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先生には“1”がつかないの?

先生には“1”がつかないの?
2008/07/09               川口 洋平(18)

 相次ぐ教員の不祥事、教員の指導力を一定に保つために導入された教員免許更新制度。一連の動きを見ていると、出来の悪い生徒にはすぐ ” 1 ” をつけるのに、教員には通信簿がないのかと思えてくる。

 結果がすぐに出ない教育という現場に携わる教員の評価は確かに難しい。教員を評価するためにはどうしたら良いのだろうか。

 教員評価制度は各都道府県によって若干異なるものの、学校の責任者である校長が各教員を評価する場合が大半を占める。しかし、「実際の授業や生活指導を全て見ることのできない校長になにが分かる」「報告書を書くので雑務が増えて教育活動に専念できない」など不満の声があがっている。

 経済界や財界からは、教員にも能力給などの市場原理を適用するべきだという意見もある。

 宮城県の小学校に勤める土屋聡教諭( 43 )は、教員評価制度導入によって、本来の教育活動ができなくなるとして、評価制度に反対する団体『教員評価制度を許さない会』で活動している。

 教員評価制度が導入された現在、「クラスが上手くいっていないから相談がある」と評価されてしまうことから、同僚の教師の間でもお互いの弱みを見せまいと、相談さえできない状況だという。

 「先輩の教員につまずきやすい単元の効果的な指導法についてアドバイスをもらうことは、よりよい教育を目指す有効な手段。お互いに悩みを打ち明け、協力することなしには良い教育はできない」と評価制度を導入するだけが、教員の質向上につながらないと主張する。

 さらに東京都や大阪府では既に評価結果が給料に反映される評価制度が導入されている。土屋教諭は「給料に評価が反映されてしまうと、さらに悪循環を招く。教師としては評定に響くので問題児を引き受けたくないし、当たり障りのないことしかできず、本来の教育ができなくなる」と嘆く。

 東京大学大学院教育学研究科の勝野正章准教授によると、実際の教育活動に力を注げないなどの理由で、ある地域では新規採用教員の3割が1年でやめてしまったという。

東京大学大学院教育学研究科の勝野正章准教授

 つまり、評価が厳しくなるにつれて教育活動に熱心になるよりも、自分のタスクをこなすだけの、サラリーマン教師が増えるということだ。

 そこで、管理職による評価だけでなく、実際に授業を受けている生徒が評価するという動きもでてきた。

 東京の大東学園高等学校は 2003 年に、教師、生徒、保護者で構成される三者協議会を設置した。生徒が授業アンケートに教員への意見を記入し、先生が悪い点を直すという生徒評価をする。同校校長の池上東湖先生によると、 自分自身の授業について 「しゃべるときの語尾をはっきりしてほしい」といった今まで出なかった意見が生徒から出てくるようになり、教師も授業の改善を行っているという。

 三者協議会では、他にも年に数回、代表生徒約 60 名と教員、保護者が話し合う場を設けている。「制服にブルーのワイシャツを許可して」といった生徒の要望もその問題点と妥当性を3者で話し合う。学校は先生に言われたことを守る場ではなく、学校を 協 同で作り上げて行こうという取り組みだ。

 勝野准教授は、教員を評価するより批評をしていくことが大切だという。生徒が教師を評価すると、生徒がお客様のようになり、生徒にあまい教師が高評価を得て、厳しい先生が低い評価を受けるようになることも懸念される。

生徒からの評価もただの数字のアンケートだけではなく、なにがいけないのかというアンケートをとって、それを生かすということが重要だと言う。

 学校を良くしていきたいという気持ちは生徒も教師も同じだろう。「良い学校」というのは、生徒、教師によって様々だろうが、お互いの目指す「良い学校」に向けて議論を重ねていく。そして、教員に問題があれば、教員を評価するのではなく、教員にアドバイスをする。 先生には1をつけないで、「こうしたら2にあがるよ」と生徒が教えてあげればいい。教員評価を制度化するまで至らずともそのような方法があるのではないだろうか。

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教員評価制度から見る学校づくり

教員評価制度から見る学校づくり
2008/07/09               島田 菫(15)

 終業式の日、生徒たちが少しばかり緊張した顔で先生から「通知表」を受け取る。誰もが経験したことだろう。

 年齢を重ねるごとに通知表の価値は重くなっていく気がする。小学生の時は、通知表を見た時の一喜一憂はその先にある長期休暇の期待にかき消されてしまっていた。中学生、高校生と年齢が上がるにつれ、自分の成績を周囲と比較し、優越感に浸ったり劣等感にさいなまれたりした。

 最近、もう1つの通知表が配られる学校が増えてきている。この通知表は生徒が先生から受け取るものではなく、先生が生徒から受け取るものだ。この、「もう1つの通知表」を制度として取り入れる動きが起こっている。  

 「教員評価制度」は、生徒という教わる側の視点から教師の授業を評価する制度だ。生徒が授業を評価することは、授業の改善につながるから良い制度ではないか、という人も、きっと多いだろう。

 しかし、このたった6文字の制度に怯えている教師がいることを知っている人は一体どれだけいるだろうか。教師が怯えている理由は、この通知表の結果を給与に反映させる、という点が盛り込まれてしまうかもしれないということだ。評価するのは子供。一人一人の子供の評価に教師の生活がかかっている。

 宿題を出さず、テストは簡単、授業は半分遊びのようなもので、いつもすこしふざけているような印象を与える教師。一方、毎日問題集を一ページずつ進めるように指示し、授業の密度が非常に濃く応用的な内容も取り扱い、標準より若干高い難易度の試験を出す、非常に厳格な教師。どちらの先生が親しみやすいかと聞かれたら私は前者を選ぶだろう。しかし客観的にみてどちらの教師が優れているか。

 誰から見てもだめな教師もいるかもしれない。しかし、その教師にも人生はあるし、家庭もあるだろう。一人の人生を狂わすかもしれないという重大な責任を子供たちに負わせてしまっていいのだろうか。生徒がこのことを自覚したとき、彼らは正当に評価できるのだろうか。

 他にも問題がある。『教員評価制度を許さない会』の土屋聡氏に取材をしたところ、教師への悪影響をこう指摘した。「行政側がこの制度を作る理由は、子供のためではなく、教員評価制度の導入によって各学校が活性化され、自主的な学校改革が進めば、行政から各校への指導をする必要が減る、つまり、行政の教育費の負担を削減できることにある。それに教師はマイナスの評価を受けると不適格というレッテルを貼られ、排除される。これでは、脅し、またはいじめを正当化する手段として使われかねない。教育はすぐに成果がでるものではないのに、短期間にある側面だけで教師を評価することは子供に対して無責任だ。」

 一方、東京大学大学院教育学研究科の勝野正章准教授は取材の際、「生徒が教員を評価するような制度は法律ではない形で作るべき。ただし、取り入れ方にはきちんとした考えが必要だ。教師をランク付けし、それを給与に反映させることはただの脅しでしかない。それでは教師は給与を上げるための授業ばかりをするようになる。教師が批判される中、評価が給与にじかに響いてしまうことが怖くないはずが無い。生徒からの関心を得るための授業になってしまう。」と言う。もしそうなってしまえば、これは教育現場の崩壊につながるだろう。

 生徒からの評価が、給与に反映されることに関して私は強く反対する。なぜなら一切自分の感情抜きで自分の教師を評価することができる生徒はおそらく皆無に近いからだ。給与が生徒からの人気で決まってしまう教師にも、先生たちの人生をだめにしてしまうかもしれないというプレッシャーに耐えなければいけない生徒たちにも、給与に評価が反映されるという制度は息苦しいだけだ。

 だが、この「給与反映」という点さえなくなれば非常に素晴らしい制度だと私は感じる。先生と生徒が共に一つの授業を作り上げて行く、というある意味教育の理想とも言えるものがこの制度で実現されるのだ。

東京大学大学院教育学研究科の勝野正章准教授

 勝野准教授は「子供は毎日授業を受けている。管理職の先生や業者の査察の何倍も正しく授業を評価できるだろう。」と言う。授業の良し悪しはやはり受ける生徒本人が一番正確に評価できるのだろう。

 さて、ここまでの文を読み、「どうやって生徒が先生を評価するのか」の疑問が浮かんできた人もいるだろう。

 一番わかりやすいのはアンケートだろうが、ただ ○ × をつけるようなアンケートではいけない。これでは教師を追い詰めてしまうだけだ。「外国では顔のマークを使って評価しています。笑顔から泣き顔まで使用し、沢山の観点を評価します」と、勝野准教授。だが、これでも「泣き顔」の多い教師は教育現場から排除されてしまいかねない。

 ここで紹介したいのが、生徒、保護者、教師の三つの立場から代表が集まり、それぞれに意見していく「三者協議会」という制度だ。この制度において重要なことは、出席する3つの立場の人々がすべて対等であるということだ。

大東学園高等学校、池上東湖校長

 この三者協議会を実施している東京都世田谷区にある大東学園に取材した際、池上東湖校長は「生徒も先生も三者協議会への参加が非常に積極的で、お互いの意見をしっかりと発言できている。」という。生徒の意見を教師、さらには学校にも反映させるためにはこのような制度は不可欠だろう。

 しかし、私は三者協議会を教員評価制度のためだけに利用するのは非常にもったいないことだと思う。せっかく生徒が保護者、教師と対等に話せる場所を与えられたのだ。この協議会をうまく生かせば、誰にとっても居心地の良い学校となるだろう。   ちなみにこの大東学園の制服のワイシャツの色はブルーも許可されている。これも生徒側が「色つきのワイシャツを許可してほしい」と提案し、三者協議会での激しい議論の末、ブルーに限り許可されたそうだ。ホームページの写真に載るブルーのワイシャツを着た生徒たちの生き生きとした笑顔は自分たちの意見が学校に聞いてもらえたという喜びから生まれるのだろう。学校から言われるまま白いワイシャツを嫌がりながら着ている私に、彼らのような笑顔はまぶしく見える。それが、ひどく悔しくもある。

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「教員を評価するということ」

「教員を評価するということ」
2008/07/09               佐藤 美里菜(16歳)

 みなさんは「教員評価制度」というものを知っているだろうか。

教員評価制度とは名前のとおり教員を評価する制度である。ただし、教員を評価すると言ってもさまざまな評価方法があり、さまざまな問題もある。

 まず、教員を評価するには「生徒が教員を評価」「校長先生などの管理職が教員を評価」「教員同士で評価」という主に3つの方法があるようだ。しかし、生徒が教員を公正に評価することは可能なのだろうか。

東京大学大学院教育学研究科の勝野正章准教授

2008 年 4 月 7 日に東京大学大学院教育学研究科の勝野正章准教授に取材したところ、「『保護者を含めての協議会形式』や『答えやすいアンケートなどで集めた意見を教員の中で議論する』といった方法なら生徒が教員を公正に評価できる」と言う。ただアンケートで意見を回収するだけでなく、意見について「議論する」という過程が重要だ。教員たちの中できちんと意見を吸収し反映させようとしなければ意味がない。なぜならば、勝野准教授が言う通り、授業をほぼ毎日約6時間受けている生徒たちの授業に対する目は本物だからである。

 しかし、この制度に反対する人も少なくない。 5 月 16 日に取材した、小学校の教員でもある『教員評価制度を許さない会』の土屋聡氏は「マイナスの評価を受ければ不適格だとレッテルをはられ排除される恐れが高い」と言う。本来お互いが補い合って子どもを教育するべき教員同士がこの制度によってギスギスしてしまうのではないか、という不安もあるようだ。

 果たして、教員の仕事を企業などのように「業績」として評価してよいものなのだろうか。

 土屋氏は「子どもを教育するにあたって1年で結果を出すのは難しい。よって教員を評価するのは非常に難しい」と話す。また、はっきりしたデータとして出すことができないのもこの制度に反対の理由のようだ。

 また、勝野准教授は「教育を成果主義で行うと、いわゆる “ サラリーマン教師 ” が発生し、消費者とされる子どもやその保護者の顔色を伺う教育になる」とデメリットを指摘する。

 しかし、実際にこの「教員評価制度」を導入している大東学園高等学校では、 2003 年から保護者を含めた 年に 2 回の 「三者協議会」と「アンケート」という形で教員を評価している。「子どもが中心になる学校作り」のためにも生徒の意見を積極的に取り入れている。生徒たちに発言させることによって教員同士では言いづらかったことが伝わったり、授業に対する生徒たちの思いが分かると池上東湖校長先生は言う (5 月 6 日取材 ) 。三者協議会やアンケートで、生徒たちの意見によって教師が気づかされることは少なくないようだ。

 要は、教員を評価する「方法」が重要であり、保護者や生徒と教員はもちろん、教員同士のコミュニケーションをもっと増やすことが必要なのだ。「学校をつくるための1つの習慣として子どもの意見を取り入れるべき」と勝野准教授は話す。また、大東学園の新入生 62 %が「楽しそう」という理由で入学したようだ。その背景には「三者協議会で生徒の意見を反映させたことによって、生徒たちが活き活きした学校生活を送る結果になったのではないか」と池上校長先生は言う。

 教員評価制度を導入する際は、「生徒、教員、保護者間の信頼できる関係を築くこと」「どのような評価方法ならその学校が目指す『良い学校』になるのか」をきちんと考えたうえで、実施することが重要だろう。

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自立性や協調性を養えるGap Year制度

自立性や協調性を養えるGap Year制度
2008/03/05               藤原 沙来(18)

 日本で Gap Year と聞いて分かる人はほとんどいないのではないだろうか。一方、英国では Gap Year は知らない人はほとんどおらず、利用する人が多いという。

 Gap Year とは、高校卒業後に大学を1年間休学して日常生活では経験できないような体験をするプログラムのことである。大学に進学する前の1年間、ボランティア活動や旅行を通して人生経験を積むことで、正規の教育だけでは得られないものを補うことができるとしている。日常生活では味わうことのできない貴重な体験ができる期間にもなり、将来社会を担っていくことになる学生にとっては有意義な経験となりそうなプログラムである。

 ところが、日本ではあまり知られておらず Gap Year のような期間を経て大学に進学する人はほとんどいない。

イギリスへ行き、ボランティアとして活動した経験のある
石川桃子さん

 「日本人のいない環境で、さらに現地の人とコミュニケーションがとれるような方法によって海外で暮らしてみたかった」。日本人で Gap Year に参加した石川桃子さんは、ボランティアに関する本を見て Gap Year を知り、大学卒業後に11カ月間、英国で知的障害を持つ子どもたちの寮で働いた。主に寮で子供たちの遊び相手になったり、食事の介護やお風呂に入るのを手伝ったりするといったプログラムには、1年間大学を休学して参加した日本人と高校卒業後参加していた他国の人の計3人だったそうだ。

 「最初は言葉が通じないことから疲れて大変だった。でも、徐々に地域の人となじめて英語も話せるようになった。人間として成長できて、自立心が育つというメリットがある」と Gap Year の魅力について語った。しかし、「日本で浸透しない一番の原因は日本の受験制度だと思う。他にも、ホームページ・手続きなどはすべて英語であることや現地に日本人スタッフがいないのも理由かもしれない」と魅力的なプログラムであるのにも関わらず日本で広がらない現状を残念に思っているようであった。石川さんは、「経験と学業の順序はどうでもよくて、人間として自立して成長する過程の1つの手段として Gap Year は忘れられない経験」と改めて Gap Year の面白さを強調し、「日本の大学がこのプログラムに理解を示して猶予を与えてくれるよう変わったら日本でも浸透していくと思う」と今後の発展に期待していた。

 英国人で Gap Year に参加した Anna Pinsky さんは高校卒業後に6ヶ月間、日本で身体障害を持つ人たちのボランティアの介護スタッフとして働いた。「新しいスタートをきるために。そして、自分とは違う立場の人を理解できるようになるために挑戦をしたかった」ことから色々と調べ、 Gap Year に参加したと言う。 Pinsky さん同様、高校卒業後の3人の英国人とともに日本で、様々な場所にわかれてボランティア活動をしたそうである。「学校を出て初めて大人と同じ立場での仕事であったこと、さらに、言葉が通じなかったことで最初は疲れたが、3ヵ月もすれば全く違う文化・世界に触れることを楽しく感じた。 Gap Year に参加したことは非常に有意義で、大学生活の中で、今しかできないことをやって時間を有効に使おう」と感じたという。

 日本で Gap Year が浸透していないことに関して、「日本でボランティアをプラスの評価としてもらうのは難しいと思う。日本の教育が変われば少しは浸透していくのでは」。また、「英国では self solving (自己解決力)は評価される。一方、日本では社会に出てから、人間育成をされる過程で個人が形成され、それが評価の対象となる」。日本と英国の社会で求められることが違い、日本では Gap Year などでの経験を英国ほど重要視されないことが浸透しにくい要因だと考えているようだ。

 英国では、5歳から16歳までが義務教育で、大学への進学を目指す人はその後2年間、大学進学に必要な全国統一試験のための教育を受ける。この試験の結果によって大学が決まり、同時に Gap Year に参加する場合は申告さえすれば国が学費を負担してくれるため、いつでも進学することは可能だ。日本では、受験に追われ大学卒業後は就職と Gap Year に参加する時間さえほとんどない。

英国では、ボランティア活動などによって養われる自立性や協調性、自己解決力が求められる。日本では、個人の経験よりも、いかにそれぞれの会社や企業に順応するかが求められる。こういった違いから日本では Gap Year が浸透しにくいのだろう。 Pinsky さんが言うように、経験してみないと分からないことはたくさんある。将来、自分は何をしたいのか、何に興味があるのかは大人になってからでは遅いと思う。国際化が求められている今だからこそ、1人前の人間としての成長や自立心の育成のために新たな経験の重要性を訴えていきたい。ぜひ、今後日本人の学生が社会と自分を客観的に見る機会として導入して欲しい魅力的なプログラムである。

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「Gap Year」を知っている?

「Gap Year」を知っている?
2008/03/05               平吹 萌(16)

 『 Gap year 』と聞いて、すぐにこれがどんなことを意味するかがわかる人が日本にはほとんどいないと思う。『 Gap year 』とインターネットで検索しても、出てくるサイトはほとんど英語で書かれているので簡単には読むことが出来ない。そんな現状からも、日本ではほとんど知られず普及されていない事が明らかである。

 『 Gap year 』とは、高校卒業後に一年間外国でボランティア活動を行ってから、大学進学または就職をする制度のことである。この制度が一番有名なのがイギリスである。ウィリアム王子が『 Gap year 』を利用してニュージーランドでボランティアをしたニュースを知っている人もいるのではないだろうか。

 では、なぜイギリスではこれほど一般的なのに、日本ではほとんど知られず普及しないのだろうか。理由は、その両国の教育制度や就職事情の違いである。

 「イギリスでは、17歳で試験を受けてそのレベルによって大学が決まるので、大学側に何年度に入学するかは自分で選択できるし、大学のお金は国が負担しているので、休学扱いになったりする事はないのです。」と実際に『 Gap year 』に参加して、イギリスから日本へ障害者の介護ボランティアに来た、 Anna Pinsky さんはおっしゃっていた。

 つまり、日本のように進学する大学を決める受験がないので、大学入学前に変化を求め、さまざまな経験をするのに外国に一年間行ってみるということが多いらしい。また、外国で経験を積むことが、将来就業時にプラスに評価される。日本では、新卒でないと就職は厳しいし、大学に進むために一番勉強をしている時期に海外で経験を積むことやボランティア活動を考える事はほぼ不可能である。私にとってこの制度は、とても魅力的に思えた。知らない国で、知らない言葉で、知らない人と生活をするという貴重な経験が出来るのである。しかし、日本ではむしろ、このような経験が将来の就職の際に不利になってしまう。それはとても残念である。

イギリスへ行き、ボランティアとして活動した経験のある
石川桃子さん

 しかし、そんな厳しい日本からも『 Gap year 』に参加した石川さんという女性がいる。石川さんは高校卒業後ではなく、大学卒業後にイギリスの知的障害児のいる寮で働いていた。そんな石川桃子さんに「どうしたら日本でもポピュラーになると思いますか。」と質問したところ、「日本の大学の理解が必要だと思います。また、『 Gap year 』が日本であまり知られていないのがとても残念だと思いますね。」と言っていた。また、両者共に「言葉が通じないし、文字も読めないけれど、ジェスチャーをしたりすれば、なんとかコミュニケーションが取れたので、逆にそういう環境でよかったとも思います。」と私達が不安に思っていたことを良い思い出として語り、どんなに素晴らしい経験であったのかを話してくれた。国際社会に通用するインターナショナルな人材を育てるためにはこのような経験が必要である。そのためには、石川さんのような経験者や海外の事例がマスコミに取り上げられ、その良さが理解され 、 少しずつ広まっていくべきだろう。その第一歩として私達の記事がきっかけとなり、将来的にイギリスのような制度が日本にもできて欲しいと願う。私は、将来 ( 高校卒業後すぐは厳しいのでせめて大学卒業後にでも ) この制度に参加してみたいと思う。

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Gap Year ~経験の大切さ~

Gap Year ~経験の大切さ~
2008/03/05               畔田 涼 (17)

 Gap Year (ギャップ・イヤー)とは大学への入学が決まっている学生が、1年程度入学を延期することをいい、その間にボランティアや職業体験、旅行などを通じて社会的な見解を広げる制度である。この制度はイギリスで1990年代から普及し、ウィリアム、ハリーの両王子も Gap Year を経験している。現在イギリスでは約3分の1の学生がなんらかの形で経験を積むため入学を延期している。

Gap Year制度で来日し、ケアスタッフとして働いていた
アナ・ピンスキーさん

 Gap Year のような制度が、どうしたら日本で広まるのだろうか。これには、日本とイギリスの教育制度や就職制度の違いが深くかかわっているようだ。

 過去に Gap Year を利用して、大学入学前に来日し、ケアスタッフとして働いた経験のある Anna Pinsky さんと大学卒業後に日本からイギリスへ行き、ボランティアとして活動した経験のある石川桃子さんにお話を伺った。

 「イギリスでは大学側が入学を延期することを認めているし、就職の時も Gap Year を経験した人は自己解決能力が備わっているとして評価される」と語るのは Anna Pinsky さんだ。

 一方で石川さんは「日本の現状で、この制度を活用することは難しいと思う」という。

 その主な理由は、日本の大学は入学を待ってくれないので Gap Year に参加する場合は休学しなくてはならないこと。もう一つは、未だに日本では多くの場合、就職の際に新卒が有利であること。日本の大学や企業の理解が得られないなかで、参加することにリスクを感じる学生も多いのではないだろうか。

 「ケアスタッフとして働いたことで違う人の立場にたてるようになったし、イギリスに帰国してからも、学ぼうという意識が高まり、有意義な大学生活を送れた」という Anna Pinsky さん。

 「他国から派遣された人たちや現地の人など、いろいろな人々と知り合えた。人と関わる仕事がしたいと気づいた」という石川さん。両者のこのような発言からも、 Gap Year が意味あるものであることがうかがえる。

 日本の近状をみても AO 入試や中途採用など、その人の今までの経験を重視するような傾向になりつつある。学業を極めるのも良いかもしれないが、経験を積むことで見えてくることがあると思う。

 大学全入時代を迎えるといわれる日本。「とりあえず大学に行く」、そんな学生が増えていくのではないだろうか。これからの日本には Gap Year のような制度を利用して、大学入学前にたくさんの経験を積み、大学で何をすべきかを改めて考える期間が必要だと思う。

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教育を受けるって当たり前?~カンボジアの学校を訪問して~

教育を受けるって当たり前? ~カンボジアの学校を訪問して~
2007/11/22              三崎 友衣奈(15)

 タイ、ラオス、ベトナムに囲まれたカンボジアは、年間を通して平均気温が36度。季節は5~11月の雨季と12~4月の乾季に分かれる。日本の蒸し暑い真夏の太陽の光を5倍くらい強くした暑さだ。

 カンボジアは1975年のポル・ポト政権によって知識人が虐殺されるという歴史を持つため、現在でも文字の読み書きができない人が多い。義務教育制度はあるものの、浸透していないという現状もある。そのなかで、カンボジアの子どもたちはどのような教育を受けているのだろうか。2007年3月27日~4月1日の間、 CE 記者としてカンボジアへ行くことになった。

 訪れたシェムリアップにはステファン・エリス小学校がある。しかし、そこに通うことができず、寺子屋で勉強している子どもたちもいる。その二つは、学ぶ内容にどのような違いがあるのだろうか、また、子どもたちの考え方はどう違うのだろうか。

チョンクニア村の水上寺子屋での授業

 ステファン・エリス小学校はシェムリアップ地方で唯一の公立の小学校。男子が212人、女子が211人いる。クラスは年齢ごとではなく、通学時間で判断されるため各クラスの年齢層はバラバラだ。

 教室には黒板があり、長い机が6つほど縦に並んでいる。ここでは、クメール語 ( 国語 ) や算数のほかに英語、コンピューターなども習う。皆とにかく勉強したいという意思が強い。また、「みんなと友達になれることが嬉しい」、「この学校でみんなと一緒に過ごせるのが誇り」など学校に通える喜びも大きいようだ。将来の夢も先生や医者など決まっている子どもが多い。

 しかし、カンボジアでは教師の暴力、家から遠すぎるなどの理由で学校へ行けなくなった子どもたちもいる。そのような場合、子どもたちだけでなく、残念に思っている親も多いため、日本ユネスコ協会連盟が設立した寺子屋の存在を知ってやって来る子どもたちのほとんどは公立の学校を経験している。

 トンレサップ湖にはチョンクニアという水上で生活する人々の村がある。村といっても湖の上であるため、人々は気に入った場所に長い木の枝を海底に刺して家を止めている。水上寺子屋はその村の中にある。

 この寺子屋は2006年の9月にできたばかり。3つの教室があり、1つは保育園、もう1つは図書室、3つ目が授業を受ける場所だ。ここでは、文字を読めない人に対して主に読み書きを教えている。識字を通して日常の暮らしに必要な衛生についての知識も教えている。年齢は12~53歳と幅広い。

 皆勉強がしたくてたまらない様子だった。しかし、水上であるためにボートを親が使っていたり、ボートがないなどの理由で来られなかったりする人もいる。

湖から少し離れた陸地にある寺子屋では夜の識字教室が開かれていた。この寺子屋は床と屋根と柱だけで、窓もない。そこに長机と椅子が置いてある。民家の離れを無償で使わせてもらっているのだ。

 ここでも子どもたちは大きな声で先生の言ったことを復唱し、我先にと手を上げて問いに対する回答を薄板に書きたがっていた。

 子どもたちの意欲とは裏腹に、寺子屋には大きな問題点がある。それは、寺子屋を修了してから公立の学校に行くことは難しいということだ。カンボジアでは 13 歳未満でないと寺子屋から公立の学校に行くことができない。家が貧しいため遅くになってからしか教育が受けられない子どもが多いので、年齢をオーバーしていることがほとんどなのだ。そのため、寺子屋を修了してからは行く学校もなく、また元の仕事をする毎日に戻ってしまう子どもが多い。

 ステファン・エリス小学校から中学校に進級できるのは全体の 50 ~ 60 %という割合に比べ、やはり寺子屋は大きなハンデがある。

 それでも「寺子屋でもらったテキストを毎日復習して忘れないようにする」、「ここで学んだ識字を活かし、将来良い職につきたい」と言う子どもたちは実にたくましい。  

 何とかしてちゃんとした職に就きたいと、片道歩いて2時間もかけて勉強をしに学校や寺子屋へ行くカンボジアの子ども。恵まれすぎた環境にある私たちは、学校に行けて当たり前、勉強できて当たり前。そんな中で勉強は嫌いという人が多い 。

 日本では公立なら徒歩数十分で通える学校、広い校舎、立派な教室、机、黒板が当たり前。こうした「当たり前」が「勉強嫌い」「面倒くさい」を生み出しているのではないだろうか。もう一度この恵まれた環境に感謝し、その環境にいる私たちだからこそできることを考えてみるいい機会だった。

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漢字能力の低下?
2007/04/18                  川口 洋平( 17 )

 「『差異があった場合は報告すること』という注意書きの“差異”という漢字の意味が分からなかったために、会社に損害をもたらした」…。

 これは NHK のクローズアップ現代( 2006 年11月8日(水))で放送された、とある工場で実際にあった事例である。

「差」は小学校四年生、「異」は小学校六年生で習う漢字だ。一つ一つの漢字の意味は知っていても、その二つの組み合わせである「差異」という熟語の意味が分からなかった社会人がいたのである。

教育に関する研究開発を行っている 、 メディア教育開発センターが、大学生 18,000 人に語彙力のテストをしたところ、中学生レベルである学生が 60% に達した大学もあった。

 若者の語彙力や漢字能力の低下の原因はなんであろうか。

 原因の一つとして、携帯電話のメールやパソコンの影響があると言われている。語彙力と携帯電話使用時間の関係を 一日の携帯電話使用時間で 見 てみ ると、大学生レベルの語彙力を持つ人 の携帯電話使用時間は 一日 で 、 平均 35 分。一方、中学生レベルの語彙力しかない大学生の平均 使用時間 は 65 分であるということが、メディア教育開発センターの調査で分かった。

同 メディア教育開発 センターの小野博教授は、「確かに携帯電話の使用時間と語彙力に関係性はあるが、携帯電話を使っていないからといって、 ただ 寝てい たので て は意味がない」。つまり、時間の使い方が問題 なの だと指摘している。

 また、他の原因として、 メール等で使われる 所謂「ギャル文字」と言われ てい る メール等で使用される 変体文字があげられる。崩した文字や、適 当 切 な漢字を日常的にケータイメールで使用 する した 結果、語彙力が低下したのではない だろう か というのである 。

 日本語学を専門とする、筑波大学の島田康行准教授は 、 「ギャル文字は 、 ケータイなどの新しいツールの出現や、対話より も メールを主とするような 、 コミュニケーションのあり方の変化の中で生まれている。そういう文字を使ってよい場面をきちんとわきまえることが大切 。 」という。

しかし、 ギャル文字ばかりを使っていると、肝心なときに使い分けられなくなってしまう ことにもなりかねない 。 そのためにも 、 崩した字を使うのもいいが、 やはり 正しい漢字や語彙も身につけることが大切だろう。小野教授は「言葉を増やすのは、あっという間にはできない。本を読んだり、新聞を読んだりして語彙を増やすことが大切だ」という。昔から「本を読め」と良く言われるが、やはり基本はそこなのであろう。

小野博メディア教育センター教授へのインタビュー

 ではどのような本を読めばいいのであろうか。小野教授によると「自分の興味のある本を読めばいい。雑誌でもいい。先生が 文学的にいいと 薦める本を無理して読まなくてもいい 。 」 、 そして語彙力が高まる読み方として「本を読んでいて、分からない単語がでてきたら、すぐに辞書で調べるか周りの大人に聞くこと が大事だ で語彙力が高まる。 」という。

 さらに うれしいことに、 小野教授は「マンガを読むことも一概に悪いとは言えない」という。大学生を「小説を読む人」、「小説とマンガを読む人」、「小説は読まないがマンガを読む人」、「なにも読まない人」と分けて語彙力との関係を調べたところ、「小説を読む人」と「小説とマンガを読む人」はやはり語彙力が高かった。「なにも読まない人」が低いのは当たり前だが、 意外にも 「小説は読まないがマンガを読む人」は人によってばらつきがあった。つまり、マンガの中身や読み方が重要で、マンガを読むこと自体が悪いというわけではないのだ。

 島田准教授は語彙力や漢字力を高めるには「ひらがなで書かずに漢字で書くことで 、 どのような効果が得られているのか 、 を考えてみることが大切。また、日本語の語彙体系の中で 、 その言葉がどのような位置を占めているのか 、 を考えながら学ぶと 、 漢字が身につくだけでなく、いろいろな言葉が適切に使えるようになる 。 」という。

 語彙力や漢字力の低下は、パソコンやケータイメールの影響だととられがちだが、パソコンやケータイを使っていても、雑誌やマンガも含めて本をたくさん読み、しっかりと漢字の意味を理解し使用していけば、漢字力の低下は防げるのかもしれない。

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日本語の危機

日本語の危機
2007/04/18                  島田 菫( 13 )

 「『差異があれば必ず報告すること』の『差異』という言葉の意味が分からなかった 」

工場に勤めるある若者が、製品の原料の割合が普段と違うことを、上司に報告せずに会社に損害を 与えてしまう 出してしまった 事故の原因 となった 。

「日本の若者は学力が低下している」 最近この文句をよく聞くような気がする。

島田康行筑波大学准教授へインタビュー

 日本の学習到達度調査( PISA )の読解力の成績は、 2000 年には 31 ヶ国中 8 位だったのが 2003 年では 40 ヶ国中 14 位と確かに低下している。(文部科学省ホームページより)

 しかし、順位が少し落ちてしまったくらいで学力が低下してしまったと本当に言えるのだろうか。

 筑波大学、文芸・言語専攻准教授の島田康行氏はチルドレンズ・エクスプレスの取材にこ う のように 答え て下さっ た。「学力低下という言葉が一人歩きをして、その内容が十分に考えられていない一面がある 。 」

それでは、学力低下とはなんだろうか。学力は何で測ることができるのだろう。「テストの点が悪くなること=学力低下」というならば、なるほど、確かに日本の学力は低下している。

だが、例えば学校のテストでなら 、 順位が 8 位から 14 位になってしまっ ても たことは 、「成績が下がってしまった」と大騒ぎするような 成績の ダウンだろうか。 6 位ぐらいなら次のテストで逆転できる可能性があるのではないのだろうか。

今一度、学力とはなにかについて再認識する必要があるだろう。

そこで、メディア開発センター研究開発部の小野教授は、大学生を対象とした「正しい言葉の意味を選びなさい」などの語彙力のテストと「本や漫画の作者を知っているか?」のテストを同時に実施した。その結果、日本の若者の語彙力、語学力が低下していることがわかり、日本語力の低下は本や漫画などを全く読んでいない若者には特に顕著に見られた。また、本と漫画を両方読む人、本を読む人の語彙力はどちらも高いが、漫画だけを読む人には、ばらつきが見られた。漫画の質にもよるのだろうと小野教授は推測している。

また、 PISA のテストでは記述式の問題に「無回答」が目立った。ことばの知識が少ないので、考えて物事をまとめる力、読みやすい文章に変える力が低下し、作文が書けなかったのかもしれない。

では、語彙力を 向上させ 上げ るにはどうすればいいのだろうか。小野教授はこのように語った。「自分の興味のある本を片っ端から読めばいい。雑誌でもいい。先生がこの本がいいといって無理に本を薦めると逆に読む気をなくしてしまう可能性もある。あくまでも自分から読みたいと思うことと、とにかく文字に接することが大切。また、読んで新しく得た知識を友人との会話の中で話題にして的確に説明する力をつけよう。たくさん読書をしている人に知識ではかなわない 。 が、 本を読んでいて、分からない単語があればすぐに調べて、じっくりと時間をかけて根気よく知識を増やしていけば良いい 。 」

携帯電話のメールのしすぎも原因の一つ ではないかとよくいわれる だと懸念された 。 だがそれは 「一理あるが 、 結局は時間の使い方。今では大学の新入生への有効な「時間の使い方」の授業もあるくらいだ。携帯電話のメール機能を頻繁に使う人の語彙力が低いのは事実だが、メールを使っていなくても、その時間寝ていては何の変わりも無い 。 」と小野教授は 全てをメール機能の責任にするにはおかしいと 言う。

結局は、本をよく読むべきなのだ。本を読み、知識を増やし、その知識を自分が物事を考える際に生かすことが出来れば、日本語がさらに身に付くばかりか、きっと面白くなる。

私たちの国の言葉、日本語。その言葉をもっと大切にするべきなのではないだろうか。言葉は生きている。しかし、漢字の形が簡単になる、略字ができるなど、言葉が簡単になってきている。日本語の扱いが粗雑になっているのだ。

「日本語は美しい」とよく聞くが、どんな美人でも美しくあろうと努力しなければ魅力をあまり感じなくなってしまう。日本語の手入れを怠ってしまったら、それは美しい言葉ではなくなってしまうのだ。できることなら我が国の美人、日本語の美しさを永久に保っていきたい。

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教育

このままでいいの? 日本の英語教育

このままでいいの? 日本の英語教育
2007/02/24                  川口 洋平( 16 )

 現在、日本の外国語教育制度が揺れ動いている。小学校からの英語教育導入が叫ばれている中で、日本の外国語教育はどのようにしていくべきなのか。日本の外国語教育の問題は何なのであろうか。英語を外国語として学んでいる国との比較はされているが、あえて、英語が母国語である英国の教育制度と比較した。

 ロンドンで小学校教師をしているポール・マーフィー氏(31)によると、英国の外国語教育は、主に仏、独、西語を11歳頃から学び始め、1週間に4~5回、文法、読解、会話の授業をしていくそうだ。北アイルランドの高校生によると、授業でのネイティブスピーカーの先生の割合も10%程度に留まり、多くが非常勤講師の先生だと言う。

 日本と同様に地域、学校等の条件により若干の違いはあるものの、多くの学校が、日本と同じような教育制度であるといえる。しかし、英国と日本の最も大きな違いは、外国語を学ぶ意識である。

 2002年のベネッセ教育総研による「高校生の学力変化と学習行動」の調査によると、全ての学力階層において、90%以上の高校生が「単語や英文法を覚えることは必要」と答えている。日本人は主に、世界の公用語とされている英語を学ばないと、国際会議等の場で通用しないのはもちろんのこと、海外旅行でも不自由という意識があるために全体的に英語学習の意欲が高いのではないだろうか。

 一方、英国の外国語に対する生徒の学習意欲に関してポール・マーフィー氏は「GCSE(General Certificate of Secondary Education)という英国の高校生の統一試験で、外国語を選択しない生徒はすぐに外国語を学ぶのをやめてしまう」という。

 ロンドンの高校生に「なぜ外国語を学ぶのか」とインタビューをしたところ、「スペイン語は発音がきれいだから勉強したい」「そもそも言語を学ぶより歴史を学んだほうが重要だと思う」という答えが返ってきた。日本人の学習意欲から比べると、とても低いといえる。

 世界での外国語教育の取り組みは様々だ。スウェーデンでは6歳から英語を学び、最初はゲームから入り、外国語学習への抵抗をなくし、授業では詩のスピーチコンテストをするなど、様々な授業を展開している。

 韓国では、一般の小学生は英語を3年生から学び、特に意識の高い人たちの間では、小学生から英語を習うための早期海外留学熱が高まっている。さらに、外国語を専門に学ぶ外国語高校があり、卒業時には、英語の他に2つ3つ外国語を話せる生徒もいるという。

 日本と同じ英語を母国語としていない国は、次々に教育を始める時期を変え、教育方法を変え、あの手この手で、外国語教育を推進している。 英語を母国語としている英国と、母国語でない日本では、明らかに学ぶ意識や目標としている水準に違いがあるにも関わらず、教育制度が一緒というのでは生徒の学習意欲に応えられない。

 日本ではどのような外国語教育を行うのが良いのだろうか。
 そもそも、文部科学省の高等学校学習指導要領では、外国語を学ぶ目的を「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や相手の意向などを理解したり自分の考えなどを表現したりする実践的コミュニケーション能力を養う。」と定めている。だが、「実践的コミュニケーション能力を養う」という目標は、まだまだ達成されていないと言えるだろう。

 ネイティブな発音からはほど遠い日本人の先生が教壇に立ち、文法を説明しながら板書をするという一般的な授業スタイルで、実践的コミュニケーション能力を養うことは不可能だ。目的を考えると、全ての教師がネイティブ・スピーカーで、授業中のコミュニケーションを全て英語で行ってもいいくらいだが、予算の関係で実現は難しい。

 単純に、小学校から英語教育を導入して、英語を学習する時期を早めれば良いという問題ではないだろう。本来の目的を達成することを考えれば、中学生と同じ内容ではなく、スウェーデンのように、スピーチコンテストを行ったりゲームなどをしながら、英語の面白さを体験し、英語でコミュニケーションをしたくなるような内容にすれば良いと思う。せっかく学習意欲がある生徒がいるなかで、いかに魅力的な授業をするかが重要である。

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教育

このままでいいの?日本の英語教育

このままでいいの?日本の英語教育
2006/08/29                  川口 洋平( 16 )

 現在、日本の外国語教育制度が揺れ動いている。小学校からの英語教育導入が叫ばれている中で、日本の外国語教育はどのようにしていくべきなのか。日本の外国語教育の問題は何なのであろうか。英語を外国語として学んでいる国との比較はされているが、あえて、英語が母国語である英国の教育制度と比較した。

 ロンドンで小学校教師をしているポール・マーフィー氏(31)によると、英国の外国語教育は、主に仏、独、西語を11歳頃から学び始め、1週間に4~5回、文法、読解、会話の授業をしていくそうだ。北アイルランドの高校生によると、授業でのネイティブスピーカーの先生の割合も10%程度に留まり、多くが非常勤講師の先生だと言う。

 日本と同様に地域、学校等の条件により若干の違いはあるものの、多くの学校が、日本と同じような教育制度であるといえる。しかし、英国と日本の最も大きな違いは、外国語を学ぶ意識である。

 2002年のベネッセ教育総研による「高校生の学力変化と学習行動」の調査によると、全ての学力階層において、90%以上の高校生が「単語や英文法を覚えることは必要」と答えている。日本人は主に、世界の公用語とされている英語を学ばないと、国際会議等の場で通用しないのはもちろんのこと、海外旅行でも不自由という意識があるために全体的に英語学習の意欲が高いのではないだろうか。

 一方、英国の外国語に対する生徒の学習意欲に関してポール・マーフィー氏は「GCSE(General Certificate of Secondary Education)という英国の高校生の統一試験で、外国語を選択しない生徒はすぐに外国語を学ぶのをやめてしまう」という。

 ロンドンの高校生に「なぜ外国語を学ぶのか」とインタビューをしたところ、「スペイン語は発音がきれいだから勉強したい」「そもそも言語を学ぶより歴史を学んだほうが重要だと思う」という答えが返ってきた。日本人の学習意欲から比べると、とても低いといえる。

 世界での外国語教育の取り組みは様々だ。スウェーデンでは6歳から英語を学び、最初はゲームから入り、外国語学習への抵抗をなくし、授業では詩のスピーチコンテストをするなど、様々な授業を展開している。

 韓国では、一般の小学生は英語を3年生から学び、特に意識の高い人たちの間では、小学生から英語を習うための早期海外留学熱が高まっている。さらに、外国語を専門に学ぶ外国語高校があり、卒業時には、英語の他に2つ3つ外国語を話せる生徒もいるという。

 日本と同じ英語を母国語としていない国は、次々に教育を始める時期を変え、教育方法を変え、あの手この手で、外国語教育を推進している。 英語を母国語としている英国と、母国語でない日本では、明らかに学ぶ意識や目標としている水準に違いがあるにも関わらず、教育制度が一緒というのでは生徒の学習意欲に応えられない。

 日本ではどのような外国語教育を行うのが良いのだろうか。
 そもそも、文部科学省の高等学校学習指導要領では、外国語を学ぶ目的を「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や相手の意向などを理解したり自分の考えなどを表現したりする実践的コミュニケーション能力を養う。」と定めている。だが、「実践的コミュニケーション能力を養う」という目標は、まだまだ達成されていないと言えるだろう。

 ネイティブな発音からはほど遠い日本人の先生が教壇に立ち、文法を説明しながら板書をするという一般的な授業スタイルで、実践的コミュニケーション能力を養うことは不可能だ。目的を考えると、全ての教師がネイティブ・スピーカーで、授業中のコミュニケーションを全て英語で行ってもいいくらいだが、予算の関係で実現は難しい。

 単純に、小学校から英語教育を導入して、英語を学習する時期を早めれば良いという問題ではないだろう。本来の目的を達成することを考えれば、中学生と同じ内容ではなく、スウェーデンのように、スピーチコンテストを行ったりゲームなどをしながら、英語の面白さを体験し、英語でコミュニケーションをしたくなるような内容にすれば良いと思う。せっかく学習意欲がある生徒がいるなかで、いかに魅力的な授業をするかが重要である。

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教育

いつから始めるの、外国語教育

いつから始めるの、外国語教育
2006/08/29                  三崎友衣奈( 14 )

 現在、日本では小学校から英語教育を必修化することに関して様々な意見が出ている。実は、これは英国でも同じことで、 2008 年から第一外国語を小学校でも教える方向にあることに対し、英国でもやはり疑問の声は高いようだ。

 第一外国語は小学校からやって本当に効果があるのだろうか。もしやるとしたらどのようにやっていけばいいのだろうか。チルドレンズ・エクスプレス日英記者交流の機会を使って英国のCE記者たちに話を聞いた。交流では 8 月 21 日~ 28 日の間に北アイルランド地方のベルファスト、ロンドンデリー、そしてロンドンの3箇所にあるCE局を訪問、インタビューも含めた交流を行った。

 まず、英国の外国語教育について聞いたところ、フランス語、スペイン語からの選択が主流で、北アイルランドではアイルランド語を選べる学校もあった。英国での外国語教育は 11 歳~ 14 歳までで、 15 歳からは、やるかやらないか自分で決められる。授業の内容としては、読み書きが中心で、聞いたり話したりするのは最後。それにより、ほとんどの生徒が簡単な日常会話程度で精一杯だそうだ。

 日英の外国語教育をくらべると、目立つのが意欲の違いである。今、世界の公用語は英語であり、特に日本では大企業や国際的な職業についきたい学生は英語の習得は必至である。それに対し、母国語が英語である英国の生徒は外国語の必須期間が終わるとやめてしまう。やはり英語が世界で通じると思うのだろう。

 この外国語習得の意欲の違いがある上で同じように読み書きなどの授業を受けているにも関わらず、結果的に日本人と英国人の外国語が使えるレベルは同じである。そんな授業内容では、いくら小学校から英語をやっても結果は同じであろう。では、どのように英語を習っていけばよいのだろうか。

 1998 年~ 1999 年まで英国で中学校のフランス語とスペイン語の教師だったポール・マーフィー氏は、「生徒は授業を面倒くさがるから、なるべく楽しくするようにゲームなどを授業の最初にとり入れている」と話す。

 彼は小学校からの外国語教育に反対だ。「外国語の先生の私が反対するのもおかしな話だけど、英語が完璧でない小学生が別の言葉を勉強するのはおかしい」。実践するなら本当に基本的なことを遊びながら、「外へ出て公園で地図を広げ、右、左、と覚えていくなど、経験が大切だ。これは英国で英語を習い始めるときに似ている。とにかく、黒板を見て、ずっと書いているようなことは無くすんだ」。マーフィー氏は現在は小学校の教師をしている。

 確かに、日本では中学校から英語を始めると机に向かって奮闘する人が多い。嫌々やっていたのでは上達するわけもない。時期を早めるより、中学校からでも、まず学ぶのが楽しいと感じさせることが肝心である。そのためには「英語は楽しい!」と思えるような授業が不可欠になってくる。日本ではまずそのような工夫こそ必要だろう。

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