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新3Kの農業

澤山友佳(17)

 163万人もの従事者がいながら、高校生の進路ガイドブックには決して乗ることのない仕事、農業。農林水産省の統計によると、平成22年度の新規就農者は54,570人。4年前と比較すると33%減少した。「きつい、汚い、稼げない」という ネガティブな3K がつきまとう。そんな中、新しいスタイルでそうしたイメージを打ち破る人たち がいる。

 株式会社みやじ豚代表取締役の宮治勇輔氏(34)は NPO法人農家の「こせがれネットワーク」代表理事・CEOも務める。勤めていた都内の大手企業を辞め、養豚業を営む実家に戻ったのは7年前。育てた豚で バーベキューを開催すると大好評。噂は口コミで広まり、「みやじ豚」として ブランドにまでなった。現在では生産量の約5割をレストランへの卸売りやオンラインショップでの販売などの直接販売でさばき 、利益率は養豚業界トップクラスを誇る。

實川氏の梨園「みのり園」

 千葉県で梨を育てる のは實川勝之氏(32)。父の怪我を機に農家である実家を継ぐまではパティシエとして洋菓子 店で働いていた。元々栽培していた米や野菜に加え、新たに梨栽培を始めた。コンセプトは「梨というfruitsを梨というsweetsに」。目指すのはケーキのような、上品で少し特別な存在だ。そのための努力は惜しまない。試行錯誤を重ね、独自の栽培方法を編み出した。美しさにもこだわる。自身の農園を「工房」と呼び、ショーケースのように整然とした「日本一美しい梨園」と自負する。現在10種類以上を生産。購入 者 に好きな梨を見つけてもらうためだ。さらには一本の木を購入し、接ぎ木により梨をカスタマイズできるオーナー制度を導入 したり、もぎ取り体験を実施したり、客とのコミュニケーションを通して信頼関係を築く 工夫を凝らす。

 農地や設備がそろ っており、親から技術指導を受けられ、周りの農家や 客 からの信用も得ているという 就農 条件が整っている農家出身者と比べると、非農家出身者はいささか険しい道を迫られる、と宮治氏は言う。だが、非農家出身者が挑戦しているケースも 少なくない。北海道でアスパラガスを栽培する押谷行彦氏(42)は この道13年のプロだ。 前職は兵庫県尼崎市にあるスーパーマーケットの従業員。大学時代、 スポーツに打ち込んでいたこともあり、「一日中エアコンが効いた 室内で働くより、 季節を感じながら汗を流して働きたい。」一念発起して憧れの北海道へ渡った。大学へ入り直して知識と人脈を得、さらに2年間農園で研修を受けた。スーパーで働いていた分、客の感覚が分かる。「平均的な価格だけど他のものより美味しい。」そのシンプルな戦術 がオンライン販売だけで多くのリピーターを生み出す秘訣だ。味で差別化を図るからには、栽培へのこだわりは半端 ではない。アスパラの太さは通常の二倍ほど。さらに、10cmほど余分に育て、出荷の際に根元の10cmをカットする。柔らかく美味しい部分だけを残すためだ。

 宮治 、實川 の両氏が指摘するように、従来農業は「味に関係なく農協を通して画一的に生産物が出荷され、価格決定権がないばかりか、顧客からのフィードバックも受けることが出来ない」、「おいしいものを届けたい」という思いが評価されにくい世界だった。押谷氏を含め3人に共通するのは、一度他の業界で経験を積んでいること。独自の視点を活かして生産から販売までを一貫してプロデュースすることで、その問題を克服した。さらに、消費者と直接つながりができることはやりがいや喜びにもつながる。宮治氏は「農業は3K(かっこよく、感動があって、稼げる)産業だ」と語る。

 農業従事者が減少していく今は、非農家からの就農の好機 でもある。ただし、「ブームに乗っていいイメージだけを持って来る人や、他の仕事が嫌で逃げてくる人には農業は続かない。農業は自然に左右される仕事。決められた時間働けば決められた収入が得られるわけではない 」と語る押谷氏は 。自らの 経営が軌道にのるまで5年間は辛抱が続いたという。それでも「『おいしいものを届ける』ことに喜びを感じられる人、『自然を残したい』という思いのある人なら継続できるはず」と新規就農者にエールを送る。 。「家族と触れ合う時間が持て、地域発展にも貢献 できる、そしてお客さんの喜ぶ顔を見ることができ る」と實川氏は農業の魅力をこう語る。インターネットやソーシャルメディアの発達した現代、ビジネスのスキルを身に付けた若者にとって、自然の中で働く仕事「農業」は現実的かつ魅力的な選択肢となっていくのかもしれない。

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若者の改革で変わる農業

米山菜子(15)

 若者にとっての農業。それは、一度はやってみたいと憧れはあるものの、将来の夢の選択肢には入りにくいものである。
現在、農業就業者の平均年齢が1年に1歳ずつ上がっている。計算上は新しい若い人が新規参入しないまま農家の高齢化は進んでいることになる。では、身近で魅力的に感じられる農業とはどのようなものだろうか。若者の目線を持った後継者として新しいスタイルの農業を展開する3人に話を聞いた。

 お茶としいたけを生産・販売する「貫井園」(埼玉県)で働く貫井香織氏(34)はコンサルティング会社とPR会社で働いたあと、両親の経営する貫井園に戻ってきた。貫井氏は新聞に毎朝丹念に目を通す。販路を探すためだ。そして、何か可能性を感じる記事を見つけたらすぐに電話をする。会社員時代に身に付けたスキルだという。貫井園のホームページには、お茶やしいたけの選び方、健康効果や料理のポイントを載せている。貫井氏は女性であることや会社で得たことを農業に生かした。

 次に、農家の後継者を中心に支援するNPO法人「農家のこせがれネットワーク」代表理事であり、「株式会社 みやじ豚」(神奈川県) 代表取締役の宮治勇輔氏(34)に話を聞いた。宮治氏も一度企業に就職したが、実家の養豚業が気になり、実家に戻ることを決意した。そして、幅広い人脈を生かし様々な知り合いをバーベキューに招き実家の豚を口コミで広げた。社会で学んだビジネスや人脈を使って実家の豚をブランド化した。

 千葉県の實川勝之氏(32)はパティシエの道に進んだが、その後実家の農家に戻った。そして株式会社アグリスリーを立ち上げ 代表取締役となった。實川氏は実家の野菜や米の栽培だけでなく、パティシエの経験からケーキのような甘味の果実を栽培しようと梨園を作った。

 それを「全て同じ形をしたケーキを表現した梨園」 と紹介した。実際に千葉県横芝光町にある梨園を訪れてみると、確かに木はショーケースに並ぶケーキのようにどこから見ても美しく一直線に並び今までの梨園のイメージを覆す。現在は自ら作った梨でスイーツの試作もしているという。こうして實川氏はパティシエの経験を農業に生かした。

 農家の後継者に対し、養豚業の宮治氏は「実家を継ぐにしても一回社会に出るべき」と語る。ビジネス界で様々なノウハウを得たうえで実家の農業に付加価値をつける。様々なスタイルの農業があるなか、それがとても大切な財産となるそうだ。

 農家に生まれた後継者と、都会で生まれ育った若年層の新規就農者。ともに農業をする若者であっても環境は大きく違う。後継者には親から受け継いだ土地、機械、地域の人付き合い、生産や販路のノウハウなどがあるが、新規就農者にそれがない。

 これらのことは、農業をする上でとても大変なことであり新規就農者には厳しいスタートになると宮治氏は言う。そのため、「新規就農者を増やす必要はない」とさえ言った。やみくもに新規就農者の数を増やすよりも1人でも多く、優秀な後継者がいた方が農業全体には好結果をもたらすのだという。

 農業の新しい流れもある。前述の元パティシエ、實川氏は会社を大規模経営にして、農業に興味のある若者たちを雇用している。農業会社で働くことで、環境やノウハウは實川氏が持っているものを使うことができるし、いずれ農家として自立するとなったときにも条件は良い。實川氏は、近隣の農家の高齢者たちから耕作地を任されている。これらを休耕地にしないためにも、従業員たちを自立させ耕作地を与えて独立させようと計画している。

 實川氏のこのフランチャイズのシステムは、宮治氏が指摘する新規就農者の厳しい状況を解決できるかもしれない。おそらく、いま必要とされているのはこのような農業スタイルであり、農業をしたいと思う若者の手助けをしてくれるだろう。

 一昔前は農業には生産するというイメージしかなかった。しかし、今の農業は若者の手によって付加価値をつけた農業へと変化しつつある。手間ひまかけた、品質の良いこだわり抜いた農産物を提供し、オンラインショップやオーナー制の販売などが始まっている。言い換えると、ただ生産するだけの場ではなく生産から販売までを一貫してプロデュースする農業になりつつある。
 
 「農業はビジネスだ」 宮治氏のこの言葉は農業の新しいスタイルを表している。

宮治氏にインタビューする記者たち
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これからの農業「こせがれ」という新しいカタチ

南雲 満友(17)

梨園「みのり園」で説明をする實川氏

 農業という言葉を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。ともすれば農業は「きつい・汚い・かっこ悪い」いわゆる3K産業として考えられてきた。都会へ出て働く若者は田舎には戻らず、農家は高齢化の一途をたどっている。その一方で、農家の後継者である「こせがれ」が、親の農業に付加価値をつけて継ぐという新しいスタイルが注目を集めている。

 宮治勇輔氏(34)は、一般企業に勤めた後、神奈川県にある実家の養豚業を継ぎ、「みやじ豚」というブランドを成功させた。バーベキューイベントを定期的に開催し、口コミによって豚肉の品質に対する信頼を獲得し、消費者を拡大してきた。NPO法人「農家のこせがれネットワーク」を設立し、代表理事を務めている。宮治氏の目標は近い将来、農業が「かっこよく・感動があって・稼げる」3K産業へと成長させることだ。小学生の就職人気ランキング1位をめざし、活動を続けている。
 
 宮治氏は「こせがれ」が実家の農業を継ぐ利点について、「新規就農者は農地や農機などにコストがかかり、販路を自ら探しださなくてはいけない。一方、こせがれは土地も機械もあり、そのうえ地域の人とのつながりがある。こせがれが実家の農業を継ぐことが一番だと思う」と語った。また今は規模を拡大できるチャンスだという。「こせがれ」が農業を継ぐことで、ビジネスで培ったノウハウを実践できるという。

 實川勝之氏(32)は、父親の怪我がきっかけでケーキ・パティシエを断念し、千葉県の実家に戻った。米や野菜作りを続けながら、パティシエの経験を生かし、新たに梨の栽培を始めた。同氏は自らの梨園を「工房」と呼ぶ。「ショーケースに例えて、工業製品のようにクオリティーを統一することを目指した」という。様々な新種の梨を一つの木に接ぎ、ショーケースにあるケーキのように配列し、美しく栽培することで付加価値をつけた。顧客が好みに合わせて木に接ぐ梨の種類をカスタマイズできるオーナー制度も確立している。また株式会社を設立し、農業に興味のある若者を雇い、独立できる実力がつけば農地や農機、ノウハウを提供するというフランチャイズ方式で農業経営を続け、農業と地域の活性化を目指している。

 埼玉県のお茶・椎茸農家の三代目、貫井香織氏(34)は、ベンチャー企業でキャリアを積んだ後、実家に戻った。「社会でビジネス経験を積んだことが、今農業に生かされています」と自信をにじませて語る。プロジェクトの立案の方法や、新聞を毎朝読んで、販路に繋がる情報を目にすると、すぐに電話をかけるという習慣は、会社勤めの経験が役に立っているという。商品開発では女性の視点でのアイデアをカタチにしているそうだ。

 既存の事業に付加価値をつけていくには、新しいアイデアと実行力が必要だ。その点で三氏は、ビジネスの経験を農業経営に生かし、新しい農業のスタイルを構築していると言えるだろう。今、日本は食糧自給率が40%を切り、TPP問題など大きな変革の時を迎えている。宮治氏は「農業も今までの仕組みが崩壊している。新しい方法で僕たち“こせがれ”から現場を変えなければいけない」と語った。 農業に新しい風をもたらす「こせがれ」たちの今後の活躍に目が離せない。

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難民受け入れのメリット

飯田 奈々(16)

 日本は海外からの難民受入れ事業に乗り出すのが、他の先進諸国に比べて遅かった。100%の受入れ体制が整っておらず、改善すべき点は多くあるそうだ。財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部の鈴木功氏、NPO法人難民支援協会広報部の田中志穂氏、NPO法人かながわ難民定住援助協会会長桜井ひろ子氏、事務局長與座徳子氏と、様々な立場の人たちを取材した。

かながわ難民定住援助協会の與座徳子氏への取材

 「難民条約」によると、難民とは「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見を理由に、迫害を受ける可能性があるために祖国から逃れざるを得ない人」のことを指す。難民事業本部によると、2010年に日本政府に難民として認めてもらうために申請した数は1202人であった。

  日本には、認定がありえない外国人 をまずふるいにかけてから段階的に審査していくという制度がない。難民も、単に経済的理由で日本にきた人も申請窓口が同じなので、申請者数が膨らむと 、難民認定審査に一定の時間がかかるようだ。 。難民事業本部の鈴木氏によると、一時は認定されるまでに1 年以上かかっていたが、最近では6ヶ月を切るまでに短縮されたそう だ。

 もう一つ、 鈴木氏があげた事は、不認定などの結果を受けて何回でも申請をし続けることができる点だ。「何回も申請して、認定されることはあるのか」との疑問に対しての答えは、ほとんど「ノー」に近いそうだ。もちろん不認定結果に納得がいかず再度申請する場合も多くあるが、何度も難民認定申請が行われることで、申請者にも負担がかかる場合もあると 言う。

 しかし、難民支援協会の田中氏は、何回も審査できるというのはそれだけ審査方法がきちんとされていない証拠で、制度に問題があり、誰もが納得するようなフェアで透明性がある認定基準の仕組みを作ることが大切だ、と語った。

 このように政府の委託事業を実施している難民事業本部と援助をしているNPOとでは、物事の捉え方が異なっている。しかし、どちらも 「難民に幸せな暮らしを送ってもらえるように」「日本にきてよかったと思ってもらえるように」と最終的な方向性は同じだ。

 また、日本人の難民に対する意識も同じである。総論では、「難民を受け入れるべきだ」「親切にすべきだ」と唱えているが、いざ自分の隣に難民が引っ越してくると拒否する。これではいつまでも、難民を受け入れるのにふさわしい土壌ができず、難民の日本での社会的立場は変わらない。
 
 今後労働人口がどんどん減っていってしまう日本において、「難民定住者や他の外国人定住者が今の日本の生産現場を担っていることを認識しなければならない。そして、日本で生まれ育った難民定住者の子どもたちにとって、二つの文化を併せ持つことが将来的にプラスになるような環境の整備が必要である 」とかながわ難民定住援助協会の桜井氏と與座氏は何度も繰り返した。 最後に桜井氏は語った。「外国人は異文化を運び、一色に染まりがちな日本に多様性をもたらす。困難を乗り越えて生きる難民の姿から、日本人が学ぶ事は多いと思う。難民は人口が減少している日本社会にとって貴重な 人的資源 なのだから」と。

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難民問題から考える日本社会

澤山 友佳(16)

 日本に難民がいる――この事実を知っている日本人はどれだけいるだろうか。現在日本には1万人以上の難民が暮らしている。しかし、その数は世界的に見ると圧倒的に少ない。UNHCR Statistical Yearbook 2009によると、難民条約加盟国141ヶ国のうち、人口1000人当たりの難民受け入れ数では132位。難民の受け入れが少ない原因はどこにあるのか。

難民事業本部の鈴木功氏への取材

 難民条約によると、難民とは、「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見を理由に、迫害を受ける可能性があるために祖国から逃れざるを得ない人」のことである。現在日本に定住する難民は、3つに分けられる。一つがインドシナ難民で、1970年代後半、新体制となったベトナム・ラオス・カンボジアから逃れてきた人とその家族が当てはまる。2005年の受け入れ終了までに11,319人が受け入れられ*、在日難民のほとんどを占める。二つ目が、条約難民。日本が1981年に加入した難民条約に基づき、日本政府の難民認定を受け定住を許可された人で、インドシナ難民との重複を含め2010年度までに577名が日本に定住した*。三つ目が、第三国定住プログラムの下で受け入れられた難民だ。このプログラムは2010年に開始された開始された外務省の事業であり、3年間パイロットケースとしてタイの難民キャンプから毎年30人のミャンマー難民を受け入れることとなっている。*難民事業本部案内 2011年度版より

 日本へ逃れてきた難民は、難民申請をし、政府の認定を受けなくてはならない。複雑な書類の記入や面接を含む審査は、彼らにとって困難を極める。審査には半年かかり、その間法律上正規な仕事に就くことができない。特定非営利活動法人「難民支援協会」広報部の田中志穂氏によると、「再申請は可能だが、審査そのものの透明性にも疑問は残る。トルコからのクルド難民の申請は認定されたケースがない。それは日本と外交上友好関係にあるためのようだ」という。

 日本への定住を許可されてもさらなる関門が待ち受けている。財団法人アジア福祉教育財団 難民事業本部では日本語教育や生活ガイダンス、就職相談を行っている。長年在日インドシナ難民の支援をしてきた特定非営利活動法人「かながわ難民定住援助協会」会長櫻井ひろ子氏は、その経験から「難民定住者への初期支援の日本語研修が572時間では圧倒的に短い。これでは地域に定住した後も日本語の各種書類が読み取れて、提出書類が作成できるようなるまで追加の日本語研修支援をしなければ自立定住には至らない」と言う。

難民支援協会の田中志穂氏への取材

同協会は1986年から神奈川県大和市を中心に、インドシナ難民の自立を目指してボランティアによる日本語教育や法律相談を行っている。教室には年間延べ約14,500人が参加するという。日本に定住する難民を対象に最も苦労していることについて調査したところ、トップが日本語の問題だと回答した。日本語が十分に使えないということは、職業の選択肢が狭まることも意味する。

 事務局長の與座徳子氏によると、子どもたちの抱える問題も深刻だ。家族と共に日本へ来た子どもや、難民二世として日本で生まれた子どもたちは、学校で日本語を学ぶが日常会話は比較的簡単に習得できるものの、教科書の中で使われる日本語が理解できずに学習の遅れが生じがちだ。主に母国語を使用し、日本語の習得に困難を極める両親との間ではコミュニケーション・ギャップが生まれることもある。 

 文化・習慣の違いや、日本社会の仕組みが分からないことから起きる問題もある。例えば、難民が定住している地域で旧正月を祝うために公民館を使用したくても、事前に団体登録が必要で、しかも日本人の責任者がいることなど、手続きが難しいことがある。與座氏によると、難民のほとんどが、母国に戻ることは出来ない状況の中で、日本経済の悪化により失業したり、次の就職先をすぐに見つけられないことなど日本での居心地の悪さを感じているという。

 上記の第三国定住プログラムも、2011年10月に第二陣のミャンマー人家族をタイ国境にある難民キャンプから迎えた。定員は30名に対して来日したのは18名だったとアジア福祉事業財団難民事業本部の鈴木功氏は言う。震災の影響も否定できないが、日本の受け入れ態勢の不十分さが浮き彫りとなったと言えるだろう。「インドシナ難民定住者の負の遺産を引継いでいる。その反省を踏まえて初期支援を充実させることが、地域での自立定住を容易にする」と櫻井氏は訴える。

 難民は、少子化の進む日本社会にとってもはや欠かせない労働力だという指摘もある。輿座氏と田中氏が共に言及したように、日本とは異なる文化を持つ彼らは日本に多様性をもたらしてくれる存在でもある。日本が海外援助で橋や道路などを建設するだけ建設し、その後の影響を顧みていないことが多いという批判はしばしばなされるが、難民についても同様だ。単に受け入れる数を増やすだけでは解決にはならない。難民認定申請者の中には経済移民も含まれているため厳密な審査は必要だが、難民が日本で安心して生活できる環境を整える視点が忘れられがちだ。今までの難民定住における問題点を検証し、受け入れる以上は国や自治体がそれぞれ責任を持って、日本語教育を中心とした十分なサポートをしていく必要があるだろう。民主化が進むミャンマー情勢を見ても第三国定住の受け入れに関しては、日本への定住が本当に彼らにとって良いことなのかという見直しも迫られる 。一人でも多くの日本人が難民たちの背負っているものを理解し、文化や習慣の違いを認めることができれば、彼らのアイデンティを活かせる場が増えることになろう。「官僚主義」、「たらい回し」、「同一志向」――難民の抱える問題の解決に取り組むことは、日本の問題そのものと向き合うことでもある。

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努力の塊・・K-popアイドルとは

ユースエクスプレス・ジャパンでK -popに関する4記事を読む!

堀 友紀(17)

韓国大衆文化研究家の古家正亨さん

 最近、雑誌やテレビなどで「韓流ブーム」や「K-pop」という言葉をよく耳にし、目にするようになった。急に周りが「韓国!韓国!」と叫ぶようになったように感じる。そこで、K-popとは何なのか?またK-popアイドルとJ-popアイドルとの違いはどこにあるのか?に興味を持った。日本でいち早くK-pop専門番組を立ち上げたことで知られ、日本におけるK-popの第一人者と呼ばれることの多い古家正亨氏にお話を聞いた。

 古家氏によれば、K-popアイドルになるためには、まず所属事務所のオーディションを受ける。日本のオーディションは受かればほぼデビューが確定する。しかし、韓国のオーディションは歌手になる練習生になるための募集だと古家氏は言う。したがってオーディションに受かってもアイドルになれる保証はない。練習生になるためのオーディションでさえ大変な競争率だ。合格したあとはアイドルになるための競争が待っている。韓国でデビューできる人数は年間にわずか10人と言われ、競争倍率は5000倍とも。競争を勝ち抜くために練習、語学学習、顔の整形まで行ってライバルとの差別化を図る。厳しい環境に身を置いている以上努力をしないと勝ち抜いていくことはできない。「この努力が歌もダンスも上手になる一番の秘訣であり、J-popアイドルと最も違う点だ」と古家氏はいう。K-popアイドルは才能があるように見えるが、実際は努力の塊であると古家氏は力強く言った。

 少女時代やKARA、ワンダーガールズといったK-popアイドルはビジュアルを売りとし、ミュージックビデオに力を入れている。今まで韓国では国民簡易番号制といって1人1人に番号の付いているソーシャルセキュリティーカードを持っていないとミュージックビデオにアクセスできないため、見ることもダウンロードすることもできなかった。しかし近年この制度がなくなり、誰もが見られるようになった。このことが日本でK-popアイドルのブームとなった背景にあるという。
 
K-popが日本に進出する理由は、日本の市場規模の大きさにある。世界でいちばん市場規模が大きいのはアメリカ。それに次ぐ2位が日本だ。そして韓国は世界で17位。金額で比較すると、日本の市場規模は韓国の35倍ある。「日本の巨大市場に進出できれば韓国のア―ティストには箔がつく」と古家氏は言う。

 韓国が政府をあげてK-popの日本進出を後押ししているというのは何度も耳にしたことがある。しかし、日本ではそのようなことはあり得ないと古家氏は指摘する。ではなぜ韓国ではそのようなことをするのか?韓国は資源が少ない輸出産業の国であり、電化製品などを作って儲けているが、物を作る産業にも限界がある。そこで文化コンテンツとしてア―ティストが取り上げられているのである。

 日本への進出の著しいK-popアイドルであるが、これに対しJ-pop関係の事務所はどう思っていると思いますか?という問いに、古家氏は、確かにK-popの勢いにJ-pop界は焦ってはいるけれど、でも大丈夫!とどこか安心していると思うと古家氏は言った。過去にJ-pop側がK-popアイドルを受け入れた瞬間があったという。それは、テレビ番組スマスマ(SMAP×SMAP)に東方神起が出た時だ。J-pop界を背負って立つ存在であるジャニーズが東方神起を受け入れざるをえなかったというのだ。それほど東方神起はすごかったのだと古家氏は何度も繰り返し言った。そして、これほどすごいグル―プであり、韓国のエンターテーメントを引っ張ってきた存在である東方神起は分裂騒ぎがあり、今は5人で活動をしていない。それがゆえに分裂は絶対に許せない!と古家氏は悔しさ混じりの顔で言った。 もてはやされるK-pop界。この人気の裏にはアイドル1人1人の血のにじむような努力があった。そして、日本で活躍している外国のアイドルを見て、「努力」というものをJ-popアイドルは見習い、もっともっと活躍の場を広げて欲しいと願う。

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K-popアイドルはなぜ大人気?

毛利 美穂(15)

 昨年2010年は「少女時代」、「KARA」など多くのk-popガールズグループアイドルが進出し、「K-popアイドル」という言葉をテレビで聞かない日はないほど、若者達を中心に一大ブームとなった。なぜ、今K-popアイドル達は日本の若者に高い人気を得ているのだろうか?

 K-popアイドルの日本進出は、日韓共同主催のサッカーワールドカップが開催された2002年に始まった。しかしこのときにデビューした多くのアイドル達の進出は失敗に終わったといわれている。K-pop歌手が日本で大きな成功を収め始めたのは2007年だ。

 この年から韓国では自分のソーシャルセキュリティパスワードを使用せずにミュージックビデオなどをネット上で見られるようになったことが大きなきっかけとなった。

 当時、韓国では男性5人組アイドルグループの「東方神起」が国民的人気を得ていた。日本でも活動を活発化していた彼らの韓国での活動を、インターネットで観られるようになり東方神起人気が日本でも高まり始めた。やがて東方神起ファン達の間で、韓国でブームとなっていたK-popガールズアイドルグループを中心に多くのk-popアイドルたちが人気を得るようになった。

 多くの韓流スターグッズ店がひしめき合う東京・新大久保でk-popアイドルファンに街頭取材したところ、K-popアイドル達に感じる魅力は「歌唱力、ダンスなどパフォーマンス力の高さ」という声が多く聞かれた。
その高い能力について、日本におけるK-popの第一人者といわれる古家正亨氏は「日本と韓国のアイドルにおける違いは、彼らの置かれている環境の違いから来ているものが大きい」と指摘する。

「韓国でアイドルになるには、まず各事務所が開いているオーディションに合格しなければならない。このオーディションの倍率は5000倍だ。日本ではオーディションに合格すればほとんどがデビューできるのに対して、K-popアイドルは練習生として長く厳しい練習期間を経てデビューしている。この間、練習生達は毎日ダンスと歌のレッスンに加え、外国語の練習などもこなす。そしてその中で、デビューのために周りとの差別化を図るうちに次第に実力がついてくる。彼らの高い実力は才能ではなく、厳しい競争社会の中で努力によって生まれたものだ」と古家氏は語った。

「その高い実力と人気を持つK-popアイドル達は、もはやひとつの国家政策となっている」と古家氏は話す。2003年末に韓国ドラマ「冬のソナタ」が大ブームとなり、韓国はアジアを始めとする海外へ韓国のエンターテイメントを更に広めるため「韓国文化コンテンツ振興院」を作った。このような支援も受けK-popアイドル達は世界第二位の音楽市場であり、韓国と比べ30倍の市場である日本へ進出するのだ。さらに、アイドル達の所属する事務所と民間企業が提携し、関連商品の売り上げでも大きな力を見せ始めた。古家氏は、「この成果が発揮され始めたのは、やはり東方神起が大きな人気を集めた2007年からではないだろうか」と話す。

  こうした国をあげてのK-popアイドルへの支援や、誰もが口ずさめるキャッチーな楽曲と長く厳しい練習生期間を経て得た高い実力が、ポップアイコンが多様化し大衆が憧れる存在がいなくなり始めた日本において大きな人気を得た理由なのではないだろうか。

韓国大衆文化研究家の古家正亨さん

「自分には出来ないことをしてくれる憧れの存在がアイドルだ」と古家氏は言う。ブームとしてのK-popアイドルたちはいつか去ってしまっても、大衆の憧れである「実力派アイドル」として彼ら、彼女らは、世界に韓国エンターテイメントを広げていく予感がする。

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若者の心をつかんだK-popアイドル達

谷 彩霞(15)

 KARA、少女時代、SHINeeなど最近次々と日本でブレイクしていく韓国アイドル達。今では年代を超えて男女共に人気を集めている。彼らはどのようにして日本進出に成功したのか。また、なぜ最近韓国のアイドル達が注目され始めたのか。ラジオやテレビでK-POP番組のDJをつとめている古家正亨氏に取材をした。

 韓国ではまず、歌手になりたい練習生を事務所が募集する。練習生になるための確率5000倍を勝ち抜き、顔、語学、練習を差別化していき、アイドルとしてデビューを果たすのである。練習生になったからと言ってアイドルになれる保証はなく年に10人ほどしかデビューを果たせない。大学受験より大変なのである。この中で最初に日本進出に成功したのがBoA。以前から韓国はk-popアイドル達の日本進出を図っていたが結局成功したのはBoAだけであった。しかし、2005年にk-popアイドル達の本格的な日本進出の引き金となる出来事が起こった。東方神起のデビューである。最初は『冬のソナタ』のぺ・ヨンジュンの影響もあり年齢層の高い女性に人気があった東方神起だが、次第に若い人にもファンを増やしていき2007年にブレイクをしたのである。

 また、韓国の時代背景により、インターネット上で日本では見ることが出来なかったk-popアイドル達のミューシックビデオも東方神起のヒットにより見ることができるようになったため、東方神起ファンを中心にk-popアイドル達が日本で広まっていったのである。

 また、取材にあたって韓国が政府をあげてk-popアイドル達の日本進出を支持していることが分かった。韓国では資源が少ないため第一産業としては限界があり、家電・情報通信製品などの企業が多い。国際化社会となった今では輸出先で売る家電製品などの宣伝にk-popアイドル達を使うのである。韓国製の携帯電話機を日本で売る時にk-popアイドル達を宣伝に使うなど、韓国の企業が日本に知られると同時にk-popアイドル達も日本で知られるようになり、日本進出を果たしたのである。

 しかし韓国が政府をあげてK-popアイドル達を宣伝したからといって、日本進出が成功するとは限らない。ではなぜ、k-popアイドル達が日本の若者に受けたのか、新大久保の日本人の10代の学生を中心に街頭取材を行った。すると、基礎がしっかりしているから、努力をしているから、皆個性的だから、トークがうまいからなど様々な答えが返ってきた。また古家正亨氏によるとk-popブームになったのは日本の音楽の歴史にも関係があるということが分かった。日本では1980年代まではラジオが中心の文化でラジオでは基本的に洋楽がよくかかっていた。その頃は、ラジオの影響で洋楽っぽい小室哲哉の歌など大衆曲がはやっていたが、テレビ、パソコンなどの情報化が進みPopアイコンが多様化してしまったのである。つまり年代別、男女別にそれぞれ憧れのアイドルが違うという状況になってきた。しかし、そこにk-pop、洋楽に近い誰もが歌える日本人にとっては進化した大衆曲が入ってきた。それによって皆が引きつけられ人気が出たのである。

 日本での人気がさらに高くなっていくk-popアイドル達。今回の取材ではBOAや東方神起が歌う進化した大衆曲が、K-popアイドル達の日本進出につながったことが分かった。また、このことにより、韓国がアジア進出に向けて政府がバックアップしてk-popアイドル達のデビューを支えていることが分かった。K-popアイドル達が日本で進出する中、日本とは違うK-popアイドル達の徹底した練習、語学が日本の若者の心を掴んだのだろう。

 今後のK-popアイドル達はどうなるのだろうか。K-popアイドル達の今後の活動に期待したい。

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K-POPから見える韓国と日本~日本と韓国の音楽の違いから学ぶ~

南雲満友(16)

昔は、中高年層に人気だった「K-POPアイドル」が今若い女性の間でブームとなっている。
2010年は「少女時代」や「KARA」などのガールズグループなどが日本進出を果たし、ニュースでは社会現象とまで言われている。K-POPアイドルの魅力とは何なのか。また韓国と日本の音楽の違いについて、韓国大衆文化研究家の古家正亨さんにお話を伺った。

韓国大衆文化研究家の古家正亨さん

 K-POPアイドルの魅力を古家正亨さんは「あこがれ」という言葉で表した。

「東方神起」や「KARA」「少女時代」などのK-POPアイドルが続々と日本進出を果たし、「韓流」ファンは一気に低年齢化した。日本進出の足がかりは、2007年に韓国でインターネットが自由に見られるようになったことがあげられる。それ以降ビジュアルを前面に押し出したミュージックビデオを作るようになったという。代表的な例が「少女時代」や「KARA」といったガールズグループである。今はネット全盛時代だが、昔はラジオが文化の中心であった。「昔、ラジオはシャワーだった。今はだまっていたら情報が入ってこない」と、情報の入手方法にもK-POPアイドルが若者に人気の理由があると、古家さんは指摘する。つまり昔はラジオをシャワーのように聞いているだけでよかったが、今は自分からネットに情報を見に行かなければいけないのだ。

 K-POPアイドルの海外への進出において、J-POPとの最大の違いは「国が支援していることだ」と古家さんは語る。韓国は日本のように資源小国である。そのため物を作り、輸出することで稼いできた。さらに韓国政府は文化産業とエレクトロニクス製品を両方に売ることで、国のイメージアップにもつなげてきた。つまり音楽と、それを聞くためのCDやミュージックプレイヤーを自国で作り、輸出して国の経済を振興させてきたのだ。アメリカに次いで音楽市場世界第2位の日本に進出してくるのにも納得がいく。一方、日本は世界的に漫画やアニメーションが人気だが、いわゆる「クールジャパン」と呼ばれるこの流れは、日本人自らが海外に宣伝して作り上げたものではない。このあたりが韓国と違う。「黙っていても受け入れられる状況ではなくなってきた」と古家さんは日本のこの流れに懸念を示す。

 最近、K-POPアイドルたちが片言の日本語で下積み時代の話をしているのをよく耳にする。
韓国では芸能事務所が定期的に行うオーディションに受かっても、必ずデビューできるわけではなく、まずは練習生として毎日辛い訓練を受けなければいけない。その練習生の期間にも語学を身につけたり、整形をしたりと自らを磨く。それでも実際にデビューできるのは1年に10人程度だという。「パトカーや消防車が遅刻しそうな受験生の送迎車と化す」韓国の大学受験にも表れるように、アイドルたちも競争社会でもまれている。古家さんはK-POPアイドルがヒットする理由を「才能より努力だ」と分析している。一方日本ではオーディションに受かったらすぐデビューし、レッスンを受けながら経験を積んでいくというのが主流である。確かに、東京の新大久保と原宿周辺で街頭インタビューをした際、「K-POPアイドルの方が歌やダンスがうまい」といった意見が多かったのも、納得がいく。

 このように韓国と日本の音楽文化の戦略や制度には様々な違いがある。
K-POPアイドルと事務所との間の契約問題などはその代表的な例である。日本でこの問題に否定的な意見が多い事に対して、古家さんは「日本人も韓国を違う国の文化として認識してほしい」と語る。長年の歴史の中で領土問題など、日本と韓国の間にはなにかと問題が多いが、お互いの良いところを認め合い、文化の違いを理解し、音楽を1つのテーマとして考えを深めていくことが、日本と韓国の次の文化的フィールドにつながっていくのではないだろうか。

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社会 座談会

ファストファッションでおしゃれを楽しむ

2000 年代半ばから使われるようになり、 2009 年新語・流行語大賞トップ 10 にも選ばれた「ファストファッション」。低価格の衣料品を、流行を取り入れながら短いサイクルで大量生産、販売するファッションブランドやその業態を指す。ファッションに敏感な高校生、大学生がファストファッションをどう捉えているのかを語った。

参加記者:大久保里香(18)、寺浦優(15)、持丸朋子(15)、南雲満友(15)、 司会・編集:寺尾佳恵(ユースワーカー)
2010/05/10

利用が広がるファストファッション

佳恵:ファストファッションと聞くと、どんなお店を思い浮かべますか。

里香:ユニクロを思い浮かべます。後は H&M や ZARA 。海外のお店が多い気がします。

優 :私は FOREVER21 によく行きます。しまむらも今流行っていると思います。

朋子:日本のブランドだとユニクロが一番に思い浮かびます。ファストファッションのお店は原宿とか渋谷とかに多いような気がします。

佳恵:みんなは実際それらのお店で洋服を買っていますか?

里香:コートとかレギンスとか、どこにでも売っていそうなデザインの物はファストファッションのお店で買います。 T シャツとか「あ、あれユニクロだ」って見てわかるようなのはあまり買いたくないです。

満友:その時流行の物を買います。 H&M とかだと安いし、デザインもいいので、ワンシーズンで捨てても大丈夫かなと思い、よく買っています。

朋子:ファストファッションって安い代わりに物が良くない場合もあるので、使える期間が短いと思って、流行の物を買います。

優 :私は海外のデザインが好きで、サイズもいろいろあるので、 FOREVER21 とか H&M はよく利用します。流行りの服は安いところで買っていて、毎年使えるような物は高いところで買います。

佳恵:新しいお店なわけではなくて、しまむらは 1953 年から、ユニクロ(前身のサンロード)は 1974 年からありますよね。 2008 年以降、 H&M や FOREVER21 が日本に出店して注目を集め、ファストファッションと言われるようになったけれど、 2009 年の流行語大賞トップ10に入る前後でファストファッションの捉え方は変わりましたか。

里香:以前は、ユニクロ=フリースみたいなイメージがありました。海外のブランドが入ってきたこと、マスコミが報道したことで注目を浴びて、デザインも良くしていくことになったのかなと思います。

優 :ファストファッションといわれるようになって、まわりの友人も利用していたので、私も買うようになりました。例えばユニクロで無地の服を買って、自分でリボンやラインストーンを付けてオリジナル T シャツを作り、費用を安く抑えるようにしています。

朋子:ファストファッションはただ安い洋服というイメージがありましたが、海外のブランドが入ることによってファストファッションもブランド品のひとつのような捉え方をするようになりました。ひとつのジャンルとして捉えて、ユニクロ=安い=洋服にあんまりお金費やしてないという悪いイメージが無くなった気がします。ユニクロの物を着ていたら、「あ、あの人ユニクロの服を着ているってことはあまりファッションに興味ないのかな」と思っていたけど、最近はあまりそう思わなくなりました。

安さも流行もしっかり意識

佳恵:安さという話が出たけれど、買い物には誰と行く?お金は親に出してもらいますか。それとも安く買える服が増えたこともあり、自分のお小遣いで買いますか。

朋子:買い物には友だちとも親とも行きます。友だちと行く時はあらかじめ親にお金をもらい、そのなかで買うので、安いものを多く買います。親と行く時は親が買ってくれるので、友だちと行く時よりは高い物も買ってもらえます。

優 :私も親とも友だちとも行きます。親と行くとお金を全部出してもらえるのでちょっと高い物をねだってみますね。友だちと行く時も、お金だけは出してもらいます。

里香:私はもう大学生なので自分で出さなくてはいけないんですね。一人で行く時も親と行く時もだいたい自分で出します。親が「あれいいじゃない」と言っても自分が気に入らなかったら買いません。自分のお金は有効に使いたいので、ちゃんと着そうな物を選んで買うようにしています。

佳恵:流行も意識しているのかな。

里香:流行は波が激しいじゃないですか。いつ流行が終わるかわからないので、あまり高いものは買わないで、ファストファッションとか安いお店で買いたいと思っています。

朋子:流行っているもののなかで、欲しい物があったらそれを取り入れる感じです。高い物は流行のない、年が変わっても着られるコートとか、パーカーを買うようにしています。

満友:洋服はファストファッションや109に友だちと行って買っているんですけど、小物は流行が洋服より浮き沈みが激しくないので、高いブランドで買います。あと、セブンティーンなどの雑誌に今年流行のかわいい服、自分の気に入った服があれば買います。みんなが着ているから自分も欲しいなという面もあって、みんなが着ていて自分が持ってないと、ちょっと取り残されていると思うので私は流行の服を買っています。

佳恵:里香ちゃんは、みんなが買っていたら自分も取り残されたくないと思ったりする?

里香:ファストファッションのお店に行けば、一通りトレンドの物って揃っているじゃないですか。それでもし値段がそんなに高くないのであればワンシーズン物だなとは思いつつ買うことはあります。

朋子:私は満友ちゃんと逆で、みんなが買っていると同じになっちゃうから嫌だなと思い、避ける時もあります。

優 :ファストファッションのお店って、流行を取り入れながら低価格に抑えた洋服を短いサイクルでどんどん品を代えて販売しているので、まわりの人と服が重なったことはありません。逆に思い切り流行に乗っちゃえっていう勢いがあります。自分の気持ちが楽で着たいと思えるような洋服を安く買えるのが一番だと思います。

佳恵:例えばユニクロだったら一枚しか買えないトップスが、同じお金を持って g.u. に行けば二枚買えるというように「同じお金でファッションの選択肢を増やす」っていう考え方はどう思う?

満友:私はファッションの幅を広げたいので、同じお金があったら一枚多く買うようにしています。ちょっと安く、でも二、三種類買えた方がいい。

里香:ジーンズは三日に一回同じ物を着ていたとしてもわからないと思うけど、トップスを三日に一回だと、「またかよ」と思われるので、トップスはできる限り安く抑え数をそろえたいです。ジーンズはいい物を高くて買ってもいいかなと思います。

優 :私も安くて何種類も買えた方がいいです。その日の気分に合わせて、コーディネートは変えたいので、いろんな種類があった方が毎日楽しいと思います。

自分に合ったコーディネートを。でも本音ではブランド品も欲しい?

佳恵:コーディネートはどう考えているのかな?

優 :私は全身を一つのブランドで揃えたいっていう気持ちはあまりなくて、自分が着たい物を探します。例えばユニクロのパンツがはきたい、でもトップスは H&M がいいとか FOREVER21 がいい、そうなるとトップスは FOREVER21 でパンツはユニクロっていうふうに分けたりするので、全身を一つのブランドで揃えたいとか、このブランドじゃなきゃ嫌っていうのはないです。

佳恵:なるほど。 H&M だからいいんじゃなくて、たまたま H&M においてあったこの洋服がいい!という感じ?

優 :そうです。デザインとか着心地とか自分が着たいと思えるものがたまたま H&M にあったんだと。

朋子:私も同じで自分の着たい服で値段もそれなりだったら、べつに全然知らないブランドでも買います。

満友:雑誌にいいコーディネートが載っていたら、まず自分の持っている物を考えて、もしなかったらユニクロとか H&M とかデザインが優れてえて安いところで買います。朋子ちゃんや優ちゃんと同じで買うお店はバラバラですね。

里香:私も特にブランドとかは気にしないんですけど、やっぱり大学生になると毎日が私服で、同じ物着ていくわけにいきません。なるべく一枚を安く抑え、自分に合うもので、なおかつ自分が今持っている物と合うものを買って、着回せるようにしています。

佳恵:新語・流行語大賞トップ10に入って話題になっている「ファストファッション」だけど「ファストファッションなんて古い」と言われるようになったら、自分の洋服の買い方は今と変わると思いますか?

優 :時代に流されるというよりは、欲しい物が安かったら安いところで買うっていう考え方は変わらないと思う。今もファストファッションのお店はやっぱり一番には見に行くけれど、そこに欲しい物がなかったら無理には買わないし、ファストファッションが古いと言われたとしても、あまり気にしないと思います。

満友:私もデザインを重視していて、加えてお金も安ければ一石二鳥だなと思うので、安いところでいい物があったら買うし、高い物でもずっと使う物、バックとかお財布とかそういうのだったら高い物で買う。たぶん今の自分のスタンスは変わらないかなと。

里香:私も特に好きなブランドとか、絶対これ着たいとかいうブランドはないので、自分の気に入った物を安ければいいなっていう感じでファストファッションのお店をのぞいて、良ければ買うし、なければちょっと高くなっても別のお店で買ったりすると思います。

朋子:安くても買うと思うんですけど、逆にもし高級ブランドが流行り始めたらそっちの方に目がいっちゃうような気もします。ちょっと流されるような気がします。

里香:確かに、普段はちょっと高いお店なんだけど、セールで安くなっている時に私はそのお店のブランドの物を買うんですね。やっぱりちょっと名の通っているブランドも少し欲しいと思うので。セールになった時にファストファッションと同じくらいの値段だったとしたら、みんなはどちらを買いますか?

朋子:私は絶対ブランドの方を買うと思うんです。お正月とか安くなっていて、このブランドでこの値段ならファストファッションのブランドより高いけど、出す価値があると思って買っちゃいます。

優 :セールは見に行くけど、最後はデザインや自分が着たいかというところに行き着きます。かわいいって思ったらやっぱりブランドの方を買い、同じような物がファストファッションのお店にも置いてあったら見比べてどっちがいいか悩んで決めます。

満友:前から探していた服が、セールをしているブランドよりファストファッションの方が自分に似合うと思ったり、好きだったらファストファッションの店を選ぶかもしれません。

お金がなくてもファッションを楽しめるのが「ファストファッション」

佳恵:今日の座談会の前後でファストファッションの捉え方は変わりましたか。みんなの意見を聞いて気付いたことなどがあれば教えてください。

満友:私は同じお金を持っていたら高いブランドを見つつ安い方で枚数を多く買うと言ったけれど、みんながブランド物を選ぶと聞いて、私もこれからは悩むと思いました。

朋子:ファッションってそれぞれの考え方があるんだなと改めて思いました。同じお金で、ファッションの幅を広げたいっていう考えもあるんだなって思ったけど、私は好きな物だったら高いお金を出すっていう考えだし、いろんなファッションの選び方があるんだなって思いました。

優 :ファストファッションも一つの流行りだと思いました。ファストファッションじゃなきゃ嫌だという人もいればそうでない人もいる。自分はやはり流行りがすごく気になるということに気づいたので、視野を広くして考えてみたいなって思いました。

里香:ファストファッションは安くてかわいいからみんな買うけれども、セールで他のもっといいブランド品が安くなっていたらそっちを買うという意見を聞いて、やっぱりファストファッションのブランドよりもちょっと高いブランドの方をみんな本当は買いたいと思っているんだなとわかりました。ファストファッションは、若くてお金がないけれど、ファッション楽しみたいっていう人のためのブランドなのかなと思いました。

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東京電力の取り組み


2009/12/12                 富沢 咲天(14)

 私たちが日々日常的に使っている電気は、作られる様々な過程でCO 2 をたくさん排出している。地球温暖化に向けて電力会社はどのような環境対策を行っているのだろうか。

 今回は東京電力株式会社にインタビューした。

東京電力に取材
東京電力に取材

 まず初めに鳩山政権が掲げた温室効果ガス25%削減について電力会社としての反応を聞いてみた。「 2020 年までに温室効果ガス25%削減という目標を民主党が掲げることは予想していたが、この目標は経営の根幹に関わるので正直重たい数字だ」と環境部国際環境戦略グループの高橋浩之さんは言う。その理由は、CO2排出の少ない新たな発電所の計画・建設には時間がかかり、運転が始まるまでに少なくとも10年は必要だからだ。電力会社にとって時間が足りない。また、25%削減するためにはコストがかかる。だから会社の反応としてはあまりよくなかったらしい。

 しかし高橋さんは、この目標に反対なわけではないと強調する。。「削減に取り組むのは世界の流れであるので、前向きに取り組みたい。」と語った。

 では東京電力が実際に取り組んでいることは具体的にどんなことか。まずCO2排出量が多い火力発電を減らし、原子力発電を増やす。石炭は安く手に入りやすいが、同じ火力発電でも石炭の2分1しかCO 2 を排出しないLNG(液化天然ガス)の使用を増やすことでこれから貢献が期待できるという。他にもヒートポンプ(エコキュート)の導入など効率のよい機器の開発・普及に取り組み、CO2削減のための技術開発に努めている。

東京電力の高橋浩之氏

 リサイクルの点では、2010年までに産業廃棄物のリサイクル率100%を目指すそうだ。古くなった電柱は道路の土盤材に、水力発電などで取水路に付着した貝類は肥料やセメントの原料に、電柱に取り付けられている碍子(電線などから電気を絶縁する器具)は陶磁器部分を焼き物や路盤材に、金属部分は鉄鋼の原料に利用するなど力を注いでいる。

 東京電力といえば、アニメなどの楽しい内容のコマーシャルが私たちにとって身近だが、そのほかにも未来を担う子供たちに環境問題やエネルギーに関心を持ってもらうため様々な環境教育を行っているそうだ。各地の小中学校で東京電力の社員が講座を開催したり、自然観察会や自然体験、食育活動などのイベントも開催している。大学生には環境活動コンテストというイベントをNGOと一緒に企画・運営をしているそうだ。

 日本が排出している温室効果ガスの量は世界全体の3.3%だそうだ。だから高橋さんは「日本だけで削減しても他の国で削減が進まなければ温暖化防止の効果はでない。

 日本はとても高い環境技術を持っているのだから、その技術をどんどん外国に伝えなければいけない。今が国際的に貢献できるチャンスだ」と語った。

 「温暖化が深刻化するのを防ぐために、日本は環境に対してコストを負担することを受け入れる社会にならなくてはいけないと思う。。安全でCO2排出の少ない電気を安定して供給するにはコストがかかり、これは電気料金が高くなることを意味する。。それらを国民に納得してもらうためにも、政府は情報を広く国民に知らせてほしいし、国としてどういう社会をこれから目指すのか、国民をまきこんでもっと議論をしてほしい」と高橋さんは言う。

 私は家の毎月の電気料金がいくらかかっているのかも知らない。「冬は暖房代がかかって大変」と母は言う。もし今の電気代が倍になったら。あるいは 3 倍や 4 倍になったら、国民はみんな受け入れられるのだろうか。どんどん設備投資をしてCO2を減らすという理想と、そのための重いコスト負担の現実は私たちにどう影響するのだろう。それでもやはり、将来のために私たちは選択しなければいけない。

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25%削減に向けて企業の取り組み


2009/12/12                 建部 祥世(18)

 政権交代により掲げられた、 2020 年までに温室効果ガスを 25% 削減( 1990 年比)するという目標は、麻生政権時に出された 15% 削減( 2005 年比。 1990 年比では 8% )という数値のおよそ 3 倍にもあたる。鳩山政権のこの数値目標は世界各国から拍手喝采を浴びたものの実際に達成できるのかどうか、国内ではまだまだ賛否両論がある。

東京電力に取材
東京電力に取材

 この目標を達成するにあたり欠かせないのが産業界の協力である。日本の温室効果ガス排出量を見てみると、産業部門からの排出量は 1990 年から徐々に減少しており、現在ではおよそ 13% の削減に成功している(東京電力株式会社資料より)。しかしそれでもまだ産業部門が占める割合は、日本全体の排出量の約 4 割にも上り、産業界はこれからの大幅な温室効果ガス削減成功の鍵を握っているのである。

 では、その産業界は今回の数値目標をどのように受け止め、今後どのような活動に取り組んでいこうとしているのか。産業界の中でも特に、様々な温室効果ガス削減活動や環境保護活動を積極的に行っている東京電力に話を聞いた。

 環境部国際環境戦略グループの高橋浩之氏は 25% 削減というこの目標について、「反対はしていない。ただ産業界全体としては厳しい、重たい数値であると受け止めている。、ビジネスを、環境に配慮した形にシフトしていくことが大切」と前向きな姿勢を示した。環境問題の影響を直接受ける私たち若者が自分たちの将来に不安を抱いているということに対しても、「不安になることはない。日本を含めた先進国等ですでに使用されている排出削減技術を国際的にさらに普及させていくことでかなりの効果が期待できる」と語ってくれた。

 しかし同時に「日本の高度な技術を国際的に普及させていかなければならないという産業界の役割に責任感を感じている」という。技術輸出と、世界との連携は簡単なことではないが、もしそれが実現したならば、より効果的な世界レベルでの温室効果ガス削減ができるのではないかと、私たちの将来に少し希望を持たせてくれた。

 東京電力は産業界の中でも特に多くの環境保護活動に取り組んでいる。重点を置いているのが環境教育だという。学生向けの出前講座や教職員を対象とした「環境・エネルギー教育研修会」の実施など、次世代を担う若者たちの育成に力を注ぎ、また「東京電力自然学校」という自然体験活動など、体を使うことによって全身で自然の雄大さや大切さを実感してもらう事業も展開している。これらの環境教育について高橋氏は「効果は出にくいが、草の根的なコミュニケーションを作っていくことが大切」と、持続的な活動の重要性を述べていた。

 最後に日本社会に対して、「『規制だからやる』のではなく、自発的に取り組んで欲しい。環境問題などの国際的な問題を深刻にとらえ、意識改革と行動改革を起こすことが大切。企業側の意識も上がってきているので、国民の人々にもっとサポートしてもらいたい」と、低炭素社会実現に向けてのメッセージを送った。

 「環境に優しい」や「エコ」を売りにする企業がどんどん増えてきており、企業レベルでの環境への取り組みも活発になってきている。私たち国民、ひとりひとりができることは企業の取り組みをサポートし、監視し、自らも様々な活動に積極的に参加していくことであろう。

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