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座談会

座談会「教育と暴力」 2005/09/18  
出席者:藤原沙来(15)、秋津文美(18)、川口洋平(15)   司会:三崎令日奈(18)

夏の全国高校野球大会で優勝した駒大学苫小牧高校野球部で、部長による部員への暴力がニュースになった。スポーツでは暴力が訓練の一つとして使われる風潮をCEの記者たちはどのように見ているのだろうか。運動部を経験した高校生記者たちが教育の場での暴力について語った。

暴力と愛のムチの境界は?

令日奈:今日は「教育と暴力」ということで、最近あった事件もふまえ、スポーツや運動部で手をあげ中心に議論をしてることをいきます。手をあげられた経験がある人はいますか?

洋平:小学校の頃、野球をやっていたとき、専用のプラスチックバットでケツを殴る行為がたまにありました。それは暴力でもあるだろうけれど、愛のムチでもあったのかな?

沙来:中学の剣道部の時に、顧問の先生に嫌われていたようで注意をされてはおしりを竹刀ではたかれていやでした。

令日奈:暴力と愛のムチの境界線は何だと思いますか?


洋平:指導者が、「ダラダラしてむかついたから」という理由で殴ったら暴力。感情的にならないでやるものは愛のムチと。


令日奈:私も感情的になることだと思うんです。言葉でも言えることなのに、感情的になって手をあげたら暴力。手をあげることがいいと冷静に判断した場合は、愛のムチ。


文美:愛は感情じゃないんですか?


沙来:経験をふまえると、体育会系の部活の中でぶつというのは、指導のうちに入るんじゃないかな。部活外の場合は、単なる暴力。


文美:愛のムチっていう言葉が、指導で暴力を生む風潮につながっていると思う。暴力は暴力だし、愛のムチなんて存在しないと思う。理論的にたたいて直るなんてことは絶対にない。ただ厳しい雰囲気のほうが強くなるだろうな。


洋平:指導者が何のためにその行為をするのかっていうところが、一番分かれ目になるんじゃないかな。


令日奈:「何のためにか」っていうのは確かに大事。

■手をあげる指導はありえる?

令日奈:スポーツの場において、指導者が選手に対して手をあげることに対してはどう思いますか?


洋平:手をあげない指導方法を考えるっていうのが、一番重要だと思うんです。例えば走ってこいだとか筋トレしろだとか、他にいくらでもある。


文美:「もうぶたないし、何も教えないから、何時間でもただずっと走ってろよ」ってされるよりは、バットでぶたれるほうがまだいい。


令日奈:中高で運動部に入ってなかったけど、日本代表監督が選手にバレーボールをバンバンぶつけたり、厳しい高校の部活の映像を見たりすると、違和感を抱く。県で強い高校にいると、監督が帰った後に先輩から呼び出されてそこで集団暴力みたいなの受けるといった大学の友達もいた。ずっと運動部にいた人たちは、駒大のそんなことなんて当たり前のことでしょみたいに言っている。それもまた私にとってはすごい違和感ある。


沙来:私の学校のバスケットボール部とかボールを当てられている子をよく見るんです。そうされるとやる気が奮い立たされるのかな。


令日奈:運動をやってた人にとっては手をあげられることってやる気を出すうえではいいことなの?


文美:私だったら辞めるけどね。

■言葉の暴力のない運動部はない
沙来:中学の時の顧問の先生に「やる気がないなら辞めろ」とか「ばかやろう」と普通に言われて。それも暴力、言葉の暴力だなと思うんです。でも口でそう言われるよりは、おしりを竹刀でたたかれた方がやる気が起きるのが現状なのかな。


洋平:言葉の暴力のない運動部はないんじゃないかな。優しい言葉で声かけたり、注意したりするのは部活としてまとまっていかないと思う。きつい言葉をかけることによって奮い立たせる必要はあるんじゃないのかな。


令日奈:プロのスポーツ選手みたいに、スポーツに人生を捧げる人はほんの一握り。部活とかやってる子でも、本業である勉強のかたわら部活をやって、机の上じゃ学べないことを部活で学んでると思う。言葉の暴力で傷つくとか、いやな思い出があるとか、そこまでして部活をやる必要はないんじゃないかな。


文美:だったら別に運動系入んなきゃいい。片手間でやっている、という考え方が、すでにスポーツで味わえるものの大半を失ってるというふうになる。指導者は放課後の数時間くらいは運動部にどっぷり浸かってほしいと思うから言葉がきつくなるんだと思う。

■手をあげられて当たり前?
令日奈:運動部では手をあげることは暴力ではないと考えているんですね?


洋平:手を上げるっていうのは暴力だと思います。


文美:みんな怒られてたたかれて泣かされてる。それをやりたいかって言われるとやりたくないけど、そういう世界なんじゃない? 高校で強ければ結局プロになってく。机の上だけではつかめない未来をつかめることもある。


沙来:高校の剣道部はコーチがすごく優しくて、全然暴力なんかふるわないし、言葉の暴力も全く無いんですけど私はもっと厳しくしてほしい。ちゃんと言ってくれないとわかんない。


文美:剣道には「打って反省、打たれて感謝」っていう言葉があるっていうのはわかるんですけど、試合で負けたら怒る他校の先生がいました。勝っても負けても「なんで俺が言ったことが守れないんだ」。何回も「なんで俺が」という。勝っても全然褒めないし。こんな先生はいやですね。

■今は昔と変わった
令日奈:指導者が手をあげるってことは、その指導者も昔そういう教育を受けていて、それで強くなれたからもう一回やってる、その繰り返しだと思いますか?


沙来:思います。


文美:昔の方がもっとひどかった。昔は水も飲んじゃだめだったんだよね。でも今でも飲ませてない先生もいるんだって。


令日奈:昔ほど厳しいのはいけないとなったのか、それとも世の中の風潮でそういうふうになっているのか。


文美:前のコーチがすごく厳しくて、クラブ全員辞めちゃって。クラブがもう終わっちゃうからっていうことで、コーチが優しい先生に代わったんだって。


令日奈:一般的に現代っ子は楽な方、楽な方へと走っちゃうっていうから。


文美:子どもが今すごい体力低下してるから昔の子どもほど要求しても無理。PTAもうるさい。科学的方法が進歩してるから強くなってる分野もあるけど、弱くなってるところもあるような。


沙来:厳しさは現実社会の中では必ず必要だし、そういうことに耐えることも必要なのかなって思います。


令日奈:手をあげることっていうのは、大怪我をしなければ、常識の範囲であってためになるものだということで、このラウンドテーブルを終えたいと思います。


文美:手をあげることは常識の範囲外なの。でもスポーツっていうのはそういう世界だから、それがいい人だけやればいいんじゃない?


令日奈:はい、ありがとうございました。