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「お化け屋敷プロデューサー」って?~お化け屋敷作りへの熱い思い~

前田 佳菜絵(14)

 「お化け屋敷」というと、皆さんはどんなイメージを浮かべるだろうか。一般的には、怖い雰囲気なかで、お化けが驚かしてくる場所を歩いたり、乗り物に乗って進むものだろう。しかし最近は、来場者自らがストーリーの役を担い建物内を進み、架空の世界観に入り込めるお化け屋敷が増えている。このような新しいスタイルのお化け屋敷を打ち出したのは日本でただ一人の「お化け屋敷プロデューサー」である五味弘文さんだ。

 五味さんはお化け屋敷プロデューサーの仕事とは「お化け屋敷を一から十まで作ることだ」と語った。具体的には、お客さんにお化け屋敷の中でやってもらう役割、つまり『ミッション』を考えて、それに合わせたお化け屋敷のテーマを決めてからストーリーを考える。お化け屋敷内の演出や図面を決めたら、衣装を作る人や音響の仕事の人たちと打合わせ、お化け役のスタッフの教育もしていく。さらに開催後も運営の様子を見ていく。企画を立ててから開催まで7ヶ月は掛けたいと五味さんは言う。五味さんは、お化け屋敷を作りたいという気持ちはあったが、プロデューサーという形でお化け屋敷作りができるとは思っていなかった。「僕はお化け屋敷プロデューサーです」と言えるようになったのは最近だという。

 本来は怖いはずのお化け屋敷になぜ人は集まるのか。東京ドームシティで今年の夏に開催されていた「呪い指輪の家」というお化け屋敷の前で、会場から出てきたお客さんたちに聞くと、「一緒に来た人が入りたいと言ったから」「恐いもの見たさ、興味本位で」という人がほとんどだった。同じ質問に対して五味さんは次のように解説してくれた。人は「怖い」だけのものは体験したくないが、それをどこかの段階で「楽しい」に転換させられると一つのエンターテイメントになる。お化け屋敷の中ではかなり強いストレスや不安が与えられ続けるが、お化けが出ると「正体はこれだったんだ」と不安が解消され、それを繰り返していく。ここでいう「不安が高まる」ということは「期待が高まる」と同じことで、最後に外に出た時に全ての不安が解消され、そこで本当の楽しさが現れるという。

 だから、お化け屋敷のストーリーを考える時、五味さんは「テーマから発展させてストーリーを考えるが、リアリティーがなくてファンタジーのようなものを思いついたら『いいな!』と思う」と楽しそうに話した。「お化け屋敷の中で非現実的なものがあると不安が解消されて『楽しい』と思えるようになる。例えば、『呪い指輪の家』で主人公の鮎子の指から指輪が抜けない、というのもリアリティーがない」と五味さんは説明した。

 また、お化け屋敷の心理について五味さんは「人は怖い雰囲気の所を歩くと想像力の抑えがきかなくなっていくからさらに怖くなるのではないか」「入場までの行列で、例えば一人で来ていても前後に他のお客さんがいる。誰かと一緒に並んでいることが重要だ。多くの人と何かを体験することで、お客さん同士に共感が生まれるのだろう」と五味さんは推測する。ちなみに五味さんは自分がプロデュースしていないお化け屋敷にも行ったことがあるらしく「正直に言うと怖かった」と話していた。「でも、自分が作ったお化け屋敷を体験したお客さんには『怖かった』と言われるより『楽しかった』と言われるほうが嬉しい」と五味さんは語った。

 また、五味さんは遊園地だけでなく地方の商店街にもお化け屋敷を作ったことで話題となった。「地方の商店街にもお化け屋敷を作ったのは、商店街側から依頼があった。正直、ここでは人は来ないだろうなと思っていたが、多くのお客さんに来てもらえてよかった」と五味さんは話した。また、五味さんは「地方には大きな遊園地など、友達と外で楽しい体験ができるところが少ないから若い子たちも家に閉じこもってしまう。外で遊べる場をお化け屋敷として提供したところ需要が多くあった。シャッター商店街を活性化するという目的もあったかもしれないが、若い子たちの閉ざされている感じを瞬間的にでも解放してあげていると考えている」と真剣に語った。

 最後に五味さんは、これから作っていきたいお化け屋敷について「大きなお化け屋敷を作ってみたい。所要時間が長いお化け屋敷はストーリーをじっくり感じ深く入り込められる、海外にも作ってみたい。日本で作った会場に海外のお客さんは来てくれてすごく怖がってくれている。『恐怖を楽しむ』ということに関しては形の違いがあっても万国共通だから、自分の作ったお化け屋敷を日本発として海外に出していきたい」と話した。

 普段私たちが楽しんでいるお化け屋敷も五味さんや多くの人の「新しいものを作りたい」「より良いものを作りたい」という努力の上にある。これはお化け屋敷だけのことではなく、すべてのものの裏には制作に関わった人たちの熱い思いがあることをこの取材で学ぶことができた。表立って活躍する人以外にも、その裏で日々努力に勤しむ人たちにこそ私たちは注目するべきではないか。

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被災地から全国へ広がる漁業の魅力

米山 菜子(18)

  3年前の2012年、若者の目線から新しいスタイルの農業を展開する若い農家グループを取材した。農業と同じく1次産業の漁業から、6次産業化に挑戦している若者たちがいた。6次産業とは、農水産物の原料だけを提供する第1次産業から加工、流通、販売までを一体化する多角化の事業形態だ。一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの面々である。彼らは、新3K「漁師をかっこよく、稼げる、革新的に」をコンセプトに集まった宮城県石巻市の若手漁師である。2011年の東日本大震災で、津波に漁船、漁具、作業小屋、そして自宅まで流された被災地から、漁師のイメージを変える一歩を踏み出し始めている。

阿部勝太氏のホタテ剥き実演

 フィッシャーマン・ジャパン代表理事である阿部勝太氏(29)への取材場所は、海がある石巻ではなく、東京の日本橋だった。阿部氏はフィッシャーマン・ジャパンのイベントのために石巻から東京に出てくることも少なくない。イベントを通して、漁師の魅力や自分たちの水産物を都会にいる人々に広めている。以前は海で採れた産物を直接あるいは加工して漁協に卸し、市場がきめた価格で販売していたスタイルを、自分たちで直接販路を探して、自分たちの水産物に見合う価格をつけることで漁師の魅力を「新3K」にまとめている。子どもたちが後継者として育つためには大いに影響する「かっこよさ」と、水産物に見合った収入が得られるための「稼げる」は、不可欠であったという。そして、最後の「革新的」には、ITや異業種の人々とのネットワークを駆使して販路を開き、地方からでもアクションを起こせるという思いを込めた。水産物のオーナー制度という制度も革新的な活動のひとつだろう。水産物に見合った価格で提供するため、地元だけにとどまらず、都会に出て多くの人々にまず食べてもらい味を知ってもらう活動が行なわれている。

 今でこそ、阿部氏はフィッシャーマン・ジャパンの名を背負い、海がある十三浜と東京を行き来しているが、漁師になったばかりは今ほど意欲的でなかったと父である阿部浩(52)氏が語る。きっかけは、東日本大震災だったという。

ホタテの阿部勝太氏とカキの阿部貴俊氏

8月22日に阿部家がある石巻市北上町十三浜を訪れた。塀には津波の爪痕がまだ残り、破損している部分も多くあった。ワカメやコンブ、ホタテを養殖している阿部家の船や漁具、作業所は流されてしまい、同じように被害を受けた近隣の5家族と手を取り合い、「浜人」という漁業生産組合を立ち上げた。そのような境遇から、漁師への想いが変わっていく息子の姿を父は近くで見ていた。「勝太は震災前には、親に言われたことをただやるだけだった。震災を機にいろいろ考えるようになったのではないか。震災を経て変わったな」。
 
 フィッシャーマン・ジャパンは、毎月イベントを開催している。8月20日には東京の日本橋でカキやホタテの殻むきを実演し、都民に体験してもらい、それらを味わう会や、9月には川崎でバーベキューも予定している。イベントはまだ模索中で、様々な方向性のものを企画しているという。

 阿部氏は、農家とも交流を持っている。 3年前に取材した宮治勇輔氏が代表を務めるNPO法人「農家のこせがれネットワーク」の活動からヒントももらったという。 阿部氏は最後に語った。「いつかもっと力をつけたら、農業と漁業で大きな『食』というテーマで連携することをやってみたい」。 農業も漁業も後継者は減少し、子どもたちに魅力を伝えていくことが難しくなっている。だからこそ、彼らのように若者の目線で1次産業界を盛り上げていくことは、日本の将来を支えるためにも素晴らしいことではないだろうか。 阿部氏は漁業の楽しさを次のように述べた。「手間をかけた分だけ美味しくなるんです。そして、提供したときにわかりやすく答えが返ってくる。そういう反応がもらえる職業って、あるようで意外とあまりないと思いますよ」。石巻の復興とともに新しいスタイルの漁業も前へ前へ進むことだろう。

2012年に農業を取材した記事「若者の改革で変わる農業」は本ウェブサイトに掲載されています。

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「明るい石巻」を見て!~被災者が語る石巻の今~

前田 佳菜絵(14)

 2011年3月11日に東日本大震災が起き、それによる大津波や福島第一原子力発電所の事故も含めて東北地方は甚大な被害を被った。震災から4年半がたった今、被災地はどのように変わってきているのだろうか。今も被災地域で暮らす人々の目から被災地はどのように見えているのか。8月22日、津波で大きな被害を被った宮城県石巻市を訪れた。

津波で被災した大川小学校

 JR仙石線石巻駅からタクシーに乗り北上川に沿って河口に向かった。運転手さんによると、石巻駅付近にも津波は到達し、ジュースの自動販売機の上にあがって助かった人もいたそうだ。

 河口から4キロの川沿いにある石巻市立大川小学校跡を訪れた。大川小学校には地震直後に大津波が押し寄せ、児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった。校舎は壁や天井などが大破し、鉄筋コンクリートがむき出しになっていて痛々しい。教室があったであろう校舎はまだ原型が分かる程度に残っていたが、体育館や屋外の遊び場などはほとんどが流されてしまっていた。校舎の周りにはロープが張ってあって「立入禁止」の看板が所々に立てられていた。校舎の前には祭壇や慰霊塔が立ち、多くの人が訪れては手を合わせていた。

 石巻駅から徒歩6分のところにある絆の駅「石巻ニューゼ(Newsee)」で毎週活動をしている一般社団法人キッズ・メディア・ステーションの子ども記者たちを取材をした。この「石巻ニューゼ」は石巻日日新聞社が設立したもので、震災直後の壁新聞が展示されている。この日は石巻に小学生のときから在住していたロシア人の女性、クハルチョク クリスティーナさんがロシア語のワークショップをしていた。

震災当時のことについて、山口莉子さん(小学6年生)は「妹とおばあちゃんとで車に乗っていた時に地震が起こったから、近所の人を乗せて近くの高校に避難しました。小学1年生だったから、当時はよく状況が分かっていなかったです」とぽつりぽつりと話してくれた。当時は大学生でアルバイト中だったというクリスティーナさんは「そのときは仙台にいたので津波は無かったですが、すごく揺れて怖かった。家族と連絡が取れなくて泣いている人もいました。寒かったからカイロを買ってきて、3時間ぐらいは屋外にいました」と4年前を思い出しながら語った。酒井理子さん(中学1年生)は震災直後は「アレルギーがあり、がれきに近づくと咳き込んでしまい困りました」と話した。

 震災当時と今を比べて復興したと感じることはあるか、と聞くと山口葵さん(小学4年生)は「津波で大きな被害を受けたのに仙石線が開通したのが、すごいと思います」と言い、震災後に家族の勧めで一時ロシアに帰国したクリスティーナさんは「当時の光景と今の光景がまったく違う。がれきが片付いただけでも復興になっていると思います」と明るく話した。しかし、困ったように「仕事で海外の人と話すことも多いが、『日本製の商品は安全か』『原発の影響は無いのか』と尋ねる人が多いです」とも語る。山口葵さんは「もちろん震災のことは憶えていなければいけないけれど、テレビで津波の映像が流れると思い出してしまうから怖いです」と少し辛そうに語った。

 これから復興のために何をすればいいだろう、という質問に「『石巻日日こども新聞』を他の新聞と一緒に配達してもらえば、もっと石巻の今を知ってもらえる」と山口葵さんは明るく話した。また、震災の被害をあまり受けていない人たちに向けて酒井理子さんは「石巻に一度来たら、何年かあとにまた来て復興した様子を見てもらいたい」、山口莉子さんは「実際に石巻に来てもらったほうが、その時の状況が分かってもらえる」、山口葵さんは「津波がきた時にどうしたらいいかなどを、東日本大震災で津波がこなかった地域の人たちにも伝えていってほしい」、クリスティーナさんは「身の回りに亡くなった人がいたらもっと悲しみは深かったと思う。震災のことについて話すのは辛いけど、震災に関心を持ってくれる人には当時のことを伝えなればいけない」と前向きに話した。そして、山口葵さんは「もう復興は始まっているから、『明るい石巻』も見てほしい」「震災の話をするとみんな暗くなるから、それが嫌です。復興が始まっているから、笑顔も戻していきたい」と笑顔で話した。

 また、今年の春に大川小学校の校舎を残すか解体するかが議論されたことについて酒井理子さんは「私は正直に言うとどちらでもいいですけれど、その時のことを思い出すのが嫌、と言う人もいるから、写真に残し校舎は壊して新しい学校を建てていいと思います。でも、その時の状況は写真では伝わりにくいから、難しいです」と悩みながら語った。そして、山口葵さんは「地元の人は、震災のことを残したくない人もいると思いますが、震災を忘れてまた同じことが繰り返されるのは嫌です」と話した。最後にクリスティーナさんは、「震災を人ごとだと思わないで、普段から心の準備をするのは難しいと思うけど、知識としてでも知っておいてもらいたい。これからも震災の情報を広めていきたい」と真剣に語った。

 東北以外にいて震災であまり被害を受けなかった立場からすると、いま石巻の人々が震災を「前向きに」捉えていたことは意外だった。テレビや新聞などの報道だけでなく、被災地に自分自身で行き、被災者に自分自身で話を聞くことで新たに分かることがある。被災者の声を聞くことで、私たちが被災地のためにできることが新たに見つかるのではないか。

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レコード人気再来!

宇津野潤さん


2015/08/26                  村上 類(16)

  スマートフォン等で楽しむ定額制音楽配信サービスが急増する今、レコードが改めて人気を博してきている。なぜ一部の音楽リスナーはレコードという音楽媒体を選ぶのだろうか。レコード最盛期の時代から強く支持されているディスクユニオンのお茶の水駅前店の店長宇都野潤さんと、RECORD STORE DAYを日本に導入してブームをつくったNPO法人ミュージックソムリエ協会副理事長でRECORD STORE DAY JAPAN事務局の吉川さやかさんに取材をした。

吉川さやかさん

 ディスクユニオンお茶の水駅前店の店長の宇都野さんによると、レコードはジャンル問わず売れており、またお客さんの7割は男性だそうだが女性も最近は増えていて、取材当日も若い女性の姿がちらほら見られた。

 実際に自分の聞きたいレコードを探しているお客さんに話を聞くと、聴き始めた年代はそれぞれバラバラなものの、口をそろえて音に良さを感じているという。またジャケットのデザインやレコードのみで聴ける音源など、音楽自体のあたたかさを楽しめるところに魅力があるようだ。

 そしてレコードの売り上げが伸びている要因の一つとなっているのは、RECORD STORE DAYの存在だと宇都野氏は話す。特に昨年からは、年二回あるRECORD STORE DAYになるとお店がとても盛り上るようになった。

 その事務局の吉川さんによると、日本で本格的に始まったのは震災があった2011年からで、アメリカのヒップホップグループBeastie BoysがRECORD STORE DAY当日の売り上げをRECORD STORE DAY JAPANを通して日本赤十字社に寄付したことがきっかけだそうだ。現在世界20数か国にまで広がっているRECORD STORE DAYは、どの国でも共通している身近な街のMUSIC SHOPがなくなりつつある現状に危機を覚えたレコードストア店員の呼びかけに、ポール・マッカートニーやMetallicaなどの著名アーティストが反応し、貴重な限定アナログレコードを販売し始めたことが世界中に影響を与えている。

 日本でもRECORD STORE DAYが盛り上がるようになったのは、そのような海外での流行に敏感な若者がインターネット等で知ったことにも理由があると吉川さんは話す。またアーティストが、アナログレコードならではの音のふくよかさや表現をより求め、若いアーティストがアナログレコードを出すようになった。すると当然ファンの人はアナログレコードを支持するようになったのだろう。

 取材の中で宇都野さんも吉川さんも語ったのは、レコードをブームで終わらせたくないということだった。スマートフォンのようにどこでも楽しむことはできないし、A面B面をひっくり返すといった動作が必要なレコードだが、音楽を楽しむ時間がないと感じている人は、あえてレコードで音楽に本気で向き合ってみるのもいいかもしれない。今は音楽を聴く手段は沢山あるが、レコードは現在の若者にとってもなお気になる音楽ツールである。

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ホームレスと共に商売する!~THE BIG ISSUE~

2015/08/26                   松本 哉人(15)

   
新宿や渋谷の道端で、雑誌を掲げて立ち続ける人。しかし、多くの人はその目の前をまるでそこに何も無いかのように通り過ぎていく。そんな光景を目にしたことは無いだろうか。「ビッグイシュー日本版」という雑誌がある。その出版元である有限会社ビッグイシュー日本東京事務所の活動説明会と、販売者とスタッフ、ボランティアが参加する定例サロン(会合・月1回開催)に参加して話を聞いてきた。

そもそもビッグイシューはイギリスで1991年に創刊され、2003年に日本でも大阪を中心に活動を始めた。その活動はホームレスの人にビッグイシューが作った雑誌を独占的におろし、そのホームレスが販売者となってそれを路上販売して自らの収入源にするというものだ。実際には販売価格のほぼ半分である180円が販売者自身の収入になっている。日本でも創刊から去年までの12年間でおよそ668万冊が売られ、同時に9.5億円余りが販売者にもたらされてきた。現在も日本全国に140人ほどが販売者として雑誌を売り続けているそうだ。説明会の中で話してくれた東京事務所長の佐野未来さんは、「一番大切にしているコンセプトはセルフヘルプ。自分自身が助ける力を身につけることを私たちが側面から応援する、それを一番大事にしています」と話す。そのため、「雑誌を買った代金がただの寄付になってしまわないように皆さんが面白いと買い続けてくれる雑誌を作る、これがビッグイシュー日本の一番大事な仕事」と話していた。

さらに2007年には認定NPO法人ビッグイシュー基金が設立され、就業支援や健康診断、スポーツや文化のクラブ活動などをしている。私が参加させていただいた定例サロンの中ではボーリング部やサッカー部などのクラブとその活動が紹介された。それぞれの活動を語るときはどの人もとても誇らしげで、それらの活動もまた、販売者を支えているのだと感じさせた。

具体的にビッグイシューが支えるホームレスとはどんな人なのだろうか。以前はホームレスと言うと「仕事をしようとしない怖い人々」というイメージが大きかった。しかし、サロンに参加していた販売者の方々は世間の普通の大人たちと何も変わらないように見え、ホームレスの方々も人間として別段私たちと違うわけではないのだということを感じた。現実に、佐野さんは「私たちが、ビッグイシュー日本が設立された時、すでにホームレスの人の6割がなにかしらの仕事をしていて、必ずしも仕事をしたくない人々ではないのだと感じた」と話す。さらに、ビッグイシューの販売者は「ビッグイシュー行動規範」というものに基づいて販売をしている。これは実際にビッグイシューの表紙の裏にも書かれているが、「攻撃的または脅迫的な態度や言葉をつかいません」や「街頭で生活を稼ぐほかの人々と売り場について争いません」など全販売者への信頼を守るためのものだ。この最低限のルールの中で販売者は場所や時間、売り方などを各自工夫して販売しているのだという。

また、ビッグイシューを支えている要素の一つが「同じ販売者が同じ駅にずっと立っている」ことだという。販売者が日々同じ場所に立ち続けることで通りかかる人が興味を持つことでビッグイシューについて知り、販売者とかかわりを持つことで「実は、ホームレスの人は働かないって言われているけども、働きたいって思っている人もたくさんいる」、「ホームレスの人はもともとホームレスに生まれたのではなくてたまたまそうなってしまっただけなのだ」と知ってもらえたら社会の認識が少しずつでも変わると思っているそうだ。

 普段私たちはホームレスを見慣れてはいても彼らのことを正面から考える機会は少ないのではないだろうか。募金や寄付のお金ではなく商売を通して路上からの脱出を図る販売者の存在をこの機会に認識しなおし、考える人が増えることを期待する。

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「おじさん」と社会をつなぐ「ビッグイシュー」

2015/08/26                   村上 類(16)

  

取材

赤い帽子に赤いパーカー。渋谷駅のバス停前に、握りしめた雑誌を頭上に掲げて立つ「おじさん」がいる。午前7時20分。私が学校へ行くときに立っていたそのおじさんは、帰宅する午後4時になっても必ず人ごみの中で雑誌を掲げてしっかり立っている。手を下ろしたところを見たことがない。「あのおじさんはいったい何をしているんだろう」。通行人によく見えるように掲げた雑誌の表紙には「THE BIGISSUE日本版」(以下ビッグイシュー)の文字。なんとなく「怪しいな」と思い素通りしていたおじさんの前で、立ち止まってみた。

ビッグイシューを売っている「おじさん」たちはホームレス。ビッグイシューは1991年に英国のロンドンで創刊された雑誌で、ホームレスの人に仕事を提供し自立を応援する事業だ。日本では2003年に大阪で販売が始まった。販売者になる条件はふたつある。ひとつは現在ホームレスであること。もうひとつは「ビッグイシューの販売者として働いている期間中、攻撃的または脅迫的な態度や言葉は使いません」「どのような状況であろうと、ビッグイシューとその販売者の信頼を落とすような行為はしません」といった8つのビッグイシュー行動規範を守ることだ。

販売者には最初の10冊が無料で提供され、その売り上げ(3500円)を元手に、その後は1冊170円で仕入れて定価の350円で売ることで180円が彼らの収入になる仕組みになっている。ビッグイシューを発行する有限会社ビッグイシュー日本東京事務所長の佐野未来さんは、「ビッグイシューは生活状況の一番下から社会復活への階段であり、セーフティーネットとなっている」という。最近では職と同時に住まいや家族も失うケースが多く、ホームレスとなった人は口をそろえて「まさか自分が(ホームレスに)なるなんて」と言うそうだ。佐野さんは、「出来るだけ自分自身で、出来るだけ早い段階で立ち上がれるセーフティネットの仕組みを作っていくことがこれからの日本には必要だ」と話す。

雑誌を販売する山崎さん

ビッグイシューのカギは販売者だ。もちろん他の本屋で売られている雑誌同様、固定客を得るために工夫が必要で、そのためにいろんな人が興味を持つ話題を毎号オリジナルで作成したり、世界中にあるストリートペーパー(ビッグイシューと同じ形態でホームレスの仕事づくりをする雑誌)が配信している記事から面白そうなものを翻訳して掲載したりと工夫を凝らして出版されている。だが、「一番のキーパーソンは販売者。彼らが路上で雑誌を販売することが広報になり、ホームレスについて考える機会を作ることが出来ている」と佐野さんは語る。

そして販売者のやる気につながっているのは、「ビッグイシューを買い求めるお客さんとの会話」だそうだ。販売者と話をするためにビッグイシューを買う常連客もいる。体調を崩してしばらく販売ができず、久々に立った路上で常連客からかけられる「売ってなくて困ったよ」という一言が支えになる。佐野さんは「そういう関わりを糧に最終目標のホームレス状態からの脱出や就職をめざしていく。お客さんの一言で社会に必要とされているんだと感じられる」という。

試供品の配布かと思ってなんとなく避けていた「おじさん」はホームレスだった。ホームレスは「働きたくなくて路上で暮らしている人」だと思っていたが、ビッグイシューを通して自立するために必死で働いている人たちがいることを知った。少しでもホームレスの人たちが路上生活から抜け出しやすくなる社会になることを期待して、興味のある特集の号は「おじさん」から買おうと決めた。

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ビッグイシューを通して身近に感じるホームレス

2015/08/26                   前田 佳菜絵(15)

   家や学校、職場の近くの路上で、ホームレスが売っている雑誌がある。その雑誌の名前は「THE BIG ISSUE 日本版」(以下、ビッグイシュー)。ビッグイシューを発行する有限会社「ビッグイシュー日本」はホームレスに雑誌の販売という仕事を提供して自立を支援することを目的として活動している。「自分とは関係ない」と心のどこかで思っていたホームレスについてビッグイシューを通して考えた。

東京事務所長の佐野未来さん

 「ビッグイシュー日本」東京事務所長の佐野未来さんによると、2014年時点で日本のホームレスは7,508人だそうだ。ここでいうホームレスは「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」における「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」のことであって、いわゆる「ネットカフェ難民」や「ホテル暮らしの人」などは含まれていない。佐野さんは「現場の実感として、リーマンショック以降は若いホームレスが増えているのではないか」と話す。
 
 厚生労働省が行った「ホームレスの実態に関する全国調査」によるとホームレスのうちの60.4%が廃品回収などの仕事をしているが、そのうち90.4%の収入が月給1万円未満。佐野さんが出会ったホームレスの人たちは「まさか自分が」というという。野宿の状態になるということは住居だけでなく、労働、家族、金銭を失うことでもある。「一度野宿の状態になると、元の生活に復帰するにはいくつかの条件を一気にクリアしなければならないため、一人では非常に困難。私たちの仕事はホームレスの人が野宿の状態から自立できるように支援すること。それに、野宿の状態に至る前のサポートのようなセーフティーネットも張っていけたら」と佐野さんは話す。

雑誌を購入

 ビッグイシューは英国のロンドンで誕生した雑誌だ。創刊者のジョン・バード氏はあるホームレスの青年の「物乞いをするくらいなら、何でもする」という言葉をスローガンとして発刊を始めた。日本では2003年に創刊され、現在14都道府県で販売、これまでに累計651万部を発行したという。また、販売者には延べ1,581人が登録され、現在は約140人が販売している。ビッグイシューは一冊350円で売られていて、仕入れ値の170円を引いた180円が販売者の収入となる。そしてそのお金で簡易宿泊所などに泊まりながら、少しずつ貯金をして住居と住所を確保して、定職を探すというのが販売者の目指す未来だ。

こだわっているのは「質の高い雑誌づくり」とホームレスだけが販売できる「独占販売」だ。「販売者はビッグイシューを売ることでほぼ毎日人と接する。その中で仲間や応援してくれる人に囲まれるように感じる。一方の購入者も販売者の存在に安心したり励まされたりする」と佐野さんは語った。実際「ビッグイシュー日本」の東京事務所で話を聞いた常連客という女性も「毎朝同じところにいる安心感がある」という。

 一度失敗してもやり直しのきく社会を作ろうと「ビッグイシュー日本」を母体として2007年に設立された認定NPO法人ビッグイシュー基金という組織もある。ビッグイシュー基金はホームレス状態の人に対して、生活自立、就業、文化活動などの支援を総合的に行っている。貧困問題の氷山の頂点とも言えるホームレス問題の解決に寄与することを目的としており、活動の軸は「ホームレスの自立応援プログラム」と「問題解決のためのネットワーク作りと政策提案」、「ボランティア活動と市民参加」だ。佐野さんは「誰もが排除されず、すべての人に居場所と出番のある社会をつくるためにある」と語った。

 これまで「ホームレスは自分とは関係ない」と考えていたが、「ビッグイシュー日本」の取り組みを知り、佐野さんの話を聞く中で「ちょっとしたきっかけで自分もホームレスになるかもしれない。今まで思っていたよりも身近な問題なのかもしれない」と考えるようになった。他人事と考えず、もっと理解を深めることがホームレスの社会復帰の手助けになるはずだ。

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「SGH」って?~今求められるグローバルリーダー~


2015/08/26                     前田 佳菜絵(14)  

 

2016年のG7伊勢志摩サミット開催、2020年の東京オリンピック開催などが決定されていく一方、まだまだ国際社会で活躍する日本人は少ないとされる。しかし、皆さんはスーパー・グローバル・ハイスクール(以下SGH)という言葉を聞いたことがあるだろうか。SGHとは「グローバルリーダー育成に資する教育を通して、生徒の社会課題に対する感心と深い教養、コミュニケーション能力、問題解決力等の国際的素質を身に付け、もって、将来国際的に活躍できるグローバルリーダーの育成を図る」ために文部科学省に指定されて活動している高等学校のことだ。では、ここでのグローバルリーダーとはどのような人材なのか、またSGHの最終的な目標とは何なのだろうか。

文部科学省取材

 まず、SGHを創設した文部科学省初等中等教育局国際課計画指導係に取材を行った。矢田裕美係長によると、SGHを創設したのは「現代社会に対する感心と深い教養に加えてコミュニケーション能力や問題解決能力を身につけた、将来国際的に活躍できるようなグローバル人材を育成する」ためだそうだ。グローバルリーダーとは、と聞くと「私自身も思うところがある。だが、この事業で輩出したいのは、グローバルな社会課題を発見・解決し、様々な国際舞台で活躍できる人材、例えば、グローバル社会に出てイノベーション(改革)を起こしたり、新しいことをやったり、新しい事業を起こしたりして、社会に対してインパクトを与えられる人材も一つの例だ。」と矢田さんは答えた。また、矢田さんは「SGHに指定するずっと前からグローバルリーダーの育成の精神を持ってきた学校はもちろんあった。しかし、SGHに指定することによって、国費を投入して一線を画した特別な取り組みをやってもらう意味がある。大事なのは10年後、そしてその後もグローバルリーダーがちゃんと育成できているか」とも話す。

渋谷教育学園渋谷高等学校 北原隆志先生

 平成26年度は246校、平成27年度は190校の応募の中から両年度とも56校、つまり合計112校が選ばれてSGHに指定され、5年間文部科学省からの予算で活動する。各学校はSGHに指定されたら実施することをまとめた企画書を応募の段階で提出するが、選ばれる基準は「1つではない。学校が考えるグローバルリーダーは学校によって異なる」と矢田さんは説明した。指定されたら「目指すグローバル人材像の設定」「研究開発テーマの設定」「グローバルなビジネス課題、社会課題の研究」「大学との連携」「国際機関、企業等との連携」の活動を行うが、どの学校も目指すグローバル人材像や研究開発テーマは違うそうだ。また、矢田さんは「SGHの目的は英語教育ではなく、世界や地域の課題を世界の人々と一緒に解決できる人材の育成だ。しかし、これら解決するには必然的に英語が必要になってくる」とも話した。

実際に平成26年度からSGHに指定されている東京の渋谷教育学園渋谷高等学校に取材した。渋谷教育学園渋谷高等学校では「探究型学習を、いかにして「行動できるリーダーの育成」につなげるか」という研究開発テーマで活動している。同校SGH委員副委員長担当の北原隆志先生によると、一年生の一学期は「The World in 2050」というテーマで2050年の未来をデザインするプレゼンテーションや英語でのディベートを行い、二学期は「Hiroshima Project」というテーマでヒロシマについて議論などを実施、三学期は「Wars and Conflicts」というテーマで戦争や紛争について英語でのプレゼンテーション及びエッセイライティングを行っている。特に「Hiroshima Project」では米国フロリダにある提携校の世界史の授業用教材を作成し、優秀なチームはその学校で特別講師として授業を行うことができる。また、二年生では「Social Justice(社会正義)」というテーマで子どもの人権や環境課題について考え、発信していく。

 しかし、北原先生は「この学校は『自調自考』『高い倫理観』『国際人」の3つを目標としていて、SGHに指定される前から中学一年生からアクティブラーニングやディベートは行っていた。中学の授業で本格的なプレゼンテーションを行うようになってかれこれ15年になる。」と語った。SGHに選ばれてからについては「東京外国語大学に通う海外の大学院生を学校に呼ぶことと、フロリダへの派遣が文部科学省からの予算で新しくできるようになった。また、教科横断型授業は以前から少しずつ始まっていたが、SGHに指定されて本格的に実施するようになった」と北原先生はいう。例えば「Hiroshima Project」では公民科、情報科、英語科や国語科が連携し、「Wars and Conflicts」では生徒たちは経済、現代社会、歴史、理科数学、文学、芸術、家庭科保健体育の7つの分野に分かれて意見を交わすそうだ。さらに「Social Justice」では、子どもの人権については家庭科と英語科が連携、環境問題については国語科、地歴科、理科、英語科が連携する。

 また、北原先生は「地球社会の問題は、世界中の各分野のエキスパートが力を合わせて初めて解決できる」とも話した。そのため、「SGHに指定されノウハウをオープンすることは私立校としてはマイナス面もある。しかし、自分の学校のことだけを考えていては地球社会の問題を解決することはできないと思う。」と強調する。そしてグローバルリーダーについては「物事を地球規模で考えられる、多数の意見を聞ける、冷静である、自分の意見を作り出せる、それを上手に伝えられるコミュニケーション能力がある人」、行動できるリーダーについては「観察力、想像力、行動力から成る思いやりがある人。理想や問題発見能力 がある人。」と北原先生は語った。

 まだSGHの活動が始まって1年程だが、文部科学省やSGHに指定された学校へのインタビューからはグローバルリーダーの育成への熱意が感じられた。しかし、果たして5年間で成果が出るのかどうかなどの疑問点があるのも事実だ。それらも含め、今、日本の将来が変わってくる重要な局面に私たちは立っているのかもしれない。

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グローバルってなに?~SGHから学んだこと~

グローバルってなに?~SGHから学んだこと~
2015/08/26                   三好 恵瑠(14歳)

 皆さんは「SGH」という言葉を聞いたことはあるだろうか。SGHとはスーパーグローバルハイスクールの略だ。2014年から文部科学省が実施したグローバルリーダー育成事業のことである。この事業は2014年から5年間実施される。今回は最近よく聞く「グローバル」という言葉からSGHを考えてみる。

まず、SGHの理解を深めるため、文部科学省に取材した。質問に答えてくれたのは文部科学省初等中等教育局国際教育課計画指導係長の矢田裕美さんだ。グローバルリーダーの育成方法や質の高い教育課程等の開発・実践については、指定された学校側がスーパーグローバルハイスクール事業の趣旨に沿うように計画を立て実践し、文部科学省側は事業の開発・実践やその体制整備を支援する。学校側は自分たちで5年間の構想を立て、文部科学省へ提出し、それを文部科学省が審査して、スーパーグローバルハイスクールとして指定するという仕組みだ。指定された学校は、毎年度計画書を文部科学省へ提出しているという。

文部科学省初等中等教育局国際教育課計画指導係長の矢田裕美さん

次にSGHの指定校2校に、現場の実情を知るため、東京の渋谷教育学園渋谷中学高等学校(以下渋渋)と青山学院大学付属高等学校(以下青学)へ取材した。渋渋で質問に答えてくれたのは英語科教諭でSGH委員副委員長である北原隆志先生だ。渋渋では学校ごとの目標として「探究型学習を、いかにして行動できるリーダーの育成につなげるか」ということを挙げている。もともと「地球社会で活動できる人材」を育成することを目標としており、SGHに加入する以前からグローバルリーダーを育成する活動は行っていたという。

青山学院取材

渋渋でSGHに加入してから出来たことは、以前から行っていた教科連携が本格的に出来るようになったことと、文部科学省からお金が出るので東京外国語大学に通う海外の大学院生を呼べるようになり、以前からやっていた内容をより充実させることができるようになったことだという。以前より多くの先生が教科連携に前向きな姿勢を示していたため、SGHはとてもよい機会だったそうだ。

渋谷教育学園渋谷校取材
渋谷教育学園渋谷校取材

青学で取材に応じ答えてくれたのは英語科教諭の藤井徹也先生だ。青学では学校ごとの目標として「多様性の受容を基盤としたサーヴァバントマインドを持つグローバルリーダーの育成」ということを挙げている。キリスト教系の学校なのでキリスト教の考えかたが基盤となっており、キリスト教のサーヴァバントリーダーという考え方から出来た目標だという。具体的に言えば、立場の弱い人たちと共にいることで集団の下支えの出来るリーダーのことだ。
青学ではSGH加入後、「ポータル」というシステムを利用し自分がやったことを生徒同士がシェア出来るようにするというプロジェクトを文部科学省に提出しているという。SGHの活動は強制参加ではなく、好きなものに好きな時に参加するという仕組みだという。そこで、一人ひとりが違う活動をする中それをお互いにシェアし色々な経験を学ぶことができるようにするそうだ。

今回の取材で3つのところへ行き、共通していたことが2つある。それは「グローバル人材とグローバルリーダーの違い」ということと、「英語はツールだ」だ。

皆さんは普段「グローバルリーダー」という言葉よりも「グローバル人材」という言葉の方をよく聞くのではないかと思う。そこで、二つの違いとは何なのか取材先それぞれで質問してみた。するとグローバル人材についてはそれぞれ微妙に違う見解があったが、グローバルリーダーについては同じ答えが返ってきた。それは「みんなの意見に耳を傾けたうえで自分の意思を決められる、人を導けるリーダー」というものだ。

そして「グローバル」いう単語を聞いたとき英語をおもいうかべるひとが多いのではないかと思う。しかし、SGHとは前述の通り「様々な国際舞台で人を導けるリーダー」、グローバルリーダーを育成することであり英語教育を充実することではない。でも、世界で人を導くためには「英語はツールとして」必要だという。

今日、グローバル化が進んでいる社会で日本が生き残るためにはそのなかでリーダーとなれる存在になることが必要だ。そのためのSGHはとてもよい活動なのではないかと思う。しかし、この事業は5年で終了してしまう。この後の生徒たちはどうなるのだろうか。もう少し期間を長くすることはできないのだろうか。事業が終わったとしても学校ごとにこのような活動を続けてほしいと思う。

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SGHって何?


2015/08/26                   松本 哉人(16)

 最近、テレビの番組を見ていると、地域に根差した奇抜で画期的な取り組みをする学校がしばしば特集されている。これらは地域の活性化のために児童生徒が一生懸命考えることや、その取り組み、それらのもたらすメリットが評価されているのである。そんな中こうした活動を支援する政府の制度が昨年度から始まった。グローバルリーダーの育成を目的に指定校に国の委託費を出す、スーパーグローバルハイスクール(SGH)制度について、その意義と実態を文部科学省と、渋谷教育学園渋谷中学高等学校(渋渋)、青山学院高等部(青学)の2つの指定校に取材した。

青山学院取材

 そもそもSGHとは何のためにつくられたのか。文部科学省初等中等教育局国際教育課の矢田裕美計画指導係長は、「グローバルな社会課題を発見・解決し、様々な国際舞台で活躍できる人材を輩出すること、例えば、グローバル社会に出て改革を起こし、新しいマーケットを開いたり、社会に対してインパクトを与えられる人材等も輩出することも一つの例だ」と語る。実際には、学校が5年間の構想調書を提出し、文部科学省側による専門家によって審査が行われ、選ばれた学校がスーパーグローバルハイスクールに指定される。そして指定された学校は、毎年度計画書を提出し、その内容に応じた予算が学校に配分され、それをもとに学校は取り組みを進める。取り組みは、毎年度に出す報告書や各学校の示す成果物などを介して把握される。しかし一方で、スーパーグローバルハイスクール事業は、まだ2年目を迎えたばかりであり、取組がよくなるように改善を図って行きたいとも語っていた。

青山学院高等部の藤井徹也国際交流委員

 では、指定された学校ではどのように制度を利用しているのだろうか。今回取材した渋谷教育学園渋谷中学高等学校の北原隆志SGH委員副委員長と、青山学院高等部の藤井徹也国際交流委員はそろって、SGHに指定されたことの効果のひとつは様々なことを始めるきっかけになったことだったという。北原先生は、「何年も前から少しずつ進めていた教科連携(教科間の授業テーマの共有)が学校を挙げて本格的にスタートしたのは、昨年度、SGHに選ばれてからでした」と話す。渋渋は建学の精神の中にグローバルリーダーの育成が挙げられており、元々SGHの目標に近い取り組みをしていた。昨年度からはその取り組みをSGHの補助によってより充実させることができたという。例えば、英語で広島についてのブローシャーを作成し、アメリカの提携高校で世界史の教材として使ってもらう取り組みはもともとあったそうだが、SGHへの参加によって、選ばれた生徒数名が現地に渡航できるようになった。同様に今年度にSGHに指定されたばかりの青学では新しい学内の交流の場を開設しようとしている。インターネットを使用することでSGH指定期間が終わったのちも活用できるシステムにしていく予定だと藤井先生は語った。青学では学外からボランティアなどに携わる人を招いて講演を聞くことで青学のキリスト教精神に繋がる取り組みにしているという。

 それぞれの学校が企画を出すというSGH独特の方法ゆえに、活動の多様さを感じさせられる部分もあった。それは渋渋と青学の間にある校風の違いである。渋渋は、教科連携を実現させ、SGHを完全に授業に取り込んだ。こうしてグローバルリーダーの育成を、授業を通して推進していた。他方、青学においては自由な校風の特徴を生かし、イベントの内容や提案、参加の有無も生徒側が決める想定で組まれていた。そのため、SGHのプロジェクトでは放課後の講演など授業外のイベントが多かった。

 グローバルリーダーを定義するのは難しく、学校によってさまざまなとらえ方があるが、それゆえに地域や校風に合わせた取り組みがそれぞれ行われているのだと思う。生徒としても、単純な勉強以上に自分たちで考えて取り組むことのできるプロジェクトは楽しい上に学習しやすいのではないだろうか。SGHが、より多くの学校がそういった取り組みを始めるきっかけになればいい。

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A “waiting elderly” problem in Japan

A “waiting elderly” problem in Japan    2015/03/10

Rina Koizumi (17)

Japan is said to be an “aging society” today. One of the problems of an aging society is that “waiting elderly”, meaning elderly people who are waiting to enter a special care nursing home because there are no spaces available. I investigated the actual conditions of the waiting elderly problem.

I asked Shoji Kawamoto, Elderly Facility Deputy Manager and Group Leader, Kanagawa Prefectural Institute of Public Health and Welfare Department, about whether or not people who wish to enter the special nursing home has increased. He said it has. The government created a nursing care insurance system in 2000. Since then, every year in April, the government conducts a survey that looks at the number of people wanting to enter nursing homes. In the first survey that year, in Kanagawa prefecture, there were 6,300 people on the list. In 2004 that number rose to 21,585, an increase of over 15,000 people. Since the 2004 survey, the numbers continue to rise. In 2014, 22,928 were on the list due to the increase of the elderly population.

Nursing Home Fukami in YamatoIn my next interview with Sumire Narita, Certified Care Worker and Care Manager, Social Welfare Service Corporation Shikou Kai and Director of Aobadai Area Care Plaza, I learned that many elderly people who have difficulty in their daily life come to Aobadai Area Care Plaza. Sometimes, people come only for consultation about nursing care for their who live in distant suburbs. This care plaza accepts applications for care level assessments for long term care.

To make use of the nursing service provided by nurse-care insurance, the necessity for care must be recognized. In this system, several steps must be taken to receive authorization. First, the person or their family send in their application to a public office or to a Community General Support Centers.

Second, a certified examiner visits the home to confirm the information stated in the application. Also, the home doctor writes a statement to support the application. Then the Certification Committee of Needed Long-Term Care, organized by health, medical and social welfare experts, examines the application. The applicant may be assigned a Certification of Needed Support with a number between 1 and 2 or a Nursing Care Level between 1 and 5 based on assessed care needs and ability to live independently. The more care services one needs, the higher the score they receive. If the applicant receives a Certification of Needed Support, a preventive care plan will be provided.

If an applicant receives a Certification of Nursing Care level with a number between 1 and 5, in addition to the care plan, they can also apply to enter a nursing home. However, if the nursing home is full, one has to wait. This is the problem of the “waiting elderly.”

If one has to wait to enter the nursing home with a high level of nursing care needs, it would be difficult to maintain the daily routine alone. Therefore, one would need more help in that case. Nowadays, there are many services to support a daily routine as an alternative choice to nursing homes such as household help including cooking, cleaning or laundry. Also, there are day centers providing a place for the elderly to spend their time and have meals or bathe. Thanks to these services, the waiting elderly are able to maintain their lives more easily than they had before.

Mr. Kawamoto pointed out one of the causes of the waiting elderly problem and that is that many people apply to many nursing homes at the same or apply without any urgency. In other words, there are many people rushing to apply to nursing homes because they worry about their future. However, some of them wouldn’t enter the nursing home even if their application was approved because they are still healthy enough or can receive care from their family members.

It is natural for us to worry about our future but in order to reduce the waiting elderly problem, we shouldn’t apply for nursing homes due of our insecurities. We should rather wisely utilize the living support service that appropriately supports our daily functioning .

 

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社会

なぜ今声優志願者が増えているか


2015/03/10                  毛利 真由(17)

  日本のアニメーションは今、日本のみならず世界中で見られている。大きな注目が集まる中、アニメに命を吹き込む声優という仕事に人気が集まり志願者が増えているが、簡単に成功できるものではない。今声優を目指す人はどのような気持ちでこの職業を目指すのか、なぜ声だけで演じることを選んだのかを探ってみた。

TSAを卒業した現役若手声優の小堀幸さん
声優の小堀幸さん

声優になるためにはふつう専門学校や養成所に入り基礎から学ぶ。そこで、まず専門学校東京声優アカデミーの教務部で担任をしている東さんに話を聞いた。声優になるためには基礎力、技術力、コミュニケーション力、個性が必要であると東さんは語る。基礎力とは主に滑舌・発声・イントネーションなど日本語を正しく話せる力のことを指す。感情を出せる技術を磨き、より良い演技をするため現場の雰囲気づくりも重要で、そこでコミュニケーション力が必要となるそうだ。そして増加する声優の中で抜きんでた存在となるために、声質や見た目などの個性も必要だという。

声優はアニメの声や吹き替えのイメージが強いが、今ではラジオやテレビ番組のナレーションの仕事も行うようになっている。以前は裏方としてアニメを支え、本人の姿が出ることは少なかった。それがイベントへの出演や歌手活動など声優の仕事以外にも頻繁に登場するようになり、本人が認識される機会が増えた。活動の幅が広がったのは、アイドル化する声優が増えてきたことが原因の一つとして挙げられると東さんは言う。アイドル化が進み人前に出ることで声優個人の人気が高まり、CDを出す歌手活動などにもつながったようだ。また東京声優アカデミーに通う生徒の森倉智奈央さんは、自分のキャリアアップにつながる歌などには挑戦してみたいと語る。声だけで演じることについては、お金では買えない演技の楽しさがあり、人に夢を与える仕事だからこそ苦労してもやっていきたいのだという。

東京声優アカデミーを卒業して実際声優になり、賢プロダクションに所属する小堀幸さん(『ハピネスチャージプリキュア!』ぐらさん役、『FREE!』橘蘭役 など)にも取材に行った。賢プロダクションでは二年間の養成期間があるが、一年目で生徒40人のうち半数が落とされる。二年間の養成期間を終えてプロダクションに所属できるのは数人しかいない。声優になるには一筋縄ではいかず、運と努力が必要なようだ。小堀さんは「厳しい道のりだからこそ、その中で生き残ってやっていきたい」と語った。声優という仕事の魅力は、声だけでこどもや外国人、動物にもなれ、「様々な人生」を歩めるところだという。自分以外のものになり、アニメを通して見た人がそれを喜んでくれて何かを学んでくれることがこの仕事のやりがいであるとも語った。

TSAの録音スタジオ前で取材

声優という職業はアニメブームをきっかけに増加し始めたことが分かった。声優になるため専門学校に通う森倉さんも、声優になった小堀さんも「声だけで演じるからこそ夢を人に与えられる」と、この仕事の魅力を語った。しかし、役のオーディションに最終選考まで残ってもそこで落ちてしまったらそれで終わりである。二等賞などない。そんな厳しい世界でも輝こうとする声優と志願者たちに注目していきたい。

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