米山菜子(17)
8月16日、真夏にも関わらず肌寒かったこの日に宮城県石巻市を訪れた。東日本大震災最多の被災者を出したこの町で、被災者でありながら、「伝える使命」を背負い情報を発信し続けた人々がいる。震災直後、避難所に張り出した「壁新聞」が広く評価された石巻日日(いしのまきひび) 新聞社だ。社員28名(そのうち記者は6名)で、宮城県石巻市、東松島市、牡鹿郡女川町の2市1町をエリアとして発行している。地域新聞のありかたについて、武内宏之常務(57)に取材した。
「地域の回覧板たれ」
石巻日日新聞を創刊した山川清初代社長の言葉だ。まるで回覧板のように、地域住民に必要な情報を届ける地域新聞でありたい、という思いが込められている。「震災を経て大正元年の創刊当時の原点に戻りました」と武内氏は語る。震災前は、新聞は報道機関であって回覧板ではないという反発の気持ちが武内氏にはあったが、「震災直後は、被害状況や給水車がいつ来るのかなど、住民に必要な生活情報を提供する壁新聞はまさに回覧板のようでした」という。
石巻日日新聞が長年にわたって築き上げた住民との信頼関係は「住民とともに石巻で生活し、毎日のように顔を合わせ、共に考える。この日々の積み重ねが、住民と同じ思いを持ち、活発な情報交流を行うことにつながりました」。「震災当時、私たち記者も被災者と同じ経験をしたので、被災者が何を欲しいのかがよくわかりました。自分の家族の様子もわからないまま、記者として取材を続け、家に帰りたくても帰れない状態の中で、住民のために新聞を作り続けました」と武内氏は当時を振り返る。
石巻日日新聞は地域新聞ではあるが震災後は、最大規模の被災地である石巻がどのように復興するのかを全国に発信するために、ネット配信Hibi-netを始めたそうだ。武内氏は「これから首都圏直下型や南海トラフ地震が予想されるので、他の地方の人たちの参考になればと思います」と言う。そして、武内氏はタブレット端末による発信も将来の視野に入れているそうだ。石巻には高齢者が多く、字の小さい新聞は読みにくいため敬遠される。タブレットは字を拡大できるので、ニュースも読んでもらえると期待する。また真冬の震災時、多くの高齢者は閉め切った室内にいて、外で流れる津波警報のサイレンや防災無線のアナウンスが聞こえなかったため、今後は防災機能としても使えると言う。新たな取り組みにも一貫して「地域のため」という強い意志がある。
そして地域貢献にも力を入れる石巻日日新聞社では、スポーツを通して未来の担い手であるこどもたちを育てている。少年野球大会は半世紀以上も前から行われている。また、震災後多くの人に震災を知ってもらうために絆の駅「石巻NEWSee(ニューゼ ニュースの博物館の意味)」を開設した。誰でも無料で入館でき、震災当時の写真の展示や地域の人々と交流できる場として、武内氏は館長を務めている。
石巻に生まれ育つ若者たちにとって、石巻日日新聞は生活に身近だという。遠藤友さん(19)は、「地域のニュースをたくさん伝えてくれるので、全国紙とは全然ちがいます」。そして木村ひな子さん(15)は「地域の祭りに家族と行って、そのことが新聞にも載ったりするからとても身近」と答えた。武内氏はこの言葉を聞いて、嬉しいと笑みをこぼした。そして、作家井上ひさし氏の「自分の住んでいる地域の歴史を軽んじる地域に未来はない」という言葉を引用して「自分の住んでいるところを知らなくて日本のことや世界のことを語るな、と思いますよ」と言った。地域新聞は地元のことを知るために必要不可欠な存在だ。