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教育


 

石巻は今
2014/09/24                 坂本 光央(11)

 あれから3年半がたったが、皆さんは3月11日のことをどれだけ覚えているだろうか。マグニチュード9.0、最大震度7の地震は東日本全体を襲い「東日本大震災」と名付けられた。また、この地震は大きな津波を引き起こし、三陸沿岸の市や町を流し去った。そんな多大な被害を受けた被災地の現在の状況と、そこに住んでいるこどもたちからこの被災地がどのように見えるのかを知るため、8月16日に宮城県石巻市と女川町を回り、石巻で活動しているキッズ・メディア・ステーションのこども記者に取材した。

   最初に、石巻駅前から観光タクシーで石巻の日和山公園、石巻港、湊小学校、そして女川町地域医療センター(旧女川町立病院)を訪ねた。日和山公園は、石巻市街を一望できる高台で、ところどころに震災前の写真が掲示してあり、震災前と今でどこが変わってしまったのかが一目で分かるようになっている。その写真と今の様子を比べてみると、明らかに建物が減り、南浜地区や門脇地区にはほとんど建物がなく、旧北上川の中洲も、面積が小さくなっている。津波で流されてしまったのである。

   石巻港には、津波で半壊した建物が未だに残っていて、とても痛々しかった。
 湊小学校は、震災により2013年に閉校した湊第二小学校と統合していた。湊小学校の前には「湊第二小学校  沿革」「湊第二小学校閉校記念碑」などの石碑が建っていた。
  
女川町地域医療センターは海抜18メートルの高台にあった。それでも津波が押し寄せて、一階が2メートルほど浸水したそうだ。また、通る道の途中には、あちこちに「津波到達高」を示す看板があり、また狭い仮設住宅などがあって、実際に行ってみないと分からないことが多かった。
    そして、一般社団法人キッズ・メディア・ステーションの記者たちに震災について話を聞いた。キッズ・メディア・ステーションは、「石巻日日こども新聞」を作っている団体である。

  まず、地震が起きた時の気持ちを尋ねると、八重樫蓮君(石巻中学校1年)は、「その時(小学4年生)は学校にいたので、家族のことが心配でした」と語った。

石巻の町がこれからどのような町になって欲しいかについて聞くと、松林拓希君(蛇田中学校1年)は「震災後は津波の影響で、こどもたちの遊び場が屋内だけだったので、屋外に遊び場をたくさん作ってほしいです」。木村ひな子さん(門脇中学3年)は「震災後は商店街も閉まってあまり人がいないので、店が開いてもっと明るくなってほしいと思います」。八重樫蓮君は「郊外に店が集中して、みんなそっちに行ってしまい、中心市街地を賑やかにしてほしい」など、津波によって大きく変わった町の環境に対する希望が多かった。

また、今の石巻はみんなの理想の街に近づいているかどうかについて、酒井理子さん(門脇小学校6年)は、「近づいているとは思うけど、まだまだ理想の街とは思わない」。阿部文香さん(蛇田小学校6年)は「門脇小学校があった南浜地区は津波でほとんど流されてしまって今は雑草だらけで夜になると灯りがなくて暗いので、そこを明るくしてほしいです」と語り、まだまだ震災前の状態にさえ戻っていない様子がうかがえた。  

    被災地に対して、全国の人たちにして欲しいことは、「石巻のことをもっと目立たせてほしいし『石巻日日こども新聞』(http://kodomokisha.net/index.html)を読んで欲しい」(酒井さん)と、記者ならではの意見もあったが、「石巻に来て一緒に交流して欲しいです」(木村さん)。「今よりもっと観光客が増えてほしいし、震災のことをもっと色々な人に知ってもらいたい」(阿部さん)など、石巻を訪れてほしいという希望が多かった。

   最後に、震災を通して全国の人に伝えたいことを聞いてみると、八重樫君は「石巻の人たちが(寝る時には懐中電灯を枕元に置くなど)備えているのは震災があったからなので、ないところでは備えをしてほしいです」。木村ひな子さんは「地震はいつ起きるかわからないし、津波がくるかもしれないから、備えはした方がいいと思います」。酒井さんは「地震が起きたら、どういうことをしなければならないかを考えて欲しい」など、震災を経験した人ならではの「備え」を話してくれた。

   今回、石巻を訪ねて、ニュースやテレビのドキュメンタリーなどではわからない、被災地の空気を感じ、現地の人々に直接聞かないと分からないことはたくさんあると改めて感じた。 一人でも多くの人が現地に出向いて大地震や津波のことを知ることは、これから起きると予想されている首都圏直下型や南海トラフ地震などの被害を少しでも減らせるのではないかと思う。

 

住民のため、地域を伝える「地域新聞」
2014/09/24                  米山菜子(17)

  8月16日、真夏にも関わらず肌寒かったこの日に宮城県石巻市を訪れた。東日本大震災最多の被災者を出したこの町で、被災者でありながら、「伝える使命」を背負い情報を発信し続けた人々がいる。震災直後、避難所に張り出した「壁新聞」が広く評価された石巻日日(いしのまきひび) 新聞社だ。社員28名(そのうち記者は6名)で、宮城県石巻市、東松島市、牡鹿郡女川町の2市1町をエリアとして発行している。地域新聞のありかたについて、武内宏之常務(57)に取材した。

 「地域の回覧板たれ」
 石巻日日新聞を創刊した山川清初代社長の言葉だ。まるで回覧板のように、地域住民に必要な情報を届ける地域新聞でありたい、という思いが込められている。「震災を経て大正元年の創刊当時の原点に戻りました」と武内氏は語る。震災前は、新聞は報道機関であって回覧板ではないという反発の気持ちが武内氏にはあったが、「震災直後は、被害状況や給水車がいつ来るのかなど、住民に必要な生活情報を提供する壁新聞はまさに回覧板のようでした」という。

石巻日日新聞が長年にわたって築き上げた住民との信頼関係は「住民とともに石巻で生活し、毎日のように顔を合わせ、共に考える。この日々の積み重ねが、住民と同じ思いを持ち、活発な情報交流を行うことにつながりました」。「震災当時、私たち記者も被災者と同じ経験をしたので、被災者が何を欲しいのかがよくわかりました。自分の家族の様子もわからないまま、記者として取材を続け、家に帰りたくても帰れない状態の中で、住民のために新聞を作り続けました」と武内氏は当時を振り返る。

 石巻日日新聞は地域新聞ではあるが震災後は、最大規模の被災地である石巻がどのように復興するのかを全国に発信するために、ネット配信Hibi-netを始めたそうだ。武内氏は「これから首都圏直下型や南海トラフ地震が予想されるので、他の地方の人たちの参考になればと思います」と言う。そして、武内氏はタブレット端末による発信も将来の視野に入れているそうだ。石巻には高齢者が多く、字の小さい新聞は読みにくいため敬遠される。タブレットは字を拡大できるので、ニュースも読んでもらえると期待する。また真冬の震災時、多くの高齢者は閉め切った室内にいて、外で流れる津波警報のサイレンや防災無線のアナウンスが聞こえなかったため、今後は防災機能としても使えると言う。新たな取り組みにも一貫して「地域のため」という強い意志がある。

 そして地域貢献にも力を入れる石巻日日新聞社では、スポーツを通して未来の担い手であるこどもたちを育てている。少年野球大会は半世紀以上も前から行われている。また、震災後多くの人に震災を知ってもらうために絆の駅「石巻NEWSee(ニューゼ ニュースの博物館の意味)」を開設した。誰でも無料で入館でき、震災当時の写真の展示や地域の人々と交流できる場として、武内氏は館長を務めている。

 石巻に生まれ育つ若者たちにとって、石巻日日新聞は生活に身近だという。遠藤友さん(19)は、「地域のニュースをたくさん伝えてくれるので、全国紙とは全然ちがいます」。そして木村ひな子さん(15)は「地域の祭りに家族と行って、そのことが新聞にも載ったりするからとても身近」と答えた。武内氏はこの言葉を聞いて、嬉しいと笑みをこぼした。そして、作家井上ひさし氏の「自分の住んでいる地域の歴史を軽んじる地域に未来はない」という言葉を引用して「自分の住んでいるところを知らなくて日本のことや世界のことを語るな、と思いますよ」と言った。地域新聞は地元のことを知るために必要不可欠な存在だ。


▲ 石巻漁港

 

 

 

 

 


▲女川町地域医療センター

 

 

 

 



▲ 取材風景

 

 

 

 

 

 

 


▲ 取材風景

 

 

 


▲ 取材風景

 

 


▲武内常務に取材