5時間経過した午後2時の時点で、警官がメガホンを片手に持ちながら叫んだ。「機械の故障のため、1時間に15人しか入れない。フェンスの中にいる人は3時間、フェンスの外側にいる人はあと6時間かかる。」と言われた。私たちはフェンスの外側にいて、もう絶望的だった。しかし、今日パスをもらわないと、明日も入れない。はるばる日本からCOP15のために来たのだからなんとしても中に入りたい。その強い意志で、もうしばらく並ぶことにした。 そんな中、ある団体が無料でコーヒーを配っていた。風力発電で沸かしたお湯で作られたコーヒーだという。寒くて疲れていたせいもあるが、温かく香ばしいそのコーヒーは普通の喫茶店などで販売しているコーヒーよりはるかに美味しく感じた。 また、長時間待っている人たちのために、サンドイッチを配っていたNGO団体もいた。この団体は、「C02の排出量の40%は畜産業が占めており、1ヘクタールあたり牛を育てて食べるより、作物の方がより多くの人が食べることができる」というデータをもとに、「ベジタリアンになろう!」と鶏の着ぐるみを着てアピールしていた。 さすがCOP会場の周辺だけあって、いろいろな団体がそれぞれの手法で温暖化防止を訴えている。 7時間が経ったころ、会場からチラシが回ってきた。そこには「長い間お待たせして申し訳ありません。会場は収容人数を超えて大変混雑しております。中の人たちが出てくるまで、お待ち下さい。」と書いてあった。これを読んだ人たちは皆激怒した。なぜなら、会場内にいた人たちは続々と出て行っているのに長蛇の列が全然進まないからだ。人々は「Let Us In!」などと叫び始めた。 私たちが並んでいる間に、6人の韓国人メディアグループに会った。彼らも私たちのように何時間も待たされていた。「メディアでさえ入れないなんておかしい!」とかなり怒っていた。大きなテレビカメラをかついでいる人がちらほらいたのは、NGOだけでなく、メディアも入れなかったのだ。
8時間経ったころ、NGOとメディアに分けられた。そしてメディアは少しずつ中へ入っていった。しかし、NGO側は何も動かない。前に進んだ!と思ったら、みんなが横に広がっただけだったり、前の人との間隔が段々狭くなっていた。最終的には、東京の朝の電車の通勤ラッシュ並みにぎゅうぎゅうになった。そして、人々は「Shame On UN !」などと叫び始めた。 結局、入場は午後6時で締め切ると言われ、私たちは5時半に泣く泣く引き上げた。
COP最終週の始まりである12月14日、ベラセンター前には入場許可証の登録を待つ人が長蛇の列をつくった。その列は隣の駅まで続いていた。NGOやメディアの人々である。私たちもそのグループの中の一つで、朝9時から並んでいた。だが、列はなかなか進まない。雪のちらつく中で、国連からのアナウンスは昼ごろの「登録手続きの機械の故障のため一時間に15人しか入場できない」と、夕方前の「入場者が大変多く、会場内の人が出ないとこれ以上人を入れられない」という報告だけだった。この時点で収容人数1万5千人のセンターに1万7人が入っていた。 「Let us in!」、「Shame on UN!」、「Explanation!」とNGOやメディアの人々が声をそろえて叫びだしたのは、その報告のしばらく後だった。会場内からぞくぞくと人が出てきたにも関わらず、外で待っている人々は一向に中に入れなかったためだ。複数の警官がガードしているフェンスに向かって、人々は強く訴えかけた。 「What do you want? ――― Entrance!」「When do you want it? ――― Now!」。 そして、本来はNGOの人々とは別枠であるはずのメディアは、ようやくNGOの列と別に列が設けられ、しばらくたってから入場することができたようだった。
国連が待ちくたびれたNGOの人々にようやくはっきりとした説明をしたのは、17時30分になってからだった。「本日はもう人は入れられない。明日の朝8時にここで並べば登録手続きを開始する」。大ブーイングが起こるも、少なくとも午前7時頃から並んだ人々は入れることはできなかった。 翌15日、私たちが午前7時にベラセンター駅を降りた時にはすでに多くの人が集まってきていた。ところが、ここにきても国連のアナウンスは矛盾していた。「Secondary Card」と呼ばれ、COP第二週目の入場制限のためのパスを持っていない人は入れないというのである。このパスは第一週目の「バッチ(登録証)」を持っている人しかもらえず、前日に登録できなかった私たちはバッチを持っていないという理由で会場内に入るのをあきらめざるを得なくなった。 結局、NGOの中でSecondary Cardを入手して会場に入ることができたのは世界的に名が知れていて実績のある大きな組織だけだった。その組織ですら入場する人の数を制限され、水曜日からはNGO関係者は一切入ることができなかった。これは異例の事態である。COPの常連という経団連の女性は「バリ会議のときもケニアでもこんな不都合はなかった」と不満気だった。 困っていたのはNGOだけではない。30年間環境問題を追い続けてきた韓国の新聞記者Cho Hong Sup氏やベルギーからのテレビ局のカメラクルーなど各国のメディアも8時間以上並ばされるという事態に驚いていた。 国連の不手際もさることながら、これほど予想をはるかに上回る人が駆けつけたCOPも今までなかっただろう。注目度の高さは重要性を示す。あれほど多くの人々が世界の国・地域からコペンハーゲンへ来て、強くCOP15の現場にいることを願望する様子は、まさしく世界の人々の環境問題への危機感を表しているように見えた。 今回、多くのNGOの人々が会場にすら入ることができなかったのは大変残念だった。これらの人々の熱い意思も決議に取り入れられるべきである。
International Youth Media Summitに参加して 2008/09/15 藤原沙来(18)
2008年8月20日~27日、セルビア共和国の首都ベオグラードにて3rd International Youth Media Summitが開催された。セルビア共和国・ブルガリア・キプロス・ナイジェリア・スウェーデン・アメリカ合衆国・韓国・日本など18カ国から集まった15歳~22歳の若者たちが“健康、貧困、環境、人種差別、暴力、女性の権利、若者の地位向上”をテーマにした映像と宣言書を作った。
2008年5月21日~24日、神戸市で「子ども環境サミット in KOBE」が開催された。これは民間主導型のG8環境大臣会合関連事業で、日本を含む21カ国から子どもたちが集まり、環境問題について意見を交わし未来へのメッセージを世界へと発信しようというものだ。 このサミットには、ブリティッシュ・カウンシルが選んだ「国際気候チャンピオン」(日本を含む13カ国から選んだ高校生39名)と日本国内から選んだ「気候チャンピオン」(小学生から高校生たち7名)も参加した。国際気候チャンピオたちは、こ
カンボジアは1975年のポル・ポト政権によって知識人が虐殺されるという歴史を持つため、現在でも文字の読み書きができない人が多い。義務教育制度はあるものの、浸透していないという現状もある。そのなかで、カンボジアの子どもたちはどのような教育を受けているのだろうか。2007年3月27日~4月1日の間、 CE 記者としてカンボジアへ行くことになった。