カテゴリー
教育 座談会

教育と暴力 2013


参加記者:米山菜子(16)、富沢咲天(17)、小川真央(18)
修了生:榊文美(25)、三崎令日奈(26)
2013/3/10

2012年12月、大阪市立桜宮高等学校で、部活動の顧問教諭から体罰を受け、生徒が自殺する事件が起こった。その後も全国で体罰の問題が明るみにでている。
チルドレンズ・エクスプレスでは、駒大苫小牧高校野球部での体罰問題が報じられた2005年にも「教育と暴力」について座談会をした。今回は、当時の記者と、現在高校生である記者とで、運動部での指導について話し合った。今、高校生記者たちは、教育の場での暴力についてどのように考え、どのような指導を求めているのか。

■体罰問題、身近にはない
真央:まず初めに皆さんに意見をお聞きしたいのですが、大阪の桜宮高校の体罰問題のニュースを聞いてどう感じましたか?

菜子:私は小学校低学年の頃から、新体操や水泳とかロックソーランなど様々なスポーツをやっていて、今はバスケット部に所属しています。しかし、私の周りでは体罰を受けている人、している人をまったく見たことがないので驚きました。

咲天:私も今まで体罰というものを受けたことがないので、びっくりしました。私の学校で厳しいとされているバスケ部でも体罰は無いので、そのニュースを見て、こんなに手をあげる先生がいるんだなと。特に、小学校の頃に住んでいてた、アメリカでは暴力に対してとても厳しいので、こういうニュースもあまりなかったので驚きました。

真央:私は中学時代テニス部に入っていたのですが、顧問の先生から暴力を受けるといったことは一切無かったので、このニュースを聞いた時非常に驚きました。体罰は目にしたことがなかったので、このニュースを聞いてどこまでが体罰なのかということを疑問に思いました。

菜子:私の顧問の先生はかなり厳しい先生ですが、暴言を吐くことも暴力を振るうこともありません。しかし私の友だちの学校では、一人体育科の先生が普通に暴力を振るっていて、学校側はそれも知っているし、生徒もその先生は暴力を振るう先生だっていうことを知っていて接しているそうです。なので、意外と身近に体罰はあるのかなと思いました。

咲天:これは学校の話じゃないのですが、先日、私の友だちが、確か空手などのスポーツクラブに入りたいと電話で問い合わせたところ、「うちではよっぽどのことがない限り暴力はないけれど、ごくたまに手をあげることがあります。そういうことがあることを了承してください」と入る前に言われたことがあって、大阪での体罰問題があった後にも、まだこういうことがあるんだと驚きました。

■学校の変化
菜子:、体罰は無いと言ってましたが、それでも大阪の事件があってから、学校側で体罰に対しての対応に変化はありましたか?

真央:ずいぶん前からこういった問題がメディアで取り上げられてきたと思うのですが、それを聞いて教師側も敏感になっていて、今は教師より生徒の方が立場が強いんじゃないかな、と私は感じました。例えば先生が「やる気がないなら帰れ」と言ったら、今の子どもたちは、本当にそれで帰ります。

文美:先生に帰れって言われたら本当に帰ってしまう人が多いなんて、びっくりしました。それで帰ったら練習時間が減るから、強くなれないと思いますが、どうなんでしょう。

真央:全員が帰れって言われて帰ってるわけではないです。私はテニス部だったのですが、帰れって言われて帰る子たちはテニススクールで個人的に練習していて、別に部活でテニスを練習する必要性もないので、帰っても問題がなかったんだと思います。

菜子:今は生徒の方が強いというよりも、生徒の保護者の方が強いのかなと思います。私の学校に限らないと思うのですが、親が子どもを保護しすぎる面があると思います。ちょっと暴力を振るわれて、子どもは親に先生を責めてほしくて言っているのではなく、「こういうことがあったんだよ」というのをさりげなく話した場合でも、保護者が怒って学校に抗議という話も聞きます。やっぱり親が保護しすぎて過保護になっているのかなと思います。

咲天:体罰問題において、昔はこういう体罰っていうのは常態化していて、できなかったら先生にぶたれるというのが当たり前だと思っていた。けれど、今は嫌なことだったら嫌って言えるし、自分の身を守ることができるんだという認識があるから、変わってきたんだと思います。

菜子:昔は先生の立場が偉大すぎて、あまりものを言えない師弟関係があったと思います。しかし今は、先生との関係がかなりフランクになっているので、嫌なことは嫌と言えるような先生と生徒の関係を築ければ、体罰はなくなると思います。

■部活動での教師と生徒の関係
令日奈:先生と生徒たちの立場がくっついてきて、結果的に良かったと思いますか?「帰れ」と言われて帰ったら、テニススクールに行って個人的に技術が向上しても、その場にいるみんなではスポーツをある程度うまくなるという課題を達成できないので、、チームとしては別に強くはならないと思います。それとも、みんなが楽しくできるようになったから良かったのでしょうか?

咲天:先生と生徒の立場が上下関係があまり無くなってきて、一緒になってきたことはいいと思います。先生も生徒もお互いに学ぶことがあるし、一緒に成長できると思います。でもそれを利用して、例えば生徒が自分勝手に、「もう練習嫌だから勝手に帰る」というのは違うと思います。

真央:私は教師と生徒の関係が近くなってきて、あまり力関係に差が出ないことで、体罰に陥りにくい環境ができてきていると思うので、その面では賛成です。しかし、運動部ならではの厳しい指導や経験というのは、社会に出てすごく強みになるとも思います。

菜子:私の部活は先生がかなり厳しくて、みんなは「先生が言うことは絶対」という雰囲気が流れています。しかし、その先生は体罰を振るうこともなく、みんなから嫌われることもなく、尊敬される存在となっています。それは、部活中はとても厳しく指導してくれるけれども、部活の場を離れたら、上下関係は無くなりませんが、かなり近い関係で話してくれるからで、先生が慕われるにはオンとオフの切り替えが大事だと思います。

令日奈:先生にとっては体罰を振るって生徒を従わせるよりも、振るわないで従わせる方が今難しいと思うから、そこにすごい工夫が必要なんじゃないかなと思っています。

菜子:今は暴力を振るう先生は、みんな怖いと思って従うのではなく投げ出すと思います。その怖い先生に暴力を振るわれてまでもスポーツや部活動をしない、という子どもがいると思います。逆に暴力を振るわない、怒らない先生の方が、今流行りの「ゆるい」という言葉で、みんなが好きになったりすると思います。実際に私の友だちは、一人の先生をすごく好きだったけれども、一度、部活中にちょっと怒られただけで、「もう嫌いになった」と言い出したので、今の子どもは怒られることに慣れていなさすぎると思います。

真央:怒られることに慣れてないな、というのは私も実感しています。でも、たぶん「怒る」がだんだんエスカレートしていくと体罰になると思うのです。大阪の桜宮高校では自殺してしまった子の前の代でも体罰は実際に起きていて、先生が子どもとちゃんと向き合って、人によって指導の仕方、叱り方、指導方法を変えていけたらいいなと思います。

咲天:私は先生がいかに暴力を振るわずに、生徒との信頼関係を築いて指導していくかというのが試されていると思います。それができるのがいい先生、教える力があるというんじゃないかなと思いました。

■先輩からの指導が効果的
令日奈:どういう指導の方法が今の子どもに効果があると思いますか?

真央:今の子はたぶん教師から怒られてもあまり心に響かないと思うので、やはり世代が近い先輩方から厳しい言葉を言ってもらったりすることで、心に残るのではないかと私は考えています。

菜子:実際に私が中学生の頃は先生が言うことよりも、先輩が言うことの方が強いという雰囲気が流れている時もありました。それで実際に先生が「先輩の言うことは絶対じゃないぞ」と怒ることもあるほどでした。

文美:先輩からだったら、例えば言葉の暴力を受けても大丈夫なのですか?

真央:私の部活では、月に一回ミーティングが開かれて、全員で立っていて順に反省文を言っていく風習がありました先輩から厳しい意見をいただき、次の部活でどう動くかということを同じ学年で話し合いました。ミーティングを乗り越えることで同じ学年の絆も強まりますし、部活もどんどん改善されたので、先輩からの意見は大事だと思います。

咲天:私は現在テニス部に所属していますが、先輩から暴言は一回も無くて、とても優しい先輩たちで叱られることもありませんでした。先輩でも先生でも、暴言や一方的に叱るのは良くないと思います。上から目線で叱られると下の学年の方も嫌な気持ちになる。「こうした方がいいんじゃない」というふうに、アドバイスをお互いに与えあって改善していくのが一番いい方法だと思います。

真央:私は高校の時はチアリーディング部に所属していたのですが、その時は先輩から厳しい指導がありましたが、全部怒るのではなく、たまに程よく褒めることをして飴と鞭みたいな関係でやっていたので、つらい部分もあったのですが、褒められることによって、次がんばろうという気持ちになりました。一方的に怒るという感情だけではなく、褒めるという姿勢を加えれば先輩からの厳しい意見も心にしみると思います。

文美:先輩に「上から目線で言われるのは嫌」と言うけれど、先輩は目上だから、上から物を言われるのは当然ではないの?

咲天:目上ですが、部活をやっているうえでは同じチームで、もちろん敬語は使いますが、絶対服従みたいな感じではないと思います。

文美:なるほど、新しいなと思いました。

菜子:私がバスケ部に入るちょっと前まで部活内のルールがありました。その部活内のルールを守らせることで先輩との上下関係ができていて、そのルールはそれをおかしいと思った先輩が無くしてくれたのですが、実際にそのルールが無くなってから上下関係があまり無くなって、先輩と後輩が友だちのようになってしまったと、卒業して来た先輩が言っている時もあります。

令日奈:その部活でしか通用しない独特のルールがあることについてはどう思いますか? 例えば桜宮高校のバスケ部も特殊な環境だったから先生が暴力を振るえていたし、それで強くなった。特殊な環境だったからこそ、ここまで人に知られることがなかった。どういうルールもちょっと閉鎖的な、そこでしか通用しないルールなんだけれども、日本の学校では、部活は一回入ったら卒業するまで普通は続けるから、どんどん脈々と受け継がれていく。アメリカのシーズナルスポーツみたいに、シーズンごとにやるスポーツが変わってたらもっとフランクになると思うんですけど、どうなんでしょうか?

菜子:私の部活は中学校の時は独特のルールがあって、例えばエレベーターに乗ってはいけないとか、バスの中で荷物を置いてはいけないとか、座ってはいけないとか。中学生の時はそれを守らなければいけないけれども、高校に上がったら暗黙の了解で無くなるというルールでした。今は中学でもそのルールは無くなったのですが、私は実際に中学生の時はそのルールを守っていて、先輩が目上の人だということを学んでから、高校で同じチームとして、上下関係があったうえで、チームワークを作るというのは一つの方法だと思います。

令日奈:それは続けないとわからない良さというか、チームの絆なんでしょうね。

菜子:中学でそのルールが嫌で退部してしまう場合は、私の勝手な意見ですが、高校の厳しい練習にはついてこられないと思います。

咲天:ルールはあってもいいけれど、ボール拾いや掃除は全部一年生がやるというルールは「なんであるのかな?」と思います。

菜子:実際に私が中学生の時に初めてルールを聞いた時は、「え、なんでエレベーターに乗っちゃいけないの」「なんで荷物を置いちゃいけないの」と不思議でした。私が入る前は先輩に「靴はいていいよ」って言われるまで体育館の中でバスケットシューズをはいてはいけないという意味のわからないルールもありました。でもこのルールが不思議なことに、部活の中にいるとだんだん不思議じゃなくなってきて、それが当たり前になってくるので、一種の洗脳みたいな感じで、客観的にふと見た時に怖いなとも感じます。

真央:例えば下級生がボールを拾う、というようなことは、ルールがあることによって、どの学年も必ず一回は経験する。厳しいルールの存在は、私は大事だと思います。でも桜宮高校ではルールというか環境が、第三者から見ることが難しかったので、体罰や行き過ぎた指導に至ったと思います。ルールをもっと開放的なものにすればいいのではないかと私は思います。

咲天:私のテニス部では、ボールを絶対に拾わなければいけないというルールはなくて、逆に「先輩後輩で境目をつけてはいけない」と先生に教わってきたので、お互い上下関係なくいっしょに部活をやっていく、というのがいいと思いました。

文美:だいたい下級生に対して負荷が大きいルールが多いと思うんですけれども、それって負荷が無くなった、つまり優遇されてる方の人たちに本当にいいのかなと疑問に思います。一年生が全部掃除をしてくれて、二年生が全部一年生の指導してくれて、三年生は何も雑用をしない、というようなのは、三年生にとって本当にいい指導なのか、と。

真央:上級生になると受験の問題も深刻になってきて、下級生よりは部活にかける時間があまり無いです。なので下級生に仕事が多いというのは、私はいいシステムだなと思っていて、役割分担をすることによって効率もいいと思います。テニス部の場合で言うと、ボールは後輩が拾うんだ、となっていれば、先輩がボール拾うのを待つことはない。部活の効率化も図れると思うので、下級生に負担があるというのは私はいいことだと思います。

菜子:私が下級生の時に、ルールにのっとって、いろいろな先輩のお世話ではないけれども、ボール運びなどをしてた時は、中学に入ったばっかりで部活が初めてだったので、「ああ、部活やっているな」と感じる瞬間でもありました。実際に三年生になると、チームのメインの学年になるので、「そんなことまでやっている暇があったら練習をしたい」という思いが大きかったので、三年生ほど練習に本腰を入れなくても良い一,二年生がその他の雑用と言われることをやって、三年生は引退などに向けて必死に練習するっていうシステムはいいと思います。

咲天:私は、最初の一,二年間をずっと雑用をしていて、本当に部活が楽しいのか疑問です。自分もボールを打ちたいし、先輩と一緒に活動もしたいし、ただ片付けをしてるのは楽しくないと思います。

真央:片付けも運動になると思います。ボール拾いでも、そこで体力をつけて、上級生になってからメインの仕事、テニスを打つということできる。それが耐えられないなら、自分でスクールに通うなど工夫をすればいいと思います。

菜子:私の部活のルールは部活中には全く適用されず、部活中は先生の言った通りに動きます。先生も、学年ごとに差別はせず、みんな同じようにプレイをしていたので、プレイ自体には問題はありませんでした。そのルールは部活が始まる前と最後などがすごい忙しいだけで、部活にはなんら問題がなかったので、部活をやっている分には楽しかったです。

令日奈:咲天ちゃんの話を聞いていると、すごい進んでいる今の部活っぽいなと思います。すべてのルールに目的があって、上級生と下級生がちょっと争ってるくらいが理想的なのかな、と思います。例えば、テニス部でボールが転がっているのを取る時に、少しでもボールに触れた方がうまくなると考えるなら、上級生も走って取りに行くし、それに負けないように下級生も走る。そういう緊張感があった方がお互いにとって、立場はフラットでもうまくなると思います。

菜子:私の部活は練習時間外のルールによって、上下関係がとてもはっきりしていますが、部活中はみんなで競い合っているので、理想かもしれないです。

真央:上下関係は必要だと思うのですが、部活中はなるべく無くすようにして、スポーツをしている時間は上下関係はなるべく考えないで、スポーツ外は上下関係を生かして、社会に通用できるような人物に成長できると一番いいのではないかと思います。

■理想的な指導
菜子:私の理想的な指導は、先生は今みんなの学校のようにある程度フラットな関係でいて、その中でその下にいる先輩が後輩をある程度の厳しさで指導をします。その先輩の指導があまり厳しすぎると客観的に見ている先生が止めに入る、というのがちょうどいいと思います。

咲天:私が思う理想の関係は、先生は技術面で指導をして、先輩後輩はお互い、後輩は先輩を敬いはするけれど、同じチームとして対等に、一緒にスポーツをしていくのが一番楽しくて成長できるのではないかと思います。

真央:先生は体罰のような指導をせず、あくまで技術だけのことを話し合う関係でいて、先輩からは厳しい言葉を、指導をしていただき、それを乗り越えることによって、新しい団結力とか忍耐力が付くと思うので、上下関係は残していけばいいと思います。褒めるという姿勢も同時進行で行えばいいと思います。

令日奈:先生の立場では、学校の勉強もやって、部活も一生懸命やる、というのが一番いいと思うので、そういうのをやってもらって、もうちょっと部活や体育の場が、自分で頭で考える場になればいいかなと思います。今、私より世代が上の人の話を聞いていると、「自分は一滴も練習中水飲めなかった」とか、「先生に脳しんとう起こす直前までたたかれた」とか、「すごい厳しかった」という自慢話をする人がいるんですけど、どうやったら強くなるのか、もっと上級生も下級生も考えた方が良いと思います。頭を使って考えた結果、みんなで納得した練習方法ができるのが、一番スポーツにとってはいいのかなと、思いました。部活の上下関係は、社会に入ってから分かったことですが、社会に入って使えなくもないです。昔、体育会で部活動をやっていた人は、先輩とのつきあい方がうまいなと思うから、それは程よく残ればいいのかなと思います。

文美:体罰や暴力は、社会に出たらあまり通用しない、告発してしかるべき処置をしてもらうというのが正しいと思うので、それを耐えることが、社会に出て何かの役に立つってことはないと思います。ただ、先輩との上下関係、自分が目下だから雑用を進んでやるというような動きをすることは評価されることなので、役に立つからできてもいいのかなと思います。このラウンドテーブルの理想の教育で思ったのは、指導者から教わるのは技術だけでいいっていう話があって、人格形成は先輩や仲間同士のうちで磨かれるという認識が学生の間であるということに驚きました。それは私も理想的だと思います。
                                     以上
参考リンク:2005年に行った「教育と暴力」座談会

2004年夏の全国高校野球大会で優勝した駒大苫小牧高校野球部で、部長による部員への暴力がニュースになった。
スポーツでは暴力が訓練の一つとして使われる風潮をCEの記者たちはどのように見ているのだろうか。
運動部を経験した高校生記者たちが教育の場での暴力について語った。

カテゴリー
国際

なぜ日本はODAを続けているのか

青野 ななみ(19)

 現在日本は戦後最大の財政赤字を抱え、決して国にお金があるとは言えない。そのような状況の中、日本は5612億円という額をODA(政府開発援助)に使っている(2012年度予算、外務省HPより)。ODAとは、開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供による公的資金を用いた協力のことである(外務省HPより)。何のために日本はODAを続けているのか、続けていく必要が本当にあるのかを知るため、外務省、認定NPO法人難民を助ける会、駐日アンゴラ共和国大使館に取材をした。

 ODAを続けている理由の一つ目は、「絆」の形成にある。日本は関東大震災、世界大戦や阪神淡路大震災、記憶にも新しい東日本大震災など、これまで多くの震災や戦争を経験してきた。それらの復興の助けとなったのは世界中の国からの支援であった。「東日本大震災でこれほど多くの国からの支援があったのは、日本がこれまで国際社会に貢献してきた証」と外務省国際協力局政策課・外務事務官の杉村奈々子氏は言う。このように国際社会の「絆」としてのODAがある一方で、民間レベルでの「絆」もある。現在、ODAには長期間低金利で貸し出す有償資金協力と、返す必要のない無償資金協力など様々な形態がある。その中でも、緊急災害発生時にすぐに支援ができるよう即日、遅くとも数日以内にNGOにお金がいくようにするジャパン・プラットフォームという仕組みがある。「このような仕組みができたおかげで、NGOはすぐに現地へ向かうことができるようになった」と難民を助ける会の穗積武寛氏は言う。難民を助ける会は1979年に設立され、数々の海外支援を行っている。それらの事業の資金の一部は、外務省がODAのひとつとして提供している「日本NGO連携無償資金協力(N連)」を利用している。N連を使った事業のひとつに、タジキスタンでの車椅子の製造がある。障害者支援が制度として十分成り立っていないタジキスタンにおいて、車椅子の生産技術を向上させ、同時に、職業訓練をバラエティーに富んだものにしたという。このように、国だけではなく、NGOや民間企業のノウハウや技術を活用してODAを行っているのである。

 現在無償資金協力をしている国でも、経済発展に伴って有償資金協力へ移行することもある。そのひとつの例がアンゴラである。アンゴラは、約5世紀もの間ポルトガルの植民地支配を受け、その後1975年に独立を果たすも2002年まで内戦が続き経済が疲弊していたが、現在は石油やダイヤモンドの輸出等により毎年高い経済成長を遂げている(外務省HPより)。そのため、「これまでは無償資金協力のみだったが、これからは有償資金協力に切り替えていくことになった」と駐日アンゴラ共和国大使館・公使参事官のミゲル・ボンバルダ・ダ・クルーズ氏は言う。国の実状に合った資金形態へ変えることによって、より無償資金協力が必要な国に協力できるようにしているそうだ。

 ODAによって受益国が豊かになることはどのような意味があるのだろうか。 ボンバルダ氏と杉村氏が「ODAはgive&take(ギブ&テイク)である」と主張しているように、日本国民の税金を無条件に与えているわけではない。「経済が安定し、平和になり、国同士の関係を強化していける。他国を知ることができ、将来のビジネスがよりスムーズにできるようになる」とボンバルダ氏が言う。また、「アンゴラはアフリカの中でも有数の資源国であり、レアメタル(希少金属)や水資源にも恵まれているが、その資源を生かせる人材がいない」とも言った。資源を効率よく利用するための人材育成をODAによって行うことにより、アンゴラに天然視点の生産加工の効率性に貢献し、将来、日本はアンゴラで生産加工された原材料を輸入するようになっているかもしれない。このように、ODAは受益国だけではなく、日本にとってとても重要な利益をもたらすのである。

 「ODAについてもっと理解を深めてほしい」と杉村氏は何度も主張した。国家予算におけるODA予算は1%程度であり(外務省資料より)、その金額でどれほどの利益が日本と受益国にもたらされているのだろうか。将来の日本を支えていく私たち若者が、ODAによって世界の国々と「絆」を形成していくことの重要性を理解し、伝えていかねばならないと思う。

アンゴラ共和国大使館での記念撮影
カテゴリー
国際

共に生きるためのODA

富沢 咲天(17)

 ODAというと、漠然と先進国が途上国を手助けするというイメージを持つ人が多いのではないだろうか。そもそもODA(政府開発援助)とは政府または政府の実施機関によって開発途上国の経済、社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供である(外務省HPより)。資金を贈与する無償資金協力や、円借款と呼ばれる低金利で返済期間の長い緩やかな資金協力、そして日本の技術や技能を伝える技術協力がある。日本は1954年から継続してODAを行い様々な国々に人材・物資・技術・お金を提供してきた。しかし不況で日本の経済が落ち込んでいるなか、国内にこそお金を使うべきではないかという意見がある。ODAは今、本当に必要なのだろうか。

外務省の杉村氏を取材

 外務省のホームページによると、一般会計ODA当初予算額は1997年の1兆1687億円をピークに減少している。2012年度の予算額は5612億円とピーク時の半分以下だ。

 外務省国際協力局政策課の杉村奈々子氏は「日本のODAを、国際社会の基準(対国民総所得比)で見ると、世界の他の国々に比べて少ない」と指摘する。世界的に見るとODAを行っている国でこの数字が日本より小さい国は韓国とギリシャしかない。しかも現在韓国はODAの増額に力を入れているので、日本が追い抜かれるのは時間の問題だそうだ。だからといって政府が出せるお金は限られているので「NGOやNPO、国際機関、企業などとうまく連携し、お金を無駄遣いせず効率よく使う必要がある」と杉村氏は語った。

 さらに、日本のODAは決してバラまきではなく戦略的であると杉村氏は強調する。例えばマレーシアに大規模な国際・大水深港を建設したが、それはマレーシアの液化天然ガスや、携帯電話などに必要なレアメタルを日本に輸出するためでもあるという。
 中国は今や日本を抜いて世界第2位の経済大国だが、そんな中国に金額は少なくなったもののいまだにODAを続けているのはなぜか。それは環境問題などを解決するにあたり、まだまだ日本の技術が必要とされているからだという。中国の環境汚染は深刻で、汚染物質は風に乗って日本にも影響が及んでいる。対中国のODAで重点的に行っている事業は大気汚染、黄砂など直接日本に悪影響をもたらすところに絞ってやっているそうだ。他国を援助することで日本にも良い結果をもたらす一例と言える。

 杉村氏は「ODAに対する様々な意見があることは承知している。国民がちゃんと判断できる材料がみんなに届いているのかをよく検討する必要がある」と語る。多くの日本人はODAが日本にとってどのような利益があるのかをよく知らない。このため最近「見える化サイト」(JICAホームページ)が立ち上げられた。杉村氏は「ODAの評価や効果をきちんと示して国民の理解を得る。ODAに関心のない人にも興味を持ってもらい、すでに高い関心を持っている人たちには、彼らが必要とする情報が伝わるようにしたい」と述べた。

難民を助ける会の穂積氏を取材

 ではNGOにはODAはどのように映っているのだろうか。特定非営利活動法人「難民を助ける会」は寄付金だけでなく、ODAからも活動資金を受け取り活動している。シニアプログラムコーディネーターの穂積武寛氏は「NGOは一つ一つの団体がやっている事業規模は政府と比べると小さいが、パッと素早く動くことができることが強み」と言う。バラまきとの批判の反省から、政府は日本NGO連携無償資金協力(以下N連)という仕組みを作った。NGOの会費や寄付金は、財源として不安定なため収入が予測できず、大きな事業を計画しにくい。しかしN連 を利用すれば、承認された金額は確実に受け取ることができるので大いに役立っているそうだ。

 途上国がいつまでも援助に頼らず自立していくためには、資金調達や事業運営を自分たちで行う能力をつけてもらうことが必要である。難民を助ける会では地雷処理やエイズ予防の啓蒙活動のために現地人のスタッフを訓練し彼らに行ってもらっている。また、一人一人のニーズに合った車椅子を作るための技術を教え、事業を行うための資金調達のアドバイスなどの支援もしている。「国やNGOが援助を行わなくてもいい日が来るのが究極の目標。その日までは支援を続けたい」と穂積氏は語った。

 「ODAはsolidarity(連帯責任・連帯意識)だ」と強調するのはアフリカ・アンゴラ共和国大使館公使参事官のミゲル・ボンバルダ・ダ・クルーズ氏だ。アンゴラは2002年まで内戦が続き、経済的にも国を安定させるため支援を必要としている。アンゴラの主な産業は石油やダイヤモンドなどの資源関連で世界中に輸出している。しかし「石油はいつかなくなってしまうから産業を多様化する必要がある」と言う。アンゴラは資源に大変恵まれている国だ。およそ30種類ものレアメタルがあり、水資源が豊富で広大な国土は気候も良い。将来は大規模農業を行い、食糧を自給自足し、そして農産物を世界に輸出できるようにすることが目標であるという。ボンバルダ・ダ・クルーズ氏は「この大規模農業では日本の技術が使われるだろう。将来アンゴラが安定して平和を構築した時には、日本が困ったことがあったら必ず助ける」と語った。

 現在のODAは与えるだけの一方通行の支援ではなく、日本にも利益をもたらすようになっている。支援する側とされる側の両方が得をすることにより、世界の経済、環境、生活、治安、衛生などが少しずつ向上していくのではないだろうか。共に生きていく世界の仲間として、政府とNGOが協力してODAをうまく活用することもこれからますます必要になるだろう。

カテゴリー
IT 座談会

LINE知っている?

出席者:毛利美穂(17)、米山菜子(16)、持丸朋子(18)、小川真央(18)
2013/2/11

全世界で1億人以上、日本でも4000万人以上のユーザーが登録するコミュニケーションサービス「LINE」。緑のアイコンをタップして、液晶画面を見つめる子どもの姿に「何をやっているのか?」と思う親もいるだろう。ネットいじめや「出会い系」など、SNSの危険性も心配である。LINEの子どもたちの利用実態について、高校生記者4人が話し合った。高度な情報リテラシーと、柔軟な活用方法を、子どもたちは実践で培っているようだ。

LINEとは

美穂:LINE というのは主に携帯で使用できるアプリケーションのことで、トークと無料電話ができて、スタンプもダウンロードして、有料と無料で使えます。
朋子:あと、LINEはスマートフォンだけでなく、普通の携帯電話やパソコンからも使用できるので、主に携帯、スマートフォン、パソコンの3つから使用ができます。
菜子:通信料しかかからず、通話もトークもすべて無料となります。

■始めたきっかけ

美穂:私は二年前に普通の携帯からスマートフォンに変えた時に、アプリケーションをダウンロードして使用を始めました。ほぼ毎日していて、使っている相手は友人と家族と習い事の先生です。
菜子:私がLINEを始めたきっかけは、テレビでCMをやっていてダウンロードしてみました。そのときは全然友だちは誰もやってなかったんですけど、だんだんみんながスマートフォンに変えるにつれて友だちが増えていって、今は一週間のうち三日くらい使っています。使っている相手は友人や家族、また小学校の時のなかなか会えない昔の友だちとかと使用しています。
朋子:私は去年の夏にアメリカの一年の留学から帰ってきて、まず友だちがLINEをしていることに気づき、そこでまだ普通の携帯電話だったのでパソコンでLINEを始めました。そのあと9月にスマートフォンに変えてから、より多くLINEを使用するようになりました。パソコンの時はいちいちパソコンを開かなければいけなかったのであまり使用していなかったのですが、スマートフォンに変えてからは多くの友だちが使用しているのと手軽にできるので毎日LINEをしています。
真央:LINEを始めたきっかけは、友人に勧められてダウンロードしました。始めたのは半年前でまだ始めたばっかりなのですが、最近ではほぼ毎日使用しています。使用している相手は友人、家族、先輩、後輩ともしています。

■LINEの良い点

美穂:LINEはすごく手軽に打てるのでとても流行っています。送信ボタンを一回押すだけで、すぐ上の行に上がっていくので見やすいです。
菜子: チャットのようになっていて 見やすいので、 大勢いる部活の高校三学年みんなで情報を交換する場ともなっています。
朋子:あとデメリットにもなりますが、既読といって相手がメッセージを読んだら「既読」というよう に表示されるので、相手が読んだことを確認できる点も特徴だと思います。
真央:LINEではグループを作成できるので、複数の相手に伝えたいことが伝えられます。一斉送信よりも気軽にできるので便利だと思います。
菜子:企業のアカウントもあるので、企業やタレントがメッセージを送り、自分たちを売り込む 場ともなっています。また企業がスタンプを作って、それも広告の場となっています。
美穂:そのスタンプを作ってアプリケーションに入れるっていうのは企業がすごく大金を払ってやっているので、かなりの宣伝力になっている のだと思います。
朋子:LINEは気軽にできるという点で、今まであまり連絡がつかなかった人とも連絡をとることができるので、コミュニケーションの場をより増やすことにつながると思います。
美穂:電話帳に入っている人が全部LINEの友だち上に出てくるので、すごく気軽にできるし、今までメールアドレスが変わっ てわからなかった人もLINE上だと出てくるっていうのが利点だと思います。

朋子:逆に見つけられたくない相手というか、連絡を取るのはできたら避けたいっていう人の連絡先も出てきちゃうことについてどう思いますか?
美穂: 私はそういう人をブロックしています。 、ブロックすると相手は自分がブロックされているってわからない けれど、自分のところには出てこなくなる。 相手も、既読がつかないから 「読まれてないから返事が来ないんだ」と思うのだと 思います。
菜子:他にも、もともとの設定で、携帯の電話帳から勝手にLINEの友だち欄に載らないように設定したり、 IDで検索されないようにできるなどの設定があります。
真央:その電話帳をLINEのアプリに提供するのに、承認せずに電話帳の検索機能を拒否することができると思います。私はそれを使っていないので、連絡を取りたい相手に対してLINEのIDを個人個人に聞いています。

LINEの問題点

美穂:デメリットは 、連絡をするのが簡単すぎるので、あまり意味のないことでも話が膨らんで返信がすごく大変になってしまうことだと思います。
菜子:学校の保護者会でも、子供たちがLINEに夢中で勉強に集中できなくて心配だという声があがっています。
真央:LINEでは感情を伝えるスタンプが存在するので、文字を打つ機会が減っていると思います。
朋子: 手軽さというのが裏目に出て、長時間の使用を無意識的に続けてしまうので、その点では問題だと思います。
美穂:学校の保護者会で、「ID検索っていうのをできないようにしてください」 と言われているそうです 。出会い系サイトのように使用する人が適当に打ったIDが、偶然自分のもので 、トークが来ると出会い系のようになってしまう こともあります。
菜子:私の学校ではクラスLINEと いって、同じクラスの子がほぼ全員入っているグループがほとんどのクラスにあるんですが、そのクラスLINEで、仲間内で少し浮いてる子を一人だけ入れさせないようにしているグループがあって、それが問題になったクラスがあります。
真央:他の問題点として、自分が関係していない場合でも、所属しているグループの会話の内容が届いてしまうので、それで時間の無駄ができると思います。

■他のSNSとの比較

菜子:他のSNSに比べてLINEが違うところはなんだと思いますか?
美穂:昔流行ったFacebookなどと違う点はまず用途が違うと思います。私の今の使い方 は、
Facebookは写真を共有する場、 LINEはトークをする場として、 二つをうまく使い分けています。
真央:FacebookmixiなどのSNSと違う点は、LINEは承認を相手が自由にできるのですが、Facebookmixiはお互い承認しあわないと一方的にどちらかが登録するということは起きない点です。
朋子:LINEの他のSNSと違う点は、本当に必要な時にしか基本的に使わない点だと思います。Facebookmixiだと、他の友だちがつぶやいた、自分に関係のないことが流れてくるのに対して、LINEは友だちとの1対1、または自分対他の友だちのグループっていうふうに本当の友だちじゃないと基本的に使わない点が大きく違うと思います。
美穂:mixiとかFacebookも、やっぱりつぶやきが流れてきて見ているんですけど、LINEは完全にメールに代わる機能だと思っていて、本当にメールと同じように1対1とか1対多数、複数送信と同じ機能なので、全然違うものだと思います。
美穂:カカオトークcommLINEだとcommが一番音質が良いという評価なのですが、それでもLINEを使う理由ってなんですか?
真央:その前に質問いいですか? commカカオトークLINEってそれぞれどういう特徴があるんですか?
美穂:commは一番電話の音質が良いのですが、 スタンプの数はあまり多くないし、表示画面も見やすくないけれど、LINEカカオトークが流行しているので便乗して、新しくできたものです。
菜子:当初はLINEを使っていて、一度カカオトークcommを入れてみましたが、最初に見て思ったのは、「スタンプがかわいくない」です 。LINEを使っている理由は 、スタンプをかなり使っているから で、そのスタンプがかわいくないカカオトークcommはあまり使わず、今はアプリを消してしまいました。
朋子:私はcommはやっていないのですが、LINEカカオトークをやっています。圧倒的に使用している友だちの数が多いので、LINEを頻繁に使用しています。LINEカカオトークも両方とも勝手にアドレス帳に入っている友だちのリストが出てくるんですが、その数がLINEの方が断然多く、より多くの友だちと連絡を取れるのでLINEを多く使用しています。
真央:私はカカオトークcommを使用していないので、両方の音質がどのようなものかわからないのですが、LINEは確かに音質が悪く、友人と連絡を取る際にいつも聞きづらいと思っています。なので、LINEは今後普及していくにあたって、音質を改善していくことが必要だと思います。
菜子:LINEでは複数の友だちと通話をすることはできないのですが、カカオトークではそれができるらしいです。なのでカカオトークを使っているという友人も多くいます。また、commのデメリットとして、LINEやカカオトークはアクセス制限のかかっている友だちは使えなかったのに対して、commはアクセス制限にひっかからないという点で不安を感じました。
朋子:私もLINEは複数での電話ができないので、複数で電話が必要な場合にはカカオトーク、メッセージの場合にはLINEというふうに使い分けをしています。
美穂:私の友人でも電話とLINEのトークで使い分けている人がすごく多くて、やっぱりカカオトークよりLINEの方が企業がすごく入ってきているし、クーポンも取れるので使用している人が多いです。
真央:LINEの大きな特徴である既読についてはみなさんどう思いますか? 
朋子:私は相手がメッセージを読んだということを知らせる点でとてもいいと思います。メールだと実際読んでいても返信が遅くなってしまって相手がいつ読んだのかとかがわからないので、その点で既読のシステムはいいと思います。ただ自分が忙しい時とかでどうでもいいような内容のメッセージを読んでしまうと、その場で返信しなきゃいけないというプレッシャーがかかってしまうので、その点ではちょっと面倒だと思います。
菜子:実際に私の友人で既読が付いているのに、返信が来ないといって怒る子がいます。それによって新たなトラブルも生まれています。
美穂:既読のメリットとして、震災での生存確認のようなものにもなるし、やはり誰が読んで誰が読んでいないのかっていうのが、グループ内で人数だけですけどわかるので、みんなに伝わっているかという確認が取れると思います。デメリットだと読んでしまうと返さなきゃいけないっていうプレッシャーになってしまうので、忙しい中で大変なことになってしまいます。
真央:LINEの既読の機能については、確かに誰が読んだか読んでいないかということが明確にわかるのでいい点でもありますが、返信しなければならないという責任感に追われるので既読という機能については悪い点もあると思います。
美穂:でもやっぱり既読っていうのはLINEの特徴だと思うので、これからもあってほしいなと私は思います。
菜子:LINEが既読の制度をつけたことによって、Facebookなどでも既読の制度がつきました。このことから、LINEの既読の制度はかなり評判がいいということがわかると思います。

■LINEは電子メールに代わる!

菜子:LINEは今流行っているだけで、今後は消えていくと思いますか?
真央:LINEは今後継続して流行していくと思います。私は今まで、新年の挨拶にメールを友人からいただいてたのですが、今年は大多数がLINEであけましておめでとうを送ってきました。やはり人間は気軽な方に魅力を感じると思うのでそういったメールもLINEを利用する機会が今後どんどん増えていくと思います。
朋子:LINEが気軽で今これだけ普及しているということは、かなり大きなメリットがあるからだと思います。なのでLINEはこのまま継続して普及していくと思います。ただ、LINEはまだ一つのアプリでしかないので、この後簡単に消えていくこともできると思うので、LINEの機能がスマートフォンに基から付くくらいに大きくなったら、その後もずっと続いていくような気がします。
菜子:私は今後携帯にもともと付いているメールがLINEのようになっていくのではないかと思います。
美穂:commとかカカオトークとか他のLINEと同じような機能もあるので、どれが生き残るかっていうと今一番利用者が多いLINEが生き残っていくし、企業も力を入れているので強いと思います。

■大震災時の連絡手段
美穂:LINEは3.11の震災の後に新たな連絡手段として既読の機能もあり、実際読んだかがわかるし、ネット回線を使うことによって電話の回線などの混雑を防ぐこともできるということで作られたのですが、皆さんはまたもし3.11のような大きな震災があった場合どのSNSを連絡手段として使うと思いますか?
菜子:私はまずLINEで送って、既読が付かなければもとから携帯についているメールを使用すると思います。なぜならもとから付いているメールは一度違う機関に送られてから相手に送られるので、その場ですぐ相手に届かないとしても最終的には必ず届くので生存確認としては使えると思います。
美穂:私も先にLINEで送ると思うんですけど、それでたとえ既読がついても、やっぱり被災地だと、本当に読んだのかどうかトラブルで既読が付いちゃったのかすごく不安なので電話とかメールもしてしまうと思います。
真央:私もまず最初にLINEの機能を使って既読かどうかを確認し、そしてフェイズブックなどのメッセージ機能をその後に使い、いつ読んだのかとか時間までわかるので、時間を確かめられたらいいなと思っています。
朋子:私もまず最初にLINEの機能を使うと思います。LINEで送った後に既読が付いても付かなくてもメールや電話など、もとからある携帯の機能としての、より安心感というかアプリよりも重要な機能で送ると思います。また後はツイッターなどの大勢の人が利用できるSNSを利用して、情報などは手に入れると思います。
真央:家族に対してはフェイスブックのメッセージやLINEを使うと思うのですが、友人に対してはツイッターやミクシィなど全体に流れるものを使用すると思います。
菜子:3月11日の震災の日、実際に一番つながったのがツイッターだと言います。なのでツイッターも使うと思います。
美穂:今ミクシィの使用者が友人の間でもすごく減っているので、私はミクシィは手段にはしないでSNSだとやはりLINEやツイッターなどでやると思います。ツイッターだとタイムランに友人のことしか出てこないので、あの子は大丈夫だったんだっていう確認がそこでもできると思います。
真央:LINEのデメリットである既読の機能については、スマートフォンであれば一文で内容がだいたいわかるので読むことをしなければいいと思います。そして二つ目に知らない方やあまり連絡を取りたくない方に対しては、ブロック機能を利用して拒否をすればいいと思います。そしてLINEの大人数でのグループにおいて、自分が関係ない場合は通知オフをしてLINEから頻繁に連絡の通知が来ることを防げます。このようなデメリットに対しては対策をうつことができるので、今後LINEは普及していくと思います。

以上 

カテゴリー
座談会

高校生の留学


出席者:瀧澤真結(15)、3歳から小1までフィリピンのマニラ、小5から中1までケニのナイロ ビ在住
    米山菜子(16)、米国ポートランドに学校から3週間語学研修で滞在
    飯沼茉莉子(16)、米国で生まれ小3で日本に、中3で再度米国へ
    富沢咲天(17)、幼稚園から小5まで米国ニューヨークに滞在
    持丸朋子(17)、高2で1年間交換留学生として米国ポートランドに留学
2012/12/27

グローバル化している今、英語の習得、世界で活躍するための能力を身につけるために、海外留学をする高校生たちがいる。海外に留学することによって、どのような影響があり、どのようなことが得られるのか。帰国子女、長期交換留学、短期語学研修で、英語圏で学んだ記者たちが、高校生の留学のメリット、デメリットを討論した。

高校生まででも様々な留学の機会がある

朋子:私は高校2年生の夏からアメリカのポートランドで、学校間の留学生として女子高校に1年間通いました。学校でただ一人の交換留学生だったので、留学生としての待遇をかなりよく受けることができました。友だちをつくり、先生のサポートも得られたので、勉強面でも何とかついていくことができましたし、スポーツやボランティアをすることで友だちも増やして、充実した1年が送れました。

咲天:私は幼稚園からアメリカのニューヨークに住んでいました。最初は英語がほとんど喋られなかったのですが、幼くて現地の子どももみんなが一からABCを学ぶという感じだったので、そこまで苦労はしませんでした。小学校5年の二学期に帰国して日本の学校に転校して厳しさが全然違うなって思いました。アメリカは授業中もゆるくて、優しい先生が多かったのですけど、日本では授業中も厳しいし、姿勢も注意されるし、細かい校則がたくさんあって、ニューヨークと全然違うなって思いました。

茉莉子:私は父の仕事の関係で、ニューヨークで生まれてから5年間、その後はサンフランシスコに3年間、小学校3年生まで住んでいました。日本に戻ってから2011年、中学3年の5月にまたアメリカに行ったのですけど、耳(聴き取り)と発音だけは残っていたので普通の日本人が行くよりは有利だったと思います。
今は地元の公立校に通っていますが住んでいる地域はアジア系の子どもが多く、高校になると人種でかたまるようになって、アジア人が多かったからなじみやすく、今は友だちもたくさんできて楽しいです。でも勉強は日本と違って毎日がすごく大変です。日本みたいに期末テストの一発勝負で成績が決まるのではなくて、アメリカの場合は毎日のテストや態度、プロジェクトなどが成績の大半を占めるから、毎日すごく勉強しないと成績はとれないので想像以上に大変です。

菜子:今年の夏に学校の研修旅行で、オレゴン州ポートランドに3週間行きました。
英語力はほとんど身につかず、現地の同世代の子たちと交流を深めた感じです。文化は学んで来られたけれど、英語力を身につけるにはまだ物足りないなと思いました。でも日本の学校を長期間休まずに、夏休みを有効に使えたのはメリットかなと思います。

真結:私は3歳の時に父についてフィリピンに行きました。まだ小さかったので、そこの言語(英語)を日本語を覚える感じで何不自由なく覚えられて、その後小学1年の三学期に日本に帰ってきても、自分が帰国子女だという意識はあまりなくて、そのまま小学校を過ごしていました。小学校5年の二学期にケニアに行ってインターナショナルスクールに入り、最初は大変だろうと思ったんですけど、入ってみると、昔自然に覚えた言語なので、会話は英語でついていけました。勉強もそんなに大変じゃなくて、逆に日本の漢字の方が大変だなと思いました。中学1年に帰国して今の日本の学校に入ったんですけど、一学期間だけ急遽また戻らなきゃいけなくなって、そのときにはケニアの日本人学校に入ったんです。ケニアにいながら日本の勉強ができるという環境の中で英語もスーパーの買い物などで使うことができたので、英語と日本語とどっちも不自由することもなく過ごすことができました。

■交換留学で身についた自主性、積極性

真結:朋子ちゃんはなぜ1年間だけでも留学に行こうと思ったんですか?

朋子:私は小学校から同じ学校に通い、ずっと同じ環境でずっと同じことをしているのが嫌でした。あとは小学校から英語を学び英語に興味があったし、ホストファミリーとして留学生を受け入れていたこともあって、異文化に興味があったので、自ら留学して異文化に触れて、新しい環境で新しいことに挑戦してみたい思いが強くて留学しました。
日本では小学校から英語を学んでいたのですが、それでもアメリカの高校生が日常的にワーって話す英語にはついていくのは大変でした。まわりに「わからない」ということを伝え、「何て言ってるの?」と聞くときちんと教えてくれた。授業でもわかるところだけ必死にノートをとって、宿題も多いので、英語に毎日触れていたら冬休み前にはかなり英語がわかるようになったと思います。日常生活を通しても英語をかなり学ぶことができたと思いました。ただ逆に学問的な英語はあまり身につけられなかったと思います。

茉莉子:朋子ちゃんは留学して一番身についたことはなんですか?

朋子:一番身についたのは自主性、積極性だと思いました。日本で小学校から同じ学校に通っていて自分のできることが限られていたので、アメリカでは何か別のことをしたいと思っていました。それでまず朝の合唱団に入って毎朝7時10分から学校で歌ったり、ボランティアで日本語の教師をちょっとやったり、小学生のキャンプに一週間付いていって、キャンプリーダーをしたりと、日本でなかなかできないことを自らやってみるっていう精神が付いたと思います。

■人種別のグループ、ランク付けはあるの?

茉莉子:逆に一番大変だったことは何ですか?

朋子:私はジュニアの11年生に入ったんですけれど、まわりの人がもうすでに4年間同じ学校でグループができて、人種別に分かれていたので、最初に友だちをつくるのが一番大変でした。

咲天:茉莉子ちゃんは「今の現地の学校で人種でかたまっていてなじみやすい」と言っていたけれど、人種でランクってあるんですか? 例えばよくアメリカの学校はランチを食べるところが狭くて、学校でけっこうイケてるみたいな感じの人たちが机に座れて、それ以外の人たちは違う、みたいなイメージがあるのですけれど?

茉莉子:私の学校はただ人種別の方がたぶんみんなお互い気が合うと思うからかたまっているのだけれど、特にランクっていうのはないし、ランチを食べるところなどは決まっているけど、それも特にランクとかあるわけじゃないです。でも白人が多い他の地域に行くと、ドアもだいたい白人以外の子が開けて白人が入って行くみたいなのはまだけっこうあるみたいです。

■受験英語とは違っていた

菜子:日本の大学受験が英会話と大学受験は違うことがけっこうあると思いました。英語力を養ってきても大学受験では通用しない。私は語学研修で学校の英語の先生に「今まで学校で習ってきた英語の授業のことは関係ないから一回忘れろ」というようなことを言われて、じゃあ学校でやってきたことはなんなのかなって思った。日本の大学受験の英語という教科が英会話と違うっていうことにすごく疑問があります。

朋子:日本の大学入試の英語の文章を読むと、だいたい、日本語で要約しなさいとか、あまり使わないようなレアな文法をあえて覚えさせられてそれが受験に出るとか、向こうで学んできた英語力とは違う点で英語についての問題が出される。実際に留学して大学入試で通用する英語が身につけられるかというとそれはちょっと違うなと思いました。

■日本での学生生活が「抜ける」

菜子:朋子ちゃん、1年間だけ留学して日本の大学を受験するのは大変ですか?

朋子:日本では高2の夏か二学期から受験勉強を必死に始める人が多いのに私は高2で留学して、高3の夏休みに帰ってきて、まわりはもう受験モード一色でクラスの雰囲気もかなり変わっていたし、勉強面では抜けたところが大きいと思います。私は日本の大学でAO入試の受験をしたのですが、国際教養学部を受験するのに英語だけが必要だったので、留学して英語を学んできてよかったと思いました。ただもし日本の大学の他の学部を受験していたら、けっこう勉強面では大変だったと思います。

朋子:菜子ちゃんは3週間アメリカに語学研修で行って、もう一回人生のどこかで留学してみたいとは思いましたか?

菜子:人生のどこかでだったらしてみたいと思うんですけど、今高校生で、したいかって聞かれたらそれは「いいえ」になると思います。英語力は身につけたいとは思うんですけど、今の生活を捨てて1年間行くのはやっぱり勇気がでないし、受験のことも心配だし。

茉莉子:菜子ちゃん、留学する勇気がないのは英語が心配だから?一人で行くのがこわいから?

菜子:向こうに行ってからの心配はもちろん英語力で、一人っていうのも心配ですし、日本の大学を受験するつもりなので、留学していて日本での勉強が抜けた期間が、すごく重くのしかかると思うの。その面でも勇気がないし、今高校1年生で、この4年間でけっこう自分の学校のこともわかってきたし、このままみんなで普通に6年間過ごして卒業したいっていう思いもあるので、今の生活を変えたくないっていう意味でも勇気がないです。

咲天:真結ちゃんは海外経験がすごく長くて、今は日本の学校に通っているんですけど、また海外に住む、あるいは留学したいと思いますか?

真結:私は実はずっと日本にいたい。今、日本で生活していて、部活やテレビなどいろんなものがすごく充実している。私は3年に一度は引っ越しをしてきたから、小さい頃から一緒にいて、親同士も仲良くてみたいな「幼なじみ」っていうものにずっと憧れています。世界中に友だちがいるのはステキなことだと思うんですけど、自分のことを一番よくわかってくれる友だちもステキなことだと思う。今、中学3年間ずっと同じ友だちと一緒になれて、これから先も高校も大学もそういう友だちと絆を深めていきたいので、海外には行きたくないです。

菜子:私は中3の時に留学してもう帰ってこないっていう子が友だちに何人もいるのですが、「今学校ではこういう行事があって」と言うとすごく「いいな」っていう顔で、今まで当たり前のようにやっていた行事をすごく恋しそうにしていて、そういう行事もその学校でしかできないし、同じ仲間としかできないし、今の時期にしかできない日本の学校生活というのも大事なんだと思います。

咲天:私も実際帰ってきた時に「え、こんなことも知らないの?」って友だちに言われたり、「流行」についていけないのが、たぶん多くの人が心配していることなんじゃないかって思います。

真結:私は友情関係がやっぱりすごく不安。3年に一度転校してきた分、毎回新しい友だちをつくらなきゃいけなくて、そのたびにまずどういう自分でいけばいいのか、どういうふうに人の輪に入っていかなきゃいけないのかがすごく不安になる。誰と仲良くすればいいんだろうって。仲良くなったら3年でもうお別れというのが毎回すごくつらくって、もうそういうふうな別れを何回もしてると、新しい土地で新しい友だちをつくって、でもどうせまた1年後にはその人たちとお別れしなきゃいけないつらさも留学に行きたくない気持ちにあると思います。咲天ちゃんは留学したいですか?

咲天:今は話したり聞いたりという英語は昔アメリカに住んでいたので一応できるんですけど、書いたり読んだりする英語力はないので、高校時代にそういう学習面での英語を勉強して、大学に行ったらまた留学に行きたいなって思っています。実は今学校で中国語の勉強をしていて、中国の文化にとても興味があるので、大学に入ったら英語圏じゃないところにも行ってみたいと思っています。

■留学のメリットとデメリット

茉莉子:皆さんは高校生の留学のメリットとデメリットは何だと思いますか?

朋子:一年間日本にいない分の勉強ができないことが、大きなデメリットだと思いました。メリットは新しい環境でまわりも知らない人だらけで、違う文化で長い期間勉強しながらいろいろなことができることだと思います。もしあまり新しい環境になじめなかったら、友だちの少ない中で一年間やっていくというのは大変だと思います。

真結:英語がすごくうまくなる人もいると思うのですけれど、外国人(ネイティブ)並みになるのはすごく難しいと思います。メリットは自主性と朋子ちゃんが言ってたように、違う自分にも出会えること。いろんな外国人と面識をもって関わりをもつことも、グローバル化する中ですごく大切だと思うのでメリットだと思います。

菜子:英語力と日本の大学の受験勉強っていう面だけをみると、留学は日本の大学受験にはすごく不利になってしまう。だからといって日本の大学受験を念頭において、私みたいに短期間留学をすると英語力はあまり身につけられないので、バランスがとても難しいと思います。

咲天:人によると思います。例えば海外経験のある人が語学留学に行っても、もう英語も知っているので、目的がずれてしまうので、自分に本当に留学が必要なのかを考える必要があると思いました。メリットとしては海外の文化を知ることができるし、海外と日本を比較することで日本の独自性もわかって、自分の国についても、こういうところが日本の特徴なんだって気づくこともできる。それを海外の人に伝えることもできるのでいいと思いました。

茉莉子:私は高校生の留学のメリットは大学に向けてのステップアップだと思っています。高校の留学はある意味語学留学で、大学の学部留学みたいに単位を気にしなくてもいいし、ほんとにお客様みたいな感じで、現地の高校生と同じ授業を受けていなくても単位を気にしなくてもいいから、現地の生活も楽しめていいかなと思います。大学で留学したい人にとってはステップアップとして可能性がすごく拡がるので、高校生で留学しておくのはすごくいいことだと思います。デメリットとしては高校生で留学すると、みんな寮かホストファミリーに入る。日本みたいに電車があまりないし、高校生はまだ車の免許も取れなくて行動範囲が狭くなるから、外出の度にホストファミリーに頼まなきゃいけないので、そこは申し訳ないと感じて、最初はストレスになるんじゃないかな。自分だけではどこにもいけないから、そこは少し大変だと思います。

朋子:実際に私の行っていたポートランドは、かなり公共交通機関が多い都市ですけれど、それでもバスが30分に一本くらいで、毎日の登校・下校もホストマザーが車で送り迎えしてくれていました。友だちの家に遊びに行く時もみんな車で行くので、私のホストマザーか友だちのお母さんに迎えを頼んで、帰りも送ってもらったりしたり、スーパーで買わなきゃいけないものがあったら、毎回ホストマザーに「連れていってくれる?」と言って連れて行ってもらっていたので、自分の親じゃないとわざわざ連れていってもらうのは申し訳ないなっていう気持ちがかなりありました。

■留学費用はしっかりと計算を

朋子:金銭的には交換留学はまちまちで、公の団体を利用して1年間100万円くらいですむものもあれば、私の場合は学校間を通して行ったんですが、学校からの奨学金が50万円で、日本の高校にも学費を1年分払いながらアメリカの高校の学費を払って、あとはホストファミリーにもお金を払ったりして、合計で300万円くらいかかったと思います。

茉莉子:アメリカは高校までは義務教育なので無料なので、私立じゃなくて公立の高校に留学する場合は、授業料はたぶん無料だと思います。

菜子:私は約3週間の学校のカリキュラムでの留学で、日本の大学のアメリカ寮に入っていて、そこで私の学校の留学生のための授業を現地の大学の先生に毎日していただきました。その授業料とか、学校のカリキュラムなので他のところではできないようなプログラムもあったので、それも全部入れて3週間で約50万円ぐらいでした。

茉莉子:やっぱり留学っていうのはすごいお金がかかることだし、みんながみんなできるわけじゃないから、留学をしたくてもできない人が世の中にたくさんいるから、その人たちが留学できるようにするにはどうすればいいと思いますか?

咲天:留学に関して国がもっと斡旋しなくてはいけないと思います。留学したいと思っていれば、行った時も得られるものがたくさんあると思うし、そういうチャンスをつぶしてしまうのはもったいないと思うので、国が補助するべきだと思います。

朋子:実際にアメリカに留学していた人で、貧しい家庭から来ている生徒は留学機関が奨学金を出してくれて、けっこう安く通えている子もいると友人から聞きました。そういう生徒たちは特に真面目で成績も優秀だと言っていたので、留学させてもらえたからには勉強しようという精神が強いのかなと思いました。勉強する意欲がある人が、もっと留学できるようにすれば、いろいろな国でグローバル化についていける人が増えるんじゃないかなと思います。

■暗記英語ではグローバル人材は育たない

真結:私はグローバル化するうえでは留学はすごく大切な手段だと思っていて、実際に社会に出て世界で仕事するときにはどれだけ自分の意見を言えるのか、どれだけ相手といい話し合いができるのかだと思うんです。留学に行ったり海外経験で実際に英語を使って話すことが出来ていないと自分の意見を思い通りに伝えられないと思うので、留学は日本全体で支援していかなくてはいけないんじゃないかなと思います。

茉莉子:アメリカと日本の教育の一番大きな違いで私が感じたことは、日本は暗記暗記っていう感じで、ですけれど、アメリカの場合は暗記をするための勉強っていうのはなくて、あるテーマを調べて、それについてディスカッションをしたりプロジェクトをしたりする。日本人は社会に出て全然発言ができないのも、小さい頃から暗記をしろという教育に問題があるんじゃないかと思っています。アメリカ人は高校からディスカッションをしたり、自分の意見をどんどん言ったりして、そういう下準備がアメリカの子たちはできているから、社会に出ても日本人とは違って発言力もできていると思う。グローバル社会で通用したいなら、ペーパーテストだけじゃなくて、アメリカみたいにディスカッションももっとやった方がいいんじゃないかと思います。

朋子:実際に社会で使える教育を受けられるという面でも、留学はいいのかなと思います。日本の学校にずっと通っていると日本の教育制度に染められて、中間テスト、期末テストのために勉強したり、入試のためにひたすら覚えたりっていう勉強が型にはまっちゃうと思うんです。アメリカや他の国に一度行ってみると別の勉強の仕方がわかって、日本に帰ってきてからもいかに今やっている勉強を今後につなげられるようにするのか、というのを考えられるようになる。留学に行くと新しいことが学べて、新しい目線でものを考えられるようになると思います。

■日本で得られないもの

茉莉子:友人関係を一番に考えた医と思うけれど、留学をしたら絶対に将来どこかでプラスになる。人とは違うことをやっているわけだから、チャンスがあるなら、ぜひみんなにも留学はしてほしいなって思います。

咲天:私も受験や友だちは大事だけど、それは目先って感じがして、逆に留学で得たものは何年経っても使えるし、自主性などもとても大事だと思います。留学に行くとやはり日本では得られないものがたくさん得られると思います。

真結:咲天ちゃんが自主性が身につくって言ってたんですけど、例えば英語力にすごく自信がなくて人見知りする人が留学した場合は全然溶け込めないし、自主性も身につかずに怖くなることもあると思います。逆にその人が日本でもっと積極的に委員会とか自分にできるボランティアとか、プレゼン能力を身につけるとかそういうことをやった方が自主性を身につけるのに効果的な場合もあると思うので、留学だけが一番いい方法ではないと思います。

朋子:留学は性格によって「留学してほんとによかった」っていう人もいれば、ちょっと行っただけで「早く帰りたい」って思う人もいると思います。留学したい思いが強いんだったら、1年間日本の勉強はできない、友だちも会えない、お金もかかるし、リスクも大きいけれど、あきらめないで努力したらほんとにいい経験ができると思います。

茉莉子:私は留学じゃなくて、もう何年か住むという形で今アメリカに行っていて、今はアメリカの生活楽しんでいるけど、最初の1~2週間はなんか全然溶け込めなくて本当につらかった。だんだん積極性がでてきて、アメリカに行ったことによって少し自分が変わったなって、やっと自分っていうものを持てた気がします。私も人見知りな方だったけど、何とか今普通にやってるから、留学はできるならした方がいいと思います。

咲天:全部日本だけで考えていると、絶対に困ると思うんです。グローバル化というのもあるし、必ず何かしら海外とつながっていることは絶対あると思うので、留学に行かなくてもいいけれど、日本だけを中心に考えないというのを意識しないといけないと思っています。海外のことを知ったり、国際理解を深めたりする一つの手段として、留学があるのかなと思います。

朋子:私は留学して、いろいろな視野、日本にずっといると見られないような観点から物事が見られるようになったし、まわりに知ってる人が誰もいない環境で生活することによって、こんなに私は英語ができないのに、まわりの人が仲良くしてくれたり親切にしてくれることに対してすごく感謝もした。今まで当たり前に思ってきたことが当たり前じゃないんだっていうのを身にしみて実感しました。勉強だけじゃなくて、生活面でかなり得たものが多いと思うので留学してよかったと思います。                                   以上

カテゴリー
Interviews 国際

カンボジアでの偉業を成し遂げたクリッシャー氏

バーナード・クリッシャー氏への取材

青野 ななみ(18)
2011年3月、第2回カンボジア取材旅行に記者の一人として参加し、児童労働や児童買春問題に関わるNGOを取材した。児童問題は貧困問題の解決なくしては改善されないことを知った記者は、実際に貧困児童のためにカンボジア全土で数々の事業を展開しているバーナード・クリシャー氏(80)に成功の鍵や学生が学ぶべきことを取材した。
    
 「いかに女子の就学率を高め、学校に通い続けるようにするか」このミッションに立ち向かっているのが元「ニューズウィーク」アジア局長のバーナード?クリッシャー氏である。カンボジアにおけるポルポト政権の大虐殺後、1991年パリ和平条約協定が締結され、北京より帰国したシアヌーク殿下(元国王・国家元首)からの要請を受け、クリッシャー氏は国の復興・再建に協力することを決める。

 まず1993年に非営利団体「ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア」を日本に、「アメリカン・アソシエーション・フォー・カンボジア」を米国に設立し、両国で寄付や助成金を募り、世界銀行やアジア開発銀行からの資金を得て、カンボジアの貧しい農村に現在までに500以上もの学校を設立してきた。ジャーナリストだったクリッシャー氏は、同年カンボジアで初めての日刊英字新聞社「カンボジア・デイリー」を設立した。1996年には貧しい人に無償の治療を提供するシアヌーク病院「ホープ・センター」を創設し、2001年、国際的な慈善活動を称えて贈られるグライツマン賞を受賞した。

 「カンボジア・デイリー」によると、カンボジアでは半数以上の家庭が一日2ドル以下で生活し、未だに多くの数の子ども達が最悪の労働環境で働いているそうだ。このような子ども達を救うには、教育の普及こそが最も重要だとクリッシャー氏はいう。教育を受けることができれば、仕事に就くことができる。また、学校に行くことで同世代の子ども達と交流することができるし、保健授業を通してエイズについて学ぶこともできるというメリットもある。

 クリッシャー氏の数々の事業の一つに「Girls be Ambitious(少女よ、大志を抱け)」がある。途上国の貧しい少女を児童買春の被害者にさせないために最も効果的なアプローチは、そもそも児童買春されないようにすること。つまり、学校に通い続けられるようにし、教育を受けること。この事業は、そのような女子の就学率を高めるため、一ヶ月間毎日学校に通うことができたら、その家庭に毎月10米ドルを提供するというものだ。この方法は効果をあげ、メキシコなどでも似たような方法が始まったという。

 この行動力はどこから出てくるのだろうか。カンボジアを始め、多くの途上国では事業を実行する上で許認可をもらう役所に賄賂を払わないと進めていくことができないといわれている。しかし、クリッシャー氏は一度も払ったことがない。「当初賄賂を求められた際に、私はあなたたちの国を助けているのだから、賄賂を払わなければいけないのであれば、援助はしない」と言い切ったそうだ。「私には何も不可能なことはない。私は絶対に諦めない」という言葉には、ここまで様々な実績を残してきたからこその重みと説得力があった。

 1960年代にインドネシアのスカルノ大統領に「ニューズウィーク」東京特派員として取材をし、気に入られた。その後ジャカルタへ行った際にカンボジアのシアヌーク殿下を紹介された。シアヌーク殿下から要請された復興事業を始める際には、信頼できる現地スタッフを紹介されたという。また、スタッフには無料の医療を受けられるなどのサポートをしっかりしている。

 スタッフには教えることが多くあるが、そこで課題となるのは忠誠心だそうだ。カンボジア人は忠誠心を知らず、アンコールワットのフレスコ画に描かれている残酷な絵やポルポトの大虐殺のように、残酷な面もあるそうだ。常に嫉妬心を抱いている。些細なことでも大きな問題になってしまうため、クリッシャー氏は些細な問題と重大な問題を区別することを教えているという。

クリッシャー氏と記者

 では、カンボジアのような国で貧しい児童への支援活動をしたいと考える学生は何を学ぶべきであろうか。答えは「心理学、カウンセリング、社会学などを学ぶこと。また日本でも同じように児童買春被害者の支援をしている組織の中で働き、問題についてどのように対処しているのかを学ぶこと。そして何よりも大切なのは、机上の勉学だけでなく現地に行って経験をすることだ」とクリッシャー氏は強調する。そのような経験を積んでから、国際的に活動することができるのではないか、とも言われた。   新聞社、病院、学校、そして様々な大偉業を成し遂げた裏には、クリッシャー氏の、打たれ強い諦めない不屈の精神があった。

カテゴリー
社会 国際

難民受け入れのメリット

飯田 奈々(16)

 日本は海外からの難民受入れ事業に乗り出すのが、他の先進諸国に比べて遅かった。100%の受入れ体制が整っておらず、改善すべき点は多くあるそうだ。財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部の鈴木功氏、NPO法人難民支援協会広報部の田中志穂氏、NPO法人かながわ難民定住援助協会会長桜井ひろ子氏、事務局長與座徳子氏と、様々な立場の人たちを取材した。

かながわ難民定住援助協会の與座徳子氏への取材

 「難民条約」によると、難民とは「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見を理由に、迫害を受ける可能性があるために祖国から逃れざるを得ない人」のことを指す。難民事業本部によると、2010年に日本政府に難民として認めてもらうために申請した数は1202人であった。

  日本には、認定がありえない外国人 をまずふるいにかけてから段階的に審査していくという制度がない。難民も、単に経済的理由で日本にきた人も申請窓口が同じなので、申請者数が膨らむと 、難民認定審査に一定の時間がかかるようだ。 。難民事業本部の鈴木氏によると、一時は認定されるまでに1 年以上かかっていたが、最近では6ヶ月を切るまでに短縮されたそう だ。

 もう一つ、 鈴木氏があげた事は、不認定などの結果を受けて何回でも申請をし続けることができる点だ。「何回も申請して、認定されることはあるのか」との疑問に対しての答えは、ほとんど「ノー」に近いそうだ。もちろん不認定結果に納得がいかず再度申請する場合も多くあるが、何度も難民認定申請が行われることで、申請者にも負担がかかる場合もあると 言う。

 しかし、難民支援協会の田中氏は、何回も審査できるというのはそれだけ審査方法がきちんとされていない証拠で、制度に問題があり、誰もが納得するようなフェアで透明性がある認定基準の仕組みを作ることが大切だ、と語った。

 このように政府の委託事業を実施している難民事業本部と援助をしているNPOとでは、物事の捉え方が異なっている。しかし、どちらも 「難民に幸せな暮らしを送ってもらえるように」「日本にきてよかったと思ってもらえるように」と最終的な方向性は同じだ。

 また、日本人の難民に対する意識も同じである。総論では、「難民を受け入れるべきだ」「親切にすべきだ」と唱えているが、いざ自分の隣に難民が引っ越してくると拒否する。これではいつまでも、難民を受け入れるのにふさわしい土壌ができず、難民の日本での社会的立場は変わらない。
 
 今後労働人口がどんどん減っていってしまう日本において、「難民定住者や他の外国人定住者が今の日本の生産現場を担っていることを認識しなければならない。そして、日本で生まれ育った難民定住者の子どもたちにとって、二つの文化を併せ持つことが将来的にプラスになるような環境の整備が必要である 」とかながわ難民定住援助協会の桜井氏と與座氏は何度も繰り返した。 最後に桜井氏は語った。「外国人は異文化を運び、一色に染まりがちな日本に多様性をもたらす。困難を乗り越えて生きる難民の姿から、日本人が学ぶ事は多いと思う。難民は人口が減少している日本社会にとって貴重な 人的資源 なのだから」と。

カテゴリー
社会 国際

難民問題から考える日本社会

澤山 友佳(16)

 日本に難民がいる――この事実を知っている日本人はどれだけいるだろうか。現在日本には1万人以上の難民が暮らしている。しかし、その数は世界的に見ると圧倒的に少ない。UNHCR Statistical Yearbook 2009によると、難民条約加盟国141ヶ国のうち、人口1000人当たりの難民受け入れ数では132位。難民の受け入れが少ない原因はどこにあるのか。

難民事業本部の鈴木功氏への取材

 難民条約によると、難民とは、「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見を理由に、迫害を受ける可能性があるために祖国から逃れざるを得ない人」のことである。現在日本に定住する難民は、3つに分けられる。一つがインドシナ難民で、1970年代後半、新体制となったベトナム・ラオス・カンボジアから逃れてきた人とその家族が当てはまる。2005年の受け入れ終了までに11,319人が受け入れられ*、在日難民のほとんどを占める。二つ目が、条約難民。日本が1981年に加入した難民条約に基づき、日本政府の難民認定を受け定住を許可された人で、インドシナ難民との重複を含め2010年度までに577名が日本に定住した*。三つ目が、第三国定住プログラムの下で受け入れられた難民だ。このプログラムは2010年に開始された開始された外務省の事業であり、3年間パイロットケースとしてタイの難民キャンプから毎年30人のミャンマー難民を受け入れることとなっている。*難民事業本部案内 2011年度版より

 日本へ逃れてきた難民は、難民申請をし、政府の認定を受けなくてはならない。複雑な書類の記入や面接を含む審査は、彼らにとって困難を極める。審査には半年かかり、その間法律上正規な仕事に就くことができない。特定非営利活動法人「難民支援協会」広報部の田中志穂氏によると、「再申請は可能だが、審査そのものの透明性にも疑問は残る。トルコからのクルド難民の申請は認定されたケースがない。それは日本と外交上友好関係にあるためのようだ」という。

 日本への定住を許可されてもさらなる関門が待ち受けている。財団法人アジア福祉教育財団 難民事業本部では日本語教育や生活ガイダンス、就職相談を行っている。長年在日インドシナ難民の支援をしてきた特定非営利活動法人「かながわ難民定住援助協会」会長櫻井ひろ子氏は、その経験から「難民定住者への初期支援の日本語研修が572時間では圧倒的に短い。これでは地域に定住した後も日本語の各種書類が読み取れて、提出書類が作成できるようなるまで追加の日本語研修支援をしなければ自立定住には至らない」と言う。

難民支援協会の田中志穂氏への取材

同協会は1986年から神奈川県大和市を中心に、インドシナ難民の自立を目指してボランティアによる日本語教育や法律相談を行っている。教室には年間延べ約14,500人が参加するという。日本に定住する難民を対象に最も苦労していることについて調査したところ、トップが日本語の問題だと回答した。日本語が十分に使えないということは、職業の選択肢が狭まることも意味する。

 事務局長の與座徳子氏によると、子どもたちの抱える問題も深刻だ。家族と共に日本へ来た子どもや、難民二世として日本で生まれた子どもたちは、学校で日本語を学ぶが日常会話は比較的簡単に習得できるものの、教科書の中で使われる日本語が理解できずに学習の遅れが生じがちだ。主に母国語を使用し、日本語の習得に困難を極める両親との間ではコミュニケーション・ギャップが生まれることもある。 

 文化・習慣の違いや、日本社会の仕組みが分からないことから起きる問題もある。例えば、難民が定住している地域で旧正月を祝うために公民館を使用したくても、事前に団体登録が必要で、しかも日本人の責任者がいることなど、手続きが難しいことがある。與座氏によると、難民のほとんどが、母国に戻ることは出来ない状況の中で、日本経済の悪化により失業したり、次の就職先をすぐに見つけられないことなど日本での居心地の悪さを感じているという。

 上記の第三国定住プログラムも、2011年10月に第二陣のミャンマー人家族をタイ国境にある難民キャンプから迎えた。定員は30名に対して来日したのは18名だったとアジア福祉事業財団難民事業本部の鈴木功氏は言う。震災の影響も否定できないが、日本の受け入れ態勢の不十分さが浮き彫りとなったと言えるだろう。「インドシナ難民定住者の負の遺産を引継いでいる。その反省を踏まえて初期支援を充実させることが、地域での自立定住を容易にする」と櫻井氏は訴える。

 難民は、少子化の進む日本社会にとってもはや欠かせない労働力だという指摘もある。輿座氏と田中氏が共に言及したように、日本とは異なる文化を持つ彼らは日本に多様性をもたらしてくれる存在でもある。日本が海外援助で橋や道路などを建設するだけ建設し、その後の影響を顧みていないことが多いという批判はしばしばなされるが、難民についても同様だ。単に受け入れる数を増やすだけでは解決にはならない。難民認定申請者の中には経済移民も含まれているため厳密な審査は必要だが、難民が日本で安心して生活できる環境を整える視点が忘れられがちだ。今までの難民定住における問題点を検証し、受け入れる以上は国や自治体がそれぞれ責任を持って、日本語教育を中心とした十分なサポートをしていく必要があるだろう。民主化が進むミャンマー情勢を見ても第三国定住の受け入れに関しては、日本への定住が本当に彼らにとって良いことなのかという見直しも迫られる 。一人でも多くの日本人が難民たちの背負っているものを理解し、文化や習慣の違いを認めることができれば、彼らのアイデンティを活かせる場が増えることになろう。「官僚主義」、「たらい回し」、「同一志向」――難民の抱える問題の解決に取り組むことは、日本の問題そのものと向き合うことでもある。

カテゴリー
座談会

便利だけど怖い「ソーシャルネットワーク」

出席者:小林夕莉(16)、毛利美穂(16)、澤山友佳(17)、瀧澤真結(13)、米山菜子(15)(司会)
2011/12/21

Twitterやmixi、facebook・・・近年急速に存在感を増している「ソーシャルネットワーク」は、今や若者にとって便利な情報発信のツールになりつつある。日常的にそれらのツールを利用する中高生記者5名が、利用方法や危険性について話し合った。

一日にどれくらい
司会:まず皆さんのまわりの人たちや、皆さんの利用状況を教えてください。

夕莉:私は今「モバゲータウン」というサイトに入っています。だいたい一日に一時間ぐらいは使っていると思います。

真結:私は「フェイスブック」というツールを使っています。私の他にも学校の友達などはほぼ全員使っているので、毎日一時間使っています。

美穂:私は「フェイスブック」、「ツイッター」、「ミクシィ」と「マイスペース」を使っています。携帯、モバイルで見られる「ツイッター」とか「マイスペース」はけっこう一日中。

友佳:私は「フェイスブック」を使っていて、一日に一回チェックするぐらいです。学校でやっている人は20人ぐらいなのですが、「ミクシィ」はほとんどの人が使っています。

菜子:私は「フェイスブック」を利用しています。周りの人たちは他に「ミクシィ」や「グリー」や「アメーバ」など、たくさんのサイトを使っています。

■きっかけは
司会:ではソーシャルネットワークを利用し始めた理由を教えてください。

美穂:「フェイスブック」は、海外の友人とつながろうと思って小学生の時に始めました。

夕莉:私は電車で「モバゲータウ」ンの広告を見て、ゲームをしたくて入りました。

真結:私は日本に帰国する時に海外の友だちに誘われて「フェイスブック」をやり始めました。最初は隠れてやったんですけど親にバレて、そのあとちゃんとルールを決めながらやることにしました。

友佳:私はCEの他にもボランティア活動などをしていて、そこでの友だちとの連絡や呼びかけなどに「フェイスブック」を利用しています。

菜子:3.11の時に「フェイスブック」などのツールの方が連絡をとりやすいということで母親に勧められたのがきっかけで使っています。

■多様なソーシャルネットワーク その違いは?
司会:「ツィッター」、「モバゲー」、「アメーバ」、「ミクシィ」について説明できる人いますか?

美穂:「ツイッター」はアカウントを複数持つことができて、公開アカウントだったら誰でも見ることができるしリツイートやリプライで他の人と会話することができます。鍵アカウントだったら自分をフォローしていない人には自分が何をつぶやいたかはわかりません。
芸能人や大手出版社の意見も友人と同じ欄で見ることができて見やすいですし、海外の人と友人になることもできる。それに最近利用者が多いので、どの時間にもつぶやきの欄が常に1秒ごとに更新されていくんです。だから便利だなと思います。

夕莉:「モバゲータウン」は、名前は自分で決めるので本名じゃないです。個人情報っぽいものは、性別と誕生日と年齢くらいです。あと自分で趣味は何々とか、好きなものはなんです、みたいに書くスペースがあります。

美穂:「アメーバ」だとつぶやきの欄やブログの欄、グルッポの欄、足跡の欄があります。足跡っていうのは誰が訪問したかがわかるところで、グルッポっていうのは同じ趣味を持っている人がグループを作ってそれについて掲示板で話すところ。つぶやきは「ツイッター」とか「ミクシィ」と同じようなつぶやき。一番多いのはたぶん芸能人の方の「ブログ」で、「アメーバ」だと容量が多いのできれいな画像がけっこうはれるっていうのが理由にあると思う。「グリー」は「モバゲー」と似た感じだと思うんですけど、ゲームの種類が違う。

美穂:「ミクシィ」は、プロフィールのところにあだ名・性別・年齢・趣味などの自己紹介の欄があり、その他につぶやきの欄や日記の欄、写真の公開欄などがあります。友人限定にするか、友人の友人限定にするか、パスワードを入れることができる人限定にするか、非公開で自分だけが見られるようにするかは自分で決めることができます。

司会:「フェイスブック」と「ミクシィ」の違いはなんだと思いますか?

友佳:「フェイスブック」でも「ミクシィ」と同じように自由に投稿することができるのですが、「ミクシィ」だとかなり頻繁につぶやきを投稿する人が多いように感じます。また、「フェイスブック」では海外の友人などとも交流ができますが、「ミクシィ」は基本的に日本の中にとどまってしまうのではないかと思います。

菜子:私が思う、「フェイスブック」とその他のサイトの違いは、「フェイスブック」は本名でやっているのでその人を特定しやすいけれど、他のサイトはサイトの中で自分で名前を決めるので本当にその人が自分で名乗っているのかというのが分かりにくいということです。例えば女子高生と名乗っている人がほんとに女子高生なのかとかが分からない。だから私はフェイスブックを利用しています。

友佳:はじめは「フェイスブック」で本名を公開することに抵抗があったのですが、今は親も納得して利用しています。「フェイスブック」では、未成年の利用者は友だちの友だち以外の人には詳しい情報が公開されないようになっているので、その点は比較的安全だと思います。

■メールよりツイッター
司会:次にソーシャルネットワークの良い点について聞きたいと思います。

美穂:「フェイスブック」の良い点は、写真をたくさん載せられるので、学校行事の写真などをクラスの友だちとすぐに共有できることです。

真結:私は外国にも友だちがいるのですが、そういう人たちとも「フェイスブック」では簡単に連絡を取ることができます。

夕莉:「モバゲータウン」はすぐにニュースとかがアップされるので、塾に行っていてニュースが見られない日でもその日のニュースが分かります。

美穂:「ツイッター」や「ミクシィ」だと24時間友だちとつながれるので、最近は部活の連絡や遊ぶ日程とかもそこで決めたりします。メールよりもアップロードも早いので便利だと思います。

■利便性の裏にはリスクも
司会:次に、ソーシャルネットワークについて、自分や友だちの怖かった体験談やトラブルなど、問題点があればあげてください。

美穂:「ツイッター」では「拡散」っといって、一人の人がつぶやいたことを他人にリツイートしてもらって広めてもらうことができるのですが、最近その拡散で「ライブのチケットが余ってるのでいくらで譲ります」っていうのがすごく多い。友だちが実際に連絡をとって銀行の振り込みまでしたのに、実は詐欺で結局チケットが送られてこなかったっていうことがあって、ネット上の取引は危ないなと思いました。

真結:さっき「フェイスブック」の利点として写真を掲げることができるというのが言われていましたが、逆にその写真によって個人情報が漏れてしまうという点は危ないと思います。

友佳:私はあえて「ミクシィ」を利用していないのですが、「ミクシィ」を利用している友だちはかなり時間を取られてしまっている人が多いようなので、のめりこんでしまう危険性があるのかなと思います。

真結:私の学校ではないんですが、口では実際に言えなくても「フェイスブック」内ですごい悪口を言われて、いじめにあってしまった子もいるので、そういうのは危ないと思います。

美穂:アカウントがメールアドレス一個につき一人一個しか作れない「ミクシィ」と違って、「ツイッター」だと何個も作れちゃう。複数持っている人もたくさんいるので、個人が誰だか特定しにくくて危ないなと思います。

菜子:私の友人の話なんですが、サイト内で仲良くなった男性と二人で会ってしまい危ない目に遇いかけたり、またサイト内で仲良くなった大人の男性が管理している「ブログ」に入ったら勝手に出会い系サイトに入っていて、架空請求まできたっていう子がいます。

司会:年齢やプロフィ-ルを詐称して利用している人も世の中にはいると思いますが、その見極めを皆さんどうしていますか?

友佳:私は実際に会ったことのある人としか関わらないようにしているので、年齢や性別を詐称して利用している人とは関わることはないと思います。

菜子:私は基本的には友人としかサイト内での友だちにはなりませんが、仮に知らない人からリクエストが来たとしても、そのリクエストが来た人の友人を見て判断するようにしています。

■個人情報は挙げない
司会:他に、利用するうえで、気をつけるべき点はなんだと思いますか?

美穂:「ツイッター」など誰でも見られるところには自分の写真を載せないっていうこと。名前が載っていなくても写真があがっていたら、けっこう誰だか特定しやすくなってしまうので、写真はあげないっていうのは大事だと思います。

真結:私も写真だけではなく、個人情報、例えば住所とかそういうものは友だち宛てに書くのでも、フェイスブックとかネット上に書くのは良くないと思います。

夕莉:私もどんなに知らない人と仲良くなったとしても、メールアドレスとか電話番号は絶対載せないようにした方がいいと思います。

友佳:私は携帯で利用せずに、パソコンだけで使うようにしています。「パケ放題」などにも入っていないので携帯の利用料金がかかってしまううえ、親に見られずにできてしまうので、ついやりすぎてしまう危険性が高いと思うからです。

■問題点を理解して利用する
司会:では皆さんは、ソーシャルネットワークを利用すること自体はいいと思いますか? 悪いと思いますか?

夕莉;利用することはいいと思います。「モバゲータウン」とかで情報をすぐに仕入れてみたり、みんなでメールをまわしたりいろいろとできるので、そういうのは必要だと思います。

真結:私も使うのはいいと思います。でも危ないことがすごく多いので、私は「フェイスブック」を利用する時はアップできる内容を友だち限定にしたり、投稿する前に親に見せたりなどしながら安全を確保しています。

友佳:私も利用することはいいと思います。ただ時間を決めて使うことや、知らない人とはネットを通じて知り合いにならないなどのルールを決めるといいと思います。

菜子:私も利用すること自体はいいと思います。今出たように実際に友だちとつながる手段としてはいいサイトだと思うので、さっき出た問題点などを頭に入れて、そういうことがあるというのを肝に命じながら使えば正しく使えるかなと思います。

■保護者や学校の先生は?
司会:保護者の方や学校の先生たちは、ソーシャルネットワークに書き込んでいることを知っていますか?

美穂:知らないと思います。「フェイスブック」と「マイスペース」はパソコンのメールアドレスでアカウントを取ったので、やっていることは知っていると思うんですけど、「ツイッター」と「ミクシィ」は携帯でやっているので何を書いているかも知らないと思います。

夕莉:私はお母さんに言っているので知っています。

真結:私もお母さんとお父さんの両方知っています。

菜子:母親は使っていること自体は知っていますが、書いている内容については知らないこともあると思います。

司会:保護者は学校の先生たちは、先ほどあげたソーシャルネットワークの問題点について、どういうふうに指導していますか?

美穂:両親は危険性を知っているので、あまり利用しない方がいいと思っているようです。でも私の場合相手が海外の友だちが多いので、海外で知らない子と友人になったりはしないという理由で、いくらかは安心していると思います。学校は、別の会社にお願いしてミクシィで生徒のことを検索して、そこで規則違反があれば注意をするというような話もよく聞くので、結構気にしてると思います。

真結:私の親はすごく警戒しているので、親の方の「フェイスブック」のアカウントでは自分の写真あげたりしないぐらい、かなり厳重に使っています。学校では先生たちもアカウントを持っていたりするので、ソーシャルネットワークを利用することをいいと思っている人たちもいると思います。

夕莉:私の両親はあまりそういう話をしないので、警戒はしていないと思います。学校は、情報の授業でそういう掲示板にアドレスとか住所を載せないっていうことは教えられたので、やっぱり警戒しているんだと思います。

友佳:学校では特にソーシャルネットワークに対する注意などはなく、むしろフェイスブックのアカウントを持って生徒と友だちになっている先生もいて、認めている方だと思います。

菜子:私の母はソーシャルネットワークについて怖い面も知っているので、そういうのには気をつけなさいと言います。学校は規制をしているんですが、その規制が実際に働いているかは少し疑問が残ります。

■大人達は本当の怖さを知らない
司会:大人の人たちは、私たちが抱えるソーシャルネットワークの怖い面などの問題点を本当に知っていると思いますか?

菜子:ある程度は知っていると思うけれど、本当に怖いことなどは知らないと思います。やはり、大人たちが想像している以上にソーシャルネットワークでの問題は多いと思うし、実際に体験した人から聞いた私たちの方が、その恐怖さは知っていると思います。

真結:私も、大人たちはすべてその怖さを知っているわけではないと思います。ですがやっぱり大人なので、私たちよりは長く生きている分、いろいろな話など体験談なども知っていると思うので、そういう話もちゃんと聞くことが今の私たちにとっても大切だと思います。

■年齢とともに変化する?
司会:年齢があがるにつれて、利用するソーシャルネットワークに変化は出ますか?

美穂:私はけっこう変化がありました。小学生の時は「マイスペース」とか「フェイスブック」とかパソコンで使うものが主だったんですけど、中学で「ツイッター」、高校生で「ミクシィ」を始めてからは携帯で使うものが多くなりました。持ち運びができるし、日本の友だちだと「ツイッター」や「ミクシィ」の方が利用者が多いので、そっちの使用率があがりました。

真結:私は年齢よりも使っている仲間とかの移動で左右されると思います。「フェイスブック」で何々したよって書いても、誰も返事してくれなかったら絶対使わないし、逆にみんなが「ツイッター」などを大人になって使い始めたら、そっちの方にいくと思います。

菜子:私は今「フェイスブック」を使っていますが、おそらく今後も「フェイスブック」以外は使わないと思います。その理由としては、やはり本名じゃない名前でやっている他のサイトには抵抗があるからです。

■今後も拡がるソーシャルネットワーク
司会:ソーシャルネットワークの世界は今後どういうふうに進化していくと思いますか?

美穂:これからは無料でビデオ電話やチャットができるスカイプのようなツールがもっと増えて、インターネットを通して無料で世界中とつながることができるようになると思います。

真結:世界はこれからどんどんグローバル化していくと思うし、私たちも大きくなったら世界に出て行くようになると思うので、遠く離れていてもつながるインターネットとソーシャルネットワークはもっと利用者が増えていくと思います。

夕莉:今の大人の人たちは携帯を使い慣れていないので、あまり使用していないかもしれませんが、これから私たちが大人になるにつれて利用者も増えるだろうし、仕事でも使われることが多くなると思います。

友佳:私も、ソーシャルネットワークを利用する人の数は、今後ますます増えていくと思います。今「ツイッター」などが犯罪などに利用されるということが少しずつ起きていると思うのですが、今後利用者が増えるにつれて、それがより大きな問題になってくる可能性があると思うので、その部分をしっかり考えていかなければならないと思います。

菜子:最近は小学生がソーシャルネットワークを通して犯罪に巻き込まれるという事件も増えているので、今後は中高生のみならず、もっと下の小学生のプライバシー管理も力を入れていかないと、どんどん被害者が増えていってしまうのも問題だと思います。                                   以上

カテゴリー
国際

セルビア訪問(2記事)

 セルビア共和国は南東ヨーロッパのバルカン半島にあり、人口は約750万人、面積は北海道と同じくらいである。旧ユーゴスラビア連邦で、歴史的に戦争が絶えない地域でもあった。1990年以降、連邦の中で独立が相次ぎ、2006年のモンテネグロ独立に伴ってセルビアも独立宣言をした。
 このセルビアの首都ベオグラードで、8月1日から12日まで、第6回国際青少年メディアサミットが開かれた。ギリシャ、マケドニア 、ボスニア・ヘルツェコビナ、コソボなどのバルカン諸国をはじめ、米国、フランス、ドイツ、スエーデン、カナダなど16カ国から約50名の若者が集まり、世界が抱える諸問題を話し合った。  以下は日本から参加したCE記者の体験ルポである。

共通の思い
2011/09/11                富沢 咲天(16)

 8 月 1日から 12 日まで 、 セルビアの首都ベオグラードで 第6回国際青少年メディア・サミットが開催された。 サミット参加者は 世界の7つの問題別にグループに分かれ、 差別、貧困、暴力、保健、環境、女性の権利、若者の地位向上のテーマで解決方法を討議した。このうち貧困問題のチームに加わりながら密着取材をした。

 貧困のグループはセルビア人(男13才)、韓国系アメリカ人(女16才)、トルコ人(女17才)、コソボ人(男20才)、そして日本人の私の5人だ。1人1人個性的で、課題である1分間の映像を作るために多くのアイディアがでた。

 大きな画用紙を机の中央に置いて、どのようなコンセプトでストーリーにするかが 話し合われた 。

 貧困で苦しんでいる人たちを助けるにはどのような方法があるのか。短期的な方法は救援物資を届けることだろう。今生き延びるために必要なものを提供する。しかし一時的な援助物資だけでは貧困層の人たちは長期的に自立できない。 「安定した収入の職につけない→貧しい→教育を受けられない→安定した収入の職に就くことができない→貧しい」の繰り返しになってしまうといった意見がでた。

 注目されたのは 教育だった。 子どもたちがちゃんと義務教育を受け、読み書きや社会に出るためのスキルを身に着ければ、将来安定した仕事に就けるはずだ。それが負の連鎖の脱出につながるという考えで一致した。
 スクリプトを作るにあたり、どのようにして観客の興味をひくか、どのチームも苦労した。 繁華街や学校を舞台にするなど様々な意見が出され1つにまとめるのが大変だった。 1つ1つのシーンにこだわり完璧な映像にしたいという思いはみな同じだった。

 ベオグラードの街中で撮影し終わった後は、編集作業に取りかかる。だがメンバーたちは5大陸から来た様々な背景を持っており、 、場 面ごとのBGMの選択や挿入方法、場面のカットなど、みな自分の理想にこだわり何度ももめた。 提出締切日の前夜は、午前3時までみんなでひたすら編集作業をした。眠い中 互いを励まし合い、やっとの思いで映像作品を完成させていた。

 サミットの閉会式でそれぞれのチームが制作した 作品が上映された。 どのチームも感慨無量の表情だ。 撮影2日目でメンバーの1人がいきなりコソボに帰国してしまったり、セルビア人のメンバーの学校の友達が役者として協力してくれたり、いろいろなこととがあった。「長い時間話し合って夜遅くまで編集したかいがあったね」と誰もが 喜びを抑えきれなかった。

 交流のなかでギリシャ語やトルコ語、セルビア語など 、みんなでそれぞれの言語の簡単なあいさつを覚えた。サミット終盤、ナイジェリアの人たちが来た時には彼らの伝統ダンスを練習するなど文化交流も盛んであった。

 サミットに参加した多くの人たちが東日本大震災と原発事故に関して関心を示した。 「なぜ日本人は非常事態でも周囲の人のことを思いやれるの」「どうしてそんなにすぐ立ち直れるの」「復興までにはあと何年かかるの」などと様々な質問が飛んできた。
日本のことをそのように 心配してくれているとは予想していなかった。

 他国の若者と協力して、お互いの意見を取り入れながら一つの作品を作っていく ために 、お互いに関心を持ち、コミュニケーションを積極的にとることは大切であった 。ともに苦労した仲間とやりとげた喜びを共有できたことは、サミットに参加して本当によかったと思う。

Shape the Future (未来を形作る)
2011/09/11                南雲 満友(16)

 2011年8月1日から12日まで、南東ヨーロッパのバルカン半島にあるセルビア共和国の首都ベオグラードで、第6回国際青少年メディア・サミットが開催された。サミットのテーマは、世界の若者たちが映像作品を通して未来を形作る(Shape the future)。環境、貧困、差別、暴力、健康、女性の権利、若者の地位向上の課題別に、世界16カ国の若者が50名ほど集まり、1分間のビデオを作った。

 サミットに応募するにあたり、各自が関心のある課題について2~3分のビデオ作品を作って提出した。私は、3月11日の東日本大震災後、実際に仙台を訪ねて目の当たりにした瓦礫の山、福島第一原子力発電所の事故によって起きた放射能汚染、大津波による塩害を例に、震災後の日本の環境の変化についての作品を作った。サミット3日目に参加者たちの前でこの作品を発表する機会があり、外国人から多くの質問を受け、震災が世界に与えた影響について考えさせられた。

 私が参加した環境グループは、アメリカ人、トルコ人、ボスニア・ヘルツェコビナ人そして日本人の私の4人だった。グループ活動が始まると、意見交換を経て、ビデオのスクリプトとストーリーボード(絵コンテ)を作った。3つのアイディアが出て、グループ内に意見の食い違いが生じた。自分の意見を主張しながらも、相手の意見に耳を傾け、その妥協点を探ることが大変だった。しかし、この意見の食い違いが、作品をよりよいものにしたと感じている。私はグループの代表として、参加者の前でスクリプトを発表した。

 1分間というのは、短いようで長い。1シーンを色々な角度から撮影し、それぞれを効果的に挟みながら編集することで、やっと1シーンが完成する。それが積み重なり、1分間のビデオ作品となるのだ。環境グループのビデオは、パラレル・ストーリー(2つのストーリーを並列させる)だったので、環境に敏感な人と無頓着に汚染する人を対照的に表現することが大変だった。

 ビデオ作品とは別に、参加者全員がテーマの問題についてアピールする1分間の宣言文を作成した。私はサミット応募のために作成したビデオで主張したことを、宣言文に反映させ、原子力エネルギーや海洋生物の生態系が、世界で議論されるべきだと主張した。この宣言文は、グループの代表として選ばれ、ビデオに収録された。英語での宣言文に最初は緊張して、言葉に詰まったり、表情が硬くなってしまったが、音声の不具合で再度挑戦する機会をあたえられた。撮影前に言われた「これからあなたが輝く時間だよ」という言葉で、自信を持って撮影に臨むことができた。

 サミットの閉会式で各グループのビデオ作品と宣言文が上映された際、これまでの10日間が走馬灯のように駆け巡り、グループの仲間と1つのものを作り上げることができた喜びをわかちあえた嬉しさで、胸がいっぱいになった。また今回Youth Committee(実行委員)のメンバーに選出されてことで、責任感とともに、自信がついた。

〝違う″ということは決してマイナスではない。育った環境も考え方も違う同世代の若者が集まり、議論を重ね、時にはぶつかり合いながら、アイディアを出し合い、1つのものを作り上げていく過程で自分の意見に真っ向から反対されたり、同じことを考えていても表現方法が違ったりするが、この違いが化学反応を起こし、大きな力になった。様々な国の同世代の若者から発せられる意見やアイディアの1つ1つが、魅力的なエッセンスのようであった。〝違う″ということを恐れない。これも大切なことだ。自分と他人が違うのは当たり前。臆病にならず、自分の意見をはっきり主張し、相手の意見にも耳を傾けることがよい議論、そしてその先につながっていくと感じた。

カテゴリー
座談会

首都圏の若者が考える電力・エネルギー問題

出席者:持丸朋子(16)、青野ななみ(17)、富沢咲天(16)、南雲満友(16 司会)
2011/07/25

東日本大震災という大ニュースに自ら接したCE記者4人が体験的ラウンドテーブル(RT)ディスカッションをしました。

司会:3月11日に起きた東日本大震災。津波の影響で東京電力福島第一原子力発電所の1~4号機が浸水し、発電所としての機能を失いました。この影響で計画停電や節電などで私たちの生活が一変しただけでなく、イタリアでは原子力発電に関する是非を問う国民投票が行われたり、国内外で原子力発電の見直しや再生可能エネルギーによる発電が注目を集めています。今回は「次世代を担う私たちが考えるエネルギー」をテーマに話を進めていきます。まず、原子力発電について皆さんはどのように考えていますか?

ななみ:原子力発電はやはり発電コストが安く、私たちの生活を続けていくうえで欠かせないものだと思っています。

朋子:安価で安定した供給ができて、二酸化炭素の排出も少ないというメリットを持ちながら、今回の地震でもわかったように、安全でないというデメリットも持っているので、生活には必要なものですが危険なものだと思います。

咲天:事故が起きた時にとても危険で、後の処理にとてもお金がかかるし、廃棄物をどこに埋めるかとかいう問題もあるので、デメリットもすごく多いと思います。

満友:原子力発電は化石燃料と違って、発電の時にCO2を出さないという点でクリーンなエネルギーとして注目を集めてきましたが放射性物質に汚染されたものの廃棄や賠償金を含めるとコストは安いとは言えなくて危険だなと思いました。■安定供給か安全性か
司会:では原子力発電について、まず利点について聞きたいと思います。皆さんは原子力発電の利点についてどのように考えていますか?

ななみ:CO2を出さない、燃料が少しでいい。
満友:日本へウランを供給している国、例えばカナダとかオーストラリアも政情が安定しているから、安定して供給が期待できるのかなと思います。

司会:逆に今回の原発事故をきっかけに様々な欠点が露呈しました。
朋子:住民にきちんと原子力発電の危険性を伝えられていないまま、東電や国などの利益を求めることを優先して作って、このような事故が起きてしまったことが一番問題だと思います。

ななみ:問題点は大きく分けて二つあります。一つ目は高レベル放射性廃棄物の最終処分地が決まってないということで、これは永遠に地球上にあるということです。二つ目に軍事転用されるのではないかという危険性です。テロへの危険という面でもとても危険だと思います。

■高コストだった原発
咲天:日本は、原子力発電に依存しすぎていることが欠点だと思います。また放射性廃棄物の処理ももし地下深く埋めたとしてもまた地震が起きて、その放射性物質が出てきてしまうという危険もあるのでとても危ないと思います。

満友:自然エネルギー庁が2010年に調べたもので原子力発電は1キロワット当たり5~6円なのに対して、太陽光が49円という8倍とか9倍の数になってしまっているけれど、これは今回の事故で原発は賠償金とかの問題を入れると莫大なお金が必要だっていうことが、みんなに知れわたったのではないかなと思っています。

ななみ:依存しすぎという意見があったでのすが、現在私たちの国の原子力発電は発電エネルギーの約3割と言われていますよね。しかも今節電していると意外とできるんじゃないかという雰囲気があります。それでも私たちは原子力に本当に依存していると思いますか?

朋子:何年かして以前の生活に戻った時に、やっぱり今のままでは電力が足りなくて、もとの依存する形になってしまうと思います。

満友:自然エネルギーは現在発電エネルギー全体の1.1%しかなくて、もし原子力エネルギーが無くなってしまったら、私たちも今まで当たり前だと思っていたことができなくなるし、経済も低迷することになってしまうと思うので、やはり依存しているのかなと思います。

咲天:例えば太陽光発電だと曇りの日は発電量が少ないとか。でもそういうことは原子力発電にはないから、一番安定供給ができる原子力発電がいいという考えに依存してしまいそう。

■危険でも頼らざるを得ない?
司会:危険だとわかっているのに依存してしまうのは、原子力が一番安定的に供給できるからでしょうか? 

ななみ:今確かに日本ではまだ1,1%かもしれないけれど、世界的に昨年の電力使用量の20%は再生可能エネルギーだったので、進んでないのは日本だけだと思う。
朋子:今までの日本は、国や一部の会社の利益を求めて原発を使っていて、私たちはそのデメリットを知らなくて、隠された部分を知らなかったので、原発に依存していったんだと思います。事故があって、この危険性がわかって、国民も危険なんじゃないかという意識を持ち始めたので、これからは依存しない方向に変わっていくのかもしれないと思います。

司会:今は原発は危険だとわかったけれど、それでも今までの生活をするにはどうしてもこの自然エネルギー利用が1.1%ではできないということで、結局は原発に頼らざるを得ないと思うんですけど、それについてどう思いますか?

朋子:原発をすべて廃止することは、経済とかいろんな面で無理かもしれないけれど、今の約3割を原発が担っているというのを変えて、他のものでも電力を供給できるようにすれば、原発の危険性も少なくなり、原発が少なくなっても他で補えるというふうになると思います。

■自然エネルギーに知恵を生かそう
司会:皆さんの身近なところで自然エネルギーを見かけたり、使用していたりするところはありますか?

咲天:私の卒業した小学校が太陽光発電を導入していて、それを小学生たちにどのような利点があるのかというのを教えていました。

朋子:各家庭でやるには大変かもしれないけれど、会社や学校などの大きなところがやるだけでもかなり違うのかなと思いました。

ななみ:新聞で読んだ話ですが、福岡では下水処理の過程で発生するガスを使っていたり、宮古島ではさとうきびのカスを使って発電に取り組んでいたり、地域の特産物を生かした取り組みというのもされているという話を聞いて、資源がないと言われている日本でも、様々なものを活用しくのはいいなと思いました。

司会:では具体的にどの再生可能エネルギーに注目していますか?

ななみ:今日本では太陽光発電装置の技術力が高くしかも電力の使い方の効率が良いと言われているので、やはり今普及しはじめている太陽光をこのまま使っていくべきだと思います。それに加えて波力や潮力を使った発電にも注目しています。日本は資源が無いと言われていたのに、島国でこんなにも海があるのだから波を使おうよって思います。

咲天:日本は火山がとても多い国なので、それを利用して地熱発電をどんどん進めていけば電気はけっこう作れるのじゃないかと思います。

満友:私は風力発電に注目しています。岩手県のある町では風力発電に適している土地がたくさんあって、町に15基設置されていて、全部合わせると一万世帯分をまかなえるということです。その土地に合った発電方法を進めていくことが一番いいと思います。

朋子:私は一番多くの人がやりやすい太陽光発電をメインに、それぞれの発電がある程度の割合を占めれば、どれかができなかった時にもそれぞれで補えるのでいろいろなやり方で発電をしていくのがいいと思います。

満友:岩手県のその町でもっと風力発電の設備を建てたいと言っているのですけど、風力を新しく設置して売電するには、送電網への接続を東北電力に認めてもらう必要があるそうです。それも40倍の倍率で抽選をしないといけないし、送電網と発電を同じ会社が持っているので、再生可能エネルギーが普及しない原因にもなっているのだと思います。

■競争で技術革新に期待
司会:その点に関して、今、発電会社と送電会社が同じために再生可能エネルギーを活用したくてもできないという現象がいろいろなところで起きているのですが、皆さんは発電会社と送電会社を別々にするべきだと思いますか? それとも運営に関して効率がいいから今のままの方がいいと思いますか?

ななみ:私は、理想は別々にすることだと思います。現在東京電力や関西電力などの電力会社が完全に独占市場で、競争相手もいないためにこのような事態になったというのが大きいと思います。

咲天:やはり競争相手がいると値段も安くなるし、技術もどんどん良くなっていって、よりいいものができると思います。
満友:別々にすることで再生可能エネルギーを取り入れたいと思っている自治体も動きやすくなるし。司会:自然エネルギーは安定供給が難しいのが欠点として挙げられています。
ななみ:それは現在自然エネルギーにあまり着目されていないからだと思います。自然エネルギーを増やそうということになって、予算が増えて競争が始まるとどんどん技術が革新していって、それによってより安定して発電できるようになると思います。

咲天:いろんなエネルギーの発電の方法を共存させながら、自然エネルギーがもっと発達していって、原子力発電がもういらないという方向性に持って行けば、「脱原発」というのが成功できると思うし、環境にも一番優しいと思います。

満友:二つを一緒に使っていけばお互いの悪いところを補っていけるし、原子力発電と自然エネルギーを両立していくという考え方も必要ではないかと思いました。

■節電を体験して
司会:節電をするという今の状態を続けた方がいいのか、それとも続けない方がいいのでしょうか。

朋子:日本では蓄電設備があまり普及していないので、電力はとっておくことができないから、結局は100%使っても60%でも同じで、100%までならば電力を使ってもいいと思うのですが、それを超えて供給に問題が出るのは良くないと思います。

司会:それは節電に対する取り組みを続けていかない方がいいということですか?
朋子:極端に節電をするのではなくて使用できる範囲では電力を使っていいと思う。例えば28度の設定はみんなが我慢すればいいことだからそこは節電をする、でも工場が止まって社会に影響が出るっていうのは困るのでそこは使って、それで100%のなかにおさめればいいと思います。

ななみ:私も極端に節電をすべきではないと思いますが、自然エネルギーに早急に切り替えて行くべきだと思っています。自然エネルギーによって新しく生まれる雇用が50万人であったり60万人であったり、また及ぼす経済的な効果というのが2030年までに64兆円と言われていて、私たちが思っているよりも自然エネルギーに変えていくことで利益は生まれるので、今の経済をどんどん活性化させていくためにも自然エネルギーに変えていくべきではないかと思います。

司会:原発のストレステストが今取り沙汰されていますが、新しいエネルギーと原子力発電をどのように活用していくべきだと思いますか?

咲天:段階的に原子力の量を減らしていって、逆に自然エネルギーを増やしていくようにすればいいと思います。

ななみ:自然エネルギーというのは1~2年では結果は出せないと思うので、長い目で見ていかなければいけないので、その間は火力であったり他のエネルギーにどんどん頼らなければいけないかと思います。でも私は日本人を本当に誇りに思っています。震災から1ヶ月もすれば百貨店やスーパーでは節電グッズが山ほど並んでいるのを見ていると日本だからこの光景を見られたので、秋になったらまた新しい何かが発明されるのではないかとひそかに期待しています。

■理想は自然エネルギーだが
司会:次世代を担う私たちはどのようなエネルギーをこれからの時代選択していくべきだと考えていますか?

ななみ:まず子供たちが安心して生きていける社会を作っていかなければいけないと思います。そのためには目に見えない放射能という、30年後もしくは近い将来体に大きな影響を及ぼしてしまう物質を流してしまうような発電方法はやめていかなければいけないと強く感じています。

朋子:私も原発は危険性などの面からなくすべきだと思います。その代わりとして、新たな方法で電力を作ることによって安全に発電することができて、今は使われていないものも活用できるのでいいと思います。

咲天:私たちは再生可能エネルギーを選択していくべきだと思います。放射線の影響のない安全な発電のしかた、また地球に優しいという二つの利点があるのでそれをどんどん後押しするために、固定価格買い取り制度などで政府がそのように動くように、私たちも声を上げていくべきだと思います。

満友:今の放射性廃棄物処理の問題は地層に埋めても一万年以上の管理が必要ということで未来の子供たちや私たちの世代にも関わっていく問題だし、健康の問題も原発だと30年経ったら白血病になったり甲状腺がんになったりしてしまうことなので、原発を止めるべきだなと思います。でもそうは言ってもやはり経済活動を進めていくためには大量の電力が必要なので、今は自然エネルギーをもっと取り入れるために技術を開発して、その自然エネルギーでまかなえない分を原子力でまかなう、その二つで共存していくようなエネルギーを選択するべきだなと思います。

咲天:それは原子力発電をずっと使っていくっていうことですか?

満友:今の54基ほど多くなくてもっと減らして、自然エネルギーを主体にして、補えない部分、工場とか大規模な生産を行う場所とかを原発でもっていくのかと思います。

朋子:今回の事故ほど大きくないとしても、また同じようなことが起こる可能性はあると思うんです。それでもあった方がいいと思いますか?

満友:ストレステストなどを行ってほんとに稼働してもいい状況を判断して、続けていった方がいいのではと思います。

ななみ:原発の中心の材料になっているウランは今のまま使っていくと100年後には無くなると言われていますが、それに対してはどう思いますか?

満友:確かにウランは100年後に無くなると言われているけれど、他の今考えられているエネルギーよりも埋蔵量は多いので、原発が補助的な役割でいれれば100年にはならないのかなと思います。

朋子:先ほどの話にあった核燃料の廃棄も、今のところではずっと地球上に残ってしまうもので、もしかしたら将来廃棄の方法が見つかるかもしれないけれど、もちろん見つからないという可能性もあり、その点でも問題だと思うんですがどう思いますか?

満友:確かに放射能廃棄物処理の問題や今回の事故と同じようなことが起こるかもしれないけれど、経済を考えると、原発と自然エネルギーを両立していくべきだと思います                                   以上

カテゴリー
座談会

首都圏の若者が感じた震災後の生活の変化

出席者:青野ななみ(17)、堀友紀(17)、富沢咲天(15)、南雲満友(司会、16)
2011/06/19

東日本大震災という大ニュースに自ら接したCE記者4人が体験的ラウンドテーブル(RT)ディスカッションをしました。

司会:3月11日に起きた東日本大震災以降、私たちのまわりで 、計画停電やスーパーでの買い占め、また地震の直後には、帰宅困難者が駅や主要幹線道路にあふれかえりました。今でも(6月段階)電車は日中7~8割の運転になっている鉄道もあり 、夏には電力不足になる恐れがあると言われています。そこで首都圏の若者たちが身のまわりで起きた震災後の生活の変化について聞きたいと思います。
まず、3月11日、地震が起きたとき、どこで何をしていましたか?

咲天:私はその時、ちょうと学校が早く終わったので、家に母といました。

友紀:私はその日学校が休みで 、家で母と二人でいました。

ななみ:私はチルドレンズ・エクスプレスの事務所にいました。

満友:私は クラブ活動から帰ってきたところで、家で祖母と二人でいました。

咲天:私は母とずっと一緒にいたので大丈夫だったのですけど、父とは連絡が取れなくてすごく不安でした。

ななみ: 意外と携帯がずっと通じていました。メールも送れて母からも父からも連絡があったので、携帯が通じなくて 心配ということはありませんでした。

友紀: 震災のことで一番心配だったのは弟でした。部活から帰る時に一度連絡があった直後に地震が起きて 、 、その後どこで何をしているかがまったくわからなくて、とても心配でした。

満友:父や母は会社にいて、携帯電話をかけてもなかなか通じず、家の固定電話でかけるとすぐに通じました。携帯電話は今までどこでも通じて便利だなと思っていたので、 びっくりしました。

買い占めは悪い?

司会: 今回の震災では私たちの食卓にも影響が及びました。スーパーの買い占めです。実際買い占めを行いましたか?
ななみ:はい、し ました。もし家に閉じ込められてしまった時に困るので 二週間分の食料 が今は 用意されています。

咲天:私はとても不安で非常食 などを買おうって思ったんですけど、母はそれは買い占めだからよくないと言っていて、とりあえずお米だけを買いました。

司会:どうして買い占めが起きたと思いますか?

咲天:またいつ地震が来るかわからないし、放射能が怖くて家にずっといなくてはならないかもしれないので。

友紀: 母がその日に使う分だけの食材しか買ってこないので、私は心配になって、もっと何か買ってきた方がいいんじゃないかって言ったら、今みんながパニックになって、同じことを全員が してしまうと悪循環しか起こらないし、それで必要な人に物が渡らなくなってしまうのもよくないので、ということで買い占めは行いませんでした。

満友:私の家でも買い占めは行いませんでした。 どうして買い占めが起きたのか考えたところ 、一つはやはり人々が不安になったこと、そして放射能の影響。もう一つは無くなってしまうという人々の不安が増幅して、それが噂としてまわって、ほんとに無くなるんじゃないかという話になって拡がってしまったのかなと思います。


司会:その意見に対してどう思いますか?

ななみ:私が思ったのは、確かにスーパーですぐ買ってしまったら必要な人にまわらないかもしれませんが、私の家の場合はネットで、例えば京都の方から全部取り寄せたりしていたので、そういう方が経済も活発になるし、必要かなと思います。

咲天:私も被災者の人たちに食べ物 がまわらないっていうのは思ったのですけれど、自分の家族がもし食料が手に入らなかったらということを考えると、 食料を貯めておかないと危ないという考えの人が多いんではないかと思います。

友紀: わかっていても、やはり自分のことを優先してしまう人が多かったんじゃないかと思います。

自粛ムード

司会:そのことに関連して、消費の自粛ムードというのが話題になりましたが、みなさんは自粛していましたか、それとも経済を活発にするために物を買っていましたか?

ななみ:私は自粛ムードは反対です。 自粛、自粛っていうのは、ただ経済を活発にさせないだけの話になってしまうと思います。

友紀:私は 時と場合によって違うと思います。もし物資が足りていない中で、自分がここで買い占めたりしたら無くなってしまうと考えた場合は、必要最低限に抑えるべきだと思うのですが、例えば京都とか大阪から物資を買ったり、被災地で作っている物を買ったりするのは経済的にもいいことだと思います。

咲天:私は自粛に反対です。やはり経済のことを考えると悪影響を及ぼすだけだし、被災地の人たちのことを思っても、やはりそういう自粛はよくないと思いました。

満友: もし私たちが物を買わないと経済がまわらなくなって、それが被災地の復興にも関わってくることだと思うので反対します。

司会:自粛と買い占めのバランスについて、 どうしていくべきだと思いますか?

咲天:私が思う自粛と買いだめの違い は、やはり買い過ぎないこと。自分が必要な分だけ買うこと を意識することが大事なのだと思います。

友紀:私が震災後にスーパーなどに行って見た人たちの買っている量を見ると、そんなに買っても、もしほんとに震災が起きた時に、その食料を家に置いておいたからといって、全部使えないんじゃないかなというふうに思いました。


ななみ: 買いだめといってもそれが一ヶ月二ヶ月続くわけではなくて、一時的なものだったから、それは今回もう経験しているし、例えば東京で大きな震災があって、 スーパーとかには無くなったとしても、一時的だからしばらくたったら、けっこうすぐ戻るのではないかなと私は思います。

満友: 必要な分だけ買って普段通りの生活をしていくことが、一番バランスを取る方法なのではないかなと思います。

咲天:自粛は物を買う以外にも、例えば遊びに行くとか、そういうのをみんな自粛していて、それもやはり復興にはつながらないんだと思いました。

計画停電

司会:次に計画停電について聞きたいと思います。今まで当たり前と感じていた電気が、東京電力福島第一原子力発電所の事故を境に計画停電が実施され、今日本では節電が注目されています。計画停電が実施されると聞いた時、どのように感じましたか?
ななみ:私は、今まで停電というものは数えるほど しか経験したことがなかったので、街全体が一気に電力を落としちゃうなんて怖いなと思いました。

友紀:私は計画停電には賛成でした。 自分だけがいつも通りの 暮らしをす るのではなくて、 その計画停電をすることによって、電力不足がまかなえるのであれば、それはいいことだと 思いました。

咲天:私も計画停電に賛成で、特に悪いということは思わなかったんですけれど、やはりいつも生活で電気を当たり前のように使っていたのが、急にそれが無くなるっていうのはとても不安で、懐中電灯を用意したり、寒さ対策をしたりしなければいけないので大変だなとは思いました。

友紀:今回の計画停電で、私の家は比較的停電が多い地域だったので、この停電で今までなかった生活の知恵とか、どう したら電気の使用量を抑えられるか をすごく学んだ気がします。

ななみ: 、なぜ23区の電気を消さずに神奈川とか埼玉とか千葉とかの方を消していくのかというのは私には理解できませんでした。確かに千代田区などには 行政機関があるというのはもちろんあると思いますが。

咲天:私は計画停電で少し悪いところもあるなと思ったんです 。 お年寄りや 病人とか赤ちゃん連れの人たちが例えばエスカレーターやエレベーターが動かなくなったり、少しは眼が見えるけど暗いと見えないという人たちもいると思うので、照明がな いと困るという人たちもたくさんいたと思います。

司会:友紀ちゃんは 計画停電に備えて家庭で行ったことはありますか?

友紀:計画停電は、時間が最初から何時というふうに前日にはわかっていたので、その時間になると電気がすべて使えなくなるのはわかっているので、食料も腐ってしまうし 、なるべく使う分だけを買って、ご飯 もなるべく計画停電が始まる前に食べ終えて、お風呂も入ってしまってというふうに、時間帯を考えた生活のリズムを作っていました。

司会:咲天ちゃんとななみちゃんは家が計画停電に入らなかったと聞いたんですが、計画停電に入らないっていうのを聞いて、自分たちにできることは何かと考えて、何か行動をしたりしましたか?
ななみ:私の家では節電に協力しています。本当にできることは確かに小さくて、例えば電気をこまめに消すとか、冷蔵庫をすぐ閉めることしかできないんですけど、何か絶対役に立っていると思いながら地道に行動してます。

咲天: 普段は節電とかあまり意識していなかったので、やっぱり電気を消すことは節電につながるっていうのを実感しました。

友紀:実際、計画停電を私たちの地区でやってみると、こんなにもやりくりすれば生活ができるんだなって 思って、今までどれだけ電気を使っていたんだろうっていうふうにすごく実感しました。計画停電はあったんですけど、それ以外の時間でもなるべく電気は使わずに生活 するようにしました。

満友:私の家では、夜電気を消して、ろうそくの光とテレビの光で生活したり、後は暖房などを使わないようにしたり待機電源を切ったり と、自分たちが計画停電の範囲に入らなかったからといって電気を使うのではなく、逆にそれをありがたいと思いながら、何か自分たちで協力できることはないかと思いながら生活をしていました。

原発事故で意識が変わった?

司会: 原子力発電所の事故を境に、今まで当たり前だと思っていた電気について、 意識が変化したと感じますか? またそれはなぜですか?
友紀: みんなが電気をなるべく使わないようにしていたのはほんとに目に見えていて、それは学校でも 、各家庭とか会社でも行われていたと思うので、電力をなるべく使わないようにしようという意識はみんなの中にはあったと思います。

咲天:私も友だち同士で節電して、例えば教室移動の時は必ず電気消そうとか、普段忘れていたことも意識してやるようになったし、 ツイッターとかフェイスブックでもみんなが節電しようって呼びかけていたので、 そう思っていた人たちは多いと思います。
ななみ: みんなの意識は高まったと思います。学校では今までエレベーターが使えなかった時には みんな文句言っていたのに、今回 はみんな黙って階
段を使って 節電に協力しようという意識は高まったと思います。と同時に、私は東京電力に対する意識が高まりました。今回このようになったのは、東京電力が想定することがあまりにもできていなかった、津波に関してもあまりにもできていなかったということが大きいので、なぜそ うなってしまったのか、行政のあり方というものにすごく意識が高まって、新聞とか本を毎日欠かさず読むようにしています。

満友:私が一番感じたのは、駅とかヤフーやグーグルのトップページに、電気の消費量が何%って出ていて、事故が無かった時には電気の消費量なんて考えるということがなかったけど、私たちの意識が変化したと思います。


司会: テレビや新聞では政府機関や放送局、大きな企業がある23区を計画停電に入れるということは景気が後退して経済に打撃を及ぼすと書いてあったのですが、そのことに関してどう思いますか?

ななみ: 今回のこの教訓を生かして、政府が東京に集中しているからというのであれば、例えばちょっと分散させてみたりというのも一つの手かなとは思います。

ななみ: ただ、当日の天候や電気使用量によって左右されてしまうので、かなりむずかしいということがわかりました 。そこで、計画停電を東京23区でも実施する方法として、病院や消防署とか必要なところに電気を供給する送電線を一般家庭と分けるようになるべくシフトしてきているというのを新聞で読みました。それをもっと進めていけば、一般家庭では計画停電を行うけど、その間は病院は普通に動いてるという理想的な状況ができるのではないかなと思います。

友紀: 私の家は最初発表されたものには3つの地域にまたがっていて、どれを信じたらいいのかわからず、その計画のまま行くと、私の家では一日の半分以上がずっと停電状態ということだったので、もっと詳しく決まったものをきちんと出すべきだったのではないかと思いました。

咲天: 病院とか緊急の場合のことを考えると、やはり少しでも停電があるととても不便になってしまうし、できれば民間の住宅だけを停電にすればいいと思ったんです。それができないと東電が言っていたので、やはりみんな節電をがんばって、なるべく電気を使わないようにするという方法しかないのではないかと思います。

震災後の変化について

司会:最後にこの震災による身の回りの生活の変化について、感想を聞かせてください。
ななみ:今回のこの地震によって、まず若者たちが今まで当たり前だった電気が使えなくなったりして、すごく意識が高まったというのが一つあげられます。私もそれを実感しました。今このRTを通して感じたことは、長期的な目標を達成するために今やらなければいけないことというのが変わってくるのだなということでした。

友紀:今回メディアや新聞でもよく報道されていたのですけど、この震災を通して日本人の良さというものがすごく見えたではないかと思います。電気のこともそうですけど、自分が何かしなければと行動を起こそうとする人が増えたことで、他人のことを考えるということがすごく増えた気がして、よかったのではないか。今回の震災があったからこそわかったことがたくさんあったのではないかと思います。

咲天: 発電が原子力はよくないとか、送電線の問題がいろいろあって良くないとか、東京にすべての機能が集中し過ぎているから良くないとか、そういう問題点を見つけることができたので、これは将来のためになったと思います。このようなことがあったから、もし次に大きな震災が首都圏にきても日本は今ほど混乱しないのかなと思います。

ななみ:今回この地震によって世界に与えた日本の影響というのもすごく大きいなと感じました。例えば原子力発電所を止める、止めないという選挙を行ったり、ドイツは止めると宣言したり。今回の大震災では 多大な犠牲者が出て しまったし、いいことでは決してないのですが、もし東京であった場合、どこどこであった場合というふうに今後にそれを生かしていけたらと思います。そのために私も日々節電に協力します。

友紀: すごい被害をもたらしてしまったし、全然いいことではなかったんですけど、関東大震災や 阪神淡路大震災からも一歩ずつ、大震災が起きるごとに問題点がわかって、前回の問題点が今回の震災に生かされているし、今回わかった問題点もまた次の震災の時に生かされて、この自然災害も少しでも被害を防げるようになっていけるのではないかなと思いました。

満友:今回の東日本大震災で私たちの生活は一変して、今まで当たり前だと考えていた電気に対する人々の意識が変わったような気がします。今までは節電についてあまり意識はしなかったのですが、 人々が原子力という電気のエネルギーについても意識したし、計画停電が起きたことによって、病院などに対する送電線の問題も発見できたので、これを次に震災が起きた時に生かしてほしい と思います。そして私たちもできる限り被災者の方の現地のためになるように、節電などを協力していくこと、できることはひとつひとつ 協力していくべきだ と感じています。

以上

Translate »
コンテンツへスキップ