少なくなった。日本では戦後、大学の数も増え、高等教育の進学率が上がったが、学習する目標を持った学生が減少してはいないだろうか。カンボジアで3人の女性の生き方をみて、「進学することが当たり前」というような日本の風習に疑問を覚えた。

王立プノンペン大学の学生たちと
スレイ・ネットさんを取材
ソン・フンタさんを取材
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