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教育 座談会

教育と暴力 2013


参加記者:米山菜子(16)、富沢咲天(17)、小川真央(18)
修了生:榊文美(25)、三崎令日奈(26)
2013/3/10

2012年12月、大阪市立桜宮高等学校で、部活動の顧問教諭から体罰を受け、生徒が自殺する事件が起こった。その後も全国で体罰の問題が明るみにでている。
チルドレンズ・エクスプレスでは、駒大苫小牧高校野球部での体罰問題が報じられた2005年にも「教育と暴力」について座談会をした。今回は、当時の記者と、現在高校生である記者とで、運動部での指導について話し合った。今、高校生記者たちは、教育の場での暴力についてどのように考え、どのような指導を求めているのか。

■体罰問題、身近にはない
真央:まず初めに皆さんに意見をお聞きしたいのですが、大阪の桜宮高校の体罰問題のニュースを聞いてどう感じましたか?

菜子:私は小学校低学年の頃から、新体操や水泳とかロックソーランなど様々なスポーツをやっていて、今はバスケット部に所属しています。しかし、私の周りでは体罰を受けている人、している人をまったく見たことがないので驚きました。

咲天:私も今まで体罰というものを受けたことがないので、びっくりしました。私の学校で厳しいとされているバスケ部でも体罰は無いので、そのニュースを見て、こんなに手をあげる先生がいるんだなと。特に、小学校の頃に住んでいてた、アメリカでは暴力に対してとても厳しいので、こういうニュースもあまりなかったので驚きました。

真央:私は中学時代テニス部に入っていたのですが、顧問の先生から暴力を受けるといったことは一切無かったので、このニュースを聞いた時非常に驚きました。体罰は目にしたことがなかったので、このニュースを聞いてどこまでが体罰なのかということを疑問に思いました。

菜子:私の顧問の先生はかなり厳しい先生ですが、暴言を吐くことも暴力を振るうこともありません。しかし私の友だちの学校では、一人体育科の先生が普通に暴力を振るっていて、学校側はそれも知っているし、生徒もその先生は暴力を振るう先生だっていうことを知っていて接しているそうです。なので、意外と身近に体罰はあるのかなと思いました。

咲天:これは学校の話じゃないのですが、先日、私の友だちが、確か空手などのスポーツクラブに入りたいと電話で問い合わせたところ、「うちではよっぽどのことがない限り暴力はないけれど、ごくたまに手をあげることがあります。そういうことがあることを了承してください」と入る前に言われたことがあって、大阪での体罰問題があった後にも、まだこういうことがあるんだと驚きました。

■学校の変化
菜子:、体罰は無いと言ってましたが、それでも大阪の事件があってから、学校側で体罰に対しての対応に変化はありましたか?

真央:ずいぶん前からこういった問題がメディアで取り上げられてきたと思うのですが、それを聞いて教師側も敏感になっていて、今は教師より生徒の方が立場が強いんじゃないかな、と私は感じました。例えば先生が「やる気がないなら帰れ」と言ったら、今の子どもたちは、本当にそれで帰ります。

文美:先生に帰れって言われたら本当に帰ってしまう人が多いなんて、びっくりしました。それで帰ったら練習時間が減るから、強くなれないと思いますが、どうなんでしょう。

真央:全員が帰れって言われて帰ってるわけではないです。私はテニス部だったのですが、帰れって言われて帰る子たちはテニススクールで個人的に練習していて、別に部活でテニスを練習する必要性もないので、帰っても問題がなかったんだと思います。

菜子:今は生徒の方が強いというよりも、生徒の保護者の方が強いのかなと思います。私の学校に限らないと思うのですが、親が子どもを保護しすぎる面があると思います。ちょっと暴力を振るわれて、子どもは親に先生を責めてほしくて言っているのではなく、「こういうことがあったんだよ」というのをさりげなく話した場合でも、保護者が怒って学校に抗議という話も聞きます。やっぱり親が保護しすぎて過保護になっているのかなと思います。

咲天:体罰問題において、昔はこういう体罰っていうのは常態化していて、できなかったら先生にぶたれるというのが当たり前だと思っていた。けれど、今は嫌なことだったら嫌って言えるし、自分の身を守ることができるんだという認識があるから、変わってきたんだと思います。

菜子:昔は先生の立場が偉大すぎて、あまりものを言えない師弟関係があったと思います。しかし今は、先生との関係がかなりフランクになっているので、嫌なことは嫌と言えるような先生と生徒の関係を築ければ、体罰はなくなると思います。

■部活動での教師と生徒の関係
令日奈:先生と生徒たちの立場がくっついてきて、結果的に良かったと思いますか?「帰れ」と言われて帰ったら、テニススクールに行って個人的に技術が向上しても、その場にいるみんなではスポーツをある程度うまくなるという課題を達成できないので、、チームとしては別に強くはならないと思います。それとも、みんなが楽しくできるようになったから良かったのでしょうか?

咲天:先生と生徒の立場が上下関係があまり無くなってきて、一緒になってきたことはいいと思います。先生も生徒もお互いに学ぶことがあるし、一緒に成長できると思います。でもそれを利用して、例えば生徒が自分勝手に、「もう練習嫌だから勝手に帰る」というのは違うと思います。

真央:私は教師と生徒の関係が近くなってきて、あまり力関係に差が出ないことで、体罰に陥りにくい環境ができてきていると思うので、その面では賛成です。しかし、運動部ならではの厳しい指導や経験というのは、社会に出てすごく強みになるとも思います。

菜子:私の部活は先生がかなり厳しくて、みんなは「先生が言うことは絶対」という雰囲気が流れています。しかし、その先生は体罰を振るうこともなく、みんなから嫌われることもなく、尊敬される存在となっています。それは、部活中はとても厳しく指導してくれるけれども、部活の場を離れたら、上下関係は無くなりませんが、かなり近い関係で話してくれるからで、先生が慕われるにはオンとオフの切り替えが大事だと思います。

令日奈:先生にとっては体罰を振るって生徒を従わせるよりも、振るわないで従わせる方が今難しいと思うから、そこにすごい工夫が必要なんじゃないかなと思っています。

菜子:今は暴力を振るう先生は、みんな怖いと思って従うのではなく投げ出すと思います。その怖い先生に暴力を振るわれてまでもスポーツや部活動をしない、という子どもがいると思います。逆に暴力を振るわない、怒らない先生の方が、今流行りの「ゆるい」という言葉で、みんなが好きになったりすると思います。実際に私の友だちは、一人の先生をすごく好きだったけれども、一度、部活中にちょっと怒られただけで、「もう嫌いになった」と言い出したので、今の子どもは怒られることに慣れていなさすぎると思います。

真央:怒られることに慣れてないな、というのは私も実感しています。でも、たぶん「怒る」がだんだんエスカレートしていくと体罰になると思うのです。大阪の桜宮高校では自殺してしまった子の前の代でも体罰は実際に起きていて、先生が子どもとちゃんと向き合って、人によって指導の仕方、叱り方、指導方法を変えていけたらいいなと思います。

咲天:私は先生がいかに暴力を振るわずに、生徒との信頼関係を築いて指導していくかというのが試されていると思います。それができるのがいい先生、教える力があるというんじゃないかなと思いました。

■先輩からの指導が効果的
令日奈:どういう指導の方法が今の子どもに効果があると思いますか?

真央:今の子はたぶん教師から怒られてもあまり心に響かないと思うので、やはり世代が近い先輩方から厳しい言葉を言ってもらったりすることで、心に残るのではないかと私は考えています。

菜子:実際に私が中学生の頃は先生が言うことよりも、先輩が言うことの方が強いという雰囲気が流れている時もありました。それで実際に先生が「先輩の言うことは絶対じゃないぞ」と怒ることもあるほどでした。

文美:先輩からだったら、例えば言葉の暴力を受けても大丈夫なのですか?

真央:私の部活では、月に一回ミーティングが開かれて、全員で立っていて順に反省文を言っていく風習がありました先輩から厳しい意見をいただき、次の部活でどう動くかということを同じ学年で話し合いました。ミーティングを乗り越えることで同じ学年の絆も強まりますし、部活もどんどん改善されたので、先輩からの意見は大事だと思います。

咲天:私は現在テニス部に所属していますが、先輩から暴言は一回も無くて、とても優しい先輩たちで叱られることもありませんでした。先輩でも先生でも、暴言や一方的に叱るのは良くないと思います。上から目線で叱られると下の学年の方も嫌な気持ちになる。「こうした方がいいんじゃない」というふうに、アドバイスをお互いに与えあって改善していくのが一番いい方法だと思います。

真央:私は高校の時はチアリーディング部に所属していたのですが、その時は先輩から厳しい指導がありましたが、全部怒るのではなく、たまに程よく褒めることをして飴と鞭みたいな関係でやっていたので、つらい部分もあったのですが、褒められることによって、次がんばろうという気持ちになりました。一方的に怒るという感情だけではなく、褒めるという姿勢を加えれば先輩からの厳しい意見も心にしみると思います。

文美:先輩に「上から目線で言われるのは嫌」と言うけれど、先輩は目上だから、上から物を言われるのは当然ではないの?

咲天:目上ですが、部活をやっているうえでは同じチームで、もちろん敬語は使いますが、絶対服従みたいな感じではないと思います。

文美:なるほど、新しいなと思いました。

菜子:私がバスケ部に入るちょっと前まで部活内のルールがありました。その部活内のルールを守らせることで先輩との上下関係ができていて、そのルールはそれをおかしいと思った先輩が無くしてくれたのですが、実際にそのルールが無くなってから上下関係があまり無くなって、先輩と後輩が友だちのようになってしまったと、卒業して来た先輩が言っている時もあります。

令日奈:その部活でしか通用しない独特のルールがあることについてはどう思いますか? 例えば桜宮高校のバスケ部も特殊な環境だったから先生が暴力を振るえていたし、それで強くなった。特殊な環境だったからこそ、ここまで人に知られることがなかった。どういうルールもちょっと閉鎖的な、そこでしか通用しないルールなんだけれども、日本の学校では、部活は一回入ったら卒業するまで普通は続けるから、どんどん脈々と受け継がれていく。アメリカのシーズナルスポーツみたいに、シーズンごとにやるスポーツが変わってたらもっとフランクになると思うんですけど、どうなんでしょうか?

菜子:私の部活は中学校の時は独特のルールがあって、例えばエレベーターに乗ってはいけないとか、バスの中で荷物を置いてはいけないとか、座ってはいけないとか。中学生の時はそれを守らなければいけないけれども、高校に上がったら暗黙の了解で無くなるというルールでした。今は中学でもそのルールは無くなったのですが、私は実際に中学生の時はそのルールを守っていて、先輩が目上の人だということを学んでから、高校で同じチームとして、上下関係があったうえで、チームワークを作るというのは一つの方法だと思います。

令日奈:それは続けないとわからない良さというか、チームの絆なんでしょうね。

菜子:中学でそのルールが嫌で退部してしまう場合は、私の勝手な意見ですが、高校の厳しい練習にはついてこられないと思います。

咲天:ルールはあってもいいけれど、ボール拾いや掃除は全部一年生がやるというルールは「なんであるのかな?」と思います。

菜子:実際に私が中学生の時に初めてルールを聞いた時は、「え、なんでエレベーターに乗っちゃいけないの」「なんで荷物を置いちゃいけないの」と不思議でした。私が入る前は先輩に「靴はいていいよ」って言われるまで体育館の中でバスケットシューズをはいてはいけないという意味のわからないルールもありました。でもこのルールが不思議なことに、部活の中にいるとだんだん不思議じゃなくなってきて、それが当たり前になってくるので、一種の洗脳みたいな感じで、客観的にふと見た時に怖いなとも感じます。

真央:例えば下級生がボールを拾う、というようなことは、ルールがあることによって、どの学年も必ず一回は経験する。厳しいルールの存在は、私は大事だと思います。でも桜宮高校ではルールというか環境が、第三者から見ることが難しかったので、体罰や行き過ぎた指導に至ったと思います。ルールをもっと開放的なものにすればいいのではないかと私は思います。

咲天:私のテニス部では、ボールを絶対に拾わなければいけないというルールはなくて、逆に「先輩後輩で境目をつけてはいけない」と先生に教わってきたので、お互い上下関係なくいっしょに部活をやっていく、というのがいいと思いました。

文美:だいたい下級生に対して負荷が大きいルールが多いと思うんですけれども、それって負荷が無くなった、つまり優遇されてる方の人たちに本当にいいのかなと疑問に思います。一年生が全部掃除をしてくれて、二年生が全部一年生の指導してくれて、三年生は何も雑用をしない、というようなのは、三年生にとって本当にいい指導なのか、と。

真央:上級生になると受験の問題も深刻になってきて、下級生よりは部活にかける時間があまり無いです。なので下級生に仕事が多いというのは、私はいいシステムだなと思っていて、役割分担をすることによって効率もいいと思います。テニス部の場合で言うと、ボールは後輩が拾うんだ、となっていれば、先輩がボール拾うのを待つことはない。部活の効率化も図れると思うので、下級生に負担があるというのは私はいいことだと思います。

菜子:私が下級生の時に、ルールにのっとって、いろいろな先輩のお世話ではないけれども、ボール運びなどをしてた時は、中学に入ったばっかりで部活が初めてだったので、「ああ、部活やっているな」と感じる瞬間でもありました。実際に三年生になると、チームのメインの学年になるので、「そんなことまでやっている暇があったら練習をしたい」という思いが大きかったので、三年生ほど練習に本腰を入れなくても良い一,二年生がその他の雑用と言われることをやって、三年生は引退などに向けて必死に練習するっていうシステムはいいと思います。

咲天:私は、最初の一,二年間をずっと雑用をしていて、本当に部活が楽しいのか疑問です。自分もボールを打ちたいし、先輩と一緒に活動もしたいし、ただ片付けをしてるのは楽しくないと思います。

真央:片付けも運動になると思います。ボール拾いでも、そこで体力をつけて、上級生になってからメインの仕事、テニスを打つということできる。それが耐えられないなら、自分でスクールに通うなど工夫をすればいいと思います。

菜子:私の部活のルールは部活中には全く適用されず、部活中は先生の言った通りに動きます。先生も、学年ごとに差別はせず、みんな同じようにプレイをしていたので、プレイ自体には問題はありませんでした。そのルールは部活が始まる前と最後などがすごい忙しいだけで、部活にはなんら問題がなかったので、部活をやっている分には楽しかったです。

令日奈:咲天ちゃんの話を聞いていると、すごい進んでいる今の部活っぽいなと思います。すべてのルールに目的があって、上級生と下級生がちょっと争ってるくらいが理想的なのかな、と思います。例えば、テニス部でボールが転がっているのを取る時に、少しでもボールに触れた方がうまくなると考えるなら、上級生も走って取りに行くし、それに負けないように下級生も走る。そういう緊張感があった方がお互いにとって、立場はフラットでもうまくなると思います。

菜子:私の部活は練習時間外のルールによって、上下関係がとてもはっきりしていますが、部活中はみんなで競い合っているので、理想かもしれないです。

真央:上下関係は必要だと思うのですが、部活中はなるべく無くすようにして、スポーツをしている時間は上下関係はなるべく考えないで、スポーツ外は上下関係を生かして、社会に通用できるような人物に成長できると一番いいのではないかと思います。

■理想的な指導
菜子:私の理想的な指導は、先生は今みんなの学校のようにある程度フラットな関係でいて、その中でその下にいる先輩が後輩をある程度の厳しさで指導をします。その先輩の指導があまり厳しすぎると客観的に見ている先生が止めに入る、というのがちょうどいいと思います。

咲天:私が思う理想の関係は、先生は技術面で指導をして、先輩後輩はお互い、後輩は先輩を敬いはするけれど、同じチームとして対等に、一緒にスポーツをしていくのが一番楽しくて成長できるのではないかと思います。

真央:先生は体罰のような指導をせず、あくまで技術だけのことを話し合う関係でいて、先輩からは厳しい言葉を、指導をしていただき、それを乗り越えることによって、新しい団結力とか忍耐力が付くと思うので、上下関係は残していけばいいと思います。褒めるという姿勢も同時進行で行えばいいと思います。

令日奈:先生の立場では、学校の勉強もやって、部活も一生懸命やる、というのが一番いいと思うので、そういうのをやってもらって、もうちょっと部活や体育の場が、自分で頭で考える場になればいいかなと思います。今、私より世代が上の人の話を聞いていると、「自分は一滴も練習中水飲めなかった」とか、「先生に脳しんとう起こす直前までたたかれた」とか、「すごい厳しかった」という自慢話をする人がいるんですけど、どうやったら強くなるのか、もっと上級生も下級生も考えた方が良いと思います。頭を使って考えた結果、みんなで納得した練習方法ができるのが、一番スポーツにとってはいいのかなと、思いました。部活の上下関係は、社会に入ってから分かったことですが、社会に入って使えなくもないです。昔、体育会で部活動をやっていた人は、先輩とのつきあい方がうまいなと思うから、それは程よく残ればいいのかなと思います。

文美:体罰や暴力は、社会に出たらあまり通用しない、告発してしかるべき処置をしてもらうというのが正しいと思うので、それを耐えることが、社会に出て何かの役に立つってことはないと思います。ただ、先輩との上下関係、自分が目下だから雑用を進んでやるというような動きをすることは評価されることなので、役に立つからできてもいいのかなと思います。このラウンドテーブルの理想の教育で思ったのは、指導者から教わるのは技術だけでいいっていう話があって、人格形成は先輩や仲間同士のうちで磨かれるという認識が学生の間であるということに驚きました。それは私も理想的だと思います。
                                     以上
参考リンク:2005年に行った「教育と暴力」座談会

2004年夏の全国高校野球大会で優勝した駒大苫小牧高校野球部で、部長による部員への暴力がニュースになった。
スポーツでは暴力が訓練の一つとして使われる風潮をCEの記者たちはどのように見ているのだろうか。
運動部を経験した高校生記者たちが教育の場での暴力について語った。

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なぜ日本はODAを続けているのか

青野 ななみ(19)

 現在日本は戦後最大の財政赤字を抱え、決して国にお金があるとは言えない。そのような状況の中、日本は5612億円という額をODA(政府開発援助)に使っている(2012年度予算、外務省HPより)。ODAとは、開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供による公的資金を用いた協力のことである(外務省HPより)。何のために日本はODAを続けているのか、続けていく必要が本当にあるのかを知るため、外務省、認定NPO法人難民を助ける会、駐日アンゴラ共和国大使館に取材をした。

 ODAを続けている理由の一つ目は、「絆」の形成にある。日本は関東大震災、世界大戦や阪神淡路大震災、記憶にも新しい東日本大震災など、これまで多くの震災や戦争を経験してきた。それらの復興の助けとなったのは世界中の国からの支援であった。「東日本大震災でこれほど多くの国からの支援があったのは、日本がこれまで国際社会に貢献してきた証」と外務省国際協力局政策課・外務事務官の杉村奈々子氏は言う。このように国際社会の「絆」としてのODAがある一方で、民間レベルでの「絆」もある。現在、ODAには長期間低金利で貸し出す有償資金協力と、返す必要のない無償資金協力など様々な形態がある。その中でも、緊急災害発生時にすぐに支援ができるよう即日、遅くとも数日以内にNGOにお金がいくようにするジャパン・プラットフォームという仕組みがある。「このような仕組みができたおかげで、NGOはすぐに現地へ向かうことができるようになった」と難民を助ける会の穗積武寛氏は言う。難民を助ける会は1979年に設立され、数々の海外支援を行っている。それらの事業の資金の一部は、外務省がODAのひとつとして提供している「日本NGO連携無償資金協力(N連)」を利用している。N連を使った事業のひとつに、タジキスタンでの車椅子の製造がある。障害者支援が制度として十分成り立っていないタジキスタンにおいて、車椅子の生産技術を向上させ、同時に、職業訓練をバラエティーに富んだものにしたという。このように、国だけではなく、NGOや民間企業のノウハウや技術を活用してODAを行っているのである。

 現在無償資金協力をしている国でも、経済発展に伴って有償資金協力へ移行することもある。そのひとつの例がアンゴラである。アンゴラは、約5世紀もの間ポルトガルの植民地支配を受け、その後1975年に独立を果たすも2002年まで内戦が続き経済が疲弊していたが、現在は石油やダイヤモンドの輸出等により毎年高い経済成長を遂げている(外務省HPより)。そのため、「これまでは無償資金協力のみだったが、これからは有償資金協力に切り替えていくことになった」と駐日アンゴラ共和国大使館・公使参事官のミゲル・ボンバルダ・ダ・クルーズ氏は言う。国の実状に合った資金形態へ変えることによって、より無償資金協力が必要な国に協力できるようにしているそうだ。

 ODAによって受益国が豊かになることはどのような意味があるのだろうか。 ボンバルダ氏と杉村氏が「ODAはgive&take(ギブ&テイク)である」と主張しているように、日本国民の税金を無条件に与えているわけではない。「経済が安定し、平和になり、国同士の関係を強化していける。他国を知ることができ、将来のビジネスがよりスムーズにできるようになる」とボンバルダ氏が言う。また、「アンゴラはアフリカの中でも有数の資源国であり、レアメタル(希少金属)や水資源にも恵まれているが、その資源を生かせる人材がいない」とも言った。資源を効率よく利用するための人材育成をODAによって行うことにより、アンゴラに天然視点の生産加工の効率性に貢献し、将来、日本はアンゴラで生産加工された原材料を輸入するようになっているかもしれない。このように、ODAは受益国だけではなく、日本にとってとても重要な利益をもたらすのである。

 「ODAについてもっと理解を深めてほしい」と杉村氏は何度も主張した。国家予算におけるODA予算は1%程度であり(外務省資料より)、その金額でどれほどの利益が日本と受益国にもたらされているのだろうか。将来の日本を支えていく私たち若者が、ODAによって世界の国々と「絆」を形成していくことの重要性を理解し、伝えていかねばならないと思う。

アンゴラ共和国大使館での記念撮影
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共に生きるためのODA

富沢 咲天(17)

 ODAというと、漠然と先進国が途上国を手助けするというイメージを持つ人が多いのではないだろうか。そもそもODA(政府開発援助)とは政府または政府の実施機関によって開発途上国の経済、社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供である(外務省HPより)。資金を贈与する無償資金協力や、円借款と呼ばれる低金利で返済期間の長い緩やかな資金協力、そして日本の技術や技能を伝える技術協力がある。日本は1954年から継続してODAを行い様々な国々に人材・物資・技術・お金を提供してきた。しかし不況で日本の経済が落ち込んでいるなか、国内にこそお金を使うべきではないかという意見がある。ODAは今、本当に必要なのだろうか。

外務省の杉村氏を取材

 外務省のホームページによると、一般会計ODA当初予算額は1997年の1兆1687億円をピークに減少している。2012年度の予算額は5612億円とピーク時の半分以下だ。

 外務省国際協力局政策課の杉村奈々子氏は「日本のODAを、国際社会の基準(対国民総所得比)で見ると、世界の他の国々に比べて少ない」と指摘する。世界的に見るとODAを行っている国でこの数字が日本より小さい国は韓国とギリシャしかない。しかも現在韓国はODAの増額に力を入れているので、日本が追い抜かれるのは時間の問題だそうだ。だからといって政府が出せるお金は限られているので「NGOやNPO、国際機関、企業などとうまく連携し、お金を無駄遣いせず効率よく使う必要がある」と杉村氏は語った。

 さらに、日本のODAは決してバラまきではなく戦略的であると杉村氏は強調する。例えばマレーシアに大規模な国際・大水深港を建設したが、それはマレーシアの液化天然ガスや、携帯電話などに必要なレアメタルを日本に輸出するためでもあるという。
 中国は今や日本を抜いて世界第2位の経済大国だが、そんな中国に金額は少なくなったもののいまだにODAを続けているのはなぜか。それは環境問題などを解決するにあたり、まだまだ日本の技術が必要とされているからだという。中国の環境汚染は深刻で、汚染物質は風に乗って日本にも影響が及んでいる。対中国のODAで重点的に行っている事業は大気汚染、黄砂など直接日本に悪影響をもたらすところに絞ってやっているそうだ。他国を援助することで日本にも良い結果をもたらす一例と言える。

 杉村氏は「ODAに対する様々な意見があることは承知している。国民がちゃんと判断できる材料がみんなに届いているのかをよく検討する必要がある」と語る。多くの日本人はODAが日本にとってどのような利益があるのかをよく知らない。このため最近「見える化サイト」(JICAホームページ)が立ち上げられた。杉村氏は「ODAの評価や効果をきちんと示して国民の理解を得る。ODAに関心のない人にも興味を持ってもらい、すでに高い関心を持っている人たちには、彼らが必要とする情報が伝わるようにしたい」と述べた。

難民を助ける会の穂積氏を取材

 ではNGOにはODAはどのように映っているのだろうか。特定非営利活動法人「難民を助ける会」は寄付金だけでなく、ODAからも活動資金を受け取り活動している。シニアプログラムコーディネーターの穂積武寛氏は「NGOは一つ一つの団体がやっている事業規模は政府と比べると小さいが、パッと素早く動くことができることが強み」と言う。バラまきとの批判の反省から、政府は日本NGO連携無償資金協力(以下N連)という仕組みを作った。NGOの会費や寄付金は、財源として不安定なため収入が予測できず、大きな事業を計画しにくい。しかしN連 を利用すれば、承認された金額は確実に受け取ることができるので大いに役立っているそうだ。

 途上国がいつまでも援助に頼らず自立していくためには、資金調達や事業運営を自分たちで行う能力をつけてもらうことが必要である。難民を助ける会では地雷処理やエイズ予防の啓蒙活動のために現地人のスタッフを訓練し彼らに行ってもらっている。また、一人一人のニーズに合った車椅子を作るための技術を教え、事業を行うための資金調達のアドバイスなどの支援もしている。「国やNGOが援助を行わなくてもいい日が来るのが究極の目標。その日までは支援を続けたい」と穂積氏は語った。

 「ODAはsolidarity(連帯責任・連帯意識)だ」と強調するのはアフリカ・アンゴラ共和国大使館公使参事官のミゲル・ボンバルダ・ダ・クルーズ氏だ。アンゴラは2002年まで内戦が続き、経済的にも国を安定させるため支援を必要としている。アンゴラの主な産業は石油やダイヤモンドなどの資源関連で世界中に輸出している。しかし「石油はいつかなくなってしまうから産業を多様化する必要がある」と言う。アンゴラは資源に大変恵まれている国だ。およそ30種類ものレアメタルがあり、水資源が豊富で広大な国土は気候も良い。将来は大規模農業を行い、食糧を自給自足し、そして農産物を世界に輸出できるようにすることが目標であるという。ボンバルダ・ダ・クルーズ氏は「この大規模農業では日本の技術が使われるだろう。将来アンゴラが安定して平和を構築した時には、日本が困ったことがあったら必ず助ける」と語った。

 現在のODAは与えるだけの一方通行の支援ではなく、日本にも利益をもたらすようになっている。支援する側とされる側の両方が得をすることにより、世界の経済、環境、生活、治安、衛生などが少しずつ向上していくのではないだろうか。共に生きていく世界の仲間として、政府とNGOが協力してODAをうまく活用することもこれからますます必要になるだろう。

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教育

大学選び それでいいの?

飯田 奈々(17)

 2012年の冬、田中眞紀子文部科学大臣が、大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、3大学の設置申請を認可しなかったことが、大きな話題となった。 結果として認可されたが、この背景には大学教育をめぐる本質的な問題点があるのではないか取材した。

文部科学省岡本仁弘氏と田辺和秀氏への取材
文部科学省岡本仁弘氏と田辺和秀氏への取材

 日本の大学は平成13年から平成23年の10年間で私立大学は103校も増加した。(文部科学省「学校基本調査」より)そして、平成23年度私立大学は45.8%もの大学が定員割れとなった。このような現実に加えて少子化も進んでいる。なぜ大学は増え続けるのか、今後どのようにして定員割れを克服すればよいのか。文部科学省高等教育局高等教育企画課の岡本任弘氏と同局私学部参事官付専門官の田辺和秀氏、そして桜美林大学院の教授であり「消える大学残る大学全入時代の生き残り戦略」の著者でもある諸星裕氏にインタビューした。

 岡本氏と田辺氏によると、大学が増え続けているという考えは間違っているのだという。私立大学の増加というのは私立短大から四年制私立大学への移行が多いためであり、全体の大学数は平成13年から減少しているそうだ。

桜美林大学院 諸星裕教授への取材

 また、諸星氏によると「日本の少子化が直接大学の定員割れに繋がっている訳ではない。少子化も進んでいるが、大学進学率も年々上がり、今では50%の日本人が大学へ進学する。これは大学の定員とほぼイコールなのだ」と言う。さらに、「それにも関わらず定員割れが起こる理由は、多くの日本人が少しでも上の有名大学に進学することを望むからだ」と述べた。

 定員割れを克服する方法として、諸星氏は若者一人ひとりの大学のとらえ方と日本の大学のあり方を変えることを提案した。
1つ目は、前述したように多くの日本人が少しでも上の大学、そして名の知れたブランド校に進学することを望む以上定員割れが起こることは当たり前である。しかし大学には、個々に合った大学があり、自分が一番成長できるであろう大学がその人にとって良い大学であり、大学に「入る」ことが目的ではなく、大学に入り「学ぶ」」ことが目的であることを意識して大学を選ばなければならない。すべての人の持っている良い大学と悪い大学の概念を変えることが大切であると語った。
2つ目は日本の学生は学部に入るから、在学中に自分の分野を変えることを容易にできない。しかしこのような調査結果がある。アメリカの大学に入学した1年生に「何を勉強したいですか?」と聞き、1、2年生で教養を身につけた後、3年生になって入った学部と1年生のときにこたえた分野が同じだった割合はたった28%だったのだという。このように若者のニーズは変わりやすいのだから、アメリカのように1、2年生の間はどこの学部にも所属せずに教養を身につけ、3年生になって学部を決めるという制度にするなど、その学校独自の制度を作ることも有効であると語った。

 岡本氏と田辺氏はニーズ調査を地域ごとにしていくことの重要性を指摘した。地域によって不足している学部や求められている学部が違うのだから、それをきちんと把握し、大学設立後もニーズの変化にあわせてどんどん変えていく必要性を訴えた。また、大学ができた地域にはそこの学生によって地域が活性化することにも繋がるから、地域と大学が連携していくことが、これから大切になってくることだと述べた。

 すべての取材を通じて共通していたことは、「大学は時代やニーズに合わせてどんどん変わっていくことが求められている」ということだ。それにともない、私たち高校生一人ひとりが責任をもって大学を選ぶことも求められている。狭い視野で大学を選ばずに、日々アンテナをはって様々な情報に触れ、今まで意識してこなかった新しい視点で大学を見定めることも重要である。

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