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国際

アイスランドの「ザ・グレート・フィッシュデー」
2006/12/05                 秋津 文美(19)

 アイスランド北部ダルヴィクは、エイヤフィヨルドの中にある漁村である。 1884 年に、デンマークから 4 世帯が移住して以来、高い文化水準とともに発展してきた。この街では、 6 年前から毎年 8 月に「ザ・グレート・フィッシュデー」というお祭りを開催している。このイベントでは、ダルヴィクの港で獲れた海の幸が無料で振舞われる。人口 2000 人のこの町に 3 万人が集まると主催者は言う。

 今年の「ザ・グレート・フィッシュデー」では、国際色を添えようとボランティアを募集した。集まったのは8カ国、 16 人の老若男女。私もその一人として、醤油1リットルをトランクに詰め、成田空港を発った。

お祭りに向けて

 「『ザ・グレート・フィッシュデー』では、町中の道という道に人があふれる」と、責任者であり、我々のボスであるユリウスは言う。 8 月 11 日の当日に向けて、ボランティアは 1 週間ほど前から活動を始めた。

町全体の清掃から、祭りの準備は始まる。「地域で祭りに取り組むことは、治安を良くしている。鍵をかけなくても眠れるくらいだ」と人々は言う。この街全体が会場となる祭りのために、住人たちは協力し合って、家を塗りなおし、庭を整える。ボランティアも草刈や倉庫塗りをダルヴィクの子どもたちと一緒にした。彼らは「ビームスコリー」と呼ばれる夏期学校の子どもたちで、賃金が支払われ、学費や生活費の足しにしている。「アイスランドでは 13 歳ころから職に就くことも多い。十分な収入を得られる」と話すトーン( 18 )は、普段は工場で魚の加工をしている。

その魚の加工工場では、お祭りのために、数万匹の魚をホイルに包んだ。歩き始めた子どもから工場の職員まで、市民が一丸となって準備をしている。

海草や漁具などで飾りつけて、通りの名前を魚の名前に貼りかえる。日に日に車が増えていく。空き地はキャンピングカーで埋められていく。「毎年駆けつける」というドイツ人夫婦もいた。

大統領もスープを振舞う

 お祭り前夜、電飾と風船で彩られた家々の軒先では、スープパーティーが開かれる。スープは、鮭や鱈を用いたクリーミーなもので、日本でいえば味噌汁といった感覚なのだろう。家や庭を開放して、訪ねてきた人すべてに、その家庭の味を振舞う。

 オラフル・ラグナル・グリムソン大統領は、自分の庭に合唱団を呼んで、遠近からの訪問客一人一人と握手を交わし、自家製スープとパンでもてなしていた。大統領家の味はややあっさりしたものだった。

 煮魚とスシ

「ザ・グレート・フィッシュデー」のメインは、港で水揚げされた、新鮮な魚介類による料理である。ボランティアも、自国のレシピを持ち寄った。ダルヴィクでは、日本への輸出のためにアワビも獲られる。そういった縁からか、日本に強い関心があり「日本食をぜひ作ろう」ということで、日本からのボランティア 3 人は魚の煮つけを作ることになった。

8 月 11 日、朝 11 時からフライやフィッシュバーガー、スープや干し魚、魚のワッフルの屋台が出る。魚の煮付けは、多国籍料理のテントで、リゾットやクラムチャウダー風スープと共に振舞われることになった。話題を呼んで、開場直後から長蛇の列となる。「日本食は、口に合うのだろうか?」という心配をしながらも、白米を添えてよそう。茶色い白身魚の料理にアイスランド各地から集まった人々は興味津々。「それは何?」「フィスク・ソイ・オ・サキ(タラの醤油と酒煮)!大きな鍋に山のようにあった煮魚は、 15 分と経たず無くなってしまった。日本から持ってきた醤油も、役に立ったというわけだ。

幸福の国、アイスランド

お祭り騒ぎが過ぎ去ると、急にもの悲しさが漂うもので、ふと「そもそも何故、こんなイベントを、それも無償で行うのか」という疑問が沸いてきた。多国籍料理テントのチーフでミシュランの4つ星シェフ・フレデリックは、「『ザ・グレート・フィッシュデー』には、大きな価値があると思う。ダルヴィクの自然の恵みをホストもゲストも分かち合える。何が特産なのか、何が体によい食べ物なのか、といったことを意識できるのは、子どもたちの食育にも良い。人々の食への関心や挑戦も広がる」という。彼は自分の店を休みにし、従業員や設備も提供して参加していた。ボスのユリウスは「この祭りで失っているものはない。日ごろの感謝と、これからの関係を築いている」と言う。

 

 アイスランドは世界で 1 番「国民が幸福を感じている」国だという。幸福とは、屋根まで塗りなおせるようなことなのかもしれない。ダルヴィクの人々は、家庭や町の隅々まで、目と手を届かせている。規模は小さくとも、磨いている。持てるものに最大限の手間をかける幸せを、この祭りにかける人々の姿勢から学んだ。

アイスランドの夏は短い。日も、一日ごとに短くなり、祭りが終わる頃にはセーターやコートが手放せなくなった。束の間の光の季節は、冬場の灯火へと変わっていく。