佳 恵 |
親が子どもに言う「もうちょっと普通にしなさい」の「普通」は、世間体を気にして、「後ろ指を指されないぐらいな」という意味が込められているのかなと思うんです。ただ「普通」と言うことによって、相手を傷つけているかもしれない、と考えたことありますか? |
洋 平 |
すごく難しいと思うのですけど、自分が「普通にしなさい」って言われて、傷つくことは特にないのかなと。「普通」っていう言葉自体にいろんな意味が含まれているから、とりあえずはいいんじゃないですか。 |
颯太朗 |
「普通にしなさい」っていうのは、つまり「あなたは特別なんだから」ってことなんですけど、「あなたは特別なんだから」と言われて傷つく人ってそんなにいないですよね。でもみんなが「普通」だ、と思うと、やっぱり自分が浮き出ちゃうのかな。 |
佳恵 |
私は「普通」という言葉はいい意味でも悪い意味でも使われる二面性をもった言葉だと思うの。他人が言う「普通」と、自分が考える「普通」、2つの「普通」を自分の中でどう定義して、どんなふうに使っていくか? |
洋 平 |
個性的だねって言われることが多々あるんですよ。「個性的だね」っていうのも若干悪口にも捉えられるかもしれない。「普通だね」っていうのも似たようなものだと思うんですが、どちらも特に問題はないんですよ。そもそも「『普通』であるか、個性的であるか、どっちがいいか?」というのは個人の価値観でいいと思うんです。そうはいっても一般の社会においては「普通にしなきゃいけない」ことってあると思うんです。例えば電車の中で騒いでいるのが非常識だとしたら、それは「普通ではない」。 |
佳 恵 |
その場合の電車の中での「普通」といわれる行為は、一般大衆の考えを「普通」ってとるってことよね? |
洋 平 |
そう。 |
佳 恵 |
逆に少数が増えてきてそっちが大衆になったら、その「普通」はどうなると思いますか? |
洋 平 |
そうしたらその「普通」は逆転する。例えばみんなが電車の中で飯食っていたら、「みんなやってるからそれが普通」となる。その時に応じて「普通」っていうのは変わると思うし、それだけにちゃんと個々人がしっかりしてないと、「普通」っていうのが悪い方向にいってしまうんじゃないかなと。例えば極端な例だけど人を殺すことが「普通」になっちゃう。 |
佳 恵 |
ニュースとかで「普通」が使われることに対してはどうおもいますか? 「普通の少年だった」という表現。事件を起こした人に対して「普通だった」というのを聞くと、「起こした時点で『普通』じゃないんじゃない?」っていう疑問もわいてくると思うんだけど。 |
沙 来 |
「普通」っていう言葉の使われ方に対しては、疑問に思うこともあるんです。でもテレビとかで言われる「普通」っていうのは、「常識はずれではない」というような意味だと思うので、疑問は抱きません。 |
洋 平 |
テレビなどでよく、「『普通の少年』が同級生を殺害した」、とか報道されているんですけど、「普通」の捉え方そのものが広いと思うんですね。人によって意味が様々なので、テレビでは「一般的な」ってことを言いたいと思うんです。そうはいっても、「普通の少年」とかいう表現はあまり好ましくないのかなと思います。 |
颯太朗 |
いつもそんなこと気にしたことないんです。ただテレビとかでいう「普通」は、非行少年ではない、とか、暴力を周囲にふるっていたことがない、といったようなことを言いたいんじゃないかと理解することはあります。 |
佳 恵 |
便利な言葉だから使われるっていうのはもちろんあるだろうけれど、人によって違ってきちゃうのに、公共の場で「普通」という言葉を使うことについてどう思いますか? |
洋 平 |
ニュースとかで「普通」っていう言葉を使うことはやっぱり好ましくない。例えば「普通の少年」が罪を犯したとかいうんであれば、普段学校に通い、真面目な学生がみたいなことを言いたいんでしょう。そんなふうにできるだけ具体的な表現を使うべきだと思います。 |
沙 来 |
私は使っていいと思っている。一応テレビを見ている一般の人たちが捉えている「普通」と、テレビを作る側が捉えている「普通」はたぶん同じだと思うから。 |
佳 恵 |
でもたぶん、見ている人の中でも「普通」の基準は人によって違うんじゃない。 |
佳 恵 |
「普通」という言葉の使い方ですが、大多数のものを指して使っていくのがいいのか、それとも自分の基準で「普通」を判断していくのか? あるいは「普通」っていう言葉そのものを使わないようにしようとするか? |
颯太朗 |
そもそも「普通」という言葉を使う機会がほとんどないです。「普通」と呼ばれることもまったくないですが、「きみ普通だね」と言われるよりは個性的と受け止められているほうがずっと楽しいような。それに「普通」と言われると、その他もろもろと一緒くたにされ、自分の人格否定をされているような気すらします。 |
沙 来 |
けっこうものをはっきり言いたいタイプなので、「普通というあいまいな表し方をされると、「どっちなの」って思うんです。普段の会話でも「どう思う?」って聞かれた時に「普通」っていう答えが返ってくると、「普通って何?」って逆に返したくなる。会話だと、「普通」って言葉はとても不便な言葉だなと思うんです。状況によって「普通」という言葉の捉え方はいろいろ違うと思うんですけど。それぞれの立場によっても違うので、使い分けが必要な言葉だなと思っています。 |
佳 恵 |
「普通」という言葉は便利だから使えるなら使いたい言葉だと思うの。例えば自分があいまいに答えたい時にも、「普通です」って言っておけば何となく過ごせるかなと。ただ相手と自分との「普通」が違うのだから、「普通って何だろう」と自分自身で考えることも必要だと思うんです。 |
颯太朗 |
確かにテストが終わって、親に「どうだった?」って言われた時に悪いとも良いとも言えず、「普通」と言えば済んじゃう。でも本の中で「普通」って使われる時は普通の何のへんてつもないコップとか、物の例えで使われることが多いんです。今は人に対して使っているけれど。 |
洋 平 |
もしかしたら「普通」っていうのはテレビ局なり、新聞なりが作り出しているんじゃないかな。テレビとかで「普通の何とかが」って言ったら、「ああこれが普通なんだ」って視聴者は思うわけですよ。人が多いほうや力のあるほうが「普通」になることもあるだろうし、テレビとかで、意図的に新しい「普通」の定義みたいなのができるのかなとも思いました。 |
沙 来 |
ついつい「普通」という言葉がでてくるんですが、意識して減らそうっていう気もないし、特に「普通」って言葉便利だから使おうっていう特別な気持ちもないんです。でもあいまいな答え方をする場合には「普通」という言い方は良くないなと思うし、さっき言ったみたいにそもそもそれぞれ「普通」の価値観が違うのだから、「普通」っていう答え方はあんまり良くないのかなっていう印象を、このラウンドテーブルをしてうけました。 |
友衣奈 |
私もテレビとかで、これが「普通」って言われたら、これは「普通」なんだって思っちゃうと思うんです。友達とゲームの話をしていても、「良かったらすごく良かったっていうし、負けたら最悪だったっていうし、どちらでもないから『普通』」となる。そう言われたら「ああどっちでもなかったんだな、微妙だったんだな」って思う。友だち同士では「良くも悪くもない微妙なところだから『普通』と言っている」と理解しあっているので、それが社会的にいいとは思えなくても、友だち同士では使っていいと思います。 |
佳恵 |
改めて思うのは人によって「普通の基準」が違うんだなということ。自分が「普通」という言葉を使う時には、もうちょっと相手と自分の「普通」は何だろうっていうことを考えてみるのもいいのかなと思いました。 |