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教育


 

タイの若者たちから見た日本
2010/04/04                建部 祥世 ( 18 )

 タマサート大学はタイでも屈指の難関大学。日本語学科はタイに数多くある日本語学科の中で最も歴史が古く、特に人気の学科だという。

 2010 年 1 月 15 日、タマサート大学教養学部日本語学科で日本語を勉強している学生たちにインタビューをするため、バンコクのとなり、バトュムタニ県にあるランシットキャンパスを訪れた。

 ランシットキャンパスはバンコクの中心地であるサイアムから電車と車を乗り継いで約 1 時間半のところにある。キャンパス内はバスや自転車で移動しなければならないほど広く、飲食店やスポーツ施設、美容院などもあってひとつの街のようだ。

 今回インタビューに答えてくれたのは日本語学科 2 年生( 19 歳〜 23 歳)の 5 人。短期や長期で日本に留学したことのある人もいて、 5 人とも日本語がとても流暢だった。

 日本語を学ぶ外国人の友人に日本語を勉強し始めたきっかけを聞くと、ほとんどの場合「マンガとアニメ」という答えが返ってくる。今回のタイの学生たちにも同じ質問をするとマンガ、アニメ、ドラマなど日本のサブカルチャーがきっかけになっていると答えた。今やアニメやマンガは日本を代表するサブカルチャーで、世界のみならず日本の若者までもが‘日本 = アニメ・マンガ'というイメージを持っているのではないか。それほど日本のサブカルチャーが世界に浸透し、人気を博しているということは誇らしいことであるが、日本には他にも素晴らしい文化がたくさんあるということも世界の人たちにもっと知ってもらいたい。しかしきっかけは何であれ、日本に興味を持ち、日本語を勉強し始めるようになったということが、日本人にとってはとても嬉しいことである。

 日本に対する最初のイメージはやはり‘日本 = アニメ・マンガ'だったと言う 5 人だが、日本語を勉強するようになってからは少し変わったイメージを持つようになったという。それは「いじめ、自殺、痴漢」などといった日本の裏の面である。タイにも電車があり、通勤通学の時間帯は日本のように混雑する区間もあるが、「タイに痴漢はいない」とタイに長年住んでいた日本人( 18 歳)から聞いたことがある。

 また自殺について大学生の一人のワニッチャヤー・エヤムクナコンさん( 21 歳)は「タイ人はあまり自殺しない。日本人は真面目な人が多いし、人に自分のことをあまり話そうとしないから、ストレスがたまって自殺してしまうのではないか。」と言っていた。ワニッチャヤーさんは高校生の時、 1 年間日本に留学したことがあり、その経験を通して日本人の性格や考え方について知ったという。

 日本人とは反対に「タイ人は思ったことはきちんと相手に言う。それにあまり気にしない性格だから―」と言っていたが、確かにタイ人は明るく陽気で、「マイペンライ」という「大丈夫」「気にしない」といった意味の言葉をよく使っている。しかし日本人としては「本当に大丈夫?」と心配になってしまう経験も多々ある。

 「いじめ、自殺、痴漢」といった情報も含め、日本に関する情報は主にインターネットから得るという。その他にもゲームやアニメ、芸能人などを通して日本の今を知り、伝統文化や社会については授業で勉強する。授業は日本人の先生が日本語で行っているという。内容は読解、文法、作文、漢字など日本人が英語を勉強するのと同じ方法で日本語を勉強している。一番大変なのは漢字と敬語の勉強だそうだ。

 日本語を勉強して将来は「日本語で本を書きたい」、「翻訳家になりたい」、「タイの文化を日本に伝え、日本の文化をタイに伝える NGO を作りたい」など、 5 人ともそれぞれ自分の具体的な夢を持っていた。

 2 年前に初めてタイを訪れた時、日本や韓国の音楽やファッションが若者の間で絶大な人気を誇っている中でも、若者たちが皆きちんと目上の人や仏壇に向かって「ワイ」で挨拶しているのを見て、タイの人たちは異文化を楽しみながらも、自国の文化を大切にしていて素晴らしいと感動したことについて話してみると、「ワイは小さい頃から身に染み付いている挨拶で、特に大切にしているわけではない。最近では「ワイ」をしない若者も増えてきている―」と言う。「ワイ」は日本で言う「お辞儀」のようなものだろう。「日本の茶道のように、みんなその言葉を聞けばそれが何か分かるけど詳しくは分からない。それと同じようにタイの若者も自国の文化を詳しくは知らない。タイの若者も日本の若者も一緒―」だと言った。

  どこの国でもその国の文化が次の世代に受け継がれにくくなっているのは避けられない現実なのだろう。時代が変わるとともに、その時代に合う文化に変わっていってしまうのかもしれない。時代の文化を受け継ぐのも変えるのも若者たちなのだ。