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座談会

いじめの報道について

出席者:川口洋平(17)、三崎令雄(15)、堀友紀(13)、佐藤美里菜(14)、寺尾佳恵(18 司会)
2007/07/05

 「いじめによる自殺の報道をみて、同じような仲間がいると思い死を選ぶから?」「いじめを客観的に報道するのは難しいのでは?」 いじめは 全国で頻繁に起こっている「いじめ」テレビなどで報道されることがほとんどないのはなぜだろうか。

佳恵:「いじめと報道」ということで、皆さんこのRTに参加してくれたと思うんですが、いじめがあるだけでテレビに報道されるということはほとんどないということで、主にいじめによる自殺と報道の関係について話すことになると思います。いじめられていると感じたらいじめになるのか、実際に暴力を受けたらいじめと言われるのか、定義が未だにあまりはっきりとしていないんですけれども、そもそもいじめのこと自体を報道すべきだと思いますか?

美里菜:いじめられている子が他にもいると思うと、もっと自分がかわいそうに思えたりするので、簡単に報道するようなものではないと思います。たぶんいじめはどの時代にもあったのだろうけれど、昔はそんなものは報道してなかったし。

友紀:一回大きい事件が報道された後に同じような事件が起きてしまったのであまり報道はしない方がいいと思います。

洋平:いじめの報道は絶対にした方がいいと思います。いじめがある現実を報道しないことには、いじめ自体が認知されないと思うので。

令雄:僕もいじめの報道はした方がいいと思います。今報道されている問題は氷山の一角だと思うので、こういう問題があるということを知らせることで、解決策が見えてくるのかなと思います。

佳恵:いじめで自殺するというのはかなりの問題だと思うのですが、その事実を報道しないほうがいいのはなぜ?

美里菜:自分がもしいじめられている立場だったら、逃げ道(自殺)をテレビなどで知って、「逃げちゃった方が楽なんじゃないかな」と考えてしまうので、犯罪にまでならないようないじめは、あまり報道しない方がいいと思います。いじめはあいまいで、逆にテレビで取り上げると大げさになるし。

■いじめの報道をみて死を選ぶ?

佳恵:もし自分が本当にせっぱ詰まって、今日死のうか、明日死のうか、というぐらい悩んでいる時にいじめが報道されているテレビを見たら自分はどんな行動をとると思いますか? 

美里菜: TV のニュースでコメントをする人たちの言葉に無責任なものがあると思うので、それをきいたら死んでしまうかもしれない。

友紀:分かってもないのに、分かっているような言い方をして・・・・・・。自分の気持ちをちゃんと分かっていないのに、そういうことを言われてしまうと、やっぱりそういう人もいるのかなと思って嫌になってしまう。

洋平:仲間が自殺したら自殺しちゃうっていうのは、友達がお酒だとか万引きだとかをやったのをみて、「ちょっと俺もやっちゃおうかなあ」みたいな気持ちと同じで、誰しもあることだと思うんです。いじめっていうのはなかなか表面化しにくいことなので、分かってもらいたくて自殺をしてしまうみたいな、そういうのもあるかなと思います。

令雄:自殺したという結果だけを伝えられたら分からないけれど、もしそれを詳しく取り上げてくれて、「自分はまだマシだからがんばろう」と自分の位置づけのようなものができると生きる気力になるのかな。

佳恵:日本のマスコミ、このまんまいくとみんなを死なせちゃうみたいですよね。でもTVも新聞も連鎖させて殺そうと思っているわけではないのに次々と「あの人が死んだから私も」となってしまうのはどこに問題があると思いますか?

洋平:被害者が「かわいそうかわいそう」とまるで英雄のように扱われる感じの今の報道の仕方が問題だと思うのですけど。ちょっとやりすぎかなと。

友紀:事件を見た大人たちが被害者に対しての表面的な思いをただ単に言っているだけだと思うのが今の報道なので、もうちょっと事件に関する内容を詳しく伝えるほうがいいと思います。

■客観的ないじめ報道は可能なのか?
佳恵:いじめの報道をする時に、学校側の責任を問うのと、加害者の責任を問うのと、被害者のことを報道するのと、大きく分ければ3つぐらいありますよね。自殺報道における客観的報道っていうのは可能だと思いますか?

洋平:何においても難しいことだと思うんですが、ちょっと努力することはできると思うんですね。これまでの報道だと、客観性は感じられないし、「この人はこんなにかわいそうだったんだ」みたいな報道のされ方がけっこう多い。

令雄:今のいじめの報道は一つの側面でしか見られていない。いろんな人の立場にたってその問題を見なきゃいけないと思うし。時間かかるかもしれないけれど、客観的報道はできるとは思います。

美里菜:自殺をしてしまった子は確かにまわりから責められてそうなってかわいそうだと思うけれど、いじめられるにはそれなりの理由もあると思います。例えば私の学校にも今そういう問題があって、先生やそういう大人は「かわいそう」「がんばってきた」とか思うみたい。でもこっち側の立場からすると言いたいこともあるんです。でもほとんどのテレビはその自殺した子の手紙だけを取り上げて、結局は一方的な報道しかしてないんじゃないかな。

 

佳恵:加害者の意見を聞いていないとなると、客観的報道とはいえませんよね?

美里菜:確かに命を落とすっていうのはすごい重いことだから難しいことだけれども、本当の報道はそうでなきゃいけないんじゃないかなと思います。

令雄:ニュースとかで学校の校長先生や教師の責任になったりするのはあんまり良くないと思うんです。確かにいじめは学校であると思うんですけど、学校の先生にそこまで期待するのはおかしいし、それで校長先生が亡くなっても、責任は校長先生にあるとは思わない。大切なのは被害者と加害者の関係だからその二つを取り上げればいいのに・・・・・・。

洋平:どこかの宗教にあったと思うんですけど、もっと自殺しちゃった人を悪い人扱いするとか、自殺は罪である、みたいな報道の仕方をすれば、「自殺って悪いこと」「自殺したら悪いやつ」とならないかな。

佳恵:自殺した人だけを完全に悪くすると、今度は「加害者はどうなの?」ということで別の問題もあると思うんですが、自殺について詳しく報道することでのメリット・デメリットについて考えがあれば言ってください。

友紀:自殺にいたるまでの加害者と被害者の気持ちを比較してほしい。

洋平:僕はあまりそういう詳しい報道とかはしない方がいいと思います。例えば被害者、自殺しちゃった人がどんな境遇で自殺しちゃったかっていうのが分かると、「なんだ、自分より軽いじゃん」、「重いじゃん」、「もしかしたら自分も自殺するレベルに到達しているんじゃないか」・・・・・・そんなような感情を抱いちゃうことがあると思うんですね。

令雄:被害者の気持ちが分かるならば、詳しく説明した方がいいと思います。

■ガイドラインで報道は変わることができるのか?

佳恵:去年の10月初旬に北海道の小6の子が亡くなったという報道があってから、2ヶ月の間に少なくとも6人の子が自殺している。 95 年ごろにも同じようなことがあった。こちらは年明けに阪神淡路大震災があって、そっちの報道が増えたら自殺も減った。そうなるとメディアの報道の仕方が関連しているという結論になるのですが、例えばオーストリアでは精神科を中心につくられたガイドラインにそってメディアが報道したことによって、自殺者数が減っているんですね。こういうふうにメディアを利用したら、逆に減るのではないか、というアイディアみたいなのがあったら出してください。

令雄:報道で自殺が減るかどうか分からないのですが、心理学者を使ってうまく報道したりするのは反対ですね。メディアっていうのはそういうためにあるわけじゃないし、別にメディアで自殺を止めようとする必要はないし。ありのまま、というのを追求した方がいいと思います。ただ自殺しようと思って追い込まれている人が、同じ立場にいた人の本で生きる力をもらえるなら、そういうグッズの宣伝はいいかな?

美里菜:もし自殺をしちゃいけないっていうのを伝えたい報道ならば、ちょっと宗教的になるけれど、「神様からもらった身体だから」、というのもありかな、と。だけど確かにメディアには事実を伝えるっていう大切さもある。両方をどうにかうまく利用して、「自殺はいけないこと」と伝えられたらいいんじゃないかな。

友紀:私のクラスのいじめはほんとにひどい。やっぱりいじめられる人というのは、みんなが嫌がるような人だから、暴力的なことじゃなかったら、みんな笑ったりしていたんです。ある日、文部省から学校あてに来た手紙を自分たちで読んだんですよ。その後も廊下の掲示板に貼られた新聞のいじめ特集記事も読んだ。この頃は自分たちも、見ている方もいじめている人と同じ扱いになると分かってきていて、「それは嫌だから」といつもいじめられている男の子を男子がいじめている時に、一部の女子が注意したり、ちょっと冷たく言いながら止めさせたりするようになったんで、けっこういじめは減ってきているんです。

洋平:テレビ局や週刊誌は人の不幸をネタにすることで数字を獲得するものだから、今の報道になってしまうのかなと。それが根本にある限りは変わらないんじゃないかな。

令雄:テレビ局も数字が取りたいから、インパクトのあるニュースを流す。そのインパクトに飛びついてしまう視聴者にも問題があると思います。人間は人の不幸を喜ぶのはもうしかたないことじゃないですか。それをふまえたうえで、何かできるのかな。我慢するしかないと思います。