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教育

英語教育への誤解

英語教育への誤解
2009/5/15                建部 祥世( 17 )

 文部科学省による学習指導要領の改訂で、 2011 年度から全国の小学 5 ・ 6 年生を対象に週 1 コマの「外国語活動」(英語)が必修化されることになった。「英語ノート」と呼ばれる教科書の他に絵カードなどを使用し、生徒の言語や文化に対する理解を深め、コミュニケーション能力を向上させることを目的としている。現在、すでに全国の公立小学校の約 8 割で総合的な学習の時間に英語の授業が取り込まれているが、その中でも特に海外帰国生の受け入れを積極的に行い、国際理解教育も盛んな目黒区立東山小学校へ取材に行った。

東京都目黒区の東山小学校で国際担当をされている齋藤寛治先生

 東山小学校では平成 9 年から外国語活動に取り組み、 ALT ( Assistant language teacher )を起用した英語の授業を 3 年生以上は週 1 回行うほか、土曜日には帰国児童を対象とした少しハイレベルな授業も行っている。帰国児童も多いからか保護者の多くは今の取り組みに賛成だという。また「 ALT が 8 : 30 から 16 : 30 まで学校にいるので児童たちが気軽に英語を話せる環境があり、英語での挨拶や会話に積極的になった」「高学年になると英語を自分の力で使うようになった」と、児童たちの英語に対する意欲も高まっている。中学校でのオーラルの授業に対して抵抗も少なく取り組めるようになるそうだ。

 では、小学生で英語を勉強することが何の役にたつのだろうか。現在の小学生の英語教育に対してこのような疑問を投げかけるのが、 NPO 法人東京コミュニティースクールの初代校長であり、「英語を子供に教えるな!」(中公新書ラクレ)著者の市川力氏である。市川氏は現在の教育制度を何も変えずに、そのまま英語の授業を取り入れることに対して反対の姿勢を示し、「‘教科’として取り入れて、子供の英語力が上がるという安易な考え方が間違っている」と言う。

 全国 31 の公立小学校の保護者に対して行われたベネッセコーポレーションによる意識調査でも、小学生の英語教育必修化について「賛成」「どちらかと言えば賛成」という保護者が 76.7% にものぼり、さらに始める時期については 47.8% もの保護者が「 1 年生」を希望している。(読売新聞 2007 年 5 月 11 日)この結果から、必修化すれば英語力が身につくという保護者の安易な考え方と子供に対する期待が伺える。

 市川氏は「英語を話せる子や話せない子、言語の感性の高い子や低い子というように、いろいろな子たちがいる中で小学生のうちから開始することはいたずらに英語への苦手意識を高めてしまうリスクがある」「始める時期は人それぞれでもいいのではないか」と、一律のカリキュラムで行う英語教育には限界があると主張している。「英語は母語での思考スタイルがある上にのせるもの」と考える市川氏は、初等教育において英語教育よりも優先順位が高いのは、実体験をベースにしてきめ細やかな学習環境を創り、小学生時代だからこそできる自由な発想力を育てる教育を薦めている。

 日本の TOEFL のスコアはアジアの中で下から 2 番目。「学校」という学ぶ場所がありながら、生徒たちのことをきちんと考慮した教育ではないのが原因だろう。年々 TOEFL のスコアが上昇してきている韓国では国そのものが海外有名大学への進学を斡旋しているため、小学生からの早期英語教育を盛んに取り込んでいる。だから単に「早い時期から英語を学べば話せるようになる」という安易な問題ではない。英語を学ぶ環境、教師の質、教材の内容など、あらゆる条件がそろってこその英語教育なのだ。

また市川氏の言うように、英語は国際社会で国際人として生きていくための‘ツール’である。しっかりとした土台がなければ、英単語を覚えてもそれを使うことは出来ない。ただでさえ「正しい日本語を使えない人が増えている」と言われているこの現状なのに、考える力までなくなってしまったらいったい日本はどうなってしまうのだろう。小学生 時代 はやはり、考える力や自由な発想力を養うべき時期だと思う。

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教育

小学校の英語教育の必修化に向けて・・・

小学校の英語教育の必修化に向けて・・・
2009/5/15                 宮澤 結( 15 )

 今現在、文部科学省は「英語が使える日本人」の育成を目指し、小学校での英語教育の導入を検討し始めている。また最近では、小学生のうちから英語塾に通わせたり、なるべく小さいうちから英語を習わせることを望む親も多いように思われる。

 確かに、現在の日本の TOEFL の点数はアジアの中で下から二番目であるし、小さいうちに英語教育を行おうという考えも理解できる。しかし、果たして小学校への英語教育の導入は必要なのだろうか?そしてそれが世界に通用するような国際人を育成することに繋がるのだろうか?

 先にも書いたとおり、小学校での英語教育の導入が検討されているが、すでに取り組んでいる学校も少なくない。そこで、平成九年から外国語活動を小学校3年生以上に取り入れている目黒区東山小学校に取材をした。この小学校では週一回、担任の先生と一緒に ALT ( Assistant language teacher )の先生が教えている。「当小学校は、 ALT の外国人の先生が学校に居るから、気軽に児童が英語を話せる環境ができた。目黒区の教員・学校評価ではほとんどの保護者が賛成し、反応も良い」と言っていた。また、外国語活動を受けた児童は中学校でオーラルの授業では英語に抵抗が少ないという。

東京都目黒区の東山小学校で国際担当をされている齋藤寛治先生

 ここでもう一つ疑問が生まれた。私の通っていた小学校も外国人の先生と日本人の英語の先生によって週に一度ほど英語の授業があり、小学校の英語教育を受けたおかげかは分からないが、中学入学当初の英会話の授業では特に勉強をしなくてもテストで良い点数を取れていた。しかし、東山小学校の取材で聞いたように、中学1年の後半になってくると勉強していなかった分成績が下がったという経験がある。では、いくら小学生のうちから英語を教えても中学のカリキュラムが変わらないのなら、小学校に英語教育を取り入れても英語力は変わらないのではないだろうか?中学で他の生徒と差がなくなるのであれば、小学校への英語教育の導入はどんな意味があるのか?

 そこで私達は『英語を子どもに教えるな』などの著書で知られる東京コミュニティースクール校長の市川力さんにお話を伺ったところ、「子どもが英語に触れることと教えることとは違う。かりに0歳児が英語に触れる環境におかれたとしても、そのこと自体が弊害をもたらすわけではない。問題なのは、子どもに英語を教え込むことが可能だと安易に考える大人の発想だ。たとえば、小学生に単語などを反復して書いて覚えさせたり、フレーズを繰り返し言わせたりしたところで、何のためにそれを行っているのか、その意義を理解した上での学びでなければ効果はない。確かに小学生は子ども感受性が豊かなので、外国人や外国語に対しても先入観なく対応できるので、異言語と親しむ意義はあるだろう。しかし、それは、単に英語を教科として取り入れて、英語を教え込むということではない」と言う。

  また、「英語を習得するには周りの環境が大切だ」と言う。いくら週に数時間の授業を行ったとしても家ではテレビもラジオも家族の会話も日本語だから、授業だけで英語がぺらぺらになることはないだろう。

 それでは、どのように生徒に“学ばせる”のか。市川さんは、「英語はセルフラーニングが大切。それをコーディネートする先生が必要。そのためには子どもに英語を自発的に学びたいと思わせる楽しい授業を、先生と生徒が一緒に作っていくことが良い」と言っていた。

 確かに週に数時間の授業だけで英語がしゃべれるようになることは不可能に近い。ましてや小学生の小さいうちから単語だの文法だの叩き込まれたら、英語嫌いの子が増えてしまうだろう。そう考えると、中学1年後半まで英語の点数が良かった私は、小学校の英語教育によって、少なくとも英語への興味と英語をもっと学びたいという強い意思を持つことが出来たのだろう。ペーパーテストの紙の上の点数でなく、どれだけ伝えたいかというコミュニケーション技術が大切だと思う。字幕映画を見せるでも良い、アメリカのニュースを見せるでも良い、何か英語に興味がわくような授業が展開されることを願っている。

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教育

小学生の英語教育

小学生の英語教育
2009/5/15               飯沼茉莉子(12)

 今日本では、ゆとり教育が問題にされている中、英語の授業を増やそうとしている。平成22年度からは、話すことだけではなく、書くことにも力を入れるために全公立小学校に英語ノートが配られる事になっている。これを知った私達は、他の区に先んじて英語教育に取り組んでいる東京都目黒区の東山小学校で国際担当をされている齋藤寛治先生と今の小学校の英語教育のやり方に反対されている市川力さん( 46 )に取材をした。

 目黒区立東山小学校は帰国児童が多く、早くから外国語活動に取り組んでいる。授業は 3 年生以上は週1回、年間約30時間。内容は授業前に学級担任の先生、 ALT (アシスタント・ラングエッジ・ティチャー)の2人が集まって会議をし、指導内容について確認している。

 齋藤寛治先生は、外国語活動によって、「英語の力だけでなく、コミュニケーション能力、自己表現力を伸ばすこと、そして、英語を学ぶことで思いやりの心・道徳の精神も身につけてほしい」と外国語活動の効果を期待している。

 また、 ALT の先生が長い時間学校内にいるため、気軽に児童が英語を話せる環境があるということもあって、英語の挨拶・会話を積極的にするようになった。

 高学年になると、英語を自分の力で使うようになる子が増え、外国語活動を通して子供達の成長を実感しているという。

 平成9年から外国語活動に取り組んでいるが、今まで保護者から積極的に取り組むことに反対の声はなかったそうだ。英語より日本語の土台をしっかり作るべきという反対意見に対しては、国語科を中心として国語を適切に表現し、正確に理解する能力を身につけさせるとともに外国語を学んでいるので、児童の日本語がおろそかになっていることはなく、問題はないと言っている。

 ゆとり教育によって授業時間が少ない中で、さらに外国語活動の時間を増やすと他の教科に影響を与えてしまうのではないかという意見に対しては、 3 年生以上は総合的な学習の時間における国際理解で扱うこと及び十分な総授業時数を確保しているため影響はないそうだ。

 次に、小学生の英語教育に反対意見を述べていた市川力さんにお話を聞いた。市川さんは6年前まで 13 年間、米国で学習塾の日本語講師として、日本人駐在員家庭の子供たちに受験に向けての授業をしていた。その時に日本語と英語が中途半端になる子を見て「英語を学ぶ前に、まず日本語の論理的思考力を高めること、伝えたい内容を持つことが大切」と感じたと言う。「小学校から英語教育を始めるにしても、英単語やフレーズをただ覚えさせるのではなく、英語を媒介として人と知り合ったり、情報を得たりする面白さを引き出す授業を構築すべきだ」と提案している。

 全国の小学1・2年生だと8割、小学5・6年生だと 9 割の小学校で英語教育が行われていることに対しては、「英語に触れる」というレベルに過ぎず、そのこと自体が大きな弊害を生むとは思えないと言った。大事なことは、親も変わらなければいけないということだ。なぜなら、親は週に1回ネイティブの先生と会話をすれば英語はすぐ話せるようになると思いこみ、全然協力しないからだそうだ。

 整備されたカリキュラムのもとに小学校の英語教育を行えば、効果も期待できるし、生徒の言語に対する興味もわくと言われ、早期英語教育が悪影響を与えるようには思えないとも言った。問題は「英語を教科として加えれば、アジア諸国の英語レベルに追いつき、解決するという安易な考え方にある」と言っていた。なぜなら、ひとりひとりの学びの特性が違い、のみこめる速さが違うからだ。「今の小学生は生きる力を失っているから、ほめる教育をして、厳しい教育はやらない方がいい」そうだ。

 私は初め、市川さんの考え方を間違えてとらえていた。今回の取材で市川さんは英語を教えることに反対なのではなく、今の英語の教え方に反対だということがわかった。 

『英語を子どもに教えるな』などの著書で知られる東京コミュニティースクール校長の市川力氏

 私自身アメリカで生まれ、英語は自然に話していたが、低学年で帰国したため、語彙が少なすぎて作文が苦手だ。だから、話すことだけではなく、書くことの重要性を分かってもらいたいと思う。簡単な英会話が話せるようになったら、そこからは、どれだけ多くの語句を知っているかで差がついていくのだ。日本の小学生がバランスよく英語を身につけていくことを願う。

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座談会

何故みんな同じ格好をするの?

個性の出し方が難しいのか、目立ちたくないのか、成人式や就職活動で若者が同じ格好をする日本独特の傾向を5 人の高校生、大学生、卒業生がホンネでトークした。

出席者:曽木颯太朗 (記者、新高三)、浅見浩平(ユースワーカー、新大学二年) 畔田涼(記者、新大学一年)、
秋津文美(ユースワーカー、新大学四年)、 司 会:三崎令日奈(ユースワーカー、新社会人)
2009/03/29

令日奈:まず、入学式や成人式、卒業式にどんな格好で行きましたか?

文美: 大学の入学式には近くのアオキで買ったスーツでした。黒です。
     成人式には振袖を買ってもらいました。
     卒業式には大学に「貸し袴」も「販売」にも来るので、女子大だし、
それを友だちと見にいこうと言っています。

涼:  私は4月に入学式を控えていて、友人と相談し就職活動も使える
黒のスーツを買いました。二年後の成人式には振り袖を着る予定です。

浩平: 大学の入学式は近所で買ったスーツでした。成人式では袴で行く予定です。

颯太朗:まだ大学の入学式まで一年ちょっとあるのですが、
正直何も考えていないです。

伝統vs個性

令日奈:周りがスーツならばスーツで行きますか? 

颯太朗:それが普通ではないかと思って。ただ着物は着ないと思います。

令日奈:私は商業主義に乗せられていないかと思い費用をかけなかった。
就職活動は入学式で着たスーツに白を合わせたら没個性になるので、
青のシャツにしました。卒業式もみんなが袴で来ると思ったので、
母親の昔の振り袖を着ました。私はこれでいいと思っていたのですが
文美ちゃんや涼ちゃんは自分が納得してそういう格好をしてたの? 

文美 :祖母が振り袖を買ってくれたんです。
    
令日奈:涼ちゃんは?

涼  :個性を出したいから、黒でなくてストライプが入っているスーツを
     買おうと思ったけれど、友人と話すと就活でも使えるものを買う人が
     多かったので自分の「個性」はあきらめました。

店員さんに言われて

文美: ストライプのスーツは就職では使えないの?

涼 : 店員さんにそう言われました。

令日奈:そう、店員さんに言われるんですね。
「ふつうそれは無いですよね」と。実際に私の就職活動では、
よほど堅い業種以外はストライプでもかまわなかった。

涼:  こうやって先輩の生の声が聞けるといいけれど、
     店員さんの言葉を鵜呑みにしてしまう現状がある。

文美: 「皆さん買われないですよ」とか言われたらそうですね。
男の人はスーツを買ったんですね。一番相談したのは誰ですか? 

浩平: 母と買いに行きました。母は「二つボタンより三つボタンがいい」と言い、
ぼくは「そんなの知らん」という感じだったのですが、
僕が着やすくて、華美でなく、線が入ってないものを選びました。

颯太朗:おそらく買う時は両親と行くと思います。

あなた一人だけの卒業式じゃないの

令日奈:文美ちゃんがさっき言った祖母の思いとは?

文美: 祖母は呉服が盛んな地域の人で、晴れの日には着物を着せたいと
     いうのでお祝いしてくれる気持ちを大事にしようと思いました。
金銭的には大変な負担だった思います。

令日奈:それと似た話で、私の友だちが「袴のお金で他のことをしたい」
     とお母さんに言ったところ「あなた一人だけの卒業式じゃないのよ」
     と言われたって。それには私も納得して、記念写真を撮る時に一人だけ
     スーツ姿になってしまうし、お世話になった人もいるわけだから、
「あ、そういう考え方もあるんだ」と私は思いました。

リクルートスーツ

文美: リクルートスーツを自分で買いました。
     正直なところ「学生で五万円の服買うの?それって身の丈に合ってる?」と 
     考えてしまいます。しかも一着、二着、就活本によると三着とか。
鞄は一万円、靴も一万円が二足でしょう?バイトは時給が千円ないのに。

令日奈:黒の上下で五万円というのは注文のこと?

文美 :いいえ丸井などで上着が三万円、スカートが二万円。
私はスカートだけで通していますが、女の子だとズボンもあるから、
一つのコーディネートで七万円くらいかかってしまう。

令日奈:究めつけは就活バッグよね。絶対に仕事では使わないような
     真っ黒のA4書類が入るバッグで、さらにチャックが付いて・・。

文美: それでいて、なかなか物が入らない・・。

令日奈:理由は、面接で他の企業の案内書が見えるのはまずいから
     チャックが付いているんだって。

文美: 会社員になって人に接する営業職ならば仕方がないと思うけれど、
私は身の丈に合っていないと思います。

浩平: 僕は身の丈に合っていないとは思わない。
人はそれぞれで、スーツを親に買ってもらえる人もいれば
バイトで月に何十万円も稼いでいる人もいるので、
彼らにしたら決して身の丈に合っていないとは思わない。
僕も月に十万円近く稼ぐことがあるのでそんなに苦にならないかな。

文美: 勉強する時間や本を読む時間、友だちと遊ぶ時間を全部削って稼いだお金が、
ほとんどそれに流れるのをどう思いますか? 
プラスアルファには何もならないんですよ。

令日奈:文美ちゃんが言っているのは働いたバイト代が、例えば
自分のためにバックパッカーで旅に行く費用にもなり得たのに、
無個性なスーツに消えていくのが空しいということ?

文美: それもありますが、高すぎるんじゃない?という単純な感想です。
それが標準になっているのは大変なこと。

令日奈:私の友だちは卒業式の袴と写真撮影代とヘアメイク全部で五万円
かかったんだって。その五万円衣装は午前中で脱いでしまうのね。

レンタル20万円

文美: 成人式の着物のレンタルなんか、友だちが二十万円のを借りたって。

浩平: それって悪いことなんですか?

令日奈:考え方だと思う。逆になんで悪くないと思う?

文美: 価値があると思うんでしょ。

浩平: 自分がこういう服を着たい・・今持ち合わせがなく親が出してくれるなら
僕はいいと思う。二十万かかろうと、二十万の価値があると思うなら
     本人はやるべきだと思うし、それで潤っている人もいる。

令日奈:例えば面接で自分のカラーを出そうとしたときに、今までそうやって
「全部そろえてもらってきた」としたら、うまくカラーをだせる人は
あまりいないのではと思う。

目立たたないためのコスト

浩平: 目立たないようにするためにみんな同じ格好をするんだと僕は思います。

令日奈:浩平くん自身の意見は?

浩平 :僕も目立ちたくないので同じような格好をしたい。
「あいつ目立ちたいんだ」というレッテルを貼られることがイヤなので、
「別に同じ服を着ていればいいではないか」という考えです。

涼:  私は成人式でワンピースを着るつもりで高いバッグを買って一生使おう
と思っていたんです。それが振り袖に変わったのは、まわりの人から
「成人式に振り袖を着ない子は浮くよ」と言われるんです。
個性を発揮すべき場なのか、すべき場じゃないのかというのが大切だと思う。
パーティでは自分が目立ってもいいかもしれないけど、成人式は
「振り袖は買わない」というポリシーがあったとしても、私だけの式
ではないことを考えると、「目立たないため」ではなくて、「好き勝手
な服を着ることができない」から、みんな同じ服を着てしまうんじゃな
いかと思います。

没個性はメリット?

令日奈:目立ちたくない理由は「あいつ目立ちたがってああいう格好している」
     と思われたくないのが一番の理由ですか?

浩平: そうですね。「どうせあいつ目立ちたがり屋だろ」と言われたくないのが
僕のポリシーなので、個性的な格好をするよりは没個性的な方が得だと
僕は思います。

令日奈:自分にとって得?

浩平: はい。

令日奈:では普段の生活では個性を自由に出していますか?

浩平: 着たい服を着ようと思っていますが、基準はあまり「個性的だな」
と言われず、「流行に乗ってる」とか「みすぼらしい」とか、
どれも言われない格好をしようと心がけています。

文美: 目立たないことで何かメリットがあるんですか?

浩平: 少なくともデメリットがないと思います。

令日奈:成人式や卒業式で、みんなが「リスクの少ない」ということに
     労力とお金をかけているのはすごいと思う。
     「なんで袴なの?」とか「それに五万円もかかるんだ」と私が反応しても、
「まわりがやっているから仕方がない」という答えが返ってくる。

文美: 私は女子大ですけど、入学式に真っ白なスーツで来た子がいるんです。
     「ああそれって選択だな」と私は思いました。
     他に白いスーツで来た子は何人かいましたが今も固まっているの。
     ブランドバッグを持ってきた子も集団で固まっている。
     嗜好は人間にはあるし、別にそんなに合わせなくていいと思う。
     自分で私はこれで行くと主張することで生きやすくなることもあると思います。

外見で決まる?

令日奈:以前CEの取材で女性誌の読者モデルに来てもらったところすごい格好で
     現れたの。髪の毛なんかこんな感じだし、お化粧も濃くて・・・。
     その人が言うには「外見で人を判断する人は私に寄って来ないから
     この格好はいわば“第一関門”。外見で判断しない人だけが私とやっと話す」
     と言っていたのを思い出しました。
     いま文美ちゃんが言っていた「自分は白いスーツを着る目立ちたい人間です」
     と主張することで、そういう人たちと四年間仲間でいられた・・。
     それは居心地がいいのかもしれないね。
    
文美: きょう私が感じたのは、目立たないためとか、目立つためとか、
     その人なりに一応考えてそういう格好をしているのかなということです。
     ただリクルートスーツが毎年毎年あんなにおいてあるのをみると、
     そういう産業が成り立っているのだということも考えました。

令日奈:仮にリクルートスーツというものが世の中から無くなって、
     あなたが選んだ格好をしてきてくださいと言われたら?

文美: ある会社では全身写真が必要なのですが、「リクルートスーツはやめてください」といわれてみんな迷ったようです。ある程度の指針があった方がいいかもしれません。私は、リクルートスーツはラクだと思っています。
     だって洋服だけじゃないでしょ、個性を発揮するのって。
    
浩平: 会社に入ったら服装を自由にしたいですけど、
     僕が就職活動をするにあたってはスーツの方がラクですね。

令日奈:それはなぜ?

浩平: 服装だけで見えてくる部分もあるでしょうし、ぼろ切れみたいな服を着てきたら見る側(人事部)としてはおもしろいでしょうが、僕はそういうふうに選別されたくないです。

令日奈:それはなぜ? お金がかかるから?

浩平: どんな服を着たらいいのか、何が求められているのかを考えない
     リクルートスーツの方がラクだと思うので僕はいいです。

個性を主張できる社会に

文美: でもやはり考えないのはよくないと思います。
     例えばシャネルに受けに行くのにリクルートスーツで行っても通るらしい
     んです。でもファッション業界に行くのにリクルートスーツ?
     「個性が発揮できると若者が思える社会」でもいいのではないでしょうか。

令日奈:学生がリクルートスーツやバッグも靴もそろえるのは、少なからず
社会の習慣を反映しているのかな。
     日本社会の「目立たない方がいい」、リスクかからない方がいい」という考えと
価値観が少なからず学生の動きにも影響していると思いました。

文美: 社会を見てそうしているのではなく、「知らなすぎて」そうしている気がします。就職活動などもほんとにそう思う。
     いかに親との関係が希薄で、いかに世の中を見て来なかったか、
     だからどの程度まで自分の力が個性を発揮できるかわからない。
     お化粧でも表現できないし、企業のエントリーシートや面接でも個性を発揮
できないのは、私もそうだけど、世の中といかに関わって来なかったのかと
いう点だと思います。

令日奈:確かに私もCEの大人のスタッフの話を聞かなかったら、
     「黒じゃなきゃいけない」と思っていたかもしれない。
     店員さんに惑わされない自分の考えや、まわりの助言は必要ですね。
       (完)

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座談会

大学へ行く意味 ~なぜ大学へ行くのか~

大学へ行く意味は時代によって、国によって大きく異なります。もちろん個人の事情もあります。日本の若者は大学へ行く目的、あるいは青年期の4年間をどのように使おうとしているのか、高校生、大学生、そして高卒で就職したCE記者6人が本音で語り合いました。

井上麻衣(19社会人)、藤原沙来(19大学2年)、畔田涼(18高校3年)、三崎友衣奈(17高校2年)、建部祥世(17高校2年)、秋津文美(21大学3年・司会)
2009/03/01

■率直な志望理由

文美 :高校生の祥世ちゃん、涼ちゃん、友衣奈ちゃんは

    大学へ進学志望だそうですが率直な理由は?

祥世 :将来は海外で仕事がしたいので

    しっかりした学歴が必要だと思いました。

涼  :英語の学習をもっと深めたいのと、

    就職の時に大卒の方が有利ではないかと。

友衣奈:社会に出る前に、実践的に使えるものを大学で学びたい。

    大学へ行かないと就職できないなというイメージがあります。

文美 :大学に行かないと就職できないのではという考え方に

(高卒で就職した)麻衣ちゃんはどう思いますか?

麻衣 :私も高校二年までは大学に行くと決めていたので、

まさかこんな道(注:化学メーカー)に入るとは・・という感じはあります。

大卒でないと就職できないと思っていたけれど、

こうやって就職しているので、‘できる’というのが現実です。

文美 :会社では大卒の人と、高卒の人は同じ仕事をするの?

麻衣 :大卒よりも大学院卒とドクターが約 95 %です。

    研究職なのでそうなります。残りの5%が四年生大学卒と高卒です。

    高卒は 10 年ぶりに採ったそうですが同じ仕事をしています。

文美 :仕事は変わらない?

麻衣 :自分ががんばれば変わらないと思います。

■世界には色々な生き方がある

涼  :麻衣ちゃんは、どうして進路を変えて就職しようと思ったのですか?

麻衣 :学歴がないとダメだぞ!と思っていました。

    でも私は世界の人に興味があって、世界には「学歴」でなく、

フリーで活動している人も多く、いろいろな生き方があるのだと感じたの。

そうしたら、大学へ行かなくても働けば同じように生きていけるし、

楽しい人生は自分が選ぶものだと思えてきて、ころっと 180 度変わりました。

祥世 :今の仕事は自分が希望した仕事なんですか?

麻衣 :希望しました。将来を考えた時にこれをやりたいって思っているから。

文美 :沙来ちゃんはなぜ大学に行ったの?

沙来 :専門知識を得たいと思いました。本でも勉強はできるけれど

    教授の経験を通しての話や、友人からの刺激など、

    そういう環境にいることで得るものもあると思い大学に入りました。

文美 :大学でできる人脈や友だちは大事ですか?

沙来 :そうですね。自分一人で生きていては絶対に出会わないような

    色々なコネクションができるのが強みだと思います。

友衣奈:就職にコネは絶対条件というイメージがあって、大学には行くものだと

    思っていましたが、いま高校二年生になって考えると、

このままあと一年で社会に出るのはすごく不安です。

麻衣ちゃんがそのまま就職した勇気はすごいなと思います。

麻衣 :私は社会人というカテゴリーに自分がいることに実感がないの。

    周りは大学院卒やドクターが多いから、よけい学歴の差を感じて

    ジレンマになるのだけれど、先輩たちが教えてくれる。

    それをコツコツ勉強して学生気分で仕事をしている感じなのです。

    社会人って言われるとびっくりします。

■大学は自分探しの場所?

文美: 私の経験では、大学は知識を詰め込むところではなく

    考える場所なのです。

知識は会社に勤めながらでも得られると麻衣ちゃんが指摘しているし

高卒でも就職できる。それでもあえて大学へ行こうと思う皆さんが

大学を出た先に描くビジョンってどういうものですか?

涼  :大学では自分探しの時期として利用したいと思っています。

自分探しのためだけに親のスネをかじって大学に行かせてもらう

のだけれど、でもやはり私にはそういった時期が必要です。

今どの職業に就きたいっていう明確なものがないので。

麻衣 :とてもいい意見だと思います。

    高校卒業までにみんなが就きたい職業が決まっているかと

    言われたら絶対そうじゃないし、

    一生の事だから焦って決めなくていいと思う。

友衣奈:大学生って、社会人みたいなことをする人たちもいるでしょう?

    社会人予備軍的な存在なのかと考えるのですが、どうなんでしょう。

沙来 :私は、大学に入ってから「自分探し」では手遅れかなと思う。

    なぜかというと私は勉強したくて入ったからすごく嬉しいし、

    学ぶのが楽しい。フラフラしていたら四年間しか大学はないし、

    将来や自分を見失うと思うので、自分のやりたいものに絞って

    やった方が有意義になると思います。

友衣奈:沙来ちゃんに質問です。

    例えば「自分には夢とか興味が何もありません」みたいな人が

    「とりあえず大学行くか」といって行くでしょう?

    そういう人はフラフラしがちで・・・

    大学に行く価値ってどんなものものだと思いますか?

沙来 :目的を持たずに成績によって入ってきた学生も実際にいます。

    授業を受けながらサークルに入って・・でも単位を取るために

    勉強しなきゃいけないし、みんな義務感を持って勉強しているのが現実なの。

フラフラしているようでも自分なりに目標を立てているのが今の大学生かな

と思います。

■社会の風潮に洗脳

文美 :でも本当に目標もなく大学に行く人もいますよね。

親も「大学を卒業しておけばとりあえず就職とかの間口も拡がるから」

みたいに言う。私立で年間 100 万円の授業料。国立でも 50 万円以上でしょう。

それに対して何か意見はありますか? 

沙来 :日本がそういう社会なのです。四年制大学を卒業してないと採りませんと。

例えばギャップイヤー(例:高校卒業して 1 年間海外でボランティア活動)とか、わずか一年間のことで「何をやっていたのか」って言われて、

それでもうマイナスになってしまう。

日本の企業に入りたいなら四年制大学を出るしかないっていう感じです。

麻衣 :そういう風潮が日本は強いです。大学へ行かなくちゃ就職できない

    みたいな固定概念がある。社会の風潮に私たちの考えも洗脳されている

    感じがします。

■仕事にニーチェはいらない?

友衣奈:私の姉は就職したばかりですけど、友だちと似たような会社を

    とりあえずたくさん受けて、内定をもらったところに行く・・。

就職目的は各人が違うのに、結局はみな同じようなところを受けて、

そういう企業に入っていく。

同じ進路になってしまうのがすごく疑問なのです。

よほど専門的な道を選ばない限り受ける企業も同じっていう。

文美 :確かに文系で就職しようと思うと総合職か一般職で、

    ある程度専門的になるのは会社に入ってからです。

    仕事に歴史の知識や文学部の知識とかニーチェはいらないから、

    大学で違うことをやってきても同じ仕事に就くでしょうね。

友衣奈:それを否定しているわけじゃないんですけど。

沙来 :でも大学で学んだ経験や知識はみんな違うし、

    自分が興味あることをやってきたわけだから

    仕事のためにならなくても、就職するときにアピールできたり

    自分の興味のあることを伸ばせるし、それは無駄ではないと思います。

友衣奈:就職を最終目的としているのではなくて、

    自分のやりたいことをもっと吸収できる場所っていうこと?

沙来: 例えば現代社会を学んでいる人たちは一般的な企業に就職するしか

ないかもしれない。でも確かに彼ら彼女たちは現代の社会問題を

大学で学んできた。

    私は児童問題についてしか学んでいないので、会社に勤めてから

    生かせる部分もきっと違うだろうし、将来大人になってからも

    生かせる部分が違うと思う。だから何かの目的を持ちつつ

自分が学びたいことを学ぶのが一番いいと思います。

■大学・就職・人生

文美 :大学に行くのは就職に有利だと、そこまでは否定しないでおきましょう。

 今ちょっと思ったの、

 人生のなかでは、生きる喜びが必要かなと。

 仕事には別にチェーホフとかはいらないから、大学はまったく楽しみの

ために行くもので勉強と仕事は違うと思っていたのですが、

 みなさんは大学で得る知識を仕事で生かそうと思っていますか? 

涼  :楽しみにプラスして、例えば自分のスキルアップをするために資格を

    取る期間として利用してもいいと思う。

文美 :それはそうだけれど、就職の先に何かないの?

    大学で学んだ事が母親、父親になった時に生かされるとか。

    お金を稼ぐだけじゃなくて国際的なことやボランティア論や起業など

    大学ではいろいろある。でも大学で取った教員資格が使えなくなったり

するし、 TOEIC もある程度の点数がないと意味がない。

    やっぱり不況を意識しますか?親からも就職の話を言われますか?

友衣奈:「どの大学行っていいかわからない」と言うと、

    「大学行ったらコネがすごいのよ」とか言われるので、

    やはり就職につながっているものだと思ってしまう。

祥世 :私は別に親からこの大学に行ってとか、この仕事をしろとか

    全然言われません。ただ自分の将来やりたいことがあるので、

    そのためにまず大学で知識をちゃんと学びたいのです。

    大学で学んだことは就職した後にも絶対生かせると思うし、

    学んだことを生かせる仕事に就きたいと思っているので、

    やはり大学は就職のこととつなげて考えます。

■目的があれば将来につながる

文美 :私と同い年の CE の元記者が、一番行きたかった大学に入ったのです。

ところが入ったら授業があまり興味をかき立てられなくて、

まじめに勉強する学生が少ないという話を聞いたの。

彼女はすごくショックを受けたらしい。

友衣奈ちゃんが入手した統計では 2007 年の高卒者は 114 万 7 千人。

そのうち 58 万7千人が四年制の大学に進学するそうです。

数十万人は大学へは行きたいのに経済的理由で社会人になる

という現実もあります。

58 万人の大学進学者がどれだけ考えているのか疑問ですよね。

友衣奈:私はきょうの話を聞いて大学でやったことがすべて就職に

    つながるわけではないことがすごく新鮮でした。

    目的があれば、大学は将来につなげるために学ぶ機会になり、

    目的がないなら、まだ学生でいたい人たちが行くのかなという

    弱い部分も見えたのでよかったと思います。

涼  :沙来ちゃんの話を聞いて、入学時にある程度目標を持っていないと

    大学は四年間しかなく自分の好きなことができる時間は短い。

    新たにそういう発見があったのでよかったと思います。

祥世 :麻衣ちゃんは高校三年生から短い期間に自分の夢をしっかり確立して

    すごいと思いました。私は将来やりたいことが決まっていないので、

    大学でそれを見つけに行くのも「あり」で、

    結局は自分次第で良くも悪くもなると思いました。

沙来 :私は、大学生になったらやりたいことがあったから今の学部を選んだし、

講義を休んでまで行きたいところがあったから行ったりしています。

 それを理解してくれる教授がいればネットワークも拡がるし、 

 ほんとうに将来一番自分を形成できる場所だと今すごく実感している。

 ただ勉強するだけじゃなくて、いろんな刺激を受けながら、

 自分のやりたいことを絞っていけるいい場所だと思う。

 就職のためにも、日本では大学に入っているといいのかなと改めて思いました。

麻衣 :大学へ行く理由とか、就職する理由の答えはないのです。

    ただ同じ四年間でも働いているか勉強しているかというだけで、

    結局はその人ひとりひとりの人生なのです。

    CE 記者をしていると、情報に流されるな、鵜呑みにするなとよく言われます。

    大学に行ってもまわりが遊んでいるから、それに流されないようにする、

    社会が学歴を求めているからといってそれに流されたりしない・・。

    自分らしくあれば環境はどうであってもいいのかなと思います。

文美 :その場その場の環境で学べばいいという感じでしょうか。
それぞれに大学へ行く意味が見いだせたところでラウンドテーブルを終わります。

関連記事
・大学へ行った意味
高校時代とは違い自主性が求められるのが大学生活です。
授業、部活、アルバイト、そして就職活動。
いまの大学生が何を思い4年間を過ごしているのか、
高校生から大人まで知っていて欲しいディスカッションです。

カテゴリー
座談会

大学へ行った意味

大学へ行く意味は時代によって、国によって大きく異なります。もちろん個人の事情もあります。日本の若者は大学へ行く目的、あるいは青年期の4年間をどのように使おうとしているのか、高校生、大学生、そして高卒で就職したCE記者6人が本音で語り合いました。

出席者: 清水菜々子( 21 ) 、田村綾子(19)、川口洋平(19)、 司 会:三崎令日奈
2009/02/28

高校時代とは違い自主性が求められるのが大学生活です。
授業、部活、アルバイト、そして就職活動。
いまの大学生が何を思い4年間を過ごしているのか、
高校生から大人まで知っていて欲しいディスカッションです。

参加者の2009年3月現在のプロフィール
三崎令日奈(22)
私立大学総合政策学部4年。体育会ラクロス部女子にも所属し
在学中に国際青少年メディアサミット(米国、ロサンゼルス)と
大学生G8模擬サミット(ドイツ)の日本代表を務めた。清水菜々子(21) 私立大学経済学部3年。
2007年年女子U19ラクロス世界大会(カナダ)日本代表、
2009年女子U22ラクロスアジア大会日本代表に選抜される。
        
川口洋平 (19)
私立大学人間科学部1年。グリークラブ、ボランティア活動などで活躍中
                  
田村綾子 (19)
私立大学人間社会学部1年。テニスサークル、ボランティア活動などで活躍中

高校時代と違う大学像

令日奈:1月にCE記者が開いた「大学へ行く意味」のRTで高校生たちは
大学生活について想像をしていました。皆さんは高校時代にイメージした
大学生活と、現在との間にどんな差がありますか?

洋平: 「大学生は勉強する人がいる一方で大半は遊んでいるのではないか」
     と思っていました。確かにそういう人は多いけれど遊びを通じて人と付き合う
方法や、場の雰囲気を盛り上げる方法などを学んでいるように思える。

綾子: 高校時代に漠然と将来やりたいことがあったので、
     第一志望の大学、学部、学科もその基準で選んで、頑張ろうと思っていた。
     でも違う大学に入り、違う学問を学ぶことになりました。
     その結果興味の幅が拡がり、やりたいことも変わった。
「勉強」という思いよりも、「紙だけの勉強にとどまらず色々ところで
勉強しよう」という気になりました。

菜々子:大学で一番思うのは、自主性の部分が大きくて、
     授業に行かないで寝るのも、勉強やサークルを頑張るのも、
     選択肢のひとつで、自主性にまかされている部分が
高校時代に思い描いていたよりも強いと感じました。

令日奈:私は大学=勉強であり、サークルは勉強のおまけと思っていた。
     就職も決まった今考えると、勉強よりも「人との付き合い方」、
     「チームの中での役割」という人間的な部分が就職活動で問われるのだ
     と思いました。
    

一生つきあえる友人を得た

令日奈:つぎに、皆が実際に大学へ行って得たものは何ですか。

菜々子:私が得たものは部活での経験がすべてです。
     普通の生活では築き上げられない信頼関係や、
     一生付き合えると思える頼もしい友だちができたこと。
     70人のチーム全員で一つの目標に向かって頑張ることは
     社会人になったらできないと思う。その二点です。

綾子 :女性が働くことなどの話を聞く機会が増えて自然に自分の興味の幅が
拡がったのは授業や勉強がきっかけです。
     でも大学生活で得たものは、自分が属する各コミュニティーにおいて、
自分はどうあるべきか、今何をすべきか等を今まで以上に考える習慣が
ついた事かな。
    
洋平: 大学に入ってからの方が勉強を熱心にするようになった。
     高校までは興味のないものも嫌々勉強したけれど、
大学では自分のやりたい学問を中心にできるので成績も良くなりました。
やる気も高いです。大学には留学生も含めて何万人もいます。
     だから様々な人とのつながりを得ることができた。

菜々子:補足します。さきほどの私の発言だと私は勉強嫌いかと思われるかも
しれないけれど決してそうではなくて、出席する授業は面白いし、
興味が拡がりすごく役に立っているので時間の許す限り出たい。
    
令日奈:最近受けたおもしろい授業って?

菜々子:金融投資サービス論です。みずほ銀行や野村證券から外部講師を招いて
話を聞き、講義後にまとめを書いていると自分が経済学部にいることを
実感します。一、二年時のマクロ・ミクロ理論は退屈でしたが、
     三、四年になって実践的な部分を学ぶ機会ができたので捨てたものでは
ないなと思います。

部活の意義

令日奈:高校生からみると、部活が授業よりもプライオリティが高いところに
     あるのが分からないと思うけど、それが大学ではできるのですね。

菜々子:できますね。自分次第ですね。試験をがんばらないと進級できないし、
     単位はちゃんと取るべきですけど、部活をやっている人は多いです。

令日奈:就職に直結しないけれど面白い授業がたくさんあって、
     そこでディスカッションし、先生の話を聞いて学んだことは
     自分の考えを整理するのに役に立ち、自分に残るものです。

    部活では今までの自分の友だちにいなかった負けず嫌いな人が多く、
例えば自分が一番になりたいとか・・・。
     これは自分に無かった部分なので大きな刺激をもらいました。
     授業では、将来の夢に向けてすごいビジョンを持っている人が
     いてそれも刺激になりました。
     どっちもいいところがあって、自分もがんばらねばと思いました。
     ゼミでは自分の意見の裏付けをとることが必要で、それは
     高校までとの大きな差です。そのために本を何冊も参考にし、
     数字を間違えてもいけないし、厳密になってきました。
   

就職のための大学?

令日奈 高校生のRTでは、大学は就職するための場所?という意識が
     高かったけれど皆さんの意見は?

菜々子:大学で自分のやりたいことが明確にある高校生は珍しいと思う。
     それがある人は希望通りの大学を選べばいいと思う。
     たいていの人は何となく、まったく分からないよ、みたいな感じだと
     思うので高校生で将来の就職への意識があることにはびっくりしました。

綾子 :私も、どこかいい大学に入っていた方が就職は有利というイメージでした。
     でも興味の幅を拡げるうちに、「自分次第だ」と思えてきました。
     女子大は一般職が多いとか、金融関係に沢山行っているなどと言われますが、
     内側を見ていると、結局は自分の興味と判断で就活するのだと
割り切るしかないというのが二年間大学へ行って思うことですね。
    
令日奈:「就職がいい」という一言にはウラがあるということですよね。
     一般職が多かったり特定の会社に沢山入っていたりとか。
     就職がいい=希望の会社に行けるとは限らない・・それは同感です。

洋平: 高校生が就活を考えているのは意外でした。僕なんか高校生の頃は
     全然考えていなかったし、今もそうです。
     高校生は、たぶんあの大学に入れれば・・と考えるのだと思うけれど、
     大学を名前で選んで文学部、法学部、商学部を全部受ける人が
けっこういます。何がやりたいんだ!と言いたいです。
     名前やランクを気にせずに、法律をやりたいなら法学部を色んな大学で
受けるとか、そういう受験をしてもらいたい。
     そうでないと大学の授業もつまらないですよ。

令日奈:「大学生G8サミット」などの機会に話をしたのですが、
海外の人と「専攻は何なの?」という話題になると、
     国際関係だったら本当に国際関係の学問のことを指すんです。
     日本で「学部どこ?」と聞くと、キャンパス内の雰囲気を指している気がする。
     例えば経済学部は経済学部というカラーというかイメージ・・
あそこは勉強が大変そう、あそこは遊んでいてもラクそうとか、
大きい大学になるとあるんです。その反面、大学院生をみると
専門知識をつけるには学部の四年間では足りないのかなと・・。
  
菜々子:専門的にやるには四年間では足りないと思います。

令日奈:高校時代私は国連に興味があったのだけれど、
     国連職員って学部生は採らなくて、大学院生からなのです。
     その意味がすごくよくわかりましたね。
    
菜々子:どの大学の何学部を受けるかは重要な選択だと思う。
     私自身、文学部以外の経済・商・法を受けました。
そういう人も多いはず。それが悪いというわけでなくて、
     興味がないと思っていたところでも意外に面白い発見ができます。
     それが将来就職するときの一つの指針になる。

令日奈:例えば「開発」ならば、経済学部でも法学部政治学科でも、
     私が行っている総合政策学部でもそれぞれの切り口で勉強できるし、
     建築も理工のほかに環境情報などの視点から勉強している人がいます。
     要は切り口で自分のやりたいことを持って欲しいということですよね。
    
大学名より自分の力

令日奈:たくさんのエントリーシートが送られてくる企業では
     大学名を見ている暇はないとバッサリ言われました。
     だから逆に大学名に甘えていると採ってもらえないよと。

洋平: 大学名を見ている暇はないって何を見ているんですか。

令日奈:最終面接になれば人数が少ないから見る暇はあるけど、
     流れるように人が入ってくる一次面接では大学名だけで
    「この子いいな」と思う暇はないそうです。一部の企業の話ですけど。

菜々子:私はいま就職活動のまっただ中です。学歴は重要だと思うけれども、
     それは選考の最初だけで、最終的に大学名で選ばれるとは感じていません。

令日奈:大学名だけで採用される人は一人もいないということですよね。

菜々子:大学名、それにプラスして人間性が高く評価されるならば、
     その人は採用されるだろうし、
     大学名があまりなくてもできる人はたくさんいます。
     だから自分の見せ方次第なのかな、大学名に甘えていたら結果は出ない。

綾子: 結局は自分による。

菜々子:就活時には、けっこう自分を振り返るものです。
     今まで適当に生きてきた人、周りに流されて生きてきた人よりは、
     これをやりたいから、ここに入ってしっかりやるとか、
     この勉強をしたいから、しっかり学んだとか、
     自分の意志で行動した軸がしっかりした人を企業も欲しいのかな。

令日奈:私は国連に本当に行きたかった。
     でも国連に入るには大学院をでるか実務経験が必要なことを知り、
     国連は大官僚組織で動きが遅いといった不都合な点も知った。
そんな過程でいま自分が行ける企業が手の届くところにあったんです。
     この間台湾に旅行したんですけど、日本の機械メーカーが数多く進出していました。それを見ていると、国連オンリーよりも、民間企業に入って海外マーケティングや海外営業をすれば、
     自分がやりたい仕事がもうできるじゃないかと思って、
     とりあえずそっちの道に進もうとしたわけです。
     決して大企業だから受けたわけじゃないんですね。そこを理解してほしい。

洋平: 気づくことができたのは、大学で色々なことを学んだからですね。

令日奈:そうです。勉強で世界と張り合おう

菜々子:今までの発言と反対になるかもしれないですが、
     日本の学生はもっと勉強してもいいと思います。
     アメリカの学生に「なぜあなた大学に行っているの」って言われて、
     明確に答えられる人はそんなには多くない。
     世界の学生は大学に勉強という目的で来ている人が多いと思う。
     色々な選択肢がある日本の大学はすばらしいけれど、
     勉強をもうちょっとした方が張り合えるのかな、世界に。
    
令日奈:勉強していないって、どこで気づくんですか?

菜々子:フェイスブックとか。

令日奈:アメリカ版ミクシィみたいなものですね。

菜々子:日本の高校生が金銭的に恵まれて、親の収入で大学に行ける環境が
     いっぱいあるから、それも一因だとは思うんですが、
     せっかく入るなら少しは勉強した方がいいと思います。

綾子: 私は大学へちゃんと行って勉強はしていますが、
     「日本の大学に行きたい」と言って日本語を勉強している人を
     知っているんです。でも自信を持って「日本の大学来なよ」って
     言えないのがあるんですね、だからやっぱり勉強を是非してくださいと
     みんなに言いたい。
   
令日奈:「単位が足りているなら大変な授業取ることないじゃん」とか、
     「大変でない授業を取って要領よくやりなよ」と言う人がいる。
     でも私は面白いと思った授業を自分の為になるから受けようと考えました。
     自分の能力や適性は周囲からの見方ではなくて、
     フットワークを軽くして自分がしたいと思うことをやれば充実した
     大学生活が送れます。だから大学受験でも何でも「誰々にはムリだよ」
     という忠告を聞いてはいけないということです。

綾子: 可能性を自分で潰す行為はしてはけない。

令日奈:最後にひと言ずつ感想をお願いします。

菜々子:大学では自主性が求められると思うので
     自分で考えて行動できる人間になれるようにがんばってください。

綾子: 優先順位は人それぞれです。だから自分自身によく問いかけて
     いろいろなものに熱中してみてください。

洋平: このRTをやって、自分自身もこれから大学生活をどのように
過ごしていくかを考える、いいきっかけになりました。

令日奈:私はもう大学生活は終わるのですが、
     入学時と価値観も変わり、それが一番得たことと思います。
     自分の考えが揺さぶられるような友だちや目標を見つけられれば、
     遊びでも勉強でもクラブでも充実した生活が送れるすごくいい時だと思います。
    (完)高校時代と違う大学像

令日奈:1月にCE記者が開いた「大学へ行く意味」のRTで高校生たちは
大学生活について想像をしていました。皆さんは高校時代にイメージした
大学生活と、現在との間にどんな差がありますか?

洋平: 「大学生は勉強する人がいる一方で大半は遊んでいるのではないか」
     と思っていました。確かにそういう人は多いけれど遊びを通じて人と付き合う
方法や、場の雰囲気を盛り上げる方法などを学んでいるように思える。

綾子: 高校時代に漠然と将来やりたいことがあったので、
     第一志望の大学、学部、学科もその基準で選んで、頑張ろうと思っていた。
     でも違う大学に入り、違う学問を学ぶことになりました。
     その結果興味の幅が拡がり、やりたいことも変わった。
「勉強」という思いよりも、「紙だけの勉強にとどまらず色々ところで
勉強しよう」という気になりました。

菜々子:大学で一番思うのは、自主性の部分が大きくて、
     授業に行かないで寝るのも、勉強やサークルを頑張るのも、
     選択肢のひとつで、自主性にまかされている部分が
高校時代に思い描いていたよりも強いと感じました。

令日奈:私は大学=勉強であり、サークルは勉強のおまけと思っていた。
     就職も決まった今考えると、勉強よりも「人との付き合い方」、
     「チームの中での役割」という人間的な部分が就職活動で問われるのだ
     と思いました。
    

一生つきあえる友人を得た

令日奈:つぎに、皆が実際に大学へ行って得たものは何ですか。

菜々子:私が得たものは部活での経験がすべてです。
     普通の生活では築き上げられない信頼関係や、
     一生付き合えると思える頼もしい友だちができたこと。
     70人のチーム全員で一つの目標に向かって頑張ることは
     社会人になったらできないと思う。その二点です。

綾子 :女性が働くことなどの話を聞く機会が増えて自然に自分の興味の幅が
拡がったのは授業や勉強がきっかけです。
     でも大学生活で得たものは、自分が属する各コミュニティーにおいて、
自分はどうあるべきか、今何をすべきか等を今まで以上に考える習慣が
ついた事かな。
    
洋平: 大学に入ってからの方が勉強を熱心にするようになった。
     高校までは興味のないものも嫌々勉強したけれど、
大学では自分のやりたい学問を中心にできるので成績も良くなりました。
やる気も高いです。大学には留学生も含めて何万人もいます。
     だから様々な人とのつながりを得ることができた。

菜々子:補足します。さきほどの私の発言だと私は勉強嫌いかと思われるかも
しれないけれど決してそうではなくて、出席する授業は面白いし、
興味が拡がりすごく役に立っているので時間の許す限り出たい。
    
令日奈:最近受けたおもしろい授業って?

菜々子:金融投資サービス論です。みずほ銀行や野村證券から外部講師を招いて
話を聞き、講義後にまとめを書いていると自分が経済学部にいることを
実感します。一、二年時のマクロ・ミクロ理論は退屈でしたが、
     三、四年になって実践的な部分を学ぶ機会ができたので捨てたものでは
ないなと思います。

部活の意義

令日奈:高校生からみると、部活が授業よりもプライオリティが高いところに
     あるのが分からないと思うけど、それが大学ではできるのですね。

菜々子:できますね。自分次第ですね。試験をがんばらないと進級できないし、
     単位はちゃんと取るべきですけど、部活をやっている人は多いです。

令日奈:就職に直結しないけれど面白い授業がたくさんあって、
     そこでディスカッションし、先生の話を聞いて学んだことは
     自分の考えを整理するのに役に立ち、自分に残るものです。

    部活では今までの自分の友だちにいなかった負けず嫌いな人が多く、
例えば自分が一番になりたいとか・・・。
     これは自分に無かった部分なので大きな刺激をもらいました。
     授業では、将来の夢に向けてすごいビジョンを持っている人が
     いてそれも刺激になりました。
     どっちもいいところがあって、自分もがんばらねばと思いました。
     ゼミでは自分の意見の裏付けをとることが必要で、それは
     高校までとの大きな差です。そのために本を何冊も参考にし、
     数字を間違えてもいけないし、厳密になってきました。
   

就職のための大学?

令日奈 高校生のRTでは、大学は就職するための場所?という意識が
     高かったけれど皆さんの意見は?

菜々子:大学で自分のやりたいことが明確にある高校生は珍しいと思う。
     それがある人は希望通りの大学を選べばいいと思う。
     たいていの人は何となく、まったく分からないよ、みたいな感じだと
     思うので高校生で将来の就職への意識があることにはびっくりしました。

綾子 :私も、どこかいい大学に入っていた方が就職は有利というイメージでした。
     でも興味の幅を拡げるうちに、「自分次第だ」と思えてきました。
     女子大は一般職が多いとか、金融関係に沢山行っているなどと言われますが、
     内側を見ていると、結局は自分の興味と判断で就活するのだと
割り切るしかないというのが二年間大学へ行って思うことですね。
    
令日奈:「就職がいい」という一言にはウラがあるということですよね。
     一般職が多かったり特定の会社に沢山入っていたりとか。
     就職がいい=希望の会社に行けるとは限らない・・それは同感です。

洋平: 高校生が就活を考えているのは意外でした。僕なんか高校生の頃は
     全然考えていなかったし、今もそうです。
     高校生は、たぶんあの大学に入れれば・・と考えるのだと思うけれど、
     大学を名前で選んで文学部、法学部、商学部を全部受ける人が
けっこういます。何がやりたいんだ!と言いたいです。
     名前やランクを気にせずに、法律をやりたいなら法学部を色んな大学で
受けるとか、そういう受験をしてもらいたい。
     そうでないと大学の授業もつまらないですよ。

令日奈:「大学生G8サミット」などの機会に話をしたのですが、
海外の人と「専攻は何なの?」という話題になると、
     国際関係だったら本当に国際関係の学問のことを指すんです。
     日本で「学部どこ?」と聞くと、キャンパス内の雰囲気を指している気がする。
     例えば経済学部は経済学部というカラーというかイメージ・・
あそこは勉強が大変そう、あそこは遊んでいてもラクそうとか、
大きい大学になるとあるんです。その反面、大学院生をみると
専門知識をつけるには学部の四年間では足りないのかなと・・。
  
菜々子:専門的にやるには四年間では足りないと思います。

令日奈:高校時代私は国連に興味があったのだけれど、
     国連職員って学部生は採らなくて、大学院生からなのです。
     その意味がすごくよくわかりましたね。
    
菜々子:どの大学の何学部を受けるかは重要な選択だと思う。
     私自身、文学部以外の経済・商・法を受けました。
そういう人も多いはず。それが悪いというわけでなくて、
     興味がないと思っていたところでも意外に面白い発見ができます。
     それが将来就職するときの一つの指針になる。

令日奈:例えば「開発」ならば、経済学部でも法学部政治学科でも、
     私が行っている総合政策学部でもそれぞれの切り口で勉強できるし、
     建築も理工のほかに環境情報などの視点から勉強している人がいます。
     要は切り口で自分のやりたいことを持って欲しいということですよね。
    
大学名より自分の力

令日奈:たくさんのエントリーシートが送られてくる企業では
     大学名を見ている暇はないとバッサリ言われました。
     だから逆に大学名に甘えていると採ってもらえないよと。

洋平: 大学名を見ている暇はないって何を見ているんですか。

令日奈:最終面接になれば人数が少ないから見る暇はあるけど、
     流れるように人が入ってくる一次面接では大学名だけで
    「この子いいな」と思う暇はないそうです。一部の企業の話ですけど。

菜々子:私はいま就職活動のまっただ中です。学歴は重要だと思うけれども、
     それは選考の最初だけで、最終的に大学名で選ばれるとは感じていません。

令日奈:大学名だけで採用される人は一人もいないということですよね。

菜々子:大学名、それにプラスして人間性が高く評価されるならば、
     その人は採用されるだろうし、
     大学名があまりなくてもできる人はたくさんいます。
     だから自分の見せ方次第なのかな、大学名に甘えていたら結果は出ない。

綾子: 結局は自分による。

菜々子:就活時には、けっこう自分を振り返るものです。
     今まで適当に生きてきた人、周りに流されて生きてきた人よりは、
     これをやりたいから、ここに入ってしっかりやるとか、
     この勉強をしたいから、しっかり学んだとか、
     自分の意志で行動した軸がしっかりした人を企業も欲しいのかな。

令日奈:私は国連に本当に行きたかった。
     でも国連に入るには大学院をでるか実務経験が必要なことを知り、
     国連は大官僚組織で動きが遅いといった不都合な点も知った。
そんな過程でいま自分が行ける企業が手の届くところにあったんです。
     この間台湾に旅行したんですけど、日本の機械メーカーが数多く進出していました。それを見ていると、国連オンリーよりも、民間企業に入って海外マーケティングや海外営業をすれば、
     自分がやりたい仕事がもうできるじゃないかと思って、
     とりあえずそっちの道に進もうとしたわけです。
     決して大企業だから受けたわけじゃないんですね。そこを理解してほしい。

洋平: 気づくことができたのは、大学で色々なことを学んだからですね。

令日奈:そうです。勉強で世界と張り合おう

菜々子:今までの発言と反対になるかもしれないですが、
     日本の学生はもっと勉強してもいいと思います。
     アメリカの学生に「なぜあなた大学に行っているの」って言われて、
     明確に答えられる人はそんなには多くない。
     世界の学生は大学に勉強という目的で来ている人が多いと思う。
     色々な選択肢がある日本の大学はすばらしいけれど、
     勉強をもうちょっとした方が張り合えるのかな、世界に。
    
令日奈:勉強していないって、どこで気づくんですか?

菜々子:フェイスブックとか。

令日奈:アメリカ版ミクシィみたいなものですね。

菜々子:日本の高校生が金銭的に恵まれて、親の収入で大学に行ける環境が
     いっぱいあるから、それも一因だとは思うんですが、
     せっかく入るなら少しは勉強した方がいいと思います。

綾子: 私は大学へちゃんと行って勉強はしていますが、
     「日本の大学に行きたい」と言って日本語を勉強している人を
     知っているんです。でも自信を持って「日本の大学来なよ」って
     言えないのがあるんですね、だからやっぱり勉強を是非してくださいと
     みんなに言いたい。
   
令日奈:「単位が足りているなら大変な授業取ることないじゃん」とか、
     「大変でない授業を取って要領よくやりなよ」と言う人がいる。
     でも私は面白いと思った授業を自分の為になるから受けようと考えました。
     自分の能力や適性は周囲からの見方ではなくて、
     フットワークを軽くして自分がしたいと思うことをやれば充実した
     大学生活が送れます。だから大学受験でも何でも「誰々にはムリだよ」
     という忠告を聞いてはいけないということです。

綾子: 可能性を自分で潰す行為はしてはけない。

令日奈:最後にひと言ずつ感想をお願いします。

菜々子:大学では自主性が求められると思うので
     自分で考えて行動できる人間になれるようにがんばってください。

綾子: 優先順位は人それぞれです。だから自分自身によく問いかけて
     いろいろなものに熱中してみてください。

洋平: このRTをやって、自分自身もこれから大学生活をどのように
過ごしていくかを考える、いいきっかけになりました。

令日奈:私はもう大学生活は終わるのですが、
     入学時と価値観も変わり、それが一番得たことと思います。
     自分の考えが揺さぶられるような友だちや目標を見つけられれば、
     遊びでも勉強でもクラブでも充実した生活が送れるすごくいい時だと思います。
    (完)

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座談会

ネットの便利さ

 インターネットは便利である。子どもたちの生活や学校に定着し、その利用範囲はネット技術の進歩に比例して急速に拡大しつつある。ネットの便利さの裏にはリスクと責任が伴うことを子どもたちがはどこまで実感しているのか、4人が座談会で語った。


井上麻衣(18)、曽木颯太朗(17)、平吹萌(17) 、藤原沙来(18 司会)
2009/01/10

■子供のネット活用法
沙来: みなさんはどんな時にネットを使いますか?
?
麻衣: 何か調べて情報を得る時に利用します。

萌:  友だちのブログなどを見る時に利用します。

颯太朗:僕は本を買う時に、たまに使うことがあります。

沙来: 情報をそのまま鵜呑みにしてしまう?それとも自分の基準を持っていますか?

萌:  私はどちらかというと鵜呑みにして、そのまま友だちや親に
「こんなこと書いてあったよ」って伝えてしまいがちです。

颯太朗:新聞社のサイトはそのまま見るのですが、他のブログなどに書いてある
ことは、いくつか見比べて内容を確かめます。

沙来: ネットで一番便利な点はどこですか?

麻衣: 情報がいち早くその場でわかることです。

萌:  フィギュアスケート競技をテレビで観ているとイライラするけれど
ネットで検索すると結果が出ている、そういう便利さがある。

麻衣: 誰でもその情報を見られるから「情報の共有化」ができる。

颯太朗:僕も同じです。インターネットでは、新聞やテレビではわかりにくいこと、
つまり、みんながどのようにこの品物を考えているかすぐわかる。

■リスクへの意識
沙来: 逆にネットの危険性を考えたことはありますか? 匿名のブログとか、
    お金の振り込みだけだったりすることもあるわけですが・・。

麻衣: ネットの危険性は、情報がすぐ得られる分、何が本当かがわかりにくい部分が
ある。誰がしゃべっているのか分らないので判断基準が難しい。
アダルトサイトも誰でも見られるので教育に良くない。

萌:  匿名で、しかも本人の知らないところで誹謗中傷できる点は危険だと思います。

颯太朗:誰でもどこでも見られるので、まちがった情報が世の中の隅から隅まで
広まることもあるし、個人情報も一度広まったらなかなか収拾が
つけられないと考えてしまいます。

沙来: いま出てきた危険性に、みんなは何か対応していますか?

麻衣: 誰かを中傷したり、そういうことは書き込まないとか、
当たり前のルールは守っています。

萌:  なるべく見るだけで書き込みはしません。自分の情報を書き込む掲示板も
作りません。

沙来: 自分でブログを作ったりはしてない?

萌:  プロフも作らない。

■宿題もコピペで?
沙来: 学校生活では、どんな時にネットを使いますか?

麻衣: 課題が出て調べる時に、図書館へ行くよりも家のパソコンですぐできるので
情報を得るのはそっちになってしまいます。

萌:  情報の授業でインターネットを使うので、学校でおもしろいサイトを見つけたら  
家に帰ってそのサイトを見てみたり・・。

颯太朗:僕は情報の授業もないので、学校生活と関わる点ではあまりないです。

沙来: 授業の課題にネットのものをそのまま使っていいのかという問題が
があるけれど、実際にやったことはありますか?

麻衣: 例えば「この人について調べなさい」という課題には、
その人の本を探したり、関係する情報はどこで得られるかを調べるために
使うので、年表などをそのまま使ったりすることはないです。

萌:  ウィキペディアで見て、それを基準にその人の情報をまとめています。

沙来: それはコピー&ペーストでなくて、自分の言葉で書き換える感じですか?

萌:  書かれていることを自分でメモする感じ。

沙来: 颯太朗くんは学校の友だちでコピペをしている生徒はいますか?

颯太朗:インターネットからはないですね。僕もすごく知ってるわけでもないんですが。

沙来: 逆にどこがコピペの利点だと思いますか?

麻衣: 短い時間でものができあがることと、自分で考えないので考える時間を他のこと
に使えたりする。

沙来: 逆にコピーペーストすることで私たちにとって何かマイナスな点は?

颯太朗:自分でまったく勉強になってない。

麻衣: 全然自分の頭を使わないから調べても入って来ない。自分のためにならない。

萌:  私は、著作権に関わったりすると悪いということを知らずに
当たり前にそれでいいことのように使ってしまっている。

■時間節約か、自分の思考訓練か
沙来: ネガティブな点も出てきましたね。最近あったTV番組で知ったのだけれど、
    読書の感想文をネットにアップしてる大人の方がいました。
    その人は「子どもたちにネットの感想文をそのまま写させることで自由な時間が
    できるから子どもは遊べる。子どもにとって成長できるいい機会を与えられるか
    ら感想文に時間を割く必要はない」と考えておられたのだけれど、どう思いますか?

麻衣: 確かに考える時間が減って遊ぶ時間がもっと使えるかもしれないけれど、 
若い時に書く練習も必要だと思うから、遊びだけが小さい時にすることじゃない
と思う。勉強する時はする、遊ぶ時は遊ぶ、でやれば別に問題はないと思います。

萌:  一人のものをみんながコピーしてしまうと同じものになって、
その人独自の考え方がわからなくなる。同じものばかりになる気がします。

颯太朗:おそらくその人は読書感想文がつまらなくて時間の無駄だと、僕もそう思うんで
すけれど、まがりなりにも宿題として出ているのだから、そこは手を抜かないで
ちゃんとやらないといけないと思います。

沙来: 逆に遊ぶ時間を沢山与えることで、何かいいこともあると思いますか? 
それと宿題は自分でやるべきだとみんな思いますか?

颯太朗:日本の子どもは、ただでさえ勉強時間が世界の中でも少ない方なのに、 
もっと遊ぶ必要はないのではないかと思います。

沙来: 遊びではなくても、宿題のかわりに自分の興味のある星座を見るとか、 
自分が興味のあることを極められる利点があるかもしれないね

萌:  限られた時間のなかでうまく時間を使う方法を学んだ方がいいと思う。

■時間節約か、自分の思考訓練か
沙来: 時間短縮のためにインターネットを使う現状と、ちゃんと宿題をやった方がいい
    と思うのは矛盾していますね。そのあたりは皆さんはどうしたいと思いますか。

麻衣: ある程度自分のなかで制御して、ここまではやっていいけど、ここからは
いけないという範囲があると思います。他人がしてくれたものを写して自分が
やりましたと提出して、それで満足しているのは私にはできない。
インターネットはどこまでも何でもできてしまうから、そういう線引きが大事な  
んだと思います。

萌:  早く調べられるメリットを生かして、でもそれだけではなくて自分の頭で考えて、  
自分の書き方に変えてまとめ直す方がいい。

颯太朗:いくら時間短縮ができるといっても、勉強や宿題はしっかりと時間をかけて     やるべきであって、そこまで時間を短縮して遊ぶというのはよくないことです。

■利便性の裏にリスク
沙来: ではネットの危険性に焦点を当てていきます。
    ブログを見るのは匿名性があるかもしれないけど履歴が残ります。
    危険性は薄いけれどブログを見ることにリスクを感じていますか?

萌:  私は、例えば地元の子どもたちで最近連絡を取っていない人の近況を見るという
意味でブログを見ている。だからそれでリスクを考えたことはないです。

沙来: ただ見ているだけだから大丈夫だなって?

萌:  それが正直な実感。

沙来: それはどうにかしなければいけないという気持ちはありますか?

萌:  言われて今そうだなと思ったくらいです。

沙来: ネットの便利さばかりに頼っているという感じははありませんか?

麻衣: ほんとに頼ってるなと常に思う。リスクがあるのは感じていて、
アドレスも悪用されるかもしれないし、迷惑メールとかもあるし、
そういう意味ではリスクは感じても対応できていない部分があります。

萌:  私はさっきリスクを感じていないと言いましたが、去年、ある学校の裏サイトを見つけて、正直いい掲示板ではないのですが気になったので見てしまいました。その後で、友だちに「それはアクセス解析がついてるから、誰か見たかばれたら大変かも」と言われすごくあせって怖くなりました。
けっきょく私はアクセス解析のボタンを押して勝手に取っちゃって、
アクセス跡は消えたからいいかな、でも危なかったと思ったことはありま
した。よく考えると確かにリスクを感じるべきだと思います。

沙来: 颯太朗くんは本を買う時に個人情報を載せますね。それは大丈夫だと
信じて使っていますか?

颯太朗:そんなに頻繁に使うわけでもないので大丈夫かなと。

沙来: どうにかしなければいけないと思いますか?

颯太朗:いや、そのアクセス解析で向こうにわかってしまうのもあまり考えたことがなかったです。    

■向こう側で見られている
沙来: アクセスの跡を消去すればいいと思うかもしれないけど、今後手動でなく
    ハイテクなことになればもっと大きいリスクがあるわけだし・・・。

萌:  我が家でよく親に言われるのは「みんなが知っているサイト以外は使うな」。
それがすごく印象に残っているので、本を買う時もなるべく大手の有名な安心
できるところを活用する。ブログも見ないとまでは言えないけれども、
安全が保証されている人のものやサイト以外は見ないようにしている。

麻衣: 私はまだリスクにどう対応するか全然わからないんだけど、とりあえず
ヘンなことはしない。

沙来: ヘンなことって、書き込みとか?

麻衣: そうですね。自分が不快に思うことは自分もしないとか・・でも今後はリスクを 
考えないと。今ほんとうにネットだけでしか情報を得られなかったり、それだけ   
でしか生きていかれなくなる気がするからピンチを感じています。

颯太朗:向こうから見られるっていうのがどうもよくわからない。我が家は詳しい人間が 
皆無なので特にそういうことはしてないんですよ。

沙来: アクセス履歴に残ることを知らなくて、でもそれは仕方がないということ?

颯太朗:必要悪だと思う。

麻衣: リスク回避で私がしていることはその程度で、それだけではダメなことに
気がつきました。今後対応していきたいと思います。

■ネットなしの生活は不可能
沙来: 今まで出てきたのは、情報を得たり、ブログで友だちの情報を知るとか、
    時間節約ができるとか、ポジティブな点がたくさんあるんだけど、一方で
    リスクを考えないというのは、私だったらそれは矛盾点ですね。
    今後は自分で自分の情報を守ってリスクを避けないといけないと思う。
    大手のサイトを使ったり、必要最低限のネットを使ったりとか・・。
   
麻衣: 例えば情報を鵜呑みにするというのもリスクの一つであると思うし、それらを
    常に考えながら利用していかないといけないと思います。

萌:  インターネットやITというのは、もう今の時点で無くすことはできない。
すごく頼っているから無くすのではなく、どう向き合っていくかです。

颯太朗:インターネットを使う限り、どうやってもリスクは負うものだし、それを
無くしながら使うのは無理な話だと思う。なるべくリスクを負わないように、     これからも静かに平和に使っていきたいと思います。

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教育

「環境」という授業は必要か?

「環境」という授業は必要か?
2008/12/06               寺浦 優(14)

 日英記者交流プログラムのメンバーとしてベルファスト、フォイル、ロンドンの各支局を訪れ、英国 Headliners の 記者たちに 8 歳から 11 歳まで の子どもに対して 行われている環境教育について取材を行った。そこからわかったことや考えたことを報告する。

Headlinersベルファスト支局で取材

 今回の取材を行うまで、私は「英国では環境教育が行われている=環境という教科がある」と考えていた。実際、英国のブリティッシュ・カウンシルが主催する気候チャンピオンの活動で一緒だった英国の気候チャンピオンのステファニー・リンチさん (18) からは、環境に関する授業が行われていると聞いていたからだ。

 だが、「今までに環境についての授業を受けたことがありますか?」と英国の記者に質問すると「そんなの受けてないよ」と、どこの局でも同じ答えが返ってきた。英国では科学や地理の時間を利用して環境問題を授業に取り入れているそうだ。そのため、子どもたちの中に環境教育を受けているという認識は無い。

 質問をしていくうちに、アル・ゴアの『不都合な真実』を学校の授業で見ている記者が数人いることがわかった。しかし、同じ地域でも見ていないという人もいる。学校や地域によって違いがあるようだ。

 英国の子どもたちは、学校の授業よりも TV やラジオ、雑誌などで環境について訴えかけられる方が影響力があると言っていた。 TV やラジオは授業よりも、子どもたちの身近にあるからだろう。しかし、英国政府は学校の授業で環境教育を行っていると強く話していたのに現場にその思いが届いてないのが悲しかった。

 帰国後、日本は 2009 年度から環境教育の充実化をはかることが決定 された ことがわかった。

文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程第二係の栗林芳樹さん

 文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程第二係の栗林芳樹さんにお話を伺った。栗林さんによると、日本は今まで教科ごとに環境教育を行ってきた。しかし今、環境問題が世界的に大きなテーマとして取り上げられ、国内でも 60 年ぶりに教育基本法が改正されたことから、小・中学校の学習指導要領の改訂を行った。しかしあくまでも教科ごとの充実化をはかるという。

 今まで、英国記者と同様に、環境教育を受けている認識は私たちには無かった。しかしその認識が無くても、私は環境問題に興味があるから調べたいと思うようになった。きっかけは、小学校生活 6 年間で学んだ「自然とふれあい、 ( 自然の ) 大切さを 理解する」をテーマにした総合学習だ。直接環境問題について授業で触れたわけではないが、自分の好きな動物とのつながりも知り、調べ始めた。

 英国で取材中には、英国も日本も環境という教科があった方が良いような気がした。なぜなら、学習の格差が無くなるからである。教育は、平等に行うことが大切なのではないかと思う。

 だが、環境という教科がなくても環境問題に興味を持った自分のことを考えると、環境という一つの教科を作り、教えてもらうことが全てではないとも思う。

 大切なのは、各教科から様々な視点できっかけを与えてもらい、子どもたちが自分なりに気づくことではないだろうか。これは、英国も日本も変わらないことである。

 これからの未来を担っていくのは、今の子どもたちなのだから。

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教育

「環境」という教科をつくろう

「環境」という教科をつくろう
2008/12/06                 大久保 里香( 16 )

 環境問題は現在、世界的に大変大きな課題である。 2008 年の夏、私たち CE 記者は、すでに積極的に環境教育を実施しているイギリスへ行き、若者たちにイギリスの環境教育の実態について取材する機会を得た。

 日本では平成 21 年 4 月から環境教育の充実化を図るという意向を文部科学省が示した。日本と実施方法が同じといわれるイギリスの環境教育を見ていくことで、真に求められている環境教育とはどのようなものか考えた。

 イギリスでは、環境という教科自体はなく、地理や理科といったさまざまな教科の中で環境問題を取り扱っている。例えを挙げてみると、イギリスでは地理の時間に氷河の溶解について取り扱ったり、理科の時間に二酸化炭素の排出について取り扱ったりしている。この方法は日本の現段階の環境教育の実施方法とまったく同じである。

 イギリスにおけるこうした環境教育の実態を知って、「環境」という教科を持たずにいくつかの教科で環境教育を行うというこの方法には、次のような 2 つの大きな問題点があると考えるようになった。

 一つ目は、環境について学んでいるという認識が薄いことだ。中には「環境教育というものを受けたことがない」と語るイギリスの若者もいたが、詳しく話を聞いてみると環境を話題とした授業を実際は受けているのだ。各教科の中に、環境についての学習を含めようとすると、環境について断片的にしか学ぶことができず、環境の学習を行っているかどうかさえ、あいまいになってしまうのだ。教科の中で環境の話題を取り扱ったとしても、環境について学んでいるという認識が受講者になければ意味がないのではないだろうか。

 二つ目は、各教科の中で環境の話題を取り扱っても、環境について詳しくは学べないということだ。環境ブームといっても過言ではない世界において、メディアも非常に多くの環境問題についての情報を提供している。「学校では、基本的なことしか教えてくれないので環境問題についてはテレビやインターネットから情報を得る」というイギリスの若者もいた。これでは、本当に環境教育が機能しているといえるのだろうか。

 もちろん、基礎的な環境問題の知識を学校で教え、身につけさせることは大事だが、そこまでで終わってしまう教育は結局メディアが果たしている役割と同じであり、何の意味もないのではなかろうか。

 文部科学省、初等中等教育局教育課程課教育課程第二係の栗林芳樹氏は「もちろんできる限り多くの時間を取り、詳しく環境について教育したほうがよい。しかし、学校の環境教育の一番の目的は、何かきっかけを子供たちに与え、将来環境に対して主体的に行動できる人材をはぐくむことだろう」と語った。

 確かに、環境問題に対するきっかけを学校で子供たちに提起することは非常に重要なことである。しかしながら、環境教育を受けている意識が低いために子供たちの中にはそのきっかけすら得ることができない子がいるのも事実である。

 この二つの問題を考えると、環境の授業という科目を作ったほうがよいのではないだろうか。第一に科目があれば確実に子供たちは環境について学んでいるという実感を得ることができる。そして、環境問題を断片的に雑然と学ぶのではなく体系付けて学ぶことで、子供の環境の意識と知識を高めることができるのではないだろうか。

 環境教育を行っていても成果が出なければ意味がない。各教科のなかで環境教育を行うことは確かに効率がよいかもしれないが、これからは教育の内容と子供たち、そして地球の将来を重視して、現在本当に求められている環境教育の実現を目指すべきだと思う。環境教育は環境問題を解決する大きな一歩となる可能性を秘めているのだ。

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国際

英国の少年司法システム ~日本との違い~

英国の少年司法システム ~日本との違い~
2008/12/06                原 衣織( 16 )

 罪を犯した時は刑罰を受けるという刑法上の責任を、刑事責任という。日本では最近、この刑事責任年齢に合わせて刑事処分可能年齢を 14 歳に引き下げたことが話題を 呼 んだが、この責任を 10 歳から負うとされている国がある。英国だ。

英国の少年司法システムはどのようになっているのか。これについて調べるため、英国 法務省の少年司法関係部局と児童・学校・家庭省の少年司法関係部局を統合した合同少年司法委員会の Simon Emerson 氏にEメールを通して質問に答えてもらった 。また、 少年司法システムの運営、主務大臣への助言等を職務とする非政府公益機関である少年司法委員会の広報責任者 Claire Forbes 氏に、「日英記者交流事業」で訪英した際に話を聞いた。

10 歳と い う年齢は、日本以外の他の諸外国と比べても低いと言える。 10 歳の少年が大人の犯罪者と同じような刑を受けることがあるのか。国として少年犯罪に対し厳罰の姿勢をとっているということなのか。

Emerson 氏は 10 歳という年齢 設定 のメリットを、「早期の介入により犯罪を防ぎ、若者に自分自身の犯罪行為に対する責任を育てることができる」ことだと説明する。 Forbes 氏も 10 ~ 11 歳を「犯罪的行動に引きずり込まれ始める年齢」だとし、「早めに当局が介入することで犯罪の方向に進むのを防止できる」と述べる。そして、 10 歳で刑事責任を持つということは、 「 10 歳から大人の犯罪者と同じように扱われることを意味するものではない 」 と 言う 。施設収容を命じる「収容 およ び訓練命令」の対象も 12 歳以上であり、 10 歳、 11 歳の少年が施設に収容されることはない。

12 歳以上の少年が「収容 およ び訓練命令」を受け取ると、主に年齢や居住地によって「少年犯罪者施設( Young offender institution )」「子ども収容施設( Secure children’s home )」「収容訓練施設( Secure training centre )」の 3 種類の施設のうちいずれか一つに収容される。これらの施設は日本の少年院に相当するもので、義務教育を終えた年長の少年向けの「少年犯罪者施設」では職業教育を実施し、年少者向けの「 Secure children’s home 」では 2 人に 1 人の割合でスタッフを配置するなど、それぞれの施設ごとに異なったアプローチによって少年を更生させている。また、全ての施設に週に最低 25 時間の教育が法律で定められており、必要に応じてカウンセリングなどもあるという。

とはいえ、英国では 18 歳以下の施設収容は「最後の手段」であり、実際少年司法委員会の年間統計によると 2005 年から 2006 年の 1 年間で、少年施設への収容命令を受けたのは 21 万人以上の少年犯罪者のうちたったの 3 パーセントだという。では、残りの大多数はどうなるのか。

英国には、施設収容以外の様々な処遇方法が存在する。親に対しカウンセリング授業またはガイダンス授業の受講を要求する「養育命令」や、治安判事裁判所が個々の少年に禁止事項を言い渡す「反社会的行動禁止 命令 」、保護観察官の監督のもと被害者またはコミュニティ全体に賠償を行う「賠償命令」などだ。

そのほかに、 10 歳未満の少年が罪を犯した場合には責任オフィサーが児童を監督する「児童保全命令」や、所定の期間中、午後 9 時~午前 6 時まで所定の地域内の公共の場所への立ち入りを禁ずる「地域児童外出禁止命令」が出され、施設収容ではなく地域内で児童がこれ以上犯罪の方向に進まないよう予防する。

ロンドンYJB取材

そして、地域で少年犯罪の防止や非行少年の更生に従事するのが、少年司法委員会の地域担当部局としてイングランドとウェールズの全ての自治体に配置されている「少年犯罪対策チーム」だ。保護観察官・公的ソーシャルワーカー・警察官などで構成され、少年司法業務の提供の調節や、「少年司法計画」に定められた職務を行っている。このような機関があるからこそ、地域内での少年への働きかけが為 され うるのだ。

先ほど触れた「賠償命令」は、被害者が望む場合は加害者から直接賠償、謝罪を受けることができるという 。 日本ではまだ珍しい方法だが、このように被害者と加害者が直接に接触を持つ 手法として他に、修復的司法がある。こ れは 1998 年の「犯罪・秩序違反防止法」によって英国の少年司法システムに導入された手法で、被害者・加害者・家族などその犯罪に関係する人々が 一堂に会し、 話し合いを行う場を設けることで更正へと繋げるというものだ。加害者である少年には、自分の行為がどういう結果をもたらしたかを理解して被害者に謝る機会を、被害者には、自分の思いを表明する機会を与えることができるという。

今回 、 英国の少年司法システムについて取材を行い、英国が少年犯罪に対して様々なアプローチを行っていることを知った 。 英国の少年司法システムの全てが素晴らしいと言いたいのではない。実際 Forbes 氏は、「統計上、初犯の数は減っているものの再犯は増えており、今最も心配されている」と話す。それに、全く違った社会的背景を持つ英国と日本では少年犯罪の内容や傾向も異なるだろうし、英国のシステムをそのまま日本に導入したからといって効果を現すとも思えない。

しかし、親へのガイダンスやカウンセリングで家庭に働きかけ を行うなど、 日本にも取り入れたらどうだろうかと思うような手法も存在することは確かだ。

Headlinersのロンドン支局で取材

近年多くの先進国が頭を悩ます重大な社会問題である少年犯罪。日本でも、近年少年犯罪が「凶悪化」していると言われ、この数年の間に相次いで少年法の改正が行われるなど、少年司法システムが大きく変化している。処罰や少年院送致などの対象年齢の引き下げや犯罪被害者の配慮だけに留まらず、今後は罪を犯してしまった少年の更生、再犯防止にも今まで以上に熱心に取り組む必要があるだろう。その際、今後各国の様々な取り組みを知ることで見えてくるものもあるのではないだろうか。

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社会

廃プラスチックはどうなるの?

廃プラスチックはどうなるの? 
2008/10/14                曽木 颯太朗(16歳)

 東京23区では収集区分の変更が行われ、プラスチックごみについては、 2008 年から 順次汚れていない容器包装は資源ごみに、その他は可燃ごみになった。プラスチックを燃やすとダイオキシンが発生すると小学校で習ったせいか、プラスチックを燃やすと聞いてかなり違和感を持ったものだ。おまけに私の住む区では 突然 4 月から 区分が変わったので、しばらくの間ごみを捨てるのに手間取ってしまった。最終処分場を延命させるためだという話を耳にしたが、そのためにプラスチックを燃やして環境に害は無いのだろうか、全部リサイクルできないのか、など様々な疑問が頭に浮かんだ。

 東京 23 区のごみの焼却・破砕(ごみの中間処理)を行う東京 23 区清掃一部事務組合の総務部企画室長の小林正自郎さんと広報・人権係長の石井菜穂子さんにお話を伺った。小林さんによるとプラスチックを不燃ごみとして扱うようになったのは、燃やすことによる汚染物質排出の問題もあったが、なにより生ごみを優先的に焼却する必要があったこともある。さらに、増大一途のプラスチックごみを他のものと共に焼却した場合、発熱量の違いから工場の調子が狂うおそれもあったという。

  しかし、その後の公害防止設備の設置などによって汚染物質の排出は減少した。特にダイオキシン類対策特別措置法の制定後、対策を進めた結果、ダイオキシン類をはじめ汚染物質の排出は国・都の基準を大幅に下回っている。モデル地区で出されたプラスチックを可燃ごみとして焼却しても問題はなかったそうだ。

プラスチック処理促進協会 神谷氏

 今回プラスチックと皮革・ゴム類が不燃ごみ扱いされなくなると不燃ごみは以前の 40% に減り、収集・運搬を集約化できるほか、処分場の寿命も 30 年から 50 年超まで延ばせるという。

 しかしプラスチックにはリサイクルという方法もある。小林さんも「プラスチックはリサイクルすることが前提」とおっしゃっていた。 プラスチック・リサイクルを進めてごみを圧縮できないのだろうか。廃プラスチックの活用方法の研究や広報活動を行っているプラスチック処理促進協会広報部の神谷卓司さんによると、実は材料として再利用するマテリアル・リサイクルだけでなく、焼却すること自体がリサイクルになるのだという。焼却することで電力としてそのエネルギーを回収するこの方法はサーマル・リサイクルと呼ばれている。

 廃プラスチックのうち埋め立ててしまうのは全体の 13% に過ぎず、全体の実に 50% はサーマル・リサイクルで処理されているという。一方で材料化するマテリアル・リサイクルはコストが高く、付着物があると上手く処理できないため、家庭からの廃プラスチックを処理することは難しい。油化・ガス化するケミカル・リサイクルは技術的には完成しているものの、普及は進んでいない。いずれも初めて聞いた話だった。

 いくら工場でダイオキシンが基準を下回っているとはいえ 30 万トンもの不燃ごみが焼却される場合の環境への負荷は分からないという話も聞いた。それでもやはりプラスチックを焼却すること自体がリサイクルでもあるのだから、可燃ごみとして積極的に扱っても構わないだろう。

 一方でどうして廃プラスチックが可燃ごみになるのか最終処分場の延命問題ばかり伝わってきて、エネルギー資源と成りうることはちっとも取り上げられていない。うちのマンションでは区分変更が行われてから丸一月は以前のままで、現在も変更の告示があるだけで以前のように捨てている人もいるようだ。最終処分場の問題だけなら「自分だけなら別に不燃ごみとして捨てても大した量ではない」と以前のまま捨ててしまうことだってあり得る。資源としてプラスチックはどのように利用できるのか、リサイクルの実態を積極的にアピールして各家庭の意識をあげる必要があろう。


プラスチック、可燃ごみで大丈夫?
2008/10/14                大久保 里香(16)

 今までは不燃ごみとして処分していたプラスチックを現在、可燃ごみとして処分している地域が日本で増えている。東京 23 区でも平成 20 年度 から 順次 可燃ごみとしてプラスチ ックを処分する予定だ。

 そもそもなぜプラスチックを不燃ごみとしてではなく可燃ごみとして処分する地域が増えているのだろうか。理由のひとつが埋め立て量の限界だろう。 プラスチックは不燃ごみ全体の 52 パーセントを占めている。このまま、プラスチックを不燃ごみとして処分し続けると埋め立て地が数十年と待たずにいっぱいになってしまうだろう。しかし、プラスチックを可燃ごみとして処理すると埋め立て量の約 60 パーセントを削減できる。 今まで埋め立てられていたごみの体積を半分以下に抑えることができるのだ。将来を見越すと、プラスチックを可燃ごみとして処分することで埋め立て地が抱えている問題を軽減できるなら画期的な方法かもしれない。

 2 つめの理由が、プラスチックリサイクルの難しさにあるだろう。プラスチックには多くの種類があり、同じ種類のプラスチックだけを多量に集めるのはまず難しい。ペットボトルやトレーなどは一目見ただけで誰でも分別できるので例外的に再び集めたもので製品を作ることができる。あまり知られていないが、プラスチックが資源として回収されても再び製品となるケースは少ないのだ。

 また、プラスチックは塗装がしてあることや、残飯などが付着して回収されることが多いので、仮にプラスチックを再形成してもにおいと色の問題でリサイクルパレットなどの用途に限られてしまう。こういった、製品にはならないプラスチックはエネルギーリサイクルとして活用される。エネルギーリサイクルとはごみなどを燃焼させるときに燃焼効率を上げるために鉄鉱石や石油の代わりに製品としては使えなくなったプラスチックを使うことである。

東京二十三区清掃一部事務組合 小林氏

 取材を受けていただいたプラスチックの処理促進協会の神谷卓司氏は「無理をしてプラスチックを製品として再びリサイクルしようとすると、逆にエネルギーがかかり環境に対して負荷になる。」とおっしゃっていた。プラスチックの可燃ごみ化は環境に対しての不信感を抱く人もいるだろうが、可燃ごみ化もプラスチックの有効なリサイクルといえることは間違いない。また、プラスチックを可燃ごみとして処理することやエネルギーリサイクルをすることは今問題になっている石油の枯渇や資源問題の解決策にもなりうるのだ。これからは、あまり知られていないプラスチックのエネルギーリサイクルも世間に広めていくべきだろう。

 しかし一見、よいことだらけに見えるプラスチックの可燃ごみ化だが、プラスチックを可燃ごみとして処分することで環境への悪影響は本当にないのだろうか。

 取材を受けていただいた 東京二十三区清掃一部事務組合の小林正自郎氏は「公害防止設備が向上し、また国のダイオキシン対策特措法によって平成 14 年 12 月までに清掃工場のダイオキシン対策が義務づけられているので、プラスチックを可燃ごみとして処理をしても環境に有害なガスは出ない。しかし、原則として資源としてリサイクルすることは大切である。」とおっしゃった。 環境の面では、プラスチックの可燃ごみ化は問題ないといえる。しかしながら、プラスチックの可燃ごみ化は日本で統一されているわけではないので、個人が住んでいる地域以外でごみを捨てるときのごみの分別が大変になることは間違いない。ごみの分別の統一化はプラスチックの可燃ごみ化にとってもっとも重大な課題だろう。

 プラスチックの可燃ごみ化は将来の地球を見据えた魅力的な方法であるといえる。しかし、プラスチックをむやみやたらに可燃ごみとして私たちが捨てるのでなく、資源としてリサイクルするか、エネルギーとしてリサイクルするかをしっかり考え、分別することでより一層、環境に優しいシステムが確立されるだろう。


ごみを分別しなくてもいいの?
2008/10/14                川口 洋平(18)

 「紙は燃えるごみ、プラスチックは燃えないごみに捨てなさい」。

小さい頃からこう言われて育ってきた。しかし東京23区では、プラスチックも燃えるごみになりつつあるそうだ。あれだけ注意されて育ってきた身としては、なんとも奇妙な感覚である。

 東京都でプラスチックが不燃ごみとして扱われ始めたのは、今から約35年前の昭和48年から。大量生産、大量消費の幕開けとも言える高度経済成長の当時、ごみは年々増加し、清掃工場で焼却処理しきれなくなったものはそのまま埋め立てをしていた。その結果、処分場に近い江東区で悪臭やハエの発生という環境被害を招いてしまった。それらの発生原因となっていた生ごみや紙を優先的に焼却処分し始めたのが分別の始まりだ。

 その当時の状況からしてみれば、分別は面倒だが仕方がなく、プラスチックごみは分別してそのまま“埋めるしかなかった”のだ。

 ところが21世紀になり科学技術が飛躍的に進歩した今、プラスチックを燃やしても有害物質が出ない焼却炉に全て入れ替わった。平成11年に国がダイオキシン類対策特別措置法を制定し、清掃工場が排ガス対策するようになったからだ。現在は有害物質そのものを測定できる限界値を下回る工場があるほど、きちんと排ガス、排水、焼却灰について対策がなされている。

 東京都の調査によると、不燃ごみの 57.8% を占める(※1)プラスチック類を焼却処分することで、30年しかないと言われている最終処分場の寿命も50年程度に延びるそうだ。

 プラスチックごみの分別をしなくても良い理由は分かったが、ごみを回収する市区町村によっては、分別をしなくてはいけない地域もある。処分方法を統一することはできないのだろうか。

ごみの焼却などの中間処理を担う、東京都二十三区清掃一部事務組合によると、プラスチック資源化施設の設置、コスト負担の考え方など、各区によって事情が異なり、23区内での収集方法統一は難しいという。

 平成17年に廃プラスチックの収集方法統一を検討した特別区の助役会では「各区事項としてそれぞれの創意工夫により再生利用を推進する」としたまでで、統一をする方向性はないようだ。

 原油高の今、貴重な原油から作られているプラスチックを簡単に焼却処理してしまうことに疑問視する声もある。

 廃プラスチックを適切に処理するための研究開発を行っている社団法人プラスチック処理促進協会によると、ペットボトルなど資源化しやすいものを除き、廃棄物から使えるプラスチックを選定する必要があり、プラスチックの資源化にはコストがかかるという。また、汚れたプラスチックの資源化を無理に行うより、エネルギーとして利用するサーマルリサイクルをするほうが効率がよいともいう。従来は焼却処理をする際に、紙や生ごみだけでは炉の温度が上がらず、炉で燃やすための燃料を投入していたこともあるそうだ。プラスチックは燃やすと高温になるため、炉の温度をあげる燃料の代わりにもなるのだ。

 他の自治体の状況を調べていくうちに、意外にも日本や世界全体で見ると、プラスチックは燃えるごみとして使用され、焼却の際に発生するエネルギーを回収、利用するサーマルリサイクルをしている地域が多いようだ。ごみを新しい製品や材料にする、マテリアルリサイクルが環境に良いように見えるが、目に見える形でリサイクルされることが必ずしも最善とは限らないのだ。

 急に分別がなくなったのは、こういった背景があった。一方で、プラスチックの処分方法は自治体によって異なる。プラスチックごみは、原料として生まれ変わることもあれば、熱エネルギーとして利用されることもある。どちらもきちんとリサイクルされていることには変わらない。

 プラスチックを再資源化する方法が違うということをきちんと広報することが、より効率的な再資源化につながるのではないだろうか。

※1平成18年度清掃工場等搬入先ごみ性状調査報告書より

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インターナショナル・ユース・メディア・サミット2008

インターナショナル・ユース・メディア・サミット2008
2008/09/15               三崎 友衣奈(16)

 セルビア共和国という国を知っているだろうか。南東ヨーロッパのバルカン半島にあり、人口は約750万人、面積は北海道と同じくらいである。旧ユーゴスラビア連邦で、歴史的に戦争が絶えない地域でもあった。1990年以降、連邦の中で独立が相次ぎ、2006年のモンテネグロ独立に伴ってセルビアも独立宣言をした。

 そのセルビアでこの夏8月20日~27日に、インターナショナル・ユース・メディア・サミットが開かれることとなり、首都ベオグラードには世界18カ国から約40名の15歳~22歳までの参加者が集まった。2006年にアメリカ・ロサンゼルス、翌年にはオーストラリアのシドニーで行なわれたサミットに続く第3回目の開催である。

 このサミットでは差別、環境、女性の権利、暴力、貧困、保健、ユース・エンパワーメントの7つのグループに分かれた若者たちが出した結論を、極力言葉を使わずに1分間のフィルムにまとめ、世界へ発信する。 私が参加した『女性の権利』では、「女性をエンパワーする」ことをソリューションとした映像をつくることになった。

 アイディアを出し合いながら大まかなスクリプトを作り上げ、どのような映像を撮るかを細かく決めたストーリーボードを完成させる。映像を撮り終わると、編集に取り掛かる。ここからは個人的な主観も入り、小さなシーンでも意見の食い違いが出てくるが、一週間の日程で時間と闘いながらやっと作り上げられたときはみんなでほっとした。

  グループで編集をしているとき、映像全体をセピア調にしたいという意見と、色を残したいという意見で分かれた。セピア調を押し切って勝手に編集してしまう場面もあったが、結局元の色彩を活かしたもので治まった。ともすれば強引とかわがままに見えてしまいそうだが、それほど1シーンに対して自分の意見を押そうとする意気込み、意思の強さに感心した。撮影・編集の技術ではなく、映像に対して自分のこだわりをしっかり持っていることが肝心だと学んだ。

 国が違うということは、育ってきた環境が違う。だからこそ、ひとつのものを作るときにも全く予期しない意見が出てきて、とても新鮮だ。映像では同じことを伝えようとしているのに、表現方法が異なってくる。日本では経験しないことに始めは慣れなかったが、次第に自分の意見が言えるようになってきた。

 どう相手と自分の考えをひとつに取り入れるかも重要だった。 また、セルビアは風景も日本と全く違う。旧ユーゴスラビア時代の建物も残っており、歴史を感じられる建物ばかりだ。ときどき一部が崩壊したままの建物も見る。しかし町はのんびりとしていて、宿泊していたユースホステルの近くにはキオスクやスーパー、雑貨屋もあった。サミット中はホステルで他国の参加者も混ざった3人部屋での寝泊りだ。食事は向かい側にある建物の中の食堂でとり、すぐ隣の建物にある図書室で活動する。

 すべてが違うわけではない。それも今回学んだ大きな収穫のひとつだった。それはやはり一つの最終的な目的があったからだと思う。何となく欧米とアジアは一線を越えられないかと感じていたときに、同じグループのセルビア人の女の子が「私はあなたがとても身近に感じられるよ」と言ってくれた。その言葉は、私が勝手に感じていた壁を壊してくれた。違うことが当たり前であるからこそ、悩み事や感じ方が同じだったときはとても親近感が沸く。同年代でも、全く違う生き方をしてきたティーンとこうして活動できたことは、私に広い視野を与えてくれた。

International Youth Media Summitに参加して
2008/09/15               藤原沙来(18)

 2008年8月20日~27日、セルビア共和国の首都ベオグラードにて3rd International Youth Media Summitが開催された。セルビア共和国・ブルガリア・キプロス・ナイジェリア・スウェーデン・アメリカ合衆国・韓国・日本など18カ国から集まった15歳~22歳の若者たちが“健康、貧困、環境、人種差別、暴力、女性の権利、若者の地位向上”をテーマにした映像と宣言書を作った。  

 各国の参加者は事前課題として、Filmmakerなら3分間のビデオ、Diplomatなら最も興味のある1つのテーマに関する文章、どちらかの提出が必要であった。参加が正式に決まってからは、Filmmaker・Diplomatのどちらもサミットへの下準備として、7テーマから選んだ1つのテーマに関する自国の問題点のレポートを提出した。 各自がテーマに沿った明確な問題意識を持った上でこのサミットに臨んだため、映像や宣言書作りは非常に内容の濃いものとなり、多くの討論が重ねられ異なる意見の集まった価値のある7つの映像と7つの宣言書となった。

 私は“環境”を最も興味のあるテーマに選び、Filmmakerとしてこのサミットに参加した。環境グループとして活動したのは私の他に、オーストラリア人、スコットランド人、キプロス人、韓国人、セルビア人であった。まず、私たちのグループは映像と宣言書を作るにあたり、それぞれが事前にまとめた各国の問題点、解決策を共有し合った。

 日本の環境に関する問題として、夏には歴代最高気温を更新し続け、また、突然の雷雨が頻繁に起こり、冬は年々気温が上昇していて雪は滅多に見なくなったことなど気候変動による数多くの影響が顕在化してきた点を挙げた。気候変動による大きな被害を私たちは受けているのにも関わらず、便利な生活に慣れてしまい、日常生活での気候変動を改善するための小さな我慢もできない人が、日本人の半分以上を占める現状も紹介した。

 日本に限らず、他の国でも同じような状態のようで、「自分の街にはリサイクルのシステムがない」というような小さなことから「ごみの処理を他国に委託している国もあり、それぞれの政府がもっと自国の環境問題に目を向けるべき」といった政府規模にまで及び、数多くあげられた。それに対して、解決策は非常にはっきりとしていて

1.『環境に関する教育を学校や家庭でする』、
2.『私たちの環境に対する態度を変える』、
3.『私たちの生活習慣を変える』の3つに絞られた。

この3つの解決策を軸に映像と宣言書が作られた。 環境グループは個人個人の主張がとても強く、誰ひとりとして自分の意見を譲ろうとはしなかった。そのため、早々に軸となる3つの解決策は決まったのだが、映像や宣言書を作る際には常にぶつかり合い、なかなかまとまらなかった。

 しかし、ぶつかりあいやそれぞれの意見の主張がなければ誰の意見も組み込まれていないつまらない映像や宣言書になっていただろう。まとまるには時間がかかったが、環境グループとして誇れるような映像、宣言書を作ることができたのではないかと思う。

 Closing partyで7つの作品を上映した際は、参加者全員がお互いの努力をたたえ合い、ここに至るまでの意見のぶつかり合いを誇りに思い、達成感を抱いた。8日間という短い間ではあったが今までに感じたことのないような感情を抱いているようだった。人種、文化、言語など、異なる背景をもった若者たちが同じ場所に集まり同じゴールを目指して活動できたことに一体感を感じた。

 同じ問題意識を持った若者同士が意見をぶつけ合い、アイディアを共有し合い1つのものを作り上げる過程は容易なものではなかったが、私にとっては刺激的な体験であった。同世代であるからこそ思ったことや考えたことを気兼ねなく口にして伝えられ、理解をしてもらうことができるのだと思った。

 さらに若者であるからこそ同じ目的に向かって激しく意見を交換し、私たちなりのメッセージを社会に伝えていけるのだとも思った。そして、何より、人種、文化、言語が何であれ自分の意見をしっかりと持ち、責任を持ってはっきりと発言すること、相手の意見を自分とは異なる意見としてまず受け入れることの大切さを感じた。

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