去る11月1日(日)15時から、コネクト渋谷で、7月27日~8月7日に参加した第10回国際青少年メディア・サミットと、8月22日に訪れた宮城県石巻市の「キッズ・メディアステーション」及び同市北上町十三浜の「浜人」取材の報告会が行われた。
記者、修了生、保護者、理事、スタッフ、ユースワーカー、そして関係者たち約30名が集まり、メディア・サミットに参加した記者が撮影・編集したビデオを上映し、パワーポイント・スライドを使ってプレゼンテーションを行った。
続いて石巻を訪れた記者の二人がそれぞれ7分間のプレゼンテーションを行った。
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松本 哉人(16)
松本哉人(16)記者は、2015年7月27日から8月6日まで、セルビアのベオグラードで開かれた第10回国際青少年メディア・サミットに参加した。そこで7つの課題の一つの「貧困」グループに参加し、コソボ共和国から参加したヴィトン・カストラティさんがアドバイザーだった。松本記者にとって今回初めて若いコソボ人に会って話をした。
Q. あなたの国コソボ共和国について簡単に説明していただけますか?
A. コソボ共和国はヨーロッパでもっとも新しく生まれた国です。過去600年の間オスマン・トルコやセルビアに占領されていたのですが、2008年に米国と欧州連合(EU)の支援を受けて独立しました。コソボはバルカン半島の中部にあり、アルバニア、モンテネグロ、マケドニア、セルビアに囲まれています。人口は約200万人の小さな国です。首都はプリシュティナです。古くから残る町がたくさんありますが、私はマリシェヴァ(Malisheva)に住んでいます。我が国は音楽、衣装、食べ物にとても古い伝統があります。
Q. どのような仕事をされていますか?
A. Ibrahim Mazrekuという小学校で英語の先生をしています。また、Value for Better FutureというNGOを創設し、理事をしています。私たちは子ども、学生や若者たちのための多くの活動をしています。教育、文化、芸術、メディアに関しする活動が行われています。私たちは、若者が才能を見出すようにサポートし、短編映画やWADADA NEWS FOR KIDS向けのニュースを制作するために共に仕事をしています。
Q. なぜその仕事を選んだのですか?
A. コソボでは急速に英語が広がっていますが、英語の先生の数が足りません。英語ができると仕事を得やすいしの国際的な団体、青少年サミットや映画祭に関わる人々と交流することもできます。
私は、19歳から英語の先生として働いています。私の父も英語の先生で父が教えてくれました。私が住む町には英語の先生が十分いないので、この仕事を得るのは簡単でした。
私は、最初の映画「ドリーマー(The Dreamers)」をこの町で作りました。夢を持つ子どもたちが何かをしたいと思ってもうまくいかないという内容です。子どもたちの持つ才能を表現したくて作りました。この映画を持って、ドイツで行われた国際青少年映画祭に私の務める学校の生徒たちと一緒に参加しました。そこでとても刺激を受けて、もう一つ映画を作ることにしました。それは、「コソボの子ども自治(Kosovo’s Children Government)」です。コソボではこの映画でとても成功を収めることができたので、生まれつき両手がない少年についての映画、「手がなくても問題はない(No hands, no problems)」も作りました。
私は、英語、メディア、さらに国際関係を好む多くの生徒たちから刺激を受けているので、教師として働くのをとても幸せに思っています。このことが関係機関から評価され、マリシバ(Malisheva)の町で2014年~2015年で最も積極的な教師の一人として発表されました。
Q. このサミットに参加した理由は何ですか?
A, 新しい出会いがあるし、私の作品を観てもらおうと思ったからです。自分の作品を文化、背景、教育レベルの異なる30か国の参加者に観てもらうことはとても大事だと思います。サミットはとても素晴らしい経験でしたし、私がこのサミットに参加できるように支援してくれたコソボ駐在のノルウェー大使館に感謝しています。
Q. このサミットを通して学んだことは何ですか?
A. 多くの経験を積むことができ、それぞれ異なる背景の教育、文化、伝統があることを知ることができました。しかし、何よりも大事なことは、これからもっと良い映画を制作するにはどうすればよいかということを学んだことです。
Q. なぜ「貧困グループ」を選んだのですか?
A. コソボはまだ貧困で苦しんでいるので、私自身にもっとも影響があると思って選びました。貧困の経験をみなに伝えようと思いました。
劣悪な状況の中で生きるのは難しいので、貧しい人々を助けるのは良いことだからでず。現在でも教育を受ける機会のない子どもたちが大勢います。かれらは他の人たちからの援助がもっと必要です。コソボは戦争で被害を受けたので多くの貧しい人たちがいます。私たちは彼らの生活や未来がもっと良くなるように頑張っています。
Q. コソボの貧困についての問題点は何ですか?
A. コソボは2008年に独立したまだ新しい国ですが、税金が使われるべき所に使われていないことです。工場を建てたり雇用を増して事業の収益を上げるための投資ができるはずなのに、適切なところにお金を送っていません。
Q. 貧困の解決策は何だと思いますか?
A. これは国境を越えた問題ですから、解決するのはとても難しいです。自分達で可能性を生み出すことができない人々にもっと多くの場所や機会が欲しいし、そしてお互いを守るために私たちはチームとして活動しなければいけないと思います。また、政府が若者たちにもっと雇用の機会を創出するような適切な所に資金を投資することです。
政府は人口が増加し、現在の状況に満足していない若者たちにうまく対応する必要があります。若者たちはコソボから出て、他の国で働こうとしています。政府はもっと手をうつべきだと思いますが、私個人としては1人の市民として、また教師として何か役立とうと思っています。私にできることは貧しい子どもたちに教育をすることです。
Q. 政府はどのようにお金を得ているのですか?
A. 200万人の国民や中小企業からの税金だけです。コソボにもっと多くの工場を建てて若者たちに働く元気を与える時期にあると思います。
Q. 産業は発展していますか?
A. 少数の産業と企業はありますが、造船業、航空機産業、科学技術、貿易産業のような巨大産業はありません。中小企業しかありません。自分たちが使うための電力や農業は大丈夫です。
Q. 他の国から十分な支援を受けていますか?
A はい。欧州連合やアメリカが沢山投資してくれました。50万人以上が海外で働いていますが、各国にあるような企業がもっと必要です。しっかりした企業を設立しなければなりません。
Q. 教育については、何か問題点はありますか?
A. かつてはいくつか問題点がありました。しかし、戦争が終わってからは学校やすべての子どもが教育を受けられることに、もっと関心を寄せるようになりました。大学に通うことはそれほどお金がかかりません。年間授業料はたった100ユーロ(約13,500円)です。多くの若い女性は教育を受けて将来より良い家庭をつくり、仕事をもてるように学校に通っています。以前は大学に行く女性は一人もいませんでしたが、今では、性別に関係なく大学に行ける可能性があります。
Q. すべての人が大学に行くことができていないのは、貧困が理由の一つだと思いますか?
A. はい。どんなに優秀な学生でも親が貧しければサポートできません。残された道は、結婚するか、どこかでより良い暮らしをするためにコソボを離れるしかありません。
Q. 独立してから7年たちますが、コソボの生活はよくなっていますか?
A. はい、良くはなっていますが、まだいくつかの問題があります。コソボの人口の大半は若者たちで、平均年齢は30歳です。若者たちは、より良い仕事や生活を求めて海外に出かけていっています。この状況には対処されていません。昨年は、20万人の若者がドイツやオーストリア、イタリアで生活するためにコソボを離れました。これは、戦後の我が国では最悪の状況です。
Q. 日本人はどのように支援をしたらよいですか?
A. 日本人に何ができるのかわからないので答えにくいですが、若者や学校を支援することはできるかもしれません。すでに使わなくなった技術や設備のようなものをコソボに持ってくることができるかもしれないですね。たとえ日本から遠く離れていても、日本はこれまでにコソボ政府に対して技術協力や医薬品、町をきれいにする廃棄物収集トラックやコソボフィルファーモニー交響楽団への楽器の供与のような無償資金協力(二国間援助)をしてきているので、これからも別の良い方法をみつけられるでしょう。私たちはこのような日本からの援助に対して大変感謝していますし、これからの技術革新や市民権の模範になっている日本からの良いニュースをいつも期待しています。
2015年7月27日~8月7日に、セルビアの首都ベオグラードで開催された第10回国際青少年メディア・サミットにCEの高校生記者が参加した。
スロベニア、クロアチア、コソボなど旧ユーゴスラビア諸国や、アメリカ、スウェーデン、イタリア、香港(中国)日本など20カ国から約50名の若者が参加し、世界共通の課題である、貧困、暴力、環境、差別、女性の権利、若者の地位向上、健康などの7つのグループに分かれて、1分間のビデオ作品を制作し、世界に向けての「宣言文」をビデオを通して発表した。
去る10月26日(日)14時30分から、コネクト渋谷で、7月14日~27日に参加した第9回国際青少年メディア・サミットと、8月16日に訪れた宮城県石巻市のキッズ・メディアステーションの記者たちとの交流の報告会が行われた
記者、修了生、保護者、理事、スタッフ、ユースワーカー、そして関係者たち約30名が集まり、メディア・サミットに参加した記者たちが撮影・編集したビデオを上映し、パワーポイント・スライドを使ってそれぞれ5分間のプレゼンテーションを行った。続いて石巻を訪れた記者の二人が7分間のプレゼンテーションを行った。
村上 類(15)
村上類(15)記者は、2014年7月14日から27日まで南カリフォルニアのアリソ・ビエホで開かれた第9回国際青少年メディア・サミットに参加した。そこで7つの課題の一つの「環境」グループに参加し、グループのアドバイザーであるハニアさんに出会った。村上記者にとってはイラン人に会って話をしたのは初めてのことで、様々なイラン事情をインタビューで聞いてみた。
Q. どのようなお仕事に就いていますか?
A. こどものメディア専門家で、フリーランスのメディア研究家・教育者として働いています。また、私が主宰している「ユナイテッド・ドリーム」というセンターでこどもの問題、とりわけこどものメディア問題に取り組んでいます。
Q. なぜそのお仕事に就いているのですか?
A. 私たちは21世紀に生きており、この時代はメディアが大きな役割を果たしていると思うからです。この分野で、とくにこどもや若者たちと仕事をすることはとても大切ですし、興味もあるからです。メディアは貴方たち若者に新鮮さと活力を感じさせるだけでなく、こどもたちがメディア・リテラシー(メディアの活用能力)を得るための基盤を与えます。ご存知のように最近はリテラシー(識字能力)には読み書きの能力だけに限りません。
Q. 貴女の宗教は何ですか?
- 私はイスラム教徒です。
Q. イランについて貴女が好きなところは何ですか?
A. イラン(旧ペルシャ)には偉大な文化があります。私たちの文化は紀元前3000年にまでさかのぼりますし、私はそれを誇りに思っています。
Q. イランにはどういう問題があると思いますか?
A. イランには多くの問題がありますが、主な問題はイランが世界の一部の地域から孤立していることです。イランは世界に門戸を開き、世界は私たちに対して門戸を開くべきだと思います。もしそれぞれの国が平和に暮らしたいと望むのであれば、自らの信念をもって心から他の国々を尊重しなければいけないと思います。政治的見解とは切り離すべきです。他の信仰や考えを受け入れるために私たちの門戸を開き、共に平和に生きる方法について他の意見に耳を傾けるべきです。いかなる敵対心も取り除くべきです。
Q. ソーシャルメディアはどのような影響がありますか?
A. 私がプレゼンテーションでお話ししたように、ソーシャルメディアは私たちの生活で最も大切です。ご存知のように今の人々を見ていると、個人生活、仕事場、そして余暇のときでも、みんなソーシャルメディアに深く関わっています。ソーシャルメディアが酸素のようになれば、大きな影響力をもつでしょう。私たちはソーシャルメディア無しには生きられません。ですから私たちは適切な方法でソーシャルメディアを使って知識を増やすべきです。
Q. イランでは小学校から高等学校までに共学の学校はありますか?
A. 幼稚園は共学です。小学校から高等学校までは完全に男女別学ですが、同じカリキュラムを学びます。小学校は6歳から始まり高等学校は18歳で卒業です。大学は共学です。
Q. 貴女はイランの大学に行きましたか?
- はい、行きました。イランで修士号の学位を取得しました。イランでは鉱山学のように実践的で難しい学部がありますが、大多数は男子学生が専攻しています。
Q. 大学院での専攻は何ですか?
A. コミュニケーション、メディア研究です。
Q. なぜコミュニケーションを選択されたのですか?
- 私はコミュニケーションが本当に好きなのです。前にもお話ししたように、私たちはメ
ディアの時代に生きているので、いつでもどこでもメディアに関わっていますから。
私たちはメディアからメッセージ攻めに遭っていますし、私たち自身が試練を乗り越えるためにメディアをつくることもできます。これは私にはとても興味があります。コミュニケーションは、実際には心理学、人間科学、法律、政治、国際関係のような他の自然科学をすべて含んだような専攻科目だからです。
Q. イランには女子大学がありますか?
A. はい、あります。非常に優れた教授陣をもつ有名な女子大学です。でも私は共学の大学に行きました。
Q. 貴女はイランの教育に満足していますか?
A. 正直言って満足していません。規則が厳し過ぎるからです。勉強する量もとても多いのです。私は教育とはただ学校に行って勉強するだけだとは思っていません。教育とは学校へ行って様々な活動をして、様々な技能(スキル)を習得することです。貴方たちは社会的活動が求められています。イラン人は教育水準が高いですが、私たちは他の側面にも目を向けなければいけないと考えています。
Q. イランでは政府がソーシャルメディアを規制していると思いますか?
A. はい、そう思います。イランには国営テレビ局とラジオ局しかありません。民間の放送局はありません。新聞社には民間企業がありますが、完全に政府の管理下におかれています。インターネットにはフィルタリング(監視チェック)がかけられています。
最後に、イラン人の日本人に対する印象について言わせてください。
イラン人は日本人を尊敬しています。日本は第二次世界大戦で完全に破壊されたのに、戦後の日本人は自分たちの国を再建するために団結して一生懸命働いたからです。日本人はとても礼儀正しいですし、イラン人は日本人を高く評価しています。貴方たち日本人は世界の手本(モデル)になるべきです。
第9回国際青少年メディア・サミットに参加して
村上 類(15)
7月14日の朝、目覚めたら母国語ではない言葉が聞こえてくる。自分がいったいどこにいるのか状況が読めなかった。日本の学校で授業を受けて英語を身につけてきた私にとって、朝起きたらまずグッドモーニングと言う習慣は、まさに自分は日本にいないと思い知らされる瞬間である。そうだ、今日からは英語で自分の意見を主張しなければ!と私は気持ちを引き締めた。
2014年7月14日から26日まで、アメリカのカリフォルニア州にある米国創価大学の施設を借りて第9回国際青少年メディア・サミットが行われ、チルドレンズ・エクスプレスから私を含め記者2人が参加した。このサミットには世界22ヶ国の14歳から25歳までの若者が集まり、世界で起きている7つの問題(女性の権利・貧困・差別・環境・若者の地位向上・健康・暴力)毎にグループを作り世界へ発信するためにビデオを制作した。
私が参加した環境のグループはアメリカ、アフガニスタン、アルメニア、オーストリア、コソボから参加した7人だ。アドバイザーはイランから参加した女性だった。活動を通して、普段日本国内にいるだけでは絶対話す機会がない国の人たちと親交が深めることができた。
最初に、『環境』と言っても一言では語りきれないため、世界で起きている自然現象や自分の国で感じられる地球温暖化の影響などを出し合い、どの項目が世界的な問題でまた映像で表現しやすいかを話し合った。そして世界共通で身近な水不足にテーマを決めて映像を制作することにした。その後、映像でいかに水不足を表現するのかアイデアを出し合い、水を無駄にしている人と、水を探し求めている人を交互に見せることに決めた。
撮影の前にはどんな行動をどんな状況で撮るのかを細かく記した絵コンテを描いていく。私は撮影中の指示や判断を英語で仕切ることが難しいため、この絵コンテを描く役を買って出た。それぞれの場面の役者のポーズから天気まで撮影の軸となる重要な場面を一つずつ漫画のように描いていくのはなかなか難しかった反面、とても面白くいい経験だった。
そして撮影。私たち環境グループにとって、水不足と水の無駄使いを分かりやすく見せるには太陽がどのシーンでも鍵を握るため、その日の天気にしたがってスケジュールを次々と変更する必要があり四方八方へ動き回った。
撮影後は編集作業に取り掛かる。しかしここで、外国ならではの問題が生じた。撮影しなおすか否かの話し合い中にグループのメンバー数人がいきなりどこかへ行ってしまったのだ。遅刻、欠席等の行動はありえないと考えられている社会環境で生活をしている日本人の「きっちりさ」を感じた瞬間である。しかし最終的には映像作成の経験があるメンバーが編集を積極的に進めてくれて、最後には無事納得のいく作品を作ることができた。
サミット最終日には各グループが作成した映像が上映された。どのグループの作品もそれぞれの問題を深く考えさせる完成度だった。日本ではせっかく映像を制作してもなかなか注目してもらえないことを考えると、日本はスポーツと勉強ができる人だけでなく、その二つに負けない才能を持っている若者にももっと注目をしてそれを発揮する機会を作るべきだと思った。
私が今回サミットに参加して強く感じたこと。それは国や宗教、肌の色に関係なく支えあっていけば、たとえ少人数であっても生活しやすくなる人が増え、うれしいと思う人が必ずいるということだ。実際私は今回のサミットでさまざまな人に沢山助けられた。もし助けがなかったらおそらく二週間私は無事に生活できなかったと思う。活動外の時間に同じグループだったアフガニスタンの女の子に寮の部屋に呼んでもらって絵コンテの書き方を教えてもらったり、アドバイザーの人がミーティング終了後にわからなかった部分をもう一回教えてくれたりと、数え始めたらきりがないほどサポートしてもらった。特にルームメイトのアルメニア人の女の子が言ってくれた「困ったらいつでも助ける」という言葉は心の支えになった。 自分の学校のクラスだけが交流関係の中心だと思っていた私をサミットは変え、世界は広いようだが全員人種は違っても同じ人間であり、互いを支えあっていく大切さに気づかされた2週間だった。
松本 哉人(15)
サミットに参加して3日目の昼、僕のグループ7人はオリエンテーションとしてそれぞれが自分のことを発表していた。みんなとちがって英語の得意でない僕はほとんど内容のないような事しか話せず、泣きたくなっていた。
しかし、仲間たちは辛抱強く聞こうとしてくれた。話が止まるたびに「ソーリー」を繰り返していた僕に「英語がうまくないからといって否定することはしないし、だから謝る必要もない」と励ましてくれた。この言葉をもらってから僕は「サンキュー」という言葉を多く使うようになった。そして、この言葉が残りのサミット期間中、僕に話す勇気をくれた。
ことし7月14日から27日まで南カリフォルニアにある米国創価大学のキャンパスで第9回国際青少年メディア サミットが開催された。アフガニスタン、イラン、イスラエル、パレスチナ、コソボなど22ヶ国から来た80人近くの若者が差別、貧困、暴力、健康、環境、女性の権利、若者の地位向上の7つのグループに分かれて話し合った。
僕は若者の地位向上のグループに参加した。僕のほかのメンバーはアルメニア、スロベニア、コソボ、アメリカ、メキシコ、ナイジェリアの若者たちだ。まず、それぞれの国の中で起きている若者の地位に関する問題を話し、共有し、改善するにはどうすればいいのか意見を交わした。ナイジェリアから来た女の子は金銭や社会的な立場の問題で自分の望む道に進めない若者がいることを話し、その場にいる全員が自分の周りにも同じようなことがあると話していた。
チームの課題は1分間のビデオ作品の制作だ。それぞれが自分の知っている映像を参考に見せ合いながら何を問題にするのか、どんな構成にするのかについて話し合った。その結果、テーマは「EVERY TALENT HAS ITS POWER」(全ての才能には活かしどころがある)で、自分の進むべき道を思い悩んでいる人たちに向けて自分の才能を信じるように呼びかける内容になった。
撮影は大学の構内で行った。メンバーはそれぞれ、プロデューサー、ディレクターなどの役を割り当てられた。各役割には専門家からのトレーニングも用意され、僕はガッファー(照明係)を担当した。ガッファーはライトや反射板を使って光の加減を調節する役で、撮影体験の少ない僕にとっては新しい知識だった。他のメンバーはほとんどの役割をよく理解していてビデオ作成の技術の高さに驚いた。意見がぶつかり合うことも多々あったが、結局はお互いの意見を理解した上で話し合い、納得する結論を出していた。日本では意見がぶつかると相手の話を聞かずにすぐに撤回したりしてしまうときが少なからずあるので、この点では日本は世界を見習うべきだと思った。 編集を終えてビデオ作品が完成した時はグループ全員で喜んだ。
もうひとつの難関はデクラレーション(宣言文)の作成だった。グループのメンバー全員が自分の国で起きている問題と解決方法について文章を作成し、その中から一人を選ぶ。選ばれた人は文章を読み上げて録画し、ビデオと一緒に閉会式で上映するのだが、若者の地位向上グループでは僕の提出した文章が選ばれた。日本の、子を持つ親や学校の先生達に向けて、子供にもっと励ます言葉をかけるよう呼びかける内容のものだ。英語の発音にとても苦労し、練習には多くの人の協力と時間とを必要としたが、ビデオ作品とともに閉会式でまとめて上映され、みんな達成感と喜びでいっぱいだった 気がつけば、サミットの最初には多くの不安を抱えていたのに、最後にはみんなとひとつになってビデオ作成や意見交換に取り組み、何事もまずやってみることが大事だということを学んだ。グループの中で口喧嘩になってふて腐れている様子などを見ていると、どこに住んでいても同じ人間であるということを実感させてくれたが、口喧嘩の原因がそれぞれの民族の信念の違いであったりすると参加者の「変えたい」という気持ちの強さを感じさせられた。それぞれの境遇の中で問題意識をもって参加した若者の中で共に作業できたことは世界に目を向けるいい機会になったと思う。また、自分の意見を発表し、人と話し合うことに長けた人たちの中にいると、自分の意見を主張し続けることの大切さやそのために必要な英語のスキルの重要性に気づかせてもらえた。
宣言文を撮影される
2014年7月14日~27日まで、南カリフォルニアのアリソ・ビエホで開催された第9回国際青少年メディア・サミットに、CE記者2名が参加した。ナイジェリア、イスラエル、パレスチナ、イラン、アフガニスタン、香港(中国)、スエーデンなど22カ国約50名の若者が参加し、世界共通の課題である貧困、差別、暴力、女性の権利、など7つのグループに分かれて1分間のビデオ作成を制作し、世界に向けて「宣言文」をビデオを通して発信した。
去る6月16日(日)13時から、TKP渋谷カンファレンスセンター(8A)で、3月末に実施したカンボジア取材旅行の報告会と、2011年、2012年にセルビアのベオグラードで開催された第6回、第7回国際青少年メディア・サミットの報告会が行われた。
記者、修了生、保護者、理事、スタッフ、ユースワーカー、そして関係者たち約30名が集まり、カンボジア取材旅行に参加した記者たちが撮影・編集したビデオを上映し、二人の記者が、パワーポイント・スライドを使ってそれぞれ5分間のプレゼンテーションを行った。続いて、青少年メディア・サミットの参加者が撮影・編集したビデオを上映した。
セルビア訪問(2記事)
セルビア共和国は南東ヨーロッパのバルカン半島にあり、人口は約750万人、面積は北海道と同じくらいである。旧ユーゴスラビア連邦で、歴史的に戦争が絶えない地域でもあった。1990年以降、連邦の中で独立が相次ぎ、2006年のモンテネグロ独立に伴ってセルビアも独立宣言をした。 このセルビアの首都ベオグラードで、8月1日から12日まで、第6回国際青少年メディアサミットが開かれた。ギリシャ、マケドニア 、ボスニア・ヘルツェコビナ、コソボなどのバルカン諸国をはじめ、米国、フランス、ドイツ、スエーデン、カナダなど16カ国から約50名の若者が集まり、世界が抱える諸問題を話し合った。 以下は日本から参加したCE記者の体験ルポである。 |
共通の思い
2011/09/11 富沢 咲天(16)
8 月 1日から 12 日まで 、 セルビアの首都ベオグラードで 第6回国際青少年メディア・サミットが開催された。 サミット参加者は 世界の7つの問題別にグループに分かれ、 差別、貧困、暴力、保健、環境、女性の権利、若者の地位向上のテーマで解決方法を討議した。このうち貧困問題のチームに加わりながら密着取材をした。
貧困のグループはセルビア人(男13才)、韓国系アメリカ人(女16才)、トルコ人(女17才)、コソボ人(男20才)、そして日本人の私の5人だ。1人1人個性的で、課題である1分間の映像を作るために多くのアイディアがでた。
大きな画用紙を机の中央に置いて、どのようなコンセプトでストーリーにするかが 話し合われた 。
貧困で苦しんでいる人たちを助けるにはどのような方法があるのか。短期的な方法は救援物資を届けることだろう。今生き延びるために必要なものを提供する。しかし一時的な援助物資だけでは貧困層の人たちは長期的に自立できない。 「安定した収入の職につけない→貧しい→教育を受けられない→安定した収入の職に就くことができない→貧しい」の繰り返しになってしまうといった意見がでた。
注目されたのは 教育だった。 子どもたちがちゃんと義務教育を受け、読み書きや社会に出るためのスキルを身に着ければ、将来安定した仕事に就けるはずだ。それが負の連鎖の脱出につながるという考えで一致した。
スクリプトを作るにあたり、どのようにして観客の興味をひくか、どのチームも苦労した。 繁華街や学校を舞台にするなど様々な意見が出され1つにまとめるのが大変だった。 1つ1つのシーンにこだわり完璧な映像にしたいという思いはみな同じだった。
ベオグラードの街中で撮影し終わった後は、編集作業に取りかかる。だがメンバーたちは5大陸から来た様々な背景を持っており、 、場 面ごとのBGMの選択や挿入方法、場面のカットなど、みな自分の理想にこだわり何度ももめた。 提出締切日の前夜は、午前3時までみんなでひたすら編集作業をした。眠い中 互いを励まし合い、やっとの思いで映像作品を完成させていた。
サミットの閉会式でそれぞれのチームが制作した 作品が上映された。 どのチームも感慨無量の表情だ。 撮影2日目でメンバーの1人がいきなりコソボに帰国してしまったり、セルビア人のメンバーの学校の友達が役者として協力してくれたり、いろいろなこととがあった。「長い時間話し合って夜遅くまで編集したかいがあったね」と誰もが 喜びを抑えきれなかった。
交流のなかでギリシャ語やトルコ語、セルビア語など 、みんなでそれぞれの言語の簡単なあいさつを覚えた。サミット終盤、ナイジェリアの人たちが来た時には彼らの伝統ダンスを練習するなど文化交流も盛んであった。
サミットに参加した多くの人たちが東日本大震災と原発事故に関して関心を示した。 「なぜ日本人は非常事態でも周囲の人のことを思いやれるの」「どうしてそんなにすぐ立ち直れるの」「復興までにはあと何年かかるの」などと様々な質問が飛んできた。
日本のことをそのように 心配してくれているとは予想していなかった。
他国の若者と協力して、お互いの意見を取り入れながら一つの作品を作っていく ために 、お互いに関心を持ち、コミュニケーションを積極的にとることは大切であった 。ともに苦労した仲間とやりとげた喜びを共有できたことは、サミットに参加して本当によかったと思う。
Shape the Future (未来を形作る)
2011/09/11 南雲 満友(16)
2011年8月1日から12日まで、南東ヨーロッパのバルカン半島にあるセルビア共和国の首都ベオグラードで、第6回国際青少年メディア・サミットが開催された。サミットのテーマは、世界の若者たちが映像作品を通して未来を形作る(Shape the future)。環境、貧困、差別、暴力、健康、女性の権利、若者の地位向上の課題別に、世界16カ国の若者が50名ほど集まり、1分間のビデオを作った。
サミットに応募するにあたり、各自が関心のある課題について2~3分のビデオ作品を作って提出した。私は、3月11日の東日本大震災後、実際に仙台を訪ねて目の当たりにした瓦礫の山、福島第一原子力発電所の事故によって起きた放射能汚染、大津波による塩害を例に、震災後の日本の環境の変化についての作品を作った。サミット3日目に参加者たちの前でこの作品を発表する機会があり、外国人から多くの質問を受け、震災が世界に与えた影響について考えさせられた。
私が参加した環境グループは、アメリカ人、トルコ人、ボスニア・ヘルツェコビナ人そして日本人の私の4人だった。グループ活動が始まると、意見交換を経て、ビデオのスクリプトとストーリーボード(絵コンテ)を作った。3つのアイディアが出て、グループ内に意見の食い違いが生じた。自分の意見を主張しながらも、相手の意見に耳を傾け、その妥協点を探ることが大変だった。しかし、この意見の食い違いが、作品をよりよいものにしたと感じている。私はグループの代表として、参加者の前でスクリプトを発表した。
1分間というのは、短いようで長い。1シーンを色々な角度から撮影し、それぞれを効果的に挟みながら編集することで、やっと1シーンが完成する。それが積み重なり、1分間のビデオ作品となるのだ。環境グループのビデオは、パラレル・ストーリー(2つのストーリーを並列させる)だったので、環境に敏感な人と無頓着に汚染する人を対照的に表現することが大変だった。
ビデオ作品とは別に、参加者全員がテーマの問題についてアピールする1分間の宣言文を作成した。私はサミット応募のために作成したビデオで主張したことを、宣言文に反映させ、原子力エネルギーや海洋生物の生態系が、世界で議論されるべきだと主張した。この宣言文は、グループの代表として選ばれ、ビデオに収録された。英語での宣言文に最初は緊張して、言葉に詰まったり、表情が硬くなってしまったが、音声の不具合で再度挑戦する機会をあたえられた。撮影前に言われた「これからあなたが輝く時間だよ」という言葉で、自信を持って撮影に臨むことができた。
サミットの閉会式で各グループのビデオ作品と宣言文が上映された際、これまでの10日間が走馬灯のように駆け巡り、グループの仲間と1つのものを作り上げることができた喜びをわかちあえた嬉しさで、胸がいっぱいになった。また今回Youth Committee(実行委員)のメンバーに選出されてことで、責任感とともに、自信がついた。
〝違う″ということは決してマイナスではない。育った環境も考え方も違う同世代の若者が集まり、議論を重ね、時にはぶつかり合いながら、アイディアを出し合い、1つのものを作り上げていく過程で自分の意見に真っ向から反対されたり、同じことを考えていても表現方法が違ったりするが、この違いが化学反応を起こし、大きな力になった。様々な国の同世代の若者から発せられる意見やアイディアの1つ1つが、魅力的なエッセンスのようであった。〝違う″ということを恐れない。これも大切なことだ。自分と他人が違うのは当たり前。臆病にならず、自分の意見をはっきり主張し、相手の意見にも耳を傾けることがよい議論、そしてその先につながっていくと感じた。
第3回国際青少年メディア・サミットにCE記者2名が参加
2008/07/28~08/04
8月19日~8月29日の10間、セルビアのベオグラードで開催された第3回国際青少 年メディア・サミットに、CEの記者2名が参加した。
旧ユーゴスラビア諸国やナイジェリア(アフリカ)、オーストラリア、アメリカ、
スウェーデン、オーストリア、ギリシャ、ハンガリー、インド、韓国、日本など18 カ国から約50名の若者が参加し、世界共通の課 題である貧困、暴力、環境、人種 差別など7つのグループに分かれて共同活動を行った。
参加記者の記事