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Hope+Copenhagen

Hope+Copenhagen
                               富沢 咲天(14)

 コペンハーゲンの市庁舎広場の中央には巨大な地球儀がある。そこでは「Hopenhagen」というイベントが開催していた。周りにはたくさんのブースが並んでおり、それぞれで環境に関係する取り組みを紹介している。さっそくHopeにあふれた取り組みを取材した。
 最初に入ったブースには、タイヤがとても細い自転車が2台飾られていた。「これが僕の自転車だよ」と紫の自転車をさしてデンマーク人のTau Kallehaveさんが説明してくれた。 「自転車はコペンハーゲンの人たちにとって、車より早く移動できるしエコだからとても大事なんだ。それにコペンハーゲンは平らな土地だから自転車に最高な場所なんだよ」と嬉しそうに話してくれた。たしかにこの街を歩いていて坂が1つもないのに気がついた。自転車専用道路がちゃんと整備されていて、車を持たなくても生活ができるようになっている。ブースの前にもたくさんの自転車が通り過ぎて行く。クリスチャニアバイクという、子供を乗せる荷台のついた三輪自転車もよく見かけた。ちらちらと雪が降っている寒い氷点下でも子供たちは当然のように自転車の前カゴに乗っていた。日本のお母さんがママチャリで子供を乗せて走るよりずっと安全で、カバーがあるから風雨でも大丈夫だ。

 次に行ったブースは展示室。そこで私が目をとめたのは青と黄色のラインが入っているかわいい電気自動車。前から見るとPOLICEと書いてある。説明を読むと、このパトカーは2012年に開かれるロンドンオリンピックの警備で使われるそうだ。だんだんオリンピックも環境を意識しはじめていて、初めての環境オリンピックと言われているロンドンオリンピックが楽しみだ。
 向かい側のブースでは、とてもおしゃれなクリスマスの雰囲気の看板を見かけた。デンマーク語でなんて書いてあるかはよく分からなかったが、おそらく「Shaneのリサイクルおもちゃ」と書いてあるのだろう。中に入るとまるでおもちゃの国。部屋中がかわいらしい手作りおもちゃでいっぱいだ。そこにいた担当の人の話によると、このおもちゃはすべてShaneさんが作ったものだそうだ。Shaneさんはいらなくなったものを、みんなが喜ぶものに変えてしまうリサイクルの達人のようだ。新しい命をもらった作品はどれもすばらしく、生き生きとしているように見えた。
ブースの外に出ると子供たちが高い声でキャーキャー楽しそうに叫んでいるのが聞こえた。クリスマスシーズンなので人力発電ツリーだ。自転車をこいで発電し、クリスマスツリーのイルミネーションを光らせる仕組みになっている。私たちもさっそくやってみた。氷のように冷たい外でも、ペダルをこいだら体はポカポカ、ツリーはピカピカ。発電にまで自転車が登場するとは、デンマーク人は本当に自転車が好きなのだろう。

  コペンハーゲンに滞在中、この国の人たちの温暖化防止のためのさまざまな取り組みを見聞きした。そして日本で温暖化防止のために、個人で、企業で、社会で何ができるかを取材してきたことを思い出した。デンマークも日本もそれぞれの国が、その国の気候・社会にあったCO2削減に一生懸命取り組んでいる。COP15の会議では残念ながら法的拘束力のある新たな議定書の採択はできなかったが、義務や罰則がなくても世界はCO2削減の努力をこれからも続けるだろう。環境先進国のCO2削減の技術が新興国や途上国にも広がり世界が協力し合えば、Hopearth、きっと地球温暖化は防止できるはずだ。

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自転車の町コペンハーゲン


                               飯沼茉莉子(13)

 今回私たちがコペンハーゲンの街中を歩いていて感じたのが、驚くほど自転車に乗っている人が多いのに、日本のように自転車に気を使いながら歩くということが全くなかったことだ。ほとんどの道路では自転車専用のレーンが整備され、たくさんの人が通勤などに使っていた。なぜここまで自転車が普及したのだろうか。

 市庁舎前広場で開催されていた、サイドイベントに参加していたブースの一つで、「Track」というバイクショップの店員Tau Kallehaveさんに理由を聞いてみた。「コペンハーゲンは平地で山と呼べるような地域がないので、自転車が走りやすい環境が整っているからだ」と教えてくれた。
 日本とは違って自転車の形がとてもユニークだ。歩いていて一番多く見かけたのが、自転車の前に2人の子どもが乗れるほどのかごがついているものだ。他には、自転車の後ろに大きな荷物が乗せられるような台のついたものもあった。どの人も、自動車の代わりに、日常的に自転車を利用していた。

  途上国のように自動車が購入できないから自転車を利用しているのではなく、環境のことを考えて利用している人が多いのである。そして、デンマークという国が恵まれた土地であり、国が自転車レーンの整備をどんどん進めていくため、利便性からも自転車の普及率は高くなっている。
 日本は国土が狭く、山や坂道が多いのでデンマークのように自転車が普及することは難しい。しかし、性能のよい電動アシスト付きの自転車が手ごろな価格で購入することができるようになれば、もっと多くの人が通勤にも自転車を使えるようになるかもしれない。
自動車から自転車に変える人がもっと増えれば、自動車のレーンを減らして自転車用に代えるなど様々な方法があるのではないか。
 日本もまだまだ工夫次第で、CO2を削減することが出来るという希望が持てた。諦めずに、他の国や出来事に関心を持ち続ければ、必ず道が開けると思う。

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スタートとしてのCOP15


                              三崎友衣奈(18)

  「持続可能な未来へのシナリオをつくる」。11月23日、チルドレンズ・エクスプレスの取材にそう語った福山哲郎外務副大臣。京都議定書の次の新しい議定書を決めるCOP15で日本の、そして世界の環境問題に関する「シナリオ」はどうなるのか。会議終盤の12月17日、コペンハーゲン市内のImperial Hotelで福山氏に聞いた。 まず福山氏は、日本の姿勢として京都議定書の単純延長を望んでいないことを強く主張した。「京都議定書の延長だけでは日本として認められない」。温室効果ガスの主要排出国アメリカ・中国が批准していないのでは、京都議定書の次の枠組みを決めるというCOP15としての目的が達成されない。

 しかし会議では、中国を代表とする新興国・途上国の猛烈な反対が続いていた。日本の掲げる「主要国の合意の上での温室効果ガス25%削減」は難しいのではないか。合意がない場合、日本の今後の環境問題対策はどうなるのだろうか。福山氏は「25%の目標はもちろん続ける」とした上で、「けれど、まだ各国の合意という段階にもなっていない」と会議がいかに混乱していたかを語った。
 混乱の原因は、発展途上国と先進国の言い分の違いにある。現在の温暖化の責任を先進国に問う途上国と、新興国である中国・インドの経済優先の姿勢を懸念する先進国とで完全に交渉が固まっている。「途上国の拒否度が大きく、とにかく会議を動かそうとしている」という状態だった。

 取材当日の午後4時には鳩山首相が到着する予定で、18日にかけて各国の首脳がコペンハーゲンに集う。それでも会議は「首脳たちに何を決めてもらうか決まっていない状態」だったそうだが、福山氏は「最後の最後までがんばるしかない」と力強く言い残した。
 会議は混乱を極め、ようやく決まったのは最終日の18日に非公式で行われた会合による米・中・ブラジル・インド・南アフリカの合意だった。会議に参加できなかった発展途上国から非難されたものの、デンマークの議長ラスムセン氏がこれに留意するという形でコペンハーゲン協定が成立した。内容は世界全体で気温上昇を摂氏2度で抑えることや、先進国には来月末までの自主的な温室効果ガス削減目標登録と発展途上国への支援、発展途上国には国の温室効果ガス排出量の透明化などで、各国の参加は自主的となった。
 この結果は、福山氏の17日時点での「見通しは正直分からない」という発言からすると最悪の事態は防ぐことができた、と受け止められる。しかし、現在も進行している気候変動による災害の危機に直面している国・地域の不安を考えると、これで満足してはいられない。
 米中の枠組み参加は来年11月のCOP16に向けての第一歩である。COP16では気候変動の被害を受けている、または受けるであろう国・地域の人々の焦りを認識した決議により重点を置くべきではないだろうか。国の経済成長の妨げとなる法的拘束の回避ばかりを気にしていては、協定は結べても合意には至れない。未来へのシナリオはまだ始まったばかりである。 

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ランタンパレード


                           富沢 咲天(14)

 16日の午後7時から8時の間、コペンハーゲンの町の光が消えた。みんなで一斉に電気を消してCO2削減をする「60Earth Hour Copenhagen」というイベントだ。 私たちはWWFインターナショナルとWWFデンマークが協力して行う、子供を対象としたランタンパレードに参加してみた。
イベント会場のプラネタリウムに入ると、天井や壁にぶらさげられたたくさんの紙のランタンが目に飛び込んできた。世界中から約1万個送られたみんなの手作りランタンを飾っているのだそうだ。いろんな色や模様があってとてもにぎやかだ。
最初に話を聞いたのはWWFのパンダのロゴが入っているTシャツを着た若い女性。とても忙しそうだったが、「1、2分なら」とインタビューに応じてくれた。彼女はWWFの職員Anneve Nielsinさんで25歳。「このイベントは楽しく子供たちに環境のことを分かってもらえるいい機会よ。参加できて嬉しいわ」とにこやかに話した。子供たちに期待していることはと聞くと「地球温暖化は今の子供たちの将来のことなので、きちんとこの問題を受け止めて欲しい。」と真剣なまなざしで言った。

 テレビの取材を受けている男の子を見つけた。彼はこのイベントに参加するためにエストニアから来たそうだ。名前はLomas Kama君、12歳。「ドキュメンタリー映画などで動物が死んじゃったり、氷が溶けるのをみて地球温暖化は怖いと思った。だからぼくは家で温暖化防止のために、リユースなどささいなことからCO2を削減しているんだ。このイベントはとても興味深くていいから、もっと子供たちが参加するべきだよ」と彼はランタン用の青の画用紙をはさみで切りながら話してくれた。まだ12歳なのにとてもしっかりしていたので感心した。Lomas君のランタンには海に住んでいる生き物たちがたくさん描かれていた。
会場にはランタン作りのほかWWFのシンボルのパンダの着ぐるみがいたり、パンダのフェイスペインティングをしてくれたり、お菓子が用意されたりと、大勢の子供たちが楽しめるよう工夫されていた。
そんな中で会ったのは小さな孫たちを連れたおばあちゃん。孫たちは英語がまだしゃべれないということでおばあちゃんに色々と話を聞いた。「孫に地球温暖化を分かってもらうために来たのよ。こういうイベントは子供たちにとっても楽しいしね。この子たちはまだなんとなくしか理解していないと思うけど、きっとそのうち分かるはずよ」と優しい口調で語ってくれた。
ちょっと変わった意見の人にも出会った。彼の名はDan Schooさん。中国から来てコペンハーゲンで勉強をしている留学生だ。今回はイベントに有名な歌手が来ると聞き、彼女と二人で来たらしい。私が地球温暖化についてどう思うかを聞いたところ、「地球温暖化は怖くないよ。だって今政府が地球温暖化防止のためにCOP15とかをやっているじゃないか。僕はそれに期待して前向きに生きていきたいよ。あと、このイベントは6ヶ月前にもあったけど、冬にやるべきじゃないね。冬のコペンハーゲンはすぐに暗くなって、電気を消すと気分も暗くなって人々がゆううつになっちゃうかもしれないからね」と自信たっぷりの笑顔で言った。真剣に地球の将来を心配する子供もいれば、楽観的に考える大人もいる。温暖化に対する意識はさまざまだ。

  午後7時をまわった頃、ランタンパレードがスタートした。私たちも取材の合間に作った自分のランタンを持ち、コペンハーゲン市内を行進した。紙のランタンの中は子供たちが持っても危なくないように、折ると光る蛍光棒みたいなものが入っている。明かりがついたランタンを手にみんなとてもうれしそうだ。パレードの列はチボリ公園を抜けて市庁舎広場へ。どんどん人数が増えていく。ぐんと冷え込むデンマークの夜を、年齢を問わず生後数ヶ月の赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで大勢の人たちが歩いた。こんなにたくさんのごく普通の人たちが、温暖化防止を静かにアピールしている。

 市内ではこのイベントに参加したお店や建物などがライトダウンしていた。レストランでは、電気の代わりにキャンドルでお客さんたちが食事をしている。パレードの後で私たちも電気を消したお店で夕食を食べたのだが、キャンドルの灯りのもとで食べた料理は温かみがありおいしく感じられた。
世界中から送られてきたランタンのように、地球上のみんなが温暖化防止という同じ目標に向かって歩いているように感じられた夜だった。

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60 Earth Hour Copenhagen


                                飯沼茉莉子(13)

 私たちは今回、COP15の会場であるべラセンターの入場制限により入る事が出来なかった。しかし、ベラセンターだけではなく他の場所でも数多くの環境問題に関するサイドイベントが開催されていた。その中で私たちが注目したのは、WWF(世界自然保護基金)が主催している「60 Earth Hour Copenhagen」だ。このイベントはエネルギーの消費を抑えることを目的として、子ども達が手作りのランタンを作り、それを持ってパレードし、同時に街中の電気をいっせいに60分間消すというものだ。そこで私たちはイベントに参加している大人や子どもとその保護者、ボランティア・スタッフにも取材をした。
女性スタッフのAnnevette Nielsen(25)さんは、子ども達に気候変動について怖がらせずに楽しい方法で伝えることができてとてもうれしいという。また子ども達には、自分たちの未来だからこの問題についてもっと真剣に考えてほしいと語った。
デンマークからだけではなく、バルト三国の一つであるエストニアからはるばるやって来た子どもがいた。良いイベントがあると聞き、ぜひ参加したいと思ったLomas Kama(12)君である。彼は、気候変動について深く理解をしていた。ドキュメンタリー番組で動物が絶滅したり、氷が溶けていくのを見た時に気候変動はとても怖いと感じたそうだ。彼は、このイベントはとても興味深いので、もっとたくさんの子ども達に参加してほしいと訴えてくれた。

 コペンハーゲン市内から孫を連れてやってきたFiallandさんは、地球温暖化は私たちの孫にはとても重要な問題なので、子ども達が喜びそうなこのイベントに連れてきたという。Fiallandさんは日頃から孫達に地球温暖化によって氷が溶けて海面上昇が起きたり、動物がどうなってしまうかを教えているそうだ。孫たちはまだ小さいから全てを理解する事は難しいけれど、学校でも教わっているから少しは分かっていると思うと語った。

中国出身のDAN SCHOOさんとYE GAOさん 最後に、現在コペンハーゲンに住んでいるが、中国出身のDAN SCHOOさんとYE GAOさんに話しを聞いた。二人はランタン作りと同じ会場のプラネタリウムで行われるコンサートを見るために来たという。彼らは気候変動は怖くないそうだ。なぜなら、世界ではCOP15などの大きな会議が開かれていて彼らはそれを信用しているからと言う。またこういう会議が行われる事によって地球が変わっていくとポジティブに考えているから、気候変動は全く怖くないのだと言う。街中の電気を60分間消すことについて聞いてみると、デンマークは冬にあまり太陽が出なく陽に当たる事が少ないため、憂鬱になる人も多いので真冬ではなく夏にこのようなイベントを行った方がいいと言う。そして自分たちは、環境に一番悪い車を持っていないかわりに、4台の自転車を持っているそうだ。

 私たちもランタンを作った。そして午後6時から各自がそれをもって市庁舎前の広場に向かってパレードをした。街中を歩いてみて、そこに暮らしている子どもや大人の意見を直接聞く事ができてとても良い機会となった。直接的に環境問題に取り組んでいる人と間接的に取り組んでいる人の差はあるけれども、みな環境問題への意識を持って生活している事がよくわかった。 

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Let us in !!!

                                富沢 咲天(14)

 16日の午前9時、私たちはコペンハーゲンのホテルから地下鉄に乗り、ベラセンター 駅で降りた。電車を降りた瞬間から、私の額にちくちく冷たい風邪が当たるのを感じた。
 そこにはもう会場に入るパスをもらうための長蛇の列ができていた。
3時間過ぎたお昼の時点で、足のつま先がじんじんと痛くなってきた。それでも周りの人たちは懸命に待ち続けた。ある女性は疲れたためか、凍りついた大理石のような地面に座り込んでいた。
 私たちの後ろに並んでいた経団連(経済団体連合会)の女性は、「私は毎年COPに来ているけど、こんなに待たされるのは初めてだわ!バリでもこんなに待たなかったし、ケニアでさえ1時間で入れたのに!!」と文句を言っていた。周りの人たちも、寒いなか長時間待たされてだんだん不機嫌になってきた。

 5時間経過した午後2時の時点で、警官がメガホンを片手に持ちながら叫んだ。「機械の故障のため、1時間に15人しか入れない。フェンスの中にいる人は3時間、フェンスの外側にいる人はあと6時間かかる。」と言われた。私たちはフェンスの外側にいて、もう絶望的だった。しかし、今日パスをもらわないと、明日も入れない。はるばる日本からCOP15のために来たのだからなんとしても中に入りたい。その強い意志で、もうしばらく並ぶことにした。  そんな中、ある団体が無料でコーヒーを配っていた。風力発電で沸かしたお湯で作られたコーヒーだという。寒くて疲れていたせいもあるが、温かく香ばしいそのコーヒーは普通の喫茶店などで販売しているコーヒーよりはるかに美味しく感じた。 また、長時間待っている人たちのために、サンドイッチを配っていたNGO団体もいた。この団体は、「C02の排出量の40%は畜産業が占めており、1ヘクタールあたり牛を育てて食べるより、作物の方がより多くの人が食べることができる」というデータをもとに、「ベジタリアンになろう!」と鶏の着ぐるみを着てアピールしていた。 さすがCOP会場の周辺だけあって、いろいろな団体がそれぞれの手法で温暖化防止を訴えている。ベラセンター入口 7時間が経ったころ、会場からチラシが回ってきた。そこには「長い間お待たせして申し訳ありません。会場は収容人数を超えて大変混雑しております。中の人たちが出てくるまで、お待ち下さい。」と書いてあった。これを読んだ人たちは皆激怒した。なぜなら、会場内にいた人たちは続々と出て行っているのに長蛇の列が全然進まないからだ。人々は「Let Us In!」などと叫び始めた。 私たちが並んでいる間に、6人の韓国人メディアグループに会った。彼らも私たちのように何時間も待たされていた。「メディアでさえ入れないなんておかしい!」とかなり怒っていた。大きなテレビカメラをかついでいる人がちらほらいたのは、NGOだけでなく、メディアも入れなかったのだ。

 8時間経ったころ、NGOとメディアに分けられた。そしてメディアは少しずつ中へ入っていった。しかし、NGO側は何も動かない。前に進んだ!と思ったら、みんなが横に広がっただけだったり、前の人との間隔が段々狭くなっていた。最終的には、東京の朝の電車の通勤ラッシュ並みにぎゅうぎゅうになった。そして、人々は「Shame On UN !」などと叫び始めた。
結局、入場は午後6時で締め切ると言われ、私たちは5時半に泣く泣く引き上げた。

 これはある意味象徴的な出来事だったと思う。COPの主催者側はこれほど今回の会議に多くのNGOが来るとは予想していなかった。しかしCOP15は京都議定書の次の枠組みを決める大事な会議だ。地球の未来を決める会議になるかもしれない。だから世界中の人々は真剣に温暖化のことを考え、そして自分たちの声を各国の政府の代表に伝えようとこの会場に集結した。結局会場に入るパスは手に入らなかったけれど、何千人もの人たちの温暖化防止に対する熱意を目の当たりにしたことで、私はなんだか頼もしい気持ちになった。

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「Let us in!」私たちも決議の場に!


                                     三崎 友衣奈(18)   

 国連気候変動枠組条約第15回会議(COP15)では、目的とされていた法的拘束力のある温室効果ガス削減目標の同意は難しい。このような懸念は、会議が開幕した12月7日以前からもたれていた。しかし、これほどの事態を誰が予想しただろうか。
会議では先進国と途上国との交渉は決裂に近い状態で、17~18日にかけて各国の首脳がコペンハーゲンにそろうまで、最悪な結果を誰もが想定してしまうような状況だった。そして、会場であるベラセンターの外もやはり混乱していた。

 COP最終週の始まりである12月14日、ベラセンター前には入場許可証の登録を待つ人が長蛇の列をつくった。その列は隣の駅まで続いていた。NGOやメディアの人々である。私たちもそのグループの中の一つで、朝9時から並んでいた。だが、列はなかなか進まない。雪のちらつく中で、国連からのアナウンスは昼ごろの「登録手続きの機械の故障のため一時間に15人しか入場できない」と、夕方前の「入場者が大変多く、会場内の人が出ないとこれ以上人を入れられない」という報告だけだった。この時点で収容人数1万5千人のセンターに1万7人が入っていた。
「Let us in!」、「Shame on UN!」、「Explanation!」とNGOやメディアの人々が声をそろえて叫びだしたのは、その報告のしばらく後だった。会場内からぞくぞくと人が出てきたにも関わらず、外で待っている人々は一向に中に入れなかったためだ。複数の警官がガードしているフェンスに向かって、人々は強く訴えかけた。
「What do you want? ――― Entrance!」「When do you want it? ――― Now!」。 そして、本来はNGOの人々とは別枠であるはずのメディアは、ようやくNGOの列と別に列が設けられ、しばらくたってから入場することができたようだった。  

バリゲート

 国連が待ちくたびれたNGOの人々にようやくはっきりとした説明をしたのは、17時30分になってからだった。「本日はもう人は入れられない。明日の朝8時にここで並べば登録手続きを開始する」。大ブーイングが起こるも、少なくとも午前7時頃から並んだ人々は入れることはできなかった。
 翌15日、私たちが午前7時にベラセンター駅を降りた時にはすでに多くの人が集まってきていた。ところが、ここにきても国連のアナウンスは矛盾していた。「Secondary Card」と呼ばれ、COP第二週目の入場制限のためのパスを持っていない人は入れないというのである。このパスは第一週目の「バッチ(登録証)」を持っている人しかもらえず、前日に登録できなかった私たちはバッチを持っていないという理由で会場内に入るのをあきらめざるを得なくなった。
結局、NGOの中でSecondary Cardを入手して会場に入ることができたのは世界的に名が知れていて実績のある大きな組織だけだった。その組織ですら入場する人の数を制限され、水曜日からはNGO関係者は一切入ることができなかった。これは異例の事態である。COPの常連という経団連の女性は「バリ会議のときもケニアでもこんな不都合はなかった」と不満気だった。
困っていたのはNGOだけではない。30年間環境問題を追い続けてきた韓国の新聞記者Cho Hong Sup氏やベルギーからのテレビ局のカメラクルーなど各国のメディアも8時間以上並ばされるという事態に驚いていた。
国連の不手際もさることながら、これほど予想をはるかに上回る人が駆けつけたCOPも今までなかっただろう。注目度の高さは重要性を示す。あれほど多くの人々が世界の国・地域からコペンハーゲンへ来て、強くCOP15の現場にいることを願望する様子は、まさしく世界の人々の環境問題への危機感を表しているように見えた。
今回、多くのNGOの人々が会場にすら入ることができなかったのは大変残念だった。これらの人々の熱い意思も決議に取り入れられるべきである。

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英国の少年司法システム ~日本との違い~

英国の少年司法システム ~日本との違い~
2008/12/06                原 衣織( 16 )

 罪を犯した時は刑罰を受けるという刑法上の責任を、刑事責任という。日本では最近、この刑事責任年齢に合わせて刑事処分可能年齢を 14 歳に引き下げたことが話題を 呼 んだが、この責任を 10 歳から負うとされている国がある。英国だ。

英国の少年司法システムはどのようになっているのか。これについて調べるため、英国 法務省の少年司法関係部局と児童・学校・家庭省の少年司法関係部局を統合した合同少年司法委員会の Simon Emerson 氏にEメールを通して質問に答えてもらった 。また、 少年司法システムの運営、主務大臣への助言等を職務とする非政府公益機関である少年司法委員会の広報責任者 Claire Forbes 氏に、「日英記者交流事業」で訪英した際に話を聞いた。

10 歳と い う年齢は、日本以外の他の諸外国と比べても低いと言える。 10 歳の少年が大人の犯罪者と同じような刑を受けることがあるのか。国として少年犯罪に対し厳罰の姿勢をとっているということなのか。

Emerson 氏は 10 歳という年齢 設定 のメリットを、「早期の介入により犯罪を防ぎ、若者に自分自身の犯罪行為に対する責任を育てることができる」ことだと説明する。 Forbes 氏も 10 ~ 11 歳を「犯罪的行動に引きずり込まれ始める年齢」だとし、「早めに当局が介入することで犯罪の方向に進むのを防止できる」と述べる。そして、 10 歳で刑事責任を持つということは、 「 10 歳から大人の犯罪者と同じように扱われることを意味するものではない 」 と 言う 。施設収容を命じる「収容 およ び訓練命令」の対象も 12 歳以上であり、 10 歳、 11 歳の少年が施設に収容されることはない。

12 歳以上の少年が「収容 およ び訓練命令」を受け取ると、主に年齢や居住地によって「少年犯罪者施設( Young offender institution )」「子ども収容施設( Secure children’s home )」「収容訓練施設( Secure training centre )」の 3 種類の施設のうちいずれか一つに収容される。これらの施設は日本の少年院に相当するもので、義務教育を終えた年長の少年向けの「少年犯罪者施設」では職業教育を実施し、年少者向けの「 Secure children’s home 」では 2 人に 1 人の割合でスタッフを配置するなど、それぞれの施設ごとに異なったアプローチによって少年を更生させている。また、全ての施設に週に最低 25 時間の教育が法律で定められており、必要に応じてカウンセリングなどもあるという。

とはいえ、英国では 18 歳以下の施設収容は「最後の手段」であり、実際少年司法委員会の年間統計によると 2005 年から 2006 年の 1 年間で、少年施設への収容命令を受けたのは 21 万人以上の少年犯罪者のうちたったの 3 パーセントだという。では、残りの大多数はどうなるのか。

英国には、施設収容以外の様々な処遇方法が存在する。親に対しカウンセリング授業またはガイダンス授業の受講を要求する「養育命令」や、治安判事裁判所が個々の少年に禁止事項を言い渡す「反社会的行動禁止 命令 」、保護観察官の監督のもと被害者またはコミュニティ全体に賠償を行う「賠償命令」などだ。

そのほかに、 10 歳未満の少年が罪を犯した場合には責任オフィサーが児童を監督する「児童保全命令」や、所定の期間中、午後 9 時~午前 6 時まで所定の地域内の公共の場所への立ち入りを禁ずる「地域児童外出禁止命令」が出され、施設収容ではなく地域内で児童がこれ以上犯罪の方向に進まないよう予防する。

ロンドンYJB取材

そして、地域で少年犯罪の防止や非行少年の更生に従事するのが、少年司法委員会の地域担当部局としてイングランドとウェールズの全ての自治体に配置されている「少年犯罪対策チーム」だ。保護観察官・公的ソーシャルワーカー・警察官などで構成され、少年司法業務の提供の調節や、「少年司法計画」に定められた職務を行っている。このような機関があるからこそ、地域内での少年への働きかけが為 され うるのだ。

先ほど触れた「賠償命令」は、被害者が望む場合は加害者から直接賠償、謝罪を受けることができるという 。 日本ではまだ珍しい方法だが、このように被害者と加害者が直接に接触を持つ 手法として他に、修復的司法がある。こ れは 1998 年の「犯罪・秩序違反防止法」によって英国の少年司法システムに導入された手法で、被害者・加害者・家族などその犯罪に関係する人々が 一堂に会し、 話し合いを行う場を設けることで更正へと繋げるというものだ。加害者である少年には、自分の行為がどういう結果をもたらしたかを理解して被害者に謝る機会を、被害者には、自分の思いを表明する機会を与えることができるという。

今回 、 英国の少年司法システムについて取材を行い、英国が少年犯罪に対して様々なアプローチを行っていることを知った 。 英国の少年司法システムの全てが素晴らしいと言いたいのではない。実際 Forbes 氏は、「統計上、初犯の数は減っているものの再犯は増えており、今最も心配されている」と話す。それに、全く違った社会的背景を持つ英国と日本では少年犯罪の内容や傾向も異なるだろうし、英国のシステムをそのまま日本に導入したからといって効果を現すとも思えない。

しかし、親へのガイダンスやカウンセリングで家庭に働きかけ を行うなど、 日本にも取り入れたらどうだろうかと思うような手法も存在することは確かだ。

Headlinersのロンドン支局で取材

近年多くの先進国が頭を悩ます重大な社会問題である少年犯罪。日本でも、近年少年犯罪が「凶悪化」していると言われ、この数年の間に相次いで少年法の改正が行われるなど、少年司法システムが大きく変化している。処罰や少年院送致などの対象年齢の引き下げや犯罪被害者の配慮だけに留まらず、今後は罪を犯してしまった少年の更生、再犯防止にも今まで以上に熱心に取り組む必要があるだろう。その際、今後各国の様々な取り組みを知ることで見えてくるものもあるのではないだろうか。

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インターナショナル・ユース・メディア・サミット2008

インターナショナル・ユース・メディア・サミット2008
2008/09/15               三崎 友衣奈(16)

 セルビア共和国という国を知っているだろうか。南東ヨーロッパのバルカン半島にあり、人口は約750万人、面積は北海道と同じくらいである。旧ユーゴスラビア連邦で、歴史的に戦争が絶えない地域でもあった。1990年以降、連邦の中で独立が相次ぎ、2006年のモンテネグロ独立に伴ってセルビアも独立宣言をした。

 そのセルビアでこの夏8月20日~27日に、インターナショナル・ユース・メディア・サミットが開かれることとなり、首都ベオグラードには世界18カ国から約40名の15歳~22歳までの参加者が集まった。2006年にアメリカ・ロサンゼルス、翌年にはオーストラリアのシドニーで行なわれたサミットに続く第3回目の開催である。

 このサミットでは差別、環境、女性の権利、暴力、貧困、保健、ユース・エンパワーメントの7つのグループに分かれた若者たちが出した結論を、極力言葉を使わずに1分間のフィルムにまとめ、世界へ発信する。 私が参加した『女性の権利』では、「女性をエンパワーする」ことをソリューションとした映像をつくることになった。

 アイディアを出し合いながら大まかなスクリプトを作り上げ、どのような映像を撮るかを細かく決めたストーリーボードを完成させる。映像を撮り終わると、編集に取り掛かる。ここからは個人的な主観も入り、小さなシーンでも意見の食い違いが出てくるが、一週間の日程で時間と闘いながらやっと作り上げられたときはみんなでほっとした。

  グループで編集をしているとき、映像全体をセピア調にしたいという意見と、色を残したいという意見で分かれた。セピア調を押し切って勝手に編集してしまう場面もあったが、結局元の色彩を活かしたもので治まった。ともすれば強引とかわがままに見えてしまいそうだが、それほど1シーンに対して自分の意見を押そうとする意気込み、意思の強さに感心した。撮影・編集の技術ではなく、映像に対して自分のこだわりをしっかり持っていることが肝心だと学んだ。

 国が違うということは、育ってきた環境が違う。だからこそ、ひとつのものを作るときにも全く予期しない意見が出てきて、とても新鮮だ。映像では同じことを伝えようとしているのに、表現方法が異なってくる。日本では経験しないことに始めは慣れなかったが、次第に自分の意見が言えるようになってきた。

 どう相手と自分の考えをひとつに取り入れるかも重要だった。 また、セルビアは風景も日本と全く違う。旧ユーゴスラビア時代の建物も残っており、歴史を感じられる建物ばかりだ。ときどき一部が崩壊したままの建物も見る。しかし町はのんびりとしていて、宿泊していたユースホステルの近くにはキオスクやスーパー、雑貨屋もあった。サミット中はホステルで他国の参加者も混ざった3人部屋での寝泊りだ。食事は向かい側にある建物の中の食堂でとり、すぐ隣の建物にある図書室で活動する。

 すべてが違うわけではない。それも今回学んだ大きな収穫のひとつだった。それはやはり一つの最終的な目的があったからだと思う。何となく欧米とアジアは一線を越えられないかと感じていたときに、同じグループのセルビア人の女の子が「私はあなたがとても身近に感じられるよ」と言ってくれた。その言葉は、私が勝手に感じていた壁を壊してくれた。違うことが当たり前であるからこそ、悩み事や感じ方が同じだったときはとても親近感が沸く。同年代でも、全く違う生き方をしてきたティーンとこうして活動できたことは、私に広い視野を与えてくれた。

International Youth Media Summitに参加して
2008/09/15               藤原沙来(18)

 2008年8月20日~27日、セルビア共和国の首都ベオグラードにて3rd International Youth Media Summitが開催された。セルビア共和国・ブルガリア・キプロス・ナイジェリア・スウェーデン・アメリカ合衆国・韓国・日本など18カ国から集まった15歳~22歳の若者たちが“健康、貧困、環境、人種差別、暴力、女性の権利、若者の地位向上”をテーマにした映像と宣言書を作った。  

 各国の参加者は事前課題として、Filmmakerなら3分間のビデオ、Diplomatなら最も興味のある1つのテーマに関する文章、どちらかの提出が必要であった。参加が正式に決まってからは、Filmmaker・Diplomatのどちらもサミットへの下準備として、7テーマから選んだ1つのテーマに関する自国の問題点のレポートを提出した。 各自がテーマに沿った明確な問題意識を持った上でこのサミットに臨んだため、映像や宣言書作りは非常に内容の濃いものとなり、多くの討論が重ねられ異なる意見の集まった価値のある7つの映像と7つの宣言書となった。

 私は“環境”を最も興味のあるテーマに選び、Filmmakerとしてこのサミットに参加した。環境グループとして活動したのは私の他に、オーストラリア人、スコットランド人、キプロス人、韓国人、セルビア人であった。まず、私たちのグループは映像と宣言書を作るにあたり、それぞれが事前にまとめた各国の問題点、解決策を共有し合った。

 日本の環境に関する問題として、夏には歴代最高気温を更新し続け、また、突然の雷雨が頻繁に起こり、冬は年々気温が上昇していて雪は滅多に見なくなったことなど気候変動による数多くの影響が顕在化してきた点を挙げた。気候変動による大きな被害を私たちは受けているのにも関わらず、便利な生活に慣れてしまい、日常生活での気候変動を改善するための小さな我慢もできない人が、日本人の半分以上を占める現状も紹介した。

 日本に限らず、他の国でも同じような状態のようで、「自分の街にはリサイクルのシステムがない」というような小さなことから「ごみの処理を他国に委託している国もあり、それぞれの政府がもっと自国の環境問題に目を向けるべき」といった政府規模にまで及び、数多くあげられた。それに対して、解決策は非常にはっきりとしていて

1.『環境に関する教育を学校や家庭でする』、
2.『私たちの環境に対する態度を変える』、
3.『私たちの生活習慣を変える』の3つに絞られた。

この3つの解決策を軸に映像と宣言書が作られた。 環境グループは個人個人の主張がとても強く、誰ひとりとして自分の意見を譲ろうとはしなかった。そのため、早々に軸となる3つの解決策は決まったのだが、映像や宣言書を作る際には常にぶつかり合い、なかなかまとまらなかった。

 しかし、ぶつかりあいやそれぞれの意見の主張がなければ誰の意見も組み込まれていないつまらない映像や宣言書になっていただろう。まとまるには時間がかかったが、環境グループとして誇れるような映像、宣言書を作ることができたのではないかと思う。

 Closing partyで7つの作品を上映した際は、参加者全員がお互いの努力をたたえ合い、ここに至るまでの意見のぶつかり合いを誇りに思い、達成感を抱いた。8日間という短い間ではあったが今までに感じたことのないような感情を抱いているようだった。人種、文化、言語など、異なる背景をもった若者たちが同じ場所に集まり同じゴールを目指して活動できたことに一体感を感じた。

 同じ問題意識を持った若者同士が意見をぶつけ合い、アイディアを共有し合い1つのものを作り上げる過程は容易なものではなかったが、私にとっては刺激的な体験であった。同世代であるからこそ思ったことや考えたことを気兼ねなく口にして伝えられ、理解をしてもらうことができるのだと思った。

 さらに若者であるからこそ同じ目的に向かって激しく意見を交換し、私たちなりのメッセージを社会に伝えていけるのだとも思った。そして、何より、人種、文化、言語が何であれ自分の意見をしっかりと持ち、責任を持ってはっきりと発言すること、相手の意見を自分とは異なる意見としてまず受け入れることの大切さを感じた。

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子ども環境サミット in KOBE(5記事)

2008年5月21日~24日、神戸市で「子ども環境サミット in KOBE」が開催された。これは民間主導型のG8環境大臣会合関連事業で、日本を含む21カ国から子どもたちが集まり、環境問題について意見を交わし未来へのメッセージを世界へと発信しようというものだ。
このサミットには、ブリティッシュ・カウンシルが選んだ「国際気候チャンピオン」(日本を含む13カ国から選んだ高校生39名)と日本国内から選んだ「気候チャンピオン」(小学生から高校生たち7名)も参加した。国際気候チャンピオたちは、こ

▲英国環境大臣との会談

の「子ども環境サミット」への参加に先立ち、ロンドンで開かれた国際気候チャンピオン会議に出席し、各国の気候変動の問題やそれへの取り組み・改善方法などについて意見を出し合った。そこで出た意見を草案とし、世界の子どもたちからの投票を経て、「神戸チャレンジ」と題した「提言」がこの「子ども環境サミットin KOBE」でまとめられた。国際気候チャンピオンは「神戸チャレンジ」を、ヒラリー・ベン英国環境大臣に手渡した。
このサミットを、日本の気候チャンピオンでもあった2名を含むCE記者4名が取材した。

子ども環境サミット in KOBE」に参加して
2008/7/13                 寺浦 優(14歳)

 サミットには、世界21カ国の小学生から高校生までの幅広い年代の人たちが参加していました。ここに、私は日本の「気候チャンピオン」の一人として参加し、日本の気候チャンピオンたちの意見を代表して発表しました。各国からの参加者の話を聞き、多くの刺激も受けました。開会式では、ツバルを取材した女優の藤原紀香さんの話のほか、ツバルの女の子アンジェラさんの話も直接聞くことができたり、貴重な体験をすることができました。その経験について報告します。

  
サミットでは、世界13カ国の「国際気候チャンピオン」が、国ごとに自国の環境問題の状況やチャンピオンたちの活動内容を、各々3分間にまとめたプレゼンテーションを行いました。私は日本のプレゼンを担当しました。日本のチャンピオンたちは、「日本人の環境問題に対する意識の低さと、それを解決するには自ら率先して活動しなくてはならない」という2つを強く訴えかけることにしました。

 昔から「MOTTAINAI」(もったいない)は日本特有の考えとして受け継がれてきました。しかし今、「MOTTAINAI」という考え方が国民の心の中から薄れているように感じます。これは、「日本人の環境問題に対する意識の低さ」につながっていると私たちは考えました。そして解決のためには、「マイバック・マイはし・マイボトル」の使用を呼びかけるのはもちろんのこと、小中学校への出張授業でこれからの未来を担う小中学生に気候変動の実態を伝え、一緒に活動してもらえるようにお願いしたり、「エコな商品」や「エコなサービス」の開発や提供を企業に働きかけたりしようと計画しています。

 3分という短い時間の中で、私たち「気候チャンピオン」の思いを全て入れるのはとても大変でした。前日も夜遅くまでかかって、「私たちの生活が便利になればなるほど気候変動や環境問題は悪化していく。しかし今私たちは改善に向けて動き出さなければいけない。今の私たちの行動は、私たちの未来、私たちの子どもの世代に直接影響する。意識改善を今すぐ始めることが必要だ」ということが一番大事だと確認し合いました。

 私の言葉で果たしてうまく伝えられるのか不安もありましたが、精一杯伝えたつもりです。プレゼンが終わった時の達成感と、このサミットでプレゼンできた喜びは忘れることができません。

 「子ども環境サミットin KOBE」に参加し、私には「国際気候チャンピオン」をはじめ世界に沢山の仲間がいると思うことができました。それは、海外にも自分たちと同じように出張授業を行ったり、友人に呼びかけている人たちが沢山いたからです。イタリアのチャンピオンは「今まで地球を汚してきたことに対して、私たちが責任ある行動を取っています」と発言していて、説得力のある言葉だと感じました。
こういった仲間が沢山いることは、これからの活動への大きな自信となりました。そして気候変動をグローバルに考えている彼らからは、「自分ももっと広い視野で考え行動しなくてはならない」と刺激を受けました。

 私がこのサミットに参加して最も忘れられないことの一つが、ツバルのアンジェラさんの次の言葉でした。「私はツバルが大好きです。だから沈まないと信じています」。家族が大好きだから、島が大好きだから、沈むと思いたくないという、アンジェラさんの素直な気持ちは、私の心に響いています。こんなに島を愛しているのに生活できなくなってしまうかもしれないということには、憤りを感じました。今自分に出来ることを考え、何の罪もないツバルの人たちを少しでも助けたいと、心に誓いました。  私たち「気候チャンピオン」のスローガンは「OUR CRIMATE, OUR FUTURE, OUR VOICE」(私たちの気候、未来、声)、そして「SAVE OUR PLANET」(私たちの惑星を救え)です。私は、このサミットが開催されたことで、私たちの未来そして地球を守っていくことができると信じています。

「私たちの気候・未来・声」~気候変動を考える~
2008/7/13                 佐藤 美里菜(16歳)

▲中国の気候チャンピオンに取材

「子ども環境サミット in KOBE」が開催され、5月24日には神戸芸術センターで閉会式が行われた。私はその閉会式に参加し、そこでG8環境大臣会議への提言「神戸チャレンジ」が発表されるのを見ると同時に、気候変動について考える子ども達に取材を行った。

◇              ◇  

 現在、英国や中国の一部では洪水、中国の北京、ブラジルのサンパウロなどの都市では大気汚染、メキシコ、ロシアでは水質汚染、というように、気候変動は世界的な規模で深刻となっている。そうした気候変動について、世界の約40名の子どもたちが話し合って改善策を練り、それを子どもたちから大人へのメッセージである「神戸チャレンジ」として、G8国の環境大臣に提言した。

 神戸チャレンジの草案は3月にロンドンで行われた「国際気候チャンピオン会議」において三つ決められた。それを、ブリティッシュ・カウンシルのWebサイトを通じて行った世界の人からの投票により、一つに決定した。三つの草案に共通しているのは「気候変動に関する教育を」というものだった。

 日本で気候変動に関する授業などを行っているところは少ないようだが、英国、南アフリカ、カナダ、中国(北京)ではすでに教育制度に導入されているという。

英国の気候チャンピオン、ステファニー・リンチさん(18)によると、英国では11-14歳の授業に「気候変動問題」を取り入れているそうだ。南アフリカのザネル・ヴァン・ジルさん(17)によると、政府が作成した「ライフ・オリエンテーション」というプログラムがあり、彼女の学校はそのプログラムで、アル・ゴアの映画『不都合な真実』を観て、教育を受けているそうだ。また大学の建築学や理工学では環境に良いビルや家をつくるよう教育されているという。中国のチャンピオンである丁英瀚くんの通う北京の公立高校では「クライメート・クール・プログラム」という週1回の気候変動に関する授業があるそうだ。選択授業ではあるが、彼は「必須科目とするべきであり、特に低学年の授業に取り入れるべきだ」と話す。

 しかし気候変動についての教育を導入したくても言語の違いがある国や識字率が低い国では難しい。公用語が11もあるインドのカラン・セガールくん(17)は、この問題について「本やインターネットを通してメッセージを伝えて理解する」「映画や歌、路上パフォーマンスによって多くの人々にメッセージを伝える」というアイディアもあると語り、言語が多くても教育することは決して不可能ではないことを伝えてくれた。ブラジルのギレム・ディ・シキィラ・パストレくん(17)は「識字率が低く、教育制度が必ずしも優れていない」と話すが、彼の学校では地理などの授業で気候変動について学んでいるようだ。

 私の通う高校では授業での教育はしていないが、古紙やブリックパックを回収しリサイクルしている。そういった実践的なことも含めて、もっと世界中で学校としての積極的な取り組みが必要だと思う。

 神戸チャレンジの中にもある「国際的排出権取引制度」については英国のヒラリー・ベン環境大臣と子どもたちが意見を交換する場面もあった。

  排出権取引制度(Cap & Trade)とは、国や企業ごとにCO2の排出枠を決定し、排出枠に余裕のある国・企業と排出枠を超えている国・企業が取引(トレード)する制度である。つまり、地球規模でのCO2排出量をコントロールしようということだ。

 大臣は「どの国が排出したCO2かを見分けるのは困難である」と話す。その現実に対して国際気候チャンピオンたちは「深刻な問題であるが、世界での認識を高め、世界規模でのCO2の排出を制限しなければならない」と語った。チャンピオンたちは「先進国はもっと途上国に対して技術や資金を提供するなどの支援をするべきだ」と考えている。

  私もこの問題のように世界規模の問題に関しては、「支え合う社会」を意識することによって少し解消されるのではないかと思う。

 いずれにせよ、子どもたちの力だけではこの問題を解決することは不可能である。チャンピオンたちは「大人は子どもたち以上に気候変動に対する認識を高めるべきであり、技術や資金などで世界規模の影響力をもつ大人が行動にでるべきである」「将来、直接影響を受ける僕らの声に耳をかたむけてほしい」と強く語った。

 今すぐ、大人が率先し気候変動について積極的に取り組むべきである。そして未来を生きる子どもたちは「自分たちの気候」「自分たちの未来」であることを強く意識し地球とうまく付き合う生活を送ることがとても重要だと思う。

  現代社会において、環境に優しい生活を送ることはそこまで難しいことではない。自分ができることを少しでも生活に取り入れてみてはどうだろうか。その努力は地球だけでなく、必ず自分にとってもプラスになると、私は思っている。

子どもたちから未来への提言~子ども環境サミット in KOBEに参加して~
2008/7/13                 宮澤 結(14歳)
 皆さんは「気候変動」についてどう考えているだろうか? おそらくこのような質問を突然投げかけられたらびっくりするだろう。また、「そんなの考えたことがないから分からない」という人も多いのではないだろうか。その答えを考えて行動していた子どもたちの思いが、「神戸チャレンジ」という形でG8国の環境大臣に伝えられた。その様子を取材し、参加した子どもたちの意見を聞いた。

▲インドの気候チャンピオンに取材

 様々な環境問題を子どもたちの視点で地球規模に見ていこうと、ブリティッシュ・カウンシルが主催して、3月にロンドンで「国際気候チャンピオン会議」が行われた。そこで話し合われた内容から「神戸チャレンジ」のための三つの草案が生まれた。そのうちの一つを、5月24日に神戸で開催されたG8環境大臣会議に提言するため、世界各国のブリティッシュ・カウンシルがウェブサイトを通して、世界の若者たちに投票を呼びかけ、23日までに17,000もの投票が寄せられた。
「子ども環境サミットin KOBE」では、神戸で再会した13カ国の国際気候チャンピオンと日本国内の気候チャンピオンとがその投票結果に基づいて話し合い、「神戸チャレンジ」の内容を次のように決め、G8の環境大臣会議に提言した。

気候変動対策に取り組むために、私たちは、その難しさを認め、責任を受け止め、一貫性をもって対応しなければなりません。
・すべての教育制度に気候変動を取り入れ、実用的に解決策を全社会に提示して下さい。
・厳しい国際的排出権取引制度を導入して、排出を制限してください。
・気候変動の避けられない影響によって受ける最悪の打撃のために、技術と資金を提供してください。

 この提言の中でも特に気候変動に関する教育を充実させることについては、多くの期待が寄せられているのを感じた。今回「神戸チャレンジ」を議会に提出したことを報告したヒラリー・ベン英国環境大臣は「より多くの人が教育を通して気候変動の問題を理解して政治を変えることができるから、教育は大切だ」と述べた。また、私たちの世代が将来、直接影響を受けるのだから、同年代の子どもたちに学校教育という形で理解してもらえば数年後に良くなっているだろう、と話す国際気候チャンピオンも多くいた。

「教育制度に気候変動を取り入れる」ということに関して、すでに実行している国の話も聞くことができた。カナダのメーガン・マックイーンさん(16)によるとカナダでは「エコ・スクール・プログラム」というのを設けて環境基準を設定し、電球を省エネタイプに変えたり、緑を植えたり、ゴミを減らすように努力しているそうだ。また南アフリカでは、文部省が作成した「ライフ・オリエンテーション」というプログラムがあり、エイズや自国の直面する問題について人々とどのようにコミュニケーションをとるのかを学校で学ぶという。南アフリカのザネル・ヴァン・ジルさん(17)の学校では、アル・ゴアのドキュメンタリー映画『不都合な真実』を見て環境について教育を受けているそうだ。

一方、気候変動についての教育を受けられない国の事情なども聞けた。都市部だろうと農村部であろうと、気候変動は人々に影響する問題であるのに、インドでは識字率が約50%と低いので学ぶことができない、とインドのカラン・ヤーくん(17)は言っていた。

 各国で問題になっている気候変動の被害についても聞いてみた。香港の陳旭培くんよると、内陸での砂漠化が進んでいて、都市部にも黄砂が飛んでくることが問題らしい。ブラジルのギレム・ディ・シキイラ・パストレくん(17)は、アマゾン川流域の森林伐採が問題になっていると言っていた。ザネル・ヴァン・ジルさんは、5000種もの南アフリカ固有の植物が気候変動の影響を受けていると言った。

ザネル・ヴァン・ジルさんは「私たちが大人になってからでは遅すぎるから大人たちには今、行動を起こしてほしい」と言っていたし、インドのカラン・セーガルさん(17)も大人たちの経験や資金が無ければ実行できないから、大人に協力してほしいと言っていた。この問題においては、世代を越えての協力が必要となってくるだろうし、やはり大人の力が必要だと思った。

各国の気候チャンピオンたちの話を聞いて印象的に思ったのは、どのチャンピオンもしっかりと自分の意見や考えを持ち、真剣に話してくれたことだ。取材前の私は正直、「他の人が頑張れば」と他人任せな思いが少しばかりあった。だからこそ気候変動について深く考えている気候チャンピオン達は輝いて見えたし、今までの自分の考え方が恥ずかしくなった。恐らく前の私のように考えている人は多いだろう。だが、この気候変動は、他の誰でもなく、私たちの世代の問題である。誰一人として知らん顔は出来ないし、世界が一丸となってこの問題に取り組む必要がある。サミットに参加してみて、「自分の出来ることは何があるのか」と考えてみた。冷房の設定温度を数℃上げてみるとか、電気をこまめに消すとかほんの小さなことでいい。今日から自分の出来ることを見つけて、地球をいたわっていこうと思う。そして自分が実行することで、自分の周りの人にもその考えかたを浸透させていきたい。

「子ども環境サミット in KOBE」に参加して
2008/7/13                 三崎 友衣奈(16歳)
 7月の北海道洞爺湖サミットに合わせ、5月17日~25日に開催された「子ども環境サミットin Kobe」では、国際気候チャンピオンたちによる活発なディスカッションが行われたほか、京都へ観光に行ったり、神戸祭りに参加したり、グループに分かれて企業訪問に行ったりと、日本の様子も見学した。また、このプログラムに対し多額の寄付をしてくれた女性との対話の時間もあったほか、日本人としての意識を改めて考えさせられる場面もあった。参加しての報告と感想をまとめた。

▲日本のチャンピオンによるプレゼンの様子

サミットでは、国際気候チャンピオンたちによるディスカッションが多く行なわれた。自分が自国の大臣になったつもりで国民にやってもらいたいことを考えたり、他国の国民に成り代わってその国にやってもらいたいことを話し合い、その国のチャンピオンに提案したりした。特に京都議定書に関しては盛り上がり、アメリカのチャンピオンが「国がやっていることと国民の意思とは大きな違いがある」と主張し、気候変動の問題に対する真剣な姿勢をアピールした場面もあった。

今回の「子ども環境サミット」の日本開催には、同サミットが企画したロンドンでの「国際気候チャンピオン会議」で話し合われた内容を「神戸チャレンジ」という形で「G8環境大臣会合」に提出するという目的があったため、その準備も進められた。主に、ロンドン会議で出された案を再確認し、内容をより深めるための話し合いが重ねられた。

チャンピオンたちがオープニングセレモニーに向けてプレゼンテーションを考えていたとき、スタッフから一人の女性が紹介された。この女性は、このサミットを企画し、多額の寄付をした人の一人だ。簡潔な紹介のあと、多くの質問がチャンピオンから飛び出した。「サミットを企画した動機は?」「どうして寄付しようと思ったの?」など、みな積極的に手を挙げて質問する。

 時間が押していた中で最後に「なぜ‘若者’を対象としたのか」という質問が出た。この質問に対して彼女は「直接影響が出る未来に生きる人たちでもある若者に考えてほしいから」と10代の若者への大きな期待を語った。

 サミットでは世界規模だけでなく、日本人としての意識を改めて考えさせられる機会もあった。ある夜、豆腐や漬物、刺身、すき焼きなどの日本料理が振る舞われたときのことだ。外国の料理とは全く違うため、豆腐の触感が気持ちが悪いから、また味付けが合わないからという理由で料理を残す人が多かった。そんな中、一人の外国人チャンピオンが友達の料理がほとんど手付かずのまま残してあったのを見て、「作った人に申し訳ない」と残りをつまんでいた。自分で身近にできる範囲のことを、自然に実行していた姿に感心した。

 「MOTTAINAI」(もったいない)という日本語は世界で広がっている、日本独自のものの言い表し方である。しかし現在、日本では一人が一日当たり平均約50gもの食べ残しを出しているという。古来の日本人の心持ちを受け継いだ「もったいない」を実践できる人でありたいと思った出来事だった。  世界中の同年代の若者と話し合う中で、気候変動についてだけでなく世界の中の日本を垣間見ることができたと思う。「MOTTAINAI」を発信する日本人として、未来をつくるティーンとして、この大きな問題に立ち向かおうと思う。気候変動は規則や条例によって改善される問題ではなく、一人一人が、将来を見据えていかに行動するかが大きく関わってくる。若者が、気候変動という将来に大きく関わってくる問題を敏感に感じ取っていくことができれば、世代が変わっていく中で違いが現れてくると信じている。

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教育を受けるって当たり前?~カンボジアの学校を訪問して~

教育を受けるって当たり前? ~カンボジアの学校を訪問して~
2007/11/22              三崎 友衣奈(15)

 タイ、ラオス、ベトナムに囲まれたカンボジアは、年間を通して平均気温が36度。季節は5~11月の雨季と12~4月の乾季に分かれる。日本の蒸し暑い真夏の太陽の光を5倍くらい強くした暑さだ。

 カンボジアは1975年のポル・ポト政権によって知識人が虐殺されるという歴史を持つため、現在でも文字の読み書きができない人が多い。義務教育制度はあるものの、浸透していないという現状もある。そのなかで、カンボジアの子どもたちはどのような教育を受けているのだろうか。2007年3月27日~4月1日の間、 CE 記者としてカンボジアへ行くことになった。

 訪れたシェムリアップにはステファン・エリス小学校がある。しかし、そこに通うことができず、寺子屋で勉強している子どもたちもいる。その二つは、学ぶ内容にどのような違いがあるのだろうか、また、子どもたちの考え方はどう違うのだろうか。

チョンクニア村の水上寺子屋での授業

 ステファン・エリス小学校はシェムリアップ地方で唯一の公立の小学校。男子が212人、女子が211人いる。クラスは年齢ごとではなく、通学時間で判断されるため各クラスの年齢層はバラバラだ。

 教室には黒板があり、長い机が6つほど縦に並んでいる。ここでは、クメール語 ( 国語 ) や算数のほかに英語、コンピューターなども習う。皆とにかく勉強したいという意思が強い。また、「みんなと友達になれることが嬉しい」、「この学校でみんなと一緒に過ごせるのが誇り」など学校に通える喜びも大きいようだ。将来の夢も先生や医者など決まっている子どもが多い。

 しかし、カンボジアでは教師の暴力、家から遠すぎるなどの理由で学校へ行けなくなった子どもたちもいる。そのような場合、子どもたちだけでなく、残念に思っている親も多いため、日本ユネスコ協会連盟が設立した寺子屋の存在を知ってやって来る子どもたちのほとんどは公立の学校を経験している。

 トンレサップ湖にはチョンクニアという水上で生活する人々の村がある。村といっても湖の上であるため、人々は気に入った場所に長い木の枝を海底に刺して家を止めている。水上寺子屋はその村の中にある。

 この寺子屋は2006年の9月にできたばかり。3つの教室があり、1つは保育園、もう1つは図書室、3つ目が授業を受ける場所だ。ここでは、文字を読めない人に対して主に読み書きを教えている。識字を通して日常の暮らしに必要な衛生についての知識も教えている。年齢は12~53歳と幅広い。

 皆勉強がしたくてたまらない様子だった。しかし、水上であるためにボートを親が使っていたり、ボートがないなどの理由で来られなかったりする人もいる。

湖から少し離れた陸地にある寺子屋では夜の識字教室が開かれていた。この寺子屋は床と屋根と柱だけで、窓もない。そこに長机と椅子が置いてある。民家の離れを無償で使わせてもらっているのだ。

 ここでも子どもたちは大きな声で先生の言ったことを復唱し、我先にと手を上げて問いに対する回答を薄板に書きたがっていた。

 子どもたちの意欲とは裏腹に、寺子屋には大きな問題点がある。それは、寺子屋を修了してから公立の学校に行くことは難しいということだ。カンボジアでは 13 歳未満でないと寺子屋から公立の学校に行くことができない。家が貧しいため遅くになってからしか教育が受けられない子どもが多いので、年齢をオーバーしていることがほとんどなのだ。そのため、寺子屋を修了してからは行く学校もなく、また元の仕事をする毎日に戻ってしまう子どもが多い。

 ステファン・エリス小学校から中学校に進級できるのは全体の 50 ~ 60 %という割合に比べ、やはり寺子屋は大きなハンデがある。

 それでも「寺子屋でもらったテキストを毎日復習して忘れないようにする」、「ここで学んだ識字を活かし、将来良い職につきたい」と言う子どもたちは実にたくましい。  

 何とかしてちゃんとした職に就きたいと、片道歩いて2時間もかけて勉強をしに学校や寺子屋へ行くカンボジアの子ども。恵まれすぎた環境にある私たちは、学校に行けて当たり前、勉強できて当たり前。そんな中で勉強は嫌いという人が多い 。

 日本では公立なら徒歩数十分で通える学校、広い校舎、立派な教室、机、黒板が当たり前。こうした「当たり前」が「勉強嫌い」「面倒くさい」を生み出しているのではないだろうか。もう一度この恵まれた環境に感謝し、その環境にいる私たちだからこそできることを考えてみるいい機会だった。

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全然違う!日本と海外の学校

全然違う!日本と海外の学校
2007/11/10                 椎原 伶香(10)

 私は生まれた時からずっと海外に住んでいた。 10 歳で日本に帰国したとき、日本の学校と現地の学校の違いに興味を持ち、調べることにした。

 私が住んでいたシンガポールと友達が住んでいたアメリカの給食と運動会の違いを比べてみた。私が通っていた学校も、友達が通っていた学校も現地の公立校だ。

 アメリカもシンガポールも休み時間にお弁当を持ってきて食べてもいいし、買ってもいい。休み時間は学年によって違う。アメリカの学校はほとんどの人がカードで買っていて、お金で買う人もいる。そして売っている物は曜日によって違う。

 シンガポールの学校は、中国人、マレー人、インド人、がいるので給食のメニューは、マレー料理、インド料理、中華料理、そしてスナック菓子もあって、自動販売機もあった。コンビニみたいにペットボトルのジュースも売っていて、それは必ず 1 ドル以下だ。文房具や本も売っていた。

 シンガポールにいた時は、お茶を持って行っていたし、その他はほとんどお金で買っていたので、日本に来てお茶もお金も持っていけないことを知って、とてもびっくりした。日本の給食のように一緒に同じものをみんなで食べるのより、シンガポールやアメリカみたいにいろんな物を食べられる方が絶対いいと思う。

 次は運動会のことを比べてみた。アメリカには運動会はないそうだ。シンガポールの運動会は、ドッジボールとかけっこぐらいしかない簡単な運動会だ。日本は休日にあり、親も来るし全体競技もあり、まるでお祭みたいだ。

 他の国々はどうだろう?調べてみると、カナダにはなかった。オーストラリアはシンガポールとほとんど同じだ。

 運動会の事を調べてみて、海外には日本と全然違う所がたくさんあることに気付いた。運動会がない国があるのを知ってとても驚いた。私の個人の考えは運動会があったほうがいいと思う。なぜなら年に一度どこの国でもスポーツフェスティバルがあると楽しいからだ。

 運動会と給食のことを調べてみると、国によって色々違う所があり、とても驚いたし、興味深く感じた。その違いが生まれるのは、国々の文化が現れているからだと思う。色々な文化を感じることができて、今回調べた国と違う国についても、もっと知りたいと思った。これからも、他の国々と日本との違いについて考えていきたいと思う。

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