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町内会は必要?

村上 類(17)

 東京都が設置している「東京の自治のあり方研究会」の調査によると、平成25年の東京都の町内会・自治会の加入率は55%を切っている。加入していても必要性を感じない人が多い可能性もある。これからの町内会はどうあるべきか、首都大学東京の玉野和志教授と大田区田園調布親和会会長の馬渕雅之氏に取材した。

首都大学東京の玉野和志教授

 日本の町内会の始まりは明治時代までさかのぼる。当時は住民の自主的な活動を主としていた地域の自治組織が、徐々に行政の末端機構と位置づけられていき,戦時体制の下では隣組に整備されていくことになる.その後、第二次世界大戦後のアメリカの占領下で町内会という団体の否定等も経験したが、現在も町内会には参加するのが当たり前という風潮が残ってしまった。町内会長が家を訪ねてきたら、お金を払うという義務感が住民の負担になっているという。 
 
 さらに高度経済成長期以降の、お金ですべてを解決しようとする人の増加も理由の一つだと玉野教授は話す。社会において人間関係は必要不可欠なものであるが、直接関わるわずらわしさからか、最近ではSNSに重きを置く人も少なくはない。

 実は町内会は市区町村が作成したプリントの配布を始め、地区によってはゴミ捨て場や街灯の管理も担っている。それらの電気代やゴミ捨て場のネットの購入も町内会費で賄っている。行政が行わず住民主体で運営されるこうした団体は世界を見ても珍しいそうだ。

大田区田園調布親和会会長の馬渕雅之氏

 確かに町内会長も会員にも負担が大きい。後継者が見つからないのもわかる。しかし町内会や自治会等を必要と感じる人も現実的にはいることを忘れてはいけない。

 例えば防犯面だ。お金に余裕がある人は警備サービス会社に委託すればいいだろうが、
厚生労働省の発表によると平成24年の相対的貧困率が約15%である日本において、住民の目でお互いを見守ることが必要であることは明らかだろう。

 またセキュリティーシステムでも補えないのが災害時だ。田園調布親和会の馬渕氏は東日本大震災後、会員から集めた義援金の贈呈と防災の教訓を学びに宮城県東松山市を訪れたが、現地で町の人とのつながりの大切さを実感したそうだ。

 田園調布親和会では震災時ブログに被害を防ぐ情報を即時転載したり、会員全員へのヘルメット配布も行っている。また定期的に地元小学校で行われる防災訓練にも参加している。

 多くの住民にとって町内会は何らかの意味があるのではないか。もちろん、改善すべきところはあるし、関わりをいったん離れると戻りづらい。そこで玉野氏も馬渕氏も口をそろえて言うのは、必要最低限、顔見知り程度の仲になろうと心がけるということだ。普段忙しくて近所の人と会う機会が少ない人は、市民祭りや飲み会に参加するのでもよい。田園調布親和会ではバスツアーや、年末には恒例イベントとして夜回りも行っている。自分が加入している町内会を見直す機会を設けて、地元の繋がりについて考えなおしてみるのもいいのではないだろうか。

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スポーツ

アスリート、そして私たちのための『メンタルトレーニング』

前田 佳菜絵(14)

 昨年のラグビーW杯で、日本代表が強豪南アフリカを破って世界を驚かせたことは皆さんの記憶にも新しいだろう。しかし、日本代表の大躍進の陰には「メンタルトレーナー」の存在がいたことは知らない人も多いだろう。そもそも「メンタルトレーナー」「メンタルトレーニング」という言葉自体が敷居が高く聞こえる人もいるかもしれない。一体「メンタルトレーナー」とはどのような仕事なのだろうか。主にアスリートへのメンタルトレーニングを行う、日本スポーツ心理学会認定メンタルトレーニング上級指導士の田中ウルヴェ京さんに取材した。

日本スポーツ心理学会認定メンタルトレーニング上級指導士の田中ウルヴェ京さん

 まず、なぜメンタルトレーナーになったのかを質問すると、田中さんは「『メンタルトレーナーになりたい』とは思わなかったです。メンタルトレーナーになると決めてから何かをしたのではなく、スポーツ心理学をアメリカの大学院で学び、色々な経験を積み重ねていくうちに、『この経験はメンタルトレーナーになったら役に立つかな』と思ってこの仕事を始めましたね」と身振りも交えながら説明した。2002年にメンタルトレーナーとして活動を始めた時から田中さんは「スポーツ選手、コーチとしての経験は、そのまま現役のアスリートやコーチへのメンタルトレーニングに役立つと思っていた」そうだが、当時の日本では、まだメンタルトレーニングが現場に浸透していなかったので「自分たちでメンタルは管理できている」とアスリートやコーチに思われてしまい、なかなか活動ができなかったそうだ。

 田中さんは、「コーピング」という、ストレスの原因となる状況などの受け止め方を調整する方法のメンタルトレーニングをおもに行っている。「コーピングは、選手の実力発揮にはとてもいい方法だと思います」と田中さんは笑顔で話した。田中さんの著書には多くのコーピングの方法が載っているが、それらは先行研究の結果と田中さん自身の経験を合わせて考案されている。また、アスリートと一般人のストレスの違いについて問いかけると「アスリートと一般人のストレスは同じです。というよりも、人は人によって違う固有のストレスを持っているから、特にアスリートと一般人のストレスに違いはありません。人によってストレスへの対処は変わってきます」と田中さんは詳しく説明した。

 そして、田中さんは「自分の選手時代の経験は、メンタルトレーナーとしての活動のなかで使っていい時と使ってはいけない時があります。私の選手時代の目標は『オリンピックでメダルを取る』でしたが、例えば『スポーツを楽しみたい』という選手がいたら、私の経験、考えをそのまま使ってはいけませんよね」と話した。

 また、「全てのストレスをコーピングはできません。たとえば『死』に関するストレスは、誰にとっても難しいですよね。しかし、生きるというのはとても辛いことが多くあるけれど、生きるということで多くの色々な自分固有のコーピング(対処行動)を作ることが大事です。例えば『あなたはガンで余命は3ヶ月です』と言われたら、どのようにその『ガン』という言葉に向き合って3ヶ月生きていくことにするのか。これこそがコーピングです」「悲しいという気持ちにはコーピングできません。けれど、悲しい自分をどうするか、という行動を作るコーピングはできます」と田中さんは真剣な表情で語った。

 最後に田中さんは、これからのメンタルトレーナーとしての活動について「これからやりたいことは多すぎますね。ビジョンとしては、一人一人の方に『『あるべき自分』ということにとらわれず、ありのままの自分でいること』ということが人生で一番やらなくてはいけないことだ、と伝えたいです。これが、実力発揮や人の役に立つこと、さらには死ぬ直前に『生きてて良かった』と思えることにも繋がります」と悩みながらも話してくださった。 田中さんへの取材で、メンタルトレーニングはもちろんアスリートの結果のためにも大切だが、人としての生き方にも密接に関わることだ、と感じた。ストレスが多い現代社会、私たちは「メンタルトレーニング」への見方の敷居を下げて、だまされたつもりで一回試してみるべきかもしれない。

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社会

演奏権と複製権~複雑な著作権の世界~

三好 恵瑠(14歳)

 昨年は東京オリンピックのエンブレム問題で著作権がニュースとなった。しかし、学校の生徒の間では毎年文化祭の時期になると自然と話題となってくるものだ。クラス企画でBGMを使うときや、発表に使う音楽など、ことあるごとに先生からは「著作権には気をつけて使え」と注意される。だが中学生では音楽著作権に詳しい生徒はいない。そこで学校活動でもなにかと身近な音楽著作権について一般社団法人日本音楽著作権協会(通称JASRAC)に取材した。

JASRAC広報部の金口由布子さん

今回取材に応じてくれたのはJASRAC広報部の金口由布子さんだ。まず著作権とは何のためにあるのかという疑問については、「著作物を守るため」と金口さんははっきり言った。時間をかけて作った著作物が守られなければ、著作者たちが何かを作ることをやめ、新しいものが生まれなくなってしまうから著作権は存在するのだという。

音楽著作権は作詞家、作曲家そして音楽出版社が持つ権利である。そこで、文化祭などで著作権のある音楽を使うときに、許可を取らなくてもいい場合と取らなければいけない場合の判断基準は何なのかを聞いた。「著作者の死後50年を経過している場合は権利が消滅しているため自由に使えますが、それ以外の音楽を許可なしで流す場合には3つの条件があります」と金口さんは言う。それは非営利目的の催物である、出演料なし、入場料なし、の3つの条件を満たしている場合だという。だから入場料なしの文化祭で音楽をBGMとして流すことや、発表として演奏したり、歌ったりする場合は許可をとる必要はないということだ。

しかし、一方で「複製権」という権利も意識しなければならない。上記の3つの条件が適用されるのはあくまでも音楽を流す場合だけで、音楽を複製してBGM集を作った場合は複製権がかかわってくるのだ。そもそも音楽著作権には利用形態ごとに細かな権利が決まっている。3つの条件が適用されるのは演奏権であり、録音やコピーの場合にはあてはまらないということだ。

複製権とは音源を録音したりコピーしたりする場合の権利で、演奏権とは違い非営利であっても権利者の許可がいる。しかし例外はある。ウォークマンやipodなどの音楽再生機器に音源を入れる場合は明らかに音源をコピーしているが、個人的に楽しむ目的であれば問題ない。

演奏権と複製権は私たちが音楽を扱う場合に絶対に気をつけなければならない。細かくて複雑なルールだが著作者の権利を守るためには必要なことだ。著作権について、特に複製権の違反については心当たりのある人も少なくないだろう。ただ、これらは著作権に関して一部にすぎない。著作権が守られるからこそ、創作が生まれるという基本の理解が広まることをまず期待したい。

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社会

「怖い」じゃなくて「楽しい」~お化け屋敷プロデューサーという仕事~

松本 哉人(16)

 今年の夏、記者はお化け屋敷を体験した。間違いなく怖くて、終盤には走り出しそうになるほど腰が引けていたにもかかわらず、最後は気分が高揚して、お化け屋敷を出た瞬間には笑い出していた。一体どんな人が、そこまで怖いお化け屋敷を作っているのだろうか。また、そこまで怖いお化け屋敷に人が集まるのはなぜなのだろうか。お化け屋敷プロデューサーの五味弘文さんを取材した。

そもそもなぜ、怖いはずのお化け屋敷に長時間並んでまで人が集まるのだろうか。五味さんは「お化け屋敷が楽しいからです」と話す。「入場するとき、人はお化け屋敷の中身を知らず知らずのうちに想像して、全て作り物と分かっていつつも不安や恐怖を感じています。その不安が、実際にお化けに驚かされることで解消されるその瞬間が気持ちいい。そして、驚かされることが重なるうちにどんどん興奮して、最終的には笑っちゃうくらい楽しくなって、お化け屋敷は楽しいと感じるんです」。
 
では五味さんはどのようにしてその楽しさを演出しているのだろうか。「お化け屋敷を楽しむためには、不安を感じる一方で、これは作りものなんだと思う客観性が必要で、お化け屋敷での体験の中に少しずつわざとらしさを混ぜることでお客さんが冷静さを持てるようにしています」と五味さんは語る。具体的には、ストーリーの中に飛躍した内容を混ぜたり、お化けが飛び出してきてもそれ以上近づいてこず、むしろ引っ込んでいったりする仕掛けにすることで、単なる恐怖だけではなく心地よさも感じる余裕を演出するのだと五味さんは楽しそうに語った。
 
実際にお化け屋敷に入った人たちはどう感じているのだろうか。取材した人は一様に「怖かった」と言っていたが大半の人が笑っていた。中には「出口を出た瞬間がスカッとした」と語る人もいて、それぞれに楽しんだことがうかがえた。一方でお化け屋敷から出てくる人の中には泣き出している人や二度と来たくないという人もいて、やはり、余裕をなくしてしまう人がいることも事実だ。

 五味さんは「お化け屋敷は、並んでいるたくさんの知らない人や一緒に行った人とともに体験し、同時に共感することで、今の世の中の人にとってはコミュニケーション上の大きな意味を持っていると思います」と語る。五味さんは過去に、シャッター商店街にお化け屋敷を作った際にその意味を強く感じたという。地域に他に若者が集まっていける場所が少ないこともあり、若者にとってお化け屋敷が、外で遊べる場所になったことが当時驚きだったと語っていた。

 お化け屋敷は、怖いから、子供だましだから、などといわれ敬遠されることも多いアトラクションであるが、実際に取材してみると作り手側は単に怖いだけではなく入場者を楽しませるために様々なことを考えて作っている、というのが新鮮な発見だった。

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お化け屋敷をプロデュースする仕事

村上 類(16)

 今、日本各地で期間限定のお化け屋敷が人気を博している。その裏にはお化け屋敷プロデューサーの五味弘文氏の存在があることを知っているだろうか。日本で一番怖いとの噂もある五味氏のお化け屋敷の魅力に迫った。

  五味氏流のお化け屋敷のプロデューサーは一から十まで全てに関わることにある。ストーリーやお客さんに与えるミッション(役)を考える作業はもちろん、美術や音響担当者との打ち合わせ、お化け役の従業員へのトレーニングまでも自らの立会いのもと、約7ヶ月かけて進めていく。

五味氏は最初からお化け屋敷プロデューサーを仕事にしたいと思ったわけではないと言う。小学生の頃からお化け屋敷を作りたいという気持ちは漠然とあったが、そもそもお化け屋敷プロデューサーという仕事は存在しない。しかしいろいろな人と巡り合う中で、東京ドームシティのお化け屋敷のプロデュースをする機会をたまたま得たことが功を奏し、その後の年もプロデュースを続け、それが今に繋がっている。

その五味氏が作る、二時間待ちもざらではないお化け屋敷の魅力。それは二つのこだわりと工夫にある。

一つ目はお客さんをストーリーに深く関わらせることだ。例えば夏休み中に東京ドームシティにオープンしていた「呪いの指輪の家」は主人公の女性に指輪をはめるというミッションがお客さんに課せられる。昔のお化け屋敷は脈絡もなく色んなお化けが脅かすものだったが、五味氏のお化け屋敷はお客さんをストーリーに欠かせない存在にすることで恐怖を提供している。

人間はストレスや不安が解消されると「楽しい」がうまれると五味氏は言う。それがお化け屋敷の中では何回も繰り返されるため、普通はネガティブなお化けが人を呼んでいるのだろう。実際、お化け屋敷から出てきたお客さんに話を聞くと「スッキリした」という声が聞かれた。

二つ目は現実にはありえない、嘘だと思える要素を盛り込むこと。お化け屋敷は、いかに冷静さと想像力の振り幅を楽しめるかにあると五味氏は話すが、その冷静さをお客さんに与えるために、あえて偽物とわかる信号を出している。脅かしたあとに引っ込んでいくお化けの姿を思い出すとわかりやすいだろう。

日本各地に広まる五味氏のお化け屋敷だが、シャッター街にもお化け屋敷を作り、地域活性化に一役買っていることもよく話題になっている。だが、五味氏は地方を盛り上げるというより、若い世代に遊ぶ場所を提供していることに注目していた。ネットに向かいがちな若い人が抱えている閉ざされた気持ちを、お化け屋敷によって解放出来るのではないかと五味氏は言う。

今後もお客さんがストーリーに参加するお化け屋敷を作りたいが、お化け屋敷は海外に発信しても面白いエンターテイメントだと五味氏は感じている。それはもはやお化け屋敷という形ではないかもしれないとも言う。

避けたいはずのお化けが人を呼ぶ裏には、試行錯誤して工夫するお化け屋敷プロデューサーの存在があった。今後の五味氏のお化け屋敷の進化に期待していきたい。

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もうお化け屋敷なんて行かない

三好 恵瑠(14歳)

 お化け屋敷プロデューサー、わかりやす過ぎるそのネーミングは興味を持たせるのに十分だった。はっきりいってお化け屋敷が苦手な記者には怖い取材だが、お客さんに毎度毎度恐怖をあたえてくれるお化け屋敷がどうやって作られているのか興味は尽きない。

取材したのは株式会社オフィスバーンの代表取締役である五味弘文さんだ。一番気になっていたのはお化け屋敷プロデューサーという仕事のことで、お化け屋敷があるということは、どこかで誰かが作っていることはわかるが、それだけを仕事としている人がいるとは思ってもいなかったからだ。

話を聞いてみると、もともとお化け屋敷プロデューサーという仕事はなく、自分がその仕事をしているうちにだんだん世間から認められていきついた名前だという。五味さんのプロデュースするお化け屋敷には、ストーリーがあり、客にミッション(役)を与えることで客がそのストーリーに入り込めるようになっている。そのため、お化け屋敷を作るときにはまず、ストーリー、設定、ミッションの3つを考える。そしてそこから美術や音響などの演出を考え、組み立てていくそうだ。

 五味さんは自らのお化け屋敷の特徴であるストーリーにとてもこだわっている。人がお化け屋敷で恐怖を感じる理由の一つに「想像力」があると五味さんは語る。人は自分が考えているより大きな恐怖を想像力のせいで感じ、抑えきれなくなっているという。ストーリーを作ることで客をひきこませ、もっと想像力をかきたてることができるそうだ。

そしてストーリーには偽物をいれるように気を配っているという。物語に明らかな飛躍を入れたり、極端にしたりすることで、その偽物は誰でもそうだと気付くものにするようにしているそうだ。しかし、偽物だとわかっていてもやはり怖いものは怖い。

ただ人を怖がらせるために怖そうなものを置いてそれっぽく部屋を暗くし、演出をする。普通の人はいままでお化け屋敷についてこのように考えていたはずだ。だが、人間の想像力に注目し、ストーリーやミッションを作るなど全力でお客さんを怖がらせようとしている努力には感心させられる。五味さんとお化け屋敷のすごさが十分伝わってくる取材となったが、それを知った今、取材前より一段とお化け屋敷には行きたくなくなる取材にもなった。

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「お化け屋敷プロデューサー」って?~お化け屋敷作りへの熱い思い~

前田 佳菜絵(14)

 「お化け屋敷」というと、皆さんはどんなイメージを浮かべるだろうか。一般的には、怖い雰囲気なかで、お化けが驚かしてくる場所を歩いたり、乗り物に乗って進むものだろう。しかし最近は、来場者自らがストーリーの役を担い建物内を進み、架空の世界観に入り込めるお化け屋敷が増えている。このような新しいスタイルのお化け屋敷を打ち出したのは日本でただ一人の「お化け屋敷プロデューサー」である五味弘文さんだ。

 五味さんはお化け屋敷プロデューサーの仕事とは「お化け屋敷を一から十まで作ることだ」と語った。具体的には、お客さんにお化け屋敷の中でやってもらう役割、つまり『ミッション』を考えて、それに合わせたお化け屋敷のテーマを決めてからストーリーを考える。お化け屋敷内の演出や図面を決めたら、衣装を作る人や音響の仕事の人たちと打合わせ、お化け役のスタッフの教育もしていく。さらに開催後も運営の様子を見ていく。企画を立ててから開催まで7ヶ月は掛けたいと五味さんは言う。五味さんは、お化け屋敷を作りたいという気持ちはあったが、プロデューサーという形でお化け屋敷作りができるとは思っていなかった。「僕はお化け屋敷プロデューサーです」と言えるようになったのは最近だという。

 本来は怖いはずのお化け屋敷になぜ人は集まるのか。東京ドームシティで今年の夏に開催されていた「呪い指輪の家」というお化け屋敷の前で、会場から出てきたお客さんたちに聞くと、「一緒に来た人が入りたいと言ったから」「恐いもの見たさ、興味本位で」という人がほとんどだった。同じ質問に対して五味さんは次のように解説してくれた。人は「怖い」だけのものは体験したくないが、それをどこかの段階で「楽しい」に転換させられると一つのエンターテイメントになる。お化け屋敷の中ではかなり強いストレスや不安が与えられ続けるが、お化けが出ると「正体はこれだったんだ」と不安が解消され、それを繰り返していく。ここでいう「不安が高まる」ということは「期待が高まる」と同じことで、最後に外に出た時に全ての不安が解消され、そこで本当の楽しさが現れるという。

 だから、お化け屋敷のストーリーを考える時、五味さんは「テーマから発展させてストーリーを考えるが、リアリティーがなくてファンタジーのようなものを思いついたら『いいな!』と思う」と楽しそうに話した。「お化け屋敷の中で非現実的なものがあると不安が解消されて『楽しい』と思えるようになる。例えば、『呪い指輪の家』で主人公の鮎子の指から指輪が抜けない、というのもリアリティーがない」と五味さんは説明した。

 また、お化け屋敷の心理について五味さんは「人は怖い雰囲気の所を歩くと想像力の抑えがきかなくなっていくからさらに怖くなるのではないか」「入場までの行列で、例えば一人で来ていても前後に他のお客さんがいる。誰かと一緒に並んでいることが重要だ。多くの人と何かを体験することで、お客さん同士に共感が生まれるのだろう」と五味さんは推測する。ちなみに五味さんは自分がプロデュースしていないお化け屋敷にも行ったことがあるらしく「正直に言うと怖かった」と話していた。「でも、自分が作ったお化け屋敷を体験したお客さんには『怖かった』と言われるより『楽しかった』と言われるほうが嬉しい」と五味さんは語った。

 また、五味さんは遊園地だけでなく地方の商店街にもお化け屋敷を作ったことで話題となった。「地方の商店街にもお化け屋敷を作ったのは、商店街側から依頼があった。正直、ここでは人は来ないだろうなと思っていたが、多くのお客さんに来てもらえてよかった」と五味さんは話した。また、五味さんは「地方には大きな遊園地など、友達と外で楽しい体験ができるところが少ないから若い子たちも家に閉じこもってしまう。外で遊べる場をお化け屋敷として提供したところ需要が多くあった。シャッター商店街を活性化するという目的もあったかもしれないが、若い子たちの閉ざされている感じを瞬間的にでも解放してあげていると考えている」と真剣に語った。

 最後に五味さんは、これから作っていきたいお化け屋敷について「大きなお化け屋敷を作ってみたい。所要時間が長いお化け屋敷はストーリーをじっくり感じ深く入り込められる、海外にも作ってみたい。日本で作った会場に海外のお客さんは来てくれてすごく怖がってくれている。『恐怖を楽しむ』ということに関しては形の違いがあっても万国共通だから、自分の作ったお化け屋敷を日本発として海外に出していきたい」と話した。

 普段私たちが楽しんでいるお化け屋敷も五味さんや多くの人の「新しいものを作りたい」「より良いものを作りたい」という努力の上にある。これはお化け屋敷だけのことではなく、すべてのものの裏には制作に関わった人たちの熱い思いがあることをこの取材で学ぶことができた。表立って活躍する人以外にも、その裏で日々努力に勤しむ人たちにこそ私たちは注目するべきではないか。

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教育

「宿題代行サービス」から見る、現代の教育制度の問題点

前田 佳菜絵(14)

 皆さんは「宿題代行サービス」という言葉を聞いたことがあるだろうか。宿題代行サービスとは、その名の通り宿題を代行してくれるサービスのことだ。しかし、一般的に考えて宿題を他の人にしてもらう、ましてやお金を払って業者にやってもらうのは「やってはいけないこと」という認識の人が多いだろう。例えば、Newsweek日本版websiteのコラムニストで在米ジャーナリストの冷泉彰彦氏は、この風潮を、親と子供が業者と共謀して「教師をだます」行為だと問題視している(2015年7月30日同website)。また教育評論家の石川幸夫氏は、教師は代行を見抜けると自信をつけるのではなく、社会環境の変化にあわせた宿題のあり方についても真剣に検討すべき時代になっている(8月22日付産経新聞)と指摘する。

 このようにサービスに否定的な意見が多いことに対して、実際に宿題代行サービスを行っている業者はどのように思っているのだろうか。そもそも、どのような思いで宿題代行サービスを行っているのだろうか。宿題代行屋Q代表の板津知直さん(31)に取材した。

 なぜ宿題代行サービスを始めたのか、と聞くと板津氏は「誰もやっていないことだから。教育に関したビジネスをやろうと思ったが、個人参入は旨味が無いし勝てる自信が無かった。インターネットのサイト売買でこのサイトを購入して、去年の夏から始めた。もともとは『便利屋』のようなものだったが、それを宿題代行だけに特化させた」と語った。夏休みの宿題がある時期が最も依頼者が多いと板津さんは話し、「夏以外は大学生や資格勉強をしている社会人からの依頼が多い。今年の夏は依頼が多過ぎて、半分以下しか受けられなかった。しかし、その分高品質なものは提供している」と語った上で、「『上位の人』は、彼らにとって無駄なことはやらない。だから、そう いう人たちの依頼を受けるためにあえてサービスを高額にしている」と話した。また、苦労する依頼について聞くと「『枠から外れる』もの。読書感想文などは枠が決まっているが、裁縫や絵本作り、作曲などは苦労する」と板津さんはこぼした。

 宿題代行サービスに賛否両論あることについて板津さんは「当然だと思うし、予想通り。常識的に考えたらダメなことだからね。でも、あえて僕は着眼点を変えて、誰もが『いけないこと』と思うこのサービスを始めた」と誇らしげに語った。また、宿題を親などに手伝ってもらうことと宿題代行サービスを利用することの違いは「料金を払うか払わないか以外は無いと思う」と話した。サービスを始めてからの約1年間、学校側に代行を指摘されたなどのトラブルはないという。「学校側は宿題を丸投げしているから、正直意味が無い。実際、先生たちは代行に気づいていると思うけれど、変に指摘もできないのだろう」と板津さんは推測した。

 宿題代行サービスの是非を語る上で、サービス推進派と反対派のどちらもが挙げていたのが「教育のあり方」についての批判だ。今のような教育制度では宿題代行サービスがあっても当然だし、教師側が指摘できないのも納得できること、というのが双方の意見をまとめた結果だ。私たちは、今「宿題代行サービスの是非」を語るより先に「教育制度の是非」についてもう一度考え直すべきなのだろうか。

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教育

宿題代行サービスとは?

村上 類(17)

宿題代行サービスの存在を知っているだろうか。テレビなどのメディアでもたくさん取上げられ、多くの宿題代行業者が現在は存在している。ビジネスとして問題ではないのか等の賛否両論が上がっている。今回はその宿題代行サービスの実態に迫った。

板津知直代表

宿題代行屋Qの板津知直さん(31)は、やっている人が少なく、インターネットを使える仕事である点に目を付けていた。そもそもサイト売買のサイトで売られていた宿題代行を買って、ブログという形式で昨年の夏にスタートしたのは、塾のように市場が出来上がってなかったからだと話す。

基本的には板津さんを含め8人ほどの登録者で宿題代行を行っているが、特に今年の夏は依頼数が300件以上あり一部は断ったそうだ。効率が良い勉強をしたいと思い、なおかつ金銭的にも余裕がある人からのニーズが大きく、それらの人に時間の無駄と考えられている宿題を代行している。

宿題代行屋Qの特徴は高品質、依頼者の勉強に役立つ解説書を作ることだそうだが、一つ一つに時間がかかるため沢山の依頼を引き受けることは出来ない。中でも苦労する依頼は枠から外れている宿題だそうだ。裁縫、本を作る、曲を作る等の宿題は依頼者の年齢に見合ったものを作る必要があるからだろう。しかし今まで一回も宿題代行が学校側にばれてトラブルになったことはないそうだ。

宿題代行業者が宿題を代わりに行うことは子供のために全くならない、子供に宿題をあたかも自分でやったかのように演じさせることはよくないなどの反対の意見を提唱している人もいるが、それらの世の中の目については予想通りで、批判があって当たり前だと板津さんは話す。しかし必要なニーズに答えるには、当たり前だと思っていたことをひっくり返して仕事にすることもあってもいいと言った。

時代の背景を反映したサービスと言えるであろう宿題代行。人によって自分にあった勉強の仕方は違う。宿題代行サービスを使うかはあなた次第だ。

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報告会、レクチャー

国際青少年メディア・サミット及び石巻訪問の報告会

去る11月1日(日)15時から、コネクト渋谷で、7月27日~8月7日に参加した第10回国際青少年メディア・サミットと、8月22日に訪れた宮城県石巻市の「キッズ・メディアステーション」及び同市北上町十三浜の「浜人」取材の報告会が行われた。
 記者、修了生、保護者、理事、スタッフ、ユースワーカー、そして関係者たち約30名が集まり、メディア・サミットに参加した記者が撮影・編集したビデオを上映し、パワーポイント・スライドを使ってプレゼンテーションを行った。
 続いて石巻を訪れた記者の二人がそれぞれ7分間のプレゼンテーションを行った。

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社会

被災地から全国へ広がる漁業の魅力

米山 菜子(18)

  3年前の2012年、若者の目線から新しいスタイルの農業を展開する若い農家グループを取材した。農業と同じく1次産業の漁業から、6次産業化に挑戦している若者たちがいた。6次産業とは、農水産物の原料だけを提供する第1次産業から加工、流通、販売までを一体化する多角化の事業形態だ。一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの面々である。彼らは、新3K「漁師をかっこよく、稼げる、革新的に」をコンセプトに集まった宮城県石巻市の若手漁師である。2011年の東日本大震災で、津波に漁船、漁具、作業小屋、そして自宅まで流された被災地から、漁師のイメージを変える一歩を踏み出し始めている。

阿部勝太氏のホタテ剥き実演

 フィッシャーマン・ジャパン代表理事である阿部勝太氏(29)への取材場所は、海がある石巻ではなく、東京の日本橋だった。阿部氏はフィッシャーマン・ジャパンのイベントのために石巻から東京に出てくることも少なくない。イベントを通して、漁師の魅力や自分たちの水産物を都会にいる人々に広めている。以前は海で採れた産物を直接あるいは加工して漁協に卸し、市場がきめた価格で販売していたスタイルを、自分たちで直接販路を探して、自分たちの水産物に見合う価格をつけることで漁師の魅力を「新3K」にまとめている。子どもたちが後継者として育つためには大いに影響する「かっこよさ」と、水産物に見合った収入が得られるための「稼げる」は、不可欠であったという。そして、最後の「革新的」には、ITや異業種の人々とのネットワークを駆使して販路を開き、地方からでもアクションを起こせるという思いを込めた。水産物のオーナー制度という制度も革新的な活動のひとつだろう。水産物に見合った価格で提供するため、地元だけにとどまらず、都会に出て多くの人々にまず食べてもらい味を知ってもらう活動が行なわれている。

 今でこそ、阿部氏はフィッシャーマン・ジャパンの名を背負い、海がある十三浜と東京を行き来しているが、漁師になったばかりは今ほど意欲的でなかったと父である阿部浩(52)氏が語る。きっかけは、東日本大震災だったという。

ホタテの阿部勝太氏とカキの阿部貴俊氏

8月22日に阿部家がある石巻市北上町十三浜を訪れた。塀には津波の爪痕がまだ残り、破損している部分も多くあった。ワカメやコンブ、ホタテを養殖している阿部家の船や漁具、作業所は流されてしまい、同じように被害を受けた近隣の5家族と手を取り合い、「浜人」という漁業生産組合を立ち上げた。そのような境遇から、漁師への想いが変わっていく息子の姿を父は近くで見ていた。「勝太は震災前には、親に言われたことをただやるだけだった。震災を機にいろいろ考えるようになったのではないか。震災を経て変わったな」。
 
 フィッシャーマン・ジャパンは、毎月イベントを開催している。8月20日には東京の日本橋でカキやホタテの殻むきを実演し、都民に体験してもらい、それらを味わう会や、9月には川崎でバーベキューも予定している。イベントはまだ模索中で、様々な方向性のものを企画しているという。

 阿部氏は、農家とも交流を持っている。 3年前に取材した宮治勇輔氏が代表を務めるNPO法人「農家のこせがれネットワーク」の活動からヒントももらったという。 阿部氏は最後に語った。「いつかもっと力をつけたら、農業と漁業で大きな『食』というテーマで連携することをやってみたい」。 農業も漁業も後継者は減少し、子どもたちに魅力を伝えていくことが難しくなっている。だからこそ、彼らのように若者の目線で1次産業界を盛り上げていくことは、日本の将来を支えるためにも素晴らしいことではないだろうか。 阿部氏は漁業の楽しさを次のように述べた。「手間をかけた分だけ美味しくなるんです。そして、提供したときにわかりやすく答えが返ってくる。そういう反応がもらえる職業って、あるようで意外とあまりないと思いますよ」。石巻の復興とともに新しいスタイルの漁業も前へ前へ進むことだろう。

2012年に農業を取材した記事「若者の改革で変わる農業」は本ウェブサイトに掲載されています。

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国際

コソボ出身のヴィトン・カストラティさん(24) にインタビュー

松本 哉人(16)

カストラティさんと松本記者

松本哉人(16)記者は、2015年7月27日から8月6日まで、セルビアのベオグラードで開かれた第10回国際青少年メディア・サミットに参加した。そこで7つの課題の一つの「貧困」グループに参加し、コソボ共和国から参加したヴィトン・カストラティさんがアドバイザーだった。松本記者にとって今回初めて若いコソボ人に会って話をした。

「貧困」グループ


Q. あなたの国コソボ共和国について簡単に説明していただけますか?
A. コソボ共和国はヨーロッパでもっとも新しく生まれた国です。過去600年の間オスマン・トルコやセルビアに占領されていたのですが、2008年に米国と欧州連合(EU)の支援を受けて独立しました。コソボはバルカン半島の中部にあり、アルバニア、モンテネグロ、マケドニア、セルビアに囲まれています。人口は約200万人の小さな国です。首都はプリシュティナです。古くから残る町がたくさんありますが、私はマリシェヴァ(Malisheva)に住んでいます。我が国は音楽、衣装、食べ物にとても古い伝統があります。

Q. どのような仕事をされていますか? 
A. Ibrahim Mazrekuという小学校で英語の先生をしています。また、Value for Better FutureというNGOを創設し、理事をしています。私たちは子ども、学生や若者たちのための多くの活動をしています。教育、文化、芸術、メディアに関しする活動が行われています。私たちは、若者が才能を見出すようにサポートし、短編映画やWADADA NEWS FOR KIDS向けのニュースを制作するために共に仕事をしています。


Q. なぜその仕事を選んだのですか? 
A. コソボでは急速に英語が広がっていますが、英語の先生の数が足りません。英語ができると仕事を得やすいしの国際的な団体、青少年サミットや映画祭に関わる人々と交流することもできます。
私は、19歳から英語の先生として働いています。私の父も英語の先生で父が教えてくれました。私が住む町には英語の先生が十分いないので、この仕事を得るのは簡単でした。
私は、最初の映画「ドリーマー(The Dreamers)」をこの町で作りました。夢を持つ子どもたちが何かをしたいと思ってもうまくいかないという内容です。子どもたちの持つ才能を表現したくて作りました。この映画を持って、ドイツで行われた国際青少年映画祭に私の務める学校の生徒たちと一緒に参加しました。そこでとても刺激を受けて、もう一つ映画を作ることにしました。それは、「コソボの子ども自治(Kosovo’s  Children Government)」です。コソボではこの映画でとても成功を収めることができたので、生まれつき両手がない少年についての映画、「手がなくても問題はない(No hands, no problems)」も作りました。
私は、英語、メディア、さらに国際関係を好む多くの生徒たちから刺激を受けているので、教師として働くのをとても幸せに思っています。このことが関係機関から評価され、マリシバ(Malisheva)の町で2014年~2015年で最も積極的な教師の一人として発表されました。


Q. このサミットに参加した理由は何ですか?
A, 新しい出会いがあるし、私の作品を観てもらおうと思ったからです。自分の作品を文化、背景、教育レベルの異なる30か国の参加者に観てもらうことはとても大事だと思います。サミットはとても素晴らしい経験でしたし、私がこのサミットに参加できるように支援してくれたコソボ駐在のノルウェー大使館に感謝しています。

Q. このサミットを通して学んだことは何ですか? 
A. 多くの経験を積むことができ、それぞれ異なる背景の教育、文化、伝統があることを知ることができました。しかし、何よりも大事なことは、これからもっと良い映画を制作するにはどうすればよいかということを学んだことです。


Q. なぜ「貧困グループ」を選んだのですか?
A. コソボはまだ貧困で苦しんでいるので、私自身にもっとも影響があると思って選びました。貧困の経験をみなに伝えようと思いました。
劣悪な状況の中で生きるのは難しいので、貧しい人々を助けるのは良いことだからでず。現在でも教育を受ける機会のない子どもたちが大勢います。かれらは他の人たちからの援助がもっと必要です。コソボは戦争で被害を受けたので多くの貧しい人たちがいます。私たちは彼らの生活や未来がもっと良くなるように頑張っています。


Q. コソボの貧困についての問題点は何ですか?
A. コソボは2008年に独立したまだ新しい国ですが、税金が使われるべき所に使われていないことです。工場を建てたり雇用を増して事業の収益を上げるための投資ができるはずなのに、適切なところにお金を送っていません。


Q. 貧困の解決策は何だと思いますか? 
A. これは国境を越えた問題ですから、解決するのはとても難しいです。自分達で可能性を生み出すことができない人々にもっと多くの場所や機会が欲しいし、そしてお互いを守るために私たちはチームとして活動しなければいけないと思います。また、政府が若者たちにもっと雇用の機会を創出するような適切な所に資金を投資することです。
政府は人口が増加し、現在の状況に満足していない若者たちにうまく対応する必要があります。若者たちはコソボから出て、他の国で働こうとしています。政府はもっと手をうつべきだと思いますが、私個人としては1人の市民として、また教師として何か役立とうと思っています。私にできることは貧しい子どもたちに教育をすることです。


Q. 政府はどのようにお金を得ているのですか?
A. 200万人の国民や中小企業からの税金だけです。コソボにもっと多くの工場を建てて若者たちに働く元気を与える時期にあると思います。


Q. 産業は発展していますか?
A. 少数の産業と企業はありますが、造船業、航空機産業、科学技術、貿易産業のような巨大産業はありません。中小企業しかありません。自分たちが使うための電力や農業は大丈夫です。


Q. 他の国から十分な支援を受けていますか?
A はい。欧州連合やアメリカが沢山投資してくれました。50万人以上が海外で働いていますが、各国にあるような企業がもっと必要です。しっかりした企業を設立しなければなりません。


Q. 教育については、何か問題点はありますか?
A. かつてはいくつか問題点がありました。しかし、戦争が終わってからは学校やすべての子どもが教育を受けられることに、もっと関心を寄せるようになりました。大学に通うことはそれほどお金がかかりません。年間授業料はたった100ユーロ(約13,500円)です。多くの若い女性は教育を受けて将来より良い家庭をつくり、仕事をもてるように学校に通っています。以前は大学に行く女性は一人もいませんでしたが、今では、性別に関係なく大学に行ける可能性があります。


Q. すべての人が大学に行くことができていないのは、貧困が理由の一つだと思いますか?
A. はい。どんなに優秀な学生でも親が貧しければサポートできません。残された道は、結婚するか、どこかでより良い暮らしをするためにコソボを離れるしかありません。


Q. 独立してから7年たちますが、コソボの生活はよくなっていますか?
A. はい、良くはなっていますが、まだいくつかの問題があります。コソボの人口の大半は若者たちで、平均年齢は30歳です。若者たちは、より良い仕事や生活を求めて海外に出かけていっています。この状況には対処されていません。昨年は、20万人の若者がドイツやオーストリア、イタリアで生活するためにコソボを離れました。これは、戦後の我が国では最悪の状況です。


Q. 日本人はどのように支援をしたらよいですか?
A. 日本人に何ができるのかわからないので答えにくいですが、若者や学校を支援することはできるかもしれません。すでに使わなくなった技術や設備のようなものをコソボに持ってくることができるかもしれないですね。たとえ日本から遠く離れていても、日本はこれまでにコソボ政府に対して技術協力や医薬品、町をきれいにする廃棄物収集トラックやコソボフィルファーモニー交響楽団への楽器の供与のような無償資金協力(二国間援助)をしてきているので、これからも別の良い方法をみつけられるでしょう。私たちはこのような日本からの援助に対して大変感謝していますし、これからの技術革新や市民権の模範になっている日本からの良いニュースをいつも期待しています。

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