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エッセイを上手に書ける必要はありません。自分の意見をしっかりもっていて、それをきちんと人に伝えることができる人を求めています。

 
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2010年応募者のエッセイ  

「あたりまえ」 南雲 満友(14才)

こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう
あたりまえであることを。
お父さんがいる。お母さんがいる。
手が二本あって、足が二本ある。行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせばなんでもとれる。音が聞けて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか。
しかし、だれもそれをよろばない。あたりまえだ、と笑ってすます。
食事が食べられる。夜になるとちゃんと眠れ、
そして、また、朝がくる。空気を胸いっぱいにすえる。
笑える、泣ける、叫ぶこともできる。走り回れる
みんなあたりまえのこと。
こんなすばらしいことを、みんな決して喜ばない
そのありがたさを知っているのは、
それをなくした人たちだけ なぜでしょう。あたりまえ。
これは若い医師がガンを発病し、かぎられた命を知り、家族へ書いた詩です。
私はこの詩を読んだとき、公民の発表授業の事を思い出しました。
地雷で手足を失った人、人身売買、子ども兵士、貧しくて今日を生きるのが精一杯の人。他にも世界には「あたりまえ」のことができない人がたくさんいます。しかし「あたりまえ」が幸せであることに、気づかずに過ごしている人が多いのではないかと思いました。「死にたい」などと普通に言ってしまう人もいます。
私が一番驚いたのは、お年玉の中からユニセフに募金をした時のパンフレットの写真の子ども達の笑顔です。この子達は一日一日を生きていくのが大変なのに、優しい目をしていました。この時、本当に貧しいのは、日本の子ども達かもしれないと思いました。
私は、今の「あたりまえ」に感謝し、世界の状況を取材し、メディアを通して発信していく事によって、「あたりまえ」という無意識を意識に変えていきたいと考えています。今の私たちにできる事は何か? 一人でできる事はかぎられています。しかし、今立ち上がり、世界のいろいろな出来事に関心を持って、私の一番いいと思うやりかたを探し、国際協力との接点を持っていきたいと思います。

「9.11」 持丸朋子(14才)

アメリカ同時多発テロ"9.11”から8年以上がたった。
当時小学1年生だった私。このときテレビで見たなどの記憶はない。
この事件でアメリカン航空11便が突入したのが世界貿易センタービルだ。
この世界貿易センタービルが再建設されるかの話し合いは滞ったままである。
今、そんな世界貿易センタービルの周りでデモが起こっている。
彼らは、世界貿易センタービルが再建設されないと、仕事が来ないのである。
世界貿易センタービルが再建設されることにより、お金が労働者に渡るのである。
この不況だからこそ、お金を使い労働者を雇い労働者にお金を渡し良い循環が出来るのはいいことだと思う。
しかし、このテロによりビジネスができるのはなんとも悲しい話である。
また、いつしか世界貿易センタービルが普通のビルと化してしまうのだろうか。

2008年応募者のエッセイ  

「私の思う、『生きる』ということ」   宮澤 結(15才)

 最近、私は「生きているってどういうことだろう」と思うことがあります。
三年ほど前に、テレビのドキュメンタリー番組で、私はアシュリー・へギさんの事を知りました。彼女は生後九ヶ月のときに、800万人に1人の割合で生まれるプロジェリアという病気だと診断されました。それは普通の人の10倍の速さで老化が進行し、まだ治療法の見つかっていない病気だそうです。アシュリーさんは激しい運動はもちろん、普通の人より出来ないことは多いですが、明るく前向きに生きる姿に小学生ながらも感動したことを今でも覚えています。さらにびっくりしたことは、彼女は私と年がそんなに変わらないのに、命についてちゃんと向き合って考えている、ということです。生きている年数に何ら変わりはないのに、命の重みやありがたさを素直に感じている彼女の姿がとても素敵でキラキラしていて、私は一種の衝撃を受けました。
それなのに今の日本では、いじめなどで自らの命を投げ捨ててしまう自殺者は年々増加しているし、心無い殺人事件は後を絶たず、悲しいニュースを聞かない日はない、というのが現状です。先日、土浦で起きた連続殺人事件においては、私の通っている学校と割と近い場所だったので、その近くに住んでいた友人は恐怖から怖い夢を見たそうです。このような事件が身近に感じられるのは、とても悲しく思います。
また、テレビのバラエティー番組などで、「死ね」という言葉をたびたび耳にします。若い人々の間でも「死」という言葉を簡単に使いますが、そんな簡単に口にしていいものなのか、と疑問に思います。なんだか世の中全体が、命に対して希薄なのではないか、と思います。だからリストカットなどの新しい言葉が誕生し、自殺志願者も増加してしまうのではないでしょうか。
私にとって“生きる”とは、毎日学校に行って部活をして、家に帰ったらすぐに寝る。そんな日々の繰り返しで、忙しくて大変だけれど、たまに夕飯に出る大好物のクリームシチューで嬉しくなる。テストの成績がちょっと上がって嬉しくなる。そんなささいな幸せが、明日も頑張るエネルギーを作っていくのだと思います。しかしアシュリーさんは、常に今という時間を精一杯生きなくてはいけません。“生”についての捉え方は人によって様々です。
生きたいと思っても生きられない人がいる中で、生きているのに疲れた、そんな理由で命を投げ捨てる人もいる。なんて理不尽な世の中なんだろう、と思います。
私自身ももっと命について真剣に考えていくべきだし、沢山の人々に命の重さを知ってもらいたいと思いま
した。

2004年応募者のエッセイ  

「愛か、お金か」 三崎 友衣奈(12才)

フセイン元大統領が数週間前、アメリカの兵士たちの手によって抱束された。私は、フセイン元大統領の第二婦人がフセインがどこに隠れているのかを、教えたと聞いた。しかも、その第二夫人は、フセインの隠れ家を教えたことによってお金をもらったらしい。
最初に抱束されたと聞いたときは、第二婦人がそんなことをするということに驚いた。私は隠れ家を言うべきではなかったと思う。もし私がフセイン元大統領の妻だったら、私も家族の一員なのだから、どこにいるかなど、言わなかっただろう。

このニュースで、私は学校の授業でやった討論会のことを思い出した。議題は、「愛か、お金か」だった。思った通り、"お金"のグループの人数の方が多かった。彼らは、討論会でこう言った。「お金さえあれば、なんでもできる」と。それに対して、"愛"グループは、「愛はお金では買えない」と反論した。議論を重ねていくうちに、"愛"グループからのすばらしい意見が出てきた。それは、「愛の中に家族がいる」というものだった。短い言葉だが、とても説得力のある意見だった。

家族が貧しくても、愛があれば温かくなると思う。もし私が大金持ちでも、愛がなければ、もっているお金で何でも買って、寂しい気持ちを紛らわすことが出来るだろう。だが、これは私にとっては無意味なことに思える。愛はお金では買えない。これを聞いて、「お金で買えないものは、愛だけしかない」と言う人もいると思う。けれど私は、こう言いたい。「愛は、人々の人生を左右するほど重要で、人生にとって大切なものである」

2003年応募者のエッセイ

「心臓について」         村本 一輝(8才)

心ぞうはよく左のむねにあると言うけど、本当はむねのほぼまん中にある。大きさはにぎりこぶしより少し大きいくらい。ねている時も休まずはたらく。血を体のすみずみにはこぶポンプのやく目をする。

ぞうの心ぞうは30キログラム。ねずみは0.3グラム。お父さんの心ぞうは280グラムくらい。

おとなはふつう1分間に70回くらいドキドキ(心ぱく数)します。うんどうすると1分間に200回くらいドキドキします。

人工心ぞうは心ぞうのびょう気の人にやくにたちます。しかし人工心ぞうの一つのぶひんに50万円もします。ねだんが高いのでビックリしました。もう少しやすくしたほうがいい。それにはどうしたらいいか考えたい。

「絶滅危惧動物について」     村本 耀一(11才)

最近ニュースで絶滅動物の話が多くなってきていると思います。さらに、緑の自然も少なくなっているように思えます。生物の種類は、見つかっている中で約100万種類いると聞いた事があったので、調べてみたら鳥類は約9950種類、哺乳類は約4760種類だということがわかりました。その中で鳥類は10種につき1種くらい、哺乳類は哺乳類の中の20%以上が絶滅危惧種だということがわかって驚きました。

でも何故こんな事になったのでしょう。そこで、動物を絶滅に追いやっている理由をしらべました。そうしたらほとんどの動物が人間の身勝手で絶滅に追いやられている事がわかりました。さらに直接絶滅に関わっていなくても他の一つの種が少なくなるとその種を食べる動物が少なくなり絶滅の危機になる動物もいます。

例えばアホウドリも人間の犠牲になっています。アホウドリはマグロやカジキを捕る、浮延縄漁業やタラ類などを捕る底延縄漁業による混穫で数を減らしていきました。そして今はアホウドリ類の9割が絶滅の危機にあるといわれています。日本人はマグロなどをたくさん消費していますが、アホウドリなどの動物の犠牲がある事をよく知っていないといけないと思います。しかし今はただ絶滅に追いやるだけでなく、船尾から100メートル以上にわたって吹流し状のゆれるひもをいくつも垂らして「鳥よけ」の役目をはたすフェンスを作ってアホウドリの混穫を減らし、数の回復を助ける企画を少しずつ進めているグループもあります。

僕は動物一種類ずつを大切にして、なるべく多くの生物が存在する星に地球はなって欲しいと思います。今後は絶滅の危機にひんしている動物を助けている人の話をきいてみたいです。

「ホントの大人」            三崎令雄 (11才)

2003年1月13日、横浜市では2万4000人が成人式を迎えた。荒れる成人式が毎年クローズアップされる中、横浜市でも当日小さなもみあいがあった。今年は逮捕された新成人はいなかったが、去年は7人も新成人が逮捕された。

一生に一度しかない成人式をただ「めだちたい」というだけで台無しする新成人はもったいないと思う。これから大人というのに、他の人に迷惑ばかりかけているので、この人たちは、まだ成人式の意味を知っていないことになる。新成人が20歳なった今、大人としての責任をとらなくてはいけない。

僕はこんな成人式を迎えたくない。僕が成人式を迎える時は、大人としての責任の重大さを理解して、気持ちの入替りとして、成人式を迎えたいと思う。

僕は4年生の時に学校で2分の1成人式をした。それは、20歳の半分である10歳を祝うことだ。2分の1成人式は、大事な1つの経験になったと思う。それは、大人にむかって一歩進んだことだ。つまり、一つ一つの積み重ねが自分を大人にしていくと思う。

成人式を迎えた人も一歩ずつ進んできて大人になった。20歳は大人になった証拠のはずだが、この新成人たちがホントに大人になるのはいつだろうか。

「自殺してしまう人達」         佐藤 美里菜(10才)

最近、ニュースで「集団自殺」という言葉をよく見ます。それは死ぬことを目的にインターネットで知り合い自殺していくということらしい。インターネットはとても便利だけれど、怖い面もある。自殺をするために知り合って何も良いことは無いと思います。私は集団自殺に反対です。自殺者を募集したり死にたがる人はかわいそうな人達で、苦しい事があっても「がんばろう」という気持ちをもてる人は幸せな人達だと思います。一度しかない人生を楽しく明るく過ごすことができたらすばらしいと思います。「自殺」ということは一つしかない命を自分でなくす行為です。私はそんなことを絶対にしたくないし、両親が悲しんだりいろいろな人達に迷惑もかかります。

私の学校はカトリックの学校で、宗教の時間に命の大切さを教えてもらいました。神様はみんなに大切な命を与え、それぞれの人は何か役割を与えられて生きていると聞きました。一人一人何か才能も持っているだろうし、その才能を生かして生きていかなければもったいないと思います。

死んでいく人達は多分これから先の夢を見ることができず、すべてをあきらめて死んでしまうのでしょうか。私はどんなこともあきらめず、頑張れる強い大人になりたいと思います。また、今のように自殺したり死ぬことを募集したりする人がいない明るい人がいっぱいの世界になれるよう皆で何かできたらいいなと思いました 。

「スローフード」              藤原沙来 (13才)

59円のハンバーグ。安い、早いだけでひきつけられるファーストフード。その逆の、材料からこだわり、心をこめて作りあげるスローフード。あなたはどちらを選びますか?私の場合は、スローフード。なぜなら自然の野菜を見て、触って、味わうことができるのは、材料からこだわり心を込めて手間ひまかけて作ることで分かるからです。スローフードとは、その土地その家庭ならではの味の多様性を大切にする運動です。食べ物を通じて自分と家族、自分と社会、自分と自然の関係をゆっくり問い直すことなのです。

私は学校の家庭科の宿題であさりのチャウダーを作りました。その時、農協で新鮮で、旬な野菜を選び、どんな味付けにするかを考えて作りました。野菜は自分で皮をむき、痛めて作り上げていきました。これこそスローフードだと実感しました。電子レンジでチンして、ただ食べて終わりという食べ方ではなく、材料を選び、時間をかけて気持ちのこもったものを作ることがスローフードの原点だと思ったからです。

今の日本人は、安いということだけにこだわってしまっていて、スローフードの良い所を知ろうとしない人がいます。確かに、安くて早いことは良いことだとは思いますが、おいしい材料でおいしい物を作ること、それを食べることにうれしさを感じたりするのではないでしょうか。私にとって、おいしい材料で手間ひまかけて心を込めて作るものが食べ物でありそれは、スローフードでもあるのす。

日本は豊かな自然に恵まれています。昔からのやり方で作っていくものこそスローフードではないかと思いました。食べ物以外で伝統工芸品など、日本独特なやり方で今まで受けつがれているものもスローライフにつながっていくのだと思います。外国から渡ってきて、そのやり方を同じように利用しているファーストフードとは違い、早くて便利ではないけれども、日本独自でそれぞれの人の作り方の違いがあることがスローライフなのです。

私の行っていた幼稚園では、かき、さつまいも、お米などたくさんの食べ物を作っていた。育てることに興味を持ち、泥だらけになって苗を植えたお米は、毎日のように、ほんの少ししか大きくなっていないがどのくらい伸びたかを見るのが楽しみでもありました。最初は土で汚れてしまっていやだと思っていましたが、苗を植えることの楽しみが分かると何本も苗を植えました。自然でできた植物というのは、人間にエネルギーを与えてくれるような存在でもあるような気がしました。私の家は、農協で野菜を買い、生協で調達しています。私は、そういう環境で育ってきていることに対して、誇りを感じています。

「青少年の犯罪について」        関口ひとみ (15才)

最近このような事件を耳にしました。中学生の男子数名で、ホームレスの男性熱湯をかぶせ大きなやけどを負わせたという事件です。

被害者の男性は全身にやけどを負って皮膚がボロボロになってしまったそうです。男性と少年たちの間には口論や何かけんかの原因となる出来事わけでもなく、たまたまこの男性がホームレスであったためにこのようなことをされたのです。けれど、私がもっと驚かされたことは、犯人の少年たちは少年法によって大した罰も受けず、逮捕されることもなかったということです。驚いたというよりも、心の底から納得がいきませんでした。もし、少年法という法律が存在しなかったら、彼らの罪は法律上とても重いものとなって、罰もとても重いものとなったと思います。

一般的に成人以下の少年が事件を起こした場合、家庭裁判所で保護観察、少年院送致、不処分などと重い罪にはならないそうです。成人と扱いが違うのは、少年に対しては、罰を与えることよりも、立ち直るきっかけを与えることが第一に考えられているからだそうです。けれど、子供たちの視点から見ると、罪を犯しても大した罰を受けないと思って、軽い気持ちで万引きなどの犯罪を犯す人もいます。今回の事件の犯人の少年たちもそういうふうに考えていたのだと思います。このままでは、ますます青少年の犯罪は増加します。少年法が子供の心に隙を与えてしまいます。

そうすると、少年法はもっときびしくしていく必要があると思います。私には非行に走る少年たちの気持ちは全く理解できないけれども、同じ世代の人間として、やっていいことと悪いことの判断くらいはできるようになってほしいと思います。そして、罪を犯した人たちも、その罪の重さと責任にきずき、社会人として更生していってほしいと思います。

2002年(地方記者)応募者のエッセイ

「小さな町は大きな世界の縮図」   岩手県  吉成 慧恵 (17才)

 でっかい空に、でっかい雲。透明な空気においしい水。こんなに自然に囲まれ、住み良い土地の岩手県だが、人口の減少、いわゆる過疎化に県内の地方自治体は頭を悩まされている。日本にとっても苦しい不況の時代、当然岩手県内でも大手企業の倒産などで失業率も右肩上がりである。そんな時代背景も受け、就職先のない若者たちも、やむをえず住み慣れた町を捨てることも少なくはない。世間では、田舎の若者は都会に憧れているというイメージが強いが、私の通う高校では90%の生徒が県内の大学を志望していることで分かるように彼らは地元に残りたいのだ。しかしこのように若者が減っていくともちろん少子化が大きな問題である。岩手県の葛巻という町では平成17年までに廃校が決まっている学校は10校もある。この葛巻町のような町や村は大して珍しくない。

  しかし葛巻町にはちょうど1年前に再び命を吹き込まれた廃校がある。その廃校は「森と風のがっこう」と名付けられた。このがっこうには二つの顔がある。一つは遊場としての顔。地元の子供たちは自然に囲まれた環境にいたとしても遊び方を知らない。そこで毎月第二土曜日は子供オープンデーと題して大人も子供もごちゃまぜで、大自然に身をゆだねて遊ぶのだ。私も毎回参加しているのだが、子供も大人も本当に顔が変わってくる。自分の気が向くままに動くのだ。学校社会に身をゆだねている私にとって、自分のやりたい遊びをみつけることはとても苦痛に思えてくる。つまり、何がしたいのと聞かれて、何でもいいと答えることがあまりに多いのだ。二つ目の顔は大人の学び場である。今まで大人たちは未来の子ども達に何を残してきたので
あろうか。大量のゴミ?大量の不良債権?そこで未来の子ども達に美しい自然を引き継ごう、つまり持続可能な社会、とくにエネルギーについて考えようという大人たちの学びの場である。そして葛巻町と一緒にこの町な未来について考えようとする場である。私はここで学ぶ楽しさを知った。教室の机に座っているだけが勉強ではない。実際に手や足を動かして作ったり、外に出て地元の方とお話したり、仲間と真剣に未来について語ったり…。私にとってここは本当に生きる力を学ぶ学校である。

  そしてこのような、廃校を再利用して新しい命を吹き込む取組は日本全国に広がった。小さな町は大きな世界の縮図である。そこで私が21世紀において言えることは2つある。1つは新しいものを作っては捨てる時代は終わったということ。廃校は1度ゴミとなったが再利用することで新しいものがが生まれ、古いものの良さを見つめ直すことができる。もう1つはこれからの世界を動かすのは市民だということ。国のことを考えるのは役人や国会議員だけじゃない、持続可能な社会作りに新しいことを始める時は市民の手で動かすのが最も早いのだ。そしてそんなことを発見できる場所がもっと増えるべきだと私は思う。

「神奈川県在住外国人について」   神奈川県  河村 光 (12才)

私は神奈川県に住んでいます。今日は私たちの住んでいる神奈川県が行っている「在住外国人への取り組み」ということについて話します。

私が2年生から6年生まで通っていた小学校には外国から来た友達や先生がいました。国が違うということは言葉が違います。最近では、授業として世界共通語の英語や、他国の文化を国際理解という形で小学校でも学べるようになってきています。しかし、それでもまだ他国のことをよく理解している人はそれ程多くはありません。

外国で生まれ育った人たちが日本で暮らしていくには、言葉の面でも文化の面でも沢山勉強する必要があります。そのような人達の為に神奈川県社会福祉協議会では、「第二次神奈川県社会福祉協議会活動推進計画」において、「外国籍県民等への支援事業」として在住外国人の生活課題の解決に向けて、相談窓口の整備や民生委員活動のサポート等、在住外国人に対する住民活動を支援する取り組みを展開してきました。

平成4年度の活動で、在住外国人が抱えている生活問題の解決や、その生活問題とはどの様な事なのかを知るために在住外国人へ『アンケート及びヒアリング調査』を行いました。そしてその調査の結果「通名(日本名)」を使っている方が77%であることや回答者の4分の1が外国籍であるために入居を断られること、就職差別も同じように受けていたことなどが分かりました。

平成五年度の活動では「ボランティア福祉研修」と「福祉従事者研修」が行われました。「ボランティア福祉研修」では外国籍県民の生活支援を行っているボランティアグループに、日本に暮らしている外国人がどんなことで困っているかなどを知るための研修を開催。「福祉従事者研修」では市町村の福祉を担当する新任職員・中堅職員研修、社協中堅職員研修、中堅民生委員児童委員研修を実施しました。

また、日は飛びますが平成9年度「在住外国人支援ボランティア事業」では日本語教室マップづくりと在住外国人の医療問題を通じて、ボランティア同士のネットワークの構築及びボランティアと専門家(医師・MSW等)との連携が深まるよう、連絡会議や学習会等を開催したり、ボランティア活動研究集会で、多文化共生社会をめざしたワークショップを行いました。

  このように私の住む神奈川県では、在住外国人に対していろんな取り組みを何年もしてきました。しかし、まだまだ改善すべきところが多くあります。実際今でも生活上に不便を感じていたり、差別を受けていたりする人が存在するのです。

  私は、在住外国人のことを調べてみて改めて、差別のことやその方たちの大変さについて考えさせられました。これからも在住外国人についてのことや在住外国人へのボランティアのことについても沢山調べ、何年かかるかは分かりませんが、みんなが同じように生活ができるような社会にしていきたいなと思いました。

「環境問題について」    山口県  藤井 沙紀 (11才)

  私が興味を持っていることは、環境問題についてです。
なぜ、環境問題に興味を持ったかというと、山に囲まれた大きな道路のパーキングエリアにたくさんゴミが捨てられているのを、見たからです。そこには、「ゴミを捨てないで下さい。」という看板があるのに、ゴミがたくさん捨ててあり、カラスや野良犬が来るようになって、とても汚いです。そこを通るとき、とてもいやな気持ちだし、どうして、家に持って帰ってゴミ箱にきちんと捨てないのかと思います。

  空気の汚れや、水の汚れ、どうして真剣に考えないヒトがいるのかな、川には空き缶やビニール、道路には弁当箱どうしてゴミ箱に捨てないのかといつも思います。

私は、環境問題を真剣に考えなくてはいけないと思います。  

2002年応募者のエッセイ

「これからの世界に必要なこと」      三崎令日奈  (15才)

世界は今、たくさんの混乱を抱えています。民族間の戦争やテロがその例です。去年のアメリカ同時多発テロでは、たくさんの尊い命が奪われました。このような世界で生きていく上で必要な力があるとすれば、それはひとつの物事を様々な視点から考える力だと思います。

今回のテロ事件後、多くのアメリカ人は愛国心を一層強めました。アメリカによるアフガニスタン報復攻撃にも反対する人は極めて少なかったそうです。確かに、その愛国心も手伝ってアメリカは見事、事件を克服していますが、時には相手の立場にたって考えることも重要だと私は考えます。罪のないアフガニスタンのたくさんの難民が被害にあっていること、アメリカは軍事行動で解決するけれど世界にはそれに反対する国もあるということ・・・。もしいろいろな国のいろいろな立場から考えることが出来れば、この混乱の中でも正しい判断が出来ると思います。

私が、いろいろな観点からひとつのものを見る大切さを考えるようになったきっかけはアメリカで生活したことでした。現地の学校では、日本だったら考えられないことがたくさんあって最初はびっくりしましたが、日本では無礼なこともアメリカでは良かったりアメリカでは当たり前のことが日本ではとんでもないことだったりすることがよくあったので、日本の価値観が必ずしもどこでも通用するわけではないことが身をもって分かりました。

新聞で読んだ記事ですが、世界中で大ヒットになったハリーポッターの題名を翻訳する時、フランスの翻訳者は、英語の題名のままフランス語に直訳すると、フランスの子供達が理解できないので題名に手を加えました。アメリカで出版されるときもイギリス英語では親しみを持ってもらえないので、アメリカ英語に直されたそうです。しかし、日本の翻訳者は、「ときには理解しづらいこともあるけれどそのまま訳すことで、相手の国の価値観をそのまま伝えられる。それが本当の翻訳。」と考えてあくまで原題に忠実に訳したそうです。日本の子供が、もとは英語だった本を通じて、いろいろな国の価値観を知ることが出来るのはとてもよいことだと思います。

世界が抱えている多くの問題は1つの国だけで解決できるものではなく、いくつかの国が一体となって解決していかなくてはいけません。それぞれが相手の立場にたち、理解しあって一番の方法を見つけることが21世紀らしいやり方だと思います。私達個人もまた、異文化を理解し相手の立場にもたって、いろいろな観点から物事を見ることで、新しい世界が見えてくるし、それによって今のような混乱の中でも正しい判断が出来ると考えています。

「おこめについて」                   阿部由希子 (8才)

私がさいきんきょうみをもったものは、お米です。どうしてきょうみをもったかというと、お米はどうしてたくと、やわらかいごはんになるかふしぎにおもったからです。

ほかにもゴミ(五月三日)の日があるように、こめの日があるのかにもきょうみをもちました。

はじめはインターネットでしらべていました。そこでは、コメはさいばいに八十八日かかることから、毎月八日が米の日だということ、米が水をすって、それをたくからやわらかくなることが、わかりました。でも、どうして米は水をすうのかというぎもんがのこっていたので、それはホームページで、
しょうかいしている所があったので、そこに電話してききました。どうして米は水をふくむのか、それは水が米にしみこもうとしているのです。どこで水をすうのかというと、込めをあらうときです。ですから米をあらったあとすぐにたくのではなく、少しの間水につけると、やわらかく、おいしいごはんがたべられます。いろいろなことをしらべて、やっと、かんそうのところまでかけました。お米ってみぢかなものなのに、しらべてみると、いろいろひみつをもっているんだなぁ、と思いました。もっともっといろいろなことをしりたいです。