カテゴリー
社会

新3Kの農業

澤山友佳(17)

 163万人もの従事者がいながら、高校生の進路ガイドブックには決して乗ることのない仕事、農業。農林水産省の統計によると、平成22年度の新規就農者は54,570人。4年前と比較すると33%減少した。「きつい、汚い、稼げない」という ネガティブな3K がつきまとう。そんな中、新しいスタイルでそうしたイメージを打ち破る人たち がいる。

 株式会社みやじ豚代表取締役の宮治勇輔氏(34)は NPO法人農家の「こせがれネットワーク」代表理事・CEOも務める。勤めていた都内の大手企業を辞め、養豚業を営む実家に戻ったのは7年前。育てた豚で バーベキューを開催すると大好評。噂は口コミで広まり、「みやじ豚」として ブランドにまでなった。現在では生産量の約5割をレストランへの卸売りやオンラインショップでの販売などの直接販売でさばき 、利益率は養豚業界トップクラスを誇る。

實川氏の梨園「みのり園」

 千葉県で梨を育てる のは實川勝之氏(32)。父の怪我を機に農家である実家を継ぐまではパティシエとして洋菓子 店で働いていた。元々栽培していた米や野菜に加え、新たに梨栽培を始めた。コンセプトは「梨というfruitsを梨というsweetsに」。目指すのはケーキのような、上品で少し特別な存在だ。そのための努力は惜しまない。試行錯誤を重ね、独自の栽培方法を編み出した。美しさにもこだわる。自身の農園を「工房」と呼び、ショーケースのように整然とした「日本一美しい梨園」と自負する。現在10種類以上を生産。購入 者 に好きな梨を見つけてもらうためだ。さらには一本の木を購入し、接ぎ木により梨をカスタマイズできるオーナー制度を導入 したり、もぎ取り体験を実施したり、客とのコミュニケーションを通して信頼関係を築く 工夫を凝らす。

 農地や設備がそろ っており、親から技術指導を受けられ、周りの農家や 客 からの信用も得ているという 就農 条件が整っている農家出身者と比べると、非農家出身者はいささか険しい道を迫られる、と宮治氏は言う。だが、非農家出身者が挑戦しているケースも 少なくない。北海道でアスパラガスを栽培する押谷行彦氏(42)は この道13年のプロだ。 前職は兵庫県尼崎市にあるスーパーマーケットの従業員。大学時代、 スポーツに打ち込んでいたこともあり、「一日中エアコンが効いた 室内で働くより、 季節を感じながら汗を流して働きたい。」一念発起して憧れの北海道へ渡った。大学へ入り直して知識と人脈を得、さらに2年間農園で研修を受けた。スーパーで働いていた分、客の感覚が分かる。「平均的な価格だけど他のものより美味しい。」そのシンプルな戦術 がオンライン販売だけで多くのリピーターを生み出す秘訣だ。味で差別化を図るからには、栽培へのこだわりは半端 ではない。アスパラの太さは通常の二倍ほど。さらに、10cmほど余分に育て、出荷の際に根元の10cmをカットする。柔らかく美味しい部分だけを残すためだ。

 宮治 、實川 の両氏が指摘するように、従来農業は「味に関係なく農協を通して画一的に生産物が出荷され、価格決定権がないばかりか、顧客からのフィードバックも受けることが出来ない」、「おいしいものを届けたい」という思いが評価されにくい世界だった。押谷氏を含め3人に共通するのは、一度他の業界で経験を積んでいること。独自の視点を活かして生産から販売までを一貫してプロデュースすることで、その問題を克服した。さらに、消費者と直接つながりができることはやりがいや喜びにもつながる。宮治氏は「農業は3K(かっこよく、感動があって、稼げる)産業だ」と語る。

 農業従事者が減少していく今は、非農家からの就農の好機 でもある。ただし、「ブームに乗っていいイメージだけを持って来る人や、他の仕事が嫌で逃げてくる人には農業は続かない。農業は自然に左右される仕事。決められた時間働けば決められた収入が得られるわけではない 」と語る押谷氏は 。自らの 経営が軌道にのるまで5年間は辛抱が続いたという。それでも「『おいしいものを届ける』ことに喜びを感じられる人、『自然を残したい』という思いのある人なら継続できるはず」と新規就農者にエールを送る。 。「家族と触れ合う時間が持て、地域発展にも貢献 できる、そしてお客さんの喜ぶ顔を見ることができ る」と實川氏は農業の魅力をこう語る。インターネットやソーシャルメディアの発達した現代、ビジネスのスキルを身に付けた若者にとって、自然の中で働く仕事「農業」は現実的かつ魅力的な選択肢となっていくのかもしれない。

カテゴリー
社会

若者の改革で変わる農業

米山菜子(15)

 若者にとっての農業。それは、一度はやってみたいと憧れはあるものの、将来の夢の選択肢には入りにくいものである。
現在、農業就業者の平均年齢が1年に1歳ずつ上がっている。計算上は新しい若い人が新規参入しないまま農家の高齢化は進んでいることになる。では、身近で魅力的に感じられる農業とはどのようなものだろうか。若者の目線を持った後継者として新しいスタイルの農業を展開する3人に話を聞いた。

 お茶としいたけを生産・販売する「貫井園」(埼玉県)で働く貫井香織氏(34)はコンサルティング会社とPR会社で働いたあと、両親の経営する貫井園に戻ってきた。貫井氏は新聞に毎朝丹念に目を通す。販路を探すためだ。そして、何か可能性を感じる記事を見つけたらすぐに電話をする。会社員時代に身に付けたスキルだという。貫井園のホームページには、お茶やしいたけの選び方、健康効果や料理のポイントを載せている。貫井氏は女性であることや会社で得たことを農業に生かした。

 次に、農家の後継者を中心に支援するNPO法人「農家のこせがれネットワーク」代表理事であり、「株式会社 みやじ豚」(神奈川県) 代表取締役の宮治勇輔氏(34)に話を聞いた。宮治氏も一度企業に就職したが、実家の養豚業が気になり、実家に戻ることを決意した。そして、幅広い人脈を生かし様々な知り合いをバーベキューに招き実家の豚を口コミで広げた。社会で学んだビジネスや人脈を使って実家の豚をブランド化した。

 千葉県の實川勝之氏(32)はパティシエの道に進んだが、その後実家の農家に戻った。そして株式会社アグリスリーを立ち上げ 代表取締役となった。實川氏は実家の野菜や米の栽培だけでなく、パティシエの経験からケーキのような甘味の果実を栽培しようと梨園を作った。

 それを「全て同じ形をしたケーキを表現した梨園」 と紹介した。実際に千葉県横芝光町にある梨園を訪れてみると、確かに木はショーケースに並ぶケーキのようにどこから見ても美しく一直線に並び今までの梨園のイメージを覆す。現在は自ら作った梨でスイーツの試作もしているという。こうして實川氏はパティシエの経験を農業に生かした。

 農家の後継者に対し、養豚業の宮治氏は「実家を継ぐにしても一回社会に出るべき」と語る。ビジネス界で様々なノウハウを得たうえで実家の農業に付加価値をつける。様々なスタイルの農業があるなか、それがとても大切な財産となるそうだ。

 農家に生まれた後継者と、都会で生まれ育った若年層の新規就農者。ともに農業をする若者であっても環境は大きく違う。後継者には親から受け継いだ土地、機械、地域の人付き合い、生産や販路のノウハウなどがあるが、新規就農者にそれがない。

 これらのことは、農業をする上でとても大変なことであり新規就農者には厳しいスタートになると宮治氏は言う。そのため、「新規就農者を増やす必要はない」とさえ言った。やみくもに新規就農者の数を増やすよりも1人でも多く、優秀な後継者がいた方が農業全体には好結果をもたらすのだという。

 農業の新しい流れもある。前述の元パティシエ、實川氏は会社を大規模経営にして、農業に興味のある若者たちを雇用している。農業会社で働くことで、環境やノウハウは實川氏が持っているものを使うことができるし、いずれ農家として自立するとなったときにも条件は良い。實川氏は、近隣の農家の高齢者たちから耕作地を任されている。これらを休耕地にしないためにも、従業員たちを自立させ耕作地を与えて独立させようと計画している。

 實川氏のこのフランチャイズのシステムは、宮治氏が指摘する新規就農者の厳しい状況を解決できるかもしれない。おそらく、いま必要とされているのはこのような農業スタイルであり、農業をしたいと思う若者の手助けをしてくれるだろう。

 一昔前は農業には生産するというイメージしかなかった。しかし、今の農業は若者の手によって付加価値をつけた農業へと変化しつつある。手間ひまかけた、品質の良いこだわり抜いた農産物を提供し、オンラインショップやオーナー制の販売などが始まっている。言い換えると、ただ生産するだけの場ではなく生産から販売までを一貫してプロデュースする農業になりつつある。
 
 「農業はビジネスだ」 宮治氏のこの言葉は農業の新しいスタイルを表している。

宮治氏にインタビューする記者たち
カテゴリー
社会

これからの農業「こせがれ」という新しいカタチ

南雲 満友(17)

梨園「みのり園」で説明をする實川氏

 農業という言葉を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。ともすれば農業は「きつい・汚い・かっこ悪い」いわゆる3K産業として考えられてきた。都会へ出て働く若者は田舎には戻らず、農家は高齢化の一途をたどっている。その一方で、農家の後継者である「こせがれ」が、親の農業に付加価値をつけて継ぐという新しいスタイルが注目を集めている。

 宮治勇輔氏(34)は、一般企業に勤めた後、神奈川県にある実家の養豚業を継ぎ、「みやじ豚」というブランドを成功させた。バーベキューイベントを定期的に開催し、口コミによって豚肉の品質に対する信頼を獲得し、消費者を拡大してきた。NPO法人「農家のこせがれネットワーク」を設立し、代表理事を務めている。宮治氏の目標は近い将来、農業が「かっこよく・感動があって・稼げる」3K産業へと成長させることだ。小学生の就職人気ランキング1位をめざし、活動を続けている。
 
 宮治氏は「こせがれ」が実家の農業を継ぐ利点について、「新規就農者は農地や農機などにコストがかかり、販路を自ら探しださなくてはいけない。一方、こせがれは土地も機械もあり、そのうえ地域の人とのつながりがある。こせがれが実家の農業を継ぐことが一番だと思う」と語った。また今は規模を拡大できるチャンスだという。「こせがれ」が農業を継ぐことで、ビジネスで培ったノウハウを実践できるという。

 實川勝之氏(32)は、父親の怪我がきっかけでケーキ・パティシエを断念し、千葉県の実家に戻った。米や野菜作りを続けながら、パティシエの経験を生かし、新たに梨の栽培を始めた。同氏は自らの梨園を「工房」と呼ぶ。「ショーケースに例えて、工業製品のようにクオリティーを統一することを目指した」という。様々な新種の梨を一つの木に接ぎ、ショーケースにあるケーキのように配列し、美しく栽培することで付加価値をつけた。顧客が好みに合わせて木に接ぐ梨の種類をカスタマイズできるオーナー制度も確立している。また株式会社を設立し、農業に興味のある若者を雇い、独立できる実力がつけば農地や農機、ノウハウを提供するというフランチャイズ方式で農業経営を続け、農業と地域の活性化を目指している。

 埼玉県のお茶・椎茸農家の三代目、貫井香織氏(34)は、ベンチャー企業でキャリアを積んだ後、実家に戻った。「社会でビジネス経験を積んだことが、今農業に生かされています」と自信をにじませて語る。プロジェクトの立案の方法や、新聞を毎朝読んで、販路に繋がる情報を目にすると、すぐに電話をかけるという習慣は、会社勤めの経験が役に立っているという。商品開発では女性の視点でのアイデアをカタチにしているそうだ。

 既存の事業に付加価値をつけていくには、新しいアイデアと実行力が必要だ。その点で三氏は、ビジネスの経験を農業経営に生かし、新しい農業のスタイルを構築していると言えるだろう。今、日本は食糧自給率が40%を切り、TPP問題など大きな変革の時を迎えている。宮治氏は「農業も今までの仕組みが崩壊している。新しい方法で僕たち“こせがれ”から現場を変えなければいけない」と語った。 農業に新しい風をもたらす「こせがれ」たちの今後の活躍に目が離せない。

カテゴリー
Interviews

Interview: Mr. Bernard Krisher

Nanami Aono (18), a Children’s Express Japan youth reporter, interviewed Bernard Krisher (80) on February 21st, 2012.

Bernard Krisher, a journalist working as Newsweek’s Asia Bureau Chief until 1980, founded American Assistance for Cambodia in the US and Japan Relief for Cambodia in Japan and the independent newspaper, the Cambodia Daily, in 1993. He launched the Sihanouk Hospital Center for the American charity HOPE in 1996. He has built more than 500 schools for the rural poor in Cambodia.

Nanami visited Phnom Penh in March 2011 with four other CE youth reporters and carried out interviews with local NGOs and the Cambodia Daily.  She began to think about need income-generating projects that offer poor children the skills necessary to earn their own living.  To learn more about how to develop such projects in Cambodia and what she should study during college, she met with Bernard Krisher.

Q. Why did you decide to help girls go to school?

A. I have to tell you about Nicholas Kristof, a writer for the New York Times.  When he visited Poipet, he went to a brothel and talked to one of the working girls asking, “How did you get here?”  The girl replied, “I was trafficked.”  She wanted to quit prostitution and so we paid her money to open a shop, but she disappeared.  Another girl, rescued by Nicholas, ran off with her boyfriend.  I realized that I was not able to help these girls.  So I decided to start to help girls go to school.  I think education is the best way to help the poor children in Cambodia.

Q. What do you emphasize in your projects?

A. Our projects aim not to rescue children but to prevent them from straying to the wrong way of life.  We encourage them to go to school, to have peers, and to connect with other people.  Once they leave school, it is hard to return.  School means a better job, a chance to go to university, and to become a homemaker.  We are also educating girls about healthcare including HIV and parents too because we need their support.  Our project is called “Girls be Ambitious” giving poor families $10 a month to prevent girls from child trafficking by going to school every day.  We stop giving $10 if the girls stop going to school.

Q. Have you had any difficulties working with Cambodians?

A. Not really, but the language can be a problem.  People inPhnom Penh might be able to speak English but people in the villages cannot. So, foreigners can’t work in the villages without interpreters.

Q. How have you found reliable staff inCambodia?

A. My staff is very loyal to me, because they appreciate what I am doing and how I treat them.  However, one problem in Cambodia is Cambodians do not truly understand loyalty.  The culture has a sense of cruelty as you see in the fresco paintings in Angkor Watt, which describe many cruelties.  Also, you have heard about Pol Pot’s genocide. Cambodians have experienced too much jealousy, criticism, and fighting amongst themselves mainly due to the lack of education.  So, trivial matters become quite important to them.  We try to teach the importance of distinguishing between trivial and important matters in their lives.

Q. How did you find your staff when you first began in Cambodia?

A. When Prince Norodom Sihanouk returned to Cambodia in 1991 after the Paris Peace Accords, and Hun Sen established a monarchy again, I had dinner with Prince Sihanouk and he asked me to help with the restoration and the reconstruction of Cambodia.

I met Mrs. Nuon Phaly, President of the Future Light Orphanage through Prince Sihanouk and she asked me to hire her nephew Thero.  He is polite and intelligent, and became my assistant.  Thero is very honest, and so I could hire reliable staff through him.

Q. How did you meet Prince Sihanouk?

A. I interviewed President Sukarno of Indonesia for Newsweek and he liked me. When I went to Jakarta again, President Sukarno introduced me to Prince Sihanouk.

Q. I understand that bribes need to be paid when dealing with the Cambodian government.  What percentage of your project’s total budget is spent on bribes?

A. We have never paid a bribe.  I just said, “I don’t pay bribes because I’m helping your country.”  In addition, I am not asked for bribes because I am a friend of the king.  Furthermore, if you pay once, you have to pay forever.

Q. What is the main reason you could succeed with your business development?

A. Success is my personality as I never give up.  I believe nothing is impossible, and everything is possible.  My friends call me “a pusher.”  Anything I want to do, I keep pursuing.  That is why I could have a private interview with Emperor Hirohito as the first foreign correspondent in Japan.

Q. Have you laid off staff?

A. I never lay off staff unless they are disloyal or dishonest. Teachers in our school including computer teachers are an exception.  As donors pay their salaries, if we don’t receive donations they have to be let go.  However, we usually assign the teachers to another school.  We give them one-months notice. Sometimes, we give staff who served for a long time some kind of compensation as they don’t have unemployment insurance inCambodia.

Q. I really want to stop child prostitution. What do you think I should study in college?

A. Psychology, counseling, and sociology. In addition, you should get experience working in some organizations.  There is trafficking in Japan, too.  People from Vietnam and other countries are also in trouble.  You should find an organization helping them, work for that organization, talk to the people involved, and ask what the problems are.  Then you could work in the developing countries.  Practical experience is important.  It is not possible to understand only by learning at school.

Q. Did your organization received grants from the Asian Development Bank and the World Bank?

A. I used to receive matching funds, that is, they gave half of the money to build the schools.  However, due to the recession the amount of funds is quite limited now. However, we have received grants from Keidanren CBCC (Council for Better Corporate Citizenship) for hospital and school projects inCambodia.

Q. If you had another life, what would you do?

A. I would do the same thing all over again.

カテゴリー
Interviews 国際

カンボジアでの偉業を成し遂げたクリッシャー氏

バーナード・クリッシャー氏への取材

青野 ななみ(18)
2011年3月、第2回カンボジア取材旅行に記者の一人として参加し、児童労働や児童買春問題に関わるNGOを取材した。児童問題は貧困問題の解決なくしては改善されないことを知った記者は、実際に貧困児童のためにカンボジア全土で数々の事業を展開しているバーナード・クリシャー氏(80)に成功の鍵や学生が学ぶべきことを取材した。
    
 「いかに女子の就学率を高め、学校に通い続けるようにするか」このミッションに立ち向かっているのが元「ニューズウィーク」アジア局長のバーナード?クリッシャー氏である。カンボジアにおけるポルポト政権の大虐殺後、1991年パリ和平条約協定が締結され、北京より帰国したシアヌーク殿下(元国王・国家元首)からの要請を受け、クリッシャー氏は国の復興・再建に協力することを決める。

 まず1993年に非営利団体「ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア」を日本に、「アメリカン・アソシエーション・フォー・カンボジア」を米国に設立し、両国で寄付や助成金を募り、世界銀行やアジア開発銀行からの資金を得て、カンボジアの貧しい農村に現在までに500以上もの学校を設立してきた。ジャーナリストだったクリッシャー氏は、同年カンボジアで初めての日刊英字新聞社「カンボジア・デイリー」を設立した。1996年には貧しい人に無償の治療を提供するシアヌーク病院「ホープ・センター」を創設し、2001年、国際的な慈善活動を称えて贈られるグライツマン賞を受賞した。

 「カンボジア・デイリー」によると、カンボジアでは半数以上の家庭が一日2ドル以下で生活し、未だに多くの数の子ども達が最悪の労働環境で働いているそうだ。このような子ども達を救うには、教育の普及こそが最も重要だとクリッシャー氏はいう。教育を受けることができれば、仕事に就くことができる。また、学校に行くことで同世代の子ども達と交流することができるし、保健授業を通してエイズについて学ぶこともできるというメリットもある。

 クリッシャー氏の数々の事業の一つに「Girls be Ambitious(少女よ、大志を抱け)」がある。途上国の貧しい少女を児童買春の被害者にさせないために最も効果的なアプローチは、そもそも児童買春されないようにすること。つまり、学校に通い続けられるようにし、教育を受けること。この事業は、そのような女子の就学率を高めるため、一ヶ月間毎日学校に通うことができたら、その家庭に毎月10米ドルを提供するというものだ。この方法は効果をあげ、メキシコなどでも似たような方法が始まったという。

 この行動力はどこから出てくるのだろうか。カンボジアを始め、多くの途上国では事業を実行する上で許認可をもらう役所に賄賂を払わないと進めていくことができないといわれている。しかし、クリッシャー氏は一度も払ったことがない。「当初賄賂を求められた際に、私はあなたたちの国を助けているのだから、賄賂を払わなければいけないのであれば、援助はしない」と言い切ったそうだ。「私には何も不可能なことはない。私は絶対に諦めない」という言葉には、ここまで様々な実績を残してきたからこその重みと説得力があった。

 1960年代にインドネシアのスカルノ大統領に「ニューズウィーク」東京特派員として取材をし、気に入られた。その後ジャカルタへ行った際にカンボジアのシアヌーク殿下を紹介された。シアヌーク殿下から要請された復興事業を始める際には、信頼できる現地スタッフを紹介されたという。また、スタッフには無料の医療を受けられるなどのサポートをしっかりしている。

 スタッフには教えることが多くあるが、そこで課題となるのは忠誠心だそうだ。カンボジア人は忠誠心を知らず、アンコールワットのフレスコ画に描かれている残酷な絵やポルポトの大虐殺のように、残酷な面もあるそうだ。常に嫉妬心を抱いている。些細なことでも大きな問題になってしまうため、クリッシャー氏は些細な問題と重大な問題を区別することを教えているという。

クリッシャー氏と記者

 では、カンボジアのような国で貧しい児童への支援活動をしたいと考える学生は何を学ぶべきであろうか。答えは「心理学、カウンセリング、社会学などを学ぶこと。また日本でも同じように児童買春被害者の支援をしている組織の中で働き、問題についてどのように対処しているのかを学ぶこと。そして何よりも大切なのは、机上の勉学だけでなく現地に行って経験をすることだ」とクリッシャー氏は強調する。そのような経験を積んでから、国際的に活動することができるのではないか、とも言われた。   新聞社、病院、学校、そして様々な大偉業を成し遂げた裏には、クリッシャー氏の、打たれ強い諦めない不屈の精神があった。

カテゴリー
社会 国際

難民受け入れのメリット

飯田 奈々(16)

 日本は海外からの難民受入れ事業に乗り出すのが、他の先進諸国に比べて遅かった。100%の受入れ体制が整っておらず、改善すべき点は多くあるそうだ。財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部の鈴木功氏、NPO法人難民支援協会広報部の田中志穂氏、NPO法人かながわ難民定住援助協会会長桜井ひろ子氏、事務局長與座徳子氏と、様々な立場の人たちを取材した。

かながわ難民定住援助協会の與座徳子氏への取材

 「難民条約」によると、難民とは「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見を理由に、迫害を受ける可能性があるために祖国から逃れざるを得ない人」のことを指す。難民事業本部によると、2010年に日本政府に難民として認めてもらうために申請した数は1202人であった。

  日本には、認定がありえない外国人 をまずふるいにかけてから段階的に審査していくという制度がない。難民も、単に経済的理由で日本にきた人も申請窓口が同じなので、申請者数が膨らむと 、難民認定審査に一定の時間がかかるようだ。 。難民事業本部の鈴木氏によると、一時は認定されるまでに1 年以上かかっていたが、最近では6ヶ月を切るまでに短縮されたそう だ。

 もう一つ、 鈴木氏があげた事は、不認定などの結果を受けて何回でも申請をし続けることができる点だ。「何回も申請して、認定されることはあるのか」との疑問に対しての答えは、ほとんど「ノー」に近いそうだ。もちろん不認定結果に納得がいかず再度申請する場合も多くあるが、何度も難民認定申請が行われることで、申請者にも負担がかかる場合もあると 言う。

 しかし、難民支援協会の田中氏は、何回も審査できるというのはそれだけ審査方法がきちんとされていない証拠で、制度に問題があり、誰もが納得するようなフェアで透明性がある認定基準の仕組みを作ることが大切だ、と語った。

 このように政府の委託事業を実施している難民事業本部と援助をしているNPOとでは、物事の捉え方が異なっている。しかし、どちらも 「難民に幸せな暮らしを送ってもらえるように」「日本にきてよかったと思ってもらえるように」と最終的な方向性は同じだ。

 また、日本人の難民に対する意識も同じである。総論では、「難民を受け入れるべきだ」「親切にすべきだ」と唱えているが、いざ自分の隣に難民が引っ越してくると拒否する。これではいつまでも、難民を受け入れるのにふさわしい土壌ができず、難民の日本での社会的立場は変わらない。
 
 今後労働人口がどんどん減っていってしまう日本において、「難民定住者や他の外国人定住者が今の日本の生産現場を担っていることを認識しなければならない。そして、日本で生まれ育った難民定住者の子どもたちにとって、二つの文化を併せ持つことが将来的にプラスになるような環境の整備が必要である 」とかながわ難民定住援助協会の桜井氏と與座氏は何度も繰り返した。 最後に桜井氏は語った。「外国人は異文化を運び、一色に染まりがちな日本に多様性をもたらす。困難を乗り越えて生きる難民の姿から、日本人が学ぶ事は多いと思う。難民は人口が減少している日本社会にとって貴重な 人的資源 なのだから」と。

カテゴリー
社会 国際

難民問題から考える日本社会

澤山 友佳(16)

 日本に難民がいる――この事実を知っている日本人はどれだけいるだろうか。現在日本には1万人以上の難民が暮らしている。しかし、その数は世界的に見ると圧倒的に少ない。UNHCR Statistical Yearbook 2009によると、難民条約加盟国141ヶ国のうち、人口1000人当たりの難民受け入れ数では132位。難民の受け入れが少ない原因はどこにあるのか。

難民事業本部の鈴木功氏への取材

 難民条約によると、難民とは、「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見を理由に、迫害を受ける可能性があるために祖国から逃れざるを得ない人」のことである。現在日本に定住する難民は、3つに分けられる。一つがインドシナ難民で、1970年代後半、新体制となったベトナム・ラオス・カンボジアから逃れてきた人とその家族が当てはまる。2005年の受け入れ終了までに11,319人が受け入れられ*、在日難民のほとんどを占める。二つ目が、条約難民。日本が1981年に加入した難民条約に基づき、日本政府の難民認定を受け定住を許可された人で、インドシナ難民との重複を含め2010年度までに577名が日本に定住した*。三つ目が、第三国定住プログラムの下で受け入れられた難民だ。このプログラムは2010年に開始された開始された外務省の事業であり、3年間パイロットケースとしてタイの難民キャンプから毎年30人のミャンマー難民を受け入れることとなっている。*難民事業本部案内 2011年度版より

 日本へ逃れてきた難民は、難民申請をし、政府の認定を受けなくてはならない。複雑な書類の記入や面接を含む審査は、彼らにとって困難を極める。審査には半年かかり、その間法律上正規な仕事に就くことができない。特定非営利活動法人「難民支援協会」広報部の田中志穂氏によると、「再申請は可能だが、審査そのものの透明性にも疑問は残る。トルコからのクルド難民の申請は認定されたケースがない。それは日本と外交上友好関係にあるためのようだ」という。

 日本への定住を許可されてもさらなる関門が待ち受けている。財団法人アジア福祉教育財団 難民事業本部では日本語教育や生活ガイダンス、就職相談を行っている。長年在日インドシナ難民の支援をしてきた特定非営利活動法人「かながわ難民定住援助協会」会長櫻井ひろ子氏は、その経験から「難民定住者への初期支援の日本語研修が572時間では圧倒的に短い。これでは地域に定住した後も日本語の各種書類が読み取れて、提出書類が作成できるようなるまで追加の日本語研修支援をしなければ自立定住には至らない」と言う。

難民支援協会の田中志穂氏への取材

同協会は1986年から神奈川県大和市を中心に、インドシナ難民の自立を目指してボランティアによる日本語教育や法律相談を行っている。教室には年間延べ約14,500人が参加するという。日本に定住する難民を対象に最も苦労していることについて調査したところ、トップが日本語の問題だと回答した。日本語が十分に使えないということは、職業の選択肢が狭まることも意味する。

 事務局長の與座徳子氏によると、子どもたちの抱える問題も深刻だ。家族と共に日本へ来た子どもや、難民二世として日本で生まれた子どもたちは、学校で日本語を学ぶが日常会話は比較的簡単に習得できるものの、教科書の中で使われる日本語が理解できずに学習の遅れが生じがちだ。主に母国語を使用し、日本語の習得に困難を極める両親との間ではコミュニケーション・ギャップが生まれることもある。 

 文化・習慣の違いや、日本社会の仕組みが分からないことから起きる問題もある。例えば、難民が定住している地域で旧正月を祝うために公民館を使用したくても、事前に団体登録が必要で、しかも日本人の責任者がいることなど、手続きが難しいことがある。與座氏によると、難民のほとんどが、母国に戻ることは出来ない状況の中で、日本経済の悪化により失業したり、次の就職先をすぐに見つけられないことなど日本での居心地の悪さを感じているという。

 上記の第三国定住プログラムも、2011年10月に第二陣のミャンマー人家族をタイ国境にある難民キャンプから迎えた。定員は30名に対して来日したのは18名だったとアジア福祉事業財団難民事業本部の鈴木功氏は言う。震災の影響も否定できないが、日本の受け入れ態勢の不十分さが浮き彫りとなったと言えるだろう。「インドシナ難民定住者の負の遺産を引継いでいる。その反省を踏まえて初期支援を充実させることが、地域での自立定住を容易にする」と櫻井氏は訴える。

 難民は、少子化の進む日本社会にとってもはや欠かせない労働力だという指摘もある。輿座氏と田中氏が共に言及したように、日本とは異なる文化を持つ彼らは日本に多様性をもたらしてくれる存在でもある。日本が海外援助で橋や道路などを建設するだけ建設し、その後の影響を顧みていないことが多いという批判はしばしばなされるが、難民についても同様だ。単に受け入れる数を増やすだけでは解決にはならない。難民認定申請者の中には経済移民も含まれているため厳密な審査は必要だが、難民が日本で安心して生活できる環境を整える視点が忘れられがちだ。今までの難民定住における問題点を検証し、受け入れる以上は国や自治体がそれぞれ責任を持って、日本語教育を中心とした十分なサポートをしていく必要があるだろう。民主化が進むミャンマー情勢を見ても第三国定住の受け入れに関しては、日本への定住が本当に彼らにとって良いことなのかという見直しも迫られる 。一人でも多くの日本人が難民たちの背負っているものを理解し、文化や習慣の違いを認めることができれば、彼らのアイデンティを活かせる場が増えることになろう。「官僚主義」、「たらい回し」、「同一志向」――難民の抱える問題の解決に取り組むことは、日本の問題そのものと向き合うことでもある。

カテゴリー
Interviews

Interviews The Great East Japan Earthquake March 11, 2011, 2:46 pm

Mayu Nagumo (16) and Sara Tomizawa (16), CE youth journalists, interviewed nearly 30 people from around the world during the 6th International Youth Media Summit held in Belgrade from August 1-12, 2011 in regard to The Great East Japan Earthquake.  Both youth journalists experienced first hand the impact in Japan and were interested to find out the reactions of those from other countries.  The majority interviewed was youth participants in the Summit and came from a variety of countries including America, Canada, France, Germany, Greece, Macedonia, Nigeria, Serbia, Spain, Sweden, and Turkey.  A summary of the interviews follows the questions below.


How did you first hear about the earthquake? Through what media?

Nearly all the interviewees stated the internet followed by television. Many used social network sites to follow the news once hearing about the earthquake and tsunami.  Basically multiple forms of media were involved.


How did your country report the news?

 Once again nearly all the respondents used terminology such as disaster, devastating, catastrophic event followed by dangers and risks.


When did you talk about the news with your family and friends?

 All the interviewees except one discussed it immediately with their families whether in-person or via telephone or computer.  Many families were concerned about the Japanese and also their own families that lived near nuclear power plants in other countries.

What do you know about the Fukushima nuclear power plant incident?

 Many realized how serious the situation was, that the Japanese government did not seem to be releasing all available information, and that the situation was still not stable at the time of our interviews.


Do you think that nuclear power plants should be abolished?

Although many respondents answered a resounding yes, quite a few people felt it was a difficult question to answer.  The general belief was that although nuclear power plants are a danger to the environment, they are an important source of power.  Until viable alternative sources are available, nuclear power plants are inevitable.


What new energy sources will we see in the future?

Mainly people mentioned existing energy sources that are not used today such as wind, solar, biomass, and hydro-power rather than new types of energy.

カテゴリー
座談会

便利だけど怖い「ソーシャルネットワーク」

出席者:小林夕莉(16)、毛利美穂(16)、澤山友佳(17)、瀧澤真結(13)、米山菜子(15)(司会)
2011/12/21

Twitterやmixi、facebook・・・近年急速に存在感を増している「ソーシャルネットワーク」は、今や若者にとって便利な情報発信のツールになりつつある。日常的にそれらのツールを利用する中高生記者5名が、利用方法や危険性について話し合った。

一日にどれくらい
司会:まず皆さんのまわりの人たちや、皆さんの利用状況を教えてください。

夕莉:私は今「モバゲータウン」というサイトに入っています。だいたい一日に一時間ぐらいは使っていると思います。

真結:私は「フェイスブック」というツールを使っています。私の他にも学校の友達などはほぼ全員使っているので、毎日一時間使っています。

美穂:私は「フェイスブック」、「ツイッター」、「ミクシィ」と「マイスペース」を使っています。携帯、モバイルで見られる「ツイッター」とか「マイスペース」はけっこう一日中。

友佳:私は「フェイスブック」を使っていて、一日に一回チェックするぐらいです。学校でやっている人は20人ぐらいなのですが、「ミクシィ」はほとんどの人が使っています。

菜子:私は「フェイスブック」を利用しています。周りの人たちは他に「ミクシィ」や「グリー」や「アメーバ」など、たくさんのサイトを使っています。

■きっかけは
司会:ではソーシャルネットワークを利用し始めた理由を教えてください。

美穂:「フェイスブック」は、海外の友人とつながろうと思って小学生の時に始めました。

夕莉:私は電車で「モバゲータウ」ンの広告を見て、ゲームをしたくて入りました。

真結:私は日本に帰国する時に海外の友だちに誘われて「フェイスブック」をやり始めました。最初は隠れてやったんですけど親にバレて、そのあとちゃんとルールを決めながらやることにしました。

友佳:私はCEの他にもボランティア活動などをしていて、そこでの友だちとの連絡や呼びかけなどに「フェイスブック」を利用しています。

菜子:3.11の時に「フェイスブック」などのツールの方が連絡をとりやすいということで母親に勧められたのがきっかけで使っています。

■多様なソーシャルネットワーク その違いは?
司会:「ツィッター」、「モバゲー」、「アメーバ」、「ミクシィ」について説明できる人いますか?

美穂:「ツイッター」はアカウントを複数持つことができて、公開アカウントだったら誰でも見ることができるしリツイートやリプライで他の人と会話することができます。鍵アカウントだったら自分をフォローしていない人には自分が何をつぶやいたかはわかりません。
芸能人や大手出版社の意見も友人と同じ欄で見ることができて見やすいですし、海外の人と友人になることもできる。それに最近利用者が多いので、どの時間にもつぶやきの欄が常に1秒ごとに更新されていくんです。だから便利だなと思います。

夕莉:「モバゲータウン」は、名前は自分で決めるので本名じゃないです。個人情報っぽいものは、性別と誕生日と年齢くらいです。あと自分で趣味は何々とか、好きなものはなんです、みたいに書くスペースがあります。

美穂:「アメーバ」だとつぶやきの欄やブログの欄、グルッポの欄、足跡の欄があります。足跡っていうのは誰が訪問したかがわかるところで、グルッポっていうのは同じ趣味を持っている人がグループを作ってそれについて掲示板で話すところ。つぶやきは「ツイッター」とか「ミクシィ」と同じようなつぶやき。一番多いのはたぶん芸能人の方の「ブログ」で、「アメーバ」だと容量が多いのできれいな画像がけっこうはれるっていうのが理由にあると思う。「グリー」は「モバゲー」と似た感じだと思うんですけど、ゲームの種類が違う。

美穂:「ミクシィ」は、プロフィールのところにあだ名・性別・年齢・趣味などの自己紹介の欄があり、その他につぶやきの欄や日記の欄、写真の公開欄などがあります。友人限定にするか、友人の友人限定にするか、パスワードを入れることができる人限定にするか、非公開で自分だけが見られるようにするかは自分で決めることができます。

司会:「フェイスブック」と「ミクシィ」の違いはなんだと思いますか?

友佳:「フェイスブック」でも「ミクシィ」と同じように自由に投稿することができるのですが、「ミクシィ」だとかなり頻繁につぶやきを投稿する人が多いように感じます。また、「フェイスブック」では海外の友人などとも交流ができますが、「ミクシィ」は基本的に日本の中にとどまってしまうのではないかと思います。

菜子:私が思う、「フェイスブック」とその他のサイトの違いは、「フェイスブック」は本名でやっているのでその人を特定しやすいけれど、他のサイトはサイトの中で自分で名前を決めるので本当にその人が自分で名乗っているのかというのが分かりにくいということです。例えば女子高生と名乗っている人がほんとに女子高生なのかとかが分からない。だから私はフェイスブックを利用しています。

友佳:はじめは「フェイスブック」で本名を公開することに抵抗があったのですが、今は親も納得して利用しています。「フェイスブック」では、未成年の利用者は友だちの友だち以外の人には詳しい情報が公開されないようになっているので、その点は比較的安全だと思います。

■メールよりツイッター
司会:次にソーシャルネットワークの良い点について聞きたいと思います。

美穂:「フェイスブック」の良い点は、写真をたくさん載せられるので、学校行事の写真などをクラスの友だちとすぐに共有できることです。

真結:私は外国にも友だちがいるのですが、そういう人たちとも「フェイスブック」では簡単に連絡を取ることができます。

夕莉:「モバゲータウン」はすぐにニュースとかがアップされるので、塾に行っていてニュースが見られない日でもその日のニュースが分かります。

美穂:「ツイッター」や「ミクシィ」だと24時間友だちとつながれるので、最近は部活の連絡や遊ぶ日程とかもそこで決めたりします。メールよりもアップロードも早いので便利だと思います。

■利便性の裏にはリスクも
司会:次に、ソーシャルネットワークについて、自分や友だちの怖かった体験談やトラブルなど、問題点があればあげてください。

美穂:「ツイッター」では「拡散」っといって、一人の人がつぶやいたことを他人にリツイートしてもらって広めてもらうことができるのですが、最近その拡散で「ライブのチケットが余ってるのでいくらで譲ります」っていうのがすごく多い。友だちが実際に連絡をとって銀行の振り込みまでしたのに、実は詐欺で結局チケットが送られてこなかったっていうことがあって、ネット上の取引は危ないなと思いました。

真結:さっき「フェイスブック」の利点として写真を掲げることができるというのが言われていましたが、逆にその写真によって個人情報が漏れてしまうという点は危ないと思います。

友佳:私はあえて「ミクシィ」を利用していないのですが、「ミクシィ」を利用している友だちはかなり時間を取られてしまっている人が多いようなので、のめりこんでしまう危険性があるのかなと思います。

真結:私の学校ではないんですが、口では実際に言えなくても「フェイスブック」内ですごい悪口を言われて、いじめにあってしまった子もいるので、そういうのは危ないと思います。

美穂:アカウントがメールアドレス一個につき一人一個しか作れない「ミクシィ」と違って、「ツイッター」だと何個も作れちゃう。複数持っている人もたくさんいるので、個人が誰だか特定しにくくて危ないなと思います。

菜子:私の友人の話なんですが、サイト内で仲良くなった男性と二人で会ってしまい危ない目に遇いかけたり、またサイト内で仲良くなった大人の男性が管理している「ブログ」に入ったら勝手に出会い系サイトに入っていて、架空請求まできたっていう子がいます。

司会:年齢やプロフィ-ルを詐称して利用している人も世の中にはいると思いますが、その見極めを皆さんどうしていますか?

友佳:私は実際に会ったことのある人としか関わらないようにしているので、年齢や性別を詐称して利用している人とは関わることはないと思います。

菜子:私は基本的には友人としかサイト内での友だちにはなりませんが、仮に知らない人からリクエストが来たとしても、そのリクエストが来た人の友人を見て判断するようにしています。

■個人情報は挙げない
司会:他に、利用するうえで、気をつけるべき点はなんだと思いますか?

美穂:「ツイッター」など誰でも見られるところには自分の写真を載せないっていうこと。名前が載っていなくても写真があがっていたら、けっこう誰だか特定しやすくなってしまうので、写真はあげないっていうのは大事だと思います。

真結:私も写真だけではなく、個人情報、例えば住所とかそういうものは友だち宛てに書くのでも、フェイスブックとかネット上に書くのは良くないと思います。

夕莉:私もどんなに知らない人と仲良くなったとしても、メールアドレスとか電話番号は絶対載せないようにした方がいいと思います。

友佳:私は携帯で利用せずに、パソコンだけで使うようにしています。「パケ放題」などにも入っていないので携帯の利用料金がかかってしまううえ、親に見られずにできてしまうので、ついやりすぎてしまう危険性が高いと思うからです。

■問題点を理解して利用する
司会:では皆さんは、ソーシャルネットワークを利用すること自体はいいと思いますか? 悪いと思いますか?

夕莉;利用することはいいと思います。「モバゲータウン」とかで情報をすぐに仕入れてみたり、みんなでメールをまわしたりいろいろとできるので、そういうのは必要だと思います。

真結:私も使うのはいいと思います。でも危ないことがすごく多いので、私は「フェイスブック」を利用する時はアップできる内容を友だち限定にしたり、投稿する前に親に見せたりなどしながら安全を確保しています。

友佳:私も利用することはいいと思います。ただ時間を決めて使うことや、知らない人とはネットを通じて知り合いにならないなどのルールを決めるといいと思います。

菜子:私も利用すること自体はいいと思います。今出たように実際に友だちとつながる手段としてはいいサイトだと思うので、さっき出た問題点などを頭に入れて、そういうことがあるというのを肝に命じながら使えば正しく使えるかなと思います。

■保護者や学校の先生は?
司会:保護者の方や学校の先生たちは、ソーシャルネットワークに書き込んでいることを知っていますか?

美穂:知らないと思います。「フェイスブック」と「マイスペース」はパソコンのメールアドレスでアカウントを取ったので、やっていることは知っていると思うんですけど、「ツイッター」と「ミクシィ」は携帯でやっているので何を書いているかも知らないと思います。

夕莉:私はお母さんに言っているので知っています。

真結:私もお母さんとお父さんの両方知っています。

菜子:母親は使っていること自体は知っていますが、書いている内容については知らないこともあると思います。

司会:保護者は学校の先生たちは、先ほどあげたソーシャルネットワークの問題点について、どういうふうに指導していますか?

美穂:両親は危険性を知っているので、あまり利用しない方がいいと思っているようです。でも私の場合相手が海外の友だちが多いので、海外で知らない子と友人になったりはしないという理由で、いくらかは安心していると思います。学校は、別の会社にお願いしてミクシィで生徒のことを検索して、そこで規則違反があれば注意をするというような話もよく聞くので、結構気にしてると思います。

真結:私の親はすごく警戒しているので、親の方の「フェイスブック」のアカウントでは自分の写真あげたりしないぐらい、かなり厳重に使っています。学校では先生たちもアカウントを持っていたりするので、ソーシャルネットワークを利用することをいいと思っている人たちもいると思います。

夕莉:私の両親はあまりそういう話をしないので、警戒はしていないと思います。学校は、情報の授業でそういう掲示板にアドレスとか住所を載せないっていうことは教えられたので、やっぱり警戒しているんだと思います。

友佳:学校では特にソーシャルネットワークに対する注意などはなく、むしろフェイスブックのアカウントを持って生徒と友だちになっている先生もいて、認めている方だと思います。

菜子:私の母はソーシャルネットワークについて怖い面も知っているので、そういうのには気をつけなさいと言います。学校は規制をしているんですが、その規制が実際に働いているかは少し疑問が残ります。

■大人達は本当の怖さを知らない
司会:大人の人たちは、私たちが抱えるソーシャルネットワークの怖い面などの問題点を本当に知っていると思いますか?

菜子:ある程度は知っていると思うけれど、本当に怖いことなどは知らないと思います。やはり、大人たちが想像している以上にソーシャルネットワークでの問題は多いと思うし、実際に体験した人から聞いた私たちの方が、その恐怖さは知っていると思います。

真結:私も、大人たちはすべてその怖さを知っているわけではないと思います。ですがやっぱり大人なので、私たちよりは長く生きている分、いろいろな話など体験談なども知っていると思うので、そういう話もちゃんと聞くことが今の私たちにとっても大切だと思います。

■年齢とともに変化する?
司会:年齢があがるにつれて、利用するソーシャルネットワークに変化は出ますか?

美穂:私はけっこう変化がありました。小学生の時は「マイスペース」とか「フェイスブック」とかパソコンで使うものが主だったんですけど、中学で「ツイッター」、高校生で「ミクシィ」を始めてからは携帯で使うものが多くなりました。持ち運びができるし、日本の友だちだと「ツイッター」や「ミクシィ」の方が利用者が多いので、そっちの使用率があがりました。

真結:私は年齢よりも使っている仲間とかの移動で左右されると思います。「フェイスブック」で何々したよって書いても、誰も返事してくれなかったら絶対使わないし、逆にみんなが「ツイッター」などを大人になって使い始めたら、そっちの方にいくと思います。

菜子:私は今「フェイスブック」を使っていますが、おそらく今後も「フェイスブック」以外は使わないと思います。その理由としては、やはり本名じゃない名前でやっている他のサイトには抵抗があるからです。

■今後も拡がるソーシャルネットワーク
司会:ソーシャルネットワークの世界は今後どういうふうに進化していくと思いますか?

美穂:これからは無料でビデオ電話やチャットができるスカイプのようなツールがもっと増えて、インターネットを通して無料で世界中とつながることができるようになると思います。

真結:世界はこれからどんどんグローバル化していくと思うし、私たちも大きくなったら世界に出て行くようになると思うので、遠く離れていてもつながるインターネットとソーシャルネットワークはもっと利用者が増えていくと思います。

夕莉:今の大人の人たちは携帯を使い慣れていないので、あまり使用していないかもしれませんが、これから私たちが大人になるにつれて利用者も増えるだろうし、仕事でも使われることが多くなると思います。

友佳:私も、ソーシャルネットワークを利用する人の数は、今後ますます増えていくと思います。今「ツイッター」などが犯罪などに利用されるということが少しずつ起きていると思うのですが、今後利用者が増えるにつれて、それがより大きな問題になってくる可能性があると思うので、その部分をしっかり考えていかなければならないと思います。

菜子:最近は小学生がソーシャルネットワークを通して犯罪に巻き込まれるという事件も増えているので、今後は中高生のみならず、もっと下の小学生のプライバシー管理も力を入れていかないと、どんどん被害者が増えていってしまうのも問題だと思います。                                   以上

カテゴリー
報告会、レクチャー

第2回記者トレーニングと報告会

 去る11月14日(日)13時から青山子どもの城研修室にて2010年度第2回記者トレーニングを行った。今回は編集・校正スタッフが作成した「取材用・記事の書き方チェックシート」をもとに取材前の準備から記事を書くまでのプロセスを勉強した。
15時から第4回日英記者交流事業に参加した4名の記者が撮影・編集したビデオ作品を上映し、各自が作成したパワーポイントを使ったプレゼンテーションが行われた。

カテゴリー
国際

セルビア訪問(2記事)

 セルビア共和国は南東ヨーロッパのバルカン半島にあり、人口は約750万人、面積は北海道と同じくらいである。旧ユーゴスラビア連邦で、歴史的に戦争が絶えない地域でもあった。1990年以降、連邦の中で独立が相次ぎ、2006年のモンテネグロ独立に伴ってセルビアも独立宣言をした。
 このセルビアの首都ベオグラードで、8月1日から12日まで、第6回国際青少年メディアサミットが開かれた。ギリシャ、マケドニア 、ボスニア・ヘルツェコビナ、コソボなどのバルカン諸国をはじめ、米国、フランス、ドイツ、スエーデン、カナダなど16カ国から約50名の若者が集まり、世界が抱える諸問題を話し合った。  以下は日本から参加したCE記者の体験ルポである。

共通の思い
2011/09/11                富沢 咲天(16)

 8 月 1日から 12 日まで 、 セルビアの首都ベオグラードで 第6回国際青少年メディア・サミットが開催された。 サミット参加者は 世界の7つの問題別にグループに分かれ、 差別、貧困、暴力、保健、環境、女性の権利、若者の地位向上のテーマで解決方法を討議した。このうち貧困問題のチームに加わりながら密着取材をした。

 貧困のグループはセルビア人(男13才)、韓国系アメリカ人(女16才)、トルコ人(女17才)、コソボ人(男20才)、そして日本人の私の5人だ。1人1人個性的で、課題である1分間の映像を作るために多くのアイディアがでた。

 大きな画用紙を机の中央に置いて、どのようなコンセプトでストーリーにするかが 話し合われた 。

 貧困で苦しんでいる人たちを助けるにはどのような方法があるのか。短期的な方法は救援物資を届けることだろう。今生き延びるために必要なものを提供する。しかし一時的な援助物資だけでは貧困層の人たちは長期的に自立できない。 「安定した収入の職につけない→貧しい→教育を受けられない→安定した収入の職に就くことができない→貧しい」の繰り返しになってしまうといった意見がでた。

 注目されたのは 教育だった。 子どもたちがちゃんと義務教育を受け、読み書きや社会に出るためのスキルを身に着ければ、将来安定した仕事に就けるはずだ。それが負の連鎖の脱出につながるという考えで一致した。
 スクリプトを作るにあたり、どのようにして観客の興味をひくか、どのチームも苦労した。 繁華街や学校を舞台にするなど様々な意見が出され1つにまとめるのが大変だった。 1つ1つのシーンにこだわり完璧な映像にしたいという思いはみな同じだった。

 ベオグラードの街中で撮影し終わった後は、編集作業に取りかかる。だがメンバーたちは5大陸から来た様々な背景を持っており、 、場 面ごとのBGMの選択や挿入方法、場面のカットなど、みな自分の理想にこだわり何度ももめた。 提出締切日の前夜は、午前3時までみんなでひたすら編集作業をした。眠い中 互いを励まし合い、やっとの思いで映像作品を完成させていた。

 サミットの閉会式でそれぞれのチームが制作した 作品が上映された。 どのチームも感慨無量の表情だ。 撮影2日目でメンバーの1人がいきなりコソボに帰国してしまったり、セルビア人のメンバーの学校の友達が役者として協力してくれたり、いろいろなこととがあった。「長い時間話し合って夜遅くまで編集したかいがあったね」と誰もが 喜びを抑えきれなかった。

 交流のなかでギリシャ語やトルコ語、セルビア語など 、みんなでそれぞれの言語の簡単なあいさつを覚えた。サミット終盤、ナイジェリアの人たちが来た時には彼らの伝統ダンスを練習するなど文化交流も盛んであった。

 サミットに参加した多くの人たちが東日本大震災と原発事故に関して関心を示した。 「なぜ日本人は非常事態でも周囲の人のことを思いやれるの」「どうしてそんなにすぐ立ち直れるの」「復興までにはあと何年かかるの」などと様々な質問が飛んできた。
日本のことをそのように 心配してくれているとは予想していなかった。

 他国の若者と協力して、お互いの意見を取り入れながら一つの作品を作っていく ために 、お互いに関心を持ち、コミュニケーションを積極的にとることは大切であった 。ともに苦労した仲間とやりとげた喜びを共有できたことは、サミットに参加して本当によかったと思う。

Shape the Future (未来を形作る)
2011/09/11                南雲 満友(16)

 2011年8月1日から12日まで、南東ヨーロッパのバルカン半島にあるセルビア共和国の首都ベオグラードで、第6回国際青少年メディア・サミットが開催された。サミットのテーマは、世界の若者たちが映像作品を通して未来を形作る(Shape the future)。環境、貧困、差別、暴力、健康、女性の権利、若者の地位向上の課題別に、世界16カ国の若者が50名ほど集まり、1分間のビデオを作った。

 サミットに応募するにあたり、各自が関心のある課題について2~3分のビデオ作品を作って提出した。私は、3月11日の東日本大震災後、実際に仙台を訪ねて目の当たりにした瓦礫の山、福島第一原子力発電所の事故によって起きた放射能汚染、大津波による塩害を例に、震災後の日本の環境の変化についての作品を作った。サミット3日目に参加者たちの前でこの作品を発表する機会があり、外国人から多くの質問を受け、震災が世界に与えた影響について考えさせられた。

 私が参加した環境グループは、アメリカ人、トルコ人、ボスニア・ヘルツェコビナ人そして日本人の私の4人だった。グループ活動が始まると、意見交換を経て、ビデオのスクリプトとストーリーボード(絵コンテ)を作った。3つのアイディアが出て、グループ内に意見の食い違いが生じた。自分の意見を主張しながらも、相手の意見に耳を傾け、その妥協点を探ることが大変だった。しかし、この意見の食い違いが、作品をよりよいものにしたと感じている。私はグループの代表として、参加者の前でスクリプトを発表した。

 1分間というのは、短いようで長い。1シーンを色々な角度から撮影し、それぞれを効果的に挟みながら編集することで、やっと1シーンが完成する。それが積み重なり、1分間のビデオ作品となるのだ。環境グループのビデオは、パラレル・ストーリー(2つのストーリーを並列させる)だったので、環境に敏感な人と無頓着に汚染する人を対照的に表現することが大変だった。

 ビデオ作品とは別に、参加者全員がテーマの問題についてアピールする1分間の宣言文を作成した。私はサミット応募のために作成したビデオで主張したことを、宣言文に反映させ、原子力エネルギーや海洋生物の生態系が、世界で議論されるべきだと主張した。この宣言文は、グループの代表として選ばれ、ビデオに収録された。英語での宣言文に最初は緊張して、言葉に詰まったり、表情が硬くなってしまったが、音声の不具合で再度挑戦する機会をあたえられた。撮影前に言われた「これからあなたが輝く時間だよ」という言葉で、自信を持って撮影に臨むことができた。

 サミットの閉会式で各グループのビデオ作品と宣言文が上映された際、これまでの10日間が走馬灯のように駆け巡り、グループの仲間と1つのものを作り上げることができた喜びをわかちあえた嬉しさで、胸がいっぱいになった。また今回Youth Committee(実行委員)のメンバーに選出されてことで、責任感とともに、自信がついた。

〝違う″ということは決してマイナスではない。育った環境も考え方も違う同世代の若者が集まり、議論を重ね、時にはぶつかり合いながら、アイディアを出し合い、1つのものを作り上げていく過程で自分の意見に真っ向から反対されたり、同じことを考えていても表現方法が違ったりするが、この違いが化学反応を起こし、大きな力になった。様々な国の同世代の若者から発せられる意見やアイディアの1つ1つが、魅力的なエッセンスのようであった。〝違う″ということを恐れない。これも大切なことだ。自分と他人が違うのは当たり前。臆病にならず、自分の意見をはっきり主張し、相手の意見にも耳を傾けることがよい議論、そしてその先につながっていくと感じた。

カテゴリー
座談会

首都圏の若者が考える電力・エネルギー問題

出席者:持丸朋子(16)、青野ななみ(17)、富沢咲天(16)、南雲満友(16 司会)
2011/07/25

東日本大震災という大ニュースに自ら接したCE記者4人が体験的ラウンドテーブル(RT)ディスカッションをしました。

司会:3月11日に起きた東日本大震災。津波の影響で東京電力福島第一原子力発電所の1~4号機が浸水し、発電所としての機能を失いました。この影響で計画停電や節電などで私たちの生活が一変しただけでなく、イタリアでは原子力発電に関する是非を問う国民投票が行われたり、国内外で原子力発電の見直しや再生可能エネルギーによる発電が注目を集めています。今回は「次世代を担う私たちが考えるエネルギー」をテーマに話を進めていきます。まず、原子力発電について皆さんはどのように考えていますか?

ななみ:原子力発電はやはり発電コストが安く、私たちの生活を続けていくうえで欠かせないものだと思っています。

朋子:安価で安定した供給ができて、二酸化炭素の排出も少ないというメリットを持ちながら、今回の地震でもわかったように、安全でないというデメリットも持っているので、生活には必要なものですが危険なものだと思います。

咲天:事故が起きた時にとても危険で、後の処理にとてもお金がかかるし、廃棄物をどこに埋めるかとかいう問題もあるので、デメリットもすごく多いと思います。

満友:原子力発電は化石燃料と違って、発電の時にCO2を出さないという点でクリーンなエネルギーとして注目を集めてきましたが放射性物質に汚染されたものの廃棄や賠償金を含めるとコストは安いとは言えなくて危険だなと思いました。■安定供給か安全性か
司会:では原子力発電について、まず利点について聞きたいと思います。皆さんは原子力発電の利点についてどのように考えていますか?

ななみ:CO2を出さない、燃料が少しでいい。
満友:日本へウランを供給している国、例えばカナダとかオーストラリアも政情が安定しているから、安定して供給が期待できるのかなと思います。

司会:逆に今回の原発事故をきっかけに様々な欠点が露呈しました。
朋子:住民にきちんと原子力発電の危険性を伝えられていないまま、東電や国などの利益を求めることを優先して作って、このような事故が起きてしまったことが一番問題だと思います。

ななみ:問題点は大きく分けて二つあります。一つ目は高レベル放射性廃棄物の最終処分地が決まってないということで、これは永遠に地球上にあるということです。二つ目に軍事転用されるのではないかという危険性です。テロへの危険という面でもとても危険だと思います。

■高コストだった原発
咲天:日本は、原子力発電に依存しすぎていることが欠点だと思います。また放射性廃棄物の処理ももし地下深く埋めたとしてもまた地震が起きて、その放射性物質が出てきてしまうという危険もあるのでとても危ないと思います。

満友:自然エネルギー庁が2010年に調べたもので原子力発電は1キロワット当たり5~6円なのに対して、太陽光が49円という8倍とか9倍の数になってしまっているけれど、これは今回の事故で原発は賠償金とかの問題を入れると莫大なお金が必要だっていうことが、みんなに知れわたったのではないかなと思っています。

ななみ:依存しすぎという意見があったでのすが、現在私たちの国の原子力発電は発電エネルギーの約3割と言われていますよね。しかも今節電していると意外とできるんじゃないかという雰囲気があります。それでも私たちは原子力に本当に依存していると思いますか?

朋子:何年かして以前の生活に戻った時に、やっぱり今のままでは電力が足りなくて、もとの依存する形になってしまうと思います。

満友:自然エネルギーは現在発電エネルギー全体の1.1%しかなくて、もし原子力エネルギーが無くなってしまったら、私たちも今まで当たり前だと思っていたことができなくなるし、経済も低迷することになってしまうと思うので、やはり依存しているのかなと思います。

咲天:例えば太陽光発電だと曇りの日は発電量が少ないとか。でもそういうことは原子力発電にはないから、一番安定供給ができる原子力発電がいいという考えに依存してしまいそう。

■危険でも頼らざるを得ない?
司会:危険だとわかっているのに依存してしまうのは、原子力が一番安定的に供給できるからでしょうか? 

ななみ:今確かに日本ではまだ1,1%かもしれないけれど、世界的に昨年の電力使用量の20%は再生可能エネルギーだったので、進んでないのは日本だけだと思う。
朋子:今までの日本は、国や一部の会社の利益を求めて原発を使っていて、私たちはそのデメリットを知らなくて、隠された部分を知らなかったので、原発に依存していったんだと思います。事故があって、この危険性がわかって、国民も危険なんじゃないかという意識を持ち始めたので、これからは依存しない方向に変わっていくのかもしれないと思います。

司会:今は原発は危険だとわかったけれど、それでも今までの生活をするにはどうしてもこの自然エネルギー利用が1.1%ではできないということで、結局は原発に頼らざるを得ないと思うんですけど、それについてどう思いますか?

朋子:原発をすべて廃止することは、経済とかいろんな面で無理かもしれないけれど、今の約3割を原発が担っているというのを変えて、他のものでも電力を供給できるようにすれば、原発の危険性も少なくなり、原発が少なくなっても他で補えるというふうになると思います。

■自然エネルギーに知恵を生かそう
司会:皆さんの身近なところで自然エネルギーを見かけたり、使用していたりするところはありますか?

咲天:私の卒業した小学校が太陽光発電を導入していて、それを小学生たちにどのような利点があるのかというのを教えていました。

朋子:各家庭でやるには大変かもしれないけれど、会社や学校などの大きなところがやるだけでもかなり違うのかなと思いました。

ななみ:新聞で読んだ話ですが、福岡では下水処理の過程で発生するガスを使っていたり、宮古島ではさとうきびのカスを使って発電に取り組んでいたり、地域の特産物を生かした取り組みというのもされているという話を聞いて、資源がないと言われている日本でも、様々なものを活用しくのはいいなと思いました。

司会:では具体的にどの再生可能エネルギーに注目していますか?

ななみ:今日本では太陽光発電装置の技術力が高くしかも電力の使い方の効率が良いと言われているので、やはり今普及しはじめている太陽光をこのまま使っていくべきだと思います。それに加えて波力や潮力を使った発電にも注目しています。日本は資源が無いと言われていたのに、島国でこんなにも海があるのだから波を使おうよって思います。

咲天:日本は火山がとても多い国なので、それを利用して地熱発電をどんどん進めていけば電気はけっこう作れるのじゃないかと思います。

満友:私は風力発電に注目しています。岩手県のある町では風力発電に適している土地がたくさんあって、町に15基設置されていて、全部合わせると一万世帯分をまかなえるということです。その土地に合った発電方法を進めていくことが一番いいと思います。

朋子:私は一番多くの人がやりやすい太陽光発電をメインに、それぞれの発電がある程度の割合を占めれば、どれかができなかった時にもそれぞれで補えるのでいろいろなやり方で発電をしていくのがいいと思います。

満友:岩手県のその町でもっと風力発電の設備を建てたいと言っているのですけど、風力を新しく設置して売電するには、送電網への接続を東北電力に認めてもらう必要があるそうです。それも40倍の倍率で抽選をしないといけないし、送電網と発電を同じ会社が持っているので、再生可能エネルギーが普及しない原因にもなっているのだと思います。

■競争で技術革新に期待
司会:その点に関して、今、発電会社と送電会社が同じために再生可能エネルギーを活用したくてもできないという現象がいろいろなところで起きているのですが、皆さんは発電会社と送電会社を別々にするべきだと思いますか? それとも運営に関して効率がいいから今のままの方がいいと思いますか?

ななみ:私は、理想は別々にすることだと思います。現在東京電力や関西電力などの電力会社が完全に独占市場で、競争相手もいないためにこのような事態になったというのが大きいと思います。

咲天:やはり競争相手がいると値段も安くなるし、技術もどんどん良くなっていって、よりいいものができると思います。
満友:別々にすることで再生可能エネルギーを取り入れたいと思っている自治体も動きやすくなるし。司会:自然エネルギーは安定供給が難しいのが欠点として挙げられています。
ななみ:それは現在自然エネルギーにあまり着目されていないからだと思います。自然エネルギーを増やそうということになって、予算が増えて競争が始まるとどんどん技術が革新していって、それによってより安定して発電できるようになると思います。

咲天:いろんなエネルギーの発電の方法を共存させながら、自然エネルギーがもっと発達していって、原子力発電がもういらないという方向性に持って行けば、「脱原発」というのが成功できると思うし、環境にも一番優しいと思います。

満友:二つを一緒に使っていけばお互いの悪いところを補っていけるし、原子力発電と自然エネルギーを両立していくという考え方も必要ではないかと思いました。

■節電を体験して
司会:節電をするという今の状態を続けた方がいいのか、それとも続けない方がいいのでしょうか。

朋子:日本では蓄電設備があまり普及していないので、電力はとっておくことができないから、結局は100%使っても60%でも同じで、100%までならば電力を使ってもいいと思うのですが、それを超えて供給に問題が出るのは良くないと思います。

司会:それは節電に対する取り組みを続けていかない方がいいということですか?
朋子:極端に節電をするのではなくて使用できる範囲では電力を使っていいと思う。例えば28度の設定はみんなが我慢すればいいことだからそこは節電をする、でも工場が止まって社会に影響が出るっていうのは困るのでそこは使って、それで100%のなかにおさめればいいと思います。

ななみ:私も極端に節電をすべきではないと思いますが、自然エネルギーに早急に切り替えて行くべきだと思っています。自然エネルギーによって新しく生まれる雇用が50万人であったり60万人であったり、また及ぼす経済的な効果というのが2030年までに64兆円と言われていて、私たちが思っているよりも自然エネルギーに変えていくことで利益は生まれるので、今の経済をどんどん活性化させていくためにも自然エネルギーに変えていくべきではないかと思います。

司会:原発のストレステストが今取り沙汰されていますが、新しいエネルギーと原子力発電をどのように活用していくべきだと思いますか?

咲天:段階的に原子力の量を減らしていって、逆に自然エネルギーを増やしていくようにすればいいと思います。

ななみ:自然エネルギーというのは1~2年では結果は出せないと思うので、長い目で見ていかなければいけないので、その間は火力であったり他のエネルギーにどんどん頼らなければいけないかと思います。でも私は日本人を本当に誇りに思っています。震災から1ヶ月もすれば百貨店やスーパーでは節電グッズが山ほど並んでいるのを見ていると日本だからこの光景を見られたので、秋になったらまた新しい何かが発明されるのではないかとひそかに期待しています。

■理想は自然エネルギーだが
司会:次世代を担う私たちはどのようなエネルギーをこれからの時代選択していくべきだと考えていますか?

ななみ:まず子供たちが安心して生きていける社会を作っていかなければいけないと思います。そのためには目に見えない放射能という、30年後もしくは近い将来体に大きな影響を及ぼしてしまう物質を流してしまうような発電方法はやめていかなければいけないと強く感じています。

朋子:私も原発は危険性などの面からなくすべきだと思います。その代わりとして、新たな方法で電力を作ることによって安全に発電することができて、今は使われていないものも活用できるのでいいと思います。

咲天:私たちは再生可能エネルギーを選択していくべきだと思います。放射線の影響のない安全な発電のしかた、また地球に優しいという二つの利点があるのでそれをどんどん後押しするために、固定価格買い取り制度などで政府がそのように動くように、私たちも声を上げていくべきだと思います。

満友:今の放射性廃棄物処理の問題は地層に埋めても一万年以上の管理が必要ということで未来の子供たちや私たちの世代にも関わっていく問題だし、健康の問題も原発だと30年経ったら白血病になったり甲状腺がんになったりしてしまうことなので、原発を止めるべきだなと思います。でもそうは言ってもやはり経済活動を進めていくためには大量の電力が必要なので、今は自然エネルギーをもっと取り入れるために技術を開発して、その自然エネルギーでまかなえない分を原子力でまかなう、その二つで共存していくようなエネルギーを選択するべきだなと思います。

咲天:それは原子力発電をずっと使っていくっていうことですか?

満友:今の54基ほど多くなくてもっと減らして、自然エネルギーを主体にして、補えない部分、工場とか大規模な生産を行う場所とかを原発でもっていくのかと思います。

朋子:今回の事故ほど大きくないとしても、また同じようなことが起こる可能性はあると思うんです。それでもあった方がいいと思いますか?

満友:ストレステストなどを行ってほんとに稼働してもいい状況を判断して、続けていった方がいいのではと思います。

ななみ:原発の中心の材料になっているウランは今のまま使っていくと100年後には無くなると言われていますが、それに対してはどう思いますか?

満友:確かにウランは100年後に無くなると言われているけれど、他の今考えられているエネルギーよりも埋蔵量は多いので、原発が補助的な役割でいれれば100年にはならないのかなと思います。

朋子:先ほどの話にあった核燃料の廃棄も、今のところではずっと地球上に残ってしまうもので、もしかしたら将来廃棄の方法が見つかるかもしれないけれど、もちろん見つからないという可能性もあり、その点でも問題だと思うんですがどう思いますか?

満友:確かに放射能廃棄物処理の問題や今回の事故と同じようなことが起こるかもしれないけれど、経済を考えると、原発と自然エネルギーを両立していくべきだと思います                                   以上

Translate »
コンテンツへスキップ