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被災地から全国へ広がる漁業の魅力

米山 菜子(18)

  3年前の2012年、若者の目線から新しいスタイルの農業を展開する若い農家グループを取材した。農業と同じく1次産業の漁業から、6次産業化に挑戦している若者たちがいた。6次産業とは、農水産物の原料だけを提供する第1次産業から加工、流通、販売までを一体化する多角化の事業形態だ。一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの面々である。彼らは、新3K「漁師をかっこよく、稼げる、革新的に」をコンセプトに集まった宮城県石巻市の若手漁師である。2011年の東日本大震災で、津波に漁船、漁具、作業小屋、そして自宅まで流された被災地から、漁師のイメージを変える一歩を踏み出し始めている。

阿部勝太氏のホタテ剥き実演

 フィッシャーマン・ジャパン代表理事である阿部勝太氏(29)への取材場所は、海がある石巻ではなく、東京の日本橋だった。阿部氏はフィッシャーマン・ジャパンのイベントのために石巻から東京に出てくることも少なくない。イベントを通して、漁師の魅力や自分たちの水産物を都会にいる人々に広めている。以前は海で採れた産物を直接あるいは加工して漁協に卸し、市場がきめた価格で販売していたスタイルを、自分たちで直接販路を探して、自分たちの水産物に見合う価格をつけることで漁師の魅力を「新3K」にまとめている。子どもたちが後継者として育つためには大いに影響する「かっこよさ」と、水産物に見合った収入が得られるための「稼げる」は、不可欠であったという。そして、最後の「革新的」には、ITや異業種の人々とのネットワークを駆使して販路を開き、地方からでもアクションを起こせるという思いを込めた。水産物のオーナー制度という制度も革新的な活動のひとつだろう。水産物に見合った価格で提供するため、地元だけにとどまらず、都会に出て多くの人々にまず食べてもらい味を知ってもらう活動が行なわれている。

 今でこそ、阿部氏はフィッシャーマン・ジャパンの名を背負い、海がある十三浜と東京を行き来しているが、漁師になったばかりは今ほど意欲的でなかったと父である阿部浩(52)氏が語る。きっかけは、東日本大震災だったという。

ホタテの阿部勝太氏とカキの阿部貴俊氏

8月22日に阿部家がある石巻市北上町十三浜を訪れた。塀には津波の爪痕がまだ残り、破損している部分も多くあった。ワカメやコンブ、ホタテを養殖している阿部家の船や漁具、作業所は流されてしまい、同じように被害を受けた近隣の5家族と手を取り合い、「浜人」という漁業生産組合を立ち上げた。そのような境遇から、漁師への想いが変わっていく息子の姿を父は近くで見ていた。「勝太は震災前には、親に言われたことをただやるだけだった。震災を機にいろいろ考えるようになったのではないか。震災を経て変わったな」。
 
 フィッシャーマン・ジャパンは、毎月イベントを開催している。8月20日には東京の日本橋でカキやホタテの殻むきを実演し、都民に体験してもらい、それらを味わう会や、9月には川崎でバーベキューも予定している。イベントはまだ模索中で、様々な方向性のものを企画しているという。

 阿部氏は、農家とも交流を持っている。 3年前に取材した宮治勇輔氏が代表を務めるNPO法人「農家のこせがれネットワーク」の活動からヒントももらったという。 阿部氏は最後に語った。「いつかもっと力をつけたら、農業と漁業で大きな『食』というテーマで連携することをやってみたい」。 農業も漁業も後継者は減少し、子どもたちに魅力を伝えていくことが難しくなっている。だからこそ、彼らのように若者の目線で1次産業界を盛り上げていくことは、日本の将来を支えるためにも素晴らしいことではないだろうか。 阿部氏は漁業の楽しさを次のように述べた。「手間をかけた分だけ美味しくなるんです。そして、提供したときにわかりやすく答えが返ってくる。そういう反応がもらえる職業って、あるようで意外とあまりないと思いますよ」。石巻の復興とともに新しいスタイルの漁業も前へ前へ進むことだろう。

2012年に農業を取材した記事「若者の改革で変わる農業」は本ウェブサイトに掲載されています。

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国際

コソボ出身のヴィトン・カストラティさん(24) にインタビュー

松本 哉人(16)

カストラティさんと松本記者

松本哉人(16)記者は、2015年7月27日から8月6日まで、セルビアのベオグラードで開かれた第10回国際青少年メディア・サミットに参加した。そこで7つの課題の一つの「貧困」グループに参加し、コソボ共和国から参加したヴィトン・カストラティさんがアドバイザーだった。松本記者にとって今回初めて若いコソボ人に会って話をした。

「貧困」グループ


Q. あなたの国コソボ共和国について簡単に説明していただけますか?
A. コソボ共和国はヨーロッパでもっとも新しく生まれた国です。過去600年の間オスマン・トルコやセルビアに占領されていたのですが、2008年に米国と欧州連合(EU)の支援を受けて独立しました。コソボはバルカン半島の中部にあり、アルバニア、モンテネグロ、マケドニア、セルビアに囲まれています。人口は約200万人の小さな国です。首都はプリシュティナです。古くから残る町がたくさんありますが、私はマリシェヴァ(Malisheva)に住んでいます。我が国は音楽、衣装、食べ物にとても古い伝統があります。

Q. どのような仕事をされていますか? 
A. Ibrahim Mazrekuという小学校で英語の先生をしています。また、Value for Better FutureというNGOを創設し、理事をしています。私たちは子ども、学生や若者たちのための多くの活動をしています。教育、文化、芸術、メディアに関しする活動が行われています。私たちは、若者が才能を見出すようにサポートし、短編映画やWADADA NEWS FOR KIDS向けのニュースを制作するために共に仕事をしています。


Q. なぜその仕事を選んだのですか? 
A. コソボでは急速に英語が広がっていますが、英語の先生の数が足りません。英語ができると仕事を得やすいしの国際的な団体、青少年サミットや映画祭に関わる人々と交流することもできます。
私は、19歳から英語の先生として働いています。私の父も英語の先生で父が教えてくれました。私が住む町には英語の先生が十分いないので、この仕事を得るのは簡単でした。
私は、最初の映画「ドリーマー(The Dreamers)」をこの町で作りました。夢を持つ子どもたちが何かをしたいと思ってもうまくいかないという内容です。子どもたちの持つ才能を表現したくて作りました。この映画を持って、ドイツで行われた国際青少年映画祭に私の務める学校の生徒たちと一緒に参加しました。そこでとても刺激を受けて、もう一つ映画を作ることにしました。それは、「コソボの子ども自治(Kosovo’s  Children Government)」です。コソボではこの映画でとても成功を収めることができたので、生まれつき両手がない少年についての映画、「手がなくても問題はない(No hands, no problems)」も作りました。
私は、英語、メディア、さらに国際関係を好む多くの生徒たちから刺激を受けているので、教師として働くのをとても幸せに思っています。このことが関係機関から評価され、マリシバ(Malisheva)の町で2014年~2015年で最も積極的な教師の一人として発表されました。


Q. このサミットに参加した理由は何ですか?
A, 新しい出会いがあるし、私の作品を観てもらおうと思ったからです。自分の作品を文化、背景、教育レベルの異なる30か国の参加者に観てもらうことはとても大事だと思います。サミットはとても素晴らしい経験でしたし、私がこのサミットに参加できるように支援してくれたコソボ駐在のノルウェー大使館に感謝しています。

Q. このサミットを通して学んだことは何ですか? 
A. 多くの経験を積むことができ、それぞれ異なる背景の教育、文化、伝統があることを知ることができました。しかし、何よりも大事なことは、これからもっと良い映画を制作するにはどうすればよいかということを学んだことです。


Q. なぜ「貧困グループ」を選んだのですか?
A. コソボはまだ貧困で苦しんでいるので、私自身にもっとも影響があると思って選びました。貧困の経験をみなに伝えようと思いました。
劣悪な状況の中で生きるのは難しいので、貧しい人々を助けるのは良いことだからでず。現在でも教育を受ける機会のない子どもたちが大勢います。かれらは他の人たちからの援助がもっと必要です。コソボは戦争で被害を受けたので多くの貧しい人たちがいます。私たちは彼らの生活や未来がもっと良くなるように頑張っています。


Q. コソボの貧困についての問題点は何ですか?
A. コソボは2008年に独立したまだ新しい国ですが、税金が使われるべき所に使われていないことです。工場を建てたり雇用を増して事業の収益を上げるための投資ができるはずなのに、適切なところにお金を送っていません。


Q. 貧困の解決策は何だと思いますか? 
A. これは国境を越えた問題ですから、解決するのはとても難しいです。自分達で可能性を生み出すことができない人々にもっと多くの場所や機会が欲しいし、そしてお互いを守るために私たちはチームとして活動しなければいけないと思います。また、政府が若者たちにもっと雇用の機会を創出するような適切な所に資金を投資することです。
政府は人口が増加し、現在の状況に満足していない若者たちにうまく対応する必要があります。若者たちはコソボから出て、他の国で働こうとしています。政府はもっと手をうつべきだと思いますが、私個人としては1人の市民として、また教師として何か役立とうと思っています。私にできることは貧しい子どもたちに教育をすることです。


Q. 政府はどのようにお金を得ているのですか?
A. 200万人の国民や中小企業からの税金だけです。コソボにもっと多くの工場を建てて若者たちに働く元気を与える時期にあると思います。


Q. 産業は発展していますか?
A. 少数の産業と企業はありますが、造船業、航空機産業、科学技術、貿易産業のような巨大産業はありません。中小企業しかありません。自分たちが使うための電力や農業は大丈夫です。


Q. 他の国から十分な支援を受けていますか?
A はい。欧州連合やアメリカが沢山投資してくれました。50万人以上が海外で働いていますが、各国にあるような企業がもっと必要です。しっかりした企業を設立しなければなりません。


Q. 教育については、何か問題点はありますか?
A. かつてはいくつか問題点がありました。しかし、戦争が終わってからは学校やすべての子どもが教育を受けられることに、もっと関心を寄せるようになりました。大学に通うことはそれほどお金がかかりません。年間授業料はたった100ユーロ(約13,500円)です。多くの若い女性は教育を受けて将来より良い家庭をつくり、仕事をもてるように学校に通っています。以前は大学に行く女性は一人もいませんでしたが、今では、性別に関係なく大学に行ける可能性があります。


Q. すべての人が大学に行くことができていないのは、貧困が理由の一つだと思いますか?
A. はい。どんなに優秀な学生でも親が貧しければサポートできません。残された道は、結婚するか、どこかでより良い暮らしをするためにコソボを離れるしかありません。


Q. 独立してから7年たちますが、コソボの生活はよくなっていますか?
A. はい、良くはなっていますが、まだいくつかの問題があります。コソボの人口の大半は若者たちで、平均年齢は30歳です。若者たちは、より良い仕事や生活を求めて海外に出かけていっています。この状況には対処されていません。昨年は、20万人の若者がドイツやオーストリア、イタリアで生活するためにコソボを離れました。これは、戦後の我が国では最悪の状況です。


Q. 日本人はどのように支援をしたらよいですか?
A. 日本人に何ができるのかわからないので答えにくいですが、若者や学校を支援することはできるかもしれません。すでに使わなくなった技術や設備のようなものをコソボに持ってくることができるかもしれないですね。たとえ日本から遠く離れていても、日本はこれまでにコソボ政府に対して技術協力や医薬品、町をきれいにする廃棄物収集トラックやコソボフィルファーモニー交響楽団への楽器の供与のような無償資金協力(二国間援助)をしてきているので、これからも別の良い方法をみつけられるでしょう。私たちはこのような日本からの援助に対して大変感謝していますし、これからの技術革新や市民権の模範になっている日本からの良いニュースをいつも期待しています。

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社会

「明るい石巻」を見て!~被災者が語る石巻の今~

前田 佳菜絵(14)

 2011年3月11日に東日本大震災が起き、それによる大津波や福島第一原子力発電所の事故も含めて東北地方は甚大な被害を被った。震災から4年半がたった今、被災地はどのように変わってきているのだろうか。今も被災地域で暮らす人々の目から被災地はどのように見えているのか。8月22日、津波で大きな被害を被った宮城県石巻市を訪れた。

津波で被災した大川小学校

 JR仙石線石巻駅からタクシーに乗り北上川に沿って河口に向かった。運転手さんによると、石巻駅付近にも津波は到達し、ジュースの自動販売機の上にあがって助かった人もいたそうだ。

 河口から4キロの川沿いにある石巻市立大川小学校跡を訪れた。大川小学校には地震直後に大津波が押し寄せ、児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった。校舎は壁や天井などが大破し、鉄筋コンクリートがむき出しになっていて痛々しい。教室があったであろう校舎はまだ原型が分かる程度に残っていたが、体育館や屋外の遊び場などはほとんどが流されてしまっていた。校舎の周りにはロープが張ってあって「立入禁止」の看板が所々に立てられていた。校舎の前には祭壇や慰霊塔が立ち、多くの人が訪れては手を合わせていた。

 石巻駅から徒歩6分のところにある絆の駅「石巻ニューゼ(Newsee)」で毎週活動をしている一般社団法人キッズ・メディア・ステーションの子ども記者たちを取材をした。この「石巻ニューゼ」は石巻日日新聞社が設立したもので、震災直後の壁新聞が展示されている。この日は石巻に小学生のときから在住していたロシア人の女性、クハルチョク クリスティーナさんがロシア語のワークショップをしていた。

震災当時のことについて、山口莉子さん(小学6年生)は「妹とおばあちゃんとで車に乗っていた時に地震が起こったから、近所の人を乗せて近くの高校に避難しました。小学1年生だったから、当時はよく状況が分かっていなかったです」とぽつりぽつりと話してくれた。当時は大学生でアルバイト中だったというクリスティーナさんは「そのときは仙台にいたので津波は無かったですが、すごく揺れて怖かった。家族と連絡が取れなくて泣いている人もいました。寒かったからカイロを買ってきて、3時間ぐらいは屋外にいました」と4年前を思い出しながら語った。酒井理子さん(中学1年生)は震災直後は「アレルギーがあり、がれきに近づくと咳き込んでしまい困りました」と話した。

 震災当時と今を比べて復興したと感じることはあるか、と聞くと山口葵さん(小学4年生)は「津波で大きな被害を受けたのに仙石線が開通したのが、すごいと思います」と言い、震災後に家族の勧めで一時ロシアに帰国したクリスティーナさんは「当時の光景と今の光景がまったく違う。がれきが片付いただけでも復興になっていると思います」と明るく話した。しかし、困ったように「仕事で海外の人と話すことも多いが、『日本製の商品は安全か』『原発の影響は無いのか』と尋ねる人が多いです」とも語る。山口葵さんは「もちろん震災のことは憶えていなければいけないけれど、テレビで津波の映像が流れると思い出してしまうから怖いです」と少し辛そうに語った。

 これから復興のために何をすればいいだろう、という質問に「『石巻日日こども新聞』を他の新聞と一緒に配達してもらえば、もっと石巻の今を知ってもらえる」と山口葵さんは明るく話した。また、震災の被害をあまり受けていない人たちに向けて酒井理子さんは「石巻に一度来たら、何年かあとにまた来て復興した様子を見てもらいたい」、山口莉子さんは「実際に石巻に来てもらったほうが、その時の状況が分かってもらえる」、山口葵さんは「津波がきた時にどうしたらいいかなどを、東日本大震災で津波がこなかった地域の人たちにも伝えていってほしい」、クリスティーナさんは「身の回りに亡くなった人がいたらもっと悲しみは深かったと思う。震災のことについて話すのは辛いけど、震災に関心を持ってくれる人には当時のことを伝えなればいけない」と前向きに話した。そして、山口葵さんは「もう復興は始まっているから、『明るい石巻』も見てほしい」「震災の話をするとみんな暗くなるから、それが嫌です。復興が始まっているから、笑顔も戻していきたい」と笑顔で話した。

 また、今年の春に大川小学校の校舎を残すか解体するかが議論されたことについて酒井理子さんは「私は正直に言うとどちらでもいいですけれど、その時のことを思い出すのが嫌、と言う人もいるから、写真に残し校舎は壊して新しい学校を建てていいと思います。でも、その時の状況は写真では伝わりにくいから、難しいです」と悩みながら語った。そして、山口葵さんは「地元の人は、震災のことを残したくない人もいると思いますが、震災を忘れてまた同じことが繰り返されるのは嫌です」と話した。最後にクリスティーナさんは、「震災を人ごとだと思わないで、普段から心の準備をするのは難しいと思うけど、知識としてでも知っておいてもらいたい。これからも震災の情報を広めていきたい」と真剣に語った。

 東北以外にいて震災であまり被害を受けなかった立場からすると、いま石巻の人々が震災を「前向きに」捉えていたことは意外だった。テレビや新聞などの報道だけでなく、被災地に自分自身で行き、被災者に自分自身で話を聞くことで新たに分かることがある。被災者の声を聞くことで、私たちが被災地のためにできることが新たに見つかるのではないか。

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Interviews 国際

Interview: Mr. Veton Kastrati (24) from Kosovo

Veton and Kanato
Veton and Kanato

Interview: Mr. Veton Kastrati (24) from Kosovo

Kanato Matsumoto (16 ), CE youth reporter, participated in the 10th International Youth Media Summit in Belgrade, Serbia, from July 27th through August 6th, 2015. He joined one of the seven issue groups, Poverty, of which Veton Kastrati was the advisor. This was Kanato’s first time to meet and talk to a young man from Kosovo.


Q. Could you give me a brief explanation about your country, Kosovo?
Kosovo is the newest country in Europe. We became independent in 2008 by help from USA and EU because we were occupied by Ottomans and Serbia for 600 years. Kosovo is in the middle of the Balkans surrounded by Albania, Montenegro, Macedonia and Serbia. It is a small country. The population is around 2 million. The capital is Pristina. There are a lot of old cities, but I live in Malisheva city. Our country has very old traditions of clothing, music and food.

Poverty group
Poverty group

Q. What kind of work do you do?
I work as an English teacher in primary school, Ibrahim Mazreku, and I am the founder of an NGO called Values for Better Future. We do a lot of activities for children, students and youth. Our aim is on education, culture, media and art. We try to help young people to find young talents and we work with them making short movies, and news for WADADA NEWS FOR KIDS.
Q. Why did you choose that job?
Because English is spreading fast in Kosovo but we don’t have enough English teachers. At first,it was the best way to get a job. After that I will be able to contact with people from international organizations, summits and festivals.
I started my work as an English teacher when I was 19 years old. My father was also an English teacher and he helped me. There are not enough teachers in my city, so for me, it was easy to get this job.
I made the first movie in my city. It was called “ The Dreamers” about children who have dreams and they want to do something but they can’t. Therefore I made it to express their talent. We participated in festival film Prix Jeunesse International with students from the Ibrahim Mazreku school. I was motivated so I started another project which is called “Kosovo’s Children Government.” We had great success in Kosovo with this movie. Last one is “No hands, no problems” about a boy who was born without hands. I am very happy to work as a teacher because I have motivated a lot of students to love the English language, media and international relationships even more. This was evaluated from relevant institutions and they have announced that I was one of the most active teachers in Malisheva for 2014-2015.

National costume
National costume

Q. Why did you participate in this summit?
I participated in this summit to meet new people and to show my work. It is very important to show my work to delegates from 30 countries from different kinds of cultures, backgrounds and educational levels. It was a very great experience. I would like to thank Royal Norwegian Embassy in Kosovo for supporting me to come to this summit.

Q. What did you learn through the summit?
I got a lot of experiences and could learn about different kind of educational backgrounds, cultural backgrounds and traditions. But what is more important is to learn how to make better movies in the future.

Q. Why did you choose the “Poverty” group?
I was most affected by the Poverty group because we are still suffering from poverty in Kosovo. I try to share my experience of poverty.
It is good to help poor people because for them it is hard to live in bad conditions. Still today there are a lot of children who do not have the opportunity to be educated. They need more help from others. In Kosovo, we have a lot of poor people because we were damaged by war. We are trying to make their lives and their futures better.

Q. What are the problems about poverty in Kosovo?
We are a new country. We became independent in 2008 and there are a lot of people who misused the budget of our nation. They don’t invest into the right places. I think they made business by spending the money of Kosovo. They don’t send the money to the right place so it can be invested in factories and employees to raise their business.

Q. What do you think of the solution to end poverty?
It is very hard to solve this problem because it is a global issue. We should work as a team to protect each other and to give more space to people who are not able to create possibilities for themselves. I think the government is one of the most important elements that can solve this problem by investing money in the right places that would create more job opportunities for the youth. They need to manage the youth population who are growing and who are not satisfied. They are trying to leave Kosovo. The government should do more but I, as an individual, can do things to help as one of citizens or teachers. I can help educate poor children.

Q. How does the government get money?
We have 2 million people but the government gets money only from taxes and small industries of Kosovo. Now, in Kosovo is the time to open more factories and empower the youth.

Q. Are there any industries?
There are a small number of industries and businesses . We don’t have any huge industries such as ships, trade, airplane, technology. We only have small businesses. We produce our own electricity and agriculture.

Q. Do you receive enough support from other countries ?
Yes, the EU and the US invested a lot. There are more than 5 hundred thousand people who work abroad but we need more businesses as every country has. We have to establish businesses from a strong economic perspective.

Malisheva city
Malisheva city

Q. Do you have any problems in education?
In the past, there were some problems but after the war, we have more interest for school and every child has access to education. To attend universities it is not too expensive . You have to pay only 100 Euro for annual college tuition. A lot of young women are going to school to be educated by themselves in order to create better families and to find good jobs in the future. There were no women who went to university before, but now the possibility is there for both genders to attend university.

Q. Do you think that one of the reasons everyone is not going to university is poverty?
Yes, even if they are good students, if they are poor, the parents can’t support them. They just get married or leave Kosovo for a better life somewhere else.

Q. Is Kosovo going better in 7 years ?
Yes, it is going to be better but we are still facing some problems because in Kosovo, most of the population is young people. The average age is 30 years old and the young people are going to go abroad to find a better job or a better life. This situation is not being managed. Last year, there were 2 hundred thousand young people who left Kosovo to live in Germany, Austria and Italy. This is the worst situation after the war in my country.

Q. How Japanese people can support your country?
I don’t know because I don’t know your possibility. Maybe you can support the youth and schools. You can bring things you don’t use anymore such as technology or equipments. Even if we are far from Japan we can find other good solutions in the future because Japan has supported Kosovo’s institutions very much such as by bringing in medicine, new technology, philanthropy, instruments, and vehicles to clean the cities. We are very thankful for that and always expect good news from Japan, who is a model of future citizenship and inventions.

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